はてなキーワード: アラームとは
150分8万円だった。我慢できなかった。
思えば性欲が強い人生だった。
小学校6年の時には自慰を覚え、中学校ぐらいからはほぼ毎日欠かさず自慰していたと思う。
中高の間は2次元エロ画像が主なオカズだったが、なんだか見ているうちにセックスして見たいな〜と思うようになった。
そうなってしまえば早いもので、大学一年生の5月に人生初の風俗、ソープランドに行った。
単純に、セックスへの興味があった。良いとか良くないとか、自分で確かめないとわからないだろという性分だった。
90分3万円だった。なけなしの金を叩いて、これでPSVita買えたな〜とか思って心臓バクバクさせながら待合室に行ったら、60歳過ぎてそうな全身真っ黒のおじいさんがいた。
後悔した。俺は来るのは早かったのか。それと同時に、自分と年もそう変わらない女性達がこの人の相手をすると思うと、嫌悪感や絶望感でいっぱいになった。
初めての相手は幸いにも可愛かった。八重歯が少しずれて生えていたことを覚えてる。自分で腰を降るのが難しかったが射精もできた。
終わった瞬間に、射精するためだけに、性欲のためだけに3万も使ってしまったことを激しく後悔した。
そして虚しさが残った。この人は金を払ったからしてくれるだけなんだ。この人にとって自分はなんでもないんだと。
その虚しさを埋める為、また風俗に行った。
嘘、やっぱり性欲が強かった。
他県まで遠出して店舗ヘルスに行った。入った女の子の髪の毛が少なくて、苦労しているのかなと心配になったし、萎えた。
洋物が前から好きだったので、外人デリヘルに行った。紹介されている年齢+15~20の女性がやってきた。この歳までこの仕事で働くってどんな人生なんだろうと心配になった。年下の自分を気遣って、結構ノリノリでやってくれた。金はしっかり取られた。
最初のソープに戻ってきた。小柄の可愛い子だったが、リスカ跡を傷パットで隠していて、またやりきれない気持ちになった。
また同じソープに行った。巨乳の子を選んだら死ぬほど愛想が悪かった。僕が行った2ヶ月後には在籍表から消えていた。
お姉様ソープに行った。弟が僕と同じぐらいの歳だという、30中盤ぐらいと思われる女性とした。
M性感に行った。すごく綺麗な黒髪ロングのお姉さんが出てきた。いっぱいキスをしたし、いっぱい虐めてもらった。キスが良いものだとやっと思い始めた。初めてのアナルは痛かったし、次の日腹を壊して最悪だった。
こんな事を繰り返しても、心は満たされないとやっと決心して、彼女を作ろうとした。
性欲が強かった。
ガツガツしすぎて相手を驚かせてしまった。それでもなんとか距離を縮めて3ヶ月で初めてセックスした。初めては相手の事が心配で、楽しむとかそれどころじゃなかった。それでも、何か距離は縮まった気がした。
その後も何度も体を重ねた。次第に相手も余裕が出てきて、お互いを求めあうようなセックスができた。
演技じゃない反応をしてくれる。射精した後にお茶を用意しないで横にいてくれる。名前を呼んで好きだよと言ってくれる。隣で安心してぐっすり寝てくれる。朝起きたらキスをしてくれる。終了のアラームはならないで、いつまでも手を繋いで、色々な所に出かけられる。相手と共に人生を過ごせる。
そういう事が本当に幸せな事なんだと、知る事ができた。やっと満たされた。
2年経って彼女と別れた。
コスプレデリヘルに行った。小柄で巨乳の可愛い女の子に、童貞を殺すセーターを着てもらった。僕はもう童貞でも素人童貞でもなかったが、心は死んでいた。相手はムードを作るのが苦手で、60分で頼んだが30分で萎えた。
街コンに行きまくった。商売じゃなくて、心を通わせられる相手を見つけないといけないと、もうわかっていた。
半年経って彼女ができた。彼女にとって初の彼氏だった。これから頑張って幸せにしようと思った。
1ヶ月で別れた。彼女は一人で幸せになれる人で、僕は世間体を気にして選んだ都合の良い男だった。
