はてなキーワード: 無意識とは
二の腕を気にして袖の長い服しか着られず、体育の授業で半袖の体操服や水着を着るのが凄く嫌だった。
また、無意識のうちにぶつぶつを爪で潰して、そこが痕になったりもしていた。
大学生の頃、ネットで聞き齧った情報をもとに風呂上がりにケラチナミンを毎日塗るようになったところ、1ヶ月もしないうちにほとんどのぶつぶつがなくなった。
つぶしたせいで出来てしまった色素沈着は治らなかったが、徐々に肌色に馴染んでいって、今では気にするほどは目立っていない。
人目を気にせずに半袖が着られるようになった。
高校生の頃あたりから、口が数センチ程度しか開かず、無理矢理開けようとするとガクンと顎が外れてしまうようになっていた。
日常生活に大きな支障を来すほどではなかったので医者に行くという考えには至らなかったが、ハンバーガーが食べられないなどのちょっとした困りごとが多々あった。
大学生の頃に学内での健康診断の際に医者になんとなく相談してみたところ顎のマッサージを教えてもらったので、毎日せっせと言われたとおりにしていたらいつのまにか治っていた。
その後一度再発してしまったのだが、同じマッサージをしたところすぐに治って以降もう10年近く再発していない。
マッサージのやり方は両手の肘を机について、人差し指と中指でこめかみの辺りをぎゅっと抑える。そのまま下顎を左右にコリコリとずらすように動かす。
幼少期はサラサラのロングヘアがチャームポイントだったのに、20歳を過ぎた頃あたりからどんどんとひどい髪質になっていった。
元の髪質である柔らかいストレートヘアの中に、陰毛を火で炙ったようなチリチリの硬い毛が何本もあった。また、抜け毛の量も多く、風呂に入ると瞬時に排水口が詰まったり、職場では自分のデスク周りだけ異常に髪の毛が落ちていたりした。
沢山抜ける分新たに生えてくる量も多いため頭頂部はアホ毛がワサワサで、どんなヘアスタイルをしてもアホ毛のせいで芋にしかならなかった。
なお、その間はずっとネットでの評判が良い高価なシャンプーを使っていた。
数年前に「もうオシャレに金かけなくてもいいかな…」と人生のあれこれを諦め始めた頃にそれまで買っていた高いシャンプーからドラッグストアで売っている一般的なシャンプーへと切り替えた。
すると抜け毛の量がこれまでの半分以下にまで減り、数ヶ月経つとチリチリ髪が生えてこなくなったことにも気がついた。
これまでのシャンプーでは私の脂ぎった頭皮の汚れが落とし切れておらず、毛穴詰まりによって抜け毛やチリ毛が発生していたようだった。
高けりゃ良いというものではないのだと知った。
思春期を迎えた頃あたりからずっと便秘体質だったが、運動はしたくないし野菜も食べたくないのでしょっちゅう便秘薬のお世話になっていた。
数年前、ダイエットのために家のご飯を玄米へと変えた頃から、お腹の調子が良好な日が続くようになった。
しかしながらその時は、その状態が玄米によるものだとは気づいていなかった。
年単位でお腹の調子が良い日が続いていたものの、あるときお米をもらったのでそれを機に玄米をやめて白米を食べる生活へと戻すことにした。
すると、あっという間にひどい便秘が続くようになった。
その後再び玄米を食べるようにすると、便秘は解消されたので、これまでのお腹の調子は玄米によるものが大きかったのだと気づいた。
自分は特にオシャレってほどじゃないんだけど、他人が気の利いた着こなししてると凝視してしまう。特に女物はバリエ豊富で楽しい。彼女と買い物に行くときもアレコレ見てしまったり。
女の子がオッサンにジっと見られたら恐い気持ちも分からんではない。でも、こっちは無意識に視界に収めてたりするからすまんとしか言いようない。身体を見てるんじゃない。服を見てるんだと言いたいけど言えない。
Tシャツの柄なんかもやらかしてしまう。胸元にあるロゴが何て書いてるのか気になって見てしまって、向こうからしたら胸元を凝視されるわけだよ。言い訳したい。できない。
結局好き嫌いの延長で全部決めてるんだよね。
同性愛者が許されない世界では段々締め付けが強くなってジャニーズやAVが規制されそうだから同性愛差別に反対してるとかそういうノリでしょ?
