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はてなキーワード: 仮想現実とは

2014-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20140716161609

そんな詭弁始めたら議論が何も終わりませんがな。

すべてがゴーストだ、とかおっしゃられてるのと代わりませんがな。

この世の見えてるものはすべて仮想現実でっか?

2014-06-05

ロボット仮想現実に期待出来ない。

はてなーの皆さんが使えるような技術にはならそう。

ロボットは恐らくパワードスーツまりな気がする。

介護ヘルパーさんがパワードスーツを着て老人の世話をする。

セクサロイドなんか登場しないだろう。

登場しないっていうのは嘘かもしれない。

しかし、はてなーが満足するような美しい少女のようなセクサロイドは恐らく登場しない。

技術進歩も遅い。マネタイズも難しい。

仮想現実の話にいこう。

これも期待出来ない。五感を使って異性を体感したりは無理だ。

ゴーグルモニターまり気がする。既存技術を組み合わせてばかりの仮想現実メーカーだ。ゴーグルモニター限界だ。

そしてセカンドライフの二の舞になるだろう。

世の中、自分未来は凄い暗い。

2014-03-25

仮想現実という幻想

直接を受けてはこれ。

http://fanfiction-novel.com/archives/544

仮想現実物のアニメラノベについての雑記

ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。

?B から REV さんの

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2

ゲームの中が舞台ラノベ

も参考にしてます

 

web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます

で、自分領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります

結局のところ独りよがりチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。

また、ねたばれを平気で入れます

 

よござんすか?

 

よござんすね?

 

そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。

物語類型

一番最初に気になったのは、物語類型としての分類。

ぽすてぃぶさんが

仮想世界物の「SF」がSAO

仮想世界物の「異世界召喚物」がログ・ホラ

仮想世界物の「サスペンス」が.hackこうではないでしょうか?

としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。

SAO最初は、ゲーム仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。

そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています

ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として

思考加速、人工知能ロボット、A.Iが住み管理する街、これだけ聞くと完全にSFです。

とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になりますユイのボディを現実につくるためには?など。

そう考えたとき、少なくとも最初アインクラッドでは、彼らの世界ファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが世界」です。

 

同様の構造クリス・クロスにも見られます

ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。

作中のスキル「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクター世界にとらわれいることからゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。

 

これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。

しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります

 

その意味で、彼らの物語類型を考えた時に重要なのは

このように設定された「世界であるのではないかと考えています

 

となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます

貴種漂流譚?

しかし貴種漂流譚とした場合物語類型としては明らかに違うものがあります

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A

VRMMORPGMMORPG場合主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています

これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。

行きて帰りし物語

となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます

http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari

これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます

結果残るもの

というパターンになります

多くの場合冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。

 

ここまで来ると、物語類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性微妙に違うので割愛

 

さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?

集団漂流というジャンル

ところがここでも問題が、行きて帰りし物語場合冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。

また、「日常に帰ってくる」というのも重要になりますログホラの場合ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。

 

では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります

これの古典で有名なのは十五少年漂流記(小説)ですね。

個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。

類型とその違い

ということでもう一度元に戻り、SAOログホラ、.hack で考えてみた場合

という分類になるのではないか……と考えたのであります

なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて

というのが物語類型での分類になると思われます

異界へのギミックや、異界で使う技術「ゲーム」ベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものほとんどです。

となると、物語類型を見る場合にはもっと重要ギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています

ゲームという題材が特殊なのか?

ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。

で、最初の方に戻る。

web 小説や、そこから現実書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。

個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。

しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE

で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊ファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。

結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。

 

そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます

それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SFサイバーパンクですね。この場合マトリクス現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。

同じくサイバーパンク電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。

他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もありますAI が住み、自己増殖する電脳世界に入り込み、バグ退治を行います表現SF 側です。

そして、ゲームといっても電源不要東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびますサイバーパンクなTRPG

一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。

 

そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚ファンタジー世界魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界ちょっと冒険してくる代物ですね。

これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界重要なのですが。

 

そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります

世界現実を行き来するってのでは、ナルニアとか。

個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実世界の「隣」にあるのとは違っていますが。

 

ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。

VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。

その中で主人公プレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります

となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型から考慮しないでも済みます

 

一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。

これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます

N◎VAもそうですし、サイレントメビウスもそうですね。

 

このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます

世界漂流ファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。

このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要ポイントなのかもしれません。

俺TUEEEの源泉

ちょっと話が散乱したので、少し戻します。

無双の理由づけ」です。

VRMMO 、あるいは「ゲームルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます

どういうことか?