母乳デリヘルに行った。写真より少し年が行った、愛想の良い女性だった。めちゃくちゃ母乳が出てきて、生命の神秘を感じた。母乳はうっすら甘くて美味しかった。彼女の子供の話になって、二人が幸せになって欲しいと思った。
性欲が強かった。
ソープに行きたすぎて、2日間よく眠れなかった。女性に受け入れてもらいたかった。
高級ソープランドに行った。ギラギラした内装で、女性も綺麗だった。特別なサービスもあった。テクニックも上手だった。あり得ないぐらい膣内が動く女性で逆に心配になった。真面目なマッサージもしてもらって、すごく気持ちが良かった。時間の半分はずっとお互いの身の上話をしていたと思う。ソープで貯めたお金で1年間ニートして飲み歩いた話を聞いて、そういう自由な人生も良いとちょっとだけ憧れた。僕の以前の彼女達の話をして、酷いやつらだと笑ってもらった。嬉しかった。
きっとこれもお金で承認してくれてるのだと、心の奥では思っていた。でも今の僕には必要だった。きっとこれは性欲でもあり、承認欲でもあると気づいていた。
吹田市民です。
私のスペック。30代男性。大阪市内の会社に勤務。妻、30代、専業主婦。
自宅。築40年のマンション。古い。6階。
朝、いつもアラームは8時20分に設定している。(始業は10時なので、ゆっくりめ起床)
妻も既に起きていて、本能的に体を寄せ合う。
阪神大震災の時は、目覚めた時、既に揺れており、部屋が平行四辺形にグラグラ揺れていたのを覚えている。
違ったのは、振動の長さ。阪神大震災の時は1分ぐらい続いたと思うが、今回は15秒ぐらいで済んだ記憶がある。
震源に近かったせいか、緊急地震速報は、揺れの最中から鳴り出した。
玄関にいき、下履きを持ってきて、泥を払った上で、室内用として使用する。(ガラスや陶器が割れて散乱しているので)
ダイニングの食器棚が倒壊し、食器は約半分が使い物にならない。
書斎のPCモニター(24インチ液晶)が机から落ちていた。正常に動作するかどうかは、未検証。
書斎の本棚が倒壊し、再起不能なほどに壊れた。当然、中の本はすべて書斎内に散乱。
寝室は、引き出し式のクローゼットが私の寝床に倒れていた。すぐに飛び起きていなければ、頭直撃コースだったに違いない。
それ以外は深刻な被害はなかった。
続いて、風呂に水を貯める。ガスの元栓を閉じる。ベランダなど、すべての扉が開くかどうかをチェック→正常に開いたので、問題なし。
自分と妻のワイモバイル回線→音声通話は不可だったが、4Gは通信できた。
我が家は、基本的に必要なものしかストックしないという妻の方針のため、非常食になるようなものがない。
会社の上司に連絡。電車がいつ動くかわからないこと、部屋の中に割れた食器と家財道具が散乱していることを伝えると、出社しなくて良いとの連絡。
(家の惨状を写真に撮って送ったら、たいそう驚かれた。上司は京都に住んでいるので、ここまでひどくなかったのかもしれない)
確認したところ、こういうときに必要なものとしては、2リットルのミネラルウォーターが2本と、昨晩沸かしたお茶約1リットル弱しかない。
そこで、コンビニへ買い出しに行くことにした。
買ったものは、昼食の弁当×2、非常食相当のカップラーメン×2、朝食相当のカロリーメイト×1、紙パックのお茶1リットル とりあえず、夕方まではしのげる量の食料を確保。
自宅に戻り、午前中の間はテレビとネットで情報収集しつつ、下手に動いて余震にやられないよう、寝室で待機。
正午過ぎにお昼を食べて、そこから部屋の片付けを開始。
下履きを履きながら、室内の割れ物を回収していく。みかんのダンボール箱相当で、3箱分ぐらいの、ガラス・陶器の割れ物が発生。
細かい割れ物は新聞に包んで、特に営利で凶器になってしまいそうなものは、ガムテープとラップで養生してから、マンションのゴミ捨て場に捨てに行く。
同じような割れ物が、たくさん捨てられていた。
片付け作業中、1時間に1回ぐらいの割合で、テレビをつけて情報収集。私はずっとつけっぱなしにしたかったが、妻はこういう状況で災害の放送をずっとつけていると、精神的にもよくないと反対。
