はてなキーワード: 徒競走とは
コロナの影響で保育園、幼稚園、小学校などの運動会の日程が変更されたり、参加できる保護者の人数に制限が出てきたりいろいろな話を聞きます。
今まではパパママジジババでビデオカメラ、スマホ、デジカメなどを分担していた人も、今年はママ一人で撮影しなければならない人もいるでしょう。さらにその写真、ビデオを参加できなかった家族に披露しなければいけないなんてこともありそうです。
一人で撮影するためのノウハウを思いつくままに書くので参考程度にどうぞ
再生するときには家のテレビで見る事が多いと思います。ズームやパンが多いと非常に見にくい映像になります。ビデオの利点は音と映像が同時に出ることです(あたりまえですが)。会場の音楽や歓声はビデオが一番再現できます。手持ちでは無く、三脚に固定して、落ち着いた映像を撮りましょう。
我が子が全体のどこにいるかがわかる程度の画角で結構みやすい映像になります。周りの様子が映る範囲でズームを固定し、出場種目の最初から最後まで切らずに撮りましょう。リレーや徒競走なら最初から最後まで写るように。ダンスなら左右2~3人も一緒にうつるくらいでいいと思います。小さくてもいいんです。これが○○ちゃんだと画面で指させばいいんです。
人が多くあつまる運動会なら、背の高い三脚を用意すれば、人の頭越しに撮影できれば、後ろの方からも撮影できます。手前に障害物が無ければ、子供の背の高さくらいから撮影すると、表情がわかる映像になりますが、手前にお友達が入ると隠れてしまいます。動きを考慮して使い分けましょう。
俯瞰はビデオカメラに任せたら、子供のアップは一眼デジカメで撮りましょう。ダブルズームキットでもサンニッパでもよいのですが、望遠レンズは事前に練習しましょう。運動会以外で望遠レンズを使う機会がある方は問題ありません(鉄、ヒコーキ、鳥、ディズニーなど)が、そうでないかたは公園で子供を走らせて練習しましょう。ピントを合わせながら走る子供を撮るのは意外と難しいですよ。本番はピントを持って行かれる派手な背景や観客がいるので、さらに難しくなります。設定についてですが、ミラーレスなどでよくある顔認証はOFFにします。これをしないと、あっけなくグラウンドの向こう側のしらないおじさんの顔にピントが合います。AFは中央1点か5点にして、胸のあたりに狙いを付けます。AFが追従できる範囲で、できるだけ早い連写モードに設定して数打ちゃ当たるを目指します。
徒競走など順番に同じ動きをする種目であれば、練習もかねて友達の撮影もしましょう。
また、会場の大道具、小道具や、グラウンドの白線、ゴールテープ、バトン、先生達の様子も撮っておくと、あとでスライドショーをしたときに、NHKのスポーツ中継のエンディングのようにちょっといい感じになります。
「スマホは広角を補完すべし」
机の向かいの人を撮るくらいの距離感で綺麗な写真が撮れるのはスマホの特徴です。昔は写真を撮るときは「さがってさがって」とやっていましたが、そうしなくてもちょうどいい画角になるスマホは広角のスペシャリストです。
静止画もビデオもいけるスマホは便利ですが、運動会ではあくまでも補助的な使用にします。動く被写体を撮るにはやや力不足の事が多いです。撮影中にLineが来て中断されても残念です。
広角レンズを生かして、出番の前後の子供達を撮ったり、食事(今年はないかも)の様子をとったりしましょう。ここで注意です。スマホはつい縦で持ってしまいますが、横に持って撮影しましょう。スマホだけで見る場合はよいのですが、PCのモニタやテレビで見る場合は横のほうが無駄がありません。静止画も広角レンズは横でこそ活きてきます。
はっきりいって、同じ背格好、同じ体操着の子供は親でも区別がつかない事があります。靴と靴下を派手にして、目印にしましょう。白い靴下なんてもってのほかです。女の子であれば髪型もわかりやすくしましょう。
読みやすいのは評価点だし本当に酷いのがかなり混ざってるのは事実だけど、同時に一定以上の文字書きにとっては最低ラインでしかないから「読みやすい」しか感想がないのは徒競走の評価で「ルールを破っていなくて偉い」と言われたようなものではあると思う。
