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はてなキーワード: 君たちはどう生きるかとは

2023-08-12

君たちはどう生きるか、は好きな映画リストの中に入った

3回見にいったけど、まだ見たいなと思ってる。

何がそんなにハマる要素があるのか自分でもよくはわからない。

考察」とかそういうのにハマってるわけではない。

最初はいろいろと考えたけれど、2度めからはそういうのは意識しなくなった。

癒やしの要素はあると思う。

あとカタストロフィ

終盤の世界崩壊脱出はひたすら気持ちがいい。


あとあと夢を見ているような感じ。

地下世界に入ってからシーンごとのつながり、

辻褄が微妙に合わないところとかが夢っぽい。

夢って整合性が取れていない事象に対しても疑問を抱かないし

逆に、あれ?って思ったときにはすでに夢から覚め始めている。


後半の崩壊する世界から大脱出は夢から覚醒している過程とも捉えることも出来る。

すべては現実世界に戻り、鳥たちは鳥たちの姿に戻り、そして夢のことはほとんどすべて記憶することは出来ない。

特別に強いタリスマンを持っていなければね。

2023-08-11

冷めた「バービー」は一体どんな味がするのだろう

ついに今日から日本でも公開される映画バービー」だが

ネットの一部では映画公式アカウントバーベンハイマーミームに対して迂闊な反応をした事が盛り上がっている。

ただ、個人的にはそれに対してワーナーは十分に謝罪も行ったと思うしこれ以上企業経済活動として批判されるような物は無いと思う。

……一方で映画バービー」が熱を失ってしまったという問題解決してないとも言えるのだが

映画に限らず小説漫画アニメゲームなどどれも作品にはメッセージが込められがちだ。

私達は作品メッセージを脳回路の中の単なる理性でしか無い部分で自分解釈を行った上で受け取る事もあるけど

メッセージはしばしば理性回路など突き抜けて楔のように脳に深く刻まれる事がある。

それが作品の熱やエネルギーという物だと自分は思っている。

しん次元クレヨンしんちゃんみたいなメッセージがわざとらしく伝え方が下手くそ映画だと熱が無かったりするが

映画バービー」のメッセージは熱を持って脳に刻まれていたかもしれない。

しかし私を含めバーベンハイマー騒動を見た日本人の一部は映画バービー」のメッセージを直接脳に刻みつける事はできそうにない。

映画公式バーベンハイマーのロクでも無いコラージュに乗っかってしまった、その残念な事実と並列させながら「バービー」のメッセージ解釈する事しか出来ないだろう。

一応自分作品メッセージというのはそこまで重要な物と考えてる訳じゃない。

映画君たちはどう生きるか」の前に「バービー」の予告がやってたけど、何か話のやり取りを楽しむ事は出来そうな感じだったし

メッセージの込め方の巧みさに感心出来るだろうから日曜に見に行きたいとは思ってはいる。

ただメッセージ重要だと思ってて尚且つワーナーバーベンハイマー騒動否定的に見てる人ってこの映画を見る価値あるの?とは思う。

熱の伝わらない映画を単なる理性回路を使ってメッセージを受け取る事になるなら

映画なんて見ないでインターネットで似たような主張してる記事とか読んでもだいたい同じ受け取り経験になるのでは無いだろうか。

メッセージ重要視する人がそんな体験に1000円~2000円くらいのお金を払う価値ってあるんだろうか。

…まぁメッセージ存在する事自体重要視する人達もいる。そういう人達は熱を受け取れない事なんてどうでもいいかもしれない。

反・反核保守層への忖度オッペンハイマーが放映されない方がずっとヤバい…だの

男性中心的な運営体制ワーナー宣伝部門が「バービー」をアメリカ中心的で軽薄な手法商品化しようとした…だの

自分に都合の良いメッセージを並列させれば熱の問題なんてどうでも良くなりながら映画を見れるだろう。

もし監督もしくはワーナー本社バーベンハイマーミームの中のロクでも無いコラージュに対して必死に抗議してれば

バービー」の熱はあったのかもしれないが、今となっては意味のない考えだろう。

バーベンハイマー騒動否定的に受け取っている人に対して「バービー」が熱を取り戻すにはどうすればいいだろう?

