はてなキーワード: シイとは
元記事を解説しよう。
元記事の増田と同様に、漁師の次男坊である俺は海上技術学校を経て海運業界ヘ就職している。
取り敢えず前提として、漁師の子が大型船の免許を取得しようとするだけで稀有な存在だ。
その漁村で1000人の漁師になる人が居たら大型船の免許(海技士免状という)を持ってるのは1人居るか居ないかの存在。
漁村というのは保守的な閉鎖社会かつ権威主義的で、1級小型船舶操縦士は2級小型船舶操縦士を見下す傾向にある。
漁村では口には出さないが免状の等級によるヒエラルキーは確実にある。増田の中にも漁師が居るだろうしわかるだろう。
そんな漁村で4級海技士(航海)や4級海技士(機関)を取得する者が現れたら、漁村の若い世代の中ではトップの権威を持つようになる(流石に若い世代の権威は年功序列を上回ることはない)。
多くの家では子供を教育するときに「増田さんちのせがれを見習え」が常套句になる。
海運業界で大手と言えば3社しかない。郵船、三井商船、川崎汽船だ。
その名は外の社会に対して無知な漁師でも知っている。最高クラスのブランドだ。
これはトンビが鷹を生むような話。
このことを海洋系高校の視点で見るならば、元記事で記されてる海上技術学校、商戦高専、水産高校の全生徒の中から大手3社へ就職できるのは毎年3人だけだ(そもそも就職枠がない年もある)。
元記事の増田は数万人居るであろう海洋系高校生のトップへ君臨した人間である。
手の付けられないヤンキー高から東大主席合格者が出る、5流大からメガバンクへ就職する、代アニ出でジョブズになる、漁村から見ると本当にそんなレベルの話だ。
俺のようなチンケな船乗りとは圧倒的にレベルが違う。いやマジで。
所々出る船乗り的な言葉使い、例えば「上陸する」や「2サイクルから4サイクルで燃費改善」、「100mで4000G/T」は全て妥当だ。
少なくとも業界人じゃないと出ない言葉であり、しかも漁船の船外機(エンジン)が4サイクル主流化したのはここ15年くらいの話であり、漁師じゃないと知らない(そしてバイク乗りなら4ストとかって言うよな)。
当然漁師は大型船の排水トン数の事なんかよく知らないので、漁師の経験と海運の経験双方が無いと口に出せない内容を話している。
7年で1000万はくだらないの部分は会社によって給料が違うし、そもそも俺はそのレベルに達していないので正確な判断に窮するが、そこそこ妥当性がある。
船乗りは法令上、乗船中の食事などを会社が負担しなければならないため小遣い5万円は船乗りと考えるのならばむしろ少ない。
初任給25万円(総支給額)のチンケな船乗りの俺でさえ若い頃は毎月10万から15万は遊びで使ってた。大手なのにこれは少なすぎる。節約してたんだなって感じる。
もし俺が元記事の増田の親ならば退職することを口にした瞬間必死に止める。
元記事の増田もこの点にツッコミ入れてたが、俺も盛大にツッコミ入れたい。
息子を想うのなら絶対に辞めさせない。漁村での権威を考えても息子が大手にいた方が何かと過ごしやすいはずだしな。
高額な送金もあるし。大手なら年収1000万突破は夢物語じゃないから老後も安心だ。
それを止めなかった親はオカシイと言わざる得ない。
どう考えても船乗りとして神がかった増田へ家業を継がせるか、そのまま大手に置いた方が両親は得だ。
そのどっちでもない選択をするとか俺には理解できない。元記事の増田よりこの両親は頭オカシイ。
何か質問があったら追記して返答しよう。
船乗りは3ヶ月働いて1ヶ月休むというスパンで働くため平日であっても休日なのだ。
2013/09/18/9:07追記
休暇中何やってるかといえば兄貴に呼ばれたら仕事手伝うくらいかな
2013/09/18/9:57追記
この増田にとっては漁師の家に生まれた瞬間から漁師になることが天命だった
プログラマからパソコンを奪うようなもの、自動車の整備士から自動車を奪うもの、跡取りから家業を奪うってのはそういうことなんだろうさ
そこを拾ってやらんとこの気持ちは理解できないんじゃね?
