はてなキーワード: 普通車とは
東京湾アクアラインは、日本道路公団(当時。現在はNEXCO3社に分割民営化)の全国プール制ではなく、単独の有料道路として建設された。
つまり30年間の料金徴収により、単体で1兆4400億円の建設費を償還する必要があった。
そこで日本道路公団がはじき出した料金は、普通車で片道5050円という、想像を絶するものだった。
2002年7月:4000円→3000円に。ETC利用の場合は2320円。当時の最大マイレージ割引率(13.8%)が適用されると実質2000円
今日は1、2時間目を休んじゃって、だってどうせ友達いないし授業もつまらないし、私なんていてもいなくても変わらないんだよな ってこれ言い訳かな。
今日も電車で隣の人は臭くて3回くらい失礼だけど席を移動して 女性専用車両は香水の匂いが入り混じって気分が悪くって 普通車両に移動したら男ばっかりでああなんかもう泣きそうだな。
私のこと好きって言ってくれる人が全員、女の子だったらいいのに。
そしたらセックスが嫌いだなんてきっと言わなくて。
好きって言ってくれた男全員から性の対象を向けられてる気がして、男からの好きが信じられなくなってきた。
結局全員私が好きなんじゃなくて私が持ってる物が好きなんじゃないかって
誰も私自身なんて見てくれないんだなぁ
女になんか産まれたく無かった。
なんかもっとアメーバとかミジンコとか単細胞生物に産まれたかった。
考えちゃう脳が私にはあって、批判を受けて傷ついてしまう脳が私にはあって、死にたいって思ってもああ怖いなあって躊躇するだけの脳が私にはあって。
そんなん全部無かったら良かったのに。
考える為の脳なんてなくて何の為に生きてるのかとかそんなん分からずにそれすら考えられなくてただぼーーっとなんとなく死んでそんな人生が良かったな。
女って本当にアドなのかな、体売ればお金が出来るだけマシなのかな。私が男の世界を知らないからこんな思考になるのかな。
私は何もしてなくて、ただ過ごしてるだけなのに無差別に性の対象として見られて、嫌だって言ってもこっちの意思なんて全然尊重してくれなくて。それでも体を売ればお金が出来るだけマシなの?私の考えが甘いの?私が女だから悪かったの?
体売るのなんか辞めたらいいのにって辞めたら私どうやって暮らしたら良いんだろう。
児童相談所とかあんなとこ二度と戻りたくないし、あそこだって結局男の性欲に埋れてるんだよな。
男がいない世界に行きたい。性欲なんてない世界に行きたい。でもそれだと私は生きれないなあって。結局私は男の性欲に愛されて生きてるんだよな。
憎いなあ私のこと買う人が嫌いだ
そこまでして生に執着する私ってなんなんだろ、ウケる。
産まれたくなかったな、こんな辛い思いするなんて知らなかった。
生きてたらきっと良いことあるよってそんな慰めの言葉いらないから私に1億円くらい貢いで欲しい。
生きてて良いこと何もなかったな。
きっと今までの人生での幸福を全部足しても、死ねるっていう一瞬の幸福にはきっと勝らないんだろうな、死ねないけど。
勇気なさすぎて笑える。死ぬのは実家で、私のことを追い出した父親と女に私の生を見せつけてやりたい。
ああでもそれで何だよ迷惑だなとか思われたらどうしよう。でもきっと私なんてその程度の存在だよな。死を持って生を証明しても私の存在なんて誰かの記憶には残らないよな。
私が16年間必至に生きたって事をきっと誰も認知してくれないよな。
普通車両を使っても文句を言わないのに、ただ同じように女性専用車両を使っただけで文句を言うなら、それこそ思考が性別に支配されてるよね。女性専用車両だろうが何だろうがただ普通に利用すればいいだけ。そこに男性が乗ってきた時も普通車両と同様にすればいいだけ。
地中化はあんまり技術的根拠ないんだよね。「カッコ悪い」「欧米では」「景観」ってずっと言ってて、
最近は「レジリエンスが」「歩行者保護」とか言い出した。でも全部後付け感ある。
停電後の復旧も切れた線が見えている空中架線のほうが早い。水トリーなんかも起こりにくい。
地震後に倒れた電柱が・・・とかいうけど電柱の撤去なんか簡単だし、電柱が倒れているような大地震だと看板とか倒壊した建物とか
交通信号とか街路灯とかいろんなものが倒れているはずで、電柱だけどけても意味ない。そんな大地震だと地中管が破裂して陥没したりいろんなことが
起こっているはずなので幹線道路を普通車で移動したいという考え自体がおかしい。「全部電線地中化したら見た目すっきりするっしょ!」
っていう思い込みから発生してるからいろいろ無理があると思う。
いつもここで言ってるような言葉で応戦すれば良いだろ。
なんで電車乗るだけのためにいちいち応戦しなきゃならんの?
