はてなキーワード: ホッテントリとは
http://www.tsuwari-hanako.com/entry/dannna
という人気記事を見て、悪い方だと予想していた、というブコメが多い。
そこで念のために、ググってみると、「言動」という言葉の用例では、辞書では悪い方の用例ばかりが見つかる。
「軽はずみな言動を慎む」
「言動」は、主として他人から見た、人の言葉や行為。それも何か問題があるときにいうことが多い。非常に具体的な言葉や行動をさす
ここで「何か問題があるときにいうことが多い」と記されているように、悪い意味の行動に使うことが多いものだ。とすれば、タイトルを読んだ人が悪い方向に予想しても、当然のことなのだ。
なお、普通の書き方をするなら、こうだろう。
内容がない。ブログ本編に限らずそのブコメも「参考になります」「最高です(笑)」「よくわかりますw」といったものばかり。いつも同じ人同士でブクマしあっている。
鬱陶しい。
そうして互いの承認を得ることはすなわちモチベーションを得ていることとほぼ等しい(そのモチベーションの先にはアフィリエイトでの金欲が大きいのだろうとは感じるが、それも否定するものでもない)。
時たま、互助会の外からブクマする人も出てくればモチベーションと流入数の正のフィードバックも得られるだろう。
互助会の中にもきっと様々な理由でやめる人も出てくるはずであるから、続けていさえすれば相対的につまらないものが淘汰され、そのうち文才を花開かせた者が私を、あるいは社会を楽しませる記事を書くようになる可能性も当然ある。たとえ今、ブログの中身がスカスカであろうともしかしたらという将来を見ればすぐさま否定する必要もないだろう。テキストサイト時代、Flash時代、YouTube時代、何度も繰り返されていたことだ。
が、ここしばらく(1週間程度)露骨に商品やアプリの紹介を始めた互助会ブログがいくつかある。テメーらはダメだ。つまらないだけでなく、ホッテントリにつまらないものを垂れ流すのだから。
と怒りを感じたが、こうして文字に起こしてみると何に怒っているのかよく分からないのである。私が何に怒っていたのかを心の中で整理し直すと、単純にステルスマーケティングやアフィリエイトに対する忌避感が中心にあるようにも思うが、それは上に書いたようにモチベーションの一つとして否定する気はない。美学の問題とまとめることもできる気がするが、美学こそ誰と共有できるものでもなかろう。
それにホッテントリにつまらないものが流れたからといってなんだというのだ。そもそもホッテントリなんてものを見るほうがおかしいのかもしれない。よく、はてブは気に入ったブックマーカーをお気に入りに入れるのがよい、という意見を見るから、それを実践していない怠惰な自分がいけないと考えてもよいはずだ。そもそもつまらないならはてブなんて見ずにいつも通りPCから離れて本でも読めばいいのだ。なぜとやかくいう必要があるのか。
互助会が互いをブクマすることでブクマの価値の基準を根幹から変化させるのがいけないようにも思う。
10回匿名ダイアリー書いて、だいたい3つくらいは200user越え、1つは500越えくらいのブクマがつく。
そんなレベルで、匿名ダイアリーでたまに記事をかいているんだけど、ホッテントリ入りするには記事の勢いがやっぱ大事だね。
大体投稿してから6時間くらいで200userくらいのブクマがつけばホッテントリする。
で、ホッテントリに入ると承認欲求が高いヤジウマの化身がわーっと自説を書き綴るから、そこで追加で300userくらい追加される。
序盤にブクマする組は割と記事を読むけど、ヤジウマ層は本当にちゃんと記事を読まない人の割合が大きくなる。
みんなとにかく自分の特別感出そうとしてるんだなってが見えて結構おもしろい。笑
あと、主語の大きさが流行ってるけど、キャッチーなフレーズで多数派に届かせるには効果的な方法だから、
https://www.youtube.com/watch?v=PDSkFeMVNFs
やっとクソを漏らしたかい
それなのになぜ皆に報せやしないんだい?
「くさいよ」と怒る君
これでもやれるだけ漏らしてきたんだよ
十年かかってキャズム越えてきたんだよ
ホッテントリ食い込んで離したくないよ
遥か昔から知る そのノリに
2016年の今 何を言えばいい?