2013/09/18/10:19追記
何で海を続けなかったか?って質問が来たから言うけど、この業界かなり狭いんだよ
元記事で人間関係を悪くしたみたいな表現があったし、業界で噂が回っちゃったんじゃないかと
船はいつでも飛び込める状況だから医者がストップかけてるのかも
2013/09/18/10:34追記
船乗りには「部員」と「職員」という職の違いがあるんだよ
例えば甲板部(航海士が所属する部署。機関士は機関部)で部員のトップは甲板長だが、職員のトップは船長だ。
部員と職員の給料は100万円単位で変わってくるし、昇給率がそもそも違う。
つまり増田は就職後職員になってるんだよ。だから物凄く昇給して高級取りになってる。
2013/09/18/16:58追記
身内擁護するみたいでかっこ悪いが、資格じゃなくて就職先が凄かったパターンとか言ってる奴は自分がどういう立地条件の国で暮らしてるか冷静に考えたほうが良い
海技士免状が凄くないとは言ってないとかって反論が来そうな気もするけど、そう取られてもおかしくない発言の仕方だぞ
海技士免状試験がどれだけの科目で構成されていて、どれだけの実務経験があって初めて取得できるものか、更新は必要なのかどうかとかそういうの調べた方が良い
ここに俺が書いても良いけど、これは能動的に調べてもらった方が良い気がする
もし調べて何か感ずる部分があれば「安全運航を舐めてすみませんでした」と増田でも良いから全ての海技士免状取得者に向けて反省文を書け
僕は漁師の家に生まれた。
当然の様に跡取りとして育てられ僕自身も漁師となり家業を継ぐのが当たり前だと思っていた。
祖父や父から漁師の技術を学び取り、中学校へ上がる頃には多少の波風があろうと岸壁へ船を着けられたり、漁網の補なんてお手の物になっていた。
僕は小さな頃から「力持ちだ」と褒められるのが何故か無性に嬉しくて多少辛くても重いものを調子に乗って運んだりしていた。
家業は毎日筋トレをするようなものだから、その甲斐もあってか身体は同年代の子と比べて大きく筋骨隆々を地で行くような成長をした。
ただ僕は末弟長男であり他の兄弟は全て女兄弟であり、ちょっとだけ気が弱いところがあった。
実家のある場所は田舎なものでヤンキーがハバを利かせており、身体が大きな僕は多少の威圧感があったのかよく喧嘩を売られた。
女兄弟の中で育った僕は殴り合いの喧嘩の仕方なんてわからず(喧嘩の買い方や売り方すらわからない)、気も弱いのでいつも相手を抑えつける戦法で事なきを得ていた。
しかしある日僕は人生で初めて喧嘩で人を殴ってしまった。今でもその感触は覚えていて、拳を思いっきり振り抜いた感触は「ガボッ」といったものだった。
僕が殴った相手はその場で崩れ落ちる様に倒れ、死にはしなかったけれど歯と顎は粉砕という重症だった。
相手へ重症を負わせたことで父は学校まで急いでやってきて、怒り狂い僕を何度も殴って蹴った。父も大きいので3人の先生がやっとのことで父を止めた。
僕が家に帰るなり母は言った。「あなたはもう絶対に喧嘩をしてはいけない」と。僕自身もあの感触の恐怖がありもう喧嘩はしまいと心に誓った。
それから僕はどんなに喧嘩を売られても殴られるだけにして抵抗をしないようにした。できる限り他人へ威圧感を与えないように常に笑っていることを心がけた。
常に笑っていると人は集まってくるもので、僕の学生生活は今まで以上に充実したものになっていった。
中学3年生となって進学を考えるようになり僕はそこでも夢を追って船乗りになるための高校へ通うことにした。
色々調べると「水産高校」の他に「商船高専」や「海上技術学校」があることを知った。このどれもが卒業すると高卒以上の資格を得られた。
僕はそこで「どうせ乗るなら一度はデッカイ船に乗ってみたい!」と考えて商船高専と海上技術学校のパンフレットを自分で請求し親と担任の先生に見せた。
実家の漁村では前例がない、そして僕の母校の中学校でも前例のない進学先だった。
後を継ぐたいていの漁師の子は地元から近い水産高校か普通高校へ進学するのが定番だったからだ。
親と相談した結果、商船高専は都道府県すら変わってしまい何かあっても直ぐに行けないので同じ都道府県である海上技術学校なら良いという承諾を得た。
担任へ親の意見を伝えると「君の成績なら推薦も可能」ということなので推薦をしてもらうことにした。