私も納得して、必要以上に情報に接しないよう心がけた。単純に、片付けにも集中できるという意味で、効果は高かったと思う。(私はテレビ見ながらの作業は、ついつい手がお留守になりがちなので)
5時になり、ライフラインの疑問が解決しないかと思い、マンションの管理室に行ってみる。
水道水がにごっていること、ガスを使っていいのか、この2点を尋ねに行った。
ガスは、一定の震度に達すると自動的にストップするので、再始動の手順がガスメーターに記載されていることを教えてもらった。
昨晩の残り物、白ごはん、ねぎ焼きが残っていたのでそれを電子レンジで温めて、惣菜といっしょに食べた。
室内の掃除はあらかた終わり、あとは細かい破片を取るために粘着ローラーをかけるだけとなった。
夜は、寝室とは別の、一番家具の少ない部屋で寝ることにした。
念の為、天吊の灯具は外した。寝るにしか使わない部屋なので、当面困ることもない。
翌日は普通に出勤するも、一部でJRが動いていないため、阪急で出社。30分の遅刻。
妻は、最後の片付けをしていたようだ。
一部の交通機関を除き、平常運転だったようだが、街の中には様々な傷跡がのこっていた。
マンションや駅のエレベーターは、軒並みストップ。点検して安全が確認されるまで封鎖。
公共施設の多くで、天井や壁に亀裂(クラック)が入っており、これも点検修理が終わるまでは近づかないよう、カラーコーンなどで規制線がはられている。
街ゆく車の中には、工事関係の車が目立った。かんでん○○とか、ガスサービスセンター○○といった、インフラ系関連会社や、
○○ビルテクノ・サービスといった、ビル管理系の車がよく目につく。
自分の会社の自席は奇跡的になにも倒壊していなかったが、いくつかのモニターは倒れていたようだ。
あと、うちの会社の部屋だけエアコンがついておらず、昨日今日と暑い中、汗をふきふき仕事をしている。
マスコミの報道内容とか、ヤフーニュースのトピックを見ていると、地震の扱いは過去の地震と比べて小さいように思う。
死者の数は1桁、翌日から通常営業できるようになったせいか、さほど深刻に受け止められていないように思うが、
実際に震源の近くで暮らしているものからすると、余震に怯えたり、想定外の後片づけに悩まされたりと、色々苦労をしている。
ただ、これだけの震度でありながら、犠牲者の数が少なく済んだのは、阪神大震災の経験が大きいと思う。
私は小学生の時に自宅で震度7を経験したが、揺れ方だけ見れば、あの時の悪夢と全く同じだった。
それにもかかわらず、倒壊損壊した建物、火災になった建物がわずかばかりであったのは、過去の教訓が行きていると思う。
当時幼いながらも、そのことで、人の生死なんて、いつどうなるかわかったもんじゃない、と感じた。
改めて今回思うのは、儚さだ。人の命もそうだし、割れた食器たちを拾い集めている時も、同じ気持ちを抱いた。
しかし、22年前と比べると、確実に社会は変わったと思う。もちろん、前向きな意味で。
マグニチュードや震度だけ見れば、当時より少し小規模だが、被害の規模は明らかに小さい。
建築物は、確実にあの時よりも丈夫になっている。
情報インフラも発達し、被害状況がほぼリアルタイムで分かるようになった。
色んな課題を抱えているこの社会だけど、耐震性というか、カウンターディザスタネスとでも言えばいいのか、
亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災や災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。
東京生まれ東京育ち23区外で働いたことがなかった俺が、ド田舎にそびえたつホテルにリゾバで3か月働くことになった。
リゾバを始めた理由はのんびりしたかったから。某温泉街ということで、日中は働いて夜は温泉に浸かってゆったり過ごす。そんなイメージを持って飛び込んだ。
