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はてなキーワード: 東大寺学園とは

2024-04-06

暇空茜が井川意高ボコられて20分で敗走した動画が16万再生

自慢である東大寺学園入学資産6億を、東大法卒で資産500億の井川マウント取り返されて言い返せなくなって逃げた

暇空のTwitter国賠勝訴で28フォロワーを達成していたが、井川に負けたことで1万人減る

優しく話してくれた町山に「お前は左翼から右翼井川嫌いだろ、一緒に井川叩く配信やろう」と呼びかけるも「次は顔出しでなら応じる」と言われ実質拒否

声優花澤香菜が町山のことを好きだと言っているため、花澤の名前連呼して発狂

2024-03-08

堀口英利が生まれたことで暇空茜の人生が狂った

暇空は高校の途中までは人生が上手くいっていた

小学校の学級会で女子糾弾されて女嫌いになったそうだが、そんなの普通な可愛い思い出に変わる程度のもの

しろそんな記憶が嫌なことのトップにくる程度なんて平和な6年間だったのだろう

中学校から東大寺学園中等部に進学

東大京大に進学するものゴロゴロいる関西名門校

そして順調に高等部に進学

中等部に入れば自動的高等部に入れるわけではなく、あまりに成績が悪いと肩を叩かれる

暇空は中学に入ってからネトゲにハマって身を持ち崩したと自伝で語ってはいるが

高等部進学を許されたということは、ネトゲをやりつつも学業と両立できていたのだ

それが高校生になってからおかしくなり、不登校の末に退学した

ゲームを嗜みつつ勉学も順調だった暇空の人生が急に狂った

なにが起こったのか

堀口英利がこの世に生まれたのである

現在暇空は41歳、堀口は25歳

暇空が奈良県で狂い出した時期、群馬で堀口は生まれていた

いつか出会うことが運命づけられていた二人は、この時から既に互いに磁力を放ち惹かれ合っていた

堀口の暇空を引き寄せようとする磁力が、暇空の脳を変異させた

なんか堀口を絡まれ被害者扱いする奴がいるが、まず堀口が暇空の人生壊したんだよ

2024-02-17

東大寺学園出身書類送検って伝説になるんじゃね?

近畿大学出身なら逮捕者めちゃくちゃいそうだけど

2024-01-07

0.5%当たる確率ギャンブル

先日、自称インフルエンサーの暇空茜氏が「名誉毀損ネームド含めて20人程と裁判してる」といったツイートをしていた。


増田ブクマカにも暇空氏に対し限度を超えた中傷コメントを繰り返す人間散見されるが

氏と裁判対峙する、あるいは内容証明が届き和解金を支払う可能性としてはどの程度あるのだろうか?

尚、インプレも死んでおり名実共に一般人である暇空こと水原氏に対する誹謗中傷は、公共性公益性認定される事はまず無い為

訴訟された場合、不起訴となる可能性はかなり低い。

(例として、はてなでも人気の堀口英利による「暇空こと水原氏は東大寺学園近畿大学特殊学級出身では無いですかね?」というコメント場合、暇空こと水原氏が勝訴する可能性は95%程度だろう。

一般人に対する名誉毀損厳罰となる傾向がある為、公共性認定され不起訴となる可能性は低く、また反訴をしても勝訴出来る可能性は限りなく低い)