 

多くの場合対象となる異世界は、技術文化水準が現代より低いです。

FPSSLベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。

そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー神話伝説英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。

これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝日本天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。

 

そして、漫画アニメラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。 

では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります

この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。

 

VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。

ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック

この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名全然出てこない。

まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます

 

てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。

今までだと単純に戦闘つえー、魔法つえー、だからねぇ。

とめどなく

結局まとまらないので、適当なまま増田に投げつけて終了。

続きも別に考えてないで投げっぱなし。

2013-07-19

大の大人はてブをする必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

メモとしてちょっとはてブするのはまだ分かるんだよ。

俺が休憩時間中で時間潰しに話題のサイトを見るのと同じことだし。

でもコメント書くためにはてブをやる理由はどこにもない。

仮想現実空間でもらえるスターなんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

どんなにスターを集めたとしても、所詮コンピュータの中のことだ。

それよりも、現実世界で人気になったり、実際に握手会を開いたほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

名前を隠して楽しく日記のことになると更に分からない。

子供の頃geocitiesにハマった世代だが、大人になって、青春映画のような出来事に比べてあまりにも軽薄なコミュニケーション時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

はてブなんてやる意味が、どこにあるんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

AVちょっとした自慰をするのはまだ分かるんだよ。

俺が電車の中で時間潰しにグラビアを見るのと同じことだし。

でも2次のアへ顔ダブルピース自慰行為をやる理由はどこにもない。

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界生殖活動が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい生殖活動をすることは、何歳になってもできる。

2次の幼女を見てぶっぱなしても、所詮次元の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる異性なりダッチワイフなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

ストーリーのある2次エロのことになると更に分からない。

子供の頃に洋物の無修正にハマった世代だが、大人になって、日本AVグラビアに比べてあまりにも軽薄な演技に時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

次元を見て自慰行為なんてやる意味が、どこにあるんだろう。

大の大人が本を読む必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

スマホちょっとした新聞記事を読むのはまだ分かるんだよ。

俺が電車の中で時間潰しにネットを見るのと同じことだし。

でもハードカバー文庫本新書本を読む理由はどこにもない。

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

本で何かに気付いたりしても、所詮本の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる道具なりガジェットなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

ストーリーのある小説のことになると更に分からない。

子供の頃漱石・鴎外にハマったが、大人になって、あまりにも小説時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

本なんて読む意味が、どこにあるんだろう。

うまく改変できませんでした

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

ゲーム現実のふりをした何か、あるいは何か別のものに良く似た何かだととらえるから、そういう疑問が湧くのだと思う。

ゲームは紛れもなく現実世界にあるものだし、映画も本もそうだろう。絵画鑑賞が趣味人間について、仮想現実に没頭していて現実を見ていないというだろうか。

と書いていて、仮想現実というのは何なのか、よくわからなくなってきた。

あと、現実世界の方が発見があるかどうかは感性を鍛える方向によるし、修正が効かないこともある。

大の大人小説を読む必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

空想の中で銃をぶっぱなしても、所詮、本の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる道具なりガジェットなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

大の大人ゲームディスる必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

リアルの付き合いでちょっとしたポーズをとるのはまだ分かるんだよ。

俺がエロゲ大好きなことを女性の前では隠してるのと同じことだし。

でも増田SNSゲームディスる理由はどこにもない。

仮想現実空間に没頭することは、現実世界の一兆倍楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、座椅子に座ってゲームしているだけで、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

