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台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が
この文春の記事にブクマが2000件以上も付いていてTwitterでも話題になり
あちこちで苛烈な電通叩きが巻き起こってるけど、残念ながらどの電通叩きも的外れ
なぜならこの記事には
とあるが、この記事では肝心要の、土壇場でMIKIKOに代わって責任者に佐々木宏就き、
「MIKIKOが髙田佳夫らによって“排除”された理由」がわからないからだ
だからお前らは証拠もなく電通が悪いと決めつけて電通を誹謗中傷しているにすぎないから的はずれな電通叩きにしかなりえないんだ
それ証拠あるの?
記事にはMIKIKOが政治的な思惑通りの演出をしなかったという旨は書いてあるが、
文春に書かれてる誰だかもわからない「組織委関係者」とやらの証言だけ?
お前らの頭の中覗いたらさぞご立派なお花畑がひろがっていそうだね
「MIKIKO氏は絶望してしまう」ってそれらしく書いてるけど、それはあなたの感想ですよね?
もしかしたらMIKIKOが排除されたのにはまっとうな理由があるのかもしれない
電通の利害関係とは無関係なそうせざるを得ない何かしらの理由があるのかもしれない
でも現状ではそれらが十分にわからないんだ
にも関わらずお前らは電通叩きに躍起になっている
「電通が悪いに決まってる!」という思い込みを根拠として吹き上がって電通を叩いてるんだよ
原因がなんなのか、こうなった問題点はどこにあるのか
ろくな根拠もなくただ電通を感情的に叩いて溜飲を下げてるだけなんだよ
お前らはそんなんで本当にいいのか
証拠のない攻撃は誹謗中傷でしかなく相手にはまともなダメージは与えられない
電通から「それはデマです。証拠がありません」とだけ言われればお前らが必死こいて書いてる電通批判の言葉は全て無に帰すわけだ
それで本当にいいのか
もし本当に電通が邪悪な存在で叩き潰すべき憎き相手であればこそ、
事実関係を冷静に調査し然るべき批判を行うべきなんじゃないのか
それは開会式のゴタゴタによって引き起こされたフラストレーションを電通を叩くことで発散してるだけなんじゃないのか
それじゃまるでただの八つ当たりなんじゃないのか
確かにだ、本当に電通が悪さをしてあのひどい開会式になってしまった可能性は否定できない
しかし、証拠がない以上は現時点ではそれは憶測であり、憶測に基づいた批判は誹謗中傷でしかない
そんなことに腐心していて、お前らは本当にそれでいいのか
MIKIKO好き勢で残念だと思っているけど、ネオ東京やらperfumeやらはそのまんますぎてなんか違うので言ってることはわかるわ。
台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が | 週刊文春 電子版
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
適当な有名人を使っていかにもテレビ的な演出。予定されていた出演者を見ればFNS歌謡祭の人脈っぽい
小林賢太郎演出の開会式はEテレ開会式と言われてたけどMIKIKO開会式はフジテレビ開会式だ
MIKIKOでも佐々木でも小林賢太郎でも取りまとめるのは全部電通なのは変わらない
テレビバラエティ文脈を外したエンタメは今の日本でできる人が全く存在しないってのが問題どころか大問題だな
少ない予算で効率よく回収するテクニックのある映像監督はいても大規模予算で好きなように遊べる監督は日本に存在しない
育てることができなかった
私の思っていることを全部言語化してくれている!ほんと全部全部その通り過ぎる。
椎名林檎&MIKIKO、テーマの作り方からぶれまくっててとりま自分たちのサブカル音楽ぶちかまそ↑↑ってしてたのに、マジむかつく!!って直前解散して、やっとすこじづづ力をつけ始めたダンスも音楽もよくわからない小林賢太郎がわかんないよ~ってなりながら頑張った結果けちょんけちょんにされてるのいたたまれなかった、なんてかわいそうなんだ。くらいしかうまく自分の気持ちを表現できなかったけど、ほんとあなたの言う通りですってなった。
本当にMIKIKO案の方がダサくて、開会式はそこまで自国万歳でもなく、他国やスポーツをお膳立てしつつ、ベタなネタで他国の人もわかってローコンテキストなものでよかったと思う。
PerfumeというかPerfumeオタクが大嫌いなのでMIKIKO案が採用されなくて良かったー。
開会式もオリンピックも全然見てないから開会式が酷い出来だったこともどうでもいい。Perfumeファンがまたイキリ散らすところを見なくて済んで良かった。
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
これ見た反応が「MIKIKO案が良かった」「パフュームが見たかった」「アキラバイクを走らせたかった」とかいうのが結構あるけどさ、そんなにオリンピックの開会式でそういうのとか渡辺直美とか三浦大知とか見たいと思うのかな?
