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はてなキーワード: 太宰治とは

2020-03-08

anond:20200307134320

よく頑張ってる。偉いぞ。

少なくとも太宰治より人間だ。

作品はどうだか知らないが、太宰より人間としては上だ。

あの太宰は糞人間。いや人間付けてはいけない糞そのもの

女遊びどころか、自分の子供に知的障害児が生まれから、やれ俺はダメだとか愚痴っては女をくどき落とし、独りで死ねいからと女と多摩川上水で心中すること2回。飲み水として使う人間のこと考えろ。つーか、昔と違って、障害児は牢屋に入れられる事もあったのに、それ知ってて、無責任に逃げ出した。

かにも、ヒロポンかいう薬に中毒になったから、井伏鱒二精神病院入院させたら、井伏に悪口雑言。

隣近所に桃が咲いて、いいないいな連発。金を積むから譲れとしつこく。金よりもしつこく迫られ、嫌々ながら譲った桃の花。太宰ファンは、それを知ってて桜桃忌という名前付けて集まるのか?どんだけ自己中なんだよ。そんな自己中を許すなよ。

麻薬ジャンキー自己中や人間失格どころのじゃない。糞そのもの

あんな糞よりも、大事仕事が出来てる。障害児の親を。胸張っていい。よく頑張ってる。少なくとも、自分は誉めるぞ。愚痴こぼしたい時はいつでも愚痴れ。

2020-02-27

Twitterを辞めた

Twitterを(ほぼ)辞めた。まあまあフォロワーがいる某ジャンル二次創作の垢と、ジャンル違えどまあまあ仲良しな人(ネットのみ)がいる垢と、リア友10人くらいの垢のうち、前者2個を消した。別に嫌なことがあったとかではない。なんとなく、「ジャンルが移る度に友達が消えて増えてを繰り返して、一体何になるのか?」と思ってしまたから。それで1個目の垢を消したら、2個目の垢もなんか見る必要なくなった気がして消した。リア友の垢はあまりタイムラインが動かないから見る頻度が朝1回だけになった。

時間が余る、余る。もともと某ジャンルに飽きかけていたこともあり、描く物がなくなった。漫画家になりたいといいながらなる実力も気力もなく、簡単に滾る気持ちを手に入れられる二次創作をしていたが、そろそろ本気で目指そうか、と思い、ネームを描いたりもしたが、途中で飽きてしまった。たんに飽き性である

最近美術史の本や太宰治とかの文学()を読んで頭が良くなった気になってる。

描きたいものもないし、描きたい気持ちも起きない。

なにかいジャンルがあったら教えてください。ハマりに行きます

2020-02-18

太宰治

ふと思い出して葉を読み返した

太宰の文章は今の時代でも共感し易いし読み易い

麻の着物のくだりとか結構な人がよく考えることだと思う

あのライブまでは生きていよう、だとか

2020-01-26

少女”という名の虚構について、久遠千歳について、Vtuberについて

 何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分空想が生んだ虚構事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております

その大切な大切な彼女天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女創作天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります

隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います

 彼女は罪人ではないのです。一個のスバシイ創作家に過ぎないのです。

単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然彼女自身破局構成して行ったのです。

 しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局ドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。

 ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。

 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。

 ただそれだけです。

夢野久作少女地獄――何んでもない」


久遠千歳という女性を知っているだろうか

いや、やはり知らなくても良い、話は幾らでも通ずる

これは少女地獄、何んでもないの感想連想に過ぎないのだから

少女”をもっとも蠱惑的に見せる理由は何だろうか

それは、一にも二にもなく、「嘘」だと思う

得体の知れない、正体の分からない、手ごたえのない、暖簾に腕押しのような、気怠げなその雰囲気本質である

この系統で、日本で最も人口膾炙しているのは、間違いなく椎名林檎であろう

百色眼鏡を想起する方もいるだろうか

「私に、恋のこころが無くてもいいのでしょうか?」

 と私は少し笑っておたずねしたら、師匠さんはまじめに、

「女のかたは、それでいいんです。女のひとは、ぼんやりしていて、いいんですよ」

 とおっしゃいます

太宰治斜陽




このネットでは、虚構を振りまいて歩く“少女”を多く見つけることができる

彼女らは嬉々として自らの理想とする“虚構”を、思うままに追及し、それを公然披露する

まるで、このネット世界が丸ごと劇場であるかのように

彼女らの“少女”には、衆目を惹いて止まない魅力がある

彼女たちの身命を賭して構築された“世界”には、容易には抗えない魔術的な引力が籠められている

そして、何よりも美しいのは、丹精込めたであろうそうした瞬間的芸術品を、ある瞬間から事も無げもなく、あいけらかんと放棄して、住所(address)も綺麗さっぱり消して、住処(Twitter)も更地にして、まるで白昼夢か、あるいは妖精かのように錯覚させるかの如くにしてしまう所にある

