はてなキーワード: 人間とは
これはたまたま幸運だった例の一つに過ぎない。「異性の一人一人を一個の人間として尊重し、真っ直ぐに向き合って」もこうはならなかった人は男女に沢山いる。
じゃあどうすればいいか?
結婚したんですかそうですかお幸せに。でもまあ俺には関係ない。
ヤリチンやヤリマンが100人とセックスして楽しかったらしい。まあでも俺には関係ない。
麻薬やドラッグをやってチョー気持ち良かったぜ、って言ってる人だと思えばいい。
加害者なのに被害者ポジション取りに行って、他人を殴る事に対して全く躊躇が無い人達
こういう人達の前頭葉に「この世界には他者って言うのが存在して、人格を尊重しないといけないんだよ」っていうしょうがっこうのどうとくをインストールできれば
多分世界は平和になるっていうか、世界平和に必要なのってこれだけだと思う
まあ彼らのような小者を人間に進化させることができたとしても、それ以上の前頭葉未発達人間なんて世界にはいくらでもいるわけだけども
ひろゆきが「壁にポスターを貼っている人は勉強ができない」と断言しているのですが、
言いたいことは、まあその通りだと思います
特に人間の描かれているポスター、アイドルとかの写真の視線が自分側を向いてる、カメラ目線である、というのは常に監視されている、という圧迫感があります
俺は圧迫感なんか感じていない、という人も自然と気が付かないだけで感じているはずなんです
1984のbig brother watching youです
誰かに見られている、という状態は緊張感を生み出し、自分の実力を発揮できない状態になります
実は、私は人前に立つと手が異常に震えてしまうことがあり、ギターとか楽器が弾けなくなりますし、そのことで職場で上司にバカにされたトラウマもあります
しかし、人前でなければ、例えば自室での練習であれば、なんの緊張感もなく、ちょっと難しいフレーズも弾けるようになります
で、ですね、自分はパニック障害気味なところもあるので、バスや電車自体が苦手で、且つ今は人生で最も酷い状態で、まったくバス、電車に乗れない状態なのですが、
それでも、バスとか電車とか、ちょっとでも落ち着きたい状況の場所では、周囲の壁のテクスチャーとかはニュートラルであってほしいと思ってます
まったくの白、マットな白の床や壁の空間が合ったら、多分ですが、距離感がおかしくなるはずです
でも、ロシデレの絵もそうですし、他のラッピングとかもどうかと思っています
単純に、オタ絵のラッピング、痛車みたいなのが嫌いというのもありますけど、痛車は個人の自由の範疇じゃないですか
でも、公共のバスとか電車はそれが不愉快な人、困る人も強制されてしまうわけで、そうなると公共のものというのは、多少無味乾燥になっても仕方がないのではないでしょうか?
そんなことよりも、アニメーターの労働環境なり、もっと社会を良くするべきことはいっぱいあるはずなのです
あと、ネットでウザイ広告が出てくることが不愉快で、広告をブロックしたり、ブロックできない広告に泣かされたり、普通にあると思うのですが、
ロシデレラッピング電車みたいなのも広告ですし、ウザいネット広告と同じだと思う人がいたっておかしくないですよね?
というか、私はそのひとりなわけですけど、現実世界の広告もブロックできるプラグインがあるならブロックしたいんですが、
そういう意味でも、ロシデレラッピング電車が不愉快だよね、と表明するのはそんなにおかしいことなのでしょうか?
まあ、言いたいことをまとめると、電車とかバスでは気分を落ち着けたい、というのが私の意見です
ラッピングバスやラッピング電車は、ウザいネット広告と同じで、今、見たくないものを目せつけられる、という強制感さえあります
ロシデレはつまんないので見てないですが、マケインは見てますし、逃げ上手も見てますし、エロ漫画も読んでるし、VRのAVも鑑賞しています
でも、外でマケインや逃げ上手やAV鑑賞はしませんし、エロ漫画も読みません
ロシデレはnot for meですが、ロシデレはまったく悪くありません
素人の探偵みたいなやつでストーカーとかしてる人間を見ると勇気が湧いてくる
あこいつは自分の貴重な人生を費やして自分のために時間を使ってくれてるんだなと
つまりこいつがニッチャリと他人をみつめて成長を止めている間に自分は進化できているわけだ
世の中にメンヘラの男多すぎない?職場にヒステリック中年男性多すぎ?