確かに実際にやった開会式は赤点なんだろうけど、原案通りにやったとしてもそんなにいい感じになるとは思えんのだが。
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
冷戦時代の墓から出てきたイマジンは、IOCからのリクエスト。
日本にはイマジンのカウンターとなるコンテンツを用意できなかった。それは最初、メッセージ性としては弱いテクノジャンルであるPerfumeを用意する予定だったから。AKBもアレですけど、Perfumeも客層考えるとサブカルの皮被ったアレですよ。キツい。芯がある歌を歌える人選じゃないんですよね。そして歌はドローンのイマジンが政治的な意味をもっていたように、歌はテクノロジーの添え物じゃない。開会式での歌は、自国の外交的スタンスの意思表示になるんです。国歌だってそうでしょう。サブカルには申し訳ないけど、優等生的でつまらなくても外交的にはMISIAの方がマシ。なおかつ、ここでAKBではなくPerfume出すと中田ヤスタカと秋元康の喧嘩にしか見えないじゃん。二者とも国際的にウケてるってどういう意味でウケてるんだよ。各国の個人的好みならともかく、公的な意味を持った外交の舞台なら両方無理だよ。ただ、秋元才加は今のAKBとかと客層が違い、秋元康サイドも国際舞台ぐらいわかって妥協できるってことがわかったんで、AKBと聞いただけで排除に頑張った椎名林檎が子供だったし、椎名林檎含めたサブカルサイドの人材に多様性も公共心もなかったと思う。
そして、IOCに対して日本がイマジン以上に、今の紛争や差別が絶えない国際社会に合ってるリリックのある歌を用意できなかったのが残念でならない。音楽監督が林檎さんに遠慮してるのか、そもそも小山田氏の件もありこんなことになってしまうぐらいには友達のノリで仕事回してただけで考えがないのかわからないけど。それでも本当に日本としてイマジンがよかったら日本人としてイマジンを和訳でもして日本語で歌えばよかった。日本語で歌えば外国から借りてきた言葉や思想っぽくなくなるから。英語の歌詞はドローンで出すんだし。イマジンをどうしても入れるなら、それも無理なら妥協して日の丸運んでる救急隊員を多めにして自衛隊にコロナ終戦をイメージさせるイマジンから君が代って流れ?これで今の時代的には古くて言葉が強いイマジンを多少は打ち消して、今の時代はコロナに打ち勝って長寿を願う君が代で行くという印象になるから。ドローン飛ばすと戦闘機想起になるんですけど今の時代の戦争ってそうじゃないでしょ。でも、テクノ界隈、メッセージ性のある歌詞のある楽曲の選択や制作、めちゃくちゃ弱そう。ダンスの添え物的な音楽作るのは強いけど、MIKIKOさんみたいなダンスに強い人いなくなった時点で音楽監督以下のテクノ界隈チームの強みが相当削がれた感はある。同じアホなら踊らにゃソンソンとならずに、森山未來と江戸消防記念会を出したのはよかったと思います。
あと開会式の台本はあっても、画だけあって、全体の一貫したシナリオがない。
各国や日本で傷ついた人が立ち上って共にスポーツができる目標に向かって手を繋いで歩み、スポーツができる平和を噛み締めるストーリーがない。
ネオ東京で日本すごい的なの、どうでもいいですよ。各国のおかげで日本が繁栄している謙虚さがなくて。ネオな『東京』だけじゃなくて、世界を包括するテーマが必要だった。
復興五輪がダメなら、もっと広く世界の人への歓迎と世界の傷ついた人に対する慈しみでよかった。日本すごい的な表現を自分でするんじゃなくて、ささやかな気配りで各国に言わせないと恥ずかしい。で、とりあえず鳩を飛ばせば平和でしょ、という安易さ。
