はてなキーワード: 大皿とは
新卒社員たちは入社後1年間はトングも取り分け皿も触らせてはもらえない。ただひたすら、先輩社員の取り分ける姿を観察する。大皿から目分量で一人分を見定めるさま、取り分けられた野菜の種類構成、トッピングをも含めた盛り付け、空いた皿のスマートな片づけに至るまで全てを観察から学ばなければならない。
2年目にしてようやくサラダの取り分けが許可される。だがこの時点でそれなりの観察の成果を示せなかったものからは、容赦なくトングが取り上げられる。そうした者たちはますます練習の機会を失う一方、許された者たちは実践を積みスキルを上げていく。そのため新入社員たちは1年目から同期会という形で幾度も宴席を設け、ひそかに練習を重ねるのである。なおこれはプライベートの会合とみなされ、会社から補助金等が出ることはない。
入社後3年を過ぎても満足に取り分けを任されない社員の末路は悲惨である。「あのヒトまだ飲み会で取り分けてもらってる」「何のために会社にいるのかしら」「給料泥棒」ひそひそと囁かれる中傷に心を病み、夢破れて退職していく者が多く出るのもこの頃である。
サラダから前菜、揚げ物、炒め物と次第に担当範囲をのばす4年目となっても油断は禁物である。唐揚げレモン問題、焼き鳥の串を外すか問題など、地雷はいたるところに埋まっている。そうした危機を乗り越えて5年目を迎えるころ、彼らは一人前の社員としてビジネスパートナー先へと出向していく。サラダの取り分けひとつが重大なセクハラ・パワハラ問題のきっかけともなりかねない昨今、外注というフラットな第三者の立場で完璧な取り分けをこなせる彼らの存在は、日本のビジネスシーンにはなくてはならぬものとなっている。
鍋、焼肉などのいわゆる「奉行職」に任じられるようになる頃にはもはや、押しも押されぬベテランである。だが近年、こうした上級職の極端な男女比が社会問題となっている。女性が勤務年数を重ねてもこの職まで上り詰める例は少ない。いわゆる「ガラスの天井」であるが、会社は公式にこれを否定し、「女性の上級職が少ないのは、高度なスキルを身に着けた女性が結婚相手として高く評価され退職して家庭におさまることが原因である」としている。
オチはとくにない。
2日目
心療内科で処方された(があまり使っていなかった)睡眠導入剤を飲んだおかげか、バスの中では途切れ途切れながらも眠ることができた。
9:20
バスは広島に到着し、降り立った広島駅南口は、快晴とは言わないまでも快適な天気と気温だった。
この旅行記を書いた後、チェックイン予定のホテルにひとまず荷物を預ける事にする。
東京ではあまりみる事の無くなった路面電車だが、旅行者としては行き先が一目瞭然なのでバスより利用しやすい。
搬送力も魅力的だ。
今更東京で導入する事は難しいだろうが、吉祥寺あたりにあったら便利そうな気がする。
ちょうどお昼の時間帯なので、腹ごしらえをしよう。
目当てのみっちゃん総本店は、観光ブログで紹介される様な有名店だが、地元の人達で満杯だった。
しばらくして運ばれてきたのは大皿にドンと盛り付けられたお好み焼き。
広島は街の風情もそうだが、食も気取りや出し惜しみのない、何というか質実剛健さを感じる。
横をみるとスーツの兄ちゃんがお好み焼きをおかずに白米を食べていた。
すごいエネルギーだ。
まあ、美味いけどね。
食事の前に気づいていたのだが、広島中心街からは平和記念公園が目と鼻の先だ。
観光名所巡りは本来3日目以降の予定だったが、時間もあったので予定を前倒して訪れる事にする。
旅程を組んだ時に全く意図していなかったのだが、韓国のボーイズパフォーマンスグループ、BTSが過去に原爆をモチーフにしたファッションを着て情報発信した事が問題になっており、タイムリーな場所をこの目でみる事になった。
地下歩道を歩き、地上に出ると、川岸、青空をバックに原爆ドームが建っている。
周囲にはそこかしこで地元のガイドさんがここで起きた事を学生や外国人たちに説明する姿が見られた。
自分は韓国を敵視する政治性向を持たないし、BTSを擁護する立場でもないのだが、この問題を考える時、「果たして戦うべきは何なのだろう」と考える。
韓国人の立場からすれば、植民地支配からの解放を喜ぶのは当然で、誇るべきことでもあると思う。
が「自分達の解放を喜び、苦難を超えたことを誇る」事と「相対した相手が死んだのを喜ぶ」事はイコールでは無い。
関連する事としても結ばれる事実であっても、それを言い訳にして他者の気持ちを踏みにじる自らの足を無視する事は、とても褒められない。
