はてなキーワード: 教会とは
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
J-POPのサビのようにキャッチーかつメロディーがはっきりしていて、なおかつインストらしさもある曲ってあんまりない。
単に歌のない曲というだけならクラシックにジャズに現代音楽、ハウスにチルにダブステップにフューチャーベースとそれこそ無限にあるんだけど、
どうしても技巧的過ぎたり先鋭的だったり退屈だったり、わかる人にはわかる!って感じで自分には楽しみ方がわかりにくい。
無調性や変拍子を追求していたりとかね。それはそれで面白さはあるんだけど、もっとJ-POPを聴くように体を揺らしてメロディーを楽しみたいわけだ。
その意味でゲーム音楽は良い。歌詞が乗っていてもおかしくないくらいはっきりしたメロディー。Aメロ、Bメロ、サビ!とでも言いたげな構成。
それでいて、色々な楽器やエフェクトが登場したりといったインストらしさもある。最高だ。
クラシック音楽とかでよく「このフレーズは小川の流れを表現していて~」とか「戦争に対する強い反骨心が~」とかあるけど解説読まないと何もわからない。
まあわかるときはとても楽しいわけだけど、そういう経験は稀にしか得られない。
ああここは村だ。ここは海だ。ここは空だ。これは戦闘だ。ゲームをやっていなくて音だけ聴いてもそれがわかったりする。
背景が分かるから、どういう音をどういう風に使って、それを表現しているという技術的な部分も伝わってくる。それも面白い。
ゲームは世界を表現する。だからその音楽も当然同じことをする。
様々な地域の民族音楽を取り入れてみたり、教会音楽のような古い様式を使ったり、逆にダブステップでサイバー感マシマシにしたり。
何よりすごいのがそれらを最初に書いた「キャッチーな音楽」にまとめ上げているところ。
ガチもんの民族音楽って聴いてて眠くなることもしばしばあるんだけど、ゲームだと民族の特徴を残したままなんかものすごいロックになってたりね。
あとジャンル同士の重ね合わせ方がすごいよ。
フルオーケストラとロックバンドを合わせたような音楽って、ゲームのボス戦ではもう当たり前のようになってるけど、そんな音楽ジャンルある?
ほら、同じステージでも二回目訪れると滅んでいたりとかさ、過去と未来で同じ町が発展していたり、あるいはパラレルワールドの同じ場所とか。
そういう時にゲーム音楽って期待を裏切らない。同じ曲を使って、しっかりとその違いを踏まえたアレンジをしてくる。
元が同じで、かつ、何を踏まえてアレンジしなきゃいけないのかっていうテーマがはっきり決まっているから、より純粋に編曲者の脳内がわかって好き。
他には、新作で過去作の音楽がアレンジされるやつとか。あれも良すぎる。ステージもリメイク、音楽もリメイクみたいな。
すごい昔のゲームのリメイクだったりすると、ゲーム音楽自体の進歩を取り込んでいたりして面白い。
あと作例は少ないけど、ゲームの状況に合わせて音楽がリアルタイムに変わるのは狂うほど好き。
立ち止まってたら落ち着いた曲になるとか、ある場所に近づいたらその場所の曲が混ざり始めるとか、時間制限が近づくと曲調が変わるとか。
これってまさに現代に蘇った変奏曲って感じで、好き。
Vaioのパソコンを買った。ボーナスと会社の補助と新生活キャンペーンを駆使して20万円もする物を勢いに任せて買った。
長野の工場で組み立てられ、カスタムされた製品を目にするまで、箱を開くまで、私は自分が誇らしかった。
包みを開いて黒光のパソコンを手にしたとき、走馬灯のように人生で初めて与えられた自分のパソコンを思い出した。もう10年も会っていない父親が、当時まだ大学に入って間もない私に買い与えた最新のVaioだった。オリジナルカラーの薄型モデル。安くはない。
憎たらしい子供で、素直な感謝よりも「どうしてこんなに高価な物を与えるのだろう」という疑問を先に抱いていた。どうせ使いこなせないのに。単純作業にしか使わないのに、と。感謝よりも申し訳なさと、それを感じさせられることに少し怒りも覚えていた。
