はてなキーワード: 失明とは
盛岡市動物公園でうさぎを安楽死させた件がまさか増田でも書かれると思ってなくてびっくりした。トップに上がってて驚きました。
一人暮らしでうさぎを飼い始めて約2年経った私が主観で色々書いていきます。
きっと何個か理由があると思うので、適当に主観で列挙しながら説明していきます。
まず1つ目。
「うさぎが劣悪な環境で飼われがちな動物という点で昔から問題になっている」ことが関係していると思います。
皆さんが「うさぎ」と聞いたら、まず最初に小学校や保育園で外飼いされている個体たちを想像するのも少なくないと思います。
でも、これって良くない環境なんです。
うさぎは結構デリケートで、室内で温度湿度ともに安定した状態で飼うことが望ましいとされています。
多分そこも関わっていると思います。
次に2つ目。
パスツレラ菌自体はうさぎの7割近くが保有しているとの情報もあります。
ただ、不衛生な環境下や、ストレスの溜まりやすい環境下に長くいると免疫力が低下して病気を発症すると言われています。
うさぎ飼の人たちはここにも怒っているのだと思う。もっと衛生的な環境で飼育しろよ!適切に飼育してたら病気を発症しないはずだろ!!!って。でも、動物園での飼育には限界があると思うんですよね。
そんで病気を発症したらまーーーー大変。中々完治はしないし、良くなったと思ったら、忘れた頃に発症する。しかも感染力がめっちゃ強いから、感染個体と健康個体は別の部屋に分けなくてはいけない。
今回は15匹感染していたとのことでした。
なので1体1体ケージに入れて、全ケージを別室に置いて、定められたな時間に薬を処方する、という方法が1番の適切な治療だったと思います。
ただ、これは動物園の人手や薬代などのトータルコストを考えると非常に難しいと思います。
しかも治ったと思ったらまた発症する可能性もあるし、みんな一緒にまた暮らすのは中々難しい。
3つ目。
Twitterにいるうさぎ飼達は、結構過保護な人が多いと思う。これはどんなジャンルにもいると思うんだけど、ネットって色んな情報を得やすいから良くも悪くも影響されちゃう。
ペット界隈の情報の中には、よく多頭飼育崩壊のニュースが話題になる。
可愛いからオスメス飼って、放置しちゃってたら増えすぎて世話しきれなくなったーまじメンゴてへぺろ、みたいな事件。
これは結構深刻な問題で、主に猫が多いけどうさぎもチラホラある。
その度にボランティアさん達がたくさんのコストを払って、たくさんの動物達を助けている。
喧嘩で耳を失ってしまったうさぎ、頭蓋骨が見えるほどの傷を負ってしまったうさぎ、失明してしまったうさぎ、そういう動物達を健康になるまで懸命に治療して、新しい飼い主さんへ繋げる活動も熱心に行われている。
そういう情報を目にしやすい環境にいると、今回の事件は「鼻水じゅるじゅる病が蔓延したので、軽症重症問わずに全部安楽死させました!」みたいな軽薄なように見えてしまうのかもしれない。
頭ではわかっていても、どうしても「パスツレラごときで」って思ってしまうのだと思う。
現に、パスツレラに感染しているうさぎを引き取って飼っている人も知っている。その人は今回のニュースにとても怒っていた。そりゃそうだよね。自分は懸命に治療して、治したんだもの。
悲しいけれど人手や薬剤にかけられるお金は有限でのコストだから、トリアージをしなくてはならない。
色々まとまらなくなっちゃったけど、今回の事件はお金があれば、もっと違った選択肢が生まれたかもしれない。ifで進めるのは良くないかもしれないけど、可能な限り選択肢は増やしたいよね。
私は本当にとても悲しかったから、少しだけ寄付をした。HPには募金が気軽にできるページがあって、とても親切に感じたよ。
近所の区がやってる動物園では寄付ページが見つからなかった。分かりやすいの出してくれないかな!!!板橋区さん!!!!!!!!!!