から次へと棲所を変え、顔を変え、声を変え、そして勿論、名を変えて、移り変わって

そうした変貌が、我々を以ってして正体を暴こうとさせ、知りたいと思わせ、追いかけたくさせる

私にとっては、それが久遠千歳という名の“少女(虚構)”だった

危うげで気怠げな、“少女”であった

思うにVtuberという世界は、宿命的に“虚構であることを強調される部分がある

論者によってVtuberが究極のコンテンツと称される所以はここにあるような気がしてならない

2020-01-08

anond:20200108081044

今時の子どもは今時のアニメを見たらいいよ

おっさんもの回顧につきあう必要はない

太宰治を読むべきとか、宮沢賢治を読むべきとか、

そういう説教垂れるクソジジイ辟易してるのが今のおっさんのはずなのだ

悲劇は繰り返されている

2019-12-12

anond:20191212035709

学生で親にかばわれていきてるんでしょ

でもまあ太宰治学生時代から金持ちの家にうまれても優しくされない嫌われてると思うタイプだったらしいか

そう思うやつは結構いるんだろうね

2019-12-07

太宰治人間失格」を読んだ

主人公のすがすがしいクズっぷりが笑えた。

まさに「人間失格」。

面白い小説ではあったが、これを延々と高校生たちが読書感想文の題材にするのはいかがなものか。

もう少しまともな小説がありそうなものだが。

そもそも文学というのはかくもくだらないものなのか。

高校時代感受性が強すぎてこの作品はまともに読めなかった。

それから数十年経て初めて読めるようになった。

読後感としては、そこまで警戒すべき作品でもなかった気がする。

同じ男として、あそこまで女にモテるのは、正直、妬ましい。

が、この男のクズなところは、女性にここまで愛されても、それを自分幸せには一切役立てることができなかった点だ。

これが文学なら文学というのは本当にくだらないね

太宰治という男もろくでもないと思った。

ポルノやら萌え絵やらを問題視するなら、よほどこんなくだらない小説発禁処分にでもしたほうがいいのではないか

これが名作だの、太宰治文豪だの、イケメンだの持ち上げられている世の中もいかがなものかと思った。

所詮、この世はそんなものかもしれないが。


追記

人間失格」は誠に胸クソ悪いクズオブクズな話であるが、そのクズ度の純度が高いゆえに、反面教師としては利用価値が高い気がしてきた。

この主人公は、物語のあらゆる分岐ポイントで、不幸になる方向に進んでいるので、常にその反対を選択し続ければ幸福になれるということであろう。

この主人公クズであるゆえんは、とにかく人間と一度もまともにコミュニケーションしたことがないという点である

本音を伝え、本音を受け取る」という普通の assertive なコミュニケーションを一度たりともしたことがないのだ。

から本来ならば、この主人公は、人生の重大な分岐点において、その選択にかかわる重要ステークホルダーたちと腹を割って本音を話し合うべきであった。

そうすれば、あんなに風に追い込まれ廃人になることはなかったであろう。

太宰治も当然そのことはよくわかっていて、それでもどうしてもできないので、せめて小説の形で書き残し、後世で反面教師にしてもらおうとしたのかもしれない。

2019-12-02

HUMAN LOST 人間失格 観てきた。

太宰治人間失格近未来SFとしてリライトしたという位置づけのアニメ映画でした。

制作ポリゴンクチャーさんなので、

劇場アニメGODZILLA」の最終章「星を喰う者」に近い映像美がありました。

ストーリーは、

サイコパス進撃の巨人エヴァンゲリオン+AKIRA+攻殻機動隊まどマギ

を全て足し合わせて割ったというか、

それぞれの作品にあった設定や脚本の一部をパクってきたような・・・もとい、

それらの作品からインスピレーションを得て作られたような、

ことなくどこかで見たような既視感のあるシーンが多かった印象です。


有名な文学作品原作とする着想は良かったと思うのですが、

ラストいまいち消化不良というか。。ちょっと残念でした。

2019-11-13

SNS

ユーザー自由に「織田信長の墓」「太宰治の墓」「個人サイト文化の墓」みたいな墓を建てられるようにして、建った墓に他のユーザーが弔文を書き込んだり、バーチャル献花したりできるようにする墓SNSという概念を昨日の夜中に思い付いた。

そこまではいものの、私には実現する能力もやる気も無いのでここに投下して供養としたい。埋もれろ埋もれろ骨になれ。

まあ実際にこれをやったら、存命人物の墓がいじめ目的で建つ、遺族に訴訟される、的問題が当然出てくるだろうから実現性クソ低いんだけど。

2019-11-10

モテる男を育てたい

部屋に小説漫画本が増えてきたので選別のために流し読みしていた。息子をどんな人間にしたいか習い事で書かされる欄を埋めなきゃと思いながら、書けるわきゃないけどモテる男にしたいと思いながら。

太宰治だめんずだけど母性本能擽るし女の機微に聡いしこりゃーモテるわ。

村上春樹うまいことあらを見せないでやれやれかいいながら特別人間になりたい女をうまいこと転がせる感じが都会的でモテるわ。

アンデルセンはだめだ。コミュコンプを女の浅はかさのせいにしてる感。物語の中で少女がひたすらかわいそう。モテねぇモテねぇ

夫曰く「女はクソだと思って雑に貶した方がモテるんだよ(ただしモテたことがない)」

私の知っているスゲーモテるな!て男の人はナチュラル下品に全方向に女の子いじって不快にさせないテクニックがあったけど、あれの極意を、すごさをよくわからん奴が夫みたいなことを言うんだろうな…

あと全方向にモテるわけじゃないかもしれないけどいい女ばかり惚れさせる人がいた。小柄でいつも全身無印良品ファッションめっちゃくちゃマメで聞き上手だった。姉が三人いると言ってたからそこにアドバンテージの高さがあったのか

見目が良くてモテる人もいるけど彼らも第一印象が良すぎて中身にマイナス要素があると一気にやいやい言われるからなんらかの、稼ぐ力なり技術なり持っててすごいと思うの

見目だけで生涯求められること多分そうそうないし

いや、結局は積極性かね!行動力をいつの時代も女は評価してるのかね!根底に自信と好奇心必要だと思うんだけどここは親の育て方にかかりそう。というか男女関係なく。人間として?

結論 息子の自信と好奇心を育みたい

2019-10-25

anond:20191025173214

人間失格くらいしか読んだことないですが、客観視できなくて共感した覚えがあります

太宰治で他には何かおすすめものはありますか??

2019-10-20

anond:20191020141257

どうでも良いけど防空壕って大半は自分で掘るもの

公共防空壕に数十〜数百万人の住民を受け入れられたと思ってんの?

