はてなキーワード: 対象とは
成田悠輔のプレゼンを初めて見たけど、こんな歩くソーカル事件みたいな人物が持て囃されてたとはさすがに思ってなくて唖然としてしまった
現状否定の材料を色々持ちだしてきて、自分が絡んでるプロダクトを褒めて見せて、それと比べた比較対象が如何に劣悪で魯鈍かを蔑んで見せて、実現できそうもなく成功する根拠もない改善策を提案したあと締めが「諦めろ」」「サンタに壁を壊してほしい」(プレゼンがクリスマス前後だったんだろう)
こんなクソの役にも立たない悲観的夢想論のパフォーマンスプレゼンをルックスのよさとレトリックの巧さだけで成立させるスキルは確かにすごい
でもこれに頭下げて金払うのはさすがに虚無すぎるだろ
そんなにこれを呼んでくると客が集まるの?
精巧な食材サンプルをあまりに美味しそうだからってそのまま食ってるようなもんだろコレ
世も末すぎる
降板を受け入れるコナンやワンピースの関係者が断腸の思いだよ、落ちなくても膨大な量の変更作業ご発生するのはもちろん、作品人気がどっちに転ぶかわからん
不祥事降板の差し替えは、まったくスケジュールないところに押し込むしかないのはもちろん、差し替え前に過渡期対応もすることが多い
リリース済みのものまでチェックの必要がでる、不祥事降板だからやり残しがあるとクレームや、さらし対象になりやすい。だから絶対間違えられないプレッシャー受けながらのピックアップ、修正、チェック作業になるんだ。
迷言・上級節が目立つ多いお偉方たちについてはゲフンゲフンだけど
IPや出版よ。でこれらは絶好調よ。ついでにフロムも好調よ。だからみんな様子みて極端に下げなかったのよ
ちょっと短期的に下げてそのうち3000円台に戻るでしょ(鼻ホジ)ってインパクトのニュースじゃないね
でも、こういう意味不明な報告してたし、『KADOKAWAなら有り得る』って思わせるよね
即落ち2コマ報告
>情報漏洩に関しては調査中です。なお、個人情報・クレジットカード情報などの漏洩は現時点では確認されておりませんが、引き続き調査を進めてまいります。
↑ そっか漏洩しなかったんだ
>また、個人情報保護委員会に本件を報告済みです。
↑ ⁉️
次のような漏えい等の事案が発生した場合、又は発生したおそれがある場合は、個人の権利や利益を侵害するおそれが大きいため、個人情報取扱事業者は、速やかに個人情報保護委員会に報告し、本人へ通知しなければいけません。
例1:従業者の健康診断等の結果を含む個人データが漏えいした場合
例2:患者の診療情報や調剤情報を含む個人データを記録したUSBメモリーを紛失した場合
例1:ECサイトからクレジットカード番号を含む個人データが漏えいした場合
例2:送金や決済機能のあるウェブサービスのログインIDとパスワードを含む個人データが漏えいした場合
例2:ランサムウェアなどにより個人データが暗号化され復元できなくなった場合
例3:個人データが記載又は記録された書類・媒体などが盗難された場合
例4:従業者が顧客の個人データを不正に持ち出して第三者に提供した場合
例:メールマガジンの配信を行う際、個人データであるメールアドレスを本来はBCC欄に入力して送信すべきところ、誤ってCC欄に入力して1,000人を超える方々へ一斉送信した場合
本件だけに限っていえば、煽り立てた反AIが悪いように思います。
絵柄が似ているというのは本来許されている行為(荒れなそうな人でいえば田中圭一さんなど)ですが、反AIの方々はそれを犯罪行為であるかのように吹聴するきらいがあり、鍵をかけてしまった絵師様はそのような発言に当てられて洗脳ないし煽動されてしまったわけですから。
ただ、AI推進派というかAI利用者に全く非がないかと言われればそうではないかと思います。例え許されていると言えども「お前の絵柄でイラスト描いたったでw」のようなことを言われれば気持ちがいいものではありません。他の絵師と絵柄が似ている生身の絵師はいますが、「お前の絵柄パクったったw」と直接言いにいくことはほぼないと言ってもいいでしょう。反AIがあそこまでおかしくなってしまった原因として、生成AI利用者の中に(これまでの絵師では少なかった)著しくマナーに欠ける人(ないし他著作物にトレス的な意味で酷似したイラストを公開するなど本当の犯罪行為をする人)が散見されたからということがあるかと思います。
長くなりましたが、個人的には本件に限っていえば煽り立てた反AIが恨む対象であり、ただかなり深いところまで立ち返って考えるとマナーに欠けたAI利用者や犯罪行為をするAI利用者も恨む対象なのではないかと思いました。
相互フォローの絵師が絵柄窃盗被害にあった(とあまり根拠がなさそうな主張をした)のをきっかけに、
反AIに一度傾いた後、ものすごい勢いで先鋭化して行った絵師が、
最終的に絵柄窃盗被害への対策と称して、絵師以外の全員をブロックした上で鍵垢化すると宣言。
