はてなキーワード: 性愛とは
例えば、って話なんだけれども。
”男らしさ”だとか、”優しい”だとか、”誠実”だとかっていう単語が制限された状態で恋愛を言語化するサービスって―流行らない。いや流行らないだろうけども―それなりに人気を得たりしないだろうか。
実のところ恋愛なんて、大体は何の知見も与えてくれない、性風俗の代替案、もしくはロマンチックラブの証拠づくりにしか過ぎないしょうもないことだと、改めて定義づけることはできないだろうか。
いや実際一部の恋愛は素晴らしいと思うし、セックスや無償の愛というものによるエンパワメントが存在することも知っているけれど、
それはあくまで一部で、世の中で語られている恋愛の話なんて、自分の経験を自分自身が否定したくないあまりの言い訳にしか過ぎないことが多い。
そして一方で、こうやって僕が恋愛を矮小化するのだって、慎重な僕の行動たちを肯定する言い訳でしかないのかもしれない。
僕らは恋愛という関係を強固に言語化するほど性愛の進化が定まっていない。なぜならそもそもで人間が一夫一妻制で進化したのはつい最近のことで、それは性感染症を防ぐためだったり、戦いによる無駄死にを減らすためだといわれているわけだけど、コンドームや社会福祉の登場で、その進化の状況も途上でひっくりかえろうとしている。進化による損失を補うシステムによって、僕たちは僕たちの進化すら否定するような状態になっている。実はポリアモミーやアセクシャルは進化の最先端にいる人たちで、当然淘汰されるのはアセクシャルだけども、それが一定数発生するのであれば、ゴミどもが言っている”本能による”事実上の多夫多妻制などが出来上がるのかもしれない。
ここでいっておかないと、勘違いをされるので表明しておくと、本能に基づくとされる多数の異性との交際に僕は寄与しない。本能によるならばあなたが生まれた時点の一夫一妻を主張するわけで、本能でいろんな異性とヤるという考え方は、性についてなんら思いを巡らさなかったという表明にしかすぎない。そうでないのならばポリアモミーもしくは、進化した人類だからというべだ。そこに違和感を覚えるのであれば、あなたは性欲のために進化の過程にある人間を騙し、所属する団体に打撃を与える行為を行った、ただの加害者に過ぎない。ここでいう加害とは、モノガミーの考えを抑圧した、あるいはそういった洗脳によって客観的に相手をレイプしたということにある。
そうした混迷の中で僕たちは恋愛を言語化することによって、いったい現在なにを恋愛とするのか、という定義づけを求めているのでないかと思う。いやよくわからん。
しかし、定義づけによって、はしごを外されると恐怖している人たちに一応言っておくが、そのサービス自身があなたの恋愛を抑圧することではない。世の中はレールから外れた人間でも生きることを許されたシステムとなっており、現在それを目指して努めているのだから、たとえそうでない恋愛であっても社会はそれを許容してくれる。なんかもっと書きたいことがあってそれがこの話のコアな気がするけど、酒を飲んで面倒になったからここまでにする。
大変ありがたいご返信ありがとうございます…
しかし性的なことを抜きにすると男に対する嫌悪感など一切ないのです……
恋愛感情≠性愛なので、そことそこを切り離すと男女ともに恋愛対象なのです…
クソめんどくさくてわかりにくいオンナですまねえ………………
あの頃はロリコン認定がめちゃくちゃゆるくて、単に未成年を性的目線で描いてりゃロリコン物扱いだった。
その辺りを踏まえてないと、宮崎勤が児童性愛者じゃなかったとか言うけど部屋から何点かはロリコンアニメだかも出てきたじゃん、みたいな話も実情(たぶん)と違ったイメージになる。