今回で例えれば、原爆という象徴的な事実を語る時に、自分の方向だけを見て口を開くのは危険を孕む。
その意図が無かったとしても、喜び自らを誇る時に、他者の痛みに目を向けず語る事は「無神経」で「傲慢」だ。
BTSが悪いと言う話ではなく、同様の問題は、日本の側にもある。
自らを誇りたいと思った時、その自らの中にこそが敵がいる。
こういった傲慢さへの誘惑こそが戦うべき相手では無いだろうか。
「さて、次のステップはその“頑張れること”を何にするかだ。もちろん好きなものの方が良い。アノニマンの教訓ではないが、『好きこそ物の上手なれ』という名セリフがあるからな」
「それは施設内にないだろう。あそこにある中で、可能なものを選ぶがよい」
そうは言っても、今まで手をつけてこなかったものだ。
興味が湧かないし、やってどうこうできるイメージも湧かなかった。
そこでアノニマンはまたも道を示してくれた。
「ならば、まずは施設内にある遊具を一通り嗜むのだ。そして、その中から“得意なこと”を見つけだせ」
「“得意なこと”……?」
「アノニマンの教訓その4、『得意と努力は家族ではない。しかし隣人ではある』。得意なものほど熱中しやすく、頑張ることは苦になりにくいのだ」
こうして俺は無作為に、色んな遊びに手を出してみた。
最初は気乗りしなかったけど、どれも遊んでみると意外な魅力を感じるものが多い。
アノニマンがいないときも、いつも何かで遊ぶことが増えたんだ。
そんな俺の様子を見て、学童の皆もよく話しかけてくるようになった。
「うん……でも大皿にすら乗せられない」
「ああ、それは持ち方と構えが……」
徐々にだけど、俺も自分の意見を言えるようになり、マトモなコミュニケーションをとれるようになっていく。
その時は気づいてなかったけど、俺は既に自分なりの居場所を手に入れつつあった。
得意なことも頑張れることもまだ分からなかったけど、多分それも考えた上でアノニマンは俺に色々やらせたんだと思う。
そうして一週間後。
俺はその日もアノニマンに成果を報告していた。
「……というわけで、どれもそこそこ出来るようになったけど、やっぱり俺は“コレ”にしようと思う」
「なるほど。“ソレ”は学童内でちゃんとやっている子もいないからな。個性を見せるという点でも良いチョイスだ」
アノニマンも最初の頃のような説教じみたことを言うことが減って、その代わりに俺を褒めてくれることが増えた。
「それに“コレ”で遊んでいる姿は、皆にはまだ見せたことがないんだ。今日はしっかり仕上げて、明日ビックリさせてやる」
俺はその時、かなり充実感があった。
「ふむ……では、もう私の助けも必要なさそうだな」
いや、忘れているフリをして、考えないようにしていたのかも。
アノニマンが何のために道を示したのかを。
「そんな……」
「『道は示す』と言った。そして『通るかはキミ次第』とも言ったはずだ。通れる道が見えているのに、移動まで私にやらせるつもりか?」
分かってはいたんだ。
俺がその道を通れるようになった時点で、アノニマンの仕事は終わる。
それがこの時だった。
夫は大皿に盛り付けたおかずをわたしの分まで美味しいからと食べてしまう日もある。
今日は結構美味しく焼けた手羽先を一本しか食べなかった。あとはポトフとごはん。ゆでたまご。
筋肉つけたい、太りたいとうるさいからタンパク質とれるように考えてるのに。
別にいいのだ、食欲が無い時もある。
仕事から帰って、2歳児にワーワー言われながら必死で作るのに、ある日は私の分まで食べられ(それも地味に悲しい)、ある日はたくさん残される。
ちょっと今日は食欲無いんだよね、とか言ってくれればいいけど、何も言わず食事を終える。
まずかったのか聞いたら美味しかったけど?何か悪かった?と悪びれる様子もない。
まずかったのなら謝りたい。
ただ、自分の気まぐれで人の分まで食べてしまったり、びっくりするほど食べ残す、しかも説明も無しでというのが気になる。
人の気持ちを察することができない、一方的な発言、行動というのを見ていると軽いアスペルガーなのかなとも思う。
ちなみに気分の抑揚もめっちゃ激しくて、飲むとすごい上機嫌に。
躁鬱?ただの気分屋?詳しい方教えて下さい。
カサンドラ症候群、初めて知りました。当てはまるところが結構ありました。不眠、不安感、食欲不振、痩せて太れないし、相手の言動が気になって常に不安定な感覚。
今日も7時前に仕事を終え、急いでご飯の支度をしているとイライラオーラを放ちながら本を読んでました。2歳の子供は横でわーわー騒いでいるのに。