自分の場合だと自分よりも明らかにうまい人に「読みやすかった」と言われたらすごく嬉しいけど中学出てるのかみたいな文章能力しかない奴に「読みやすかった」と言われても当たり前だしなんの参考にもならないなという感想が出る。
というかうまい人の言う「読みやすかった」は必ず理由が存在するしその人にはその理由を文字化する力もあって聞けば教えてくれる、
けれど下手な人の場合はそれを表現する力は当然ひょっとすると認識する力すらも無いので書いている側からすると「何の役にも立たない」。
(これは私特有の視点だし非常に傲慢な物言いだけど)こっちは自分の文章がある程度読みやすい事はわかっているのでその要素に関して教えてもらえない感想なんてなんの意味もない。知っている事でしかないから。
営業職だった頃に何人か職場に入ってきた発達を指導したことがあるけれど、おかしなところが目立ってきて大事になる前に腹割って話すと「実は…」って学生時代とかのエピソードを話し出して、ぼんやりと自分が健常者ではないことを分かっていて見てみないフリしてるのが大半なんだよな。
「あなたが健常者として入ったからには頭数に入った状態で予算が組まれているし、他の人と同等に
扱わなければ同じ給料で働いているからには不公平になってしまう、このまま続けても結果的にしんどくなるのはあなただけれどどうする」って聞くと7割型は部署転換を希望するし、その場では頑張りたいって言う3割も大体1年以内に止めるか部署換えする結果になってる。
でもその結果、別部署(広報でのチラシ作りとか)で大きな成果を出したことがあったりもするので、本当に適材適所なんだよな。
発達の人らにお願いしたいのは、最初から打ち明けてくれればそれぞれにあった環境を用意出来るように全力を尽くすし、隠して頑張るっていうのは片足義足で一般の徒競走に参加するようなもんで、本当に極一部の人はそれでも結果を出せるかもしれないけれど、ほとんどの場合はそうではなく最終的につらくなるのはあなただよってこと。
若かりし頃に子どもの靴を売っていた。新人のうちは子どもの足の形の違いなんて全然わかるはずもない。それが月日を重ねていくと子どもの足をみる機会も多くなり、どんなタイプの足なのかわかり、その子にオススメできる靴をピックアップできるようになっていた。
そして、ふと気づいたことがある。
親たちが子どもの靴をちゃんと履かせないと何が待ち受けているのか。
それはガチャガチャな足。どうやって走れるの?みたいな足。すぐ疲れる足。
見るに耐えない悲惨な足をした子を見た時は、これはある意味でネグレクトではないのか?と思ったほど。
まだ2歳とか3歳なのに、外反がすすみすぎて歩き方おかしくなってる子どもがい〜っぱいいた。
だいたいそういう子どもの親はコンバー○とかニューバラン○とか大好き。
機能よりも見た目重視。
そしてピッタリサイズよりも大き目を買いたがる。
マジで大きめの靴を買うな。
子どもの足が変形するし、ケガは増えるし、歩き方に変なクセが出てくるからやめろ。
今履く靴はぴったりを買え。足は一生ものだぞ。
徒競走で1位になれないのは一重に靴のせいでもあるかもしれんのだぞ?
早いと思うかもしれないけど、つかまり立ち、伝い歩きスタートしたあたりから靴を買って室内でも履かせて慣れさせた方がいい。
何より子ども靴の作りがいい!
踵がめっちゃ頑丈でソールの曲がりよくクッション性も高い。マジでいいぞ。
他のメーカーも散々見て触って接客したけどコスパの良い靴は今のところ他にない
3歳くらいまでは足首くらいまでの高さがあるハイカットぎみの靴を選ぶと安定して良いよ
ローカットの靴はだいぶ冒険と言えよう…グラグラしまくって危なっかしい
個人差あるけど踵がやわらかい子ほど、靴の踵がしっかりしてるかよく見たほうがいい
アシック○を履いても踵がぐらつくようなら、値段は高いが思い切って革靴にしてみるのもよい
革靴の方が馴染んでくるととても歩きやすい靴になるし、踵の作りがかなりしっかりしているものが多いから
最後に…
結構歩いてるような状態でファーストシューズくださいとかドヤ顔で言うな!
とにかく子どもの靴は足を計測してもらって足の形に合ったピッタリサイズを買ってください!!