勤め先のホテルすぐ近くに社員寮があるらしく、そこで暮らしも楽しみだった。
派遣会社の担当者も「ここは離職率が低く、長く務める方が多いよ」と礼儀の"れ"の字も知らないような口調で推薦してきた。
癒しと多少の出会いを期待しつつ初日の面談を迎える。簡単過ぎる説明と名前を書くだけの書類への記入を終えて午後14時頃、これから住む寮に案内された。
真っ白な外観に等間隔に並ぶ窓、陽当たりが悪いせいで肌寒く薄暗い階段、廊下。渡されていた鍵で自室のドアを開けた。
軽い木のドアを引くと、3つの段ボールと畳の上に畳の敷物が敷かれた床に冷蔵庫、少し足が高いテーブルに置かれたテレビが部屋の隅っこに置かれていた。
その寂しい光景を目の当たりにした俺は「田舎だしな」と妙に納得してしまった。
3つの段ボールは俺が予め実家から送っていた荷物だ、PCや着替えが入っているので雑に開封しPCを床に設置した。
その後も使えるわけのないLANケーブルなどを引っ張り出しながら自分の部屋を作り上げた。
布団を敷いて、ここまでの道中で買ったいろはすを飲み切った。
部屋が完成した頃にはもう夕方で、陽が落ちる前に近場を散策しようと考えていた俺は急いで外に駆け出した。
都会では見られない山々、徒歩15分圏内にある滝をなんとなく見て部屋に戻った。
一日通してそれなりに歩いたので疲れが出始めた、このまま寝てしまう前に風呂で汗を流そうと黒いシャツとジーンズを素手で持ち従業員用の入り口から
このホテルご自慢の大浴場に向かい、意気揚々と服を脱ぎ少し重たい扉を大袈裟にガラッと開け、ひたひたと足音を鳴らしながら風呂場を見て回った。
露店風呂はお客専用とのことだが、サウナや"温泉ソムリエ"推薦の湯舟は従業員でも利用可能らしい。
俺は大の温泉、いや風呂好きだ。温泉でないと寛げないわけではない。
実家の縮こまって入る風呂もまた好きなのだ、お湯ならなんでも良いのだ。
しかし、やはり温泉街の温泉は格別だ。これまで旅行してきた各地で温泉街はなかったし、行きたいとは思っていたが何故か足が伸びなかった
そういった事情もあって、非日常からくる高揚感に包まれながら体を手早く洗い、ケロヨンの桶を懐かしみつつ"温泉ソムリエ"推薦の湯舟に浸かった。
少し長風呂をし過ぎたか足元がふらふらするので木のベンチに座りながら着替えを済ませて脱衣所を後にした。
自室に戻ったころには体力が尽き、眠りについた。ふり絞った気力ではスマホのアラームをAM7:00にセットするのがやっとだった。
その後は、その後は、その後は。
何もなかった。ここでの仕事など東京でしていたことより簡単だった、簡単すぎた。寮での交流なんてなかった、なかったはずだ。
出会いなんてもってのほかだった、女性なんてどいつもこいつも初老の翁達にちやほやされて喜んでいる者ばかりだった。
挨拶を返しもしない奴らなんかこっちから願い下げだ。「グレムリンみたいな顔しやがって」
寮のトイレが汚く、使う気になれなかった。掃除してもすぐ汚れて放置されるので近場のコンビニのトイレを借りていた。
「田舎だしな」と妙に納得していた俺に俺は憤って3か月の任期を終えた今無言で怒鳴った。
寮に集まっていた人間は俺と同じ東京やその他の地方から来ていた人間がほとんどであること。
それに気づかずこの土地やこの田舎独自の空気感に俺が合わないからどうしようもないんだと勘違いしていたこと。
「俺はどこでもうまく生きていけないなぁ」
なんとなくAndroid(nexus6P)から移行したので書く
・画面でかい
上はともかく下部分が全部画面なのはいい
・画面きれい
アプリ切り替えがスイスイできる。昔あったZephyrみたいな挙動が純正で使える感動
・望遠カメラがある
GPSなど計器類が地味に高性能。こういう堅実なとこすき
バイブ強い。「今ポケットに入れてた間に鳴ってないな」って確信できるのはいい
Callkitは素晴らしい
アプデ期間やたら長い。クロックダウン問題とかあったけど自分の中でアプデは正義
Felicaいい