そのぶきっちょな書きぶりをめがけて やってきたんだよ
これでわんわんワンパークいなくなって 上場廃止なったって
もう迷わない また1から書きはじめるさ
何億 何兆個分のスパムがやってきたんだよ けどいざその惨状この眼に映すと
恨み言ばかりの常連まで愛してみたいよ
そのかがやき壊さずに どうバズらせばいい?
そんな脳が壊れた僕らを誰が止めるというんだろう
ウォーウウォーゥウォーウ(スコティッシュ・テリアやコーギーのコーラス)
もう迷わない また1から流しはじめるさ
何十周年でも このクソを流しつづけるさ
会社で朝ぱそこん開いてまず増田を開いて昨日書いたのにブクマついてないか一覧からチェックする(もちろんはてブアドオン導入済み
次にホッテントリを開く
記事自体が気になるものは元記事を開き、そうでないものはブクマアイコンをホイールクリックしてブクマページを開く
がーーーーーーっと開く
昼休み中にまたがーーーーっと開く
帰り際に見きれなかったものについて日付をつけたお気に入りブックマークフォルダに保存しておく
こっからが本題
そうやって見きれなかったブクマフォルダが最古では6年前のものがあって、今見るとすごく感慨深くておもしろいよ、という話ですた
@nifty:デイリーポータルZ:スーパーで普通に買えるうまいもの
今見てもわくわくするようなエントリだね
・・・ていうのを考えた(まだ作ってない)。
がいしゅつかもしれんが調べてない。
日々はてなブックマーカー達の繰り出す大量のブコメ。
ヲチしてこんな記事あんな記事にどんなブコメをつけているのか覗いてみたい。
気に入ったブックマーカーを落ち着いてお気に入ればよい。
俺の知りたいのはそれほど知られてはいないがひとたびブコメしたならばたちまちにして大量のスターを集めるようなブックマーカーだ。
運動瞑想野菜30gプリントアウト恐ろしい恐ろしいダジャレしいたけメガネカレーハゲ添削ホワイトボード謝罪二才などのブランディングもしないから個として認識できるチャンスも少ない。
30gとタイポすれば即座に350gだぞと本人とは無関係な第三者に突っ込まれるようなこともない日陰の存在である。
しかしそのブコメは高クオリティゆえ、名前やフォロワー数や惰性や日和見や互助ではなく、内容でスターを集める。
そのようなブックマーカーを網羅的に見つけたい。
彼らは次のような式であぶり出すことができると考えている。
打率っぽくするなら
であろうし、それならばいっそOPSも出そうかと欲が出る。
OPSは出塁率+長打率だがブコメにフォアボール等はないので出塁率=打率と考えるならば、打率+長打率でOPSも算出できる。
ランキングをお気に入られ数やコメ有りブックマーク数でフィルタリングすれば「隠れた名ブックマーカー」があぶり出されるであろう。
互助会ブコメは安定してスターを得られるがひとつのブコメで大量にスターがつくこともないと仮定すると打率ランキングにはあがってくるが長打率ランキングにはあがってこないはず。
このふたつを見比べることでフィルタリングできるのではと考えている。
カラースターの扱い、複数スターをつけた場合の扱い、そもそもスターがつくかつかないかはタイミングや運もあるし細かいことを言い出せばきりがないがとりあえず無視する。
欠点としてはスターの数はブクマの質を担保しないという点だが、欠点を意識することで欠点はカバーできるであろう。
できあがったランキングをざっと眺めてあまり使えないことが判明し(求めるような侍ブックマーカーがそもそも居なかった、そもそもあぶり出されたユーザはすでに何かのときにブコメが気に入ってお気に入れたユーザばかりだった等)愕然とするかもしれないがそれもまた一興である。
大学生、男です。
自分は友達とごはんに行っても、割り勘したことがない。男女関係なく。
2人だろうと、6人だろうと、いつも自分の食べた物の金額分だけ払う。
もちろん混雑時は、会計別々だとお店の人に迷惑になるから、基本的にテーブルでお金をそろえてから行く。
ぴったし持ってないときはちょっと多めに。会計する人が数十円得するくらいかな。
学部の友達と行くときも、研究室の人と行くときも、サークルの先輩や後輩と行くときも、誰が何か言うわけでもなくいつもこうやって会計する。
(もちろん、社会人や教授と行くときはご厚意に甘えて、出していただくこともある。)
ときどきホッテントリで『男がおごるべき』みたいな記事に、「割り勘だろ」みたいなコメントが多くつくがいまいちピンと来ない。(社会人でなく大学生の記事でも割り勘が多い気がする。早稲田とか慶応とか東京できらびやかな生活してる人が割り勘してるイメージ)
ただ、お酒の匂いがだめで、サークルや研究室の飲み会(だいたい3000円とか定額)以外で居酒屋に行ったことがない。(割り勘って居酒屋でするやつなのか…!)