パクリパクリ騒いでるけど、パクリは予算ない中でのプロジェクトマネジメントの延長でしかなくて、元の案も根底の外交やオリンピック憲章的な思想がなくて良くないよ。見た目派手なテクノロジーとダンサー入れておけってスタンスのMIKIKO案から、開会式当日までグダグダが続いててダメなんでしょ。
国際問題や問題に向き合うスタンスみたいなことからサブカルが逃げた結果がこれなんだよ。
本当にああいう派手だけど中身がないMIKIKO案みたいな案をひっくり返すの、他のプロジェクトでも面倒ですよ。ああいう派手だけど中身のない仕事の後始末って一番したくないものなんですよ。派手さに気を取られてわかってないサブカルみたいな人がうるさいから。だから、小林賢太郎は元々の経験不足や知名度、業界政治力の割にはよくやった。あれ以上のこと当時の彼にはできなかったと思う。
これは、椎名林檎たちミュージシャンの自己表現の仕事ではなく、電通的なクライアント絶対主義でもなく、スポンサーの言うことを聞くけどスポンサーに文句言いつつも自分の作家性は通す映画や舞台監督の仕事だった。
叩くべきはサブカルが何たるかを何も理解せずに勝手に擦り寄ってきたでかい企業や国の重鎮ではないと思います。少なくとも国ではない。
国は海老蔵とか江戸消防記念会を入れてきたり、国の奨学金入れてイスラエルに留学させた森山未來を入れてイスラエルに対する外交的メッセージを送ったりして、ベタに外交してた気がするんですよね。
問題はでかい企業の方のクリエイティブ。コンセプトが英語な割には国際感覚ゼロだし、全体仕切り監督能力ゼロ。一部海外ウケしてるサブカル人脈を、どういう文脈でどこにウケてるか考慮せずに使ったこと。
椎名林檎とMIKIKOというより、椎名林檎人脈がやばい。椎名林檎はAKBとかジャニーズとかを開会式に出さないってところだけは仕事したけど、それは恥ずかしい文化を海外に出したくないってだけで、じゃあ、椎名林檎とその周辺がオリンピック憲章に照らし合わせるとAKBと同様に恥ずかしい文化じゃなかったんですか?って内省がない。
椎名林檎とMIKIKOの代から最初からベッタベタに『日本の復興五輪』的なテーマで作っていれば、あと2ヶ月で変更って事態、無かった気がするんですよ。彼女たちって、ボランティア活動に勤しむMISIAと比較したら『日本の復興五輪』的なベタなことできないじゃないですか。
電通絡みで開会式の映像ディレクターである児玉裕一が椎名林檎の旦那さんで、そこにMIKIKOを連れてきたっていう椎名林檎人脈から全ては始まっていて。他のマイナーサブカルコンテンツはともかく、椎名林檎人脈は完全にオリンピックというパブリックな場では切るべきだった。児玉裕一も小山田氏を切るのに反対してたぐらいには、オリンピックという外交の舞台を理解してなくてやばい。
サブカルに責任押し付けてって言いますが、いいかげんサブカルも大人なので、最初から自分の身を弁えずに調子に乗ってホイホイ仕事受けたのが悪いって思いますし、そこで更に、サブカルサイドが、国の外交や日本の民意ではなく、自己表現や海外に見栄を張りたい自分達の身内のキャリアを優先したのはタチが悪いって思います。こんな場所で冷戦時代に手垢がついたイマジンを墓から掘り起こしているの、何の教養もないでしょう。
日本らしいアイコンを使わなかったのは前グループが使いたくないと明言していたからじゃないでしょうか。
あの会場でプロじゃない人が太鼓を響かせるのも難しいですし、明らかな日本的アイコンを使うとなると、それこそ人集めが難し過ぎます。残り2ヶ月弱ですでに批判されている日本のオリンピックなんて、伝統を重んじている人が出たいわけないじゃないですか。
伝統的なものをされている方を応援している人々は基本的に保守的です。
あなたが言いたいのはサブカルのような文化がオリンピックなんていう世界を舞台にする場面に出てくるな、ということで間違いないでしょうか?
それなら私も全くの同意見です!