今日実際にそうなった。
今後その人の絵を見る手段はなくなった。
別に飛び抜けてうまい訳ではないけど、発想が独特で推してるCPがマイナーで、
さて、この場合は、
暴れまわってるAI推進派か、
あるいは一端の絵描きとしての相手から認知される努力を怠ってきた私か、
一体誰を恨めばいいんだろうね。
>情報漏洩に関しては調査中です。なお、個人情報・クレジットカード情報などの漏洩は現時点では確認されておりませんが、引き続き調査を進めてまいります。
↑ そっか漏洩しなかったんだ
>また、個人情報保護委員会に本件を報告済みです。
↑ ⁉️
次のような漏えい等の事案が発生した場合、又は発生したおそれがある場合は、個人の権利や利益を侵害するおそれが大きいため、個人情報取扱事業者は、速やかに個人情報保護委員会に報告し、本人へ通知しなければいけません。
例1:従業者の健康診断等の結果を含む個人データが漏えいした場合
例2:患者の診療情報や調剤情報を含む個人データを記録したUSBメモリーを紛失した場合
例1:ECサイトからクレジットカード番号を含む個人データが漏えいした場合
例2:送金や決済機能のあるウェブサービスのログインIDとパスワードを含む個人データが漏えいした場合
例2:ランサムウェアなどにより個人データが暗号化され復元できなくなった場合
例3:個人データが記載又は記録された書類・媒体などが盗難された場合
例4:従業者が顧客の個人データを不正に持ち出して第三者に提供した場合
例:メールマガジンの配信を行う際、個人データであるメールアドレスを本来はBCC欄に入力して送信すべきところ、誤ってCC欄に入力して1,000人を超える方々へ一斉送信した場合
これが見えてない人が多い。
今まで名字が嫌な子どもは国を恨めばよかった。これからは恨みの対象が「親」になる。
同姓を選ぶか、別姓を選ぶかでも、子どもに責められうる。
増田は正しい。
個人的には、選択的夫婦別姓に「ただし子どもは親の姓名選択を責めてはならない」という制限を加えるべきだと思う。将来成長した子どもに名字の選択を責められないなんて保証はないのだから。
「ファン」という言葉が制度疲労を起こしているから「推し」という言葉が出てきた、と整理すると良い。
というあたりの事情があって、「推し」の方が使いやすい、という事になってきた。
最近スポーツでもアイドルでも、「ファン」となるとコミットメント凄い人がいるから、ファンを名乗るならいつも情報チェックして、現場にもどんどん行って。。。が求められがち。
ちょっと好感持ってるぐらいだと、ファンだと人に言うのが難しい時代になってきてる。
乃木坂46のファン、FF14のファン、阪神タイガースのファン、羽生結弦のファン・・・
いろいろあげてみた。どれも大きなコミュニティがあるよね(1つとは限らないけど)。直接所属するかどうかはともかくあらゆるコミュニティと隔絶した状態でファンを名乗る時代でもなくなってきてる。
例えば、千葉ロッテマリーンズのファンが、佐々木朗希を特にごひいきにする場合、そのひいき感情を「ファン」と呼ぶのは若干微妙。
そういう諸々の事情があって、「ファン」と言うより「推し」が、より個人的で穏当で好意を表現しやすいって事になったのだと思う。
「ファンも推しもよく分からん」という気持ちはよくわかる。自分は今は完全にあるスポーツチームのファンだし、推しも明確だけど、初めの頃はわざわざ応援に行って「あれ?俺この選手好きなんだっけ?」と我に帰ったこともある。
一方で、自分が好きなもの、というのは往々にして自分の価値観に連動するものだから、「推し」を持つことは悪いことでも無いと思ってる。「推し」を通じて自分探しをするのも良い。
少しわかる。
一般的に「好き」とか「ファン」は純粋に自分の心に基づいてる感じがするが、
「推し」という言葉は選挙や人気争いで他に競り勝ってもらうように担ぎ上げる、みたいなイメージがあって、
https://anond.hatelabo.jp/20240621170217
「一推し」という言葉がすでにある状態で、そこから分離させて使い始めたのは賢いと思った
よくあるギャル語みたいな造語ではないから、メディアも使いやすく考えれば意味もわかる
ただ推薦の意味はかなり薄れているのは確か
なぜこの言葉が流行ったかって、推し活が流行ったからではないと思うんだよね
「ファン」はそれでいうとあくまで自分の状態を指してるだけなんだよね
「好き」は形容動詞だしね
「お気に入り」とか「好きな◯◯」は長いしね
英語だとfavoriteみたいなのあるけど(今だとbiasらしい)
2文字で好きな対象を表したいというモチベーションは、良質なコンテンツに溢れて個別にそれを楽しむようになった今どきなのかもしれないけど
GPT3.5とGPT4とでは歴然の差があるとは感じる
