はてなキーワード: シイとは
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/07/15/042614
上の記事および元記事見てて、触れられてない問題があったので、コンビニバイトの立場として書いておきたいことがある。
コンビニの仕事が90年代を比べ物にならないほど大変なものになっているのは、すでに周知のことだと思う。
FF商品や季節の商品のお客様への声かけ、売れ行きを考慮した商品の陳列および整理(時間帯ごとに変える)、弁当やパンや菓子雑貨の補充、クレームへの対応、公共料金の処理、チケット販売、ヤマトやゆうぱっくの受付、アマゾンや楽天などの受わたし、電子マネーや、店内や店頭のポスターやのれんや旗の取替え、掃除などなど、やらなきゃいけないことはすごく多い。そこに加えて、店独自の手作りポップみたいなのも作らされるし、最近じゃコーヒーまで売らされる。一週間ごとにメニューや方針が変わったりするので新情報をチェックすることも大事。30分前に来たり、残ったり。仕事はどんどん増えていく。また、作業中であってもお客様の動向に気をつかわねばならず、レジに近づいたら作業を中断して猛ダッシュ。ただ素通りしただけってことも多く、精神的にも体力的にもキツい。これを時給800円以下でやらされる。コンビニでバイトしはじめて思ったね。「テレビで見るぐーたらコンビニって、コンビニ業界が俺たちを吸い寄せるためのエサじゃねえか。話が違う」って。そうは言ってもバックレるわけには行かないから、働き続けるわけだ。
これらの仕事をちゃんとこなすには、相当の「意識の高さ」と「能力」が要求されるし、その基盤を作るための教育も重要になってくる。ところが、多くのコンビには人件費がカツカツな上に人手不足というのがよくあるから、そこそこのやる気があれば採用し、教育はレジの基本だけで、あとはやりながら覚えてね、という感じだと思う。当たりの人材を引かないかぎり、こなせるわけがない。俺はハズレの人材なので、「こんな低賃金でここまでのやる気と仕事を要求されたくねえな」という感じでダラダラやる。声かけなんて、たまにしかやらない。だって、声かけて面倒な顔されたら嫌だし、俺の心はそんな強くないし。悪いことはしない代わりに積極的に参加もしないというのがポリシー。それでもやっぱり基本的に仕事が多いのでイライラしっぱなし。このバイトはだいたい短期でやめる、急に辞める、バックれるパターンが多いが、当然だと思うよ。こういう俺レベルのハズレ店員はけっこう多い。一見真面目だけど、積極的に店に貢献するわけじゃないから、リピーターを増やしたり、売り上げや収益を増やすということ、つまり店のポテンシャルを生かすことができない。店は成長しない。
成長しないだけなら大きな問題じゃないんだ。ここに加えて、俺たちを凌駕するクズが採用されることがある。客に挨拶もできない、客がいるのにしゃべりまくる、店のものを食う、未成年に酒タバコを売る(ちなみにバレると警察呼ばれて指導が入り、下手すりゃ店がオーナーの手から離れ、本部に取り上げられる。オソロシイ)、客と喧嘩する。確実に客は離れていく。離れた客を取り戻すのは難しい。何年もかかると思う。そんなことしてる間に店は赤字に転落、頑張ってはいるけど、もうおしまい。そういう流れがある。
改善策は、ちゃんとした面接と、ちゃんとした教育と、徹底した監視。でもよっぽど人件費に余裕があるんじゃないかぎり、店長もオーナーも自分の店に出ずっぱりだから、そんなことする余裕もないわけだ。店が負け始めたらとことん負けるしかないのが、店員リスクの恐ろしいところ。
コンビニを開業しようと思ってる人は、ここも気をつけて欲しい。自分の裁量だけでは改善が難しい問題があるということを念頭において、バイトの採用には慎重になって欲しいし、バイトの質を上げたいなら、多くの人を集められるように時給を上げ、問題を起こしたらすぐクビにできるようにすべきだ。俺の給料上げてくれ。そしたらがんばるよ!