とりあえず、今回の事件はとても悲しいけれど、それ以上に動物園が情報を公開してくれたことに誠実さを感じた。批判が殺到することも承知の上でしてくれた対応には頭が下がる。
ただ、うさぎを飼う身としてはやっぱり悲しい。
うさぎに限らず、また同じようなこと(病菌の蔓延とか)が起きた時のために資金に余裕があった方がいいなあ〜とは非常に感じた。
今回のことをきっかけに、定期的に動物園に寄付やら何かグッズを買うやら、そういうこと行なっていきたいと思ったよ。ドケチな私がここにはお金かけてもいいと思えたのだ。
家畜の病気が蔓延したから何万匹も処分した、って聞いてもそこに対して悲しい気持ちを持たない自分が、うさぎ15匹に対しては「ぴえ〜ん」って悲しがってるのって我ながら不思議ですわ。ずるいなあ。何でだろうなあ。
動物とか、弱い人とか、そういうものに優しくいられる人間でいたいと思ったよ。
給食の皿うどん 麺揚げすぎで児童ら7人の歯が欠けるというニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210313/k10012913091000.html
このニュースについてるブクマ米で、被害者を笑いものにするようなコメントが多いのが信じられない。
だって歯だよ?失われたら二度と戻らないんだよ?
失明や指切断のような深刻な話なのに、どういう神経してたら笑えるんだ…?
そりゃ生徒は乳歯の可能性もあるが、全員が乳歯とは限らないし教職員はどう考えても永久歯でしょ?
それ以外の場面でも入れ歯の人を笑いものにしていいような風潮があるし
身体の一部であり失われたら二度と戻らないのに、歯の問題って軽視されすぎてない?
ただすごく怖い手術だったので、後進の覚悟のために記憶が新しいうちに書いておく
手術を受けることを前提に診察を予約
最初に精密検査をするので検査の3日前からコンタクトをつけないように指示を受ける。
目の検査ってこんな機械あるんだなと感心する程度に何個も検査を受ける
多分6個くらい
ここで手術の予約をするが、流行っていたので1.5ヶ月先になった
どうにもコンタクトで目の形が変わっていると具合が悪いらしい。
ハードコンタクトは7日前、ソフトコンタクトは3日前から装用しちゃダメ
3日前からは毎日6回2種類の点眼を行う、起床時、朝食後とか細かく書いてあるが3時間ごとと解釈し
なお2種類の目薬は5分間隔を開けるのが地味に大変
検査後は待合室で待機しながら定期的に瞳孔を開く目薬などをさして瞳孔の開き具合などをチェック
手術着に着替えて手術室に通される
手術着は別に脱ぐわけではなく、襟カバー前開きのポンチョ、シャンプーハット、ハットを額に固定するテープという感じ
手術台は大体歯医者さんです。
消毒と言われ目を閉じた状態で両目まぶたの上からクマが出るあたりまで、イソジン的な匂いのなにかと、その後もう一つ薬液でビタビタにされる。
目玉の部分だけ穴が開いている布を被される、まぶたを開いた状態で固定するテープや、何らかの固定具をつけて目が開いた状態で固定される。
(生理食塩水とか、涙に代わるなにかかもしれないが、執刀医が「水!」というと横から誰かがかけてたか先生に手渡していたので私の中では水)
なおここから先は目のピントが合ってないのと専門用語が分からないので主観である。
なにかの薬を眼球に直接塗られる、麻酔で眼球そのものに感覚はないが、眼下など押された感触でそう感じた。
ここまでが多分消毒等の準備でここからが本格的な手術
「3つの光のうち左側を見てくださいね」の指示が出され麻酔の目薬や同行を広げる目薬などをドバドバ透過する。
このときの視界は水をちょんちょん垂らしている水面を真下から裸眼でぼやっと見ている感じ
目薬の容器的な物、光、落ちてきた目薬の波紋が見える。
完全に 無感覚と言うことはなく、少ししみるなと言うような感触はある。
目薬は比較的に説明してくれたが「切りますよ」は1回も言われなかった。
手術本番中は時折「光を見て」「上 /下/左/右を見て」と言う指示にしたがい
触られる感触、いろんな種類の目薬とうかに耐えていると20分くらい耐えていると「あと瞳孔閉じたら終わりですねー」と声が掛かる
が…ここからが長かった。
「あれ?引っかかってる」(ん?道具の手入れがなってないのでは?)