無言の圧力というか…
いつまでそんな感じなの?と尋ねるともう喋るなと。
たまらなくなって外に出てきました。
話を聞いてもらえない、共感してもらえない、イライラを常にぶつけられる、それだけで十分苦しいです。
手紙書いて丁寧に伝えると、向こうからごめんね、俺が不安定だからと謝ってきます。
お互いの感情や問題を整理して、解決にもっていくのはいつもわたし。
疲れました。
少しだけ優しくしてほしい。
それだけなんですけどね…
ありがとうございました。
はいどーも。
みなさん、野菜350gを毎日食べていますか。忙しいと野菜350gを食事に組み込むのは難しいですよね。そこで、野菜350gを簡単に摂取するメニューを考えてみました。名付けてお好み焼きキャベツ1/4作戦!。キャベツ1玉当たりの重さは1200g。1/4で300g。350gには少し足りませんが、一日に必要な野菜摂取量の85%を一気に摂取できる画期的なメニュー。お好み焼きで野菜不足から脱出です。あとは睡眠と運動と瞑想さえしっかりすれば、人間に戻れるはず。ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!いってみよう。
・キャベツ 1/4個
・ちくわ 2本
・たまご 2個
・小麦粉 大さじ2
1.キャベツを千切りにします。食感が悪くならないように、芯に近い部分や固いところはしっかりとスライスし、全体的に均一な状態にします。
3.千切りにしたキャベツとカットしたちくわをボールに入れ、適度にまぜます。さらにきりいかと削り節を入れます。
4.小麦粉とたまご1個を入れ、小麦粉を全体にいきわたらせます。水は入れません。たまごとキャベツの水分だけでいきます。
5.適度にフライパンが温まってきているので、ボールの中のタネをフライパンに入れ焼き始めます。真ん中は少しへこませて、もう一個のたまごを落とします。豚肉をタネの上に一枚ずつ配置していきます。ここからは火加減は弱火です。弱火で裏表12分かけてゆっくりと火を通し、キャベツの甘みを引き出します。
6.キッチンタイマーで6分。計測します。「OK、グーグル」とか「ヘイ、siri!」と言って、「タイマー6分」と音声認識させたほうが今風ですよね。6分あるので、お皿を洗ったり、翌朝のごはんをセットしたりと家事に使える時間が生まれます。
7.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きの片面が焼き上がっております。フライ返し2本を両手に持ち、お好み焼きとフライパンの間に差し込み、手首のスナップを利かせて手前に返します。今回のお好み焼きキャベツ1/4作戦!で、一番難しいのがこのひっくり返すアクションです。初回は失敗する可能性が高いです。ますのすしの空き容器を使ってイメージトレーニングをしておくことをおすすめします。
8.肉の面が下になりました。さらに6分。計測します。まな板や包丁、材料を混ぜたボールやフライ返しを洗ってしまいましょう。
9.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きを皿に移します。ここまできて、形を崩すのはもったいないので、大皿をお好み焼きの上にかぶせて、お皿を押さえながらフライパンをひっくり返してお皿に乗せましょう。これは、7.のひっくり返すアクションに比べると難易度は低いです。豚バラを使ったときは、油が出ていることがあるので、油を床にこぼさないようにシンクの上でやると安心です。
ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!で、野菜を300g摂取を目指すの回でした。あとは、残り50gの野菜と睡眠と運動と瞑想に気を付けて、人間になることを目指してくださいね。
まったねー。
はじめに謝るけど私は文章が上手くない。
自分の心の整理としてここに書いておきたいだけなので、誰かにマウントとるつもりも全くないし、自分が特別な人間だなんて思ったこともない。
小学校から大学に至るまでいじめられたことばかりだし、人の輪に入って気さくに話すこともできない、人間の落ちこぼれだと思う。自分のことをずっと人間の落ちこぼれだと思ってきたから、誰かを見下すなんてこと考えたことない。自分がいちばん下で、いつも輪の外で、入る勇気もなく、馴染む努力もしない、できそこないだから、当然だ。
