はてなキーワード: 小学校とは
自分の子供なのにどうしたって別の個体として認識してしまうので妻のように自分の人生かけて愛す、みたいなテンションになれない。
子供を見てると「何年後には小学校に上がって塾や習い事をしたいと言い出したらこれくらいかかって、初潮が始まったらどういった距離感で接していくべきか、その先には中学や高校があって……」と子供のことというよりはなんていうか業務予定表を見ているような気分になる。もちろん自分の子供だし、そうやって先のことまで考えてる状況を愛と呼ぶんだとしたらそれは愛なんだろうけど、なんていうか「親」として「子供」を生産してしまった責任を全うしなければならない、というような思いでもあるんだよな。
元エントリにはてブが1700もつき、Twitterでも関連ツイートが千バズ、万バズになり、それらの閲覧数の合計が7桁になっていたのにはびっくりした。
「言語化されていないが切実な課題」だったのだな、と強く感じている。
そして、「自分の解釈を傍に置いて読む」ことができない人がたくさんいたのには、予想はしていたけどさすがに笑ってしまった。
まーそれが人間の仕組みだしね、とは思っているけど、やはり笑ってしまう。
その一方で、読めている人が、しっかり読んだ上で切れ味鋭くコメントしてきているのも事実。
世の中はすごい人がたくさんいるな、とも改めて思ったし、賢い人を甘く見てはいけない、という思いを新たにした。
ということで、フィードバックがあった点を中心に、情報を補足したほうが良いと思った点について、自分の考えを箇条書きで書いていく。
母がうざくなった。母はなんでもかんでも良かれと思って助言してくる。私が結婚して子どもを産んでから特にそうなった。
私が楽しく自由に笑っていたりするタイミングで「◯◯ちゃん、今のはママだめだと思うからもっと協調性をもちなさい、わがままは辞めなさい」とか言う。母には私の一挙一動がわがままに見えるらしい。
仕事で子どもを迎えにいくのが18時30分だと知れば、「子どものことを考えてあげなさい、かわいそう、孫ちゃんみてたら愛されてないのが分かる」と言う。
夫が転勤を断ったと知れば「好きな仕事もさせてあげなくて」とわざわざ電話をしてきた。
最近そんなのばっかりで、こっちも怒りを露わにしてたら「◯◯ちゃんは最近ヒステリーで話も聞かない」と言っていた。もういい。話しするのもめんどくさい。
私が決めたこと、夫と話し合いをしたことに良かれと思ってアドバイスはしないでほしい。今までは子どもの送迎や贈りものなどでお世話になっていた部分も多かったので、感謝もしていた。でも、もういいかなと思った。
今までされた嫌なこと全部思い出した。親の介護があるのに、自分と弟たちだけ引っ越して、私を祖父宅に残したこと。2人目を産まないと許さないと言ったこと。小学校の頃、いじめられて額に枝が刺さったのに、お金がないからと病院に連れて行ってくれなかったこと。私だけ置いて旅行に行ったこと。
今は良いところより、嫌なことばかり思い出してしんどい。もうこれ以上良いところを忘れたくない。送迎もファミサポとかに頼むし、私は夫と子どもがいたらいいや。
お互い勤務時間がランダムかつ長期出張もあって子供たちは妻側の実家に預けていた。
子供が2人とも中学入学辺りでようやく夫婦2人仕事で落ち着いたので子供たちに家で一緒に過ごそうと話に言ったらパパもママもいらない、私たち2人とじじばばとペロ(犬)だけが家族だから。パパとママは2人で暮らして。と言われた。
俺も妻もへ?ってなった。
育児放棄はしていなかったと思う。
出来る限り一緒の時間は作っていたし、子供たちの要望(遊びに行きたいとか映画見たいとか)はちゃんと答えていたと思う。ドタキャンもしてない。誕生日やクリスマスや正月といったイベントも一緒に過ごした。
子供たちからの不満も特に無かったと思う。お小遣い少ないとかの不満はあったが。
俺たち夫婦もだが義父母もえぇ…?って困惑してるらしい(今のマンションから引っ越す予定があるため)
うちに戻ってきて貰うことは確定だがうまくやれる自信が夫婦とも無くなってきた。
15年近く離れていたらそうなるもんかな。
音楽、1人ずつ曲を演奏する回があったけどミスったら「弾けないのねー」と言われて、次に飛ばされる。
そのうち、演奏する曲が難しくなって最初から「弾けません」って言うと「じゃあ出ていけば?」と廊下に立たされてた。
廊下に立ってると中からは、上手な人のリコーダーの音が聞こえてくる。曲が終わると拍手。
