はてなキーワード: 承認とは
ギャンブル中毒は、「麻雀⇒ポーカー⇒将棋」と同じような刺激で安全なものにシフト。
19~23歳:天鳳という麻雀ゲームに熱中しており、大学を4回留年し、放校処分に2回なりかけた。
21~30歳:吉原のピカソから九州のブルーシャトーから行きまくった。月に4,5回は行ってるから、600回くらい行ったのかな。1回2万でも、1200万円。高級もチョコチョコ行ったし、オプションやホテル代もあるから、1500万円くらいかも怖いね。
麻雀の脳汁はリーチから出るが30分で1,2回、ポーカーはそれに相当する脳汁がオールインが2分に1回とか出る。効率がいい。
さらに、ポーカーは疲れるから1時間2時間で休憩になる。相手が指す時間を待つ必要が無い(多面打ちできるため)、2秒に1回判断決めたりというスピードで、1時間で1000ハンド体験できる。
しかもポーカーは、1年やっても実力が分かりにくい麻雀と違い、3日(3万ハンド)もやれば実力が反映されて結果が収束する。解析ソフトも出ており、努力がしやすい。
ポーカーから更に将棋になると、詰将棋という、勝負の決定ゴール前の一番面白いところを大量に解ける。ポーカーでも2分かかったところが、10秒でゴール前が用意されまくる。しかも運ゲー要素がホボ無いので、無駄に実力を試すための運ゲーをしなくていい。更に効率がいい。
医学部の学生であったため、当然ながらマズイ。テストなんかノー勉に近いまま受けてしまう。
本当につらかったんだけど、たまたまその時期に、天鳳クラスタでポーカーが流行り出した。
サクッと稼ぎまくる上位陣に見せられて自分もやりはじめて。
結果と言えば、最低レートでプラスマイナス0。
それで少し大学の勉強する時間が取れてからは、更に将棋にハマった。
ポーカーよりはっきりと努力がしやすく、不眠症もかなり落ち着いた。
<風俗狂い>
風俗の場合、かなり疲れる。店に行って女性を待って、出てきたのがブスだったりして。
一方で、サウナだが。かなりキモチイイ。サウナ⇒水風呂⇒休憩というセットで回すことを覚えると、血管が一気にリラックスする。
風俗嬢に慰めてもらおうとしても、10回に一回くらいしか承認は得られないが。
サウナで宇宙と統一する感覚、感覚と思考が一致する感覚がインスタントに得られる。
麻薬とかで気持ちいとか悟るとかに近いような気がする。麻薬やったことないが。
それを知ったら、風俗とかどうでもいい。
性欲はネットで十分になる。サウナをしれば熱湯が要らないみたいな。
じゃあ、一応リアル書く。
普通に虐められまくってそだって、まあそれは自分がアスペかつadhdだからしょうがないんだろうけど。
そうなると、当然虐められる。
同じ嬢に何度も入ることはしないが、「女性を口説いて成功したような快感」みたいなのを感じられる。
しかし、不健全だとも感じていた。病気が怖いし、明らかに普通じゃない女性が多かった。
色んな地方の女性を抱くにつけ、「av女優よりかわいいとかホボ無い」とか、「18歳とか抱いても、jcjk抱いてるリア充にはかなわない」とか、「金もらえたら普通にできる女性も、リアルでは俺を見下してる」とか。そういう不満があった。
また、「21を超えると急に厚かましくなる」、「若くて見た目がいいだけで能力無いくせに他人を見下している」などの事にも気づいて人間性に幻滅してしまう。
そうなると、かなり憂鬱になる、それを晴らそうと風俗に行くも、大概は裏切られる。
ととのう、ってやつが、ココロではなく、感覚を取り戻してくれる。
リア充だろうが、見た目がよかろうが、この「完璧」は万人に共通。
その、「本物」を見つけられた。
賢者モードの強化版だろうか。
とにかく仕事がない。あまりに仕事がない物だから、事業部長が出てきて部下の仕事やっちゃう
とにかく、楽で楽で楽で暇で暇で暇だったのだが(別にネットはできる)
そこの社員は若い人ほど将来を悲観して突発休や(仕事が大変じゃないのに)鬱病になる人が多かった
実際には超大企業なので解雇に対するハードルは異常に高く、仮に事業所が閉まってもなんらかの場所へ配置替えがあるはずで
過剰に気に病む必要性は感じなかったのだが(黙って、投資/語学/難関資格チャレンジ/海外旅行/各種大会参加/クリエイターでもやっとけ)
この会社の状態だと、将来自分はこうなると考え悶々とするのは極々普通の感性だと思った。今の今まではね?