家の外で行動しても、所詮制限付きだ。

それよりも、ゲームの中で銃をぶっぱなしたり、一度に何人とも付き合って陵辱なり鬼畜なりを楽しむほうがいいじゃないか

現実世界でそれをしたら、どうなるのかお分かりだろうか。

ストーリーのあるゲームのディスになると更に分からない。

子供の頃FFにハマった世代が、大人になって、「小説映画に比べてあまりにも軽薄なゲーム時間を奪われた(キリッ(ドヤァ」と言っていることに、恨みに近い感情を抱いた。

数千円な癖して、何十時間時間を忘れて遊べる。

こんなコストパフォーマンス最高なこと、楽しすぎてやめられない。

ゲームなんて」とディスる意味が、どこにあるんだろう。

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619185505

製作者が「普段ゲームをやらない人」をターゲットとしたゲーム

実際に「普段ゲームをやらない人」が楽しがるゲームとは違う

今の作者は、普段やらない人向けに作る時「普段やらない人はこういうものを好むだろう」と自分がその普段ゲームをやらない人でもないのに勝手想像してるだけで

現在進行形でもソーシャルゲームが「普段ゲームをやらない人」に対して流行してますが、それを心から楽しがってやっているかと言うと疑問符が付きます

もちろん面白いのや素晴らしいのもあると思います

実際に売れるゲーム面白いと思う人がいるゲームは違うと思います

売れるゲームお金をその場限り稼ぐにはいいと思います

では実際にどういうもの依存性や中毒性があるのかと言うとそれは面白いゲーム

どういうもの面白いかと言うとその中に仮想現実を体験できるって部分があると思います

で、それを満たすゲームを今の人は作れない

http://anond.hatelabo.jp/20130619180333

一般人ゲーマーで無い人、普段ゲームをやらない人

あ、はい。そうですか。

 

でもそれって

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

って発言と矛盾してませんか?

「普段ゲームをやらない人」をターゲットとしたゲーム流行したことは過去に何度かあって、

現在進行形でもソーシャルゲームが「普段ゲームをやらない人」に対して流行してますが、

そうやって流行してるもののなかで仮想現実が求められたことってありますか?

 

答えは「No」だと思いますよ。

 

まあ、あなたの頭の中の仮想現実って単語がえらく拡大解釈できる定義になってるなら、

答えは「Yes」なんでしょうけど。

2013-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20130618184628

Skyrimはそれはそれでいいと思うんですけど

でも一般人の求めるものと何か違いますよね

そのどこが違うかを知る事が大事だと思います

SkyrimSkyrimであっていいと思います

ドラゴンズドグマは今のゲームの典型だと思う

演出とイベントでがちがちになってて

道を進むしかない

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

から外れられなきゃ現実じゃない訳で

Skyrimはそれはそれでいいと思うんですけど

でも一般人の求めるものと何か違いますよね

そのどこが違うかを知る事が大事だと思います

SkyrimSkyrimであっていいと思います

ドラゴンズドグマは今のゲームの典型だと思う

演出とイベントでがちがちになってて

道を進むしかない

一般人ゲームに求めるもの仮想現実

から外れられなきゃ現実じゃない訳で

2013-02-12

ソードアート・オンラインひとりよがり

遅まきながら、ソードアート・オンラインに手をだした。

同じ人のアクセルワールドが好きだったというのと時間ができたからというのと。暇があるのは、ほんとうにいいことだ。

バーチャルリアリティゲーム

・1度始めたらクリアするか死ぬ

ていうと、クリスクロスを思いださずにはいられない。

似てるよね、ていうか、クリスクロスも何かに似ているわけで、そういう意味じゃ、こういうジャンルだともいえるわけで。

ほかに似てるといえば、漫画ナツノクモとか空談師とか、あとスラムオンラインとかも似ているといえば似ている。


まあ、いいんだ。

それはどうでもいいんだ。

ソードアート・オンラインを読んで思ったのは、その仮想現実ネタは何番煎じだとかそういうところではなく、これがまっすぐ子供心にストライクするところだった。クリスクロスにはなく、ソードアート・オンラインにあるのは、その妙だ。

中学生とか高校生かのころによくした妄想は? という問いが前にあった。その答えの常連は、自分ヒーローになる妄想だ。教室テロとか通学バスが異世界にとか邪気眼的なものとかひっくるめて、ざっくりいってしまえば、危機的な状況を自分の隠れた才能で切り抜けちゃう、ということ。このまっすぐな欲求は、異世界ものとかだとよく出てくると思う。実は・・・みたいな、ね。

ソードアート・オンラインはそういう妙を実によく書いている。くすぐったくなるぐらい。

から、というわけだけど、ソードアート・オンラインクリスクロスみたいなSFよりの作品ではなくて、教室テロをそのまま書きあげました・・・! みたいなバトルロワイアルだとか、異世界召喚されて英雄になった的な、そっちの系譜のお話だと思うのです。

きっとね、ソードアート・オンラインを大人びさせるとジョージマクドナルドリリスみたいな、そっちにいっちゃうんだろうなとか思ったりする。そっちにいくのは大歓迎だけどね・・・