おわり
それは君が馬鹿で、ライフハック、勉強会、意識の高い飲み会で、仕事が幸せになると思ってるからだよ。
それらは「仕事を幸せに変換する」わけじゃないんだから、言ってることが意味不明で、日本語で話せ状態なんだ。
勉強会や飲み会が与えるのは、コネクションだ。(あと若干の知識)
それらがもらすものは、仕事環境の変化であって、「仕事を幸せにする」のとは違う。
結果、金や地位や承認要求の満足が得られるから、そういうものに参加するんだ。
「辛いから金がもらえる」は思想が逆だ。
目的として「金や地位を得る」を設定してるから、その過程としての「仕事が楽しい」んだよ。
(もちろん、趣味を仕事にして、それそのものを楽しんでいるものもいる)
仕事に目的を設定できない輩は、そりゃサモシイ人生を送るだろうな。
まあまあいいじゃん。
まじめに留学しようと思ってる人がこんな話信じるってか見てどうこう思うとも思わないし、
逆にこんな話信じちゃう様な奴は一度失敗して痛い目見といた方が後のためになるでしょ。
こういう話にイイハナシダナーって本気で思ってる様な人達は
どういう神経してるのか余り理解は出来ないが、
要するに宗教みたいなもんだよ。
わかるわ、可哀想だよね
事務所の売り方がオカシイだけだけど、タレントにとってはそれが全てだから
そもそもこの前の歌番組なんて、アテ振り上等って番組なことは周知の事実なのに
なんでアテ振りにしてあげなかったんだよ、って動画観て思った
叩かれるのを見て面白がってるのは実は事務所のほうなんじゃ?と思ってしまう
事務所や周囲のスタッフは、本人のメンタル面をちゃんとフォローできてるのかな
ファンでもないし出てるドラマも見たことないけど、ここまでタコ殴りにされてると
2000年台(21世紀)> それってフェイスブック(等)のことでしょ?
紙かよ。で終了。
今はもう、履歴書も職歴書も作品もネット上に置く時代。 すでに普及してるし、フェイスブックやTwitter、Blogなんかを参考にするのも当たり前の時代になってるし
なんで、紙なの?
すでにネット上で普及してるシステムを紙で置き換えようというのがオカシイのでは?
日本語が難しい。長い文が難しい。とくに、外国語を翻訳したものがキツい。
英語の場合は単語の意味でつまずくことはあるが、意味はわかりやすい。
ある文章を例にとって説明してみよう。
英語の文章だと
私は 行かない そのパーティに、 そこでは 裸の老紳士が 阿波踊りをしながら 哲学を 語る、 思い出したので 苦い思い出を、 そこで 父親を 見つけた という。
といった感じになる文章があるとする。
「あー、パーティに行かないんだ。へえ、こういうパーティなんだ。ああ、こういう理由なんだ」といった感じにイメージしながら理解できる
私は、そこで父親を見つけたという苦い思い出のある、裸の老紳士が阿波踊りをしながら哲学を語るパーティに行かない。
この場合、最後の結論を読んでから、最初にもどって、イメージをしなおさないといけない。肯定の感情も否定の感情ももてないまあま、情報をストックしておいて、結論が出てからイメージしなおさないといけない。
もちろん、読み手に配慮できる人であれば、文章を区切って、イメージしやすくるすこともできる。
例えば
私はそのパーティには行かないことにした。苦い思い出があるからだ。そのパーティは裸の老紳士が阿波踊りをしながら哲学を語るというもので、私はそこで父親を発見したのだ。
という風に。
しかし、技術書などになると英語を翻訳して日本語の長い文にするだけで満足してしまう傾向が強く、「ちゃんと文章にはなっているけれど意味がわかりにくい」ということがよくある。その手の文章に直面するたびに強いストレスを感じる。頭のいい人は情報をストックしながら処理できるのだろうが、僕には無理だ。日本語は難しい。
読みやすい日本語のフォーマットというものを作れないものだろうか。とくに技術書などは、そのまま文章にするのではなく、一度噛み砕いて文章を再構成する決まりを作ってほしい。
最初の確認の段階で1pxのズレを指摘されて、もう納期が近いですから・・・ってスケジュールの見積もりがオカシイだろ。
何回も何回も、構成を繰り返して、今まで言われて来なかった1pxのズレをという話ならわかるが、初回の1pxのズレを直せないなら、見積誤ったんだろ。
通常 数回の修正のスケジュールは織り込むだろ。逆に、修正聞かないくらい遅れ遅れになってたとして、それは発注側がわるいのか?(悪い場合も有るだろうが)
ようするにどの程度の制度を必要とする仕事なのかを確認せずに見積もりとって契約しておいて、客に文句言うなよ。
ラフな仕事もあれば1pxが必要な仕事もある。1回で終わる仕事もあれば10回以上修正する仕事もある。その辺のツメって営業がやらないとデスマーチ化するところでしょ。