実は悪い同級生と付き合いを持たなくなったので生徒会や運動部、そして勉強でそこそこの力を得ており、推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。
担任は「多少もったいないけどウチのクラスの子の枠が1つ増えたと思うのなら」ということで推薦を了承してくれたのだ。
海上技術学校へ危なげなく進学した僕は学生寮住まいだったので先輩からちょっとだけ悪いことを教えてもらいながら海の知識と技術を真面目に取得していった。
それもこれも「大型船の新しい技術を何かしら漁師家業へ活かせたら」という考えのもとに頑張っていたからだった。
実際に海上技術学校で学んだ船舶機関に関する知識と技術は、夏休み中に実家の漁船を整備する点で非常に役立った。今まで細かい部分であれ業者に頼んでいたのでコストダウンが出来た。
エンジンの買い替え時期には従来型2サイクルエンジンから新型4サイクルエンジンへ切り替え、燃費向上という結果も得られて、この流れは他の漁師の家にも波及した(漁師にとって燃費は非常に厄介な問題)。
新しく使われるようになった素材も海上技術学校へ通っていると僕の耳に入りやすく、僕は実家へ勉強の成果をどんどんフィードバックしていった。正確な数字を今はもう出せないが掛かっていた経費は2割程度下がっただろう。
就職する時期になり海運企業では大手の国内貨物船へ就職できた。乗れるようになった船も全長100m超(排水トン4000G/T超)の国内ではかなり大きい方のものだ。
日本全国津々浦々まで行けて航海中は各海域の漁船が見れ、詳しい先輩上司にその漁船の情報を教えて貰って僕は非常に勉強になった。この知識を思う存分に実家へフィードバック出来る日が待ち遠しかった。
こういった海の知識だけでなく経営や経理の重要性も社会人となってよく理解できたので、上陸の際に本屋へ行っては経営の本や簿記の本を買い込んで勉強した。
船乗りになって7年、僕は引き止める仲の良かった先輩上司や機関長、船長に頭を下げて会社を辞めて実家へ戻った。
家業を手伝いながら漁師の生の感覚を思い出しているとある日両親から呼ばれた。そして父は何度も躊躇しながら僕へ次の言葉を言い放った、
「漁師は継がせない。俺の代でたたむ。お前が中学生の頃から考えていたことだ。漁師は今後儲からない生活が出来ないんだ。すまない漁師をしてもらうにはいかない」
何を言われたのか全く理解できなかった。信じられない言葉を耳にして僕の思考は完全に停止した。何を馬鹿なことを言ってるんだこの人達はと思った。
あり得ない。中学生の頃から?今更?僕は自分の人生を漁師になるために今まで頑張ってきたんだぞ。会社辞めるのも伝えたはずだ何で?おかしいだろ。
思考が動き出すと僕の頭の中は疑問でいっぱいになった。
社会人になった僕は家業が傾いていることには気づいていた。そのため僕が戻るまではと考えて35万あった手取りから僕自身の小遣いとして5万円だけ抜き、ボーナスが出ても5万円だけ抜き(ボーナスの月は小遣い合計10万円)、残りは全て実家へ収めていた。7年間毎月だ。総額1000万はくだらない額を納めたはずだった。
海上技術学校時代も独立行政法人化したとは言え、国から金が出ていたので授業料は数千円で格安、寮費もかからない。僕の学費も相当安いはずだった。
例え僕に黙ってた漁業から大きな借金があったとしても、漁師が借りられる限界はあるし、まだ残高があっても10年以内には余裕で返せるレベルの金額のはずだ。
ヤクザみたいな借金取りが来た記憶はない。ヤミ金の筋はない。全くわからない僕が継げない理由が全くわからない。
税制対策に漁業法人化することを考えてた。銀行からの融資も受けやすくなるはずだ。同様の漁業法人化した漁師の家の情報も集め、実際に各地の漁師からノウハウを教えてもらってた。
今後は今以上に収支の負担が間違いなく減る。僕はこの家の子だ。祖父や父の堅実的な仕事ぶりを見て育った。ドデカイ賭けに出るなんて気の弱い僕には勇気も無いから大型投資とかしたりしない。
なんでだ。なんでだ。なんでだ。父さん母さんなんでだよ!なんで儲けられないの一点張りなんだよ!
1週間待ってくれよ事業計画書だって直ぐに作ってやるよ。他県では新しい漁法の研究や水質改善の研究も進んでて、それを地元の大学と一緒になってやろうよ。国の補助金も出るんだよ。
僕は皆と笑っていたいんだ。父さんも母さんも泣くなよ。僕を怒らせないでくれよ泣かせないでくれよ。いつもみたいにヘラヘラ笑っていたいんだよ。お願いだよ!!!