今ロリコンというとイメージするLO漫画みたいなガチ女児対象のリアル志向で生々しい行為が描かれてるようなもんじゃなくて、当時のロリコンアニメなんてちょっと幼げな絵柄の(でも乳はでかい)高校生以上くらいのキャラによる、多分に空想的で牧歌的な代物。
twitterで、ロリコンの権利向上を訴える人に向かって、子供と大人は権力構造があるから云々と的外れな非難を浴びせ、それに反差別・リベラルを掲げる面々が賛同のリツイートしまくってたのが気味が悪くて限界だった。もうほんとおめーらのそのロリコン差別意識をどうにかしろよ。
実在の子どもとセックスするのは(たとえ子どもの「同意」があっても)犯罪。オーケー。異存はない。
実在の子どもを被写体にしたポルノは取り締まられねばならない。オーケー。別件捜査の口実になるとかそういう運用上の懸念はあるが、単純所持の禁止それ自体に異論はない。
(個人的には2回目までは廃棄命令で済ませて3回目以降はじめて送検するというスリーストライク方式でもいいんじゃないのと思うが、それは処罰のやり方への異議であり単純所持禁止そのものには賛成する)
ゆえにロリコンに冷たい目が向けられるのは仕方ない。これは差別ではない。ホワット? ちょっと何言ってるのかわからない。
ロリコンだろうがゲイだろうが成人に欲情する異性愛者だろうが、子どもとセックスしたり子どもを被写体にしたポルノを持ってはいけない。この主張は明瞭でまっとうだ。
なのに、なぜそこにロリコン差別を混ぜ込む必要があるんだろう?
子どもをレイプした男が「いや俺には同年代の妻がいるし、学生時代も同年代の人とばかり付き合ってきたから、俺はロリコンじゃないんだ!」と言ったら罪を軽くすべきとか思うの?
小児にしか欲情できない、というのは、異性にしか欲情できないとか、同性じゃないと性愛の対象として見れないとか、どんな人をも性的欲望の対象にできないとか、そういったものと同じ、単なる性指向の一種にすぎない。
その属性をまとめて蔑視し、彼らの権利向上に反対するのが差別じゃなくてなんなんだろうか。こんな主張が反差別・リベラルの側から流れてくるというのは、反差別を掲げるリベラリストとして地獄感がある。
「ゲイは対等な相手と恋愛/セックスすることが可能だけど、ロリコンはそうじゃないからゲイとは違う」という議論もある。
えっ? ゲイの人たちが求めてたのって「好きな相手と堂々と恋愛/セックスする権利」だけだったの? 違うでしょ?
ゲイであるからといって社会的に差別されない、ゲイ向けの表現をゲイ向けであるという理由で排斥されない、ってのもゲイの権利向上で、ロリコンがそれらの権利を求めることはまったくおかしくないよね。
それこそゲイの中にも非モテとか結婚する気のない人とかはいるだろうけど、だからといって彼らは同性婚には縁がないんだからゲイの権利向上を訴える理由はない、なんてわけがない。
もっと言えば、仮に実際のロリに手を出したやつだったとしても、ロリコン差別に怒っていいんだよ。男をレイプしたゲイだってゲイ差別に怒る権利があるのと同じ。
なぜなら、そいつらの罪はレイプしたことであって、ロリコンであることやゲイであることじゃないからだ。
そいつらは性犯罪者として刑務所に入れられるべきだが、誰もロリコンやゲイであることを理由に投獄されるべきじゃない。
ペドファイルの権利とゲイの権利は切り離せないんだよ。ロリコンを変態と蔑視していいなら、伝統的価値観からいえばゲイだって変態だろ。で、ゲイを差別するその伝統的価値観は間違ってるよな?