大人にも言えることですね…
大人の方も一度は専門家に計測してもらって足の形に合う靴を探してもらう体験した方がいいよ
40代後半。
化粧なんてしたことのない高校時代(なんとか平成)からコスメが好きだったが、情報といえばTV、雑誌。
雑誌に新製品の発売日情報が載ればデパートや専門店に見に行った(まだドラッグストアはない)。
カルトQの化粧品の回に、今で言うインフルエンサーとして雑誌で顔を売り始めていた植村朗子さんが優勝した時も、
「今の問題は全部わかった!わたしが出ていたら優勝していたのに!高校生だから出られなかった」
とは言え、雑誌に掲載された情報を読み込み、製品の特徴を完璧に覚えていたから
テレビの前でクイズに正解したのは本当である。若くて記憶力が良かったのだ。
最新のファッション誌のメイク情報を読み、プロ向けの季刊誌やムック本を大切に大切に読んだ。全部覚える勢いで読んだ。
そしてカウンターへ赴き、テスターを触らせてもらってBAさんに話を聞いたり、やり方を教わったり。
大人に近づくにつれ、自由になるお金が増え憧れのフランス製ブランド化粧品を買えるようになると香りだけで製品のラインを当て、リップやネイルの色を見れば番号がわかるほどに熱中した。
予備校の向かいにあるバイト先に、プロを目指すメイクアップアーティスト養成学校生がいた。ある時、彼女に「メイクモデルになって欲しい。バイト代と交通費は出すから」と依頼される。
あれだ。
プロになる人だから、どんな顔でも美しく粧えなければならない。顔は正直関係ない。
若くて、肌が綺麗だったから誘われたのだ。そして勉強してなさそうだったからであろう。
二つ返事で承諾し、青山まで。
有名アーティストの名を冠したメイクアップスクールで、プロを目指す授業を見学し、実際に教室に入って実技のモデルになる。
その日のテーマに沿って受講生が施したメイクを講師が直す。毎回毎回、講師がいいと思うメイクに正してくれる。鏡張りの教室で、その技をじっと観察することもできる。
何より、メイクを落とす前に作品であるところの自分の顔をいくらでも研究する事ができた。
これは得難い経験であった。
その技は今でも活きている。
化粧品そのものの質が向上し、技術が古くなるかと思いきや、今でも通用する。
何なら今の若い子が初めて知って「大発見」であるかのように発信し、万単位でバズってしまうような内容である。
時代と共に古くなるメイクはあるが、技法は変わらないものもあるのだ。
ところで本題。
眉毛の話。
去年辺り、イガリシノブ氏のアイブロウブラシが絶賛されていた。
ご覧になった事があるだろうか?ぽってりと太め、大きめで毛足の短いブラシである。
これが若者に大流行、大絶賛であった。挙って欲しがり欠品が続いた。
わたしはその様を、頭の中を【?】でいっぱいにしながら眺めていた。
なんで?
確かに今の流行はぼんやり薄く真っ直ぐな眉毛。ぼかしやすいのかも知れない。
しかし、そのブラシを手に入れることは憚られた。
なんで?
それにしたって描きづらいでしょう?
なんで??
その解は思いもよらぬ所から、しかも後頭部に殴りかかってきた。
色々あって人気(割愛)の、CHICCAのブランドクリエイター 吉川康雄氏の語ったという言葉である。
吉川氏はどう見てもおじさんで、我々と同じ時代を生きた先人である。「必ずしも左右対称の眉でなくていい」などと、多くの美に迷う羊たちに救いの手を差し伸べてきたその人が言う。
毛を1本ずつ描くと言われているが、特殊技術なので素人には無理。ペンシルを細く刀で削り、本当に生えているように毛の動きを出すのがプロが行う「1本ずつ描く」ということ。素人はパウダーで軽い影と重い影を作るといい。
なんでだよ!
昔は練習して、技術を身につけてナンボだったじゃないか。出来ない奴は置いていかれるのが当たり前。
まあ、そんな人の為に細さを保てる繰り出し式のアイブロウが発売されたりしたのだけれど。
テクニックが欲しければ、自ら動いて情報を得て、試して、自分のものにする。それができる人が独占するものだったんだ。
その時気付いて愕然とした。
イガリ氏のふとましいブラシは「毛」を描く為のモノではないのだと。
今、情報はそこら中に氾濫し
得ようと思えば誰でも手に入れられる。
お金をかけなくても。
そこへいかなくても。
バズって廻ってきた同じTIPSを誰もが平等に受け取ることが出来る。
自分だけ綺麗になっては「ズルイ」のだ。
なにそれ。
全員で手を繋いでゴールする徒競走か?
ゆとりか?