「瞳孔閉じないな」(あ、引っかかってるの僕の瞳孔ね!)
から始まり瞳孔を閉じる薬をたぶんスポイトかなんかに3ccずつ吸い取って次々刺しても瞳孔が閉じない
「3ccで吸ってるよね?次のやつから5ccにして!」「…7cc!」
少しは感覚あったりしみたりするのでこの時間がかなり苦痛でした、多分手術そのものと同じ20分くらい
その前に機械の入れ替えと言うことで15分ほど時間が空きました。
トラブルで疲れましたね?と言う気分です。
ミスされても困るので充分休んで欲しいところ
なおこのとき目を瞑って休んでてねと言われたのですが、その前に見た天井が手術前より少しだけ鮮明に見えたことを覚えています。
あと異物感がすごい状態でもありました。
同じ流れのところは飛ばすとして、消毒が終わったところで、こちらには乱視矯正があるので
多分医療用のマーカーで眼球にポチポチッとされたと思ってます(見えてないので主観)
そして手術本番、怖いとは言え右目で一度体験したのでもう大丈夫よと思っていたのもつかの間
ある目薬を入れた時点で視界がだんだん暗くなり
物の輪郭だけが見える圧縮動画のデコード失敗のような視界になり
最終的に真っ暗な中に何かうごめいているような、まぶたを閉じたのと同じ状態の視界になりました。
一時的に視界消えるなら、言ってよ!失明かと思って怖いじゃん!
と思っていたのですが、その後の一言で私はさらに凍り付きます。
「!!!!!!!!!!!!!!???????????????」
え?見えてるのが正常なの?全然見えませんけど?
「すみません、真っ暗です何も見えません」
手術中初めて口を開いたのがこれ
「あ、じゃあねもう少し下を見て」「もう少し右」と見えないこともあるような
誘導をすかさずしてくれたのでなんとか精神状態を落ち着けました。
その後も見えるように見えなかったりを繰り返し
やはり、全然瞳孔が閉じずに瞳孔閉じる薬をバシャバシャやって、長めの手術となり左目も終了です。
手術後は目の上の布を剥がされて、消毒液まみれの目の周りを拭いてもらいます。
手術中湯水のようにかけられた目薬ですが、歯医者さんのような手術台で目薬をドバドバかけるとどうなるか?
