2023-04-27

俺も自分のケツを痛めて子供を産みたかった

自分の子供なのにどうしたって別の個体として認識してしまうので妻のように自分人生かけて愛す、みたいなテンションになれない。

子供を見てると「何年後には小学校に上がって塾や習い事をしたいと言い出したらこれくらいかかって、初潮が始まったらどういった距離感で接していくべきか、その先には中学高校があって……」と子供のことというよりはなんていうか業務予定表を見ているような気分になる。もちろん自分の子供だし、そうやって先のことまで考えてる状況を愛と呼ぶんだとしたらそれは愛なんだろうけど、なんていうか「親」として「子供」を生産してしまった責任を全うしなければならない、というような思いでもあるんだよな。

俺も自分のケツを痛めてこの子を産んでいたらもうちょっとからあふれ出るような無償の愛のようなものを感じられただろうか。

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