ちなみに自分で掘った防空壕がどういうものかは、こういうことに関して嘘は書かないだろうなぁっていう太宰治作品を読むとちょっとわかる

僕は(本当に)友達が少ない

これは友人関係よりも自分趣味と信念に基づいて行動した結果だ。誰しもがこうなるとは限らないが少なくとも私はこうなった。この先もこうであるのかは分からない。

近頃過去のことが頭を何度も過ぎる。
例えば、中学校の頃仲の良かった友人の一人と音信不通で彼はどんな男だったか
私はどんな風に接していたか曖昧脳裏を過ぎるのだ。
彼と最後にあったとき私は何か間違ったことを口走ったのだろうか。今となっては分からないことばかりが頭を過ぎる。

もしくは
高校の時私は死んだように毎日を過ごした日々だ。
あの日々は人生の休暇だったのだろうと今になって思うが、あの頃のように私はもうゆっくり過ごすことが出来ないだろうと思う。
なにかに追われてるように人生を今は過ごしている。
本当にこの行動で良いのか、将来私はより良い環境にいるのか。良い環境に居たとして後悔はないのか。

または
専門学校の慌ただしい日々の中で家族おざなりにしながらも、自分の事に打ち込んだ日々を思い出す。
資格取得とサークル活動それにアルバイト
毎日が忙しく、夜帰宅しても急ぐように食事を食べてはすぐに自室にこもりアニメを見たりプログラミングをしたり、動画作成をしたりと趣味に没頭していた。
そんな日々が送れたのも今となっては亡き母のお陰だったと思う。寝坊すれば起こしてもらえ、夜帰ると食事が並んでいた。
今は家に帰ると一人で朝も誰も起こしてはくれない。
毎日毎日一人だ。段々と汚れてくる部屋を見ながら部屋を掃除してくれていた母を思い出す。
何もかも任せきりだったなと今は思う。母がボソリとまたガンかもしれないと言ったときや、家でふらついた母をみても「そんな風に思うこともあるか」と思っただけだった。もっと注意深くなるべきだったのだ。
もっと早く病院に行くように言っていれば少なくとも後数年は生きれたかも知れなかった。

そんな風に昔の日々と現在を対比する。
何気ない姉弟、母、父との会話、もうそれは再びすることが出来ない。

前職を転職した際に私は選択肢を誤ったのか?
もっと給料の良い職場も選ぶことが出来た。なのにゲーム業界を選んだ。
趣味ゲームを作りつつ彼女でも探して円満な家庭を築くような選択肢もあったはずだ。
今、私は一人だ。実家はいつも母、姉、父、祖父が居た。そして時々別居しているもうひとりの姉の旦那面白いことを話すのだ。
そんな日々はもう来ない。

母、祖父、長女が死に次女である姉は離婚した。

実家には父と姉だけだ。
皆が元気だった頃は家族Lineかに愚痴などを呟いたものだが、今はとても出来ない。
姉と父ともに傷ついている。これ以上心労をかける訳にはいかない。

弱音を吐くことは許されないのだ。
からこうして、ただつらつらと心の内をここに文章化している。

私は一人だ。
誰か助けてくれと言って何人の人が振り向くだろう。

私には大事な友人がいる。
しかし、彼らと毎日会うわけではない。月に1回会えれば良いほうだ。そして彼らには私より親密な友人が居る。
きっと私がこの場で死んだとしても気づくのは何ヶ月も後になるだろう。

私一番最初心配するのは皮肉にも近くて遠い職場人達だ。
彼らにとっては同僚であり、ただの赤の他人。仲間というほど私は仲がいいとも言いづらい。
私の居場所はどこにあるんだろう。
私はどこに居るんだろう。

職場では常人ように振る舞っているが、発狂しそうな心の内を良く抑えられていると我ながら思う。
ココで奇声を発したらどうなるんだろうとやりもしないことをぼんやりと考える。
本当なら行きたくもない飲み会で、あるはずもない私の内側を演出する。
そうすることで職場の人と仲良くなれるのだ。

職場の一人の人に心の距離感が遠いと言われた。
間違いではない。
しかし、飲み会ときに近く感じたと言われた。
私としては丁寧語で話している普段のほうが素なのだが、
中身を晒したかのようなテンションの高めの私は普段の素だと思われたのだろう。それは演技に過ぎない。