暇空こと水原氏に誹謗中傷を繰り返す人間はさすがに三桁ではきかないだろう。

おおよそ数千人はいると考えられる。

仮に4000人程いるとすると、「名誉毀損20人程と裁判してる」という証言真実である場合、暇空こと水原氏に訴訟される確率は約0.5%となる。


0.5%。

数値で書くと相当低い確率に思えるが、ソーシャルゲームでお目当てのキャラをゲット出来る確率よりは低い事を考えると、決して楽観視して良いものでは無いだろう。

実際は20人以外にも裁判にまで至らず和解が成立している(件数不明)、という証言もあり、実際の確率は更に上がる。

仮に裁判と同程度和解が成立していたとするのであれば、確率は約1%に跳ね上がる。


0.5%の確率で、暇空こと水原氏と裁判をするリスク(弁護士費用裁判で拘束される物理時間、及び裁判被告となるストレス)や

和解金(相場で言えば50万~100万程度となる)を支払うリスクを引き当てるギャンブル、と考えると、一体何が楽しくてやっているのか、まるで理解出来ない。


暇空こと水原氏への批判というギャンブルに躍起になっている人達は、今一度振り返り考慮すべきだろう。

自称インフルエンサーの勢いを削ぐのは、何も反応せず黙殺する事だと学ぶべきでは無いだろうか。

2023-12-29

anond:20231229223045

東大寺学園卒で暇空さんより著名で資産ある同期おるか?

しろ暇空さんのおかげで知名度得られたぐらいの西の最果ての田舎学校だろ

2023-09-10

anond:20230910154910

暇空と堀口 裁判の道中もしどちらかが自殺したら…俺は自動的に残った方を自殺に追い込む!!これでいいな!?

なんてなッ!アッハッハ…


というわけで

暇空茜の実家特定ちゃうぞのコーナー始めちゃいますね!

実家から東大寺学園までは大和西大寺で乗り換えというリークについて

橿原線も乗り換えありだったので、奈良線奈良市生駒市だけじゃなく、橿原市大和高田市川西町三宅町田原本町候補に追加。

住所でポン!から候補地の水原家を検索過去書き込みから一戸建てっぽいので、マンションや団地は除外)

以下の7件が候補

奈良市 六条

奈良市 六条西

奈良市 朝日

生駒市 東生駒月見

大和高田市 土庫

大和高田市 日之出

橿原市飛騨

三宅町 伴堂

2023-09-06

暇空茜の実家

0210 Manners maketh man ◆dali1V2LfM (JP 0H87-QfDG [2.56.252.91 [上級国民]]) 2023/08/26(土) 11:42:08.32

実家から東大寺学園までのルートを調べたら、大和西大寺駅で乗り換えるようです。安倍さんが撃たれた場所ですね。

中学校時代の遊び場だった」という投稿とも一致しました。


暇の発狂の仕方がカラスミ特許で住所晒された時に似てるしガチなんかね?

東大寺学園の最寄り駅は近鉄高の原駅と考えられる

まり近鉄奈良線から大和西大寺駅近鉄京都線に乗り換えるので、実家近鉄奈良線沿線にあるということ

近鉄奈良線は鶴橋環状線接続するから鶴橋大学時代の行きつけがあるというのもそういうことやろなぁ


近鉄奈良線は大阪市東大阪市生駒市奈良市にまたがってるわけだが

小学校時代担任吉野に飛ばされたエピソードから奈良県出身がほぼ確定なので、奈良市生駒市のいずれかの出身

住所でポンで奈良市生駒市水原家を確認すると以下の住所が確認できる

奈良市東九条六条杉ヶ町六条西、朝日

生駒市東生駒月見

この中のどれかが実家可能性が高い

ま、ある程度絞り込めてるし、ハズレでも親戚に着弾する可能性は高いから、もし年賀状送るなら全部に送っちゃうのもアリかもね

巻き添えの水原氏の霊には哀悼の意を表する…勘弁してくれ

2023-08-27

anond:20230827202900

東大寺学園合格するような人はそんなこと言わないよ

中退した奴は言うだろうけど

「暇空茜さんは東大寺学園合格した程度のことを誇りにしています」って暇空さんそんなこと言ってたっけ?

高校サッカーだってテレビ中継されとるやろがい」

と言われそうですが…高校サッカーって「高校受験」みたいなもんで、本当に優秀な人はプロチーム下部組織(ユース)に所属してたり、15歳でプロデビューしてたりします。

受験業界で言えば、中高一貫校なしで、誰が頭いいか決めてる高校受験は、中高一貫校出身から見たら「おままごと」です。

これ、千葉御三家出身の人が本当に言ってた話ですし、

東大寺学園合格した暇空茜さんとかも、それをすごく誇りにしてます

から…ツラいけどおままごとなんですよね。

例えば…中高一貫校の中でも4割は東大に行くという灘高校から見たら、同じ県の神戸市で一番いい長田高校の連中でさえ、まだまだなんです。

東大寺学園合格した暇空茜さんとかも、それをすごく誇りにしてます

暇空さんそんなこと言ってたっけ?