見えていた道筋が無くなり、どうして良いか全くわからない。父や母が引いていたレールを僕は信じて進み、そのレールを自ら強化していたら、突然その先のレールを両親は取っ払った。
数ヶ月間無職で居た僕は貯蓄も底を付き始めて再び海運企業へ就職した。新卒で入った海運企業よりもずっと小さなところだ。
だけどやる気がでない。仕事に身が入らない。つまらないミスを何度も繰り返し、人間関係を悪くして結局数ヶ月で辞めた。
次の会社も、その次の会社も同じように辞め、僕は海での生活自体を辞めてしまった。
派遣に登録をし、土木や解体などガテン系の仕事をよくやるようになったが気持ちはずっと上の空だった。
実家に居ると涙が出てくるので再就職した辺りから実家を出ていて一人暮らしを始めていた、
ただ、家事のやる気がでない。学生時代や新卒の頃は口うるさく掃除を教育された甲斐もあり、先輩上司から「お前はきれい好きだな」と言われるような人間だったのに、この頃はTVに出てくるような「片付けられない人」の部屋のようにゴミで溢れかえっていた。
どうでも良い、そんな感情が常にあり、そしてそんな風にしかできなくなった自分を嫌悪するようになった。
でも実家への送金はやめなかった。ちょっとでも両親を助けたかった。自分が貧乏しても両親に辛い思いはさせたくなかった。
ある時僕は一人の女性と出会う。年齢は同じだけど学年は一つ上の女性だ。
そこまで可愛くはないけれど妙に馬があった。その女性は賢く、僕のする昔読んだ本から得た小難しい話を黙って聞いて、更に自分の意見を返してくる。僕が学生時代から苦手だった英語が留学経験もありペラペラで尊敬できた。そんな女性だ。
いつの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。
「良い?今の状態を出来る限り維持すること。出来ないんだったら私に言って」そう頬を膨らませて言った。
こんなに素晴らしい女性と付き合えたのに僕は家事が上手く出来ないままで、職を転々としている状態だった。
ある新しい職場で比較的話すリーダーが僕に言った。「お前頭がオカシイと思うぞ。お前の様子を見ていると脳の病気を疑わずには居られない」
それから僕はよく考えるようになった。僕は頭がオカシイのかと。
彼女に相談したら少し考えた様子を見せ、数時間後にいくつかのURLを僕に示してきた。精神異常のセルフチェッカーみたいなWebサイトだ。
それで彼女と一緒に検査してみたら何処のWebサイトでも「重度の鬱」という診断結果になった。
僕は彼女に言った。「これでこのまま医者に行ったら僕は鬱を自覚してダメに成ってしまいそうだ。だから医者へは行きたくない。鬱の証明書なんて要らない」と。
彼女は「あなたが行く必要があると思った時に行けば良いんだよ」と言った。
そこから僕は何度も職を転々とする。自分を鬱だと疑いながら職を変え続けた。
僕は悪いやつだ。こんな状態なのに彼女を独占したかった。結婚したいと物凄く強く思うようになっていた。
僕の今の状況で結婚しても上手く行かないというのだ。彼女は色々と罵倒された「水商売女か?」とかそういう系のかなりひどい罵倒だ。
そして実家が結局何が言いたかったといえば「二人が結婚生活を始めてこちらへの送金が止まるのも困る」という話だったのだ。
僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。
そういうことだった僕は漁師よりも海運の船乗りをやってたほうが実家は儲かるのだった。外で金を作って実家に入れたほうが実家は安定して儲かるのだった。
僕は実家の金づるだった。全く気づいてなかった。僕の送金が両親を金の亡者に変えていた。
今まで居たアパートを引き払い、携帯電話の番号を変え、彼女以外の全てのアドレス帳を削除し、地元から県外へ僕は引っ越した。
全てにケリをつけようと精神科を受診し、やっぱり鬱だと診断されて薬を処方された。
欝だと診断された瞬間、涙が溢れて止まらなくなり医者の先生にものすごく迷惑をかけてしまった。
今は新しい仕事につき鬱を治そうと受診しながら彼女との結婚のためにお金をためている。もう海には戻らないけどね。
訂正って・・・
「4枚カード問題」について カートには ボイン シイン すうじ が書かれています。
という問題なら、立派な新しい「4枚カード問題」だろ。 古いほうが正しいという解釈は問題にはない。
問題文を読んでないのはお互い様だが、 書かれていないルールを勝手に付け加えられて、それが正しいと言われても困るよ。
今回の問題には、英字の裏は数字であるというルールは無い。 無いのが今回の問題のルールになっている。それが全て。
ちなみに、上の問題の書き方なら、まじめに答えてもトンチで答えても、答えは「A」、「K」、「5」でおなじになる。 俺はそういうほうが秀逸な問題だと思うよ。
ハズカシイイイイイイイイイイイイ
最悪でもないし、どん底というわけでもないけど、どこかに吐きたかったこと。
誰かの暇つぶしになったらいいな。
一番覚えてること。小学2年生ぐらいの時に暴力を振られたこと。
ある日の夜ご飯、ある野菜がどうしても食べれなくて、私は食卓で「これキラーイ」と言った。
食べ終わった後、私はクッションの上でゴロゴロしてた。
そしたら父が、寝転がっている私の上に覆いかぶさった。私は遊んでくれているのだと思い、うきゃきゃと喜んだ。父も、笑ってた。
でも逃れようとしても、そこから出ることができなかった。じゃれてるとは言えないほどの力だった。
「あれ、おかしいな?」と思った。なんで離してくれないんだろう?
