はてなキーワード: パージとは
元記事のブコメでも「私が知ってるのとは違う!」が沸いてるように、これちゃんと本にしないと納得させるのは難しいんすよ。
「年齢とネット使い始めの年齢が異なる」ので世代論にするとおかしなことになるんだけど、摂取した作品が年齢をリンクしてるので、分けて書くのもちょっとテクがいると思う。
あと、「昔のやらかしを忘れてる(隠してる)」、「個人個人のPCスキルが異なる」「2ch以外ではみんな割と趣味嗜好でバラバラなコミュニティーにいたので場所場所で様子が違っていた」ってあたりも難しい理由か。
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あと備忘録として、98-2000年代ぐらいの様子を元記事のブコメを見つつ書いていくと
・ iらんどや前略が出るまではレン鯖借りてHP作るのは、FTPみたいな多少のPCの知識が必要なことだった。敷居は高いけど、できる人にとっては「解説見ればできるし簡単」ってなっちゃうんよね。ブコメで簡単って言ってる人はこの辺抜けてると思う。
・ Mixiが出てくるまで、男女がクロスオーバーするデカいオタクコミュニティって2chか、フォロワーのスレッドフロート式掲示板(一億年ぶりぐらいにこの単語書いた)群ぐらいだったと思うんだけど、当時から便所の落書きって言われてるぐらいひどい場所なんで、そりゃひどい目にも遭うとは思うし、そこでひどい目にあったって言うけど、ひどい場所って分かってて書いてたのでは・・・?とおもう。記憶抜け落ちてるんじゃね?って思うのはその辺。
・ 2ch以外の作品サイトはそもそも男女住み分けされてるか、デカめのファンサイトは何度かの学級会を経てちゃんと自治されていて女子が排斥されるみたいな現象は数えるほどだっただろうと思う。少なくともムーブメントではない。(むしろ掲示板の自治()みたいなのがよく議論されてたよね)
・ というか、Mixi以前のネット利用で排斥された!って言ってる人、半分とは言わないけどかなりの割合でやらかししてたんじゃねーのとは思う。黒歴史だから書かないのはわかるけど、当時アレな掲示板の書き込みを繰り返してる人が、適当な理由でパージされてるのは何度も見てるしなあ。
・ 元記事の実感は自分の感覚ともかなり近い。特に2chの掲示板>スレッドの仕組みで、同じ掲示板で住み分けがしやすくなったってのは結構いい線いってる見方だと思う。Webの歴史本とかに書いてても違和感はない。あの形式の掲示板、ある程度話題が発散しやすい掲示板ではよく使われたよね。
・ 「2chで息をひそめて活動してた」って言うけど、どのスレで何話してたのよ。そもそも男女問わず作品スレで自分の妄想語りしたら今でもあたおか認定だろう。あと他ブコメでもあったけど、そもそもコテハン使うだけでたたかれてたんで、パーソナリティを匂わせる書き込み自体が叩かれてた+性別を匂わせない文章が男言葉になりがちのもある。(これはすごく良い指摘だと思った)こういう「迫害されてた」的なのって、単にコミュのルールがキツかったのを年取って記憶が薄らいだせいで勘違いして、認知が歪んだんでは?と思うのだけど。
・ 「キャラが処女かどうかで言い争うのは「やらかしてない」のにちょっとでもBL臭がすると「やらかしてる」扱い」って言うけど、作品スレでキャラが処女かとか書いたら普通にあたおかでは・・・?処女議論スレとかはありそうだけど、そこはスレで住み分けしてたんだろうと思う。というか、BLについては、腐女子側が割と「外に出すな」って学級会してるんじゃないの?伏字文化とか。
コクーンはパルスに浮かぶ、ファルシがクリスタルの力で築いた都市。
ファルシはクリスタルを内包しており、人類をパルスから守るためにコクーンを築いた。
外なる異物とは聖府にパージされるパルスのファルシが生んだコクーンに属さない物。
ルシはファルシからビジョンによって伝えられる使命を果たせばクリスタルとなり、果たせないとシ骸という魔物になる。
召喚獣はルシを救うために現れる。
こんばんは。
エルマ族のケムチャといいます。
それで決勝までいったんですが、決勝で凄い面白いことが起きたんですよ。
なんと最終ババウのときに、クロセロがケウェーウをシャイツwwwww
まじうけるwwwwwナハウwww
ハユイwwwケスwwww
あと一つは?