子どもを性的に見るなんてこわい、という主張をする人も見かけた。悪いが、ゲイの入団を認めたらロッカールームでケツ掘られる! とかわめいていた連中のことを想像してしまう。
中学校の頃、近所の公園はゲイのハッテン場だから気をつけろ、と言われて、夜に通るときなんかはビクビクしていたが、冷静に考えたらあれは差別だよな。
こわいと思うのは仕方ない、生理的反応だもの。それこそ、ゲイを見てうわキモッと内心で思ってしまうことまで止めることはできない。
でもそれを公共圏に持ち出して特定の集団を差別していいはずがない。
というか公共圏じゃなくても、差別的な反応は内省した方がいいし、内省しないにしてもせめて表に出さない方がいい。もうちょっと自由主義的にいうなら、出してもいいけど、出すなら差別者だと馬鹿にされることを覚悟してね。
何度も言うけど、実在の子どもへの性虐待とか、もっと広範に、立場が上の者、権力を持っている者からの虐待やハラスメントは積極的に罰していくべき、あるいは重罰を科すべき、という主張なら賛同する。
子供を性愛対象にすべきでない、という考えのもとになってるのって、対象の自立した意思の有無だと思う。
一般的な成長過程において、子供のうちは本人の自立した意思が確立されていない、もしくは確立の過程であるから、相互合意の確認が取りにくく強要の構造になりやすい。
なので、いわゆる「近代自我」が、社会において(宗教や社会的な理由などで)軽視されやすい傾向がある地域や国では、この規制が緩い傾向がある。
上記を前提で考えると、ご友人については、同性の子供が性的対象である方については異性の子供が性的対象である場合と同様にダメ絶対、となるし、ノンケの同性の成人が性的対象である後者のご友人は、ノンケ男性側に自我があり断れる状況を作れると考えられるので、レイプや強要やハラスメントなどの相手の意思を奪う行為ではなければ問題がない、と考えるのではないか。
「オタク」の定義がおかしい。ロリコンと同義の言葉として扱っているし、そのロリコンも真の幼児性愛者を指しておらずただ冗談半分に「パンツ」だの「ハイエース」だのと語る人間をロリコン扱いしている。
>幼女の人権より、自分たちの楽しむ権利が優先なのかよ、と思うと反吐が出る。
インターネット上で完結している限りは別に幼女の人権を侵害しない。ロリコン趣味を楽しんで何が問題なのか。
>実際に手を出さない!って言っても手を出してる犯罪者もいる。
手を出していない人間もいる。
一部の人間が児童に危害を加えただけの事件を以って、危害を加えていない多数に文句をつける事は八つ当たりだ。
平成29年版 犯罪白書 第4編/第6章/第1節 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_4_6_1_1.html#h4-6-1-03
例えば平成28年の場合、児童に対し児童から見て家族ではない男性が5件の強姦、4件の強制わいせつを働いている間に、実母は40件の殺人を犯している。
児童の人権をそこまで危惧するなら、オタクより先に親を犯罪者予備軍として扱うべきだ。
オタクというだけで実際に犯罪を犯した犯罪者と同列に扱う事は差別だし、あなたは差別が解っていない。
>ロリコンは被害者じゃなくて、常に加害者であるという認識を持ってほしい。加害者だよ、あんたたちは。
夫が隠れて借金をしていた。洗濯物のポケットから支払い明細票が出てきた。読んでも正確な額が分からない。ただ50万円以上は確実だ。急いで夫と連絡を取り「持ってる金融機関のカードを暗証番号とともに全て提出してね」と伝えた。
これまで我が家の家計は完全に別財布だった。昔から家賃光熱費通信費は全て旦那持ち。子供が生まれて私が退職している今は、そこから更に毎月6万円食費雑費としてもらっている。