そもそもなんで椎名林檎とMIKIKOだったんでしょう?掘れば小林賢太郎よりやばい発言死ぬほどしてますよ。サブカルチャーとは鬱屈した人間が狭い世界の中で出来たものなのに、それを表舞台に引っ張ってきて「私あなた達のこと好きなのよ」って擦り寄ってきたでかい組織が気持ち悪くて仕方がありません。
残念ながら私はその薄暗いサブカルチャーの世界で生きてきた人間なので表に出た彼らを応援するしかなかったですが、結局上の人間に使いはたらせてアイツらはゴミクズだった!!っと叩かれるのは悲しくて仕方がありません。
お金を理由に太鼓とかお祭りだけではなくて、忍者・侍・相撲みたいな日本的ベタなものが出なくて、あやとりダンスが出てきたのは何故なんでしょうか?
そして、それでもイマジンがどういう歴史の中で流行った楽曲かと考えたら、現状はイマジン入れる理由がない。MIKIKO先生の金あまりの代から、日本の楽曲を何故、使ったり作ることを検討しなかったのでしょうか?過去には『東京五輪音頭』や『世界の国からこんにちは』とか作っていたのに、洋楽を好んだ日本の短いサブカルの歴史総決算ってまとめになったのは何故でしょうか?
結局、各演者が自分の中のサブカルの歴史を表現することに躍起になって、五輪憲章を遵守し、各国をもてなし、日本の未来に向けて長い目で見て全体の繋ぎを構成する監督がいなったんですよ。
オリンピックの開会式でMIKIKO氏を下ろさなければ!電通が悪い!佐々木が悪い!
ってどこ見てもみんな言ってるけどさ。
要はMIKIKO氏と佐々木氏で権力争いをした結果、MIKIKO氏が負けて追い出され、
その報復だかでMIKIKO一派が佐々木氏のLINEの発言を流出させて退任に追い込んだんでしょ?
処分するならそんなクソ下らない権力争いで開会式を滅茶苦茶にした両者とも処分しろよ。もちろん最終責任者として電通もだ。
また小林賢太郎退任後も小林が持つなだぎ武がいる劇団をオリンピックで使うって、完全に公私混同じゃねぇか。
なんでこっちは全然問題視されないのか。税金の横領に近いぞ。同じ事を政治家や官僚がやったらどうするよ。
表舞台に出て説明責任も負ったりする舞台・映画監督や、せめて作家性のある構成作家が仕切るべきオリンピックの開会式を、裏方でかつ、通常業務のステークホルダーがアーティストや芸人サイドである演出家が仕切ったから。
舞台や映画監督はスポンサーの意向を聞きながらもオーディションを経由してバックグラウンドチェックを行うことでお友達以外からも参加者を募り、かつ観客動員数などの責任を負い、客の期待していることを読みながら、シーンの転換に一貫したシナリオのある舞台を作るのが仕事。向いている方向は、客、または、スポンサー。演者は監督の思い描いたシナリオや絵コンテの流れを実現する素材。
一方で演出家は、シナリオの部分を担保するのがアーティストやお笑いネタを作る側、脚本家であり、演出家自体は出来上がっているシナリオやそのシナリオに沿って動く側を良く見せるのが仕事。向いている方向は、演者。演者の活躍や表現をサポートする立場。
このゴタゴタは、AKIRA案という、復興五輪や日本外交どころかオリンピック憲章と全然関係ない案を出した演出家のMIKIKO先生のキャスティングから間違いは始まっている。
AKIRA案って、そこと何の関係あるんですか?表現者サイドの自己表現よりも、日本の民意を汲みつつ、各国の選手の歓迎の方が優先される場なんですよ。思い切り自己表現をするアーティストを支える人ではなく、オリンピック憲章の意図を理解し自分の表現力をオリンピックという場を成立させることに注ぎ込んだ森山未來的な役者・ダンサーを開会式に起用できるような教養のある監督が必要な場所なんですよ。
あと、開会式に冷戦時代だと有効だったジョンレノンのイマジンが墓から出てきたのでびっくりしたのですが、こういうチョイスをしたサブカル層が見てる世界って、難民が出ている世界や国境・領土問題でゴタゴタあるインドやパキスタン、台湾等ではなく、欧米音楽業界のさらにマイノリティの痛みに無頓着な育ちの良いボーイやガールの界隈なんですかね?さらに強者と言われる白人サイドから手を取り合ってって言われるの、どうなんですかね?マイノリティの主張を聞くことから始めないんですかね?