排水機構もあるのでしょうが頭を伝わって頭の後ろは結構濡れています。
まずはシャンプーハットの上から外側の水分を拭き取り、シャンプーハットをとって際を拭きます。
私の場合は目薬大量投下の影響かシャンプーハットの内側もぐっしょり濡れていましたが、ここは拭き取ってもらえませんでした。
※このあととても後悔します。
一通り手術着を脱ぐと回復室で休憩です。
手術室を出るときに時計を見たところ2時間か3時間経過していました(視界がはっきりしなかったのと、精神状態で短針の位置の記憶が微妙)
1時間で再びトイレに行ける当初の予告からすると少なくとも2倍の時間が掛かっていたことになります。
保護めがねをかけ、リクライニングチェアに横になって回復を待ちます。
なかなかの恐怖体験をしたこともあり、正直ショック状態になっていた私はてが真っ白になり
なお回復中はドバドバ投下された目薬が口まで(涙腺から?)流れてきて味が気持ち悪いのと
朝から指示されていた絶食ですでにおやつの時間にもなろうという感じで空腹にもなり
追い打ちのように濡れた後頭部が気化熱で冷えて頭痛まで襲ってきて吐き気につながり大変な状態でした。
2時間ほど休憩と言われ、時折追加の目薬を入れられ最後に簡単に診察をして手術日は終了
帰りの視界ですが、この人近視ダナという感じの見え方
絶食でもうダメだったのでタリーズでパスタを食べて帰りましたが
メニューを見るためにかなり持ち上げたりとそこそこ苦労しました。
前日のスマホ充電に失敗していたり、待ち時間でバッテリー使い切ったこともあり。
電車に乗れずタクシーで帰宅08:30に家を出て16:00の帰宅でした。
そこまで良くなっていない視界に慌てては居ませんでしたが
この時点で外側の周辺視野が遮られている感じで消えているのが不安な状態です。
また異物感が続いています。
なお病院で渡された保護めがねは長時間かけると痛くなってきたため
それよりかなり保護面積の大きい花粉用サングラスを家ではつけることとしました。
くらいけど快適…一週間つけ続けるのでクリアversionを追加発注しました。
手術当日は1時間おきに目薬をさすのですがこれが4種類になり
5分だと大変だよね2分は開けてと言われたので、起きている時間の1/6を点眼で過ごしました。
なお、なるべく目を閉じて過ごしてねと言われたこともあるのですが。
ショックからの回復のためベットの上でほぼ無為に過ごしていました。
スマホもテレビもダメな時間どうしよう?と悩んでいた自分は何だったのか
左目は真っ赤、右目もそこそこ赤い
翌日検診で視力を測定 左 1.5 右 1.0 まで回復、体感でもかなり見えています。
なお手術前は両方 0.08だっけかな? コンタクト度数-3.75にて矯正視力1.2でした。
昨日心配していた周辺視野も右側は大分回復左側はまだと言う状況
異物感は減ってきていますが、まだまだある
目の赤さは全然引きません
今日は通院もなく、心の余裕も取り戻しつつあるので有り体に言って暇である。
心の余裕は取り戻したのに、目が疲れることはしてはいけない
異物感は日に日に軽減されて行っている。
視野が狭い感じは右側は完全に回復した、左側は小さくなっている感じがない
何故昨日の診察でこのことを聞かなかったのか後悔している。
流れ作業のような診察に口を挟む暇なく流された結果ではあるが…明日の診察では聞こうと決意
今日から美容室で髪を洗ってもらうことが解禁されている。※仰向けに洗ってもらえる目に水が入らないところ限定
手術後びっしょり濡れてから3日洗ってない髪は、油でギトギトである。
行きつけの美容室には事前に話を通してあり、カット&ブローを昼過ぎにお願いする。
洗髪後すぐに枕と枕カバーをコインランドリーに突っ込んで洗濯、油ギトギトの寝具をすっきりさせてゴロゴロできる時間を長めにとれた。
全休にしなくて本当に良かった、暇で死んでしまう。
仕事は術後2日後からデスクワーク、3日後から力仕事が解禁されている。
プログラミングの仕事は目が疲れる行為なので一週間禁止されているような気がしないでもないが
さて午前の診察、視力検査と眼圧検査をして簡単な問診で終了だ。
流れ作業で流されそうになったので、無理矢理視野が狭くなっていることを質問する
メスを入れたところと見えなくなっているところが一致していて、右側は既に回復していると言うこともあり
手術跡の箇所であると判明、時間と共に治っていきいつの間にか透明になって回復するとのことだった
と憤りながら目薬がなくなりそうなので、追加を受け取り、帰宅
左の赤目はまだまだ真っ赤っか、右は大分白くなった
次の診察は術後7日後だ
さて7日後検診、視力・眼圧を測定し医師の検診と問診を受ける。
まだ左目の端に見えない領域が少しあるのでそのことを聞いてみるが「原因になりそうな所見は見られない」とのこと
やや不安になるが、スポーツでもやらない限り問題にならない周辺視野領域なのでまあいいかな
相変わらず視力教えてくれない感じだったので「視力いくつでしたか?」とやや強引に差し込んだところ 両目とも1.5との事だった、見えるぞ!!!
