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はてなキーワード: 仮想現実とは

2013-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

AVちょっとした自慰をするのはまだ分かるんだよ。

俺が電車の中で時間潰しにグラビアを見るのと同じことだし。

でも2次のアへ顔ダブルピース自慰行為をやる理由はどこにもない。

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界生殖活動が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい生殖活動をすることは、何歳になってもできる。

2次の幼女を見てぶっぱなしても、所詮次元の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる異性なりダッチワイフなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

ストーリーのある2次エロのことになると更に分からない。

子供の頃に洋物の無修正にハマった世代だが、大人になって、日本AVグラビアに比べてあまりにも軽薄な演技に時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

次元を見て自慰行為なんてやる意味が、どこにあるんだろう。

大の大人が本を読む必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

スマホちょっとした新聞記事を読むのはまだ分かるんだよ。

俺が電車の中で時間潰しにネットを見るのと同じことだし。

でもハードカバー文庫本新書本を読む理由はどこにもない。

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

本で何かに気付いたりしても、所詮本の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる道具なりガジェットなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

ストーリーのある小説のことになると更に分からない。

子供の頃漱石・鴎外にハマったが、大人になって、あまりにも小説時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

本なんて読む意味が、どこにあるんだろう。

うまく改変できませんでした

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

ゲーム現実のふりをした何か、あるいは何か別のものに良く似た何かだととらえるから、そういう疑問が湧くのだと思う。

ゲームは紛れもなく現実世界にあるものだし、映画も本もそうだろう。絵画鑑賞が趣味人間について、仮想現実に没頭していて現実を見ていないというだろうか。

と書いていて、仮想現実というのは何なのか、よくわからなくなってきた。

あと、現実世界の方が発見があるかどうかは感性を鍛える方向によるし、修正が効かないこともある。

大の大人小説を読む必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

空想の中で銃をぶっぱなしても、所詮、本の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる道具なりガジェットなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

大の大人ゲームディスる必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

リアルの付き合いでちょっとしたポーズをとるのはまだ分かるんだよ。

俺がエロゲ大好きなことを女性の前では隠してるのと同じことだし。

でも増田SNSゲームディスる理由はどこにもない。

仮想現実空間に没頭することは、現実世界の一兆倍楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、座椅子に座ってゲームしているだけで、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

家の外で行動しても、所詮制限付きだ。

それよりも、ゲームの中で銃をぶっぱなしたり、一度に何人とも付き合って陵辱なり鬼畜なりを楽しむほうがいいじゃないか

現実世界でそれをしたら、どうなるのかお分かりだろうか。

ストーリーのあるゲームのディスになると更に分からない。

子供の頃FFにハマった世代が、大人になって、「小説映画に比べてあまりにも軽薄なゲーム時間を奪われた(キリッ(ドヤァ」と言っていることに、恨みに近い感情を抱いた。

数千円な癖して、何十時間時間を忘れて遊べる。

こんなコストパフォーマンス最高なこと、楽しすぎてやめられない。

ゲームなんて」とディスる意味が、どこにあるんだろう。

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619185505

製作者が「普段ゲームをやらない人」をターゲットとしたゲーム

実際に「普段ゲームをやらない人」が楽しがるゲームとは違う

今の作者は、普段やらない人向けに作る時「普段やらない人はこういうものを好むだろう」と自分がその普段ゲームをやらない人でもないのに勝手想像してるだけで

現在進行形でもソーシャルゲームが「普段ゲームをやらない人」に対して流行してますが、それを心から楽しがってやっているかと言うと疑問符が付きます

もちろん面白いのや素晴らしいのもあると思います

実際に売れるゲーム面白いと思う人がいるゲームは違うと思います

売れるゲームお金をその場限り稼ぐにはいいと思います

では実際にどういうもの依存性や中毒性があるのかと言うとそれは面白いゲーム

どういうもの面白いかと言うとその中に仮想現実を体験できるって部分があると思います

で、それを満たすゲームを今の人は作れない

http://anond.hatelabo.jp/20130619180333

一般人ゲーマーで無い人、普段ゲームをやらない人

あ、はい。そうですか。

 

でもそれって

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

って発言と矛盾してませんか?

「普段ゲームをやらない人」をターゲットとしたゲーム流行したことは過去に何度かあって、

現在進行形でもソーシャルゲームが「普段ゲームをやらない人」に対して流行してますが、

そうやって流行してるもののなかで仮想現実が求められたことってありますか?