・Face ID
未来感。ちょっとホーム画面で用事を確認してから使おうとするとやたらシームレスで
Animojiはくだらないが面白い
・重い(物理)
前の6P(5.7インチ)もだいぶ重かったけどこいつもそれと同等の重さ
というか重さの割に小さいせいで重量感は軽くそいつを上回る
無駄に洒落た動きするサードのお天気アプリとか要らんねん(純正のはすき)
iCloudきらい
lightningきらい
・Face ID
普通に遅い
再試行が若干面倒
寝起き失敗しまくる
Animojiとかふざけてんじゃねえぞ
素直に画面下にtouchID仕込んでくれ
指紋で仮認証→使用直後の隙を使ってFaceIDでより深い個人情報まで表示とかしてくれれば次もあいぽんにする
そして日付が変わる前あたりから、朝方3時くらいまで騒ぐ。手を叩いたり、歌ったり、瓶が転がるような音もする。
時々、ドカン!という感じの大きな音がするため、1時間おきくらいに目が覚めてしまう。その時はアイマスクをして、騒ぎ声を遮るようにイヤホンで大音量でピアノの曲聴いて無理やり眠る。
大概騒ぎの最後は朝6時か7時。大きな目覚ましのアラームが鳴る。そこでみんな帰るようだ。
前に一度、あまりの騒音に壁を叩いたことがある。騒音は余計ひどくなった上に、翌朝大きな笑い声と共にこちらの玄関のドアを叩かれて、無意味だと気付いてからは叩いていない。
だから掃除機の音がすると、警報のようで怯えてしまうのだ。引っ越すあてもないし。
だから、ぞうきん使って欲しいな。
本日は、はてなブックマークのブックマークコメントにおいて、2017年で最も多くスターを集めたアルファブクマカの増田さんにお越しいただいてます。
ブクマカから多くの支持を集めたブコメで、着実にスターを集めてきた2017年。
はてなーとなってから10年の時を経て、なるべくしてアルファブクマカと呼ばれるに至った現在。ブクマカとしてのこだわりや矜持について伺います。
ーーー早速ですが、2017年で最も多くスターを集めたアルファブクマカとして、率直に今の感想をお聞かせください。
まあ、驚いてますよね普通に。まさか自分が…ってのがあって。それこそ著名なブクマカなら他にたくさんいますし…。でも、それだけ多くの方に自分のブコメを賛同していただいたってことで、嬉しく思ってます、もちろん。
えー、最低でも100、かな。調子が良ければ120…はいく。タグだけの無言ブクマがそのうちの3割くらいです。
ーーー限られた時間の中でそれだけのブクマ、さらにはブコメまでつけるのは、非常に大変な事だとお見受けするのですが。
もちろん普段はちゃんと働いてますよ(笑)その合間を塗って、流れるように、ね。リズムが大事なんですよ。そこをとらえて習慣化すれば、案外と100の壁って低いですよ。
まずあさイチの布団の中ですよね。スマホのアラームが鳴って、停止させたらロックを解除して、そのまま流れるようにアプリを起動します。脳をしっかり目覚めさせるという意味でも、ここでたっぷり40はブクマしておくと後が楽です。それから朝食を食べながらの二巡目。あさイチのブクマのブコメ取りこぼし分を補いながら、更に10ブクマ。そして通勤途中でも10、昼休みに10〜20、帰りの電車でも10。ね、これで100いくでしょ
ブクマ、ブコメっていわば頭脳労働なんですよ。24時間365日、常に同じ気持ちでに向き合い続けてると、自然とこういうライフスタイルになるんですね。
ーーーブコメを書く時に気をつけていることというか、なにか特別に意識してることはあります?
そうですね…。えっと、特にない…ですかね。なんかすみません(笑)
ーーーいえ、いいんです(笑) つまり、率直な気持ちをブコメを書いてらっしゃるんですね。
まあ、そうなりますかね。ブコメって元記事に対する最大公約数的なものが結局は受けるんです。だから、記事を見て思ったことを、分かりやすく率直に、少し感情的に書く。それだけでもスターがつきますよね。
ーーー感情的に、ですか?