金曜日に、ホッテントリに↓の記事が上がってて、読んだ人は多いと思う。
4ヶ月で大学を中退し起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。
http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000
40年前ならヒッピー、30年前なら新興宗教、20年前ならマルチ商法、10年前ならバックパッカーやってたような層が2016年にやるのがブログで起業なんだろな
「おかしなセミナーにハマった息子が起業するとか言って大学を辞めてしまいました」 そろそろ被害者の会が結成されそうな予感(ワクワク)
おいおい。楽な方に楽な方に流されてるだけじゃん。挑戦でも何でもない。ただの逃避だ。あと書いてる事が全てポエムでしかない事に気付いてるんだろうか。
煽りブロガーにいいように洗脳されてるように見えて、個人的にはモヤモヤするなあ。皆似たようなこと言って同じようなことやってるから区別がつかない。
意識高い高いし過ぎて、胡散臭い人脈にハマってしまったようだな。なぜ起業と中退がワンセットなのか、学生のまま起業すれば良いじゃ無いか・・・
まあ俺も、この人が成功しそうには思えないし、痛々しいなぁって思うよ。
レールに乗りたくないっていうけど、名前もきいたことない大学に入ってる時点でこいつはまずレールに乗れてないからな。
それに、「挫折」体験とかいうのが高校の部活の話で萎えた。しかも何が挫折なのかよくわからんし。企業の就職面接における自己PRで「サークル」の話をしても、じつは採用担当には全くウケないわけだけど(とはいえサークルとバイトぐらいしかネタがない学生が大半なんだけど)、多くの大学生は世間を知らなくて、その話題が社会人にとっていかにつまらんかを想像できてない。そこへきて高校の部活かよ、と・・・。
他にも言ってることがいちいち、凡庸そのものなわけ。ブログカレッジ()界隈の定番クオリティって感じ。
それでブコメで叩かれるのはよくわかるんだ。
でもよく考えたら、俺だって18歳の頃は似たような感じで迷走してたわ。
高校はけっこう偏差値が高かったんだけど、大学いくのダルかったから、卒業後は微妙なIT系の専門学校にいって時間つぶしてた。
IT系っつっても、俺は起業とかはまったく目指してなくて(今みたいにWebサービスとかスマホゲームのベンチャーみたいなわかりやすいモデルもなかったし)、言うのも恥ずかしいんだけど、漠然とゲーム関係のクリエイターのようなものか、つながりが変なんだけど作家みたいなものを目指してた。今は自分でもバカだなって思うし、むしろ意味分かんないぐらいなんだけど、とにかくそんな感じだった。
でも大した努力はしてなかったね。要は、面倒なことから逃げてただけ。そして努力から逃げるための言い訳として、「他のやつと同じように無難に大学行って就職するなんてダサい」みたいな妙な美学が自分のなかにあったんだよね。
その時のマインドは、けっこう↑のやつと似てるかもww
まあ似てないかも知れないけど、安易に↑のやつをバカにできない程度には痛々しい若者だった。
違うところがあるとすれば、もともと勉強はできるほうだったことと、周囲に埋もれるタイプではなかったことかなぁ。
ただそれも俺の場合は悪い方に出てたね。タチが悪いと自分でも思うんだけど、それなりに偏差値の高い高校を出てるから、心のどこかで専門学校の周りのやつらを見下してるところがあった。地元の専門学校だったから、俺の高校名を聞くとだいたいみんな知ってて、「えっ、その学校からなんでここに?」みたいなことを言われる状態。しょうもないけど、ちょっと数学っぽい話になったときとか、難しい漢字が出てきたときとか、俺しか分かる奴がいないみたいな場面がたまにある感じ。
そうすると自分がなんとなく、選ばれた人間みたいな感覚を持ってしまうんだよね。しかも、もともと小さい頃から「あいつは変わってる」みたいに言われることが多くて、要は個性的な少年だったこともあり、「俺はとにかく、何かで成功するはず」みたいなイメージを持っていた。
高校の同級生は、旧帝〜駅弁ぐらいまで幅はあったけど、まあふつうに大学に行ってて、たまに集まると俺は何をしてるんだという話になるわけだけど、「変な道に進んでるけど、俺はこれでいいんだ」みたいなことを語ってた気がする。