とにかく日本人がバーベンハイマーミームに対して熱を持って徹底的に抗議してワーナーサイドに熱が伝わって

ワーナー監督が抗議から受け取った熱と同等の熱でもって「バービー」について語り

それでも映画を見て欲しいんだ!と日本人に伝えるくらいしたら熱を取り戻すかもしれないが、まぁそんな未来無さそうとも思う。

こうして熱を失った「バービー」は自分にとってどんな味になるかも気になりながら日曜に映画を見に行こうと思っている。

2023-08-09

君たちはどう生きるか

私は何故生まれしまったのか

主はなぜ応えて下さらぬのか

2023-08-08

映画君たちはどう生きるか」のキリコについて(感想文)

映画君たちはどう生きるか」を観てきた。

うまい言葉がみつからないけど、アニメーションとしては、スタジオジブリ集大成といってもいい、すごい映像作品だと素直に思った。

・「インコ」というジブリ史上でもっとキモ可愛なキャラクター爆誕しているので、それだけでも見る価値がある。早くグッズ欲しい。

唐突に色々な出来事モンスターアイテムが目まぐるしく登場するので、初見理解が追いつかない感もあったが、むしろ神話的で良いと、魅力的に感じた。たぶん、わざとそういう配置にしてる。

特に個人的感想として、もっとも印象深かったのがキリコという登場人物だった。

以下、考えたことをメモする。

↓↓↓以下、全てネタバレかつ妄想↓↓↓

 キリコ異世界(塔の世界)に迷い込んだ眞人が最初出会う案内人漁師)であり、『千と千尋』の湯屋女中のような主人公との関わりを連想させるキャラクターだとも思う。後に、その正体は主人公(眞人)と同時に異世界に入り込んだ従者(老婆)であることが作中で明かされている。

 はじめは、この案内人は老婆であったキリコ異世界で変身した姿なのかと思ったが、どうも違う。この若い姿のキリコは(恐らく)数十年前に異世界(塔の世界)を訪れていた、若き日のキリコなのだ

 そして、眞人と同時に異世界侵入したはずの老婆キリコは、若き日のキリコより、木彫の人形として眞人に託される(映画ラストで、この人形が老婆キリコに変化することから、これが依り代のようなアイテムになっていることは明らかである)。

 しかしなぜ、老婆キリコ異世界で木彫り像に変身しなければならないのか?それは、パラドックス回避の為、時空が混然一体となった異世界(塔の世界)には、2回目は入れないルールがあるからではないか、と考えた。

 ではそうだとして、何故、異世界侵入していないはずのその他の従者(老婆)たちも、老婆キリコと同様に木彫り人形として異世界で登場していたのか?この関係は紐解く必要があるように思う。

 一つは、現実世界からの老婆キリコは、他の従者(老婆)たちと同列に、この異世界(塔の世界)には不在であることを示すたんなる装置としての(木彫り人形の)意味合いはあるだろう。

 では、他の従者(老婆)たちも若き日のキリコと同様に、過去異世界に招かれていたということなのか?この点については、実は、キリコ以外の従者たちは、ワラワラ様が現実世界に生まれ、育った姿なのではないかと思うのだ。つまり彼女たちは大叔父が作った異世界に魂の起源体験を持つので、作中の異世界では木彫り人形として描かれたのではないか(2回目は入れないルール)。つまり過去異世界と縁があった存在であることのメタファー暗喩)が木彫り人形なのだと思う。

 そう考えると、丸くて小さくてもふもふした従者(老婆)たちと、背筋の伸びた老婆キリコキャラクターの対比も分かりやすい。異世界でのワラワラ様とキリコ関係性を、現実世界でも再現しているというわけだ。

 そして、実はキリコは大叔父血縁者なのではないか。つまり血筋的にも大叔父・ヒミ・眞人と関りのある重要役割を担う存在だったのではないか

 異世界(塔の世界)では、大叔父とその血縁しか主体的世界に影響を与えられない……という風に理解ができそうな台詞描写も作中にあったと思う。だから異世界での鳥達は変容・進化?してしまったし、直接の血縁ではない眞人の父は異世界には入れない。他方で、ヒミは火を操る神通力により世界浄化破壊?する役割を与えられ、キリコは循環と再生を扶ける役割が与えられているのだ。

 作中序盤で描かれる現実世界での老婆キリコは、他の従者たちと違って、なんとなく可愛げがなく、めざとく狡賢い性格として描かれている。しかし、あの異世界で描かれるように、面倒見がよく逞しく凛々しい姿が、キリコ内面なのである。だから、老婆キリコは、眞人を心配して廃墟の塔までついてきてしまうのである