流れてない。普通車両の人口密度と女性専用車両のそれは全然違う。むろん後者のほうがすいてる。
てか、「排除してる」ということ自体が問題だっつーの。性差別。
単純に考えろよ。
女だけで政党組んで、全女がそこに投票すれば小選挙区も比例も大多数が女党の女議員だぞ?
↑や「女だけで内閣」は極端な物言いをしたが、実際やれば地位は取り放題なのにしない。
責任を取らず、男叩きばかり。それが女。
東大に入学した春、僕は父親の年収が700万円だと知った。日本学生支援機構の奨学金に申し込むために、世帯主の収入が必要だったからだ。
当時の僕は父親の年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php
1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代はスーパーのフードコートでマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後にラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。
これが普通の金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。
父親の年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部生時代は親からの仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。
仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分の自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。
東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。
三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。
あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立の高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも(子供の学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営の学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安の家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまったことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物の写真集だとか、普通の本屋にはあまり置いてなさそうな文化的なものばかりだった。普通のハードカバーの小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。
東京の私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークルの活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトをしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯を格安スマホに切り替え、自炊でケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まいの人間はバイトをする以外の方法でお金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くのバイトができないのだと愚痴っていた。
大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから、食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外の大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供が女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。
大学院を修士で卒業した僕は、今は某メーカーに就職して、工場のある田舎で生活している。1年目の盆休み、帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的な修士卒の初任給の額と、冬のボーナスの金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。
その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。
どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!
僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !
共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親の年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収がピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後の男性の年収の中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職のフルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親も母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収は1000万円を超えていたのだ。
その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行をしたことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?
幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越しや結婚式、新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てとマイホームのために貯金を続けているといったところだ。
妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパートの化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラのレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。
金融資産 株1000万 投資信託300万 外貨預金200万 現金800万 妻の貯金は500ぐらいらしい
評価益100万ぐらい
株の評価額も100万ぐらいすぐ上下するから増えても使う気にはならない
習い事なし
家賃駐車場代込み6万5千のアパート。妻からもっといい部屋に住みたいと言われても却下。
車の保険は2台で8万、生命保険は掛け捨て二人で年12万ぐらい。
今の車2台併せて550万は投信の運用益300が出た時に調子に乗って買ってしまった。
次はもっと安い車を買うべき。
行けるとこまで公立
塾は多分無理
必要であれば中3ぐらいからN予備校アプリ月1000円を考えてる
台風25号が西日本に接近していた10月頭の金曜土曜、東京から大阪に出張だった。
土曜日、大阪は朝にちょっと雨が降った程度で、昼間は普通に晴れだった。
晩飯食うには少し早い時間だったので、家に帰ってから喰うことにして、自動券売機で指定券を買った。
会社からの補助は普通車の指定席分しか出ないけど、ちょっと贅沢して自腹でグリーンにした。
自動券売機で買うときはいつもそうだけど、その時間から一番早い列車をとる。
その日は、7分後くらいに発車するやつだったけど、飯はうちで食うので弁当も買わないしお土産も買わない主義なので、時間的には余裕だ。
発券されたチケットを持って改札に向かう。
何番ホームの発車だっけ?と構内の電光表示を見て、初めて気づいた。
列車が乱れてる。自分の買った列車は40分ほどの遅れ。他の列車も90分とか、中には2時間遅れというのもある。
大阪は1日天気は良かったけど、九州の方から来る新幹線は台風の影響があって、夕方のこの時間までまだ乱れてるっぽい。
それにしても、そもそも自動券売機では遅れの表示も何もなく、チケットは買えた。
なんで?と思って駅員さんに聞けば、自動券売機には、遅延情報の表示の機能がないとのこと。
そんなの知らなかったよ! 何時分発って普通に表示されてたら、知らずに買ってしまうじゃん!
どの列車も一律、全体的に遅れてるなら、まあ仕方ないんだけど、遅れてるのはあくまで西の方から来る列車だけで、新大阪始発の列車は普通に定刻通りに発車してるという。
だったら教えてよ! それわかってたら、最初から始発の列車の切符を買うよ!
でも、自動券売機には遅延の表示機能はないから仕方ないと言われる。
だったら切符を取り直すかと思ったら、それもできないと言われる。
列車はまだ新大阪には着いてもないのに、そんなやりとりをしているうちに表記上の発車時刻はもう過ぎてしまってたから。
新大阪発の先に出る列車に買い換えようと思ったら、グリーン車料金まるまる無駄にしないといけない。
おかしくない? そもそも自動券売機に遅延の情報が表示されないなんて知らなかったし。そんなの知ってる人いる?