少なくとも、20世紀のメイク好きコスメ好きが誌面で教えを乞うたアーティスト達は、技術は練習して身につけろ と言っていた筈だ。誌面で解説しているから、と。
それともどこかの時点で諦めたのだろうか。
ーー
それでも納得いかない。
まず前提として、「客観的」にどれが優れていてどれが劣っているかを「論理的」に「科学的」に論証することがほぼ不可能だということは認める。
問題はそういうことではなく、個人の主観的な評価の中で本当に優劣はないと言い張っていいのだろうかということ。
ゲームが好きなオタクは自分の大好きなゲームが本当にペタンクや現代芸術と同じ価値だと思っているんだろうか。
ゲームオタクは当然のようにペタンクや現代芸術を下に見ているだろう。それが個人の中での優劣ってものだ。大好きなゲームがペタンクや現代芸術なんかと同じわけがない。同じなのであればゲームだけやってるのではなく、いろいろな趣味を探すだろう。あらゆるものに無意識のうちに順位をつけているからゲームを最優先する人生を送っているわけだ。
「娯楽や芸術に優劣はない」と言いながら、自分では明らかに順位をつけている。なぜこういう発言が出てくるのか。これは結局劣等感から来ているのではないだろうか。
たとえば世間で高尚とされる趣味を持っている人はいちいち「娯楽や芸術に優劣はない」などとは言わない。こういう発言をしているのは大体オタクだ。
オタクは「娯楽や芸術に優劣はない」と発言することによって、低俗と見られがちな自分の趣味と世間で高尚とみなされている趣味が同じ価値だと主張しているわけである。つまり、相手の価値を毀損することによって相手を自分と同じところまで引き摺り下ろすということをしている。
「どれも娯楽だろ」「娯楽に優劣なんかあるかよ」ともっともらしいことを言って、すべてを自分のレベルに落として均質化しようとする。
オタクは教養がないのでこういう理屈で満足なんだろう。それに芸術に親しんでいる人たちもいちいち世の中の娯楽を批判して敵を作るようなことは積極的にはしない。
芸術に親しんでいる人たちは理論も勉強しているから芸術もわかり、かつもちろん娯楽もわかるが、一方でオタクは娯楽しかわからない。オタクは娯楽しかわからないのに、その価値観で芸術を酷評して「優劣はない」などと言っている。
要するに自分たちの理解できないものを理解する気もなく批判している。
こういうオタクが自分は賢いと思っているのを見るたびにとても滑稽だと思う。
「娯楽や芸術に優劣はない」などと言いながら多様性や理論を理解する気もない。主張の意図としては相手を理解せずに理解する気もなく自分と同レベルと言い張るという自爆行為である。自爆行為でありながらプライドだけは高く、むしろ自分の趣味こそ至高だと信じている。
「娯楽や芸術に優劣はない」という言葉はオタクが他人と同等になれる魔法なのだ。「お前らも俺と同じだろ」というわけだ。
オタクは競争のない世界が好きらしい。ネトウヨでありながらも、徒競走でみんなで一緒にゴールという価値観をあわせ持っている。自分に都合の悪いところは競争しない。
昨年、父が定年退職した。
父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。
学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc
でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。
私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。
父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。
私は父にノートパソコンをプレゼントした。父が車以外のことで時間を潰せるようになればいいなと思って。オンラインの将棋なんかを勧めてみた。それが半年前。
で、驚くべきことが起きた。父がパソコンで動画編集にはまってしまったのだ。
元映画青年の血が騒いだのだろうか。父は短期間に相当な知識と技術を身に付けていた。
『スポーツカー ベスト10』なんていう2分ぐらいの動画を作ったりしてる。ランキング形式で車の映像が流れるのだ。
その車の映像、どうやって手に入れた!? BGMもついてるし、解説のテロップも入ってる。文字がボヨーンと飛び出したりして。すげー。
いやー、よかった。これで老後の趣味ができたねー。
なんて、安心してたのも束の間。
なんと父は私の小さい頃の映像も編集し始めたのだ! ねえ、その古いテープ達、どうやってパソコンに取り込んだの?変換とかできちゃうもんなの?とんでもない機材とか買ってない?大丈夫?散財してない?
その手の知識が全くない私はとにかく心配で心配で。こんなことは簡単に出来ると父は言うのだけれど。本当だろうか?
そんな父から、先日、DVDを渡された。なんとそれ、私の思い出ムービーだっつうじゃないですか。いやあ、さすがに身構えた。
で、観たんですが、これがかなりぶっとんでまして。。よく言えば前衛的。はっきりいうと、めちゃくちゃ。
映像はいきなりビデオレター風に始まる。どこかの山の登山口にひとりで立つ父。カメラの前でぎこちなく笑いながら手を振ってる。テロップが出る。
なぜ高尾山!? どういう意図があるの?しかもこれ、三脚立てて一人で撮ったの!? 松居一代スタイル!?