 ここまで考えると,老婆キリコが作中でもっとも印象深く愛しいキャラクターに思えてこないだろうか。

↑↑↑以上↑↑↑

SNSなどでストーリーが分かりにくいという前評判をみていたが、物語構成は『千と千尋』や『トトロ』と同様で、トンネルを抜けた先の異世界で試練を経た主人公が、何かを現実世界に持ち帰る構造であり、ファンタジー系のハヤオ作品の中ではむしろ分かりやすい部類だと感じた(個人的には『ポニョ』とかの方が難しくてついていくのがしんどかった印象)。

「結局、アオサギは何者だったのか?」など未消化の要素も多いので、また時間があれば鑑賞に行きたいです。

大学君たちはどう生きるかを絶賛する奴がウザいか

「ああ、岡田斗司夫とか好きそうだもんね😊」

って言うと必死になって「俺は違う、あれは嫌い」とか言ってきて草。

女子岡田斗司夫って何?」

俺「YouTube勝手にでてくるデブのおじさんいるじゃん」

女子「あのキモいやつwマジやだww」

意識高い系発狂→次からは君たちは…の話しなくなって草。

2023-08-04

女性たちの発言問題視され。

男性のまったく同じ発言問題視されない、男女不平等現代を。

君たちはどう生きるか——

今更君たちはどう生きるかを見てきたがなぜみんな原発に関して言及がないのか

明らかにあの隕石とそれを覆う屋敷福島原発のことだろうにどのレビューを見てもそれに関しての記述がない

それほど触れたくないの?

2023-08-03

映画って楽しむためにはそんなにコンテキスト必要ものなのか

君たちはどう生きるか」をほとんどSNSとかの事前情報も入れずに観たんだけど、本当にストーリー意味からなかった

ジブリ作品はいろいろ観てるけど全部ではない、たぶん半分くらいだと思う

ただ、見たことあるジブリ作品でも不思議説明つかないことはたくさんあったけど、ストーリーがわからないという経験は無かった

今回のは楽しめないレベルでわからなかったというか

でも観終わった後にネット上の感想とか読んだら

「この誰某は言わずもがな監督関係の深い誰某を表している」とか

「これは監督自身投影したものであることは明らか」とか

いや、2,3時間で一つの作品として上映する形態をとってるんだからその作品の中の情報でフルに楽しませてくれよ

作ってる人たちがどういった人か把握して観るのが一般的なもんなのか

映像めっちゃ綺麗でめっちゃ動いてて見入れた

2023-07-30

久しぶりに映画行くんだけど

何みるか迷ってる。

候補怪物 インディジョーンズ 君たちはどう生きるか の3つで1本だけ


どうしようかなぁ

2023-07-29

anond:20230729200346

最近だと宮崎駿の「君たちはどう生きるか」がアニオタもの考察(笑)という名のマウント合戦になってて最悪だった

やれ宮崎の幼少期がどうのこうのだの、メタファーがどうのこうのだの

個々の要素にばっかり着目して知識自慢する近視眼的なアニオタばっかりで、根幹となるストーリーについて言及してた人があまりいなくて違和感を感じた

2023-07-28

anond:20230716093137

この内容、すっごいわかるんだよな!!!

まず、全くどんな話かも全くわからずに、映画を見るという経験自体が、もうないだろう(特に私は)と思うので、もうそれだけですごい経験をした気がしてしまう。

そしてこんなに映画を見た多くの人々にどんなことを伝えようとしていたかを考えさせることができるジブリの、宮崎駿の、すごさ。

シン・ゴジラ石原さとみが「本当に怖いのは私たち人間ね」みたいなことを言ったことに比べたら、わかるでしょう。何も言わないという手法のすごさが。私たちを信頼していることが。全員にわからなくたっていい。

で、感想ですがエントリ特に後半はすごく同意

わたしはこの映画を「君たちはどう生きるか」以上でも以下でもないと思った。それは感覚的な言語表象の超越みたいなことなんだと思う。

この話は宮崎駿自身人生でもあり、アニメーション業界言及でもあり、そして私たち人生でもあり、もっというと、そう、人間抗うことのできない何か大きなもの、を感じさせるのだ。