2012-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20121208132430

そういう考え方はあまりきじゃないな。

プータンという国が国民幸福なんて言ってるけど、「ありきたりな幸福」を至高の価値に置いたらそこから進歩はないじゃん。

人間は欲望や知的好奇心があるから産業を追究し、文明を発展させてきた。

宇宙起源、脳の構造、まだまだ知りたいことはたくさんあるし、仮想現実、夢のエネルギー、まだまだ得たい欲望もたくさんある。

食って寝て幸せはい終わり、じゃ、人間まで進化する意味なかったね、犬猫で良かったよねってことになるよ。

幸福よりもっと究極的な進化を目指したい。

その結果人間が滅びることになっても。

2012-10-05

書き殴り

近未来。通信技術と描画技術の向上によって、オンライン空間に、アバターを使った完全な過去が再現された社会

体感覚をなくしているために、年齢制限が掛けられているものの、ほぼすべてのアバターが十代の容姿をしているため、本人確認において問題が生じている。

また痛覚がないために、過激な娯楽に興じるものも現れていて、アバター同士が武器防具を装備して戦うコロシアムや、重火器を扱った本格的なサバイバルゲームも催されている。

どれだけ刺激的な死に方を表現できるか競う殺害ストリーミングと呼ばれる映像ライブもあり、この娯楽においては自殺の部や拷問の部なども人気がある。

性に関する娯楽は、初期においては参加型が流行ったものの、身体感覚の制限があるために次第に下火になり、現在ではプロによる演劇のような提供型の娯楽が一般的になっている。

そんな中、身体感覚が再現されてしまバグがあるという都市伝説流行る。通信会社にもその情報は入ってきていて、事実現実社会に帰還した利用者からも苦情が届き始めている。

バグの調査にあたることになった主人公は、アバター空間での聴きこみの最中に痛覚を感じていると証言する女と出会う。女は調査に非協力的で、ものすごく冷ややかな応答しか示さない。

不審に思った主人公は、女の素性を確かめるために強引に女の登録情報アクセスを試みる。途端に、何重にも掛けておいたセキュリティ破壊されて、主人公も痛覚のバグ感染してしまう。

会社へ連絡しようとするも、女に阻止される。曰く、アクセスした途端に、本幹にまでバグが広がりかねないのだという。

救援要請の手段を失った主人公は悲嘆に暮れる。様子を鼻で笑われながらも、仕方がなく女と行動を共にすることになる。危険が迫っているのだそうだ。

証拠に、女は常に周囲の目を気にしながら、ひっそりと行動し続けた。誰とも会話せず、目も合わせず、限りなく接触を断つようにしているのである

様子に、主人公は過度な対応じゃないかと疑問を抱く。事実、どこにも危険な様子はないではないかと。隠れ家に辿り着き、何とか一息入れた時に、女から説明を受ける。

アバター空間に慣れるための適応期間のことを覚えているかと問われて、主人公は頷く。身体感覚を徐々に鈍らせていき、精神との繋がりを隔てることによって、開放的な娯楽を楽しめるようになるだ。

百をいきなり〇にしても、拒絶反応が起こる。実際、初期実験では過度の精神ストレスによってショック死する事例も報告されていた。その解決策が、適応期間の導入というわけである

主人公は通信会社社員だ。一通りの経緯は知っていた。しかし、それとこれと何の繋がりがあるというのだろうか。

疑問が顔に現れていたらしい。女は渋面を作り、あんたは人を信じすぎていると吐き捨てた。人間ってのは、際限の効かない好奇心っていう化物を宿しているのだと。

女が言うには、彼ら彼女らは、もうすでに既存の娯楽に飽き始めているのだそうだ。実際に、先鋭化した一部のアバターは、クローズドサーバを用いて、新しいショーを楽しみ始めているのだという。

主人公はいまいちピンとこない。すると女は憐れむように微笑んで、実社会におけるバグの報告件数を訊ねてきた。返答すると、あまりにも少な過ぎないかと畳み込まれてしまう。

嫌な考えが脳裏を巡る。まさかと戯ける主人公に、女は実社会最近不審死が相次いでいないか問い詰める。確かに、長時間接続機に横たわっていた利用者が死ぬ事例は増えているのが現状だった。

けれども、利用者は自主的にログアウトできるはずだと主人公は反論する。長時間利用しての死亡事故は、あくまでも過労死だと。

からこその、クローズドサーバなのだと女は告げる。サーバ主によって閉鎖された空間においては、主の許可無くログアウトすることができないのだと。

そんな馬鹿な。怒鳴る主人公に女は肩を竦める。わたしだって事実を全て把握しているわけじゃない。あくまで推測なのだと。

ただし、わたし達を狙っている奴らはいる。確実に。念を押す女に、主人公は息を呑んでしまう。嘘だと思うだろうけど、多分ライブされてるストリーミングの幾つかには身体感覚を有した人間がいる。