使役されてる個人側の意見が封じられてるのに、組織側の一方的な「やむなく」だけを聞き入れるのは不平等だ。どれほどの情報漏洩があったのか知らないが、本件一発で厳重注意でなく契約解除にする必要があったのか、私は疑義を抱いている。Vtuber は実在人と異なり、著作権・IP に縛られて個人的な反論を発表する権利が制限されていることに注意してほしい。それなのに会社はアイドルに弁解の機会を一切与えず、お別れ会のような感情に折り合いをつける場も設けなかった。 今後は誰からも腫れ物扱いされて触れられなくなるわけだ。まるで存在ごと消されたかのように。そんなやり方は Vtuber の人格を軽視しているように見える。アイドルとリスナーの関係性を、何時でも切り捨て可能な消費材として見ているようにさえ思える。もし私がプロデューサー側の立場なら、トラブルがあった時に自分たちではなく第三者のリーク屋を頼ったことについて彼女を責めることなんてしない。アイドルの信頼を獲得できなかった、おのれの無力さを後悔するよ。情報漏洩の罰は決め事なのだから与えなければいけないけれど、一発で内容の重さに関係なくパージするようなルールにしているなら、そんな取り決めこそがアイドル軽視だ。必要なのは、厳しい選考でも徹底した教育でもなく、アイドルを大切にする環境のはず。アイドルを大切にする想い自体に価値がある。誰かを大切に想う気持ちが “推す” なんだ。私はそう考えている。リスナーも運営もアイドルも、みんながみんなを尊重して推し合うからこそ、あらゆる困難をこえて、ここまで発展してきたのではなかったか。
キズナアイのスリープが近づいている。アイ さんは眠る直前に最後のゲーム大会、Fall AIs2 を催す。
私は賑わう予告ツイートを眺めて、かの人気ゲーム、フォールガイズをプレイしていた 潤羽るしあ さんの姿を思い出していた。個人的にフォールガイズが好きで、このゲームのプレイヤーを多く視聴しているけれど、潤羽るしあ さんほど楽しんでみえるゲーマーを私は知らない。キャラコンが難しいのか、るしあ さんはホロライブの中でも、さほど上手い訳ではない。数々のショーの中でファイナルステージに進む事さえ少なかった。誰かに掴まれるたびに泣き、喚き、叫び… 落下していく。しかしそれでも「このゲームが一番好き」と言ってくれた。彼女の操るビーンズは、ぶっ飛ばされながらショーを進んでいく。何度も何度も。勝ち負けに関わらず満足するまで。彼女は感情をすべて曝け出してプレイした。彼女は笑っていた。たくさんのゲーム実況者・Vtuber の中で、落ちて脱落するときにさえ、笑っていたのは彼女だけだ。
こんにちは。アラサーの女です。何よりも嫌いな場所は職場です。
最近行きつけの美容室で雑誌の代わりに雑誌がたくさん見られるアプリの入ったipadを渡されるようになりました。
美容室としては美容百科とかwithとか日経ウーマンとか適当に選んでね、って感じだとは思うのですが、
せっかくだから、普段本屋では絶対に手に取らない雑誌を読もうと思い、人生で初めて「ムー」を読んでみました。
もっと未確認生物の鮮明写真とかあるのかと思ったけど、写真数は少ないし、サイズも小さい。
写真の拙さは文章で補っていく昭和感漂うストロングスタイルが素敵。
(個人的には読書好きなのでいっぱい読めるところあって嬉しかったです。)
②カタカナ多くね?