父が私に呼びかける。
そうだっけ!? ごめん、覚えてない。。あ、でもなんか、すごく小さい頃、山の中でゴンドラに揺られたような記憶が、あるような無いような、、あれが高尾山?
そこでなぜかBGM。
永ちゃん!?なぜそのチョイス!?明るい山並みとぜんぜん合ってないよ。。完全に夜景向きの曲じゃん、、、
映像が変わり、実際に私が緑の中を歩いてる場面が流れる。すごくちっちゃい。たぶん幼稚園のころだ。何だかぐずっている。カメラの奥から父の腕がにゅっとのびて、私を抱き上げたところでフェードアウト。
これは良かった。なんと幼稚園から小学校5年までの私の徒競走の映像がちょっとずつ繋いであるのだ。(ちなみに6年の時は休んだ)
走りながら成長してゆく私。たまにスローになったりして。かっこいいじゃん!BGMが爆風スランプじゃ無ければさらに良かった。次から音楽担当は私にやらせて。
そっかー、父は毎年、私が走るところを必ず撮ってくれてたんだね。
そのあとも、七五三、海水浴、さくらんぼ狩り、学芸会、お誕生日会と、まあ懐かしい映像が次々と。知恵熱が出そう。
さて、問題はここからですよ。再びカメラの前に現在の父が登場。
なんと私が小2の時に書いた手紙をカメラの前で読み上げやがった!
完全に松居一代じゃん! 暴露ノート的なやつじゃん!もしかしてオマージュ!?影響受けたの!?
しかも手紙の文章をテロップに起こして、ピアノのBGMなんかつけちゃって、映画のエンドロールみたいにして晒すという、、、まさに鬼畜の所業。。
おたんじょうびおめでとう
パパのオムライスが好きです
たくさんケーキをたべてね
食べ物の話だけかい! しかもこれ、テロップにする意味ある!?
手紙、ずっと持ってたんだね。
気がつけば25歳になっていた。今まで小学校・中学校の義務教育を経て高校・大学へ進み、今は就職して働いている。
仕事をしている時や、ふと何気ない瞬間に中学・高校の頃を思い起こそうとするのだが、ポッカリと穴が開いてしまっているかのように記憶が無いことに気がついた。
正しくは、要所要所の嫌な記憶はあるのだが、楽しかったエピソードや自分がどういう人間だったのかという記憶が無い。
成人式の時「増田は雰囲気が変わったな。落ち着いた」と言われた。
「中学校の頃のこと覚えてる?ほら増田は○○してたじゃん?」と言われたが、全く思い出すことができなかった。
皆は、私の覚えていない思い出を共有していて、しかも本来であれば私もその記憶を共有しているはずなのだが、私にはそれができず、大変モヤモヤした。
高校の同級生と久々にご飯を食べたときも同じような経験があった。
皆は私のしらない私を知っていて、私はそれが本当かどうかもわからない。
そのくせ、保育園児・幼稚園児の頃の記憶は残っていて、私はそこから置いてけぼりを食らっている気持ちになる。
庭で押し車を押していた記憶、火遊びをして怒られた記憶、徒競走で女子に抜かれた記憶。
幼稚園の記憶は鮮明なのに、それよりも後の時系列である中学・高校の頃の記憶が不鮮明というのは、何なのだろうか。
原因を考えたが、別段目立った原因のようなものは無い。
実家の近くなので今度あそこにできるんだなと以前から知ってました。
それもかなり右よりだなと。
ちなみに豊中市の公立学校は北部はセレブですが、南部はDQNの集まりですw
ン十年前の話ですがとあるサイトを見る限りあまり変わってないのかw
http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm
http://mid.parfe.jp/kannyo/onbudtoyonaka/katu-hou/H14/H14-6-H13-sotu-tyou-seimei.htm
・音楽の教科書の最後のページはプリントを貼るように指示される
・小学校の修学旅行は広島でなぜか公園以外にあるとある慰霊碑の折り鶴まで作らされる
というかそっちがメイン(ry
・夏休みの登校日は大体8月6日。原爆関係の映画を見せて感想文を書かせる。
・道徳の名ばかりで授業がない。というか「にんげん」という怪しい本を使った授業になる
・高校受験は学力が高いかよほどの強い意志がない限り特定の学校の受験しかさせてもらえない
・成人式になると市民会館の前で日教組の旗を持って突っ立ってる
ご近所の選挙区で同胞の有名政治家が予算委員会サボってでもすっ飛んできますよw
自分の場合不幸中の幸いだったのが中学3年間のうち2年が退職した爺さん講師(今思えばバリバリの保守思想)に当たることが多かったので