ヒス男さんに家庭という責任を与えて職場でのヒステリーを強制的に抑えないといけないんすね
しないと異常独身無敵ヒステリー仕事人間が職場にのさばって崩壊するんすね 週7で働く仕事しか人生ない自己中ヒステリー根性論無敵独身男性(≒パワハラ)が物量で昇進して勿論マトモな生活してる奴らはそんなんについていけないからヒスパワハラで職場が支配されるんすね あと直接攻撃でなく間接的なナチュラルヒスだから鈍感ノータリン下っ端や節穴最上司は普通に勤労でエライ!とか抜かしてマトモ人間がどんどん人権しぬんすね 勘弁してけ!
俺のような人間に
その後のことは考えたくもない
――みんなだいすき「続 ストップウォッチ防水\980(時間が止まればいいのに収録/COMIC LO 2019年9月号)」
そのフリもできなかったけど
全部捨てても一番望んだものだけ手に入ったならそれでいい
夫は人見知りな訳ではなく、老若男女問わず比較的フレンドリーに接する人間だ。ただ女性を相手にする時には、自分が失礼なことをしないか、意図せず性差別的な振る舞いをしないかなどをとても気にしている。
恋愛経験のなさを嘆くより、今いる、あるいはこれから出会う女性の一人一人を一個の人間として尊重し、真っ直ぐに向き合ってみたらどうだろう。
これを実践することで皆にとって無害な人間になることはできても、それだけで誰かにとって特別な一人になることはできないよ
決してそこを間違えてはいけない
増田の言うようなことを言われるまでもなく実践していて、それでもなお出会いに恵まれずに苦しみを抱えている人だって大勢居るだろう
そういった人たちと増田の夫との違いは、偶然増田のような人に出会えたかどうか、その違いでしかない
増田たちが出会えたのはものすごく幸運なことだけど、その幸運は決して一般化できるような話ではない、それだけは認識して幸せに生きてくれ
こんな態度取られ続けたら誰だってなお謝って教えて貰おうなんてとても思えんだろ
いうて東大物理卒だって色んな人がいる程度に、某名門音大のヴァイオリンと言ったって色んな人がいて当たり前。
加えて今回はn=5という、n=1に毛が生えた程度の話だ。
しかも「他の音大だって同じようなもんだよ」と言われそうな反面、自分が知る某名門音大卒の誰も彼もが共通する弾き方ということで、そこの学校の校風なのか?と思い、筆を執った次第。
ちなみにこの5人は全員女性、うち2人が自分が過去に習っていた先生である。
ということで前置きはこれくらいにして、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏者に共通して感じたこと、それも正直ネガティブに感じたことを挙げてみる。
前提として、ヴァイオリンは元々イタリアの民族楽器だが、ヨーロッパに広まる過程で、ヴィオッティというイタリアの作曲家兼ヴァイオリン奏者が、フランスのトルテという職人に依頼して、弓だけ後付で改良したという経緯がある。
つまり現在のヴァイオリンはイタリア発祥かつ、弓だけフランスで近代化された形で普及していると(だから今でもイタリア製のヴァイオリン本体と、フランス製の弓にプレミアが付く)。
このうち問題になるのが弓。フランスで近代化される前の、元々のヴァイオリンの弓には何かと演奏上の制約が多く、一番のハンデは、腕の筋力で弓を弦に押し付けたが最後、弓が倒れてしまい演奏できないことだ。
結果、ヴァイオリンには以下の奏法があり、奏者はこのどちらかを出発点にしている。
で、これまで会った某名門音大の人らは全員2番目の弾き方。要は抜けのない音を出発点に、弾く音楽に合わせて音を抜こうと工夫する演奏。
それでキレイかつ素敵な音になっていれば、あとはもう好みの問題なんだが、筆者を含む1番目の弾き方をデフォルトにしている人間からすると、「そこでそんなビブラートはかからなくね?」とか、違和感を感じる瞬間がそれなりにあったり。