サブカル層はすぎやまこういちや海老蔵に対してカウンター打てるほどの人材や作品をプール出来てないぐらいに日本外交に対して考えもなく、多様性もなく、身内で固まっていただけ。そういう現状を反省しつつ、スポーツの採点でスポーツ業界の人材の方がはるかに多様だったら、大坂なおみさん以外の多様なスポーツ選手にも沢山映像等でフォーカスすれば良かったのに、そういうこともしなかった。
消防団や歌舞伎だせというのは、最低限、ベタな日本的なものを開会式に出せという、あらかじめ想定できた国というスポンサーからの要求。ベタなボランティア経歴のあるMISIAもそう。
音楽は歌謡曲・民謡・太鼓・三味線とか『のど自慢 世界大会』的なベタなもので全然良かったし、前回のオリンピックから違う系統で且つ昨今の流れを組みつつ世界でもわかりそうなものと言ったら、ヒップホップやジャズとかの黒人音楽でも良かった。他は、よさこいやねぶた祭り、漫画・アニメみたいなベタで良かったし、最初の赤い糸を使ったハイコンテキストな割にその意図が『はたらく細胞!!』っぽくて可愛いことにあっていないコンテンポラリーダンスはなくても良かった。
借りてきたマイノリティではなく、自国の中のマイノリティを見つめるなら、日本的なもので統一しても良かった。その流れで、身体障害者として途中からマイノリティになった長嶋さんの登場や、音楽業界ではマイノリティであるゲーム音楽(すぎやまこういちはともかく)は良かった。
老若男女世界各国ウケるベタでローコンテキストなものを嫌って、身内しかわからないハイコンテキストなものや、借りてきたマイノリティ性を好む人たちが、たまたまアーティストサイドを贔屓する演出家を中心となって固まり、音楽・映像サイドもそのことを気にかけなかったことが露呈した、そんな開会式だった。
才能ある人を守れと言われても、コンセプトやシナリオにあった動きをするから守れるのであって、そこを蔑ろにしてたら守れる才能のある人も守れないんですよ。シナリオや絵コンテがあるリニアなコンテンツではなく、電博の雑誌・テレビ的なノンリニアなコンテンツの作りをしていたら、枠を入れ替えるように人もコンテンツも交代されちゃうんですよ。だから外部からの口出しに柔軟に対応できちゃうんですよ。周りに何言われても「これはコンセプトやシナリオ、絵コンテの流れに合ってませんから」で断れずに。
という意見に対して、はてなブックマーカーは批判的にとらえ、
大阪なおみの参加こそが多様性があってすばらしいことだという評価が強い。
私はこれを政治が開会式の演出に介入した事例だと考えるのだが、
これが素晴らしいことならば森元や小池百合子の介入も許容しなければならないだろう。
百合子の支援団体の江戸消防記念会を参加させろと要望出してきて、
演出路線に沿わないMIKIKOを電通が排除して言うこと聞く演出家を据えた、
みたいなことが今年の前半に行われましたって書いてあります。実現しちゃったね…
— フタガワカサラ (@FutagawaKasara) July 23, 2021
どちらも政治的な力学で決まったことだ。これらこそがポリティカル・コレクトネスだ。
要するにはてなブックマーカーがいろいろ文句言ってるけど
彼らが開会式演出考えても政治的内紛の末に同じようにグダグダの開会式にしかならないよ。
あーあほくさ。
演出的な美しさがどうかなんてどうでもよくて、政治的な象徴性の方がみんな大事なんだろ?