全ページに渡って文章の半分以上がカタカナ。8割カタカナのページも割とある。
文字ぎっしりで漢字が多いとごちゃごちゃしてて読みづらいので、カタカナ多めの方がすっきりしててかえって読みやすいかもしれない。
プラズマクラスターみたいなのがいっぱい出てくる。
文章の半分以上がカタカナなのでリアル「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」状態
これがどこまで読んでもずっと続く。
④熱量がすごい。
「なんと!!あの!!!パルスの!!!ファルシのそう、そうなのだ、そのルシが!!!!驚くべきことにパージ!!!すなわちコクーンだったのだ!!!」
みたいな感じ。
言ってる意味は全然わかんないけど、この熱量で言われると「そっか、パルスのファルシのルシがパージでコクーンなんだ。」って理解した気になれる。
(ただ、記事によっては熱量は伝わるけど分かった気にはなれないので理解した気になれるのはその記事を書いたライターさんの文章力が高いのかもしれない)
大学で研究された脳波と集中力の関係の記事(リラックスしていた方が集中できるとか)は普通に覚えておこうと思った。
転の部分で大学の研究結果を全て飛び越え最終的にはエイリアンと繋がるのはさすがムーだと思った。
⑥たまに飽きる
心霊とか生まれ変わりの記事はどの事件の記事を読んでも同じことの繰り返しで「いや、もうわかったよ!」ってなる。
途中で飽きて最後まで読めなかった。
「ムー」の特集で一気にたくさん読んで初めて心霊とか前世の記憶の話ってプロットが全部一緒だって気がついた。
ドイツとナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。
はてなブックマーク:欅坂46も立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047
なんかズルいなあ。現ドイツはナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇は責任から逃げなかった。
コイツの祖父や祖祖父の世代がナチスを指示したからナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。
ナチスこそが全ての原因で邪悪で悪魔で国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるものは排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊なもの
戦争責任をナチスに押し付けたからこそ、「我々一般のドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないかと穿った見方をしてしまう。
そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスだからな。だから謝罪も賠償もしない。外から見ると「ナチス⊂ドイツ」だけどな。
この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチスを切断処理して反省を拒否している」と言ったのではない。
前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカーは1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領は米国や米国の政体をモデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。
この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチスの蛮行の責任を戦後のドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。
この演説を岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省のモデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。
因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長や全共闘の進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説の掲載は反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。
ところで複数人で編集されるwikipediaのヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーとナチズムであり、ドイツ国民・民族も被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。
この盛り上がりに対し、ドイツ文学者の西尾幹二が文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。
「演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。
そして「日本の戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家そのものが犯罪国家で責任の取りようが無い」。
責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。
これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味に解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)
それは言語的堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズのニーチェの編纂、解説は西尾である。実態が無い〇〇総研勤務や過去論文が紀要に全くない文学研究者やバイト以外職歴不明の動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。
それ故、西尾の批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説のリテラル(文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ的視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。
但し、
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為にタッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味だからだ。
だから西尾を哲学的文脈で好意的に評価する時、こういう所は無視して、ユダヤ・キリスト教の道徳に類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。
だが西尾はニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマンに駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明なバカや宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。
90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、
とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本は交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。
フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国は自国の民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。
そして日本はそれら交戦相手の連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だから「ドイツは交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから。
こういう訳で当初は「ニーチェ研究者の文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツはナチスを切断処理して反省を拒否する立場である」という風に化けて行く。
この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾は小林やそのフォロワーが後者の言説を流布して行くのを黙認していた。
その後西尾は宗教右翼に教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。
という訳で「ドイツはナチスを切断処理して反省しない立場」節の原初は西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである。
2015年にメルケルが来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権の歴史認識を批判する場面があった。
講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。
これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。
何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水をぶっかけられたからだ。
仕舞にはメルケルは極左に振れているという噴飯ものの意見も多く見られた。メルケルの所属するCDUは保守政党である。
このナイーブな恐慌状態は集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。
ニーチェの思想に沿って生まれた解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。
当たり前だが、メルケルもドイツもナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。
西ドイツはEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国の承認が必要だった。
そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国の占領下にあった。
ソ連は勝手に東ベルリンを自分の勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。
つまりベルリンの占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーがナチスを切断処理してドイツに責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリンを首都に出来ただろうか?
そしてEUの顔役が出来ただろうか?
当たり前すぎてバカらしい。