そうです。客観視するようなブコメももちろん支持されますけど、自分はそういうタイプじゃないんですよね。理論よりブクマカの心の動きを読むというか。おこがましいですけど、みんなの気持ちを代弁させてもらってるつもりで書くんです。感情的なブコメってことは、他人事じゃなくて我が事としてブコメするってことじゃないですか。そこにみんな自分の気持ちを置きやすくなる。
ーーーなるほど…
ちなみに、スターは意識しませんね。やるべきことをやったら、自ずと結果としてついてくるものだと思ってますから。毎日いいブコメをするには、毎日いかにスッキリ朝目覚められるかが大事。そういう生活の根本から始まってるんです。そのために、睡眠の質を上げることや、体に良いものを食べることも気を配ってます。
瞑想はしないですね、その時間があったらブクマ、ブコメしたいんで(笑)
さっきも言いましたけどスターを意識するとかえって自由なブコメができなくなるので、そこはあんまり意識しないで、あくまで自分の感情に正直にブコメしていきたいと思ってます。ただ、ひとたび自分のブコメにスターがついたら、それはもう自分の手を離れたものだと思ってます。あのブコメは、スターをつけてくださったみんなのものになったんだと。だから、手を離した瞬間から我が子の成長を願う親のような心境になりますね。しっかりみなさんを楽しませるんだぞ、と。そう思うと、自分はブクマ、ブコメ、そしてスターを通じて、人生の旅立ち、そして大いなる母の心…みたいなものを感じてるかもしれません。
ーーー素晴らしいお話をお聞かせいただきました。今後とも応援しています。本日はありがとうございました
ありがとうございました
電気毛布がうちに来てから3か月。確かなことは、二度寝の回数が増え、その時間も伸びたということ。
とにかく起きられない。
二度寝の幸福感を意図的に味わうために、アラームは二段じかけに設定している。起きたい時間の1時間前に二度寝用アラームを設定すれば、毎日二度寝できる。二度寝は私のモチベーションだ。
ところが、電気毛布は二度寝の心地よさを何倍にも増してしまう。暖かくて寝心地がいいからだ。マジ起きアラームを退治して、そのうち起きるから…とスマホをいじっている間にマジ寝してしまうことがよくあった。
時間に追われる生活をしてないから2時間くらい「三度寝」しても問題はないけど、その幸福感は一日の貴重な時間を失ってしまうことに値するのだろうか。
この最強寒波の中、少しでも快適な睡眠時間を過ごせればと思い。
まず施工以前のスペックから。先週まではこれが最強だと思っていた構成。
───┐ [←薄手のシーツ(布団ズレと足元から熱が逃げるのを防ぐ)] ━━━━━━│ [←掛布団(安いポリエステルのやつ)] ~~~~~~│ [←毛布(しまむら)] ●┻━━━┛ │ [←僕(男性:中肉中背、30代、独身)] ^^^^^^^^^^^^│ [←冬用シーツ①(マイクロファイバー)] ============ [←電気敷毛布] ^^^^^^^^^^^^ [←冬用シーツ②(マイクロファイバー)] ■■■■■■ [←以下ベッド(マットレス含)]
【補足】
・布団に入る30分前に電気敷毛布を「中」でON、入眠時は「弱」に。
・冬用シーツを2枚構成にしているのはクッション性と、背中側の断熱性向上が目的。
ベッドが古くボロいのでこれをしないと硬いし寒い。
・肉体性能はあまり高くない。寒がりという程ではないが、代謝は低め
・寝る前に暖房を切るので就寝中の室温は低い
この構成で前年までの同シーズン内は全く不満なく朝を迎えられていたのだが、
さすがにここ数日の気温の低さで早朝、もしくは真夜中に目が覚めてしまうようになった。
何度か冬を過ごし、試行錯誤の末に最適化された環境だと信じていたので正直ショック。
暖房を付けたまま寝ればいいかとも思ったが、コスト的にも最終手段だと思っていた。