わたしが感染させた友達が映っていたのだから間違いない。発言に言葉も出なくなってしまう。演技だよ。そうかもしれない。全部作りものさ。否定はできない。問答が力なく続く。

どうすればいい。主人公は問う。俺はどうしたらいい。あんたは俺にどうしてほしいんだ。

仕事をするしかないんじゃないの。事が大きくなってからじゃ、会社もクソもあったもんじゃいから。


ってな感じで、バグの原因を突き止めようとする主人公だったが、実は登場している女は仮想現実に現れたゴーストのようなもので、現実社会には存在していない。

なんて言うか、コンピュータからの反逆というか、人間性への疑問提起みたいなのが表現できるのかもしれないと妄想する。

社会における身体感覚を有しているとの苦情も、コンピュータが主体となって行ったもので、実際に感染暴行ないし陵辱を受けた人々の意見フィードバックされていない、等々。

……しっかし、ありふれたネタだなあ。後半部分、話ばっかで面白みに欠けるし。

まあ起承転結の承までって感じ。序破急の序? クローズドサーバの主に迫っていく部分が破で、女がゴーストだったてのが急になるのかしらん。


ああ、あと、アバター間における世代格差みたいなのとかもいけるのかも。

実年齢相応のアバターは同年代若いアバターから容赦なくオヤジ狩りにあってたり、背伸びしている実年齢が若いアバターが被害にあってたり。

老いも若いもなくて、ただひたすらに娯楽だけが満ち溢れている、綺麗な綺麗な完成された過去舞台

無論、いろんな年代がごっちゃになってるだろうから映像的にはカオス空間になるんだろうけど。

ロビーけがそんな感じで、他は年代サーバーになってるとかでも面白いかもしれない。

2011-11-04

モバイルゲームの何が問題なのか~ゲーム性課金システム

長文は面倒なので端的に書くと

1、ゲーム性を高める為にファミコンからソフトメーカーは高画質・高品質ゲームを作り続けているが、

モバイルゲームで利用されている内容は、ほぼファミコン時代システムその物で、単純な物にしか客がお金を落とさなくなると、

ハードゲームで高度なレベルソフトを作る会社に資金が回らなくなり、ゲーム業界の力が無くなる。

現在、家庭用又はPCのみのハードゲームだけ作っている会社はほぼ皆無)

2、課金システム企業にとってはドル箱システムであるが、ゲーム性という観点から見れば最低な手段

少し前にゲーム業界で問題になったのは、乱数により釣れるつりゲームにおいて、魚が釣れる可能性が高くなる釣竿(回数制限あり)に数百円の値段を付けたという物

壊れるので際購入が必要なのである確立が高いだけで確実に釣れる訳ではないのである

そもそも乱数により釣れるつりゲームの何処にゲーム性を見出せばいいのかという疑問もあるが、その上でこの鬼畜システムである

消費者は安い(基本無料)便利(携帯ダウンロード一発)早い(何処でも暇な時間に出来る)に流されたわけだが、

その結果現実になったのは、ゲーム性皆無の作業プログラムを嬉々として延々やるパンピーと、ゲーム性を追及する層に完全に分断されるという事である

ゲームの終着点の一つとして、完全なる仮想現実を構築して、そこにおける様々なプレイを実現させるという壮大な考えがあるが、

2011年現在流行っているものは残念ながらそんな理想とは程遠い物なのである、結果ソフトメーカーは資金難で潰れる。

これはゲーム業界に限った話ではないが、闇雲に安易な理由で消費行動に走らず、自分が消費する影響も考えて欲しい物である

資本主義において消費者は愚かでないといけない前提があるという事実がそこに存在している。

2011-11-01

ネットに居場所を求めるっておかしい?

依存」という言葉辞書で引いてみると「頼ること」とある。人と人同士がお互いに頼り合い支え合う世の中において、自分が寄りかかることを許してもらえなかったとき、人はものに強く執着するようになると。

親に褒めてもらったという記憶があまりない。もう成人して暫く経つのから、褒められたいとかいう欲求を持つのおかしいかもしれないが。そこで私は、顔も知らない声も聞いたことのない人たちと交流できるtwitterにのめりこんだ。今の私の状態は「ネット依存」と呼んでも遜色ないだろう。

私はイラストを描くのが好きで、ちょっとした文章を書くのも好きだ。親にそれを見せたことはないけれど、ネットでならば自分趣味をおおっぴらにできる。ソフトの使い方を教えてもらったり、描き上げた絵を褒めてもらったり、趣味について延々と語ることのできる仮想現実は、私にとって最早現実以上に確固とした存在だ。愚痴を聞いてもらうのも、悩みを打ち明けるのも、親ではなくフォロワーだし、交わす言葉家族より多いことは間違いない。