思えば夫の金遣いには怪しい所があった。DVDや漫画を買うのが好きだし、ゲームにも課金していたようだ。それでも大人なんだから借金なんかするはずないと思ってた。クレジット会社から送られてくるギフトカードを受け取りながら、私は不安になって何度もこう言ってたのだ。「借金ないんだよね?もしあるなら全部私が立て替えるから。リボ払いは怖いんだよ。6万円払えるの?」それに対して夫は「大丈夫、借金なんてしてない」
どうやら夫は大ウソつきうんこ野郎だったようだ。それでも今まで家計を任せきりにしていた負い目もあるから強く責める気はなかった。
帰宅後、カードと暗証番号をもらって、急いでカード会社のホームページから利用明細を確認。何ということでしょう。彼は毎夜ソシャゲに高額の金を突っ込む大脳の溶けた精神病患者だったのです。
1万円の支払いを一晩に3~4回躊躇なく繰り返している。年末年始なんてひどい。12月31日から1月1日にかけてのリボ払いの大盤振る舞い。
借金の額は、100万はありそうだが夫も正確には分からないと言う。私が「自分の借金の額を把握してないの変だよね?何でかな?」と言っても、夫は辛そうに黙っている。だいたい彼は暗証番号を言うときもキレ気味だった。子供か。私より10以上年上だけど精神が成長する機会には恵まれなかったようだ。
翌日、泣き叫ぶ2歳児と眠り込む0歳児を引き連れて、カードの支払窓口に大金を持ち込んだ。手持ちでは足りず、総額で自分の貯金から140万を返済した。私の貯金の半分以上が電脳の海へと溶けていったのである。南無~。
帰宅後、夫の利用明細をCSV形式でダウンロード。2006年からのクレカ利用状況が全て分かった。ゲロを吐きそうになった。
夫が「旅行に行きたいの?お金もったいない」と言うからいつも1~2泊、国内旅行で安く済ませてきた。新婚旅行も国内2泊1万円以下の宿。そのとき彼は一晩に3万円ゲームに突っ込んでいたのだ。 私があるプログラミング言語にはまって講習に行きたいと言ったことがある。「ふた月で15万円?子供も生まれたし色々考えないといけないんじゃない」と夫は言った。そのとき彼は何も生み出さないゲームに一週間で15万円つぎ込んでいた。
彼がゲームに傾倒しているのは知ってたがこれほどのものとは!!衝撃だった。愛する夫が実は前科二犯の幼児性愛者だと判明する衝撃に匹敵。あなた誰?と思った。
返済した日の夜、夫の携帯のロックを解除してもらい、例のゲームを起動する。夫はゲーム内で隊長を称し、チームを率いていた。既に引退を宣言したのか「寂しいです」「リアルが大事ですもんね」「引退なんてもったいない、隠居してみては」など仲間から暖かいメッセージが寄せられている。
最高に笑えるおじさんたちだ。私の金で興じた戦争ごっこはさぞ楽しかったでしょうね。何より何より。などそのほか多種多様な罵詈雑言が私の頭の中トレドの泉のように湧き起こり、紳士的で親しみやすい彼らにひとつひとつご挨拶したい欲求に駆られる。フリック入力が面倒でやめた。代わりにSRやSSRと記された金銀に輝くキャラクター群を売却。50万、100万かけた電子データが意味のない数字の羅列になり果て爽快爽快。
夫は結婚した当初から仕事で行き詰まりを感じていた。脳と心が疲弊し、私の出産を機に閑職へ異動。年収とともに忙しさも減って私は嬉しかったが夫は寂しそうだった。
夫は20代の青春期を、劇団を率いて舞台に捧げた人だった。舞台をやめた後は仕事に打ち込み、ほんのひと時だが部下を持ったこともある。彼は頼りにされ、リーダーだと持て囃されることに飢えていたのかもしれない。ゲームの中で「隊長!」と呼ばれ、人から頼りにされる仕事のできる俺という幻想に大金をつぎ込んでいたのだ。
ゲーム内の紳士的な仲間たちは「リアルが大事ですもんね」と言っていた。彼らは大馬鹿者である。ゲームとリアルは綺麗に分けられていて、それぞれ別の世界だとでも思っているのか。この世は常にリアルしかない。心をすり減らしながら労働し、液晶画面の絵や文字を変えるのに金をつぎこみ、その金を得るためにまた心をすり減らす。その醜悪な構図はどこまでもリアルだ。なぜ分からない。大脳が溶けてる。