しかし、世の中にはただ何と無くなにも考えず働く人がいて
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200212111557)
酷いねこれ。
ちゃんと観てんの?
はあ~~~あ?
「ぽいもの」「あった気もする」ってなんぞ?
ていうかレビューで点数付ける話なんだが?
ちゃんと観てんの?
オチとは以下の通りだ。
両性具有の天使が女体化した折に、プレイの相手としてハイエナ娘(男根がある)を選んだことを
……一同、振り返って異形を見る眼付で天使を見る。
天使「?」
(終わり)
いや何だよこの展開!
あのねえ
初対面の少年に娼婦を奢り未経験だからと尻込みすればなお喜ぶという
クリムに対する態度が問題だっていうなら1話の時点で大問題だろバーカバーカ。
3話になってわかりやすくゲイの話が出てくるまで気づかないような頭の鈍いバカタレがなに偉そうに大騒ぎしてるの?
バカが一人前の人間のような顔してるの見せられるのってすごく不愉快。
は?
女体があったら男とやらなきゃいけないってこと?
変なジェンダーバイアス持ってるのはお前の方じゃありませんか?
パターンで「こういうのはよくありません」ていう例題をまる覚えしてるだけ。
だからやべえっていうなら1話からやべえってことすらピンとこない。
3話にもなって同性愛っていう表層的なパターンを見つけてようやく「いーけないんだ!」になる。
あげく同性愛への偏見を告発する文で「せっかく女体なのに女とやるなんて」などと口走っちゃう。
バカが。
ついでに言えば、クリムの指向はあの3人から否定されただけで描写として別に異常者とか劣った奴として扱われてはいない。
客観的にいえば女体化をより自由に根本的に楽しんでる今週の主役はクリムなわけ。
スタンクとゼルは快楽主義者の癖にまだそこまで踏み込めてない未熟者という描写。
プレイ内容ちゃんと見りゃ別に画一的価値観なんか描かれてないの。
ゼルは自分が思ってるほどストレート的なアイデンティティを固守出来てないし
カンチャルも強制的にだけどずっと痛い痛いって言いながら挿入される側になって普段のサド男性としての自認や立場は崩壊してるし
グラデーション出てるんだよね。
更にいえば「男らしさ」を守ったスタンクのプレイが最初にサラッと流される一番しょっぱい退屈なものとして描かれてるのも気付いてるだろうか?
(「女とやってるチキンだから」じゃねえよ?スタンクは女の身体でどう楽しむかについてビジョン持ってない奴だったからだよ。
同じ状況でも「女になってレズプレイすること」に熱い欲望とビジョンを持って臨んだならこの回スタンクが主役になることだってできた。)
ついでに話数をまたいだことまでいえば
クリムはクリムでスタンク達に偏見と自意識過剰な警戒心を持ったことがあって
1話で命を助けられた直後でありながら(買春が趣味だなんて、女性器があるとバレたら強姦してくるかも知れない)と考えて男だと嘘をつく描写があって
それが3話で逆に(巨根を持ったバイだなんて、油断したら俺等もやられるのかも知れない)と偏見&警戒をされる側に逆転しているというギャグだったりする。
1話の時点で性体験ゼロで3話でも未だに消極的な顔をしてついて来るクリムが
気付いたらスタンク達より前のめりな性を楽しむようになってて畏怖されるという逆転でもあって
単にゲイについてどうこうなんて単純な情報のギャグじゃ無いんだよね。
お利口ポリコレで誉めてもらうネタを必死に探すだけの目ではそんなとこまで気付かないだろうよ。
それにしたってお前の鑑賞と批評は浅い。浅すぎる。
お前が普通にアニメの批評書いてもつまんなすぎて誰にも相手されないだろう。
そういう素の能力で勝負したら誰にも相手されない低能馬鹿の分際でレスポンス欲しがる奴は
サモ何か良心的で重要な指摘のような顔で「いーけないんだいけないんだ」する告発文を書く。
そして普段と違って誉められたり反応されたりして癖になる。
浅い批評に浅いポリコレもどきをくっつけて合わせ技でなんとか人に相手してもらえる水面に顔を出す存在。
こういうお利口ポリコレ人間って本来のポリティカルコレクトネスの理念からしても割と害だと思うんだけどね。
こいつらが本当に満たしたいのはただの承認欲求じゃん。
「何かを正義風に雑に攻撃する言説を繰り返す」って、承認欲求の満たしかたとしては圧倒的に間違えてるよね。
お前のようなやつの駄文は世の中を一ミリもよくしたりはしないよ。
ただお前がしょうもない承認をかき集めて束の間の満足を得て悪い癖を付けるだけで
お前自身の為にすらなってない。
タイトルのこの「。」に鼻息フンスフンスしてるくだらない自意識が見事に現れててイイよね。
お前の文で一番面白かったのこの「。」だよ。
笑えた。
そうか?