振り向くと父は無表情で、無言で、私を縛り付けていた。
「なんだかこれはやばいやつだ」と幼い脳が察知して、本気でもがいた。そしたらスルッと抜けた。
そしたら母が「パパにごめんなさいと言いなさい!!」と、凄まじい形相で言った。
父が何に対して怒っているのか検討もつかなかった。でも「ごめんなさい」と何度も言った。喚いた。
父が私に迫ってきたので、怖くてとりあえず逃げた。そしたら父は「ゴルァァァアアア」と怒鳴りながら椅子を頭の上にまで持ち上げて私を追った。
必死で逃げたけど、部屋が広いわけじゃなかったから簡単に追い詰められた。
行き止まりの場で崩れ落ちる私。そこから見上げた、少し逆光の当たった父の殺気立った表情。振りかざす腕。
父が私に椅子を投げつけようとした瞬間、母が父を押さえつけた。
「◯◯ちゃん、部屋に戻って!!」母の声で我に返った。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」と必死に謝る母を背に、今までにない速さで階段を駆け上がった。
部屋のドアをすぐさま閉めて毛布の中に包まって隠れた(つもりだった)。でも見つかったら今度こそ殺されると思った。
心臓バクバクで、息も絶え絶えで。たまに毛布の間から目を出して外の様子を伺って。でもしばらく経っても父が上がってくる気配はなかった。
その後の記憶はない。
今、大人になってこの記憶を振り返ると、あの人は言葉で叱ればよかったのにと思う。
できれば叱らず、「なんで好き嫌いをすることが良くないなのか」を教えるぐらいでよかったのに。
なぜ、ここまで大げさなことをしたのだろう?
あの人はほとんど喋らない。なのに突然怒り出す。どうでもいいことでブチ切れる。
「父が怒った時はテーブルから離れなさい」と母から教えてもらったことがある。
そしたらテーブルをひっくり返されても、割れたガラスで怪我をしなくて済む、と。
でも覚えてる。私の好きなご飯が床に落とされたことを。私が使っていたコップが割れたことを。
それを傍観したらご飯は中断され、2階に上がりベッドで眠る。
母は定期的に怒られていた。ベッドで寝たふりをしても怒鳴り声が聞こえた。家が揺れた。
壁にはいつしか穴が開いていた。父が怒った時に殴って開けた穴。風呂のドアも割れ、ガムテープが貼られていた。
日々目にするものだったので精神的に参った。難しいことは考えられない年齢だったけど、それでもイヤな気持ちはずっとあった。
この程度でも大分つらい思い出なのに、ガチで暴力振られてる人なんて私よりも恐怖を感じてるわけで、そう思うと可哀想でならない。
こんなん言ったらキリがないけど、なんで人に危害を加えるような子供じみた大人が蔓延っているんだろう、と。
もし私が相当悪いことをして、だから体罰を受けるんだったらまだ納得できるんだけど。
好き嫌い、そんなにダメだった?
小さい頃は疑問に思わなかったけど、今思うとオカシイと思うこと。
父がこぼした食べ物や落とした物は母が拾ってくれるまで待つ。父はありがとうも言わない。
確かに仕事って大変だろうし、稼いでもらってる身だけど。父って王様なの?母って奴隷なの?結婚ってそういうものなの?
