年齢=彼女いない歴のままもうすぐ魔法使いになろうとしている。
彼女が欲しいとか言っているうちは、彼女は出来ない、「彼女」の部分に具体的な個人名が入らないうちは彼女なんて出来るはずがない、という言説は、どこかのデジタルノベルで読んで以降ずっと心に残っている。それ以降もいたるところでそういう言説を見てきた。「彼女が欲しい」とか言っているからこそ、それを見透かされてモテないのだと。
特に好きな人が居ないにも関わらず、非モテが彼女を求める理由は、自分に対する劣等感だと思う。なぜ、劣等感が生まれるか。それは、いい年で童貞だったり、女性と付き合ったことがなかったりする人は、人間として何か欠陥を抱えているのではないかと、そう思い込まされる世間の空気があるからである。自分の周りにも年齢=の同級生はそれなりに居るが、その人達も、恋愛して、彼女作って、結婚して、子供を作ってやっと一人前、というような周囲からのプレッシャーに苦しんでいる。自分の周りにいる上の世代の人間に至っては、彼女がいるのが当然であり、いい年で彼女が居ない人間がいることをそもそも考えていないようにすら見える。高校を卒業した辺りからそういう空気に曝されながら十年近く経った。抱えている劣等感は日毎に増して相当な大きさになった。そしてこの劣等感をどうにかしようとして「彼女欲しい」とか言い出して余計にモテなくなってさらに劣等感が膨れ上がるというスパイラルに陥っている。
この劣等感から誘導される良くない方向の恋愛に対するモチベーションは、たとえ恋愛がうまくいっている時ですらネガティブな影響を与える。
自分は最近好きな人がいる。好きな人が目の前に現れたことで、冒頭に書いた、具体的な個人名が入らないうちは云々という話が実体験として理解できた。これまでの恋愛経験値が低すぎるから、まだ付き合うところまでは辿り着けていないが、これまでに出会った女性の中では最も仲良くなれた。しかし、その人と遊んでいる時ですら、膨れ上がった劣等感の呪縛からは逃れられなかった。二人で一緒に出掛けている時、純粋にその人と一緒にいるのが楽しいと感じている一方で、二人で一緒にいるところを皆に見られて、人として劣等な人間ではないのだと認めてほしいという、そういう想いも抱いていた。そのような状態で、付き合おうとするのは相手に対して本当に失礼なことだと思う。だが、この十年間の間に抱いてきた劣等感はもうどうすることも出来ないのである。この劣等感を消滅させるのはもはや不可能なことのように思う。
未婚率はどんどん上がっているみたいだし、これから世間の空気も変わってくるのかもしれない。後の世代は周囲からのプレッシャーもマシになるかもしれない。そうなれば、恋愛はしたければすればいいし、無理にしなくてもいいという雰囲気になるのではないか。そうなれば、したいときにする恋愛も今の自分の状況に比べたらもっと幸せなものになると思う。だが、世間の空気がどう変わったとしても、既に劣等感を抱いてしまった非モテの心はもう変わらないのだと思う。こじらせた非モテは幸せな恋愛が出来ない。
長文すぎて読んでないけど、今の時点でももはやプレッシャーなんてないだろ なんせそういうプレッシャー掛けてくるアホはセクハラって考えが定着しつつあるから DQNな職場だとまだあ...
一連の議論を眺めていて、弱者男性の定義は不明なままだが、多分いかなる定義にも今の自分は当てはまってないと思う。一方、非モテ方面の議論であれば、かつての自分は非モテだっ...