2023-08-09

anond:20230809043857

ラサール関西だと思っている低レベルブクマカは置いておいて、あまり元増田が詳しくないであろう関西もひどいけどね。灘、東大寺学園神戸女学院etc(洛南とかあるだけマシかもしれんが)。公立北野天王寺神戸北関東の別学や東京の男女別定員(これは最上位校については女子有利なんだが)より公平だが。

2023-08-03

中学受験東大寺入ったのに近大に行った人はバカにされても仕方ない

そんな言い方は近畿大学に失礼だろという意見はあるが、バカにしないと今度は東大寺学園に対して失礼になってしま

2023-06-11

暇空茜(水原清晃)のバイト先&親戚特定しちゃったかも?

暇空茜@himasoraakane 5月20日

おれが高校中退して建築事務所で埃かぶってたPCCADソフト3d完成図出力機能3dの外観出力してプリントアウトするだけでパソコン先生扱いされるわ施工主は喜んでチップくれるわで美味しかったの思い出した


この自分語りツイート

建築事務所バイトっつーけど、高校中退経験のガキ雇ってくれるなんて親戚のコネ入社しかないっしょ!

で、調べたら、水原さんがやってる建設会社奈良市内に一社だけあった!

https://www.pref.nara.jp/secure/293069/gyoushameibo20230331_3.pdf

中退したのも市内の東大寺学園だし、ここなら実家から通勤可能だと思うんよ

水原くん、答え合わせオナシャス

2023-04-01

暇空茜の祖父名前水原孝夫

嘘でーす


あとこれも嘘だけど、暇空の実家について

本人は実家京都って自称してたけどやっぱ奈良だと思うんだよね

根拠ネトゲ戦記の以下の記述

「取りたての免許と親の車で西大寺にあった24時間ゲーセンキャノンショットに行って夜通し遊び、夜明け前に車を戻したりしていた」

これは大学時代の話で、キャノンショット奈良奈良二条町2-4-14にあったゲームセンター

京都市と奈良市は45㎞くらいだから京都から奈良の往復も出来ないわけじゃないけど

免許取り立てで夜間の長距離はちとキツイだろうし

朝までに戻れないと親が仕事に行けなくなるとか考えると、それほど遠出はできないんじゃないか


あと去年の11月13日ツイート

大学時代とか通学片道1時間から常にポッケ文庫入ってたよ」

近畿大学から電車で片道1時間距離実家がある、ってことだけど

奈良京都も大体1~1.5時間圏内からあんまり参考にできないんだよな

まぁ東大寺学園時代は片道1時間もかからなかった、とも邪推できるんで、やっぱ奈良市近郊じゃねーかなーって

暇空も特定ごっこ楽しんでるみたいだし

やりたい人は住所でポンで奈良県内の水原さん調べりゃ20世帯くらい出てくるから

総当たりで調べれば実家特定できんじゃね?

なんて、ウソウソ



あとこれも嘘だけど

前に暇空が上げてたスプーン写真

弄ってたらおぼろげながら顔のようなものが浮かんできたので晒します

https://anonfiles.com/m6Bcf2i7zc/7645110_png

2021-04-17

anond:20210417192330

たぶんそういう意図じゃないと思うけど、首都圏以外にも数校は優位な私立はあるんだけどね。(特に関西圏。灘を筆頭に洛南やら東大寺学園等。公立王国愛知県でも東海あるし)

中高一貫文化がかなり根付いてしまってる東京以外はその都道府県旧制一中(一中が凋落してて他の高校になってるケースもあるけど)に進学するのが選良の証で人的資本も出来るので、中高一貫への進学はメリット少ないのよ。