そもそも同じ国内で「維新の巣窟になるのは関西人が元からああいう人格だから」「東京湾が💩なのはトンキンの倫理観が終わっているから」みたいな事言い合ってるのに外人が「ちょwwww平和なバービーの世界にキノコ雲がwwww」ってしただけで不謹慎だなんだ言うの意味不明すぎるんだよね。
論理でも倫理でも計算でも知性でもなく、何らかの政治的思惑があるでもなく、何らかの道徳規範があるわけでもなく、単にその場のノリでしか決めてないでしょ。
感情と呼ぶのさえも怪しいような脊髄反射の連鎖で善悪を0.01秒で判断して、その後100年間その無意識レベルの反射を肯定するための材料集めをひたすら続けるんでしょ?
別にいいよ?
その通りですって逆ギレとかしないで素直に認められるなら。
でも出来ないんでしょ?
じゃあ辞めなよ。
みっともないよ。
近年、効率的な業務遂行が企業の成功に欠かせない要素となっているのは言わずもがな。職場の生産性を向上させるためにさまざまな方法が検討されており、遂に、革新的且つ意外な方法が発明された。それは、職場の全ての時計を5分早めることだ。
このアイデアの元となったのは、心理学者ケネス・ベイカーと組織行動学者ジム・ハウスマンによる研究だ。二人は時間の認識と行動に関する興味深い事実を発見した。時計が遅れていると人々は無意識のうちに時間に余裕があると感じ、行動にリラックスしたり遅延を許容してしまう傾向があるというのだ。
こうした理論に基づき、あるIT企業では実験的に全ての時計を5分早める試みを行った。結果として、驚くべきことに業務効率が飛躍的に向上したという結果が出た。以下にその理由を紹介する。
時計が早いことを知っているため、従業員は自然と時間を意識するようになる。納期やスケジュールに厳守することが重要性を増し、結果的に時間を有効に使うよう努力するようになる。
早めの時計を意識することで、ミーティングの開始時間が遅れることが減少する。会議室に遅刻することがなくなったため、会議の進行がスムーズになり、生産的な議論が進められるようになる。
3. タスクへの集中
時間の余裕を感じることなく、タスクに集中することができるようになる。従業員は作業に没頭し、仕事を早く終わらせることができるようになった。
時計が早いことで、従業員は待ち時間を減らすためにスケジュールを最適化するようになった。遅延を防ぐために早めに到着する習慣が生まれ、業務のタイムリーな進行が実現した。
5. チームワークの向上
全ての時計が早いことで、従業員同士のコミュニケーションがスムーズになった。時間に追われることなく協力し合い、タスクの分担や助け合いがより円滑に行われるようになった。
このような効果により、時計を5分早めることが職場の業務効率向上に大いに寄与することが確認された。今後、さらなる研究や実践によって、組織全体のパフォーマンス向上につながるかもしれない。
一国一地方の文化について語る人々は文化を愛しているようでいて
みなみな様は数年前の(流行・ファスト)服を着るのはクソダサくて出来れば知人には着て欲しくなくてもっと言えば可能なら視界にも入れたくない
言葉遣いはさらに辛く公然とどんな罵倒もしてよくて、おじさん構文どころか数年前のネットミームすらキモくて苦手というヤツがいる始末
いやあの増田は発生当時からキモくて苦手だったかもしれんが数年前の流行語を使ってるヤツがダサくてスベってる扱いするやつは腐るほど居る
ほかにも顔文字を使うヤツはおっさんだしAAは古のネット民で懐古かエミュでしかつかわれない
なぜなら服や文体の自己選択には古臭くてダサくて「いまさら使ってるヤツはヤバい」というレッテル貼りの個人攻撃が許されていて、そういう形で文化の大虐殺がある
しらんけど
ファッションは意図的だけど言葉や行動は結構無意識に世間の流れで知らず知らずそんな感じの雰囲気になってしまう
サブカルチャーといわれようが好きなヤツらが好きで押し通すか、生まれたものを文化だと言い切ってしつこく主張して残すために文化化して保存のための保存活動をしないといけない
何もしないと虐殺していいやつ判定になるんだけど、とくに「世代」扱いされれると最悪でその文化はほぼイコール死
世代だから世代の人間が使ったらセーフでもなく世代の人間が世代の文化を使ったら「速やかに文化を殺処理・移行できなかったヤツ」になる
世代は決して赦しにはならないのが恐ろしいところだ
ブログの私文書であろうが視界に入れた罪で皮肉られるからね(ネットにあげてる時点で何されてもしかたないんだよね)
現実でメイン・サブカルチャー大好きな人でもうっかりこういうのをサゲているのを何回も見たことあるから内心なんだかなあと思ってる
結局人は古くからある既に成立した文化か、たまさか現代で生き残れたマッチョな文化になったと言われてる文化しか愛していなくて、それが文化であると判定する能力自体はさほどないから文化を殺しまくってる
このキャラクターorカプ関係性はこうである、これが自分の解釈!