電気敷毛布の出力を上げるのも体に良くなさそうだし……(金玉に良くないとか聞いた)、
他に何か手はないか、と思っていた時にタイトルの説を思い出したというわけである。
やり方は実にシンプルで、上記の図の掛布団と毛布を入れ替えるだけ。
いつもの手順を踏んで、おそるおそる寝床に入ってみると当然ながら「冷たい」。
直接体に触れるのが表面サラサラの掛布団なので、やはり毛布に比べると快適性は雲泥の差。
背中側は冬用シーツと電気敷毛布のおかげでヌクヌクなのだが、腹側が寒い。
これマジかよ、朝まで絶対もたん、今すぐにでも元に戻したい、と思ってのたうち回る。
やはりフカフカは偉大だ、体感温度と触感は密接な関係がある、この説を謳うやつは真の寒さを知らない、
などと後悔が大きくなって来たころ、少しずつ体温が掛布団に伝播して冷たさが落ち着いてきた。
電気敷毛布の助けもあって、5分くらいすると感触以外は従前の構成と同等になった。
毛布が肌に触れていない感覚に一抹の心細さを覚えるものの、何とか眠れそうだぞ、と思える程度にはなった。
寝る。
室温は前日のそれよりさらに低かったが、途中で起きてしまう懸念は杞憂に終わった。
それだけでもおお、と思ったが、それ以上に感動したのは布団の中の環境。
寝返りを打ってみても、冷たい部分に触れる感触が一切ない。暖かい部屋で寝てるのと変わらない。
掛布団自体が暖気を帯び、それに包まれているような感覚だったのだ。
ない頭を絞って考えるに、掛布団は本来「体温で暖められた空気をとどめておくためのもの」であり、
毛布はおそらく「断熱するためのもの」というのが本分なのだろう。
毛布を直接体にかけた場合はフカフカで気持ちいいしすぐ温まるが、
あくまで体表+毛布の厚さの範囲にしか熱が及ばず、寝返りを打つと
毛布や敷布団の冷えたままの部位に触れて「寒っ」となる。
対して、掛布団を直接体にかけた場合は中綿全体がぬくもる事で布団全体が温かく、寝返りも打ちやすい。
そして掛布団によって広がった暖空間をうまく封じ込めるのが、上にかかった毛布――――。
───┐ 留留留留留留│ 暖暖暖暖暖暖│ ●┻━━━┛ │ ^^^^^^^^^^^^│ ============ ^^^^^^^^^^^^ ■■■■■■
何という事だ。穴がない。完璧な理屈だ。快眠で冴えた頭が理解した。
暖を取るなら点より面、電気ストーブよりファンヒーター、ホッカイロよりもヒートテック。
最初の冷たい感触に耐え、掛布団さえ温まったら、そこは小さな温室となる。
そのイニシャルコルドすらもフトン乾燥機などを併用すれば限りなくゼロに近づけられる。
こんなことを、今の今まで気づかずに生きてきたなんて…………。
知っていた人からすれば「何をいまさら、情弱乙」なのだろうが、自分の頭がこの理論を直感的に理解できていなかった。
今なら理解る。
毛布は、掛布団の上にかけるのが正しい。と言うか、そのように創られた。
しばらくはこの新鮮な感動を楽しむことにする。
雑貨屋でてきとうに買った目覚ましを使ってたんだけど、ベッドから落として壊してしまったので、次は頑丈さを優先して選びたい
で、「目覚まし 頑丈」とかで調べると、案外ないんだなこれが
トップに出てくるカシオのG-shock目覚ましは廃盤らしく(まだ売ってるなら第一候補なんだけど)、それを除外すると全然ない
でも子供の頃を思い返してみると、目覚ましなんてそんな壊れるものじゃなかったよなーと思うんだよね、今より扱い乱雑だったと思うし
実家帰ると20年以上同じ目覚ましを平気で使ってたりするじゃない
別に電波時計とかじゃなくていい、頑丈な目覚ましの機種を知りたい
中学生の頃からずっと使ってるわーとか、毎朝放り投げても使えてるわーみたいなのがあれば是非
ちなみに「スマホでええやん」とのご意見にはスマホのアラームだけじゃ起きられねえんだよ!と申し添えます
スマホって音量最大にしても音ちっちゃくない?