2020-12-10

anond:20201209164329

関西はまだまだ公立高校が優勢。ごく一部の灘とか東大寺学園とか行くような超秀才の上澄み以外は、公立の方が後々良かったりする。

特に大阪はマトモな中高一貫が少なく、府立の北野天王寺が相変わらずトップ高だったりする。金持ちのアホボンやアホ嬢が、普通に高校受験したら無理な偏差値の私学に、中学で金積んで下駄履かせて入れてもらうみたいな感じで、フィルタリングとかあまり関係ない。

2020-12-09

anond:20201209164329

分かんないけど関西だと灘とか東大寺学園とか西大和とか洛南とかありつつも、公立校がそれこそ京大合格者数で競えるほどにエリート校として生きているので、東京在住者じゃないかな。

2020-10-28

田舎育ちの方が優秀である環境

高校田舎県の非県庁所在地

地域で一番の学校だけど、東大合格者は数年にひとり、というレベル

旧帝大早慶には10人くらいが進学。

そのほとんどが郡部出身

市内出身者はぱっとしなかった。

なぜなら市内で出来る人は中学受験して県庁所在地私立一貫校に行くから

郡部から交通の便が悪く通えない。

名古屋河合塾東大クラスに行った。

一番出来るのは、岐阜飛騨地方から出てきて寮から通っている人。

愛知県ナンバーワン私立東海高校出身の人は、怠け癖や遊び癖がある人が多く、ぱっとしない。

東海高校で真面目で優秀な人は現役で合格するからだ。

大学阪大

優秀なのは田舎公立高校出たような人たち。

東大寺学園とかの全国的に有名な高校出身はぱっとしない。

そういう高校で優秀なら、東大京大行けるのだろう。

高校クラスメイト、3人が大学准教授になっている。

みんな地元旧帝大出身

彼らは東京に生まれていたら、東大合格するポテンシャルはあったのだろうけど、結局は、東大卒がなるような仕事に就いている。

田舎出身が都会出身よりも優秀であるような環境というものがある。

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2019-05-21

anond:20190521181308

1.暴力で育てた子供が立派な人間になる(暴力犠牲を払い成功を手に入れる)例:堀江貴文井上ひさし

2.暴力で育てた子供が駄目な人間になる(暴力犠牲を払い失敗を手に入れる)例:宅間守和田真一郎ヒトラースターリンサダム・フセイン酒鬼薔薇聖斗加藤智大奈良自宅放火母子3人殺人事件の16歳少年東大寺学園高校

3.非暴力で育てた子供が立派な人間になる(暴力犠牲を払わず成功を手に入れる)例:ビル・ゲイツ

4.非暴力で育てた子供が駄目な人間になる(暴力犠牲を払わず失敗を手に入れる)例:高橋祐也、ウダイフセイン

4つのパターンがありうる。最終的な結果が成功になるにせよ失敗になるにせよ、余計な犠牲は払わないのが合理的である。なぜなら暴力教育有益であることは立証されていないから。

1の例に堀江貴文井上ひさしを持ってくるのは不適切かもしれないが、他に思いつかなかった。堀江貴文https://twitter.com/takapon_jp/status/10509302595体罰社会的成功関係を一笑に付している。なお井上ひさしは、幼児期に継父から受けたDVを妻に対してそのまま反復していたようだ。

山口組の田岡一雄も継父から暴力を受けて育った一人。田岡の場合も、暴力被害体験がそのまま暴力加害者になるハードルの低さに直結しているように思える。もっとも、ヤクザの組長を「立派な人間」に分類する価値観はもはや通用しないだろう。

ヒトラースターリンやサダム社会的地位だけを見れば偉人ともいえる。ただ人間的でないことは確かだろう。

関連記事https://anond.hatelabo.jp/20071212135135受刑者の37%幼少時に親から虐待経験虐待世代を越えて移っていく」

2018-12-07

anond:20181207125427

横だけど自分出身校を「超難関有名」って冠付けるのはないわー

東大寺学園卒が「寺の学校」みたいな婉曲表現使うのはみたことあるけど、「超難関有名」はないわー

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