こういうのよく見る。
私は本当に解釈ってやつを言語化するのが苦手で、できる人すごいなって思ってる
なんで苦手なのか?解釈を決め打つと、二次創作の幅が狭くなるので。自分で自分に無意識で制限かかるというか。
解釈には幅がある?
それとも解釈と、こういうものが見たいから描くはまた別のはなし?
私のスタンスはどれなんだ
このキャラはこう考えてるはず!とは少し違う?
でもこういうシチュエーション・こういうリアリティライン・こういうIFならきっとこうするかも。の上で話を考えてる。
リアリティラインを私の得意な方面に寄せがち。なので本編とは少し倫理観の雰囲気がズレる。
本編通りのキャラクターではない気がする。
解釈の方がなー。
それと解釈は別と思ってるが。
Aくんはきっと家族がいないから今のような性格になったに違いない。とかは解釈なのか?設定捏造?
風呂入ってる時に敵に襲われたらどうするの図みたいなやつ?
ああいうの見るの大好き。
あれは解釈かもなぁ。○○な時、各キャラはどういう行動とるか。それをあらゆるシーンで考える。
あれを単体で考える時と、同人誌の話考える時で多少誤差が出る。
二次創作は演繹タイプで作れる人の方が圧倒的に向いてると思う。キャラ動かしてなんぼなので
眠くて頭回ってないな
また後日考える。ここは私の日記帳なので。
勉強できない人は他の仕事やれって言ってるけど、こいつら無意識に他の職業の人は勉強してないと見下してるんやろうな。
本当に視野が狭いと思う。
コイツラはプログラミングやらなんやらの知識を身につけることしか勉強と考えてない (あえて技術とは言わない)。
英語や資格の勉強はもちろん勉強だし、経理であれば会計分野の法律改正、医療であれば新しい治療•診断•薬剤、接客業やコールセンターであれば新商品の知識。
企画やマーケティングであればここ数年サブスクビジネスの書籍読んでる人も多いだろうし、自己啓発で本読んでるのだってそれも勉強。
そして新しい機器、システム、オペレーションなんかはどんな職種でもある。
こういうのはさ、ITエンジニアが「我々は勉強してるんだ!」なんて主張する以前に他の職種では呼吸するくらい自然にやってるんですわ。
幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。
というのも、田舎だと幼稚園の人間関係が中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。
そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲットに自分が選ばれた。
だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。
ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚だけがこびりついている。
ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。
高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。
推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法で受験した。
あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大に合格したり、架空の大学の合格証書(今考えると有印公文書偽造でガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。
しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。
同じ学校の人間が地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。
結局大学院進学の時にようやく地元の人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。
その恐怖のせいでM2後期のころには精神がボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。
しかし意識的か無意識か地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。
最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。
このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。
両親は経済的理由から自分を実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。
その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。
実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元の同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。
ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間だからだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。
なぜなら学校を意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設に連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分が小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。
そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも、親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象でしかない。そのほかに信じられる人間もいない。
一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。
それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからだからだ。
実際「自分がいかに卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的な外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。
逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。
もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。
PTSDなんだろうかね?
余談
子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。
何かいいことがあった時、素直に喜べない。
「この後何か悪いことが起きる前兆かもしれない」と未来が怖くなる。
「日頃の行いが悪いからだ…」「あの時ああいう言動をしてしまったから、こうなっちゃったのかな」
また、何か間違いやミスをしたときの後悔が止まらない。ひたすらに自分を責める。
「まあ、いいや」や「次気をつけよう」と即座に切り替えられたらいいんだけど、思ったり口にしてみても表面上だけで、体の中にはまだドロドロの感情がたくさん残ってる。
0.100思考や完璧主義、頑固等、心当たりのある自分の悪い点はたくさんある。
悪い点を見つけるたびに、どんどん自分が嫌いになっていく。無意識に自分を否定する言い訳を探している。関係ないが最近何も楽しくない。
いい意味で楽観的な人になりたい。
ウジウジしたガキを一発殴ってもらうくらいの勢いでお願いします。
プログラムも一種の文章であり、他人の日記を読めば意味不明な記述ばかりで読みづらいのと同じで、仕方ないことなのだ。
と周りに伝えたら、共感してもらえなかった。
私の職場はプログラミング専業じゃないわけで、そこで書かれるプログラムなんて、やりたいことを実現するための念仏でしかない。
その記述方法に気を払う余裕なんてなくて、だからこそ個人的には、プログラムは自意識が無意識に溢れる「日記」なんだと思っているのだが。
ちなみに、周りの人間は「正しいプログラムの書き方」みたいなものを語っていたが、そんなものは「正しい日本語」くらい、どうでもいい概念だ。
車輪の再生産なコードだから、プログラムの本質が失われるとでもいうのか?