しろ疲れるので素だとは思われたくはないが、そういった素のように見える場面を晒したほうが世の中うまくいく。

今、私には親身にゲームプログラムを教えてくれる先輩なんて居ないし、
心の内をSNS晒したところで仮初の慰めの言葉を投げかけてくれる人も居ない。

どこかで私は道を外したのだろうか。
お金祖父遺産があり、私は幸いながら20代後半にさしかかったばかりで時間も少なからずある。はずなのにひたすらに焦り、悲しみ、孤独が襲ってくる。
頭の中が常にぐちゃぐちゃでせめて仕事のことだけを考えようと思ったところで人の感情は中々制御できない。

こんな文章を作れる時点で私は冷静ではあると思いたい。しかし、狂っているようにも思える。
しかしたら、冷静に狂っているのかも知れない。
段々と掛け違いのボタンの様に不自然さが極まりない。

誰もが羨むような能力が欲しい。どんなに頑張っても最先端を走っている技術者には追いつかない。社内の中では中の上だと思うが世間を見渡すと大した技術力は私にはない。ただのクズだ。
もっと技術力が欲しいと「もっと勉強が出来るようになりたいと願う受験前の中学生」と同じような気持ちが未だに心のなかにあるかのようだ。
独りは嫌だ、独りは悲しい、まぶたを腫らして泣きつく相手が欲しい。怒りをぶつける相手がほしい。

誰も悪くない誰も悪くない。もしかしたら人並みに恋愛したこともない私が悪いのかも知れない。
親族愚痴を言ってる人さえ羨ましい。愚痴を言う親族は生きてるんだから

あるはずの未来が暗くしか見えない。世間は私に何を求める。私は世間に何を求める。
未だ中学生のような思考回路の私に世間は複雑すぎて目が回る。
私はただの卑屈屋なのも知れない。私には何が何なのか、もうわからない。

そういえば、Twitterひろゆきが「無敵の人」が増えると言っていた。

https://twitter.com/hiroyuki_ni/status/1133262577402810370

私も遠くない日に無敵の人になるのだろう。

私は美男子ではないが、恥の多い人生を送ってきた太宰治人間失格道化を演じる主人公のような自分に嫌気が差す。

私はダメかもしれない。

誰が見ているわけでもないと思うが自分の思いを整理するためにココに書き捨てておくことにする。

2019-09-11

生きるということ

30代 独身 ナマポ

生きがいとか、やりたい事がない。

精神科医的な見解だと、まずそういう事を考えてる事が通常ではないと言う。

これが17,8の高校生大学生ならいざ知らず、30代をむかえてこの状態だって事がおかしいらしい。

(面と向かっておかしいと言われたわけではないけど、要するにそんなことを言われた。)

でも、だからと言って、30代では何がなんでも仕事に食らいつこう、所謂社畜精神状態になるのも難しいとも言ってた。

そろそろ、週3ぐらいで居酒屋バイトをしながらのナマポ生活も1年が立とうとしてる。

気分変調症パニック障害

とりあえず精神科に通い、何かしらで病名が必要な時につけられそうな病名がついた精神状態改善と、将来的にはナマポ生活をやめて、朝からしっかりと働かねばいけないと思っている。と担当医師相談したら、居酒屋での生活サイクルからすぐに午前仕事シフトするのが難しいだろうから、とりあえずは、昼から夕方で出来そうなバイトをはじめてみては。という事になり、居酒屋を辞めた。

辞めて10日ほどたったが、昼間のバイトを探せずにいる。

新しい環境に身を置くことを考えられない。

求人を眺めて、ここは良さそうだな。って思うことはあるけど、面接のことを考えると萎縮してしまう、まず電話をしなければって思うと手が震えて、喉がつまる。

どうせ受からないだろう、受かってもまた続かないだろう。受かったとして今度は続けていけるのか?

スタートラインにもたってないのに、先の障害心配をしてしまう。

別にからなくても、続かなくても、生活保証されてるわけだからやるだけやってみればいいのだ。

そうは思うものの行動できない。

世間ではこれを甘えと言うだろう。

働いてる人は、人の税金で生きてるくせに。と、こっちだって、働きたくて働いてるんじゃないけど、働いてるんだから働けよ。と思うだろう。

もっともだ。

がむしゃらに働けばいい。

四の五の言わずに何も感じずに働けばいい。

そう思うんだけど…

そもそもに手すらかけれない。

人はなんのために働くのか。

食べていくために働く。

人はなんのために食べるのか。

生きていくために食べる。

太宰治が似たようなたことを書いてた気がする。

薬中を克服したベストセラー作家も考えることが同じだと思うと少し正気になる。

けど、彼は学があり文才が開花したから後世語り継がれる人物になれたわけで、私は違う。

生きるために食べ

食べるために働き

働くために生きるのか?