で、全員の曲演奏が終わったようなので教室に入って席に座ろうとすると「何しに来たの?」。悔しくて泣いた。
体育、どの種目についても、できないやつは怒られて次に飛ばされる。あるいは、できなくても「とりあえずやれ」といわれる。
やってもできないから、できないのに、やれとは何なのか、やればできるとは何なのか……。で、何度やってもできない。
できないことを笑われる。できないことを笑われる空間にいるので「できない自分が悪いんだ」と自己嫌悪になる。
運動神経が良い人が褒められて、運動神経が悪い人がバカにされる時間だった。悔しくて泣いた。
大人になった今でもまともに音楽はできないし、運動神経は悪いまま。
当時の教育方針が、「できなくてもいいんだよ」という価値観で、誰からも笑われることがなかったら、また何か違ったのかもなー。
それなりのレストランで未就学児以上のお客様ならいいよって言ってくれるのは
一般的に小学校1年生以上であれば<泣くのコントロール出来る>と期待されているからなんだわ
場所構わず泣くの開き直りブクマカが『赤ちゃんや子どもをところ構わず騒がせておけ!許さないのは不寛容!!』ってやってるのマジで納得感しかない
加えていうならば、『子持ちが休むのは当たり前!嫌なら自営業しろ』って言ってた人の発言がこれとか、
子連れ様(とその擁護に回ってるつもりの非子持ちの人)ってどういう人かわかるよね
同じタイプとしては、生理現象なので指摘したいことを指摘して下さいとしか。自覚あって解決できないのが苦しいだけなので。私の場合は発達障害を明かしてないので、指摘されてもどうしようもないと言えないのが辛い
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719
anond:20230426082146 anond:20230426082030 anond:20230426084705 anond:20230426084705 anond:20230426161605 anond:20230426192952 anond:20230427091628 anond:20230427103926 anond:20230427110258 anond:20230427111822
うたプリのゲームやDVDに特典で付いていた曲やドラマCDを販売してほしいというツイートを見かけた。
それに対し、そのツイートを引用RTして非売楽曲の配信はやめて欲しいというツイートも同時に目にした。
今でこそ、配信で購入することができるようになってきているが、どうしても入手困難な楽曲が多数存在している。
その中でも、ゲーム連動購入特典の楽曲は、現在正規の手段では購入不可能。
ゲーム連動購入というのは、
例えばポケモンだったら、スカーレットとバイオレット両方買ったら特典CDプレゼント…的なもの。
主に、
・ファンタスティックmelody(アニメイトで連動購入するともらえたCD)
・Special Campaign CD(Switchに移植したソフトを3本全て購入するともらえたCD)
この2枚が挙げられる。(他にも色々あるけどパッと思いついたのがこれなので悪しからず)
うたプリは元々PSPのソフトで、そこからVita→Switchと移植している。
多少の追加要素はあれど、PSPから律儀に追いかけていた人は全く同じ内容のソフトを3本買わされている。
当然だが、特典CDは一般的な流通はしていないし、配信もしてない。
そして、この2枚のCDだけでなく、
何かにつけてうたプリはドラマCDを特典にしていて、小売店によって内容が違うのがデフォ。
余程の熱量でなければ全てのドラマCDを手に入れるのも無理難題というわけである。
このような土壌があることを前提に、それでは冒頭で書いたツイートの件、
安易に配信されてしまっては特典CDほしさに何本も同じゲームを購入し続けてきた人達(ツイ主含め)の反感を買う。
(※ただ、円盤であれば、というツイートがあったので、ツイ主はCDなら発売してもいいと思っているのかも)
私もうたプリ歴は赤ちゃんが小学校を卒業するくらいの年月になるので、言いたいことはわかる。
決して安くはないお金をかけ、しかも全く同じ内容のゲームソフトを、
今まで何本も何本も買わされて手に入れてきた曲なのに、配信で聴けるようになってしまったら私たちの立場は何なの?と。
改めて特典CDを発売することで、
新規ファンも聴く機会ができ、全てを追えていない古参ファンも嬉しいよね、と言っているのだと思う。
結局何が言いたいかというと、
このような特典商法を続けているせいで、ファンの中でも選民意識的なものが芽生えて、