すがすがしさが半端ない
公衆浴場・プールなど安全とは言えない水にはまだ入れないし激しいスポーツは禁止だが生活の制限は大分なくなった
目薬は1日4回に減ったが3種類でまだまだ面倒な日々が続く
目には手術後の違和感が残っていて、ゴロゴロした感じがまだのこっている、裸眼で最高!!!というには目の違和感が消えていないというのが本当のところ
目の赤みはまだ何かあった???と聞かれる程度には残っている
次の検診は術後1ヶ月なのでしばらく先
目の違和感は日に日に薄くなっているが、14日経ってもまだゴロゴロした感じがあり、裸眼最高!!!には届いていない
赤みは大分減っている、もしかすると術後の赤みは全部引いたかもしれないのだが、花粉症で赤くなっている疑惑もあり完全に白くならない
逆に言うとその程度の赤さで他人になにか言われることもない赤みだ
さて7日後検診で保護めがねを外して気がついたのだが、ハローがかなり強く出ている、夜の街頭に光の輪が見える感じだ
ハローは日数経過により右目は消えていって14日後には右目は気にならないようになったが左目のハローは強く残っている。
左と右でレンズが違い、乱視用のレンズでハローが出ているのではないか?と言うような気がする。
ハローはレンズの眼圧対策のホールが原因らしいので治らないかもなー…
書いている時点で術後4週間を過ぎた。
一つ変わって気がついたのがピントを合わせるのに慣れてきた感じがすると言うこと、術後間もない頃はピントを合わせることになれていなくて目が覚めて目を開けて見えるようになるのに時間が掛かったのと少し目が疲れた記憶がある。
メガネをかけたり外したりしたときの感覚と言えば分かってもらえるだろうか?
この感覚がじょじょになくなり何か物を見ていても目が疲れなくなってきた。
治っていないこととしては
ハローは左目に相変わらず見えている、左目の視界がほんの少し狭いのも治っていない。
それとコンタクトレンズに汚れがついてちょこっとぼやける、みたいな感じが続いている
常にぼやけるのではなくて汚れがついたときにぼやける感じ
これは瞬きを何回かしたり目をこすったタイミングで治るのだが、裸眼の時ってこんなことあったっけ?と不思議に思っている。
コンタクトはもうつけていないのに…目に直接汚れがついてぼやけている???何か不思議な感触だ
一ヶ月検診がもうすぐあるが、予約の関係で検診は5週間のタイミングとなっている。
予約の関係で5週間目となった一ヶ月検診
視力を測って眼圧を図って、問診と診察をして終了
両目1.5だった、2.0となるレンズは選択しないようで、1.5で視力が安定すれば100点とのこと
追加の目薬はなく、目薬は使い切っていたので治療としては終了で、後は数ヶ月おきの経過観察
次回は2ヶ月後で術後3ヶ月検診だ
状況としては先週と同じで特筆することがない
つづく
俺はいま健常者でマジョリティで、要素で言えば強者要素のほうが多い
脳に障害負うかもしれないし、失明するかもしれないし、四肢を失うかもしれない
セクシャリティはまあヘテロセクシャルだろうと思うけど、バイくらいには将来なるかも
いまは若いけど、40年も経てば老人になる
だから、いま大丈夫だからって障害者とか老人とかを見下して排斥するようなマネをしていると、そのうち自分に返ってくるかも
これはわかる
俺が家畜として何かを生み出し続けることを強いられること、まずないと思うんですよね
なので、「動物に酷いことをしていると自分に返ってくる」系の脅しがマジで理解できん
人間同士で争って、奴隷制度復活!みたいな状況になるとして、そんときはもう血で血を洗う地獄、現行の倫理なんてまったく意味をなさないだろうから、いま動物にどんな態度とってても絶対関係ねえ
星系外から知的生命体を家畜にしにくる奴ら、どう考えても生命倫理とかが通じる存在じゃない
「一生繋がれて、身動きすらできずに死んでいく家畜の立場に立ってみろ」って何なんだよ
立ってどうするんだ?