母は離婚も別居もするつもりがなかった。何度か理由を問い詰めたことはあるけど、「しょうがないよ」の一点張りだった。
父が帰ってくるのを恐れる日々、母や私が怒鳴られる日々、家が荒らされる日々。
そういうのが私の日常だった。どん底じゃないけど、平凡な家庭とは程遠かった。
父に留学を強いられた時、私は留学したくないと主張した。日本にいなきゃいけない理由があったからなんだけど、長くなるからそれはまた別の話。
父は理由も聞かず、私の腕を掴んで私を家から放り出した。17歳の時かなあ。
しばらく玄関で待ったけど、尿意を催したのでパジャマ姿で枕を持ったまま夜を彷徨った。人、結構いたから恥ずかしかった。
帰ってきたら「どこ行ってたんだ」と怒られた。いや、追い出したのあなたでしょ。トイレ行かせてよ。
受ける大学の選択の期限が迫った時、もう一度勇気を出して話し合った。
そしたら今度はテーブルとソファと棚がひっくり返った。皿を床に投げつけまくったから、床はガラスの破片だらけだった。ドラマみたいな光景だった。
今思えば、沢山写メってツイッターにうpすれば良かったなんて思う。その時ツイッターが繁盛してればよかったのに。
まあ、そうしたところで離婚が成立するとか父が逮捕されるわけでもないんだけど。
DV相談的な無料の電話に相談しても何も解決しないしね。あれ、なんのためにあるんだろうね。
でも1枚だけ隠し撮りした。当時の携帯カメラの画質がそんなによくなかったから何のこっちゃ分からない写真だけど。
そんで話は戻って、留学するぐらいなら私は死にたかったから、論争があって以来、私は勉強するのをやめた。
授業もサボった。校長や先生に父のことを相談した上で、公認で。どうせ学校でもいじめられててぼっちだったので、私がいなくなったとこで誰も困らなかった。
なんだかんだあって、第一志望の日本のまともな大学に受かって私は喜んだ。けど父が喜ぶはずもなく。紙、破られた。トイレで。
そんで外国の大学にも受かってしまった。父は喜んだ。私は泣いた。
これほど嬉しくない大学合格ってあるのかなあ、って思った。留学することになったら自殺するって心に決めてたから。
まあ留学する前に命の恩人と出会っちゃったもんだから、今もなんだかんだ生きてるんだけど。それはまた別の話で。
でもその命の恩人と知り合いというわけでもないし、もう未練がないので、高3の時からいつ死んでもOK!という状態。
だから事件や事故や病気がこっちに来ることを祈っています。病気になっても後遺症ができても日本にいられるなら幸せなので。
そのくらい私にとって海外は地獄だったので。これもまた別の話ね。
http://anond.hatelabo.jp/20130817002438
ついでなので聞きたいが、
「年収1,000万円あるくせに、●●を消費しないのはオカシイ」
というのは、何かあるか?
元増田によれば、
「年収1,000万円あるのに、酒や食事に一家言ないのはオカシイ」らしいが、
それと同様に
「年収1,000万円あるのに、クルマを買わず、カーシェアで済ましてるのはオカシイ」とか
「年収1,000万円あるのに、本を買わず、図書館で済ましてるのはオカシイ」とか
「年収1,000万円あるのに、成城石井じゃなくドンキホーテで買い物するのはオカシイ」とか
大筋納得してもらえたみたいでよかったです。
「英語でのビジネス取引を仲介するサービス」への反論については俺はこんな風に考えてるよ。
ちなみにここまでくると完全に元増田の話題からは外れるし、しかも俺ココらへんは完全門外漢だからね。
俺がもしそういうサービスやるなら、あるいは発注するならこんな感じかなという感覚で書いてみただけなのでよろしく。
反論1) 日本の英語教育は何十年も前からあるのに今さら英語話者は増えんだろ
ビジネスニーズが高まれば増えると思うよ。これは門外漢の俺でも断言できる。ビジネスニーズが高まれば間違いないです。
「仲介バイヤー」って「英語でのビジネス取引を仲介するサービス提供者」のことだよね。長いから「英語代行」にしようか。
で、英語代行とて自分たちが食える値段で仕事を受ける。当り前の話だよ。
そのことと「Web制作はオーダーメイドだから安くできない」て、関係なくない?