 

答えは「No」だと思いますよ。

 

まあ、あなたの頭の中の仮想現実って単語がえらく拡大解釈できる定義になってるなら、

答えは「Yes」なんでしょうけど。

2013-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20130618184628

Skyrimはそれはそれでいいと思うんですけど

でも一般人の求めるものと何か違いますよね

そのどこが違うかを知る事が大事だと思います

SkyrimSkyrimであっていいと思います

ドラゴンズドグマは今のゲームの典型だと思う

演出とイベントでがちがちになってて

道を進むしかない

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

から外れられなきゃ現実じゃない訳で

Skyrimはそれはそれでいいと思うんですけど

でも一般人の求めるものと何か違いますよね

そのどこが違うかを知る事が大事だと思います

SkyrimSkyrimであっていいと思います

ドラゴンズドグマは今のゲームの典型だと思う

演出とイベントでがちがちになってて

道を進むしかない

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

から外れられなきゃ現実じゃない訳で

2013-02-12

ソードアート・オンラインひとりよがり

遅まきながら、ソードアート・オンラインに手をだした。

同じ人のアクセルワールドが好きだったというのと時間ができたからというのと。暇があるのは、ほんとうにいいことだ。

バーチャルリアリティゲーム

・1度始めたらクリアするか死ぬ

ていうと、クリスクロスを思いださずにはいられない。

似てるよね、ていうか、クリスクロスも何かに似ているわけで、そういう意味じゃ、こういうジャンルだともいえるわけで。

ほかに似てるといえば、漫画ナツノクモとか空談師とか、あとスラムオンラインとかも似ているといえば似ている。


まあ、いいんだ。

それはどうでもいいんだ。

ソードアート・オンラインを読んで思ったのは、その仮想現実ネタは何番煎じだとかそういうところではなく、これがまっすぐ子供心にストライクするところだった。クリスクロスにはなく、ソードアート・オンラインにあるのは、その妙だ。

中学生とか高校生かのころによくした妄想は? という問いが前にあった。その答えの常連は、自分ヒーローになる妄想だ。教室テロとか通学バスが異世界にとか邪気眼的なものとかひっくるめて、ざっくりいってしまえば、危機的な状況を自分の隠れた才能で切り抜けちゃう、ということ。このまっすぐな欲求は、異世界ものとかだとよく出てくると思う。実は・・・みたいな、ね。

ソードアート・オンラインはそういう妙を実によく書いている。くすぐったくなるぐらい。

から、というわけだけど、ソードアート・オンラインクリスクロスみたいなSFよりの作品ではなくて、教室テロをそのまま書きあげました・・・! みたいなバトルロワイアルだとか、異世界召喚されて英雄になった的な、そっちの系譜のお話だと思うのです。

きっとね、ソードアート・オンラインを大人びさせるとジョージマクドナルドリリスみたいな、そっちにいっちゃうんだろうなとか思ったりする。そっちにいくのは大歓迎だけどね・・・

2012-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20121208132430

そういう考え方はあまりきじゃないな。

プータンという国が国民幸福なんて言ってるけど、「ありきたりな幸福」を至高の価値に置いたらそこから進歩はないじゃん。

人間は欲望や知的好奇心があるから産業を追究し、文明を発展させてきた。

宇宙起源、脳の構造、まだまだ知りたいことはたくさんあるし、仮想現実、夢のエネルギー、まだまだ得たい欲望もたくさんある。

食って寝て幸せはい終わり、じゃ、人間まで進化する意味なかったね、犬猫で良かったよねってことになるよ。

幸福よりもっと究極的な進化を目指したい。

その結果人間が滅びることになっても。

2012-10-05

書き殴り

近未来。通信技術と描画技術の向上によって、オンライン空間に、アバターを使った完全な過去が再現された社会

体感覚をなくしているために、年齢制限が掛けられているものの、ほぼすべてのアバターが十代の容姿をしているため、本人確認において問題が生じている。

また痛覚がないために、過激な娯楽に興じるものも現れていて、アバター同士が武器防具を装備して戦うコロシアムや、重火器を扱った本格的なサバイバルゲームも催されている。

どれだけ刺激的な死に方を表現できるか競う殺害ストリーミングと呼ばれる映像ライブもあり、この娯楽においては自殺の部や拷問の部なども人気がある。

性に関する娯楽は、初期においては参加型が流行ったものの、身体感覚の制限があるために次第に下火になり、現在ではプロによる演劇のような提供型の娯楽が一般的になっている。

そんな中、身体感覚が再現されてしまバグがあるという都市伝説流行る。通信会社にもその情報は入ってきていて、事実現実社会に帰還した利用者からも苦情が届き始めている。

バグの調査にあたることになった主人公は、アバター空間での聴きこみの最中に痛覚を感じていると証言する女と出会う。女は調査に非協力的で、ものすごく冷ややかな応答しか示さない。

不審に思った主人公は、女の素性を確かめるために強引に女の登録情報アクセスを試みる。途端に、何重にも掛けておいたセキュリティ破壊されて、主人公も痛覚のバグ感染してしまう。

会社へ連絡しようとするも、女に阻止される。曰く、アクセスした途端に、本幹にまでバグが広がりかねないのだという。

救援要請の手段を失った主人公は悲嘆に暮れる。様子を鼻で笑われながらも、仕方がなく女と行動を共にすることになる。危険が迫っているのだそうだ。

証拠に、女は常に周囲の目を気にしながら、ひっそりと行動し続けた。誰とも会話せず、目も合わせず、限りなく接触を断つようにしているのである

様子に、主人公は過度な対応じゃないかと疑問を抱く。事実、どこにも危険な様子はないではないかと。隠れ家に辿り着き、何とか一息入れた時に、女から説明を受ける。

アバター空間に慣れるための適応期間のことを覚えているかと問われて、主人公は頷く。身体感覚を徐々に鈍らせていき、精神との繋がりを隔てることによって、開放的な娯楽を楽しめるようになるだ。