激しい夫婦喧嘩の後、殴られて休んでいる母を置いていつも父親は子供達を連れ出した。デパートに連れて行って、欲しがる物を買い与えるために。欲しいものなどないし、いつも質素な生活をしているから欲しがる知恵もない。長男だけが賢くて、そのチャンスにナイキのシューズとか高価な物をリクエストする。姉も私と同じで欲しがるものがなかったから、「最新鋭の商品だ」とか「流行っているんだ」とか言われてGショックの時計を買い与えられていたのを覚えている。他人のものは覚えているのに、自分が買い与えられた物を覚えていない。Gショックの記憶が姉だったか、私だったか。覚えていないのだから、多分大切にも扱わなかったんだろう。欲しくもなかったんだから。
今はそれを申し訳なくも思う。たとえ父の完全なる自己満足で「俺はここまでやってやったんだ」と思いたいがためだけの行動であったとしても、本人はそれが本当にいい物だと思っていたのだろう。相手の気持ちを察するだとか、そういう機微がない人だったから、すれ違ってすれ違って、重なり合わない会話だけを上辺で流すことになったんだろう。
ずっと疑問だったことに対して、ふとした時に答えを見つけることがある。もしかすると、本当に喜んで欲しかっただけだったんじゃないかと。不器用だけで済まされる問題でもないけれど、そこに生身の人間がいて、父なりの苦悩もあったのだと思う。Vaioのパソコンは本当に高いのだ。高いけど、本当に最高で、買えるもんなら買いたいと憧れられるほどに良い物なんだ。価値も分からない小娘にポンと与えるおもちゃでは無いのだ。きっと娘を考えてオリジナルカラーでカスタムしたんじゃないか、高くても軽量で薄型を選んだんじゃないか。自分が予算と性能を照らし合わせてカスタムしたパソコンを手にした時、あの時の父は何を考えて、あのパソコンをカスタムしたのかと考えてしまった。
思い出を美化するわけでもなく、ただ単に社会に出て視野が広がり、物事の価値や苦労を知ることで、もしかしたらあの時の両親はこうだったにではないかと感じることが増えた。
高価な物を買い与えられるほどに口封じのように感じられて頑なになってしまっていたけれど、そこに一切の気持ちがなかったとは言えない。冬にものすごく傷つけられた時、対話や謝罪ではなく電気毛布だけが送られてきたこともある。それがとても悔しくて、使わないまま放っておいた時間があった。当時の私は物ではなく言葉が欲しかった。今思えば、父は言葉のかけ方が一切分からなくなっていたんだろう。冬だから、寒いから、そこで選んだ物に少しでも気持ちは入っていたのだと気づく。物でしか伝え方が分からなかったのかもしれない。
仕事でもVaioのパソコンを叩いて、アメリカにもEUにもメールを書いて、今の私が結構立派に社会人をしていることを父は知らない。
もし知ったら驚くと思う。その後に喜ばれる、だなんて単純に考えてはいない。怒りとか、憎しみとか、邪魔をしてやろうとか、どんな感情を持たれるかは想像がつかない。彼の抱えているであろう孤独や沼は深いから、私はもう近づけない。
Vaioのパソコンを見るたびに父を思い出す、そんなこともきっとない。ただ、今後の人生においても何かのきっかけで彼を思い出して精神で対話することはあるだろう。それは教会の懺悔室に似ている。何をどうすれば良かったかは分からないが、ただ祈って許されたい。
父のことを思い出す日が増えたから、父の死が近いのかな。逆に私だったら笑えるな。
最後に会ったのは10年前の名古屋。神戸の大学で当時付き合っていた彼氏のバイクで旅行したついでに父親に会ってみたのだ。彼氏を名古屋の繁華街にほっぽりだして、1人だけ父親とランチに行ったんだけど、今思えば本当に理解のある彼氏だったなあ。
食事が終わると父はお小遣いをくれた。そして「あの角まで彼氏が迎えにきてるから、ここで」とレストランの前でお別れを言ったのが最後だった。その後にメールで「なんであの時に、娘の彼氏に会ってみたいって言えなかったんだって、後悔している」と書かれていた。その後も家族でイザコザが続いて、一切経済的な援助も何もなくなった代わりに、父との関わりもなくなった。それ以来声も聞いていないし、メールすらない。
でも記憶には残っている。
多くのキリスト教徒は明るい。
明確な宗教を持っていない人も明るい人はたくさんいるがキリスト教徒は飛び抜けて多い。
理由は三つある。
一つは神に愛されている実感があるからだ。自分が愛されている実感がない人が明るくなることなんてできない。