だってかい解釈は置いておいて、みんなの感想ってどこか本質的に似てるじゃん。何か近いじゃん。

わたし大人になってから、魂をかけた取り組みをみるといたく感動してしまう。ピカソだって自分の極めたひとつ表現方法を高めては壊し、高めては壊し、そのことに生涯をかけ、私たちはそれを知り、その過程を知らなくてもゲルニカに感動するわけじゃないですか。

今回の映画はそういった今までの人生の、アニメーションの、人間関係の、人間の発展の歴史の、国家の発展の、「破壊想像」を感じるわけです。

物語には無限可能性があるから、どう受け取ったかが違ったっていい。作品を世の中に公開した時点で、作品作成者本人の意図を離れ、解釈される。新しい解釈が生まれ続ける。新しく生まれ解釈は、作成者本人にも届き、作成者自身さらに新たな解釈を見出す。作成者がそれをインタビューで発信する。発信されたインタビューを見て、さら解釈生まれる。ずっと作品をめぐる解釈は、国を超え時代を超え個人を超えアップデートされ続ける。

まるでこの映画だね。映画感想のものも、映画の内容みたい。

今までの宮崎駿が作ってきた映画とかなり毛色が違う気がする。これが新たな挑戦の宣告だとすれば、わたしはもうすでに新しい挑戦の上で作成した映画をもう一本作ると思う。

いろんな人が解釈をし発信している。権威ある人の発信を見ると自分が間違ってたのかな?と思うこともあるけど,そう思わずに思ったことを書いてほしい。思うことは自由だ。わたしたちは「君たちはどう生きるか」のなかで巡り合うことができる。

2023-07-27

夏のデート

あっついね!!

2週間に一回くらい恋人デートしてるんだけどさ、そろそろネタ切れな上にこの暑さでどこにも行きたくねぇ~ってなっちゃってさ

マジでみんな夏のデートってどこいってんの??

汗かきたくないじゃん?室内で過ごせるとこ?半日とか一日時間潰せる施設ってあんまなくない?

ちなみに下記はもう行った。

水族館(涼しくて時間たっぷり使えて最高!イルカショーは暑すぎて地獄!)

日帰り温泉(汗流せるし結構よかった)

映画君たちはどう生きるか面白かった)

芸人ライブ相手が好きな芸人でよく知らんけど面白かった)

アフタヌーンティー

図書館漫画喫茶ハシゴ

あと何かある?

2023-07-26

小学生と同じ条件で読書感想文書けって言われたら俺はもう無理だと思う

・読む作品学校指定してくる

・書き方の方針や採点基準教師の頭の中にだけある

・全部の文字鉛筆原稿用紙に書く必要がある。

・内容は学校教育にふさわしい内容を求められる。

・分量は下限と上限が指定されている。

・読む時期が決められている。

教室の後ろに張り出されて、同学年の全員や下手したら授業参観他所の家の親にまで見られる

・同じ条件で全員が書いており他人比較される

実名で書く必要がある

条件キッツ!

そこらのプロライターに持ってくる案件と同じレベルだろ!

ネットじゃ結構映画感想とか書いてるけど(最近君たちはどう生きるか考察クイズにも参加してた)、この条件でやれって言われたら金積まれても拒否るわ。

自分感想書きたい作品を、いつ書いてもよくて、書けそうもなかったら書かなくてもいいし、書き方のフォーマット自由で、皆が好き勝手やってるから比較されても傾向が違うってことで誤魔化しやすく、PCで書いてるから途中で話の順番を自由に組み替えられて、何よりも匿名でやることが出来る。

この恵まれた条件があるから好き放題書き殴れるんであって、その条件全部ひっくり返されたら俺はもう一行も書けねえかも知れんよ。

いや小学生まじすごいよ。

こんなのをほぼ全員がちゃんとやってきてるんだろ?

心にペルソナ被って割り切ってかねーとこんな条件で感想文書けね―って。

マジでクソみたいなことやらせてるなあ。

文章力トレーニングってよりも、精神鍛錬の一種じゃねーのかな。

2023-07-25

ビックリしてモターで社の方針に盲信的に従って、社会常識無視してがむしゃらに頑張ってた人たち。

顧客の車に傷つけ、街路樹を枯らし、血がにじむ努力ノルマ達成し・・・

そして、ガッツリ手のひら返しを食らう人生とは?