より新規を受け入れられない環境が作られてしまっているんだろうな、ということ。
往々にして、古参ファンとは新規ファンを煙たがり、古参アピールをしてマウントを取りたがるものだが(偏見)
上記に挙げた特典CDについては、新規ファンにとっては金の問題ではなく、「聴ける機会が一切ない」ことが問題。
ぶっちゃけ古参たちが同じゲームを何本も買って、どれだけ金をかけてきたかはこの話題においてはどうでもいい。
(もちろん古参たちのおかげで今のうたプリがあるのは重々承知)
昨年には映画がヒットし、目に見えてわかるほど新規ファンが増えているし、出戻りも多い。
このチャンスは最大限に活かすべきで、新規と出戻りに固定客になってもらうように、
運営も古参も大手を広げて迎え入れるべきなんじゃないかと思ったりしたわけだ。
4月1日にプリンセスさまの件で大炎上してから話題に事欠かないうたの☆プリンスさまっ♪。
今はブロッコリーがハピネットに買収されるかどうかが注視されている時期。
3月のCGライブイベントでは物販のごみカス在庫で炎上していたり、
なんなら今渋谷などの各地で行われているブロッコリーの物販イベでも相変わらずのごみカス在庫っぷりを披露している。
うだうだと仕事もせずに書いてきたが、今運営方針を変えなければ、うたプリは先細る一方だと思っている。
とりあえず、非売曲とドラマCDを発売してくれ。
そこまで行くと社交性を著しく欠いた人間か何かだと思ってしまう。
小学校や中学校という義務教育で「集団生活」や「社会性」といった要素を育むことを放棄でもしたのかな。
であるならば、これはもう義務教育の敗北だと言って差し支えないと思う人が出てきてもおかしくないと一部の増田は感じるだろうと個人的には思う案件のような気がしている。
たとえば手元のスマホで調べてみろよ。
goo辞書なら
1 人に対して、言葉や行動を慎み控えること。「―なくいただきます」「年長者への―がある」「この部屋ではタバコは―してください
wikitionaryなら
2.事情や状況を考えて、辞退すること。断ったりやめたりすることを婉曲に言う語。
と定義が書いてある。
つまり、「写真撮影をご遠慮ください」ってのは、「写真撮影を慎んでください」「写真撮影を控えてください」って意味だろ?
まだ難しいか?
なぜか、はてな村には“”知らないこと”があったら調べようともせず、開き直って“どういう意味だ!”、“学校で習ってないぞ!”と騒ぐヤカラが少なからずいるけど、恥ずかしいと思わないのかね?
学校ってのは時間も人員も予算も限られてるから、世の中で生きていくために必要な知識全ても逐一細かく教えることはできない。
でも、世の中をマトモに生きていくために必要な“方法”はいろいろ教えてるんだよ。
“分からない言葉があったら、辞書を引きましょう”、“国語辞典はこうやって引きましょう”と小学校の国語の時間に教えてるのは、そういうことなんだよ。
ま、今はうちに国語辞典なんてないってヤカラも多かろうが、スマホかパソコンはもってんだろ?
少しは有効に使ったらどうか。
なんかもう無知を開き直って、オレは悪くない周りが悪いみたいな奴らがのさばってると思うと、義務教育の敗北というか、世の中の劣化具合に震えるわ。
僕と少年ジャンプの話をします。僕は小学四年生の頃から現在社会人3年目の今まで週刊少年ジャンプをほぼ読み続けていました。
当時小中学校の時はToLOVEるなど女子と性的なコミュニケーションを取る漫画をハラハラドキドキしながら読んでいました。しかし大学生も後半の頃に当時ToLOVEるを読んでいなかったという友人(男)に出会いました。その時僕は理解ができなくてしどろもどろ興奮しながら「男なのに!?意味がわからない」と発狂しました。しかし今は「性暴力」と「女性も同じ人間」だという事を知っているので、彼がなぜToLOVEるなど性的な作品を読まなかったのか理解できます。「相手の同意を取らずに性的な行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」ということを当時の僕が知っていれば僕も彼と同様ToLOVEるなど性暴力を扱う作品を楽しく読むことはなかったでしょう。「性暴力含むエロを豪胆に愛して憚らないのが男らしさ」という少年誌のメッセージを内面化してしまい、性暴力を含む作品を声高に称賛して、男らしくなれてると錯覚してた自分は本当に恥ずかしいし迷惑なことをしていたなと思います。