百をいきなり〇にしても、拒絶反応が起こる。実際、初期実験では過度の精神ストレスによってショック死する事例も報告されていた。その解決策が、適応期間の導入というわけである

主人公は通信会社社員だ。一通りの経緯は知っていた。しかし、それとこれと何の繋がりがあるというのだろうか。

疑問が顔に現れていたらしい。女は渋面を作り、あんたは人を信じすぎていると吐き捨てた。人間ってのは、際限の効かない好奇心っていう化物を宿しているのだと。

女が言うには、彼ら彼女らは、もうすでに既存の娯楽に飽き始めているのだそうだ。実際に、先鋭化した一部のアバターは、クローズドサーバを用いて、新しいショーを楽しみ始めているのだという。

主人公はいまいちピンとこない。すると女は憐れむように微笑んで、実社会におけるバグの報告件数を訊ねてきた。返答すると、あまりにも少な過ぎないかと畳み込まれてしまう。

嫌な考えが脳裏を巡る。まさかと戯ける主人公に、女は実社会最近不審死が相次いでいないか問い詰める。確かに、長時間接続機に横たわっていた利用者が死ぬ事例は増えているのが現状だった。

けれども、利用者は自主的にログアウトできるはずだと主人公は反論する。長時間利用しての死亡事故は、あくまでも過労死だと。

からこその、クローズドサーバなのだと女は告げる。サーバ主によって閉鎖された空間においては、主の許可無くログアウトすることができないのだと。

そんな馬鹿な。怒鳴る主人公に女は肩を竦める。わたしだって事実を全て把握しているわけじゃない。あくまで推測なのだと。

ただし、わたし達を狙っている奴らはいる。確実に。念を押す女に、主人公は息を呑んでしまう。嘘だと思うだろうけど、多分ライブされてるストリーミングの幾つかには身体感覚を有した人間がいる。

わたしが感染させた友達が映っていたのだから間違いない。発言に言葉も出なくなってしまう。演技だよ。そうかもしれない。全部作りものさ。否定はできない。問答が力なく続く。

どうすればいい。主人公は問う。俺はどうしたらいい。あんたは俺にどうしてほしいんだ。

仕事をするしかないんじゃないの。事が大きくなってからじゃ、会社もクソもあったもんじゃいから。


ってな感じで、バグの原因を突き止めようとする主人公だったが、実は登場している女は仮想現実に現れたゴーストのようなもので、現実社会には存在していない。

なんて言うか、コンピュータからの反逆というか、人間性への疑問提起みたいなのが表現できるのかもしれないと妄想する。

社会における身体感覚を有しているとの苦情も、コンピュータが主体となって行ったもので、実際に感染暴行ないし陵辱を受けた人々の意見フィードバックされていない、等々。

……しっかし、ありふれたネタだなあ。後半部分、話ばっかで面白みに欠けるし。

まあ起承転結の承までって感じ。序破急の序? クローズドサーバの主に迫っていく部分が破で、女がゴーストだったてのが急になるのかしらん。


ああ、あと、アバター間における世代格差みたいなのとかもいけるのかも。

実年齢相応のアバターは同年代若いアバターから容赦なくオヤジ狩りにあってたり、背伸びしている実年齢が若いアバターが被害にあってたり。

老いも若いもなくて、ただひたすらに娯楽だけが満ち溢れている、綺麗な綺麗な完成された過去舞台

無論、いろんな年代がごっちゃになってるだろうから映像的にはカオス空間になるんだろうけど。

ロビーけがそんな感じで、他は年代サーバーになってるとかでも面白いかもしれない。

2011-11-04

モバイルゲームの何が問題なのか~ゲーム性課金システム

長文は面倒なので端的に書くと

1、ゲーム性を高める為にファミコンからソフトメーカーは高画質・高品質ゲームを作り続けているが、

モバイルゲームで利用されている内容は、ほぼファミコン時代システムその物で、単純な物にしか客がお金を落とさなくなると、

ハードゲームで高度なレベルソフトを作る会社に資金が回らなくなり、ゲーム業界の力が無くなる。

現在、家庭用又はPCのみのハードゲームだけ作っている会社はほぼ皆無)

2、課金システム企業にとってはドル箱システムであるが、ゲーム性という観点から見れば最低な手段

少し前にゲーム業界で問題になったのは、乱数により釣れるつりゲームにおいて、魚が釣れる可能性が高くなる釣竿(回数制限あり)に数百円の値段を付けたという物

壊れるので際購入が必要なのである確立が高いだけで確実に釣れる訳ではないのである

そもそも乱数により釣れるつりゲームの何処にゲーム性を見出せばいいのかという疑問もあるが、その上でこの鬼畜システムである

消費者は安い(基本無料)便利(携帯ダウンロード一発)早い(何処でも暇な時間に出来る)に流されたわけだが、

その結果現実になったのは、ゲーム性皆無の作業プログラムを嬉々として延々やるパンピーと、ゲーム性を追及する層に完全に分断されるという事である

ゲームの終着点の一つとして、完全なる仮想現実を構築して、そこにおける様々なプレイを実現させるという壮大な考えがあるが、

2011年現在流行っているものは残念ながらそんな理想とは程遠い物なのである、結果ソフトメーカーは資金難で潰れる。

これはゲーム業界に限った話ではないが、闇雲に安易な理由で消費行動に走らず、自分が消費する影響も考えて欲しい物である

資本主義において消費者は愚かでないといけない前提があるという事実がそこに存在している。

2011-11-01

ネットに居場所を求めるっておかしい?

