はてなキーワード: 大皿とは
むしろ父親だけ減らされる(塩分やカロリー的な意味で)という話をたくさん聞く
ウチの家族は基本大皿にドーンと持って取り箸とかでっかいスプーンで各自取って食べる方式
親戚来る事が多いんでそういう時でも同じパターンで量だけ増やせばいいから楽
大雑把な俺でも作るのが楽
人がさらに増えたらさすがに出前取るけどね
ただ父親が神事に関わってる(神道だと氏子の中でも祭祀に関わるようなポジション)とかだとそういう風習があったりはするかもしれない
一応そういうのがあるのかどうか分かりそうな人に聞いてみたらいいんじゃないかな
そういうのは大抵惰性でやってるようなもんだし
横からで、しかも話がちょっとずれてしまうので、先に謝っておく
周りの白人が、それはそれは上手にナイフとフォークを使って食べるの
出てきた食事が、串焼きの肉みたいなやつでさ、串がすげー邪魔で難易度たっけーの
こちとら純粋な日本人、やればやるほどぐちゃぐちゃになっていく皿を目の前にもう恥ずかしくて恥ずかしくて
日本の箸とはちょっと違ってて、使いにくいっちゃ使いにくいんだけど、やっぱ使い慣れたもんでさ
パクパク食ってたら、周りの白人が「日本人はずるい」って、すげー気まずそうというか、恥ずかしそうな感じで言ってたよ
大皿の魚料理をみんなでつついてたんだけど、確かに料理は段々崩壊はしてたわw
まあでもそこ責めてもしょうがねえしな
キレイに食えるかとか、汚い食い方許す許さないとかの話以前に、出来る範囲でいいから、キレイな食い方したいなっていう意識は持っておきたいよな
エレベーターで「何階ですか?」とボタンを押す人や、前でドアを開けて待つ人
この話はちょくちょく目にする。
もちろん、嫌だからといって、失礼な態度をとれとは言わない。
そこはぐっと堪えて、穏便に済ませるのがいいのだろう。
でも、礼の一つも言えないのか、は要求しすぎかなって。
これも、嫌な人だっている。
やってくれた事にたいして、全て感謝してたら、勘違いさせてしまう
「喜んでくれている、次も必ずやろう」
そこから派生して、会社のデスクの上を動かされてたらどうだろう
「散らかってるから片付けておきました」
え?余計な事すんな「・・・」
なによ、この人、片付けてあげたのに。
なんか話が飛んでしまったみたい
二人がテーブルを挟んでいる。唐揚げの大皿と、小鉢に半分に切ったレモン、取皿が2つ運ばれてくる。私はレモンに手を伸ばしながら尋ねる。
A. 私「レモンは?」
B. 私「レモンいる?」
C. 私「レモンかける?」
D. 私「レモンかけてもいい?」
E. 私「レモンかけるよ」
さて、レモンをかけていいのはどれ?
追記:
ブコメで指摘があった通り、もともと俺の頭の中では「大丈夫です」問題だったんだ。
「大丈夫です」ってのは、どこまで大丈夫なんだろうって、夜中に考えていたら目が冴えてしまった。
それで書いた。
で、たまたまその時思いついたシチュエーションが居酒屋だったんで、
申し訳ない。
もひとつ、登場人物は誰でもよかったんだけど、「私」は「大丈夫です」が通じない老害世代でもう一人は20代を想定したんで
どっかの小さな事業所のボスと部下ぐらいの感じかなあと思った。
その際に、「私」じゃない誰かということで「彼」か「彼女」かどっちかと思ったんだが、二分の1の確率で「彼女」になった。
俺の至らなさのせいで、みんな、すまん。
昨日の晩飯(6/2)
食べる時もいいくらいのサイズになるし、火も通りやすい、ちょっとだけ塩と胡椒を振って気分をアゲる
塊の肉を買ってきた場合そのまま茹でるか焼くしか選択肢がなかったころの自分と比べると格段に強くなった感がある。
切った鶏肉を炒めてから、切っておいたエリンギ、マイタケ、エノキをブチ込んで白ワインとレモン果汁を適当にかけて加熱。バターがなかったのが悔やまれる。
薄々わかってはいたけど圧倒的に白いなあって思いながらフタして、時々混ぜてあとはキノコ類がしんなりしたら完成。
鶏とキノコを加熱してる間にサラダを作ってさらに気分をアゲる。
ボストンレタスとかいうなんかちょうどいいサイズの小さいレタス1個(安かった)と、キュウリ1本、トマト(小)3個。
レタスは洗って根本落とすだけ、キュウリとトマトを適当に切って小さ目のどんぶりっぽい白い器にブチ込んで完成。
ボストンレタスとどんぶりがちょうどいいサイズだったので、なんかとても見栄えがよくなった。ヤングコーンが欲しい。
関係ないけど居酒屋のトマトはスライスで出てくることが多いけど、くし切りの方が食べやすいし好きだ。
サラダが完成した直後に炒め物を皿に移し終わって、大満足で後片付けを始めようとしたときに袋の口を開けて洗った状態のもやしが目に入った。