二つ目は教会の存在だ。性格は違ってぶつかることはあれど、同じ信仰を持って集う人間は本質的な孤独から逃れることができる。本当に孤独な人間は明るく振る舞うことができない。
三つ目はイエス・キリストの教えだ。イエスの教えはとびきりに明るい。マタイ11にあるように重くて仕方なかったものが、イエスの伝える神を信仰することで、軽くなる。これほど軽い荷であれば誰でも運べる。自分が楽な状態にいないと明るくなることなんてできないんだから。
2000年頃、三宿から三軒茶屋に向かって246号沿い左に不動産屋さんがあった。
主的お姉さんが居るとか、バランス釜の湯沸かし器が熱いか冷たいかとか、
渋谷から歩いて帰ってこれるとか、お洒落でとてもいい部屋だった。
(荷物とかどうなんだろう)と不動産屋に行った。契約したときは付き合った。
「すみません、こちらで東山の◯◯◯取り扱ってると思うんですけど」「はい、取り扱ってますけど(不審な顔)」
「◯◯◯のxxx住んでた◯◯◯さんの友人なんですけど、先週◯◯◯さんが事故で亡くなってしまって。。」 「え!いつ?」
「先週の月曜日です」「事故ってどんな事故?交通事故?」「いえ、自殺なんですけど」。
社長と言う人が詳しいから社長来るまで待ってと言う。社長お茶かってすぐ来た。 ◯◯◯さんはxx日の午後に解約に来た。
すごく笑っていて、朗らかで、何の問題もなさそうだった。 ちょうどあなたがいま座ってるところに座って。
仕事で◯◯?の方に経理かコンピュータの仕事に行くからと言っていた。
敷金は1ヶ月分返した。だけど急いでた。領収書もまだ渡してない。室内の写真を撮りたいのでと鍵を貸してもらう。
昨日も通った目黒川沿いを歩く。目が潤む。これでここに来るのも最後だろう。いつものように階段で上がる。階段で上がればいいんだよね?
酔っ払った重い◯◯◯さんを押し上げて上った階段。何度も開けた玄関。二つの鍵がうまく開けられなかった。 ◯◯◯さんの部屋の匂い。
何にも無かった。カーテンを開けて、窓を開けて、◯◯◯さんのかけらを探すけど、 何にも無かった。押入れの中も、何も無かった。
写真を撮った。玄関。冷蔵庫が置いてあったところ。ゴキパオを吹き付けてしまった壁。 歯ブラシで掃除させられた湯沸かし器のホース。
◯◯◯さんが何度も吐いたり、うんちがついてた便器。 歯を磨いた台所。僕にキスで口移しで煙を吸わせた台所。僕がつけてしまった畳の染み。
あの時の喧嘩のガラスは入れ替わってた。押入れの戸の穴開き。見える山手通りの景色。
トイレットペーパーと、そのペーパーホルダー。上の棚に誇りをかぶったエアコン掃除するスポンジ。
持って帰ろうかと思ったけど、持って帰ってもしょうがない。 あの時のように寝た。畳の上に寝て、ベッドの上の◯◯◯さんの手を握った。
玄関から入ってくる。 こんばんは。ここに荷物置く。今日は何してたんですか?何もしてないことへの皮肉だけど、なんか答える。
台所に立って、キスで煙を吸わせる。何にも無いね。何にも無いね。布を取って、畳の匂いを嗅ぐ。 確かに◯◯◯さんの部屋の匂いだ。
何にも無いと思ったけど、カラーボックス、ラジカセ、教会の椅子、電灯、レンジ、冷蔵庫、体重計、VAIO、ベッド、マットレス、
布団、洗濯機、本当に何にも無い。どうやって片付けたんだろう。それを考えたら妙に冷静になった。でも事件でもないし、
こっから真相が明らかになることも無く、リサイクルショップ化そういうところに引き取りに来てもらったのだろう。
そこも探そうかと思ったけど、そんなことに意味は無い。もう◯◯◯さんは死んだんだ。
もう部屋を出よう。部屋を出るとき、最後に分かれたときのことを思い出した。
「なるべく早く帰ってきてくださいね」って言われた。
帰り道、ずっと泣いてた。どうして泣いてるんですかと聞かれたら、好きな人が死んだんですって答えようと思ってた。
でも泣きながら歩いてる男も変じゃないだろう。自分と現実社会との距離がうまくとれない。 ◯◯◯さんのために生きてきたのに、
◯◯◯さんがいない。
不動産屋さんの方へ歩いていくと、おじさんが外に出てた。入るときには中にいたけど。 席に座るよう促してくれる。
「何にも無かったですね」自分で言いながら涙が出た。「なんになかったでしょう」。 別に泣いてもいいから、