ダウンロードしたCSVを元に計算すると、この3年間、ゲームだけで170万(利息含)つぎ込んでいた。夫もそれを見て塩らしい態度になり、今は私が彼の全個人情報を把握するのに協力的だ。今朝は甲斐甲斐しく子供のおむつを替えていた。すぐそばにある子供のかわいい顔に気づき、しばらくは我が子と「隊長と隊員ごっこ」に興じるようだ。
私も今までの生き方を改めよう。それまで私もひと月に電子書籍で1万円をTL官能小説に浪費したことがあったし人のことはとやかく言えない。今まで買っていた漫画を買うのもやめるし、小説も電子書籍ももう買わないよと約束した。代わりにあなたも買い物は今後しないでと言った。私にとって、何も買わないことは苦ではない。だが彼はどうか。今まで息をするようにキャッシングしていた人間が突然変わることなんてできるのか。不安で仕方がない。
私の実家はそこそこ金があるし、住んでる家は実家の持家だし、切り捨てる決定権は私にある。再びゲームに金をつぎ込めば離婚してやろうかな。液晶の画面がうつしだす「隊長!隊長!」という文字列にかじりつきながらせいぜい一人でうっとりしてればいい。4~5年保育労働をさせて使い潰したら捨ててやると隣で赤ん坊をあやす夫に笑いかけながら考える。そんなひどいことを考えつくぐらい私は怒っていた。 あっでも離婚しませーん(^^)いえーい。
30手前の男で、男の同僚と2年ほど前からシェアハウスしている。
お互いの生活に干渉しあうでもなく、食器洗いや洗濯は自分のものは自分で、掃除は特に分担とか決めず、気になった人が気になったときにやり、洗剤やトイレットペーパーなどの消耗品も、相手が買ったら次は自分が、という程度の分担。ズボラさの度合いが同じくらいなのでそれでうまく行っているし、不満があればすぐに言い合って解消できる関係。
時間が合えば一緒に食事をしたり一緒に買い物に行ったり思いつきで休みの日に日帰り旅行みたいなことをすることもある。
これ、お互いに性的に惹かれ合ったら夫婦じゃないの、と思った。今住んでいる国では同性婚が認められているので、法律上結婚したほうが得するんじゃないかみたいなことを真面目に話し合ったこともある。
僕も同居人も異性愛者で性欲は人並みにあるし、今まで彼女も何人かいた。
でも、今の僕と同居人の関係と、異性のパートナー関係の差分てたぶん性的関係だけなんだよね。
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追記
仕事が終わって覗いてみたら思った以上にブコメがたくさんついていて驚いた。
「そういうのもありなんじゃないの」みたいなゆるくて優しい感じのコメントが多くて少しほっとした。
僕の基本的な態度としては、異性と結婚できればそれに越したことはないし、積極的に同性と結婚したいとは思わないし、同性と性的関係を持ちたいとも全く思わない。
でも、今の同居人ほどストレスなく仲良く一緒に暮らせる異性の相手が見つかるともあまり思えない。
「とても気の合う同性」「それほど気の合わない異性」の二択で後者を選ぶとなると、性愛の部分が自分にとってかなり重要なように見えてくるけど、実際のところそんなに性愛にこだわりあるかなあ?というのが、「結婚する意味がわからなくなってきた」というタイトルの真意だった。
僕が思っている以上に、性愛というのは実は人間の幸福に大きな意味を持っているのだろうか。
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子供はほしいと思うけれど、絶対に欲しい!ということでもなくて、いたらより楽しい人生になりそうだし、いなければいないで楽しく生きられるからいいや、という程度。養子を取ったらというブコメもあったけど、多分僕には向いてない。自分とも結婚相手とも血のつながってない子供に無償の愛を注げる気がしない。自分と血がつながっていたら無償の愛を注げるかというと、子供を持ったことがないのでそれすら確信は持てないわけだけど。