誤解してるのかな?英語代行業者にWeb制作なんてやらせないよ。Webの知識あれば超ウレシイし追加料金払ってもいいくらいだけど餅は餅屋だよ。
これはね、日本人に出すと40万かかる仕事が、英語代行に1案件8万、中国制作会社に12万、合計20万で済むんじゃないかとか、そういう話を俺はしてる。
単発仕事なら1/10でも、案件まるごとの発注だからこのくらいになるかと。もしこれ以上になると海外アウトソースのメリットはなくなっちゃうね。
ただ最初は数十万レベルの案件で実績積んで互いの信頼関係構築してより大きな仕事を発注できるといいけど。
現地語ネイティブで日本語ペラペラなら最強だけどそういう人は強気の価格設定してくると思うよ。
いずれにしても前述のとおり代行にはしっかり金かけないと。ここは制作でコスト削減する分のリスクヘッジだから。
そこでカネかけてでも中国、東南アジアに仕事出すのはコスト的に有りかも・・・っていう話です。
英語代行ってググると今でも結構あるんだよね。今後市場拡大するのかどうか。
Web制作者としての狭い観測範囲の中ではニーズはあると思ってて、他のいろんな業種でもそうならビジネスとして成り立つよね。
女性器はイヤラシイ形をしているが、個人的にはもっともっとイヤラシイ形をしていてほしかったと思う。
一例を挙げると性的に興奮したら女性器から最長3mぐらいまで伸びるような触手を出して男性器に絡み付き、
膣内に引き込むといった機能が備わっていてもよかったのではなかろうか。
もし実際に女性器にそうした機能があったとしたら、私は小学6年生ぐらいの色白で髪が長くて大人しい、
赤いリボンとフリフリフリルの可愛い服がトレードマークの学校一の人気者の美少女小学生に生まれ変わりたい。
そして学校で授業中エッチなことを考えたために、自分の意に反して膣内から触手がうねうね出てきて、
最初はスカートの上から膣口を手で押さえ込もうとするが、押さえつけようとしている
手の脇から触手がはみ出してきて、ついにはスカートの裾まで進出し恥ずかしい粘液まみれの触手が生々しい臭気を周囲に漂わせながら
いや、あのな。
元請けと下請けは一蓮托生だってことに気がつくかどうか?なんだよ。
今技術者不足で技術者育成とか戯けたことを言ってるだろ?同じなんだよ。
優秀な下請けは取り合いになるという事を想定していない。
ソフトウェアというのは属人的要素が大きすぎて、人が変わっただけで戦力がガクッと落ちるような産業なのに
お前の代わりはいくらでもいるんだぞ!なんて言えるわけがない(仕事もある)
つまり、下請けが技術者を長期的に育成してくれるかどかは元請けにとって死活問題なんだよ。
下請けを痩せ細らせてその上で君臨できるような産業ばかりじゃないんだよ。
馬鹿だから高い単価を払った訳じゃなくて、投資という意味もあるんだよ。
それをやらずに、下請けの人材を外資に取られまくって、技術者がいなくなってるって話は話をしてる奴がオカシイと思ってる。
払いが悪ければ人を取られるに決まってるだろ。
最初に言っとくと、オレは山本太郎とか渡邉美樹とかが参議院議員になるのは間違ってると思うし、
自民党に投票して渡邉美樹を落とせないことは制度がオカシイと思ってるし、
でもなんか、公職選挙法違反の可能性ってニュースにブコメがついてる「きっちり取り締まれよ」とか「当然取り締まるんだろうな」みたいなのは、叩き方が間違ってる気がする。
例えば、街頭演説は20時まで、選挙活動曜ビラは新聞折込その他選挙事務所・演説会・街頭演説の場でしか配れないの合わせ技で、駅前で22時過ぎてビラ配ってたから公職選挙法違反だ、だから当選取り消せ!みたいなのは、なんか違う気がする。
正直さ、それってそんなに重大なことなのか?