たまに、無限修正を希望する客がいるけど、うちの場合は有限回の修正で、規定回数を超えたら1回毎に有料というふうに契約を落とすことが多い。1回のボリュームは問わない。指摘したいだけ指摘していいが、1回は1回。提出後7日以内に、要望を伝えてくれとか、そういう感じにしないと客に引きずられることが多すぎる。
なんにし、この業界 修正 が予算超過の最大理由だから、そこをきっちりできなければ、客も下請けもどっちもダメだろ。契約しないに限る。
人から呼ばれたので、倫理法人会っていうところのセミナーに行ってみました。
内容は数人のゲストトーカーが壇上でしゃべるという至ってシンプルなもの。
倫理法人会って名前はボチボチ聞くのでなんだろう?と思ってたんですが、結論から言うとなんてことはない、宗教もどきの右翼系のソフトな組織でした。
教団の末端支部の支部長クラスが司会進行をしたり時間調整のスピーチをするわけですが、とにかくヘタです。
言ってることに内容がない、3人代表者の挨拶を連続で聞かされたけど話の内容がほぼ同じ、持ち時間の意識がない。
内容といっても「今日は素晴らしい集まりだ」「今日のトーカーはすごい先生だ」「皆さんありがとう」ていどに要約できる、関心も感動もしないものばかりで、はっきり行って眠い。
一応眠気対策に空きっ腹で拝聴+直前にアイスコーヒーという対策をしたのですが、それでも足りないほどにうす~い感じでした。
2.開催時間も閉会時間もずれてるのに、ゴメンの一言も無いのね・・・
おそらく、初来場だったと思われる若い人数名が、本来の閉会予定時間を20分ほど過ぎた時点で途中退席。
壇上にはトリを務めるトーカーが熱弁の真っ最中で
運用側の人間の顔を見ると「ええ~!?マジで?非常識な若者だ!」みたいな視線をほぼ全員で向けるわけです。
個別に人間性が低い方も居るのかと思いましたが、集団であの表情をされるとドン引きですね。
とうとう閉幕のその瞬間まで時間が押しても当たり前に付き合え的な雰囲気はキープ。
そういう組織なんですよね、きっと。
閉会後の食事会のお誘いもありました。お金を持ってる方々っぽい雰囲気だったのですが、危険な匂いもあって辞退。判断は正しかったはず。
3.全体的な構成
最初に超有名ゲストのトークです。ビッグゲストを最初に持ってきての前座トーク。
この時点で宗教臭がぷぅんと臭ってきますが、最初はそうも思わなかったんです。
中継ぎのどうでもいい人のトーク。
おそらく時間調整なんでしょうが、そもそもパンフに書いてある時間を押してるのは明らかで。
話の内容も「私以外の人は素晴らしい」という一点のみを何度も微妙にしか違わない言葉で繰り返すのみ。
せめて内容のある話にして欲しかったなぁ。
トリは天皇礼賛。
天皇バンザイ、陛下スバラシイ!の話は誰がやっても一定のパターンがあります。
「かわいそうな苦境に立った日本人のために同情して祈り続けるお優しい陛下」
つまり、かわいそうな庶民が居ないと成り立たないんです。
誰かが不幸じゃないと成立しない話は
でも、トリの人はおそらく教団内でも上級幹部。
日本人の文化や精神性の成り立ちをしり、誇りを持って行きよう。
海外の文化といくつかのジャンルを対比するなど、知的興味もそそられまくりで
確かにその通りで、自分の不勉強を反省するいいきっかけになりました。
まぁ、そんなこんなで倫理法人会。
機関紙とかよんで感想文欠かされる会社とかあるんじゃないかな?
■学んだこと
・表面的ないい部分だけチェリーピッカーとして活用し
厚生労働省の「子宮頸ガンワクチン接種勧奨中止」で、はてな村が大混乱に陥っている。
はてな村は、したり顔の接種推進論者が多く、反対論者を「陰謀論に毒された、カワイソウな人」とトンデモ扱いしていた。
そのため、本来なら行うべき科学的な安全性の論証を、思考停止して怠っていた側面は否めない。
「ビルゲイツの陰謀だ」「不妊ワクチンだ」という陰謀論には辟易しているが、
でも
「なんで、あそこまで痛がるワクチンの接種を半強制するのか、
ワクチン接種がイヤな女子の『接種をしない愚行権』は、保証してあげればいいのに」とは思っていた。
その意味では、「接種しない自由」を保証した今回の決定は、基本的に歓迎。
「接種した場合の死亡リスク(副反応リスク)と、接種しない場合の死亡リスクを天秤にかけ、
接種した場合のリスクが大⇒接種見合わせ」が正しい、とされてきた。
喩え話で言えば、
「接種することで、女性100万人のうち1,000人が副反応で死亡したとしても、
接種しないことで、1,000人以上が死亡するなら、接種した方が望ましい」という天秤になる。
しかし、こういう単純なロジックは、「接種時と発病時のタイミングのズレ」という、
子宮頸ガンワクチン特有の問題を、一切無視した議論ではないか?