俺が牛の立場になることは、なにがどうなっても絶対ないと言っていいだろ
仮にあったとして、今の振る舞いがそのときの待遇に影響するはずがない マジで
説得の仕方として意味不明なんだよな
こりゃひどいわ
https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/information/ethics/refhoshino/hoshino0052.htm
>「タスキギー梅毒実験」は、梅毒の治療とは無関係であった。新薬の効果を試すためでもなかった。報告された梅毒患者の無治療死亡の実験結果は、常に梅毒に罹患していない対照より高い死亡率を示しており、一九六九年の時点で、少なくとも二八人、恐らく一〇〇人にも及ぶ被験者が梅毒が直接の原因で死亡していた。そのほかの被験者は重篤な梅毒性心疾患に罹っており、それが直接の死因となったのかもしれない。
第三期に入ると、定型的な梅毒性ゴム腫ができて、身体の種々の部位の骨を侵したり、心臓循環器系を侵して死に至らせたり、脳神経系を侵して進行性麻痺や脊髄瘻、難聴、失明などを起こして、終末期を終えて死に至る。
治療しなかった場合に起こるこのような梅毒の症状の経過を研究するために、米国南部の無教育で貧乏な黒人を観察の対象(動物実験のモルモット代わり)として、この「タスキギー梅毒実験」が計画されて、一九三二年から実施されたのであった。
このような実験に、どうして黒人たちが協力したのか。実際には、これらの黒人たちには、全く梅毒実験のことは伝えられてなく、実験材料にされることも知らされてなかったので、被験者になることに同意をしていたわけではなかった。
アメリカ公衆衛生局が主導し1932年から1972年まで実施された梅毒の臨床研究である。医療倫理的に大きな問題を抱えており、これは非倫理的な人体実験の一つとされている。この研究調査の目的は、梅毒を治療しなかった場合の症状の進行を長期にわたり観察することであった。この研究に参加した黒人男性には、連邦政府が提供する医療が無償で受けられると説明されていた。
人生で一番明るい髪色にした。すごく綺麗な色に仕上がった。
大満足して店を後にしたけどやっぱり周りから向けられる目には否定的な感情が籠っていた。
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何故髪色が明るいというだけでそのような目を向けられなければならないのだろう。社会人としての節度ってなんだろう。
職業柄、現場仕事なので毎日出社はするけれど、人と接することがほぼない私の金髪が誰に何の影響を与えるのだろうか。
接客業や営業なんかの社名を背負った仕事をしていたり、外部の人の出入りが多い会社や事務所で言われるのはイメージがどうこうっていう話になるかもしれない。
でもそもそもそのイメージとはなんだ。金髪や派手なカラーをしていると仕事が出来ないのか。暗髪でも仕事は出来ない人はいるし派手髪の成功者もいる。
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この髪を「綺麗な色だね」「いいと思うよ」「似合ってる」そういってくれるのはみんな若い人や女性で、歳をとったおじさんたちはこぞって「それはまずいよ」「それはやばい」「いつ戻すの?」って言ってくる。
美容院行くのもタダじゃないんだよ。そもそも何がまずくて何がやばいの?