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性愛を伴わない同性婚というものが、婚姻という制度の趣旨に反してハックするようなものだというのはわかる。とはいえ、ブコメにもあるように最小限の共同体としての婚姻関係と考えれば、別にそれほど不自然なことでもないかなという気もする。
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最小限の共同体として婚姻関係を結ぶとなると、いくつかのブコメで指摘されているように、相互扶助ができるかというのも大事になってくるのかもしれない。現在のところ、インフルエンザとかで外出できない、身の回りのことをするのもしんどい、みたいなときはもう片方が半休取ったりホームオフィスにしたりして、食事を作ってやったり洗濯をしてやったり、その程度のことはする。
でも、病気や怪我で仕事ができないとか、単に失業したとかで収入がなくなった時、一時的にであれ自分が養ってやるとか、逆に養ってもらうというのはちょっと考えにくい。でもそれは相手が男だからなのかというとそうでもなくて、別に相手が女だったとしても、僕は失業中の彼女に金銭的な援助をしたりしてもらったりはしないと思う。結婚して法的にそのような義務が生じればそうするだろうという程度。
成功体験が欠如しているんですね。
童貞がセックス「だけ」出来ても満たされないのは当然で、AVオナホ風俗が氾濫する社会で性愛に苦悩する男が求めているのは「異性の承認」であって膣ではない
童貞を苦しめているのは性交体験の欠如ではなく、雄の自尊を構成する「自らが女に求められand/or受け入れられた」という成功体験の欠如なのだ— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) March 27, 2018
この人のように車で突っ込むんですか?
カナダ東部トロントで車が歩道に突っ込み歩行者ら多数が死傷した事件で、複数の地元メディアは24日、アレク・ミナシアン容疑者(25)がフェイスブックで、女性に一方的な恨みを募らせて2014年に銃乱射事件を起こしたとされる男を称賛する投稿をしていたもようだと報じた。
それとも自殺するんですか?
それとも神様を盲信するんですか?
ワイは自殺も、神様を盲信したくもない。できることなら、誰も傷つけたくもない。
一緒に物語を作ろう。
暗闇の中か一筋の明かりを作り出そう。
もしできるなら。
最初に誤解を与えないように書いておくと、別にLGBTの人たち自体が嫌いなわけではない。そこに好きも嫌いもない。
自分が単にLGBTに含まれないセクシャルマイノリティであって、LGBTだけがセクシャルマイノリティであると世間一般に認識されることを恐れている。
特別扱いしてほしいわけじゃない。ただ、LGBT以外のマイノリティもいるんだということを知ってほしいだけ。
自分はたぶん、アセクシャルである。説明すると長くなるので、アセクシャルって何?という方はググってほしい。
たぶんと書いているのは、無いものは証明できないからである。誰かが何処かに書いていていたけれど、真にアセクシャルであることの証明は死ぬまでできない。だから「おそらく」としか言えない。そういうことを言うと必ず返ってくるお決まりのセリフ、「まだ本当に好きな人に出会ってないだけだよ」という言葉をこちらに向けないでほしい。それはうんざりするほど聞いている。そういう問題ではないのは本人がよく分かっているから。私はどんな人間にも性的な魅力を全く感じないだけだ。
自分がアセクシャルだからかどうかは知らないが、基本的に仕事であれプライベートであれ、関わる人間の性別を意識することはあまりない。誰にも恋愛感情を持たないのだから、相手の性別なんてどうでもいい。そんなことよりその人が「何を考えているのか」「何ができるのか」ということの方に興味がある。
だから、とくに尖った才能のある人なんかには惹かれる。惹かれるが、それは単純な好奇心に似ている。極端にたとえるなら、スポーツ選手や歌手に憧れるようなものだ。憧れは同性異性に関わらずあると思う。そして、自分にとって他人への関心は能力に対する憧れ以上のものではない。