でもGPT4とClaude 3 Sonnetとでどれくらい差があるのか、よくわからん
○○の出力は得意だね、賢いね、とか
結局恣意的に見てるだけなんじゃねって気がするし
英語や中国語ヒンディー語スペイン語とかの他の言語で賢いの?どーなの?って尺度では体感的には分からない
実際は何某かのスコアを使って定量的な性能評価をしてます、なんだろうけど
どこまで信用できるんですかね
賢い賢くないってそのスコアで測れるんですかね
AIっていう非常に複雑な対象を、何々スコアっていう単純なものさしで本当に測れているのか?
人間だってペーパーテストの点数や知能テストで「賢さ」が分かるかっていうとそうではないじゃん
いまだに地頭なんていうよーわからん概念を信仰してたりするじゃない、人間はね
と、いうふうなことがAIにも言えるんじゃないのと思う
LLMが競い合う折れ線グラフみたいなやつも、あれを出して、○○が××を上回りました、って主張するけど本当にそうなのかね?
歌川広重並に疑わしいよね
https://togetter.com/li/2386568
筑波大の先生の言い方が乱暴だという問題はあるけど、「そろそろ薬で男性の性欲をコントロールすべきでは」というのは割と同意するな。
性暴力が理性ではなく「衝動」というなら、それはもはや治療の対象でしょ。松本人志もそうだったわけだけど、過剰な性欲を持て余している男性はたくさんいると思うよ。
自分自身も、酔っ払って電車に乗ったらJKに痴漢とかしてしまわないか、という心配や恐怖がある。飲んだら必ずタクシーで帰るという人もいるが、自分は金がないのでできない。
そもそも、長らく宗教の道徳がそういう性欲をコントロールしてきたわけだけど、今はそうした道徳は弱くなったんだから、かわりに薬に頼ると言うのもアリなんじゃないか。
まずわいせつ物について、最高裁判所は「その内容がいたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」ものと判示しました。(最高裁判所昭和32年3月13日判決・刑集第11巻3号997頁)。
他人を性的に興奮させたり、刺激させるような文書であることが認められれば、性的羞恥心を害しないなどの事情(芸術品等でしばしば問題となります。)がない限り、「わいせつな文書」等に該当する可能性が高いです。
わいせつ物であるかどうかの判断基準は非常にあいまいです。本人がわいせつ物ではないと思っていても捜査の対象となるケースもあるため、注意する必要があります。
ソース : 「GIGAZINE」2024/6/9投稿記事「2024年夏開始の新作アニメ一覧」
https://gigazine.net/news/20240609-anime-2024summer/
・声優総数:484名(延べ人数)
・ここには2024年7~9月期の出演作品数が3作品以上の39名を出演回数で降順記載
キャスト名 | 2024年7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 10~12月 | 7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 10~12月 | 7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 2021年10~12月 |
鈴代紗弓 | 8 | 0 | 1 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 |
早見沙織 | 5 | 2 | 3 | 6 | 2 | 0 | 6 | 4 | 3 | 6 | 2 | 4 |
津田健次郎 | 5 | 2 | 3 | 3 | 1 | 2 | 2 | 6 | 1 | 5 | 2 | 2 |
小野大輔 | 5 | 1 | 1 | 5 | 2 | 1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 |
福山潤 | 4 | 1 | 7 | 3 | 5 | 3 | 5 | 6 | 2 | 2 | 0 | 2 |
東山奈央 | 4 | 4 | 3 | 3 | 2 | 2 | 3 | 3 | 6 | 2 | 3 | 2 |
斉藤壮馬 | 4 | 3 | 4 | 3 | 2 | 1 | 3 | 5 | 3 | 1 | 5 | 3 |
上田麗奈 | 4 | 2 | 6 | 7 | 4 | 4 | 1 | 2 | 2 | 1 | 2 | 2 |
内田雄馬 | 4 | 2 | 2 | 3 | 2 | 6 | 1 | 4 | 3 | 2 | 4 | 1 |
下野紘 | 4 | 2 | 1 | 4 | 2 | 4 | 3 | 4 | 4 | 0 | 4 | 2 |