いや、法律は法律、どんなに世の中と合ってなくてもルールを守るのは重要で、しかも参議院議員になろうとする奴がルールを調べてきっちり守れないのはどうかしてるというのは判る。
オレも正直、立法府の構成員が法律守れないとかどんなギャクだよ、フザケンナとは思う。
でも、それとは別に今回の「公選法違反だから取り締まれ」っていうのは、叩きたいからルール探して、見つけて大喜びみたいな、なんか違う感じがしてる。
オレは、2chに「小女子を焼く」みたいな書き込みをして逮捕されるのは、間違ってると思う。
迂闊な行動で重大な刑罰を与えるのが良くないって話じゃなくて、なんか釣り合ってない気がしている。
例えば、蒲焼盗んで追っかけてきた従業員車で振り切って逃げたオバサン捕まったけど、アレはしっかり強盗で実刑で良いと思う。
強盗致傷(事後強盗?)を軽く扱えば、治安維持に悪影響があると思ってるから。
でも、馬鹿な学生が馬鹿な書込して人生狂う、みたいなのは、やっぱ間違ってる気がする。
前科持ちの高卒無職が犯罪者予備軍とは言わないけど、警官にすげえ怒られた大卒中小企業リーマンとは、世の中への貢献度合いが違うんじゃないかと思うから。
それと同じように、公職選挙法違反でも、厳しい違反と軽微な違反ってのはやっぱあるんじゃないのか。
もちろん立場として、立法府に籍をおくなら聖人君子とまでは言わんでも現状いかなる法律違反もすべきでないというのなら判る。
たとえ赤信号を無視しても当然辞職すべきだという意見の人が居ても良いと思ってる。(本来はそれぐらいの気概で臨んで欲しいとオレも思ってる)
でも、今のブコメのやつは、揚げ足取りに見えて、正直逆効果なんじゃないのかな、とも思う。
漠然と「なんか重箱の隅をつつくように叩いてる気持ちの悪いのがネットに居る、ということは、つまり正義だ!」とか言わせないようにしたい。
うまくいえないけど。
まあ、たぶん公選法違反で捕まるのはいつものようにポスター破った奴とか票を金で買ったとかハガキ集めて別人が投票して回ったとか、そんなのになるとは思うけど。後はみんな警告だろ。
ニッポンノサヨクって生き物は、日本国内で日本人が韓国人に罵声を浴びせるのをヘイトスピーチと批判しながら、韓国内で、日本人の子供が、韓国人の子供に石を投げつけられてもスルーするような連中だぞ。頭がオカシイとか、もはや常識だわ。
限定グッズ販売の徹夜列ってのを止めてくれっていっても聞きゃしない連中っているじゃん
禁止しても、滞留するだけで結局近所迷惑には変わらず、始発組との区別は難しい。
8時からしか列は作れませんって言ったって、禁止して入れないって言ったって、
8時までは近所でうろうろするわけだし。結局暴徒候補を作るだけだし。
極端なことを言えば、始発が到着する直前まで駅前で徹夜列を作られたらイベント運営側には対処のしようがない。
明らかにそのイベントの客で、イベント会場周辺の治安が悪化する。
つまりだ、近隣の迷惑を考えるなら徹夜組はイベント開催運営側が対処すべき問題なんだよね。
しかし、徹夜を是とする考え方は、せっかくの今までの苦労に逆行することになる。
まあ、解決策らしきものが、あるにはある。
3つぐらい。
徐々に効果的になるが、手間がかかる。
朝いちって言うから徹夜で並ぼうとするわけで、13時とか16時って言われるとよ、前日からの時間で断念するやつが多かろうという。
しかも、大抵ならんでっから1時間繰り上げて入れてしまうべー、みたいな判断をしがち。
ざまぁwwwとは思うが、それで死人が出たらイベント潰れるしなー
これが実は一番大変かもしれぬ。
入場券でも同じ。
つまり、限定グッズ1000個に対して、徹夜2000人、朝組2000人なら、
当たりを200と800に分ける。1/10と、4/10ってことで、朝組のが4倍当たる。
入場券なら、朝組を4人入れたら徹夜組を1人入れる、など。
まともな計算が出来るヤツなら、朝組に鞍替えする。徹夜で並ぶと4倍当たらない、4倍遅い。
問題は、朝と夜との区別をどう付けるか。
あと、一見徹夜組を肯定しているように見える。
入場券の代わりにすると、そもそも入れる前の待機ゾーンを広くとって抽選する必要がある。
インセンティブってのは、ひらたくいえば「得する」ってことだ。
それを削ってやればいい。
個人的には優先度を下げる案が良いと思ってる。
なぜなら物販イベントでも「一番乗り」に価値を見いだすバカが一定数居るからだ。
十分に量が準備されてたりとか、三日後に行っても間違いなく買えるのに徹夜する「自称お祭り好き」
なら、並ばせておいて「不利な立場」を与えてやるってのが一番効くはずだ。
イベント開催側は、電話予約のみだとお祭りにならないと思ってるしな。