炒め物に入れるつもりで真っ先に用意して完全に忘れていた。……しかし仮にモヤシ入れてもさらに白いなこの炒め物。
幸いまだフライパンに炒め物から出たキノコと鶏の汁が残ってたので、その汁と絡めながら適当に炒めて刻みネギふって炒め物の上に積み上げておく。
材料を小分けにして使うテクニックがあまり使えないので、結局大皿いっぱいの炒め物とどんぶりサイズのサラダになった。
冷静に見ると外食基準にすれば、ごはんと味噌汁が人数分あれば3~4人前ぐらいになるかもしれない。
ナオトインティライミとDAIGOが観覧車に乗ってるテレビを見ながら食べた。
番組はよくわかんないけど、昨日よりかなり人間的な時間の夕食だ。
こちら東京23区。わりと同世代。同じく朝はパン。目玉焼きとハム、またはベーコンとかかなあ。小中は給食、昼に家で食べるときは麺類が多く、夜は常にご飯食で、おかずはまあ一般的なレシピ本に載っているようなありふれたメニューに、母が祖母から受け継いできたようなものも多少で一汁三菜程度。大皿ものはあまりなかった。
ところで(と言いつつこれが本題)“超熟”は20世紀終わり頃に登場した商品なのだが、関西では“絶対超熟(PASCO)”という商品があったのだろうか?(新しい商品を買うと、保守的な家族に何かしら文句を言われていたのだが、超熟に関しては「当たりだった」と褒められた記憶がある…)それまでスーパーの食パンの主流といえばヤマザキのサンロイヤルブレッドだった。超熟以降、追随して急遽開発したと思われる類似コンセプトの“超芳醇”主流になってもう15、6年くらいになったと思うのだが、記憶違いではない?(最近では東洋水産の“正麺”と、後追いで雨後の竹の子のごとく生麺風インスタント麺が登場しているが、そんな感じ)
三丁目の夕日を読んでいて、ふといずれ自分が子供の頃食べてた食事も珍しく思われるのかなぁと思った。
小学校のときは給食だったから、朝はほとんどパン。絶対超熟(PASCO)。
トーストにしてマーガリンとジャムを塗ったり、ダイエットなんかも気にする年頃になるとマーガリンはやめてクノールのカップスープに浸して食べたり。
お昼はお弁当。玉子焼き、ベーコンとピーマンの炒め物、昨日の晩の残り物の煮物、牛肉の生姜煮、にんじんといんげんの豚肉巻き…。
冷凍食品なし。逆に冷凍食品のおかずの友達が羨ましかった。海苔巻きチキンとかちっこいグラタンとか…。今は、今となってはマミーの弁当のスヴァラシサはわかるけどね。
夕飯はうちの家は基本大皿料理。それをみんなでつついて食べる。
なんせ野菜が多かった。
菜っ葉とお揚げの煮物、こいもの煮物、お豆腐と大根を炊いたやつ。
あと茄子の素揚げにマヨネーズとしょうゆかけた謎の旨すぎのやつ。ゆで卵の黄身だけ取り出してベーコンとかマヨネーズであえてまた白身に戻してフライにしたやつ。ロールキャベツ。うどん。
お肉は時々。おかんの作るハンバーグとんでもなくおいしい。あとグラタンもおいしい。
洋食が出るとテンション上がった。あと焼肉は家の庭でやってた。
おやつは家にあるクッキー食べたりポテトチップス食べたり、あとばぁちゃんからもらう白餡が入ったちっこい四角い焼き菓子。
お寺さんでもらう丸いおもち、祭りでもらうゆでたての枝豆、近所の小売のお店で買うウイスキーボンボン。
自販機で出会う新商品。アンバサのいちご味出たときのアガリ感。
そんな80年代のメシ。
買ってきた材料を見てるうちに段々全部使いたくなってきて、
「いいこと思いついた!」って顔しながら最初に半分残してた肉のパックひっくり返したり、キャベツの残りも全部切り刻んでたりして、
予定外のものも全部まとめて炒めてしまって、なんかどんどん炒めものハイな状態になって、
いやそれあわね―だろっていう納豆とか豆腐とかも冷蔵庫から出してガンガンぶち込みだして、
途中でフライパンからあふれるから別の鍋に移したりしながらそれでも炒めまくって、
しかも炒めながらさらに食材切るからどんどん焦げて炭化していくんだけど、
本人はご満悦で「やべえ俺定食屋になれる」とかよくわかんない自信であふれててウキウキでフライパン煽って、
最終的に大皿4枚とフライパン1枚ぐらいの大量に出来上がった一週間分の食材を全て注ぎ込んだ「冷蔵庫の中身全部炒め」を前に、
「あれー?おっかしーなー?」って顔をして首をかしげる。
そして案の定食べきれなくて残したり捨てたり無理して食べて吐いたりみたいなことを、
何度やってもなぜか繰り返してしまうから俺は自炊自体を諦めたけど、ADHDに自炊は向いてない。マジで。
炒め物はまだ必死で食べたりするからいいけど、途中で汁気が多いなって思って水入れてスープにしたりしたときは、