少なくとも僕は今回初めて聞いた。以後、気をつけるけど。他にも知らない人いっぱいいるんじゃないのか。
これが外は嵐で今まさに台風接近中とかなら、さすがに切符を買う前にもうちょっと慎重に確認もするけどさ。
1日晴れた日で、改札からはちょっと離れた場所で、しかも券売機には遅延の情報も何もなかったら、買ってしまうだろ、普通。
まあ、そのときは結局、40分程度の遅れだし、そのまま待ったけど。
90分の遅れのやつとかだったら、キレてたと思う。
券売機に遅延は表示されないのはシステムの問題なら仕方ないとしても、だったらせめて張り紙でもしておいてよって、後日、JR東海に電話した。
張り紙程度ならお金も人員もかからない。むしろ、間違えて買った客への対応とかにさかれる人員の方が負担大きいだろうって。
そしたら、JR東海の答えっていうのが、遅延情報は改札と駅構内の電光掲示で報せているので、あえて張り紙などの対応はしません、って回答だった。
いや、改札のすぐ横の券売機だったら、こっちも買うときに気づくかもしれんけど、自分が買ったのは地下鉄の乗り換え口の方から来たとところにある離れた券売機だったし。
せめて改札から離れたところにある自動券売機には、なんかわかるようにしておいてよ、って言ったら、
その自動券売機はJR東海の管轄ではなく、JR西日本の管轄だって言われた。なので、言うならJR西日本の方に言ってくれと。
たしかに新大阪駅は、西日本と東海が乗り入れてるわけだけど、券売機がどっち管轄とか、知らんし!
客はあくまで新大阪駅を利用してるんだから、それはそっちで対応してよ。
あー、なんかすげーもやもやする。
はい、どーも!
さて、軽自動車がどうのとあーだこーだといっているけど、自動車で死なないための答えは、警察が行っている交通政策と保険料率に答えがあります。おまわりさんにがよく見ているポイントは、次の4つー。
・スピードは控えめに
・シートベルトを着用せよ
・高齢者は要注意
スピードが出ていたら、車がどんなに頑丈でも死ぬ。シートベルトを着けていなかったら、着用していない場合と比べて、より死んでいる人がいる。若者が生き残れるケガでも、高齢者は致命傷になりやすい。飲酒運転したら車種の差が問題にならないほど危ない。
頑丈な車に乗れとかそういう政策的な指導はないです。極限で死にそうな状況を回避することよりも日常の当たり前のことを積み重ねたほうが死亡事故が少ないということです。
http://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info10/info10_1.html
http://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info14/info14_1.html
http://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info20/info20_1.html
http://www.itarda.or.jp/materials/report_summary.php?q=614&p=h1102/h11-02.html
次に保険料率。軽自動車の死亡率や事故率が高いとなると、保険の料率が上がるはずなのだが、これまでは「軽自動車」カテゴリでひとくくりで、小型や普通自動車に比べて、一山いくらで決められてきた感がある。しかも小型や普通自動車に比べて安価です。サイズとエンジン排気量が一定なので、それほど性能に差がないと考えられていたのかもしれません。さらに小型の車ほど危険を感じる速度が下がります。ギリギリの状態で運転する緊張状態を小型車や普通車ほど長く続けられないということです。
保険会社が、事故を起こしやすい、巻き込まれやすいと考えている車種は、軽自動車よりも小型や普通自動車である。さらにその中で、ドアが二つのクーペタイプやGTなんとかR的な名前の付いたグレードが高めの車、RV車で悪路に喜んで入って行って自損する車あたりになる。さらに走行距離が多いドライバーからは、高めの保険料を取るようになっています。
軽自動車については、車種別の差をつけるように制度を改正しようとしています。が、これまであまり重要視しなかった理由は、保険会社の経営に影響を及ぼすほど、保険金の支払いが多くなかったと考えることができます。
軽自動車 | 小型・普通自動車 | |
---|---|---|
台数 | 21916195 | 39388195 |
月間平均走行距離(km) | 466 | 370 |
年間平均走行距離(km) | 5592 | 4440 |
のべ走行距離(km) | 122,555,362,440 | 174,883,585,800 |
第一当事者死者数 | 796 | 1059 |
事故件数 | 123632 | 209763 |
第一当事者死者数/のべ走行距離 | 153,964,023 | 165,140,308 |
事故件数/のべ走行距離 | 991,292 | 833,720 |
上の表は、2017年の自家用の車の台数と走行距離と事故件数と第一当事者死亡事故件数をまとめたもの。引用元は、警察庁の交通事故統計、自動車検査登録情報協会の自動車保有台数、日本自動車工業会の軽自動車使用実態調査。
軽自動車のほうが平均走行距離が長いのが意外でした。実用車なので稼働時間が長めになるのかもしれません。小型・普通自動車は、都会のベットタウンで平日稼働していない車が多いのかも。
軽自動車の場合、99万kmの走行距離に1件事故が起き、1億5396万kmの走行距離に1人死亡する。
小型・普通自動車の場合、83万kmの走行距離に1件事故が起き、1億6514万kmの走行距離に1人死亡する。
軽自動車は、走行距離の割には事故が少ないので、保険料率としては、低めに設定されているのではないだろうか。という結論に至りました。