能力というと大げさだが、美味しいお店をたくさん知っているとか、ガンプラにくわしい、とかそういうレベルでも能力だと思っているので、つまり自分が持っていないものを持っている人と仲良くはなりたいと思うことはある。ただし、友情以上にはならない。
少し前に、LGBTが気持ち悪い人の話が話題に上がっていたけれど、あの記事に出てきた人は「本能的に同性愛者を拒否してしまう」と言っていた。もしあの記事で例えに出ていたのが同性愛者ではなく無性愛者だったらあの人はどう思うのだろう。それもまた「理解できない、気持ち悪い」と思うのだろうか。
アセクシャルであることで最も面倒だと思うのは、「全ての独身者は恋人(あるいはパートナー)を欲しがっている」と認識している人の対応だ。
「恋人いないの?なんで?」
「恋人いないなら付き合ってよ」
そういうことを言う人は少なからずいる。その人達は目の前にいる人間がアセクシャルである可能性なんて微塵も考えていないだろう。そういうところが悔しい。というか、そういう社会に不満がある。
それでも10年近く付き合いのある友人たちからはその手の話題は減ってきたので、理解してもらえたのかな(あるいは同性愛者だと思われているかのどちらか)と思っている。カミングアウトしたことは一度もない。何れにせよ、恋愛関係の話題を振られないのは助かっている。
問題は会社の人間など、そこまで付き合いの深くない人とそういう話題になったときの場合だ。これは非常にめんどくさい。
なぜ世のマジョリティの大半は、目の前にいる人間がマイノリティかもしれないということを考慮しないのだろう。おそらく自分がマジョリティだからそういう考えにすら至らないんだろうなというのはわかる。わかるが、それが悔しい。
じゃあどうしたらいいんだよ思われるかもしれないが、まず「相手が異性愛者である」という前提で恋愛の話を振るのが間違っていると思う。
たとえば話している相手が雑談の間に「結婚している」とか「好きな人がいる」とかもしくはその手の兆候のある話を聞いたら、「ああこの人は性愛者なんだろうな」という認識はできる。それからもう少し詳しく聞いてみれば、その人のパートナーが異性なのか同性なのか、年下なのか年上なのかどこの出身なのかわかる。そういうことがわかるまでは、異性愛者と思い込んだ状態で話をしないでほしいと思うだけだ。
今まで何度も「異性愛者である前提」で話を振られることが多くてうんざりしている。
どうして一度も「○○さんが好き」とかその手の話をしたことがない人に異性愛者だと思われているんだろう。それはアセクシャルである自分にとって長年の疑問だった。その人にとっては異性を好きになるのは当たり前のことだったのだろう。でも、自分はそうではない。だから、それが当たり前である社会が嫌いなのだ。
LGBTへ対する差別は話題になりつつあるが、その他のマイノリティの中のマイノリティについてはまだ知らない人が多いと思う。だから、LGBTという言葉だけがひとり歩きしているような現状が嫌なのだ。
さて、学校や会社で新しい出会いが増える時期だと思うが、皆様にはどうかセクシャルマイノリティのことを頭の片隅に置いてほしいと思う。理解し、賛同しろと言っているわけではない。ただそういう人がいるということを知識として知っておいてほしいだけだ。そして、初対面の人にはできるだけ「異性愛者である」前提で話を振らないでほしい。自分から言うのはお好きにどうぞ。だが、相手が話し出すまで恋愛の話題は避けてほしい。それで不愉快な思いをする人がいるかもしれないから。
こういうことを、前述した記事に出てきたような人に言ったら「いちいち異性愛者じゃないか気にしないといけない社会なんて息苦しい」とか言われるんだろうか、とふと思った。
でも、今までもこれからも我々はマジョリティの皆様に気を使って生きているわけで、少しだけ少数者のことを気にかけてもほしいと思うときがあるのだ。