だったら死んでもかまわないんたが。

なかなか人はそうそ死ねない。

じゃぁ、なんのために生きよう。

生きがいや、やりがいが欲しい。

そんな事を永遠と自問自答している。

2019-08-23

anond:20190823120243

わたし夏休みに『太宰治』を読みました。この本の表紙と背表紙には「走れメロス」という副題も付いていました。きっとこの物語主人公である太宰治さんがメロス応援する強い気持ち、それが表紙に念写されたのでしょう。誰が書いた話なのかはわかりません。作者不詳の民話のようなものなのでしょう。

いきなりメロスは怒っていました。わたし最近怒ったのは、お母さんが冷蔵庫アイスを食べてしまたことなので、メロスもきっとそれに怒っていたに違いありません。メロス気持ちはよくわかります

途中でセリヌンティウスという初めて聞く単語が出てきました。去年の夏からずっと居間ゴロゴロしながらワイドショーを見ているお父さんが、今日居間ゴロゴロしながらワイドショーを見ていたので「セリヌンティウスってなに?」と聞くと「知らん。牛の名前か何かだろ」と答えてくれました。わたしもいつかセリヌンティウス牛丼を食べてみたいと思いました。

ここまで読んだところで右手左手の握力がなくなってきたので、続きは明日読みます

明日になりました。続きを読みます。ページを開くと、冒頭に「恥の多い人生を送ってきました」と書かれていて「あれ?違う本かな」と思って表紙を確認しましたが、そこには昨日と同じく『太宰治』とあったので、同じ本でした。アイスの件で怒りがこみ上げていて見落としていたようです。

メロスセリヌンティウスに「ウザ。ウザ」と言われていて悲しい気持ちになりました。メロス自分の命をなげうってセリヌンティウスをわざわざ助けに行ったのに、セリヌンティウスはそれをウザいと唾棄したのです。まったく、この牛は信じられません。出荷されればよかったのに。

最後のシーンで、メロスが宿敵のカルボナーラ兄弟から魔法書「セリヌンティウス」を奪還し、スーホの白い牛に乗って火星に帰っていくところは30回読み返しました。泣きながらこれを書いています

太宰治』を読み終わって「これはわたしのことを書いている」と衝撃を受けませんでした。来年の夏は『夏目漱石』という本を読もうと思います

2019-08-12

追記あり古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件

10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続落選した古市さんがいろいろ言われている。

候補作は単行本出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。

参考文献については、前回だったか候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。

で、選評である

まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空絵描きたち」を読んでみた。

そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法候補作よりはるかおもしろい”

候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”


続いて川上弘美。“結論からいいますわたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまたからです”

古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います


吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”

あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”


堀江敏幸。“他者小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)




要するに、古市さん、文芸誌掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである

いや、具体的にどの程度の参考具合なのはかめてないので、なんとも言えないが、当代きっての作家先生方が、かなり憤っておられるようなので、相当なものなんだろう。

是非比較して見たいところだが、「参考文献」の方は、『文学界2012年10月号、だそうなので、確かめるには、図書館バックナンバーを出してもらうしかなさそう。

にしても、古市さん、お忙しそうなのに、純文学文芸誌まで必死にあさって「参考文献」集める努力は大したもんだが。

まあ「情報集め」は嫌いじゃなさそうだしな。

まさかとは思うが、担当編集者うまいこと見繕って選んだのを古市さんに読ませてるとか、そういうことじゃないよね?