会社のイメージとして問題があるならそう言って欲しいし、会社のルールとして問題があるならそのルールと制定された理由を教えてほしい。
別に会社の契約書に髪色について書かれていたわけではないし、私の髪色で目がやられて他の社員さんが失明するわけでもない。
出社後は作業部屋から出ない、制服もない会社のイメージを損なうってどういう事なんだろう。
茶髪から金髪に変えたことによって私の性格や仕事ぶりは変化したのだろうか。
そんなに簡単に性格や仕事ぶりは変わらないし、おじさんにとっては髪色が与える影響はそんなに大きいものなのかと改めて驚いている。
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「綺麗になりたい」「可愛くなりたい」「自分を変えたい」そう思うことに何故周りから口出しされないといけないんだろう。
暗髪でも可愛いだとか、暗髪の方が可愛いとか、暗髪の方が性格がよさそうだとかそういう個人的な価値観を押し付けられる意味がわからない。
暗い色の髪の落ち着いた人がウケるのはわかるし別に暗髪だって嫌いじゃないよ、でもみんなこぞってこう言う、「童顔だから暗髪だと幼げがあって可愛いね。」って。
暗髪を褒めてくれる人はみんな私の歳不相応さを褒めてくれる。それ、褒めれてないよ。
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逆に昔働いていたところ(接客業)では「印象を明るくするために髪を染めなさい」って言われた。
面接対応で黒髪にして、無事採用されたにもかかわらず入社してすぐに黒髪童顔を「接客に不相応だ」と怒られた。
けど「黒髪だと童顔に見えるから接客には向いてない」はどうかと思うし、私はそれ以来黒髪にはしていない。今後も何か特別な理由がない限りしないだろう。
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じゃあ、金髪にしたら欲しい言葉がもらえるとかそういうことではなくて、これはただの自己満足でしかない。
金髪なんて髪は痛むし手入れ大変だし好奇な目を向けられるし化粧もしないと馴染まない。
それだけのデメリットも背負って受け入れて、それでも金髪が好きで私が可愛いと思うからやったのだ。
金髪にしたら仕事が出来なくなった、会社の業績が落ちた、会社に悪評がついたなんて事実は一切ない。だって外部の人の目には触れないし、髪色は業績に影響を与えないから。
あ、弊社の偉い人、もしあったらすぐに教えて欲しい。暗くしてくるので。
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まぁでもおじさん達はこんなところを見ないし何を言っても響かないだろうからこれからも「やばい」「まずい」「暗い方がいい」「戻せ」って言ってくるんだろうな。
おじさんの好みなんて知らないよ。これは私の髪で私の身体の一部で私の自己満足。そもそも自分に関係のない他人、しかも一般人の髪色にそこまで左右されてるおじさんの方がやばいよ。
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美容師さんとも言ってたんだけどもっとみんなが自由に髪型や髪色で自己表現ができる社会が早く来ればいいな。
化粧で気分が変わるように好きな髪色で生活することで気分はあがるし、むしろ仕事も順調になるであろう私のような人、他にもいるんじゃないかな。知らんけど。
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最後に、私は髪を染め直す気は今の所ないよ。
今の若い人々には全く想像がつかないかもしれないが、30年くらい前になると、道端のそこイラ中にゴミが捨てられていた。雑誌やペットボトルなんか車の窓からポイポイ捨てる人たちがいた。おもむろに車を止めて道路に灰皿の中をザバッと開けて立ち去る人もいた。
もう10年位遡ると、通勤ラッシュの地下鉄の中でタバコを吸う人がいた。窓も開けられない地下鉄の社内は煙草の煙が充満していた。
今、ポイ捨てする人たちや電車の中でタバコを吸う人はいるだろうか?いるにはいるが、絶滅危惧種だし、それはだめなことだと社会的なコンセンサスが取れている。