まさに、君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか(物語功罪)

もし目の前に鏡があったら、見て欲しい。

鏡に写っているのが1000年に一度の美少女だった人。

または、川崎まれラッパーヤクザの鞄持ちになるしか無かった人。

君たちは合格時代に愛された物語主人公です。

そうじゃ無い人。残念ながら物語として出来損ないです。

こういった価値観が間違いであることは誰しも分かるだろう。

でも、人は何かに憧れてしまう生き物なので、それが完全に間違いであると確信する事は難しい。

  

日本社会自殺が増えている理由

人々が虚栄心や欲に塗れている理由

これらは物語を作る側の責任かも知れない。

  

物語を作る人間特にジブリ宮崎駿ともなると、自分表現に対する影響力とその責任について当然考えていると思った方が良い。

宮崎駿の昔のエピソードに、『となりのトトロ』を作った際、作品を通して生の自然と触れ合うきっかけにして貰いたいと思っていたら、「子供が家でビデオを擦り切れるくらい観るほど大好きなんです」と言う親が現れたという話がある。

  

物語には功罪がある。

物語に感化された者が、物語世界を通して理想を築き上げ、しか自分現実とのギャップで苦しんでいるとしたら、それは物語の罪に当たる。

よく、名作に対して「この作品リアルだ」と云われる。

このリアルさとは、実際の現実デフォルメしたものであって、デフォルメの仕方が理想的だという事に過ぎないのだ。

事実小説よりも奇なり」という言葉があるように、本来現実物語と比べ物にならないくらい複雑で不条理なのだ

現実物語として歪な形をしていて、そこに答えや正解がある訳でもなく、混沌なのだ

人生混沌を乗りこなす事であり、だから現実面白いと思う人が居て、だから創作する側に立たない人が大多数なのだと思う。

から宮崎駿の「君たちはどう生きるか」という作品は、物語世界に囚われて生きる人々に現実と向き合うことを促す意図があるように思えた。

  

混沌があるからこそ秩序は成り立つ。

混沌の無い物語に従って生きることは、秩序を暴走させた混沌だ。

物語としては出来損ないの自分勇気をくれた様な気がした。

FF16を少し遅くなったが全クリした。しがないプロデューサー目線の感

前提だけど、好意的な内容だよ。

前提として俺の感想は非常に好意的だ。そういう意味では、バッキバキの同業者目線での批判を期待していた人たちにはごめんな。

俺の非常に好意的感想は、しがないプロデューサーのはしくれの俺に、「吉田プロデューサーFF16が世界での戦い方を示してくれたこと」ことに尽きる。

そして俺がこれを書こうと思い立ったのは、それなりにレビュー感想合戦が一段落して、

を参考までに、みんなに個人的感想として伝えられればと思ったからだ。

FF16はもはやAAA級じゃない

みんな気づいてると思うが、FFはもうAAA級じゃない。

例えば映画でいってもそうだが、宮崎駿作品新海誠映画作品邦画じゃAAA級だが、ハリウッド制作予算に比べれば全然したことないんだ。「君たちはどう生きるか」が3000万ドル~7000万ドルあくまで噂)、すずめの戸締まりが1800万ドルって言われてるが、スパイダーマンスパイダーバースは9000万ドルアクロスザ・スパイダーバースは1億ドルだってよ)、アナ雪は1.5億ドルだそうだ。

正確な数字かはさておき、どう楽観的に見積もってもハリウッド超大作のそれには敵わないんだよ。

FFはみんなが比較に出す洋ゲーAAAと比べれば開発予算限界がある。

FF16はいわばAAA級じゃなくてAA級だ

からFFAA級みたいなもんだ。Aが一個足んないんだよ。(ちなみにAAA級の定義は正確には存在しない。AA級っていうのも存在しない。けど大体、意味、わかるだろ?)

からAAA級と同じ条件で比較しちゃいけない。

AAA級とAA級でなにが違うか?開発予算が違うんだよ。開発予算が違うとなにが変わるか?できることに限りがあるんだよ。

たとえばよく言うゲーマーたちの指摘には、以下のようなものがある。

  • 開発期間を延ばして(発売を少し送らせて)もいいから〜を追加してほしかった。→それ開発費(必要予算)増えるんだわ。
  • 〜の要素を追加してほしかった→それ開発費(必要予算)増えるんだわ。
  • 〜の要素が手を抜きすぎ→それ開発費(必要予算)増えるんだわ。