それから、ロマン派や近現代のやたら難しい曲をめっちゃ上手に弾くのに、古典派の代表的作曲家であり、難易度的にはそこまで難しくないはずのモーツァルトを苦手とする人が多いのも大きな特徴。
しかしながら1番目の弾き方をデフォルトにしている人間は「モーツァルトをまともに弾けない人が、ロマン派以降のメンコンとかブルッフとか弾けるわけないじゃん」
と思っているので、この逆転現象を見るにつけ、「それ、ヴァイオリン弾けたことになるのか??」と疑問に感じることしきり。
基本的に、表現の細やかさと演奏の正確さは比例するのが普通なはず。つまり大味な表現だと音程も外れ気味で発音もあまりきれいじゃなかったりする。
逆に言えば、音程なんて表現が細やかになっていけば勝手に合ってくる。このままじゃ繊細な表現を実現できない!→実現できるくらい音程が正確に合わなきゃ気が済まない!という感じで修正されるから。
その一番素敵な例が、完全独学で名手レベルまでのし上がったギタリストだろう。彼らの表現に、義務感でやらされて正確さを獲得したような音は皆無だ。ハートに突き動かされて精緻を極めた音だけが、そこにある。
表現したいフレーズが完全に線になっていて、その線に然るべき音程の音がはめ込まれている感じ。
「そんなにざっくりな表現で、そこまで音程が合うはずないんだけどな、どうなってんだ??」
なんでそんな、音程だけ全力で合わせたような音で弾くんだろう?というか、なんでそんな演奏で問題ないと思うんだろう??
それよりは表現も正確さも拙いけど、ヴァイオリンが好きという気持ちが音にはみ出たような、一生懸命弾いている演奏のほうが自分は好きだったり。
実はここまで書いた音大以外にも、弦の名門かつ指揮の名門と言われる音大がある。
そっちの音大では、上で書いた傾向を比較的持たない人が多いと言われる。
しかも草創期に在学していたOBOGが、常設ではないが世界的に評価されている、いわば祝祭オーケストラを結成したこともあるレベル。
そこでコンミスを務め、海外で教授をやっていた女流ヴァイオリニスト(故人)曰く
「〇〇先生(その音大の創設者)に教わったことは、世界中のどこでも通用した」
この言葉は非常に重い。
まあ、自分が今更音大に行く可能性なんて、入るまでの大変さはもちろん卒業した後どうすんの?という問題も踏まえて万に一つもない。
しかし、もし今後音大に入れるチャンスが巡ってきたなら、どうせ入るならそこに入りたいなーと妄想するくらいには興味あったり。
増田じゃないから想像だけど、相入れない価値観が公然と併存してることで認知的不協和を引き起こすってことだと思う。
自由主義的な人は職業も芸風も自分で選択して実力の高い役者に重要な役を与えるべきだっていう世間の価値観と、保守的な伝統や血統主義を重視して親に似ていくことが良いっていう価値観はどうしても混じり合わないし、併存し続けるよ。
自由主義が伝統社会を駆逐していくのが既定路線かもしれないけど、昔から歌舞伎業界にいる人間には単なる価値観の変化を受け入れるだけではなくて、ご贔屓筋なんかの利害関係者が蓄積してきた信頼を裏切る痛みも伴うんだと思う。
婚活を初めて結婚を諦めるまでの過程が死の受容プロセスに似ていると思った。
婚活を開始するも自己評価と異性からの評価のギャップに衝撃を受ける。自分からアプローチした相手からはまったく相手にされず、自分にアプローチしてくる人は一目で詐欺目的と分かる人や10歳以上年上の人、容姿が著しく悪い人ばかりだと感じる。酷くショックを受けたために抑うつ状態に陥ったり、婚活を中断してしまう場合もある。
衝撃から回復して婚活を本格的に再開する。1つだけでなく複数のサービスに登録し、課金しなければ使えない機能を試す。婚活の体験談を読んだり周囲の人の話を聞いたりして必要なことを学び、プロフィールの文言や写真、コミュニケーションの仕方を修正していく。「婚活がうまく行かないのは自分自身の問題ではなく、やり方の問題なのだ」という信念をモチベーションに精力的に活動する。