親が悪いとか、私が悪いとかいうことではなく、恐らく私と親の相性が悪かっただけのことなんだろうと思う。それでも私は、娘として姉としてのプレッシャーから解放されたインターネットから抜け出すことができない。たとえそれで余計に家族との壁を厚くするとしても。

2011-10-28

意味がわかりません http://anond.hatelabo.jp/20111028164451

あなたが、法律緊急避難の構成要件も人道も理解してなくて、おそらく今まで大した苦労もしてなくて、世の中がわかってないのは、よくわかりました。


前にも何度も書いてますが、現実ネットリンクしてます

あなたがたにとっては、ネットというのは仮想現実に浸る場所でも、ネットの機動性を活かせば、もっと助かる人もいるし、もっとそういう方向で使われなくてはいかないと思う

まりにも幼稚で、書く気もしないが

こっちも 子供相手らしく

関西の子供なら一度は言った

「そんな法律があるのかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

出して来い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




こっちが、気を遣わなくて良いところや、気を遣いすぎなところや、罪悪感を持ちすぎなところに付け込む

こっちが、「なごみけい 」 の空気を 壊すようで悪い みたいに書いたら そこに付けこんで来る



今まで、記名でネットをやってる団体で、ここまで、色々わかってないところは、初めてですよwwwwwwwwwwwwwww

2011-09-18

結局インターネットリアルを選択した

かつてのインターネットは非現実だった。

どんどんわからなくなっていく勉強。うまくいかない学校生活受験、恋。

それらのリアルから目を背けたかった僕のような思春期の子供にとって、インターネットは逃げ道だった。

インターネットの中なら僕は何者にもなれた。

大人にも、女にもなれた。

検索すれば何でも知ってる気になった。

掲示板で、どこの誰だか知らない他人を馬鹿にしたり、僕も馬鹿のフリをしたり、楽しかった。

現実自分は忘れられた。

僕の居場所がインターネットの中には確かにあった。

それが現実じゃないことはわかっていても、僕にとっては現実よりも価値のあるものだった。

僕の仮想現実。僕の居場所。


その僕の仮想現実が、いつの間にかリアルに食われてた。

インターネットの話題はリアルの誰でもが口にするし、リアルの話題で溢れるようになったインターネット

インターネットリアルのために存在するようになった。

僕のためじゃない。

じゃあ僕のようにリアルから逃げたい子供はどこに行けばいい?

2011-08-21

宇野常寛批評用語の名前空間リソースを浪費しすぎ

最後に、宇野は「〈いま・ここ〉だけが無限に広がるこのリトル・ピープルの時代の新しい世界においては、私たちは〈いま・ここ〉に「潜る」こと、徹底して内在的であることが逆説的に超越に接近してしまう」と語るけど、このレトリックって、大澤真幸麻原彰晃に対して指摘した、

徹底した俗物性、過剰なまでの〈内在性〉が、逆に、麻原の〈超越性〉の根拠になっているのではないか。(大澤真幸『虚構時代の果て』)

とまったく同じなのだけど、これは本人的には大丈夫なのかしら。

ttp://blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll/archives/51653048.html

たとえば『完全自殺マニュアル』の鶴見済氏やオウム真理教麻原彰晃は、「革命」を失った今、世界を変えるのではなく自分を変えようとしたわけですよね。ドラッグや「修行」によって。麻原は鶴見さんほど徹底できなかったヘタレから革命のでき損ないに走っちゃったわけですしかし、彼らのやったことはまさに「内在」的なアプローチだったと思う。だって世界変革を「諦めて」自分チューニングするんだから

でも、ぼくがこの本で書いた「拡張現実の時代」においては、先ほどのゲームの例が代表するようにネットワーク的なものに支援されて超越―内在といった図式自体が崩壊していて、徹底的に内在することが超越に近づくというモチーフが頻出する。「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」に留まったままゲームルールを書き換えるための想像力の行使に焦点を合わせているわけ。それはそのまま「虚構の時代」(鶴見・麻原)と「拡張現実の時代」の違いでもある。ここもポイントで、「外部」を断念するというとすぐに鶴見・麻原的なものを年長世代自体は想像しちゃうけれど、それは90年代時間が止まっている思考ですね。21世紀的な現実は「徹底して内在することによる超越」が、自意識チューニングではなく現実コミュニケーションとして創作物の生成や社会変革の可能性の方向に向かっている。これがまさに「仮想現実から拡張現実へ」ということ。

ttp://synodos.livedoor.biz/archives/1813624.html

いやいやいや。。。ちょっとウノさん、何言ってるんです・・・・。「内在」っていうこれまで批評用語としては、「超越-内在」っていう二項対立の一項として使われてきた用語を、かなり強引に自分タームの「内在」(これってむしろ「組織インサイダー=内在者」っていう意味に近いと思うんだけど)に引きつけて使ってて、不要名前空間コンフリクトを起こしてる気がする。まさに、