泣いてるのばれてるからティッシュを出して目頭を押さえた。 最初xx日のいつ来たか、午前か午後か聞いたけど思えてなかった。
でも朝一じゃなかったから午後だと思うって。 でも後で14時か15時って思い出してくれた。社長がお金取りに行ったから。
「最近のネットの自殺は良くないね」「今日、昨日もありましたね」「僕が最後にあったの8月なんです」「その時に喧嘩別れしちゃって」
「かっこ悪くても部屋に行かなきゃ」「(泣)そうですね」。そのとき彼女何してたの。無職です。 あー寂しかったんだろうね。(泣)。
引きこもりっていうの、ずっと部屋でコンピュータに向かって。そうですね。 女は頬って置くと離れていっちゃうから。
東京の人と友達になればよかったんだよ(この後東京人は東京タワーに行かないって話し。 泣いてる僕を元気付けてくれようとしたのかな)。
彼女は1ヶ月前通告したんだ。ペナルティ無かったから。 なんで彼女のこと覚えてるかって言うと、前のアパートもうちで紹介したんだよ。
◯◯◯のですよね。そう、コーポ◯◯◯。 洋室がいいって言うんで、ここだったら見晴らしもいいって。神経質なところがあったよね。
変なもんで上の階も開くんだよ。 お母さんからも電話があって、そのとき僕もいたんです、
最初は駆け落ちだと思ったんだよ。急いでたし。結婚しちまえば良かったんだよ。結婚して子供ができてまで自殺することはないし。
でもこないだ死んだけど、それはわがまま。お骨もらえばよかったのに、でもまだ若いか。一生引きずっちゃうし。
俺たちは「死に別れとは付き合うな」っていうのがあって、まだ喧嘩別れの方がいいよね。
彼女最近の変なこと違ってちゃらちゃらしてなくていい子だったのに。
「今日は来て良かったです」「だろ。また来なよ」「ありがとうございました」。 何で僕に優しくするんだよ!僕になんか優しくするなよ!◯◯◯さんに優しくしてやれよ!!
泣きながら歩いて、地下鉄への階段を下りた。渋谷。東急東横店のFOOD SHOW行こうかと思ったけど、 ららぽっとのスィートポテトだったかな、行かず。
銀座線で上野広小路。車内広告のアエラに自殺の見出しが載ってないことに安心。
エヴァンゲリオンはまだ完結してないんだ。
魔法名 | 効果 |
---|---|
マンコ | マンコ属性大ダメージ |
オマンコ | マンコ属性特大ダメージ |
オスマントルコ | ???? |
チンコ属性と対をなす魔法であり当然チンコ属性に効果がある。チンコ属性の魔法はチンコ・オチンコ・チンポ・チンポコ・オチンチン等の様々な上級魔法・派生魔法があるのに対し、マンコ属性は基礎魔法のマンコと上級魔法のオマンコのみである。これはマンコ属性が多くの国家や教会で禁呪指定をされており、研究が進んでいないからである。魔法を唱えることは当然禁止されており、その名前を口にすることさえも忌み嫌われている。それだけに威力は絶大で、基礎魔法のマンコですら全てのチンコ属性の魔法を超える破壊力があり、オマンコは一つの都市を壊滅させる力を秘めているという。オスマントルコはその名称からマンコ属性の最上級魔法とされているが、名称以外の伝承が途絶えているのでその効果は不明。ソープ属性の魔法が生まれる前にトルコ属性と呼ばれる魔法があり、オスマントルコはその最上級魔法ではないか、という説を唱える魔法使いもいる。
つまりだな、世俗化っていうのは、宗教を信じる理由そのものが減じたことによるものだと思う。
多くの人は親から宗教を受け継ぐ。だから今でもキリスト教徒がいるし、子だくさんの国のイスラム教徒は増える。
しかし、例えば、宇宙の真理が知りたいから新たに教会に入門しましたっていう人たちはどう考えても中世頃と比べると減るよね。むしろ宇宙の真理を知りたいと考えた宗教者が無神論者に転向するルートもある。
そこまでいかなくても、親が宗教に熱心すぎるのに引くから子は軽い宗教者になり、孫は全く宗教を信じなくなる、とかね。
ミーム的な意味での世代交代が明らかにうまく行かなくなっているはずである。
これは科学に触れた人が信仰を失う、という話とは全く別なので、実感が得にくいかもしれないが。200年ってスパンにしてみたのは、世代交代を含めた長いスパンを経れば、という意味だ。