婚活を続けてもうまく行かず、怒りや抑うつの感情が抑えられなくなる。「異性は現実的でない高望みをしている」とか「まともな異性がいない」といった考えを抱き始め、SNS上でも同じ意見のコメントや記事を好んで読むようになる。自分は誰からも愛されないと感じ、抑うつ状態に陥る時間も長くなる。怒りや落ち込みのために疲れ果て、仕事にも集中できなくなる。婚活は継続しているが活動していると苦しいため、一縷の望みにかけて最低限の活動だけを続けている。
自分には結婚できる見込みがない、ということを事実として受け入れる。利用サービスを変えようがアプローチ方法を変えようがどうにもならないことを理解し、結婚することを諦める。「受容」というとポジティブな印象を与えるが受容期は決して幸福な段階ではない。「努力したけれど結婚できなかった」という事実は重く辛く苦しいものであって、次のステップの糧にできるような実りある経験ではない。しかし受容期にたどり着いた人間は、その苦しい現実を前にしても激しい感情を掻き立てられることなく過去の出来事として静かに受け入れられるようになる。受容期に至った人間は婚活サービスのアカウントを全て削除し婚活市場から消える。以降は結婚に関する話題に関心を持たなくなる。
まず欲のある人間は「眼中に入らなくてもしゃーない」とはならない、相手からのリアクションがどうしても欲しくなる
で、リアクション欲しさに絡むうちに相手が自分のこと好きそうか好きじゃなさそうか、嫌いそうか察せられてくる
初恋とかは不器用すぎるのと年齢が低いのとでまず嫌われる、でも好きな人に嫌われるのを繰り返すうちに「最初から好き全開で行くと相手は引くな」とか「まずは友人としてのメリットを感じてもらった方がいいな」とか「楽しいって思ってもらえて向こうから話しかけてくれるようになったらガッツポーズだな」とか、段々分かってくる
こういうの全部、好きな相手に好かれたいっていう衝動だけでやってるから恋愛経験があるのが高尚とは思わない、むしろない方が動物的じゃなくていいなと思う
https://anond.hatelabo.jp/20240911123323
社会人になると恋愛・結婚ってマジでハードモードになるんだな。
仮に出会いがあったとしても適切なデートとか告白の流れとか全然わかんねえ。学生時代に一通り経験しておかないお前が悪いってブクマカに言われるんだろうな。
経験するにしても、中学時代にいじめられて女性恐怖症になったから、怖くて中高で恋愛の経験なんてできなかったよ。少しずつ治していって、大学4年にやっと好きな女性を食事に誘えるようになったんだよ。それが自分にとって精一杯だったよ。
出会い、ありません。
マチアプ、いいね来ないのに加えてストレスえぐすぎ。課金して二週間も経たずに熱だして会社休んだわ。
「別に一人で生きればいいじゃん」
あ~こういうこと言うブクマカ俺も無理。こういうこと言う奴に限って既婚なんだろうなぁ~~~知らんけど。
不本意だけど最悪一人でもいいよ。そのかわり独身税とか意地悪なことは二度と言っちゃだめだよ。
自分が恋愛したり結婚できないのが努力不足の自己責任ならば、金銭的に厳しくて子供を養育できないのも努力不足で自己責任だよね???
私が学生時代に恋愛に関する努力をしてこなかったのが悪いように、勉強するなり稼げる仕事に就く努力をしてこなかった親が悪い。
なのに恋愛強者の子持ち世帯には子育て支援の税金が投入され政治家に言うこと聞いてもらえてネットでよしよしされるのに、恋愛弱者非モテには何の支援もない。誰も助けてくれない。
自分からアプローチしないお前が悪い学生時代に経験する努力してこなかったお前が悪い異性はお前にとって都合がいいオナホじゃないそもそも人を好きになってるの?拗らせてるそういう所だぞってそう切り捨てられて終わりさ。寄り添ってもらえないばかりか、難癖つけられていじめられるばかりだ。
理不尽だーっ!!!!!!