和氣あず未 | 4 | 2 | 1 | 5 | 0 | 3 | 3 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1 |
沢城みゆき | 4 | 1 | 2 | 0 | 1 | 2 | 3 | 3 | 1 | 0 | 1 | 2 |
天﨑滉平 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 |
杉田智和 | 3 | 5 | 3 | 5 | 3 | 4 | 9 | 7 | 2 | 1 | 2 | 4 |
高橋李依 | 3 | 5 | 6 | 3 | 3 | 5 | 4 | 3 | 4 | 3 | 3 | 2 |
日笠陽子 | 3 | 2 | 3 | 8 | 3 | 2 | 5 | 2 | 5 | 3 | 4 | 1 |
花澤香菜 | 3 | 5 | 2 | 2 | 4 | 4 | 4 | 4 | 2 | 4 | 1 | 4 |
内山昂輝 | 3 | 2 | 1 | 3 | 1 | 3 | 5 | 5 | 3 | 2 | 1 | 3 |
榎木淳弥 | 3 | 2 | 0 | 7 | 4 | 3 | 3 | 1 | 1 | 3 | 3 | 2 |
古川慎 | 3 | 5 | 4 | 2 | 0 | 5 | 3 | 2 | 1 | 3 | 1 | 2 |
佐倉綾音 | 3 | 2 | 3 | 7 | 2 | 0 | 2 | 3 | 2 | 4 | 1 | 1 |
岡本信彦 | 3 | 2 | 5 | 2 | 3 | 6 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | 0 |
釘宮理恵 | 3 | 3 | 4 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 3 | 2 | 2 | 1 |
上坂すみれ | 3 | 1 | 2 | 1 | 1 | 5 | 2 | 1 | 3 | 1 | 0 | 3 |
安元洋貴 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 1 | 2 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 |
大久保瑠美 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 4 | 2 | 5 | 2 | 1 | 0 | 1 |
潘めぐみ | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 2 |
石見舞菜香 | 3 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 |
内山夕実 | 3 | 4 | 0 | 2 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 2 |
三木眞一郎 | 3 | 2 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 3 | 1 | 1 | 2 | 0 |
芹澤優 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 |
関智一 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
梅田修一朗 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 |
水中雅章 | 3 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 |
安済知佳 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 |
柿原徹也 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 |
中島由貴 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 |
松田健一郎 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
笠間淳 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
「ラーメン赤猫」が楽しみです
「推し」の対象はだいたい「他人に(より多くの人に)勧められたい」「(より多くの人に)応援されたい」立場の人が多いからというだけの話じゃないの
つまり「(君が望むので)いいね数とか視聴者数とか販売数を稼いであげたい」ってこと