依存」という言葉辞書で引いてみると「頼ること」とある。人と人同士がお互いに頼り合い支え合う世の中において、自分が寄りかかることを許してもらえなかったとき、人はものに強く執着するようになると。

親に褒めてもらったという記憶があまりない。もう成人して暫く経つのから、褒められたいとかいう欲求を持つのおかしいかもしれないが。そこで私は、顔も知らない声も聞いたことのない人たちと交流できるtwitterにのめりこんだ。今の私の状態は「ネット依存」と呼んでも遜色ないだろう。

私はイラストを描くのが好きで、ちょっとした文章を書くのも好きだ。親にそれを見せたことはないけれど、ネットでならば自分趣味をおおっぴらにできる。ソフトの使い方を教えてもらったり、描き上げた絵を褒めてもらったり、趣味について延々と語ることのできる仮想現実は、私にとって最早現実以上に確固とした存在だ。愚痴を聞いてもらうのも、悩みを打ち明けるのも、親ではなくフォロワーだし、交わす言葉家族より多いことは間違いない。

親が悪いとか、私が悪いとかいうことではなく、恐らく私と親の相性が悪かっただけのことなんだろうと思う。それでも私は、娘として姉としてのプレッシャーから解放されたインターネットから抜け出すことができない。たとえそれで余計に家族との壁を厚くするとしても。

2011-10-28

意味がわかりません http://anond.hatelabo.jp/20111028164451

あなたが、法律緊急避難の構成要件も人道も理解してなくて、おそらく今まで大した苦労もしてなくて、世の中がわかってないのは、よくわかりました。


前にも何度も書いてますが、現実ネットリンクしてます

あなたがたにとっては、ネットというのは仮想現実に浸る場所でも、ネットの機動性を活かせば、もっと助かる人もいるし、もっとそういう方向で使われなくてはいかないと思う

まりにも幼稚で、書く気もしないが

こっちも 子供相手らしく

関西の子供なら一度は言った

「そんな法律があるのかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

出して来い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




こっちが、気を遣わなくて良いところや、気を遣いすぎなところや、罪悪感を持ちすぎなところに付け込む

こっちが、「なごみけい 」 の空気を 壊すようで悪い みたいに書いたら そこに付けこんで来る



今まで、記名でネットをやってる団体で、ここまで、色々わかってないところは、初めてですよwwwwwwwwwwwwwww

2011-09-18

結局インターネットリアルを選択した

かつてのインターネットは非現実だった。

どんどんわからなくなっていく勉強。うまくいかない学校生活受験、恋。

それらのリアルから目を背けたかった僕のような思春期の子供にとって、インターネットは逃げ道だった。

インターネットの中なら僕は何者にもなれた。

大人にも、女にもなれた。

検索すれば何でも知ってる気になった。

掲示板で、どこの誰だか知らない他人を馬鹿にしたり、僕も馬鹿のフリをしたり、楽しかった。

現実自分は忘れられた。

僕の居場所がインターネットの中には確かにあった。

それが現実じゃないことはわかっていても、僕にとっては現実よりも価値のあるものだった。

僕の仮想現実。僕の居場所。


その僕の仮想現実が、いつの間にかリアルに食われてた。

インターネットの話題はリアルの誰でもが口にするし、リアルの話題で溢れるようになったインターネット

インターネットリアルのために存在するようになった。

僕のためじゃない。

じゃあ僕のようにリアルから逃げたい子供はどこに行けばいい?

2011-08-21

宇野常寛批評用語の名前空間リソースを浪費しすぎ

最後に、宇野は「〈いま・ここ〉だけが無限に広がるこのリトル・ピープルの時代の新しい世界においては、私たちは〈いま・ここ〉に「潜る」こと、徹底して内在的であることが逆説的に超越に接近してしまう」と語るけど、このレトリックって、大澤真幸麻原彰晃に対して指摘した、

徹底した俗物性、過剰なまでの〈内在性〉が、逆に、麻原の〈超越性〉の根拠になっているのではないか。(大澤真幸『虚構時代の果て』)

とまったく同じなのだけど、これは本人的には大丈夫なのかしら。

ttp://blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll/archives/51653048.html

たとえば『完全自殺マニュアル』の鶴見済氏やオウム真理教麻原彰晃は、「革命」を失った今、世界を変えるのではなく自分を変えようとしたわけですよね。ドラッグや「修行」によって。麻原は鶴見さんほど徹底できなかったヘタレから革命のでき損ないに走っちゃったわけですしかし、彼らのやったことはまさに「内在」的なアプローチだったと思う。だって世界変革を「諦めて」自分チューニングするんだから