文系評論はすぐに一般名詞専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ。”壁_temp”とか、”想像力_temp”とかい名前にしてくれればわかりやすいのだが、我慢して慣れてみよう。

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20110818

っていう奴。今まで現代思想界にはCritique.naizaiっていう広く使われてる変数なり関数なりがあったのに、そこにまた紛らわしいUno.naizaiっていう変数なり関数なりを持ってきてて、そこでCritique.naizaiをUno.naizaiと間違えてコンパイルした人に、「お前はUnoパッケージインポートしてないから俺の本が読めてない」って文句言うのはちょっと無理筋過ぎないか

まあ、用語の問題を脇に置けば宇野常寛の言いたいことも分からなくはない。現代思想社会理論がこれまで、超越(トップダウン理想主義的な社会モデル)か、内在(個々人の内面インナースペースからの改革)か、という二項対立に拘泥したきたのに対して、組織の内在者=インサイダーが、組織へのハッキング的なコミュニケーションによるアプローチをかけることによって、ゆるやかに社会を変えていきましょう、ってのが彼の言いたいことなんだろうなあ、と思う。だけどそこで、現代思想のこれまで数十年の歴史のある用語体系に土足で踏み込んで、「内在」なんていう一般名詞を無理やり自分タームで使うのは無理筋だし、これまでその用語体系を使ってきた人の名前空間を不必要に混乱させる振る舞いだと思う。せめて「内在者(インサイダー)的アプローチ」くらいの用語にしておいてくれれば分かりやすいのにねえ・・・

2011-08-08

闘争だ。いまは闘争の時代なんだ。学生運動とか、安保闘争とか、運動母体が負け続けてきた闘争がまた激しく再燃しかけているんだ。

人々はインターネットを介して集う。演説は、なにも集会で行う必要がなくなり、どこであってもいつからでも、聴衆になることができて発言者になれる。

不鮮明な熱量は確かに大きくなり続けて、いつの日にか火山みたいに噴火するのかもしれない。大きな大きなうねりになれば、何かが変わって勝つこともできるのかもしれない。

運動母体が得る始めての勝利。仮にそれが実現したらどういう状態になるのだろう。勝者は敗者を虐げ、新たな秩序を打ち出すことができる。権力者になることができる。

もし運動母体が大勢に打ち勝つことができて、その後権力を握り得たとして、その権力を行使する主体は誰になるのだろう。

広がりに広がったネットワーク媒体だろうか。それとも旧来どおり中枢をなす人物たちによる統制なのだろうか。

侃々諤々としたネットワーク上の民意による体制が築かれたとしたら、なんだかSFっぽいなあって思う。

もちろん、個々人の判断を礎に据えているとは言え、その総意としてまとめ上げられた一個の意見が――とかなんとか考えたけど、法律も似たようなものじゃないねえ。

神様が生まれるかと思ったけど、そんなことなかった。いや、それとももうすでにたくさんの神様がいると考えてもいいのかもしれない。

違うか。ファジーなプログラムがあるだけか。超高性能なコンピュータマシンが、無数のプログラムを起動させているだけなんだろうな。

仮想現実マトリックス世界観。少し違うのは、コンピュータを形成しているのがその中で蠢いている無数の意思であることか。

私たちの総意で汲み上げられた倫理なり良識なりに、私達自身が縁どられて生きている。個体を律して、安定を育む。度を越すと、それらに縛られてしまう。

不思議な感じだ。同調圧力とか、空気を読むといったこと。あるいは偏見とか、典型的ものの捉え方というもの想像すると、無機質な無生物によって個人が支配されてるような気がしてくる。