貢ぎたい欲だと思う
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
自分も「萌え・俺の嫁」世代で、周りに「別に推したくない…ただ好きなだけ」って人らが少なくない
でも自力で見つけた面白いインディーズゲームと作者は推す(対個人じゃなくて不特定多数への紹介)
知り合いと楽しさを分かち合いたいのはもちろんのこと、プレイヤーが増えると作者の心や懐が潤って新作を作ってくれる可能性が上がる、という実利があるから
人気出たらもっと楽しめる要素が増える、みたいな
東京都知事選が混迷を極めている。
保守のアイドル「小池百合子」と左派のアイドル「蓮舫」の戦いだ。
共産党の闇の力を手にした蓮舫が、絶対王者「小池百合子」に挑む。
民主主義の手によって。
これが今の日本だと、そう思う。
失われた20年が30年になり、40年に迫ろうとしている。
氷河期に陥り、その長い不況の中で自民党や、それに追従する資本家は、
日本を立て直した人々は、もういない。
あの頃は違ったのだろう。
日本には未来があった、ゼロから、マイナスから、立ち上がる未来があった。
確かに自由恋愛や、男女平等も無く、労働者の権利は今以上に弱かった。
黒部ダムの建築の如く、多くの人が見えない所で亡くなった現実も、あるだろう。
それでも、あの頃を生きた人には、
あの頃を生きた人は羨ましく、輝いていたように思う。
何も学ばない、愚息であったのか。
生き残った意味は、なんだったのか。
腐敗と堕落、慢心と楽観の中、
ただ漫然と過ごしたのならば、しらずのうちに選択肢が搾られるのは、
個人がそうであるように企業もまた、自治体も、国も、同様であろう。
もうすでに、この国に選択肢は残されていないのだと、そう思う。
今一度、立ち上がり40年に迫る遅れを取り戻す胆力も、不遇逆境の中、あらゆる汚名と損害を被ってでも尚、手にしたい未来も、
既に無い。
資本家に無いのも、政治家や、その周辺に佇む非民主主義的に滞在する者共も、同じであらう。
都民かあるいは市民の、名も無き人々に残された最後の選択肢なのかもしれない。
今、これを読む人々が、どれほど真に政策による社会変革を信じているだろうか。
それよりも望むのは腐敗した政治家と、その家族の破滅ではないか。
彼の上級国民の如く、衆愚の視線が求めるのは、傲慢と堕落に満ちた醜態を晒し、正義の名の下に捌かれる光景ではないか。
小池都政を私は評価できない身の上だから、彼女の功績の是非については語らない。
蓮舫が勝ち、そうして自民党政権が再び「お灸をすえられる」のだ。
しかし今、国民はあの時ほど、旧民主党系政党や左派連合に夢や希望を抱いている訳ではないだろう。
あの時ほど、夢と現に惚けるほど、愚かではない。
再び混迷の時代に突入して尚も、保守政党の破滅を望んでいるのである。
自民無き後、残された者たちに、国政を担う力は無い。
辛うじて生き残っていた多くの企業が、力を削がれるだろう。
残された世代も、力は無い。
あの戦後のように連帯し、明日へ向かって共生する事など不可能だろう。
辛うじて生き残った企業もまた、人を雇う力が無い。
頼みの綱であった外国人労働者も、
「人を育てる」ノウハウは失われ、同時に次の世代に何かを残す力も残されていない。
もし、それが決定的となる出来事があるとすれば、
2030年~2040年の震災か、2040年~2050年の戦争だと思う。
いずれにしても遅かれ早かれ、この二つは確実に起こる。
期待は出来ない。
そもそも自ら生き残り、私腹を肥やす事をしてきた世代の、その二世・三世だ。
日本というものに発展が見込めないのであれば、それを捨てない理由はない。
辛うじて維持されていた理性の部分が、瓦解する。
その事が否応なしに叩きつけられる。
いずれにしても、
だが、その時の日本に、
馬鹿だったなと、笑いたい。
ネット百科事典や記事とかで改めて調べてみると「好き」や「ファン」に「応援」や「他人に勧めたい」という感情が加わったもののようだ。
その対象はアイドルでもVtuberでもスポーツチームでも、現実の知り合いでもなんなら無機物だっていいみたいだ。
う~~ん、わからん。
前に流行った「萌え」や「俺の嫁」ならなんとなくわかる。要は「自分はこれに好意を抱いています、以上」ってことでしょ。わかりやすい。
「推し」の含むニュアンスのなかでも特に「他人に勧めたい」っていう気持ちがわからない。自分の感情を表すのになぜ他人が出てくる?他人が何を好きでも嫌いでも関係なくない?
だいたい「応援」もわからない。自分が応援してるチームが勝つと嬉しいと思うのが理解できない。ぜんぜん関係ない人たちなのになぜ?
そもそも誰かのファンになったり、偉人や有名人をリスペクトをしたことも一度もないんだよな("便宜上そういうことにした"場面は少なからずあるけども)。