私は今、母と一切連絡をとっていない。
私の母は母になれない人だった。
父の出張不在時は不倫旅行、4歳の私は家にほか弁を置かれて数日1人っきり。
寂しくてお腹が空いて泣いて、耳の奥が痛くなってどうしようもなく、記憶を振り絞って祖母宅に電話したら、祖母と叔父が迎えに来てくれた。
酒癖も悪く、部屋のその辺に嘔吐、放尿、包丁振り回して全裸で暴れる。
それを片付けろと命令される。
幼稚園は無断欠席。
気に入らないことがあると殴られ、蹴飛ばされ、発狂する母に"あの女"と呼ばれるようになった5歳の頃、初めて自殺を試みた。
母がいつも振り回していた包丁で、私に向けていた包丁で自分の手を切ってみた。
母のお望み通り死のうと思った。
手を切ったくらいじゃ死ねず、誤って切ったことになって案の定母からボコボコにされた。
その後両親は離婚し、残念なことに私は母に引き取られた。
小学生の頃、相変わらず母は酒癖悪くその辺に嘔吐と放尿、朝まで全裸錯乱、そして私にだけその片付けを命じ、暴力を振るった。
生活保護費は大体母の飲み代に消えた。
私の養育費を父に何度もせびり、私のお年玉もお小遣いも全部母のゲロと小便に変わっていった。
片付けで一睡もできず、朝までボコボコにされた上にお弁当はないし、誰も見にこないからなるべく隠れて過ごしてた。
弟の世話を丸投げ、成績は100点以外は許されない、友達と遊んではいけない、という条件も追加され、さらに窮屈な生活だった。
何度も交番に駆け込んだけど助けてくれなかったし、後日ボコボコにされるから行くのをやめた。
なんだかんだで私はまだ母を愛していて、答え続ければ愛してくれると思っていた。
そんなある日、痴情の縺れから母は灯油をかぶり焼身自殺を図った。
弟に見えないように毛布を掛けた。
完全に私のことはどうでもいいんだと思い知った。
一命を取り留めた母は最初は殊勝な態度だったが、元気になるにつれてまた酒癖が悪く暴れるようになった。
中学生になった私は非行に走らなかったものの、もう歪んでしまっていて、成績だけが私の存在価値だった。
ちなみに母は身体が弱くて優しい母を演じていて、先生や警察、友人は助けてはくれなかった。
(近所の人にはバレてると思うけど)
でも家に帰れば、母と母の彼氏との絶え間無い喧嘩、酒癖悪く暴れる母、1点でも落とせば殴られる環境、愛されている弟(愛されていてもこの環境はよくないよね)、この環境を誰も信じてくれないつらさから私は2度目の自殺を図った。
家中の錠剤を一気に飲んだ。
数百錠はあったと思う。
部屋を汚したくない気持ちが強かったのか、無意識に移動してた。
一晩中嘔吐し続けて明け方赤黒いものを吐く頃に少しおさまってきた。
弟は寝ていて、母達は飲みに出ていて帰ってこなかったのが不幸中の幸いか。
私はまた死に損なってしまった。
(今ではこのくらいじゃ死なないだろうと分かるけど)
この頃の記憶がずっと私を苦しめる。
私は親ガチャ失敗かな、って思ってる。
もっと大変な人もいるのは分かってる。
今は母と連絡を断ちほぼ絶縁状態で暮らしをしているのに、少しでもつらいことがあると一気に沈んでしまう。
私はもう大人だし大丈夫、なんだかんだで立派に生きていけてるし!と言い聞かせても、あの頃の気持ちが蘇ってしまう。
最近私に娘が生まれて、(本当に可愛くて仕方がない)こんなに愛しい子どもにあんなことができるなんて、と私は母に愛されてなかったことを改めて自覚して、
ここに書き捨てて供養していきたい。
とりあえずここまで。