…こういうことを書くと、アスペっぽい、とかコメントがつくのかな。顔の見えない他人なら、なんでも言えるその強さも私にはないので、すごいなと思う。でもはてな匿名だから、コメントは自由にやってもらっていい、私も匿名で書いてるんだから、しょうがない。
絵を描くのは昔からずっと好きだったから続けていたけど、それで漫画を描くのはちょっとやってみたことがなかった。
二次創作ですこしばかしのページ数の漫画もどきみたいなものを描いたことはあったけど、最初からオリジナルでキャラクターを考えて、ストーリーを考えて、なんてことが自分でできるなんて考えたこともなかった。
あるとき、地元で創作漫画のイベントがあると聞いて友人と行ってみた。
すごくいいイベントだと思った。みんなが好きな作品を描いて発表して、漫画を好きな人しかいない空間、本当にすごいと思った。自分にもできるだろうかと思った。あの中で、漫画を描いて、売って、誰かと繋がることができるだろうかと。
一番最初の漫画を描いたのはわりとすぐで、直近のコミティアに申し込んで、サークル参加をした。最初の同人誌は25部刷って、完売だった。
冊数はどうでもよかった、完売したことすらもどうでもいいことだった。
ただ私の、私が部屋の隅で、人の輪の外で、そこに憧れながら、自分の脳内だけで繰り広げてきた理想の物語が、たぶんみじめな妄想が、かたちになって、かたちになったら誰かが買ってくれて、読んでくれて、それだけが嬉しかった。
はじめて誰かとコミュニケーションを取れた気がした。
多分はじめて誰かに、自分の思っていることを正確に伝えられた気がしたのだ。
何回か参加しているうちに、同人誌を読んで、感想を呟いてくれたり、メールをよこしたりしてくれる人もできた。有り難くて涙が出た。
コミティアに参加して、同人誌を出して、誰かに手渡す瞬間だけ、人間とコミュニケーションを取れている気がした。まっとうなコミュニケーションを、できている気がして、本当に息がしやすかった。多分私にはこれしか自分の考えを表せる手段がないのだと思った。それくらい、本当に楽しかったし、幸せだったし、コミティアという場所があることに死ぬほど感謝した。
スペースにも、編集者だと名乗る人や、委託の人が来るようになって、自己紹介だけして去る人もいれば、スペースに居座ってひたすら喋り続ける人もいた。
一度、「漫画の描き方を教えてあげる」と言われたこともある。どうして描いたことのない人がそんなことを自信満々に言えるのだろう、と思ったし、そもそも私の友達でも知り合いでも師でもない人に、なぜそんなことをされなきゃいけないんだろうと思った。
不思議に思ったけど、声をかけてくれたやさしそうな編集者の人に、ネームを送ってみることにした。
今思えば、ちょっと卑しい期待もあったんじゃないかなと思う。もしかしたら漫画家になれるかも、とか。それは本来の目的ではなかったはずなのに、たぶんそこで道を見誤った。
これは今見返すとそりゃ通らないな、と思える未熟なものなのだけど、その時は一ヶ月くらいかけて100pちょっとのネームを送った。その時は当然、通らなかった。
そのあと、小さい賞をとったり、読み切りをいくつか載せてもらったりして、お金をもらうこともできたから、編集者の人と知り合ったのはよかったこともあった。
でも、編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。漫画を描いていると言うと、漫画家が将来の夢なんだねと言われる。
でもそうじゃない、そうじゃなくて、ちがうのだ。私はコミュニケーションがしたいのだ。誰かと繋がるために同人をやってるのだ。
雑誌に載って漫画家になることが目的なんじゃなくて、雑誌に載って、もうすこし知名度があがれば(これは雑誌の大きなメリットだと思う、というよりこれ以外にお金以外でメリットなんてない)同人誌を買ってくれる人も増えて、もっとたくさんの人と繋がる体験ができるんじゃないかと思ってやってるのだ。要するにずっと手渡しをしていたい人なんだな、私は。
でも、悲しいことに新人の漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式のSNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。
それなのに、連載を連載をとせっつく。うるさい。その間にもコミティアで会った編集者からメールが来る。連載か単行本に興味はありませんか、無いよ。無いんだよ。わかれよ。そのふたつがあれば、誰でもホイホイ描くと思うなよ。それは、それはとても失礼だ。
絵が多少描けて、それなりに話が構成できれば、そういう話はいくらでも来る。