例えばワイが怒るシチュエーションと感情の成り行きはこんな感じ
31日 17:00 までに完了しなければならない仕事 XX を 29日になっても増田チームは手をつけていない。
手助けが必要かを繰り返し確認しつつ、全チームの進捗を全社公開しプレッシャーも掛けたが、問題ないとの回答。
なお社員1200名中、未完了なのは増田チームだけである。
増田チームマネージャー曰く部下(メンバー)が悪い。
ナメてんの?
https://twitter.com/mhidaka/status/1214423001367625732
技術書典が「新しい本と出会うお祭りの場」という位置づけ、これは本当に素晴らしいものだと思うし、実際これまではそうだったと思う。
一方で、ここ2-3回、新しい本と出合うための自由度が下がる方向に規制が強くなっているような気がする。
結論を先に持ってくると、「明示的な商業化接触の禁止はやりすぎでは?マナーの問題ならばガイドラインなどで制約できなかったか?」と思っている。
今ある商業出版のものも売ってよいというのは、技術書であれば同人も商業も関係ないというスタンス、これはコミケなどとは異なるものだし、よいと思う。
だが、「これから商業出版になる(かもしれない)もの」に対しての態度が厳しいと思う。
それを端的に感じたのが上のツイートで、これまでから(そして今も)技術同人誌発の商業誌がたくさんあったところが、技術書典の会場での商業化スカウトが禁止されたと聞いている。
会場内での禁止は2-3回前からなので、何も今に始まったことではないが…
>望んでいないオファーや一方的なスカウトを受け取るのは出展ブースから逃げられない出展者にとって頒布の時間が削られますし、苦痛の可能性が高いです
長時間居座ったりした出版社がいるということだろうか?確かにそれは出版社のマナーとしてどうかと思うし、通報、ペナルティがあってもよいと思う。そういえば、C〇Rが出禁になったとかいう話も聞いたっけ。
一方で、商業化のオファーをうれしく思う参加者もいるはずだと思う。(残念ながら、うちの本はそんなオファーはきたことがないが)。
商業誌がその著者の名刺・実績として強力なものであることはもちろんだが、自分が認められるという承認要求を大きく満たせるものであると思う。
それだけでなく、商業化することは販路拡大、多数の人に触れるチャンスを増やすという意味で強力だと思う。
技術書典に来れない人に届ける手段として、Amazonなどの新しいルートに乗るので、「新しい本と出合う」という場所がもう一つ増える。
技術書典の参加者はエンジニアが多いし、いわゆる同人文化との接点が少なかった人も少なくないので、例えばとらのあなに委託しています、といったところで購入する人は少ない。
確かに印税率は低いと聞くし、改版などの制約が大きくなることは事実であろう。しかし、特に「多くの人に届ける」という観点で、商業誌の果たす役割は決して無視できないと考える。
そして、運営の中の人が、商業出版をすることに対して非常にネガティブな本を出していることも強く引っかかる。
商業出版がゴールではないとか、権利的に自由にできなくなる、印税率が下がる。いずれも正しいと思われる。
正しいのだが、それを技術書典運営・広報的な立場で表明することが果たして正しいのか、という疑問がある。
販売数において商業誌に比類、あるいは軽く超えるような状況にある前提の著者が、「商業出版しなくてもいいんじゃない?商業化のデメリットを挙げる」というトーンで進んでおり、一方的に商業化を殴っている内容であると感じた。
同人誌で数千部売ったので、一通りいきわたった(だから商業化不要)、デメリットも大きい。という意見は十分に理解できる。
だが、「技術書典で200部頒布し、その後商業化して数百部売りました。」といった話があった場合、商業化するメリットは大きいと考える。
商業化のオファーを一律迷惑なことと断じ排除することはやりすぎだと思うし、現在の商業出版を排除しているように見える動きは、”商業出版というルートで「新しい本と出会う」可能性”をつぶしているように思えてならない。
・ある程度混雑が緩和する、15時以降にオファー出しましょう。
などでよいのでは?