でも、ぼくがこの本で書いた「拡張現実の時代」においては、先ほどのゲームの例が代表するようにネットワーク的なものに支援されて超越―内在といった図式自体が崩壊していて、徹底的に内在することが超越に近づくというモチーフが頻出する。「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」に留まったままゲームルールを書き換えるための想像力の行使に焦点を合わせているわけ。それはそのまま「虚構の時代」(鶴見・麻原)と「拡張現実の時代」の違いでもある。ここもポイントで、「外部」を断念するというとすぐに鶴見・麻原的なものを年長世代自体は想像しちゃうけれど、それは90年代時間が止まっている思考ですね。21世紀的な現実は「徹底して内在することによる超越」が、自意識チューニングではなく現実コミュニケーションとして創作物の生成や社会変革の可能性の方向に向かっている。これがまさに「仮想現実から拡張現実へ」ということ。

ttp://synodos.livedoor.biz/archives/1813624.html

いやいやいや。。。ちょっとウノさん、何言ってるんです・・・・。「内在」っていうこれまで批評用語としては、「超越-内在」っていう二項対立の一項として使われてきた用語を、かなり強引に自分タームの「内在」(これってむしろ「組織インサイダー=内在者」っていう意味に近いと思うんだけど)に引きつけて使ってて、不要名前空間コンフリクトを起こしてる気がする。まさに、

文系評論はすぐに一般名詞専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ。”壁_temp”とか、”想像力_temp”とかい名前にしてくれればわかりやすいのだが、我慢して慣れてみよう。

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110818

っていう奴。今まで現代思想界にはCritique.naizaiっていう広く使われてる変数なり関数なりがあったのに、そこにまた紛らわしいUno.naizaiっていう変数なり関数なりを持ってきてて、そこでCritique.naizaiをUno.naizaiと間違えてコンパイルした人に、「お前はUnoパッケージインポートしてないから俺の本が読めてない」って文句言うのはちょっと無理筋過ぎないか

まあ、用語の問題を脇に置けば宇野常寛の言いたいことも分からなくはない。現代思想社会理論がこれまで、超越(トップダウン理想主義的な社会モデル)か、内在(個々人の内面インナースペースからの改革)か、という二項対立に拘泥したきたのに対して、組織の内在者=インサイダーが、組織へのハッキング的なコミュニケーションによるアプローチをかけることによって、ゆるやかに社会を変えていきましょう、ってのが彼の言いたいことなんだろうなあ、と思う。だけどそこで、現代思想のこれまで数十年の歴史のある用語体系に土足で踏み込んで、「内在」なんていう一般名詞を無理やり自分タームで使うのは無理筋だし、これまでその用語体系を使ってきた人の名前空間を不必要に混乱させる振る舞いだと思う。せめて「内在者(インサイダー)的アプローチ」くらいの用語にしておいてくれれば分かりやすいのにねえ・・・

2011-08-08

闘争だ。いまは闘争の時代なんだ。学生運動とか、安保闘争とか、運動母体が負け続けてきた闘争がまた激しく再燃しかけているんだ。

人々はインターネットを介して集う。演説は、なにも集会で行う必要がなくなり、どこであってもいつからでも、聴衆になることができて発言者になれる。

不鮮明な熱量は確かに大きくなり続けて、いつの日にか火山みたいに噴火するのかもしれない。大きな大きなうねりになれば、何かが変わって勝つこともできるのかもしれない。

運動母体が得る始めての勝利。仮にそれが実現したらどういう状態になるのだろう。勝者は敗者を虐げ、新たな秩序を打ち出すことができる。権力者になることができる。

もし運動母体が大勢に打ち勝つことができて、その後権力を握り得たとして、その権力を行使する主体は誰になるのだろう。

広がりに広がったネットワーク媒体だろうか。それとも旧来どおり中枢をなす人物たちによる統制なのだろうか。

侃々諤々としたネットワーク上の民意による体制が築かれたとしたら、なんだかSFっぽいなあって思う。

もちろん、個々人の判断を礎に据えているとは言え、その総意としてまとめ上げられた一個の意見が――とかなんとか考えたけど、法律も似たようなものじゃないねえ。

神様が生まれるかと思ったけど、そんなことなかった。いや、それとももうすでにたくさんの神様がいると考えてもいいのかもしれない。

違うか。ファジーなプログラムがあるだけか。超高性能なコンピュータマシンが、無数のプログラムを起動させているだけなんだろうな。

仮想現実マトリックス世界観。少し違うのは、コンピュータを形成しているのがその中で蠢いている無数の意思であることか。

私たちの総意で汲み上げられた倫理なり良識なりに、私達自身が縁どられて生きている。個体を律して、安定を育む。度を越すと、それらに縛られてしまう。

不思議な感じだ。同調圧力とか、空気を読むといったこと。あるいは偏見とか、典型的ものの捉え方というもの想像すると、無機質な無生物によって個人が支配されてるような気がしてくる。