法則と呼ばれるようなものって、だからやっぱり神様に近いなあって思う。神様の残り香見たな。そういうものによって私たちは支配されているし、自然だって規制されてる。

すごいなあ。でも、いつか根本的に常識を覆してしまうような、例えば星を継ぐものにあった大々的な発見があれば面白いなあって思う。そういうことがあってほしい。

ところで、星を継ぐものに書かれてた、新たな化合物発見って、どこで回収される伏線なんだろう。あれだけ気になる。どういうことだったんだろう。

2011-05-13

ボッチ道

私が半生を賭けて追及したボッチ道について書いてみようと思う。

ボッチ道とは、人生というゲームを協力プレーを極力廃止ソロプレーで挑む縛りである

昨今のおひとり様とか、老人の孤独死など、ボッチ道に対してある種の偏見があるが、これは価値観の違いである。

おひとり様なのは生命を維持するための経済コストを下げるのに有効だし、老人の孤独死というのはまさにボッチ道に殉じた見事な最後である

実は、ボッチ道の最高難易度は老齢期でなく、幼年から始まる学生時代である

学生時代にボッチ道を極めるには様々な苦難を味わう必要がある。

休み時間ときは皆の楽しみを邪魔しないように寝たふりをする。

 また、このとき、心無い人の非難を耳に入れないようにウォークマン(今ならIpod)などが有効である

・昼食の時間は、一人で食べてる姿を見せて回りに気をつかわせないように、屋上や倉庫などの目につかないところに潜む。

・レクエーションの際は完全に気配を消して、時間がすぎるのをまつ。

・二人一組になる命令が来た場合は、他のみんなが一人にならないように、そっせんして自分があまるようにする。

このような行動は、多くのボッチ道を極めようとした人間の心を次々と折っていった。

この試練をくぐりぬけたものは同窓会という義務を免除されるので、興味のある方は挑戦してみよう。

さて、社会人学生よりつらいとかいう話をよくきくかと思うが、ボッチ道においては社会人はヌルゲーである

学生時代には一件も登録されなかった携帯の連絡先に仕事関係の連絡先をいれることができるなど、かなりの優遇処置がとられている。


さて、昨今はインターネットの発達により、ボッチ道にも新たな可能性が出てきた。

インターネットにより、見知らぬ人間や遠方の人間となれ合うことができるようになった。

だが勘違いはよくない。

現実社会でボッチだったものが、インターネットでボッチじゃなくなるのか?

いや、そんなわけはない。ボッチを極めしものは、いつでもボッチなのである

いまはなき、サルサ日記ブログに挑戦したことがある。

自分アクセス以外で、カウンターがまわったことなどない。

まさにパーフェクト閑古鳥である

また、ウルティマオンラインなるオンラインゲームもやったこともある。

ボッチ道を慢心する私としては、仮想現実世界でも、部屋に引きこもり、調理場でパンを淡々と焼き続けた。

もちろん、仮想現実を頼もしい仲間とともに冒険など、一回もしていない。

実は一度したが、見事に別のプレーヤーにカモられた。




ふぅ。

なんか、昔を思いだしたら、ディスプレーの調子が悪くなってきた。なんか画面がかすむ。

私は魔法が使える程度にボッチ道を極めたが、今後は最強伝説黒沢の初期黒沢のように、軟骨ごはんを食べる日々を送ろうと思う。

そして、2011年全国ボッチ道選手権では、入賞を目指して頑張りたいと思う。

なお、今年の選手権では巴マミさんという十年に一度の才能を秘めた選手エントリーしているため、かなりの激戦になると思われる。

2011-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20110310234559

ゲーム自分操作できるという点で、仮想現実の要素を含みやすい。

とは言うけれども、ほとんどのまともな人は(大人も子どもも)、それが仮想現実であると分かった上でゲームで遊んでいる。というか、仮想現実だと分かっているからこそゲームを楽しめる。

  

ふつう子どもや大人にとって、テレビドラマテレビゲームは、それが「フィクション」であり「ゲーム」であるというメタコミュニケーション的了解のもとで果たされる。まちがいなく現実の遊びや観劇経験である。ここには厳密にいって、虚構と現実の境界侵犯はない。ゲームのなかでモンスターを殺し、あるいは死んでもすぐまた生きかえるからといって、プレイヤーが死ぬということ、殺すということの思い意味を理解しなくなるというのは、あまりに短絡した主張である

西村清和(1999)『電脳遊戯少年少女たち』講談社現代新書1472 140ページより引用

すでに絶版になっているみたい

ゲーム現実の区別がつかないような人は、たとえゲーム規制したところで他の何かに影響を受けておかしなことをするんじゃないの?

首都高レースすることはできないから、グランツーリスモ5のスペシャルステージルート7で競争して楽しむ。そういうものでしょう。

  

それからエロゲに関してよく論点になっているのは、間接的な女性への暴力はないのかという点など存在そのものを有害視する態度だと思う。

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