実際、子宮頸ガンを実際に発病するのは、接種する年代(10代)でも、いや20代でもなく、
仮に、「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代に100万人中1,000人が死亡する」という場合
(話を単純化させている)、それは「天秤にかけるとイコール」と判断していいのか?
「なんで、リスクを先取りしなきゃいけないの!!」と感じるだろう。
まあ、「100万人中、どっちも1000人」だと、
では「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代で100万人中500人が死亡する」という場合は、どうなのか?
この場合、「死亡率が半減する」という「接種の便益」がある。
その見返りに「女性の華のエイジ、10代20代30代を棒に振る」ということになる。
「死亡率が半減しているんだから、便益がある、接種すべきだ」という意見もあるだろうが、
女子の間では「そんな先の死亡云々なんかより、目の前の青春が奪われるのがイヤだ」と拒否する女子の方が多いのでは?
では、「接種することで、将来の死亡率が100分の1になる」場合は?
こうなると、天秤的には「便益が強いから、接種させよう」となるだろうが、
「10代20代30代を謳歌したい、40代以降のオバサン人生は『余生』だから、
そんなのいっさい気にしない」という
「10~30代の女の幸せに人生価値の重きを置いている」女子に言わせれば、
「50代で死んでも別に構わない、それより目の前の幸せが逃げるのがイヤ」となる。
つまり、「10代20代30代に、女の幸せを追求する女子」にとっては、
接種便益倍率を相当に高倍率にさせないと、接種を魅力に感じなくなる。
一方、「自分はそんなに女の幸せを追求しない」という「割り切り女子」の場合は、
接種便益倍率が低倍率であっても、接種に魅力を感じる。
ということで、「接種主体が、どういう価値観を抱いているか?」で、
「接種便益が変わってしまう」、実はここが子宮頸ガンワクチン接種の「難しさ」ではないか?
「たくさん恋をしたい、早く結婚したい、40代以降は無視」というスイーツ女子にとっては、
接種便益100倍でも「接種ヤダ」となるし、
「別に恋に関心ない、20代30代も淡白に生きて、そのまま40代50代も淡白に生きる」という
草食女子にとっては、接種便益10倍でも、「接種したい」となる。
これは、裏返して言えば、
「女の幸せは恋をすること、結婚すること」というジェンダー価値観を重視する人は
「接種メリット乏しい」となるし、
「女の幸せは恋愛結婚、という押し付けはオカシイ」というアンチジェンダー価値観(女性解放論者)から見たら
「接種メリットが強い」となる。
改変コピペじゃないですよと前置きしておきます。通じる話なので、後で過去の日記にこの日記へのリンク貼っておきます。
いきなりなんですが、新興宗教にハマる人って、絶対にモノの見方が1つじゃないってことを理解していないですよね。それこそ、国際化する社会において必要な価値観の相違への理解が足りないと、私は思うんです。もうひとつ言えば、批判的に物事を見る力が備わってないと思います。
壺を買ったり、上納金みたいなものを収めているとなると、絶対頭がおかしですよね。
「〜は絶対〜だ」と思う前に、もしかしたらオカシイのかもと思わないといけないです。教祖の話は絶対に正しいなんて思ってはいけません。もしかしたらオカシイかもしれないと思えば、新興宗教の言っていることのおかしさに絶対に気がつくはずです。
まあ、自分がハマるぶんにはいいですが、布教されるとキツイですね。自分の価値観を人に押し付けることほど、絶対にしてはいけないことはないと思います。
人には色々な価値観があるのだから、それを認めないと何もはじまらないですよ。世の中には色々な人がいることを自覚しないといけないと思います。あなたが全て正しい訳じゃないのだから、そんな絶対に間違っている変な考え(新興宗教)を私に押し付けないでくださいと言いたい。
ほな、さいなら。