でも、ゆっくり育てなきゃ、みんな枯れちゃうよと思う。せっつかれて描いて、何度も没にされて、絵が下手だって言われて、画力あげましょうねって言われたりする、そして描いた漫画は楽しいだろうか。編集者の人ってどの立場からものが言えるんだろう。なにか契約を交わしたわけじゃないのに、彼らは妙に…偉そうだ。うん、えらそうだ。不思議な人たちだ。関わりたくない。そう思うようになってしまった。
漫画を否定されることは、自分の子どもをぶたれるような気持ちなんじゃないかと思う。
もちろん、私に子どもはいないから、これは比喩だし、実際に子どもがいたらたぶん子どもがぶたれたほうが腹が立つと思う。
でも、漫画を子どもに例えた時、私の描く漫画は何才くらいだろうかと思う。きっと、4才とか、それくらいなんじゃないかな。まだ幼稚園児だ。編集者に何を言われても、きっと意味がわからなくてぽけっとしてるんだろう。まだ育ちきっていない子どもに、難しい言葉を投げつけて、ひたすら否定して、殴り続けたら、子どもは正しい行いをするようになるだろうか。
これは極論だし、比喩にしても行き過ぎているから、ちょっと微妙かな。でも似たような気持ちで、私は私の子どもが訳もわからずぶたれているのを見ている。かわいそう。私の技術が育っていないばかりに、そういう扱いを受ける。しかも身内でもなんでもない他人から。私の責任だろう。私が未熟だからだ。私のせいだ。
そう思って、漫画を描く足が止まった。私のせいで、私の漫画が愛されない。ゆっくり育つことも許されない。なら描くのをやめた方がいい。そう、思うようになった。
でも、まぁ、結局、描くのはやめられなかった。
だから今も描いているし、読み切りも載る。相変わらず宣伝はされない。期待されてないってことだと言う人も居ると思うし、私もそう思う。でもお金はもらえるし、宣伝はされないけど読んだ人は同人誌を買ってくれたりするから描いている。
で、結局何を言いたいかって言うと、コミティアに参加している人全員が全員、漫画家になりたくて漫画を描いているわけじゃないってことを、編集者には理解してほしいということだ。
人の数だけ漫画があるように、人の数だけ、その人が漫画を描く理由がある。
漫画を描くときの衝動は悲しみだったり、怒りだったり、嬉しさだったり、さみしさだったり、お金がほしいってことだったり、有名になりたいってことだったりするのかもしれないけど、それぞれの理由があって、みんなこんなことをやっている。
どうしようもない衝動がなければ、こんなことはしないし(だってかなりめんどくさい作業だ、同人誌を作ると言うのは)、続けようとも思わない。
私に、他人と繋がりたいという理由があったように、他の人にもいろんな理由があるだろう、と思う。
編集者は、そこを理解するとことからはじめなくてはいけないのではないのだろうか、と思うのだ。
というか、これは私の願いだ。そこを理解してほしい。いろんな理由があってやっている。そこをわかってくれないと、私たちは繋がれない。ずっとディスコミュニケーションのままだ。プロになれる、ということだけを目的にしたままで、走り続けられる人間と、そうでない人間がいる。
そうでない人間の描く作品には、価値はないだろうか?そうじゃないと私は思う。
誰だって漫画や小説や、作品を作る能力がある。衝動があれば、誰だってなんだって作れる。そしてきっと、違う誰かに届いて、その人を震わせることもできると思う。誰のどんな作品にも、その可能性は必ずある。
それを信じることから、信じて育てることから、始めてほしいと思う。
切に願う。最近は、没にされ続けて描くことをやめた人が多すぎる。
コミティアに参加する。コミティアはいろんな作品を受け止めるでっかい大皿だ。
間違いなく最高の場所だと言える。神格化しすぎて気持ち悪いかな、でもごめん、私は死ぬほど好きな場所なんだ。
でも一度、趣味で描いている人たちばかりの空間で、仕事をするということについて考えてみてほしい。
雑誌にも、単行本にも、夢のない時代で、どうメリットを提示するのか。そろそろ考えるべき時なんじゃないだろうか。もちろん、考えてる人もいるんだろうけど、私はまだ出会ってないので。潰しにきたんじゃないのなら、個人個人を尊重して仕事をしてくれ。お願いだから。
…タイトル、「コミティアに来る編集者がしんどい」にしてしまったけど。
いやでも、編集者の悪口を言いたいわけじゃなくて(十分悪口になってしまった気もするんだけど)、自分の思考整理というか、そういうあれなので…支離滅裂な文章になってしまって申し訳ない。やたら長くなったし。やっぱり文章書ける人はすごいな。私には、やっぱり漫画の方が合うんだろう。