しかしその学校に入ってしばらく経つと、自分には特に目立った才能がないことがだんだんわかってきたのと、「努力から逃げているだけ」ってことにも気付いてきて、焦りを感じ始めたな。あの頃は苦しかった。同じ学校の、バカにしてた同級生がなんかのコンテストに入賞したというのを知ったり、同じくバカにしてた先輩がけっこういい会社に就職したと聞いたり。
それで俺の場合は、↑のブロガーのように起業とかをするのではなく、色々考えた結果、レールに乗り直す方向に行きました。
学校は中退して、受験勉強して大学に行くことに。さすがに私学に行くのは親に悪いと思って、実家から通える国立に行ったんだけど、専門学校の入学金とか授業料ってけっこう高かったから、親のスネはかなりかじった感がある。
↑のブロガーは大学がつまらんと言ってるけど、俺の想像ではそれは偏差値の低いところに楽して入ったからであって、ほんとは大学ってけっこう凄いところなんだよね。いろんな専門の人がいるし、教授の中にはその分野では世界的に有名な人とかもいるわけ。
それに勉強って、やり始める前はダルいんだけど、やってみるとどんどん視界が広がってきて、あれも知りたいこれも知りたいってなるんだよね。
「レールに乗る」とかいうけど、一回乗ったら終わりじゃなくて、案外「乗り換え」のタイミングが何度もあるんだよ。そして大学に入った後のレールって、1番線から3番線みたいな狭い範囲じゃなくって、100本、1000本って単位であるから、ほんと自由だし、自分自身の工夫や努力やリスクテイクが試される世界だと思う。
さっき偏差値が低い大学をバカにしたけど、偏差値が低いところでもある程度以上まじめにやれば、似たようなもんだと思うわ。
それで俺は結局、親のスネをさらにかじる方向、つまり大学院にも行くことにした。修士で就職するかどうかは迷ったけど、結局博士課程まで出て、今はそこそこの大企業で材料系の研究職についてます。博士課程ぐらいまでいくと、レールに乗っても電車は勝手に動いてはくれないというか、レールが途中で切れているような世界だから、もはやレールに乗るとか乗らないとかいう概念はどうでもよくなって、努力するしかない。
就職したときもさ、そりゃ起業する人に比べれば安全な選択肢だったかもしれんけど、レールに乗ったまま楽に進んできたとか、レールに沿って決められた行き先に流されるように辿りついたという感覚はなかったなぁ。そして今も今後もけっこう競争があるから、気を緩められない。
振り返ると、高校卒業時に「レールに乗りたくない」と思って大学受験を回避し、これはまずいと思って「レールに乗りなおそう」と大学に行き、行ってみたら「レールが多すぎてカオス」な状態を経験し、しかも自分で選んだレールを少し進んでみたら「レールに乗ってても電車が進まない」、そして「レールが途中で切れている」みたいな世界に至って、ぜんぜん安易ではないところに来てしまったわけです。
なんていうかさ、冒頭のブログ主がいうような「レールに沿ったつまらない人生」って、どこにあるんだよって感じがするわ。
冒頭のブログとそのブコメを読んで、俺がまずブログ主に言いたいと思ったのは、「レールに沿った人生」ってそんなわかりやすいものはどこにもねーよってこと。
このブログ主は、大学に行って企業や役所に就職する人たちを「レールに沿ったつまらない人生」とか言ってバカにしてるかもしれんけど、それは視野が狭い。大学に行って就職するのって、そんな単純なものではなくて、いろいろな自由や不安や試練があるものなんだよ。俺は研究職だけど、事務職でも営業職でも、付き合いのある範囲で聞いてると、同じように自由や多様性があるように思える。
それでブコメの人たちに言いたいのは、「べつに18歳ぐらいなら血迷っててもいいでしょ」ってこと。俺は↑のブログ主が、起業で成功するとは思えんよ。まぁよく知らない人だから、ひょっとしたら成功するかもしれんけど、直観的にいえばこいつはダメだろう。
だけどまだ18歳だぜ。このぐらいの年齢で多少血迷ったことを考えるのはむしろ健全なことだと思うし、俺みたいに後からレールに乗り直す道だってあるんだよ。社会人になってから大学や大学院に行く人だってけっこういるでしょ。
ブログ主を叩いてる人たちだって、多かれ少なかれ若い頃に迷走してるんじゃないかと思うし、むしろ迷走した経験のないやつの人生なんて厚みが足りないとすら思うよ俺は(半分は自己正当化だけど)。