重視してたらユダヤ人権団体と交渉して演出家解任は開会式終わってからにしようとするだろ。
いいや違うか、
ビジョンを持って全体を統括する演出家なんてものものは存在しなかったということか。
オリンピックの開会式批判派の方、7年間準備して165億円使ってあんなしょぼい出来で、全体の流れやテーマも意味が分からない。
なんでタップダンス?なんか俳優とか芸人もいるけど?なんでイマジン?なんでボレロ?過去最低の演出だった。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言った小林賢太郎じゃなくて元のMIKIKOや椎名林檎が良かった。と言っている皆さんへ
私はどうしても思っている、言い切りたいことがあったので、つらつらと駄文を吐き捨てていきます。
まず、開会式で165億円を使い切った訳ではありません。
オリンピック、パラリンピック開閉会式合わせて165億円(うち延期だけで使った費用が35億円)ですよね?私が今まで見てきたニュースではそうなっていたのですが、どうでしょうか。
開始早々のタップダンスについて。
江戸消防記念会の方が歌を披露し真矢みきが棟梁となり、五輪を完成させた一連の流れです。
で、江戸消防記念会は小池百合子知事とつながりがあるそうですね。
江戸消防記念会をうまく輝かせないといけないためにどうしたらいいでしょうか。
大きな動きのあるダンスが良いですが動きを持たせるためには大人数が必要になりフォーメンションを組んだダンスも欲しいですね。
また音楽も必要になります。大勢の大太鼓なども相性がよさそうですね。
ただどうしましょう…音に踊りそんな人数コロナとお金の関係で呼べません。
では歌わせるだけ歌わせときますか?そうもいきませんよね。そこで音と踊りを掛け合わせたタップダンスです。
組み立てていくというストーリーにも音による視聴者へのわくわく感も出すことができます。
団体でのダンス練習も少なくて済むのでコロナの中ではかなり優れたダンスだと思います。
ただMIKIKOがいなくなった今、多くのダンサーが一緒に去ってしまいました。
これから新しく人を呼ぶにも誰も来てくれませんし練習時間もないのである程度タップダンスの経験がある人が欲しい、
そこで小林賢太郎は必死に自分身ひとつで交渉し演者をあつめたんじゃないでしょうか。
イマジンにつて。
あの映像ものすごく見覚えがあるんですが…本当にこの時のためだけに作られたのでしょうか。
もともとは、KIMONOプロジェクトが本当は入る予定だったシーンですね。
残念ながらコロナのための延期の中、代表が変わり保存されていた会社のお金がない状況になり、着物は貸し出せないとなったため着物自体、映像も流すことができませんでした。
小林賢太郎はどちらにもかかわりがないため、どうすることもできませんでした。
ボレロについて。
本来は音楽を担当されていた小山田圭吾がほかの曲を入れる予定を立てていたのではないでしょうか。
ラーメンズのバッハのボレロの~という話は絶対にデマです。小林賢太郎は内輪ネタをしません。ラーメンズファンが勝手に言っているだけです。
ファンがファン同士で身内ネタをしているだけなのに、なぜそこに小林賢太郎は駄洒落をしたファンサービスを最後に持ってくる人間だというんでしょうか、意味が分かりません。
2020年12月に前チームが解散し2021年3月に佐々木宏も辞任。
さぁ、7年前から準備してたってなんの話?2021年3月ですべて白紙、全てやり直しです。もちろん資金は増えません6年半の間に一体何十億使われたのか、想像もできません。
小林賢太郎はいろんな偉い人たちにちぐはぐにこれをここに入れろあれをああしろ子供をだせ着物はなしだと言われ続けたであろうなか世界に楽しんでもらえる演出を必死にやってきました。
前チームが言っていたように最後に2020の東京を映し出せるように敬意を払ってまとめ上げました。あとはリハーサルを重ねるだけのところまで持っていきました。
そうした中、音楽が使えなくなり、その調整に追われたのち、解任です。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言ったそうですね。
ネタは見ましたか?あれはVHSでしか販売のない彼がアルバイトをまだしていた時代の貴重なネタですが皆さんは一体どうやってみたんでしょうね。
不適切ではあったのは絶対として、ネタの概要を言うと、当時NHKで放映されていたゴン太くんとのっぽさんが出てくる子供向け番組をコメディーとして利用して、
「できるかな」というのを背景に通常やってはいけないことを並べ、最終的に『ユダヤ人虐殺ごっこで使ったあれをつかおう』というセリフとして出てきます。
それも絶対にやってはいけない(できてはいけない、できるかなじゃねーよ)というものの代表例として出されたもので、とださんにあれめちゃくちゃ怒られたよねといって締められます。