法則と呼ばれるようなものって、だからやっぱり神様に近いなあって思う。神様の残り香見たな。そういうものによって私たちは支配されているし、自然だって規制されてる。

すごいなあ。でも、いつか根本的に常識を覆してしまうような、例えば星を継ぐものにあった大々的な発見があれば面白いなあって思う。そういうことがあってほしい。

ところで、星を継ぐものに書かれてた、新たな化合物発見って、どこで回収される伏線なんだろう。あれだけ気になる。どういうことだったんだろう。

2011-05-13

ボッチ道

私が半生を賭けて追及したボッチ道について書いてみようと思う。

ボッチ道とは、人生というゲームを協力プレーを極力廃止ソロプレーで挑む縛りである

昨今のおひとり様とか、老人の孤独死など、ボッチ道に対してある種の偏見があるが、これは価値観の違いである。

おひとり様なのは生命を維持するための経済コストを下げるのに有効だし、老人の孤独死というのはまさにボッチ道に殉じた見事な最後である

実は、ボッチ道の最高難易度は老齢期でなく、幼年から始まる学生時代である

学生時代にボッチ道を極めるには様々な苦難を味わう必要がある。

休み時間ときは皆の楽しみを邪魔しないように寝たふりをする。

 また、このとき、心無い人の非難を耳に入れないようにウォークマン(今ならIpod)などが有効である

・昼食の時間は、一人で食べてる姿を見せて回りに気をつかわせないように、屋上や倉庫などの目につかないところに潜む。

・レクエーションの際は完全に気配を消して、時間がすぎるのをまつ。

・二人一組になる命令が来た場合は、他のみんなが一人にならないように、そっせんして自分があまるようにする。

このような行動は、多くのボッチ道を極めようとした人間の心を次々と折っていった。

この試練をくぐりぬけたものは同窓会という義務を免除されるので、興味のある方は挑戦してみよう。

さて、社会人学生よりつらいとかいう話をよくきくかと思うが、ボッチ道においては社会人はヌルゲーである

学生時代には一件も登録されなかった携帯の連絡先に仕事関係の連絡先をいれることができるなど、かなりの優遇処置がとられている。


さて、昨今はインターネットの発達により、ボッチ道にも新たな可能性が出てきた。

インターネットにより、見知らぬ人間や遠方の人間となれ合うことができるようになった。

だが勘違いはよくない。

現実社会でボッチだったものが、インターネットでボッチじゃなくなるのか?

いや、そんなわけはない。ボッチを極めしものは、いつでもボッチなのである

いまはなき、サルサ日記ブログに挑戦したことがある。

自分アクセス以外で、カウンターがまわったことなどない。

まさにパーフェクト閑古鳥である

また、ウルティマオンラインなるオンラインゲームもやったこともある。

ボッチ道を慢心する私としては、仮想現実世界でも、部屋に引きこもり、調理場でパンを淡々と焼き続けた。

もちろん、仮想現実を頼もしい仲間とともに冒険など、一回もしていない。

実は一度したが、見事に別のプレーヤーにカモられた。




ふぅ。

なんか、昔を思いだしたら、ディスプレーの調子が悪くなってきた。なんか画面がかすむ。

私は魔法が使える程度にボッチ道を極めたが、今後は最強伝説黒沢の初期黒沢のように、軟骨ごはんを食べる日々を送ろうと思う。

そして、2011年全国ボッチ道選手権では、入賞を目指して頑張りたいと思う。

なお、今年の選手権では巴マミさんという十年に一度の才能を秘めた選手エントリーしているため、かなりの激戦になると思われる。

2011-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20110310234559

ゲーム自分操作できるという点で、仮想現実の要素を含みやすい。

とは言うけれども、ほとんどのまともな人は(大人も子どもも)、それが仮想現実であると分かった上でゲームで遊んでいる。というか、仮想現実だと分かっているからこそゲームを楽しめる。

  

ふつう子どもや大人にとって、テレビドラマテレビゲームは、それが「フィクション」であり「ゲーム」であるというメタコミュニケーション的了解のもとで果たされる。まちがいなく現実の遊びや観劇経験である。ここには厳密にいって、虚構と現実の境界侵犯はない。ゲームのなかでモンスターを殺し、あるいは死んでもすぐまた生きかえるからといって、プレイヤーが死ぬということ、殺すということの思い意味を理解しなくなるというのは、あまりに短絡した主張である

西村清和(1999)『電脳遊戯少年少女たち』講談社現代新書1472 140ページより引用

すでに絶版になっているみたい

ゲーム現実の区別がつかないような人は、たとえゲーム規制したところで他の何かに影響を受けておかしなことをするんじゃないの?

首都高レースすることはできないから、グランツーリスモ5のスペシャルステージルート7で競争して楽しむ。そういうものでしょう。

  

それからエロゲに関してよく論点になっているのは、間接的な女性への暴力はないのかという点など存在そのものを有害視する態度だと思う。

2011-03-10

ゲーム規制の議論に思うこと。

都知事選出馬表明の松沢氏「首都圏で"暴力ゲーム"規制する共通ルールを」

http://news.nicovideo.jp/watch/nw39910

こういうネタが定期的に話題になるんだけど、

賛成派・反対派の両意見に対して思うのは、

ゲーム自分操作できるという点で

マンガアニメドラマとは根本的に異なるんじゃないの?ということ。

一緒なものとして認識してることに違和感を感じている。

ゲームにはよくバーチャルという表現が使われるけど、

バーチャルというのはバーチャルリアリティの事であって、

日本語にすると仮想現実ということ。

この仮想というのは物理用語の仮想のことであって空想妄想の類とは全く違う。

仮想現実技術が空想の世界観で利用されることが多いからか、

仮想ではあるがまぎれもなく現実であって空想ではないということが

どうも一般に浸透していないんじゃないかと思う。

具体的に例えてみる。

理想的な”仮想現実空間交通事故を起こしたとする。

すると事故を起こした本人は実際に事故を起こしたときと全く感覚を得ることができる。

(ここでの感覚というのは事故時の衝撃ではな精神的な不安であったり焦りのことだ。)