小学校高学年の頃、東京に住んでいた僕は秋葉原もそこそこ近く、「非実在青少年」の話を皮切りにした漫画の規制の話をよく耳にしてました。少年ジャンプの作者たちも「読者は現実とファンタジーの区別ができる」と言った論調で規制を反対していました。ぼくも「その通りだなー」と思っていました。しかし今思い返してみると当時の僕は区別なんかできていないことに気づきました。今でもすごく心残りの事件があるのですが、僕が小学生の頃公園で遊んでいると同級生の男子が女子に棒アイスを差し入れました。僕は少年漫画でアイスやチョコバナナを男性器に見立てて、それらを普通に食べている女子をエロい目で見るというセクハラの存在を知っていました。しかし女子たちはそれを知らずに暑い夏だったので棒アイスを感謝しながら食べてました、男子たちは僕の予想通りいやらしい笑みを浮かべて彼女たちを見ていました。その時は嫌な奴らだな、でも「男子はそういうものだからな」ということが当たり前だと思い込んでいたので、問題な行動だとして注意をするという発想がありませんでした。男子たちも仲間内で露悪的だけど楽しいことをしているといった雰囲気でした。その男子集団のリーダーだった男子は高校生の時に風呂覗きをして学校を退学になっていました、風呂で盗撮した写メを男子のグループに共有したらしいです。多分いいことをしていると信じての行為だと思います。僕も彼も「男子はそういうものが好き」という少年ジャンプが発信する嘘の常識を信じ込んでしまっていた点は同だと思います。そのために、セクハラをされたらその人の心は傷つくという当たり前のことに気づけなかったのです。
小学生の頃、僕は少年ジャンプを作っている人たちに「子供は現実とファンタジーの区別ができる、倫理観や道徳観を持っている、判断がつく」というような期待をされました、そして今の僕がそれに答えるとしたら「性的な表現に関しては、十分な性教育を受けていなかったので正しい判断はできてなかった」と答えますし、現実とファンタジーという区切りではなく、「社会的責任がついて回る空間と、そうでない空間」での影響を論じるべき内容だと思います。
僕は面白い漫画を読むためにジャンプを買ってきたつもりです。大学の頃に出会った彼もそうだと思います。極論、ジャンプにエロ表現がなくても僕たちは大学生までジャンプを購読し続けてただろうと思います。
ジャンプ作品の性暴力表現は誰のために描かれているのか、僕は今、甚だ疑問です。
個人的に、女体を切り売りして、それを喜ぶ層に商売をする今のジャンプは見ててつらいものがあります。女女でやれば批判されないと思っているのか、この頃女から女にセクハラするという作品が増えています。今一度、同意のない性的な行為は相手が誰であろうと性暴力であり相手は傷つく、という認識をジャンプ編集部は持ってください。
漫画を使って教育しろと言う気はないですが、今のジャンプの作品内での女子の扱い方は、パブロフの犬のように、読者に「女体=エロ」と脊髄反射でつなげてしまう、そういう訓練になってしまうという一面があると思います。
「男は、女性の性的な部分を力づくやラッキーで見たいと思ってる」というような「男=狼」観を決めつけで小さい子供たちに信じ込ませるようなメディアを作るのは大人としてやめて欲しいです。
そもそも作品でよく描かれている高校生以下の女子は、大人が守るべき児童の枠の中にいます。倫理的にそういう枠の子をエロく描くのはいけないのではと思います。
ぽつんと一軒家みたいな田舎ではない、郊外の中でもかなり田舎な方に住んでいた。
ボウリングやゲームセンター、カラオケなんかは私鉄の駅10個くらい先に行かないとなかった。
ファストフードや、ちょっと大きな商業ビルなんてのもそこに行かないとない。
往復するとそれだけで1000円近くかかってしまうので中学の時にクラスの友人と
「どこそこに何時集合な!」って言ってたまに土日に出かけるのがやっとだった。
確かに文化的な面で言えば触れられるものはかなり少ないと思う。
東京にも住んでたけど子供の時に新宿や渋谷に10分程度でアクセスできるってのはちょっと想像ができない。
小学校の頃は公園で野球やサッカーしたり、友達の家に集まってゲームしたり、そんな遊びしかなかったし、
高校生にもなるとそんな田舎に嫌気がさして絶対に都会に出るんだって思ってて、
実際に大学生から一人暮らししてそれはそれは刺激的だなと思ったけど、
大学時代とか高校時代、じぶんたちだけの世界に陶酔して回りが見えない感じの「劇場型恋愛」をしちゃってるカップル、たまにいたよね。
あれを結婚してからも死ぬまで続けちゃってる人が、卑怯者になりやすいから注意。