双方に言えるのは、キャリアって今の日本でもけっこう多様なんだということをあまり認識してないってことかな。それを認識してたら、こんなブログを書くことも、こんなブログに過剰反応することもないはずだ。
(追記)
あと↑のブログへのブコメを見てて気になったのは、「好きにすればいいけど、親に頼るなよ」とかいうコメがチラホラあったことかな。
べつに、頼れるなら親に頼ったっていいでしょ。経済力があるなら。
それに、外野がいくら「親に頼るな」「自己責任」なんて言ったって、親はなんだかんだで、子どものサポートは最大限したいと思うもんだと思うよ。
俺はまだ子どもが小さいけど、こいつが大きくなって血迷った選択肢に走ったら、「おいおい落ち着け」と一応は言うものの、心のどこかで、「俺の財布が尽きるまではセーフティネットになってやろう」って考えると思う。
俺は自分の親のスネをかじりまくっていて、けっこう負担をかけたと思うけど、どっちかというと親は息子の成長ぶりに満足げに見える。だから俺はその恩を、親に返すというよりは、むしろ自分の子どものわがままを聞いてやるという形で返していきたいと思う。
気づいたら総合トップにいて、本エントリへもブクマがたくさんついていた。まとめると、
というのが主な反応。なるほど。
彼のブログの続きをみると、一応、Webサービスの開発に挑戦しているみたいなので、「起業」という名の「アフィブログと有料サロン」みたいなビジネスモデルに走らないことを祈る。
あーあ、バイトめんどくさい、、
愛想も枯れたよ。
チーフも厳しいし、、
先輩も私の扱いひどいし、、
なーんも良いことないや、、
新商品出せば忙しいし、土日は潰れるし、、
憧れだよね。
私達国民を無事次の惑星まで届けてくれる大事な任務を全うしてらっしゃるの、、
SELA23が恒星に照られエメラルドグリーンに染まるの見ながら手を繋いでさ、、
ペットショップでサンフリッチの種をかじるモルタリン見てはしゃいだり、小動物しかいない星の生き物はホントかわいい、、
大河さんが無事でいられるようレリプスイ神の重力波を宿したお守りあげたりね、私のバイト代2ヶ月分だけど、それだけ気持ち伝わると思う。
お父さんのDNAがレリプスイ神5%入るようデザインされてるからそのツテで安く買えないかな。
その娘の私には産むときの資金不足でDNAに神様入れられなくて暗記量が高いS703系のウサギだけとか、、、
ホント神頼みも良いところだけど神様も忙しすぎて金で動くとか神も仏もない、、
ちょうど明日は2222年2月22日だから良いことあるかも、、
単に自分が知らんだけで,すでにあるかもしれない。上ほど緊急性・重要性が高い。
1.アルミホイルを噛んだときに感じるクオリアに対応する擬音 → 歯が○○○○する
2.イクラちゃん・ドラえもんの足音に対応する擬音 → ○○○○
3.おっさんがするくしゃみの「ハーックション!,…ちくしょう!」の「ちくしょう」に該当する部分の名詞 → ○○○○
4.言いながら,すでに言ったことを後悔し始める現象 → ○○現象
5.大してエロくもないページ・動画シーンで絶頂してしまったときの気持ち(形容詞) → ○○しい
6.コミュニティは狭ければ狭いほど,掟が強ければ強いほどその結束力を増す → コミュニティの○○性
7.うまく聞き取れなかったとき,でもとりあえずしておく返事(名詞),または返事をすること(動詞) → ○○(する)
8.あえて本気を出さないことで,「これは本気じゃないから失敗するのは当然」と保険をかける行為 → ○○を○○る
9.ホッテントリを読んだ後ブコメを見たら,多数派が自分の意見と正反対だったときに,さも自分は多数派だったかのように記憶を上書きし,スターを付ける人間(主に俺)につけるべき俗称 → ○○○○○
はてなブックマークのコメント欄はそうした安心して叩ける悪者に対する憎悪に溢れている。
有用性も社会性も意義も思想もゼロな記事が、ただ空っぽである、ただ憎々しいというだけで「今日の読まれるべき記事一覧」であるはてブのホッテントリに並んでいる。
記事の内容もヘイトなら、コメントしている人間たちもヘイトだ。
こんな世の中、与作も木を切るはずだ。ヘイヘイトー。
そうじゃない。
はてなには暖かくて役に立つ人気記事もいっぱいある、と言う人もいるかもしれない。
ほんとうか?