もちろん正しい意見もあるとは思う。


けど例えば、上でもあげたけど「アナ雪」ってテーマソングの「Let it go」あがったタイミングプロットを大転換してるんだぜ。エルサはアナ姉妹でもないし、王家でもないし、純粋な悪役だったって話だ。

この大転換は結果として大成功だったわけだが、おそらくこのレベルの変更はそれまで進めていたあらゆる製作に影響を及ぼしたはずだ。具体的には製作途中のものを捨てたり、考え直すための制作期間の延長だ。これ、制作費(必要予算)増えるんだよ。

AAA級は天才たちが七転八倒して作ってるんだ。AA級のFFはそれをしてないわけじゃない。それを許される回数が限られてるんだよ。

吉田プロデューサーFF16が教えてくれた、俺たち日本人(AA国)が世界ライバルAAA国)と戦う方法

これは大筋はゲームメディアなんかが大筋語ってくれてる内容と沿うんだけど、まぁ聞いてくれよ。

俺たちはもうAA国なんだ。AAA国みたいに何でもかんでもぶちこんで、やりたいこと全部やるってのは無理なんだよ。(もちろんAAA国やAAAタイトルが全部やれてるってわけじゃないんだが、相対的な話だ)

AAAタイトルに慣れた、舌の肥えた俺たちはAAA級と比較してあれが足りないこれが足りないって言うけど、無理なんだよ。

だけど俺はそんな批判をやめろと言ってるわけじゃない。

もっと生産的な考え方をしようぜ、そしたら俺たち日本人のためになるし得だよって話だ。

それは「この要素を弱めて、この要素を足す」だ。これなら開発費(必要予算)は増えない。

その点でいうと、FF16は限られた予算の中で、どこでならAAA級に匹敵する作品を作れるか?について考えに考え抜いたパッケージングをしていると思う。

吉田プロデューサー天才アーティストではないかもしれないが、天才プロデューサーであると思う。

彼は重圧の中でその取捨選択を、自分意思を中心に、それをやり遂げた。

このあたりはストーリー戦闘システムへのフォーカスだが、そのへんはもうほかにもいっぱい語られてるからここでは言及するのやめるわ。

フロムソフトウェアエルデンリング比較しろって話について


これも実は大きな誤解があると思う。

エルデンリングざっと調べても開発費は分からなかったが、少なくとも過去からモーションを使いまわしてるだの、グラフィックAAA級と比較して見劣りするだの言われてるよな?

それはそうだと思う。そこで開発費の圧縮をしてるってことも事実だと思う。

でも問題はそれじゃない。エルデンリング過去作を通じて積み上げてきた「魅力的な特徴」がゲームシステムの中心にあるんだよ。

方やFF16はみんなが言ってる通り「FFはおわった」「FFブランドなんてもう存在しない」とか言ってるじゃん。FFがこれまで積み上げてきた資産ってむしろそれしかないだろw

FF15のオープンワールド世界通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。

FF15の戦闘システム世界通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。

FF15のレベルデザインフロムゲーのように緻密なデザインだったか?当時からそんな評価じゃなかったろ。

FF16はFF14で積み上げてきた資産(でもMMOから流用できる資産は直接的じゃなかったはずだ)と、FFという今となっては影の落ちたブランドに基づいて、むしろ日本が誇る「漫画」と「特撮」のゲーム産業とは違う強みを強引に(したたかに)輸入して生み出された日本元気玉の一つなんだよ。

PS.それでも吉田プロデューサーFFを諦めていないわけ

これは完全に蛇足だけど、ストーリーの締め方に納得いってない人にネタバレすると、FF16はFF1のストーリーオマージュと対比構造で成り立っている。


からストーリーに納得いってない人も残念だがこればっかりは受け入れるしかない。

その上で期待していいことが一つある。

吉田プロデューサーは、スクエニFF現代において「語り直した」そして戦闘システムストーリーという新しい武器(最強とは言わんが、AAA級に挑戦するキーアイテムだろ)を手に入れた。

AA級がAAA級に挑戦して玉砕してなにも残らなかった。わけじゃない。

ここから語られるFFがきっと始まる(続く)んだ。

2023-07-24

宮崎駿終活君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか感想

具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいいキャラクターのみ個体言及する。








一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。


ナウシカラピュタトトロ魔女の宅急便紅の豚もののけ姫ハウルポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードブンブン振り回されて巡らされた。

