小学生のとき、運動会が嫌いだったのは運動が嫌いだったからじゃない。
配点基準が生徒に開示されないため、種目が終わる毎に増えていく赤組・白組の点数に信頼がおけなかったからだ。
例えば、たちの悪いクイズ番組のように、最終種目の配点が異常に高く、それまでの種目は配点上無意味な構成になってるかもしれない。
ある種目だけ、教師間の権力勾配による争いの結果、配点がほとんど課されていないかもしれない。
そういう見えない不安があるため、各種目の勝敗は無意味かもしれず、一喜一憂できなかったのだ。
運動が嫌いというより好きだったからこそ、その無秩序が許せなかった。
シューティングゲームみたいなスコアゲームでも、配点に乱数要素が含まれていたらやる気なくなるよね?
そういう感じに近い。
ゲーム性という観点でも、あと何種目で何点差だからセーフティリードだな、みたいなことがわからず勘所が摑みづらい。
あらゆるスポーツは公式ルールが定められている。なんで運動会だけはルールである配点基準を、なあなあで不開示にすることが許されるのだろう。
それだったら配点など課さずに、みんな手を繋いで一等賞とか友愛を感じるイベントにすればいい。
その方が非日常を感じられるから、お祭り気分も高まるだろう。親である大人たちもそういうのを望んでいるのだろうから。
そもそも、運動会は競技会なのかお祭りなのか、配点基準を明確にするor配点自体を廃止にすることで明らかにしてほしい。
首都圏住まいだけどワイが子供の頃から採点基準は明記されてたなぁ。 (徒競走、1位:6点、2位:3点、3位:1点 団体競技は勝利チームに○点 親子競技は点数に入らないなど) 関西に住ん...