しかし仮想なので物的被害は発生しない。

例えてみると今さらな感じがしてしまうが、仮想現実とはこういうものだ。

話をゲームに戻してみる。

ゲーム自分操作できるという点で、仮想現実の要素を含みやすい。

もちろんゲームの内容によっては無視できるレベルだとは思うけど、

現代の現実志向ゲーム仮想現実の要素が大きいと思う。

極端な話、それはシミュレータとも言えるんじゃないの???

からゲームが与える影響はマンガアニメドラマが与える影響とは

別に考えなきゃいけないんじゃないの、と思う。

2011-02-13

Facebook垢BAN

http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65453749.html

これは当然。ネットはもはや仮想現実はない。

Facebook匿名性だったらこれだけの企業価値がつくなどありえない。

実名であるがゆえの価値なのだから偽名アカウントを消すのは必須なのだ。

ネット匿名性はすでにもうない。

電子メールはすべて検閲されている。

特定のキーワードを打ち込むだけでフラッグが出る。

時間はかかるけど必ず特定される。

商売するときに相手に顔を晒すように、

名刺を出して個人情報を伝えるように、

ネットではそれ以上に相手に自分Backgroundがわかる。

ネット現実に追いついてきたということ。

これを理解していないとネットの商売は難しい

記録が残る分、悪人には厳しい世界

そしてそれを利用して商売をするのが吉。

ネットには悪が蔓延っているような印象をうけている人は多いと思うが、

それはまシステムが追いついていないだけ。ネットはその特性上悪ははびこりにくい。

本当のワルはネットが繋がらない様なところでつながるのだ。

2011-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20110110231213

この手の話がいまいちピンと来ない。

私は小中とイジメに合い、いわゆる友人と呼べるものは幼馴染にはいない。

高校と専門に通ったが、自分を閉じていた(他人を拒絶していた)ので友人は出来なかった。

イジメとは行かないレベルで一方的に弄られることがあったくらい。

基本的に人と居ることは苦痛で、多人数で行く旅行など一泊が限界結婚生活なんて考えたくもない人間だ。

人と目を合わせて話すのが苦手で、他人を呼び捨てになど出来ない。

他人との距離のとり方が、未だに良くわからない。

それでも友人は出来る。

ネットで知り合って、イベントなどで打ち解けた相手がいる、生来の友のようだ。

会社だって友人は出来る、休日に飲みに行ったりしてたし、転職した後も付き合いは続いている。

人の輪の中に居れば、何か行動していれば、親しい友人は出来るだろう。


私のような、仮想現実精神が逃げている人間ですらそうであるのに、現実精神を置いて「独りが辛い」と思うような人間が、友人ができないとか有り得るのか?

2010-12-24

世界には愛がたりてないってゲームクリエイターの俺が下呂

から言葉が溢れてもう止まらないので止めないで書く

世界に圧倒的に足りていないのは大人から愛されるという体験。

大人がたりてない。子供のまま子育てしてて、昔は周りの人とか

お爺ちゃんとかおばあちゃんとかがフォロしてたんだけど

それもなくて

愛されないまま 愛し方もわかんなくて

生きるの辛いみたいな でもそれが当たり前みたい

間違ってる 絶対間違ってる!