宮崎駿終活を見た。



呆然とした。

映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。



ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。

まず引っかかったことの第一台詞回しが説明的だったのに結構ダメージを受けた。

映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。

今まで宮崎作品ではほとんど感じたことのないものだ。

他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守彷彿とさせる台詞回し。辛かった……

私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。

それも意図的なのかもしれないが。




第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。

駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。

安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿原体験自然の中にある生命伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。

子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業要請から出されたキャラクターしか感じられなかった。

DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直デザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。

まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物幼児の見せる原初感情愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。



現在宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。

最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。

主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。

背後に不穏さが漂う陰鬱現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢から必然だろうとも思う。



私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来ターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。

風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あん純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。



結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。

君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。

宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。

そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。


どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。

君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュ大義名分ジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。

それだけのものを今まで私たちに贈ってくれた。



そして、ここまでグチグチグダグダ書き連ねながらも、もし万が一にも次作があるなら絶対観に行ってしまうだろう。

観客なんて勝手なもんである


あと、米津好きだけど宮崎駿には合わなかった。ジブリにはもっと現代の売れ線とは関係のない歌と共にあってほしい。

どう生きバード感想

忘れたくないのでつらつら。




●13個の石は宮崎駿 作品

●まひとさんは吾郎さん

●あれは 宮崎駿物語。大おじ様が 宮崎駿


宮崎駿幸せにしなきゃいけない人間だと思ってるのは吾朗さん。それは パンダコパンダから変わらない。

一方で 創作をしながら 築き上げてきた あれやこれやのご縁。その中で 高畑さんとの出会い製作を助けてくれたおばあちゃんたち。動かしたらダメ、なるほど。守ってくれてる。

創作という魔力を持った大きな石の力を利用して世界を築き上げていく。宮崎駿はかつて世界を愛せるかどうか 鍵 という話をどこかでしていた、愛せる世界であってほしいと。

そのための創作 なんだと思う。これで1日は持つっていうセリフ意味はよくわかってないけど、これであと1日はこの世界を愛せるって意味なんじゃないかなと思う。あの石は宮崎駿創作 なんだと思う。

世界を捉え直して綺麗に積んであげることで世界を1日だけ愛せる。そういう作品を送り出してきたんだと思う。

3日に1個積みなさいと言ってた。3日っていうのはそのままの3日って単位じゃない気がする。3年とかなんじゃないか適当だけど。

それぐらいのスパン作品を送り出してあげることで世界が愛せる 手伝いをするっていうのがあの創作の石に見られた人たちの任務で、宮崎駿がずっと それをやってきたけどもう限界があるからかにつぎたいと。

まろさんに失敗したこともあったけどそこには 言及してなかったような気がする。とにかく 真人さんに継ごうとしてた。まあつまりはごろうさんなんですけど。

まあ本当に最後作品になるんだろうなと思うものだった。

からこそ今までお世話になってきた人やあの人や この人もういなくなってしまった人に思いを伝えたいというのが、切実すぎるほどに伝わってきた。

ひみさんは高畑さんなんじゃないかなと。

ひというのが 何かの脅威を表すとしたら、創作の炎に焼かれていった高畑勲さんらふのことじゃないかと。

今まで戦ってきた数々の戦友たち、その人たちが次々となくなっていった。それでも背負うものがあるから足を止めることはできなかった 宮崎駿さん。その 宮崎駿さんの懺悔と逆にそれを肯定していかなきゃいけないという背景からまれ作品 なんじゃないかなと思う。

そう考えると最初から最後まで本当に真人さんを中心に動いていて、

創作で今までお世話になった人たちへの感謝気持ちが全部現れてるように思った。

残すべきものは残した。

さあ君たちはどう生きるか そう 投げかけられてるような気分になった 。これは個人の感想です

さら個人的感想を述べていくと、宮崎駿 眞人さん好きすぎんだろ。作品 全部つぎ込んで 真人さんへのお手紙 じゃん こんなん。

スタッフも豪華。

まだ宮崎駿さんはご存命だけど、献花に近いような作品だと思った。

すべての関係者への感謝と、

伝えられなかった思いの言語化と、

まるで遺書

わたしもいつかこんな遺書が描ける人間になりたい。

人生何周してもたどり着けない気がするけど、思うのはタダですから

2023-07-23

君たちはどう生きるか」じゃねーんだよ。

もはや、「俺たちはどう死ぬか」って年齢なんだよ。

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