日本ではタバコは男が吸うものだったし、ゴミをポイポイ捨てるのも男性が多かった。道端になんの躊躇もなくゴミを捨てることはどこか男らしい、という認識があったように思う。
タバコで言えば、女性は煙を吸わされる、臭くなる、服を焦がされる、というやはり被害者な立場であることが多かったし、子供の目にタバコの火が入って失明したなんていう事故を知っている人もいただろう。
こういう問題について当時のやっていた人々(主に男性なんだが)「ルールとか関係ないわ、俺はやるわ」っていう人とか「いやいや、タバコとか取り上げようっツーの?人権侵害だろ?」とか「ゴミ持ち歩くのってうっとおしいし、ポイ捨ての何が問題なの?」とかそういう人はわんさかいたのだが、今ではポイ捨てする人もほとんどいないし、タバコは喫煙所で吸うことが守られている。
ポイ捨て問題については「汚くて嫌だからやめてほしい」という意見はあったし、タバコについても「臭くて嫌だ」という意見はあった。たが、ここは論点にならなかった。というよりもちょっと後に出てきた論点だったと思う。そもそもそういう人々は多かったのだが、これらの問題に対応するときの最初の論点ではなかった、とでも言ったほうがいいだろうか。
タバコをそこいら中で吸うことの危険性や健康に対する問題というのが啓蒙されていたし、ゴミを捨てることについても環境問題何かと絡めていたと思う。つまり、物理的で客観的に確認できることを問題にしていた。なので、メディアも動きやすかったように思う。
これらの問題はつまるところ
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
の合計だった。
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
こちらの式の前半、戦いに持ち出せるカードが少ないのだ。まず、色っぽい写真や萌キャラのメディアを公の場に張り出すことの物理的な問題ってなんだろう、と思うと、なかなか見つからない。主観的な問題はわんさか出てくる。
「環境型セクハラだ!」とか「性的搾取だ!」と言ったところで「お前の感情論にそれっぽい理屈つけただけだろ」と言われてしまうのだ。当然ひどい嫌悪感を持つ人々はいて、私は彼らにも慮る必要はあると思っている。もうちょっと言うならば、もっと適切な表現ややり方は模索すべきじゃないのかと思う。だって、これは差別問題だから。
海外でもこういったアウトプットを問題にするのは昔はやった。レースクイーンは性的搾取だとかその手のやつで、このときも「いや、これ私がプロとして自分で選択してやってるんですけど、私はこの仕事に誇りを感じている」とか「アンチのせいで私は職を失ってしまった、これからどうやって生きていけばいいのよ」と同性からも反発を食らっていたのは覚えている。
海外ではこういったアウトプットを直接的にぶん殴るよりは、教育を変えていくようにシフトしたように感じている。そして環境型セクハラと言っていいようなメディアは姿を消した。色っぽい表紙の雑誌は未だに公然と売られているが。
フランスではポルノ雑誌がそこかしこで売られているというのは「男女ともにそれがもはや環境型セクハラとして感じられなくなった」または「特定の人にはそれは未だに環境型セクハラだが、誰も同意できなくなった」ということでもあるだろう。
タバコもポイ捨ても社会的なコンセンサスが取れたことで新しい問題を生み出した。それは当初の反対派が想定しなかった方向に転がった、ということでもある。海外でも同じだろう。おそらくフランスでは今でもキオスクでエロ本売るなっていう人々はいるだろうけど、今の時点ではおそらく男女ともに「え、なんで?」ってなるようにアップデートされてしまっている。だが、それでもいいようには思う、何故か。
海外のフェミニズムたちの活動における最も重要な成果は「誰が言ったかにかかわらずそれは議論に値するトピックだ」と誰もが考えるようになったことだと思うからだ。そしてそこには教育が重要であると言ってもいい。そしてこのトピックは「性教育」の一項目だったりもする。子どもたちが目にする最初の多様性は男女や人種だからかもしれない、単純で理解しやすいからかもしれない。
なので、日本のフェミニストたちは海外の性教育を一度見てみることをおすすめすするし、そういう書籍を発行したりしてもいいかもしれない。