●追記
なんだか、考えていたよりも反響があって、驚きました。
みなさんのコメント、ひとつひとつ、読ませていただいています。
自分の考えを整理して、せめて落ち着いて生きていきたいと思って書いただけの文でしたが、これに対して、さまざまな立場の方が自分の考えを話してくれていて、いろんな考え方を知ることができてとても興味深く、嬉しく思いました。
私の考え方はきっと私なりに歪んでいますし、これが正解という考え方は無いのだと思います。だから、こういう場で、さまざまな考え方に触れられたことは本当に有り難かったですし、私の文は置いておいて、いろんな立場の人が自分の経験を話してくれたことに価値があったと思うので、とても良い機会に巡り合ったなと感じています。
ありがとうございました。
ここからは本当に蛇足な私なりの結論なので、読まない方がいいかもしれないです。
人によっては不快に感じる人もいると思うので、嫌な人は読まないことをおすすめします。
いろんな方の意見を読んで、よくよく考えてみたのですが、いや、ちょっとこれは正直情けないし自分でも厚顔無恥…!という感じなのですが、本腰を入れて、編集者と向き合ってみようと思いました。
同人は私の大好きなことなので、それはちゃんと続けたままで、でも商業でも、よく思い出してみたら、ツイッターで読み切りの感想を呟いてくれた人がいたり、コミティアでスペースに来てくれた時に感想を言ってくれたりしたことがありました。
それに、担当の編集者も、いつも「今回の読み切りもいいですね」みたいに言ってくれていました。
私はもうすっかり人間不信になっていたので、「なんであんな大したものでもない作品にこんなこと言ってくれるんだろう、リップサービスかな、別にそんなのいいのに」と思って、話半分に聞いていましたが、これ、すごく読者の人に失礼だと思いました。一番最初の読者である担当にも失礼ですね。失礼…失礼すぎますね。もう最悪だと思います。
同人は私のやりたいことのメインではありますが、商業でも確かに他人と繋がることはできていて、それはないがしろにしていいことではないのだと思い直しました。
私は漫画を描きます。それは同人でも商業でも変わらないことです。
私は誰かに向けて描くことをやめないし、たぶんやめられないし、それはどの場所でも変えなくていいことだと思えるようになりました。プロ意識?とかよくわからないので、そういうのはとりあえず一旦おいておきます。
煩わしい色々なもの抜きで、シンプルに、とりあえず漫画を描きます。楽しく。自分のペースで。「なんだ、いろいろ書いておいてこんな結論かよ」と思う方もいると思いますが、こんな単純なことに気付くまで、時間がかかるやつもいるんです。
世界にいろんな人がいるように、コミティアにもいろんな人がいて、私みたいにごちゃごちゃ悩んで愚痴って立ち止まってるやつもいて、それがたぶん、この世界の面白いところなので。
まずは私も編集者という他者への理解と、そして尊重を。お互いの目的を擦り合わせる努力を。これは私個人の反省として。自分がしてもらう前に、自分がしてみようと、そう思いました。
赤い床がほどよくベタベタした
そして、
ビアとフライドチキンでキメるのっ!
いやフライドチキンと言っても、
いつもそれらを頼むの。
というか、
店員さんはわざわざ席まで来て注文を取らないの。
いつもの、と目配せして席に座るだけ。
それでビアとフライドチキンが来るの。
昼前あまりに早すぎてお店に行くと
まだ酒屋さんが来てなくて樽生が配達されてないときがあるのよ。
うふふ。
おかしいわね。
笑っちゃう。
そして、
店内のコーナーの天井近く高いところに設置された薄型テレビから流れる、
結局は結末まで見ることはない
犯人も知ってわ。
それは何故かって?
それそこがミステリーなの!
ヒトシ君なの!
そして
時にはターンオフしたりと。
その1曲が延々と延々と延々と
気分はもうすっかりチャイナタウンよ。
フライドチキンだけに
ってココシャネルが言ってました。
うふふ。
炭水化物避けしてると
いまサンドイッチとかでも
目安としてのってるけど
それみたらゾッとするわよね。
でもそれでも辞められないヤミーなタマゴサンドとレタスサンド。
まあ、
大丈夫よね!
これから鍋の季節の楽しみよねっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!