参考文献問題に触れてない選評にしても、あまり芳しくない。

島田雅彦曰く“ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報パッチワークに終始しているのが気になった。”

宮本輝は“他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。”

どうやら評価したのは奥泉光だけで、“今回自分が一番押したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、大分弱った”そうである

“外にあるさまざまな言葉コラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分肯定的に捉えた”そうだ。

ここには、小説における“オリジナリティ”とは何か?という問いが含まれている。

ま、小説なんてそもそも「すでにある言葉」の組み合わせでしか書けないじゃん、というのはある。

で、ありものコラージュでも新しいものが生まれればいいけど、山田詠美は「参考文献」の方が「はるか面白い」って言ってるしなあ。

吉田修一は、「参考文献問題」以外にも手厳しくて、“凡庸差別的価値観主人公小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしもあり、とすれば、作家としては致命的ではないだろうか”なんて言っちゃってる。

これは、社会学者にして人気コメンテーター(タレント?)としての活動にも少なからず影響しそうな評価だと思うけど、ま、芥川賞の選評なんて、今時の世間に影響力なんかないのかな?




古市さんという人、本をちょっと読んだことがあるのと、時おりメディアでお見かけするだけで、どんな人か詳しくは知らない。

ただ、妙に芥川賞を取りたがっているらしいという噂は聞く。

なんでだろ?

“気鋭の若手社会学者”も“テレビ毒舌が人気の論客”も、実に空虚脆弱肩書きで在ることに、ご本人が一番気づいているということだろうか?

そこで、「学者として研究に力を入れる」ではなく、「いい感じの小説を見つけてきて、うまいこと翻案して芥川賞ねらう」って辺りが、実に薄っぺらいけど。

テレビ知名度得た人が芥川賞狙うって図式では、又吉直樹といつ成功例がある。

あの「火花」という作品が、そこまで傑作かどうかはともかく、この人は本当に、太宰治を筆頭に、文学というものが大好きで、おそらく文学に救われたという経験を持っていて、文学リスペクトしていることが端々から伝わってくる。

文学に対して真摯謙虚なんたろうな、と感じられるのである

片や古市さん、文学とか小説とか、本当にお好きなんだろうか?

あんまり文学とか語ってるのを聞いたり読んだりした印象がないのだが。

前回の選評では、「ナルシシズムが過ぎる」とか「自己肯定というより自己過信」とか、これまたかなり厳しい言葉が並んでいたと記憶する。

単なる自分語りの舞台として小説を選んでいるのだとしたら、ずいぶん旧い、日本文学における「私小説偏重文学観をうすっぺらくなぞっただけかもしれないが。

なんだろうなあ?

社会学者コメンテーターも、ありもの言葉を組み合わせつつ、持ち前の地頭センスと要領でなんとなく現在地位を掴めちまったっぽいだけに、「小説? これくらいなら、ボクでもかけるじゃん」とか思っちゃったんじゃないかなあ、という疑いを禁じ得ない。

で、今後も小説は書いていかれるんだろうか?

追記

えらくブクマついてる。文藝春秋なんて読んでないけど、中身は気になるって人は多いのかなあ、と思ったり。

「参考文献」の著者、木村友祐さんがtwitter発言されておられるので、追記しておく。

本件、「古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。」そうだ。

選評からの推測で「翻案」などと評したのは、勇み足だった。

お詫びしたい。

なお、「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、〝知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家〟ではありません」とのこと。

にしても、選考委員先生方は、どの程度経緯をご存じの上で選評を書かれたのかは分からないけれど、えらく憤っておられるようで、なにがそんなに山田川上吉田各氏に火を着けたのか、検証してみたくはある。

二冊並べて売ったら、「出版ビジネス」としては面白いと思うけど、難しいのだろうか。

2019-07-07

anond:20190707213515

僕がいるから、だから悲観的にならないで。

どんな環境でも、前向きに、明るい方を見ようとすればいいと思うよ。

この道はどこへ続くのか、もし不安になったらその辺の植物のツルにでも聞けばいいよ。

ツルは答えてくれる。「私は何も知りません。ただ、伸びていく方向に陽が当たるようです。」

太宰治から言葉を借りたけど、こんなもんだよ、たぶん。

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