けっしてLet’s play!というノリではないんです。でも海外にはもうそのように報道されてしまいました。20年以上前の話で、彼はこんなこと指摘されるよりずっと前に誰も傷つけない笑いを追求して結果クリエイターになっていたにもかかわらずです。
そう変わってからのネタはYouTubeで公開されておりそこでの収益はすべて寄付へとあてられているとも知らずに。
彼は、決められた箱で決められたルールの中最大限の力を発揮する天才です。
本来の演出とはそぐわないお達し、すでに使い果たされた資金、使えなくなった版権もの、使えなくなった音楽、出演されなくなった演者たち、それに伴い裏方の人々がごっそりと抜けた中、
彼個人が持っているコネクションから演者お願いし、ちぐはぐの上からのお達しをパッチワークして、なんとか見せられるものにした時点で私はすごいとしか言えなかったです。
断ってもよかったのにと思いますがこれを断った後個人で活動されている彼を守るものが何もないので、しっかりと仕事を果たされたのだと思います。
その上で実際の発言に少しのスパイスを加えられた報道でクレジットを消されたなんて、言葉が出ません。そうして最低の演出だったと言われてもこれから彼が何か発言することも許されないでしょう。
何よりも残念なのは、彼の演出は最低だったと言っているクリエイターがいることです。
明日は我が身だと思った方がいいと思います。実感されていると思いますが、この国はクリエイターを大切にする国ではないです。今回クリエイターを殺す国だというのが分からないんでしょうか。
どんなに頑張ってクライアントのいうことを聞きつつ多くの人に楽しんでもらえるようなものを作ってもクレジットを消され作ったものは消費されそれをあいつのせいだと個人を非難されるんですよ。そしてそれは違うとは決して言ってはいけないのです。明日は我が身です。たたくなら個人ではなく組織や国を叩いてください。
もし、ここまで読んでくださった方の中で開会式のここはよかったという点がすこしでもあったらいいなと思います。
老若男女国籍を問わず多くの人に刺さるものを散りばめるのも彼の才能なので、なにかあると嬉しいです。
彼の五輪関連の仕事はまだ残っています、どうなるのかはわかりませんが少しでもいい方へ行ってほしいです。
最後になりましたが、本来開会式を担われる予定だった皆様、本当は参加したかったのにできなくなってしまった皆様、参加したくなくて断った皆様、参加したくなかったのに参加して下さった皆様、全ての働く大人たちに敬意を払って。
あの継ぎ接ぎ、チグハグ感、それがそこにあるべきという必要性を感じない、目の前に落ちてた素材をなんとなく陳列しました、みたいな雑感
もっと日本文化や現代のポップカルチャーを存分に活かした魅せ方はできたはずで、大人の事情で魅力的な素材を手に入れられなかったとしても、あの素材をもっと素晴らしく魅せる演出のやり方はいくらでもあったように思える それこそ、野村萬斎、MIKIKO、椎名林檎らはそれができる人材だった
日本ほど昔から今現在も幅広く独自の文化が発展しまくっている国は世界でも有数、つまり日本という題材は魅力的な素材がいくらでもあって、それは素材が乏しい題材に比べたら圧倒的アドバンテージを誇っているはずなのに、あの出来であることを恥ずかしく思う コロナ禍といえ準備期間も金もあったはずで、その金がどこかに消えて組織は脆弱で人が辞任して、そういう問題含めて結局結果を出せてないのだから、本当に恥ずかしい
ゲーム音楽だってもっとやり方はあっただろう ドラクエ、FF、モンハンの曲だって、日本人の半数以上〜七割が知ってるかどうかくらいじゃないか
王貞治ら三人衆なんて、今の若い子が知らなくても無理ないし、すでに過去の人なのだから、そんな方々を表に引き摺り出すのも、過去の栄光に日本人がいつまでも縋っているように見える
元ネタを知らなくても、カッコよさやおしゃれさ、演出のセンス次第で「何か良い!ワクワクする!」と思わせることはできる MIKIKO案のAKIRAバイク演出とか、正にそうではないか
ゲームオタクや老人、芸人らの知る人ぞ知るみたいなノリでキャッキャ盛り上がってる様を世界どころか日本にすら見せつけて正直恥ずかしいし、日本の素晴らしさを知っているからこそ、もっと出来るはずだったのに、という悔しさがある
あんなにも金をかけておいて、本当に手作り学芸会を見ている気分だった
コロナは仕方ないとして、悪いのはIOCバッハか、組織委員会か、電通か、なんて突き詰めてもしょうもない 多分全部別ベクトルで悪い
唯一、そのノリだからこそ凄く良さを出せてたのはピクトグラムだったと思う あれは万人受けは難しくても、わかりやすく優しい面白さで、手作り感があるからこそ演出の妙が光って”イイ”と思わせるコントだった