ほんとうにそうか?
あなたの胸に手をあてて、考えてみてほしい。
そのほのぼの記事はヘイト記事の跋扈を撥ね付けるほどに多いか?
荒んだ現代人の心を癒せるほどの涙か?
あなたは自分のこどもに毎朝はてブの人気記事一覧を見せたいと、正直に言えるか?
もうやめよう。
もう誰かを憎むのはやめよう。
しょせん人はわかりあえないし、あなたは誰かを論破できるほど賢くない。
でもそれはあなただけじゃない。
みんなそうなんだ。
みんな死ぬ。
だから、せめてその日まで穏やかに過ごそう。
増田にコメントする人はID開示されてるから、2ちゃんでいうとこのコテハンだよね。
2ちゃんでコテハンとるのは難易度高いけど、ここはIDさらして書き込むのは普通だもんね。
増田にコメントつける人って、じつは2ちゃんでコテハンの人なんじゃないかと思えてきた。
2ちゃんねる使ってた人でいま、はてなユーザーって人たくさんいるんじゃないかな。
かくいう私もそうなのですが。
雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。
試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。
ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。
カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。
正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。
その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。
「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。
その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。
親だって周りの親族だって「あいつはカエルが好きなんだな」程度の認識しかなかった。
カエルが流されるのを可哀そうだといっても、感受性が豊なのね程度だった。
大学生の頃に生態学の研究で同じようなことをやったら田んぼのおっさんに叱られた。
不審者なんだとさ。
世の中そんなもんですわ。
追記
みなさんが生きていく上できっと袖振り合わすこともないであろう「側溝の中の人」について紹介しておくよ!
例えば「全国小動物保護側溝研究会」とか知ってもらえればうれしく思います。
こういう側溝に落ちる動物なんかを研究しているところは結構あるので、ぜひ覗いてください。
ちなみに僕は「全国小動物保護側溝研究会」の中の人ではないので悪しからず。
さて、特定される可能性もあるからかなり端を折ったけど、小学校の研究について少し補足しておくよ。
身バレするかもだけど、そうなったら余生をひっそりと側溝で暮らします。
カエルに注目していたけれど、側溝で流されるのはカエルだけではないことが分かった。
流されてきたものを挙げれば、昆虫などが一番多く、次いでモグラなどの小動物が多かった。
側溝の15cmの水深で溺死する人もいるくらいなわけで、雨水を流す側溝はなめたらダメだ。
そして意外にカエルは途中でどうにかしてた。
落ちた動物での死亡率で言えば、モグラなどの小型哺乳類はほぼ100%に近い値で死に至っている。
カエルやヘビの類は結構自力で何とかするから案外側溝に落ちた場合の死亡率は低いというのはわかった。
(あの時、実験のために側溝に落としたヘビさん、ごめんなさい)
したがって、カエルだけを救済するような道具では生態系のレベルでみたら「ほぼ役に立たない」というのが結論だった。
小学生の頃に示した研究の余地は「モグラなどの小動物はカエルだけに着目した道具では助からない。
生態系という広い目で見た場合には側溝の構造そのものを変える必要がある(くぼみを作って水が滞留する場所を作るなど)」といった感じ。
先生は、この「ほぼ役に立たない」という結果と「側溝の構造そのものを変える必要」という提示に対して「こんなの研究じゃない」と判断したんだと思う。
思うに、結果は必ず成功したものに限った話じゃなくて失敗だって研究結果なんじゃないのかと。
こういう失敗があるからこそ、同じようにカエルを救ってやろうとした人間が、僕のような失敗例から学んで側溝がブラッシュアップされていくんじゃないのかと。