自分の能力に著しい凸凹があることは、幼い頃から気づいてきた。
親が「みんなそんなものよ」と言うものだから、みんなそうなのだと信じて生きてきた。
物心ついた頃から知能は高かった。しかし勉強という行為は地獄のように退屈だった。
なぜこの教師は1時間も使って足し算を説明しなければならないのか、なぜ周囲はこの程度も理解できていないのか、そして既に理解できている自分がなぜ1時間も退屈に付き合ってやらないといけないのか、ひたすらに理不尽だった。
教室を飛び出したい衝動に常に駆られていたが、飛び出せば落伍者扱いされることは解っていた。だから我慢した。
授業を聞いている振りをして空想に耽ることだけが、唯一の自由だった。
「持たざる者は、持つ者を妬む」と、親がよく口にしていた。
同級生よりも【持っている】と気づいてしまった事柄は、片っ端から隠し倒して、持っていないふりをした。
持たざる者の苦しみを想像し、「私も…」と同調し、仲間としての承認を得てきた。
運動能力や感覚過敏など極度の身体的欠陥と、そしていくつかの規律性の欠如、それらに私は救われた。
「勉強以外は欠陥だらけ」とレッテルを貼られることで、嫉妬のターゲットを回避する絶好のポジションを、コミュニティ内で獲得できた。
とにかく周囲を観察し、人に好かれる態度と嫌われる態度を学習し、目立たず騒がず当たり障りのない人物を演じ続けてきた。
それでも「人並み以下の努力で、人並み以上の成績を維持していること」に気づき、妬み、攻撃してくる者はいた。
この頃から人付き合いに疲れだした。自分と似た性質を持つ者が、およそ存在しないことを悟りはじめた。
人に打ち明ければすぐさま嫌われる類の悩みばかりが増幅した。
外面的な交友は虚しく、内面的な孤独は深まり、学校生活はさらに退屈になった。
学歴なんて何の役にも立たないと言い張る世間の大人たちと、難関大に受からなければ人扱いしない教師たちの顔色を伺いながら、適当に受験し、就職し、いよいよ三十になった。
会社でも学校でも、凸凹を隠して「普通の人」として生きるために必死で擬態を続けてきた。
擬態に疲れ、精神を病んで辿り着いた自助グループでは、いかに正直に凸凹をさらけ出しても「普通の人」と敬遠された。「あなたは大丈夫だから」と、励ます口調で突き放された。
どこまでいっても異端扱い。
鬱病でも、人格障害でも、社会不安障害でも、発達障害でも、HSPでも、ギフテッドでも、なんでもいい。
どの看板を下げても被差別階級になることは解っている。もうどれでもいい。
対策を示せ。
これ以上待たせるな。
これ以上翻弄するな。
原因がはっきりわかっていないのも、正しく診られる専門家が国内に少ないのも、学術データが揃っていないのも、誤診が起こりうるのも、すべて私のせいではない。
どこまでが普通なのか、障害と呼ぶべきなのかの議論なんて今はどうでもいい。
ただ私が困っている。それが真実ではないのか。