で まぁ 生きてる俺はそれに介入できるから

俺はゲームが作れるから、なんかできるんやないか

今、愛されていない子供にも、

愛されないまま大人になって愛し方が解らない大人にも

ゲームって仮想現実からね。うまいことつくれば

なんかできるかもしれんねん

でも大きいのはそこだけでなんとかすることじゃなくて

まわりのこういう状況の人・・・例えばACとかボーダーってのは

こういう理由で生きるの苦しいたいなっちゃってる

たいな理解を広められればね、接し方とか人間全体の

世界観も変わってくるんやないかと。

気持ちが繋がれば楽になるから

理解しあえれば楽になるから

障害は自意識とか自尊心とかもうなんか

メンドクサイのがグギャーっていっぱいあって

もう、なんでお前らそんな下らないもんを

必死になって守ってんだよって思うんだけど

それだって癒されてないってだけの話で

自信つけて、大丈夫だってなったら

寛容になれるし他人愛せるし人育てられるし。

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閑話休題

**********

んで、やっぱり人と一緒に作りたいです。俺は。

一人で作るの無理。いや、別に無理じゃないけど

みんなと作るほうが楽。話し合いながら

ちょっと思いついたら共有して、粗だして。

そういうのが楽。

だってさ、自分が思いついた事の欠点って

他人からは簡単にみえるけど、自分発見するの

すごい難しいんだよ?一人で頑張って見つけるのって

元気の無駄遣いじゃないですか。

あとなんか、一人でやってるとノーミソぐるぐるして

ノイローゼになるですよ。つらいっすよ。

みんなでやってると楽しいんだよね。

ただ議論をぐるぐる同じところで回してるだけでも楽しい

あとね、出来上がったものに対する自己評価全然違うねん。

俺は自分自身にたいする評価が凄い低い。ACからね。

もうほんま、俺みたいな愛されないバカ死ねばええとおもってる。

いからでけへんねんけどね。

でもさ、そういう俺の書いた筋道に、有能で、賢くて、

すっごいイイ子たちが乗っかってくれて、一生懸命作業してくれて

そんなふうに出来上がった自分子供たいな作品を

愛さないなんてのは無理っていうか大好きなもんになるわけですよ。

これが自分一人で作ってるとね、俺なんか糞で死ねっていうのが

前提にありますからね、作った後の興奮が覚めると、たま

全否定みたいなっちゃうんですよ。

でも、みんなでつくると、これが無い。一切無い。

あんな有能でいい子たちが全力で協力してくれて

俺も全力で頑張って、その成果物を否定するとかマジ無理不可能。

**********

閑話休題

**********

真摯さの話をさせてくれよプリーズリーズ

でな、ドラッカーですよ。なにそれ真摯さってなにそれ。

意味分かんないですけど。って最初にドラッガー読んだらやっぱ思いますよ。

もしドラ」でちょっと解説されたけどさぁ

やっぱり俺はわかんなかったね。第一漢字が難しいじゃん。「真摯さ」

でもね、俺、最近これちょっと理解したです

なんていうか、職場で真摯さのある奴とそうでない奴、ちゃんと分けれたよ。

俺の職場ゲームを作る職場でさ。

でさ、いるんですよ。もう、ほんとに、ゲームが良くなるためなら

なんでもやるって連中が。ほんとに。ほんとに。

これが真摯さだよ。

ゲームが良くなる可能性があるのにさ、自意識とかプライドとか

もうなんかわかんないけど、俺に言わせりゃ下らないもんで

仕様ロックしてさ、別にいいけど、誰も不幸にならないし

でも真摯じゃないよね。もっと良くなるかもしれないんだよ?

試してみればいいじゃない。ダメなら引き返せばいいじゃない。

そんなに「僕の考えた事」が大事かよ。ゲームをみろよ。

有効性とか機能性をみろよ。お前が大事なのはゲームじゃなくて自分だろ。

うちの会社はスゲェ。ほんとにスゲェ。真摯さ含有率パネぇ

みんなスゲー真摯だ。ゲームをいいものにするために

体調崩して生きるか死ぬかの瀬戸際までいきかねん連中がいっぱいいる。

おれは大好きですよ。最高だな、おい。そうじゃないのもいるけどさ。

頼むから自重して生きてほしいわ。

俺はね、もっともっとずっと一緒に働きたいのよ、君らと。

メンヘラから嫌がられるかもしれませんけどさ。


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閑話休題

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あー 書いた書いた。ぶちまけた。

ここの所、生きる意思みたいなのを持てなくて。

もうお金の使い方が荒かったりね。

もうだめだーって。 明日死ぬかもしれんのに

貯金何百万あっても意味ねーってのww

この手と目と心で、何かできる事があるはずなのよね。

夢を描いている。こんな風になったらいいなーって。

何かを変えるには障害があるんだけど

それに立ち向かっていくのは、きっと楽しめると思うんだ。

夢がないとさ。こうなったらスゲーわくわくする!

たい希望がないとさ。

そんなんした絶望するけど、もうそはいっぱいしたじゃない。

さんざのたうち回ったじゃない。なかなか慣れないけどさ。

でも希望が無いとだめだわ。空白の時間に潰されるわ。

最近は酒に逃げてなんとかしてるけどw

希望を見出すの。自分人生こうなったらスゲー

たい妄想をするの。そのための現実的なステップを思い描くの

なんとかしてる。絶対なんとかなる。

いま世界が生きづらくて、最低で真っ暗でゴミみないなのは

俺が輝くためなんだよ!!光になるんだよ!俺が!

おしまい

2010-11-08

ひとつビジネスとして

ひとつビジネスとして、お年寄りイリュージョンエロゲなどを

最先端仮想現実』と称して売ってしまえば、どれぐらいの儲けを得ることができるだろうか。

もちろん失敗するかもしれない。だが僕は、

老人の中に、若い女性セックスしたいと思っている老人がいることを知っている。

しかも、残りの人生もあまり長くはない。

そこに、『仮想現実』として、イリュージョンエロゲなどを紹介する。

老人は、『自分晩年である』という効果も手伝って、エロゲにのめりこむだろう。

「時代はここまで来たのか…』なんて言ってしまうだろう。いや、

実際時代はここまで来たのだけど。

人工知能に恋をしたりセックスしたりする物語は、古今東西いろいろあるが、

やはり、科学の力で性問題を救ってほしいと考えている人が多いのだろう。

ならば、例えそれが若者から『フェイク』であることを見透かされたとしても、

それを老人に売ってしまうのは、ひとつの優しさであり、ビジネスとしても

十分成立するのではないだろうか。

俺は何を言っているんだ。

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