はぁ
子育て支援を全廃しろ非モテだから金よこせなんて、本気で思っちゃいないよ。子供は国の宝だもん。お金はかけなきゃだめだよな。
でも、ブクマカどももそう思うのならば、非モテを自己責任で切り捨てるのはおかしいよな。子育て支援と同じように、恋愛や結婚で苦しんでいる非モテに対する救いがあったっていいじゃないか。
少なくとも、普段少子化ガ~なんてエラそうなこと言ってるはてなーは、多少なりとも非モテに寄り添って婚姻率を上げる努力を見せてみろよ。非モテにマウント取って悦に浸ることで少子化を加速させてることを自覚しろバーカ
はぁ
おれ、こんなことネットに書くような人だったっけ?
故郷に出てくるルントウみたいに、環境やら何やら全部含めていじめられてると、人間こうも変わるもんなんだね。
そういえばルントウは子持ちだった。
恋愛のやり方なんて興味のあるなしで身についたりつかなかったりするのに、ある年齢以上になると身につけるチャンスさえなくなるのは大変なことだなと思ったので、増田なりの恋愛の仕方を以下に書く。参考になれば嬉しいな
①「気になる」人を見つける。できれば複数
恋愛感情が薄い人は「好き!」という感情を他人に持ちにくいんじゃないかと思う。それでいい。「この人、ちょっと素敵だな」「他の人より少しだけ気になるな」この程度の温度感を感じる相手がいればOK。更に言うとこの相手は複数いるとリスクヘッジの点で非常に良い。
②「興味がある」という言葉を使わずに「興味がある」ということを示す
僕は/私は、あなたのことをもっと知りたいと思っています。ということを態度で示す。言葉では明言しない。好きなもの、嫌いなもの、街で目に付くもの、大切にしているもの……気になる相手なら知りたいことがあるはず。それを自然に会話の中で聞いて覚える。覚えていることが多いほど特別に見てる感は伝わる。「そういえば◯◯なんですよね」「〇〇好きでしたよね」「〇〇が苦手なら〇〇もですか?」と、どんどん相手を深掘りしていこう。もちろん一度にじゃなく、日々少しずつ
③距離を置かれたら深追いしないし、「なんか違うかも?」と思ったら引く
あなたのことが気になっていますとアピールしまくると、反応は3つに分かれる。一つは距離を置かれる、一つは相手もこちらに興味を示す、そして全くこちらの意図に気づいてくれない。このどれかだ
距離を置かれるとは例えば「付き合っている人がいます」と明言されたり、相手の内面について聞いた時にはぐらかされたりと、「これ以上近づかないで」というサインが出た時。この時は察してただの友人や同僚の距離感に戻ろう。相手についての深堀りはやめること
次に相手がこちらに興味を持ってくれた時だが、その時の距離の詰められ方によっては「この人、なんか好きになれないかも…」と思ってしまうこともある。そんな時は逆に自分自身が壁を作って距離を置こう。それは悪いことじゃない
距離を置くのも置かれるのも、「好き!大好き!」な相手だとしんどいが「ちょっと気になるな」くらいの相手だとそんなにしんどくないので良い。気になる人を複数見つけるのはそういうリスクヘッジにもなる
④上記をやっていくうちに距離感や釣り合いというものが分かってくる
あなたの内面に興味があります、という態度で他人に接していくうちに、どこまで踏み込んでいいかやどこまで踏み込まれてもいいかが分かってくる。それが距離感というもの
興味を持つことは別に恋愛関係を目指さなくても、あらゆる人付き合いに必要なエッセンスだ
で、恋愛成就と長続きに重要なのは相手と自分の釣り合いが取れているかどうかということ。釣り合いとは所属するコミュニティでの立場だったり、接している時の我慢の量だったりする。派手なタイプと地味なタイプはよほどの繋がりがない限り辛くなるし、どちらか片方が我慢して片方が好き放題やる関係も長続きしない。お互いに程よく相手を気遣えて、しかも気遣うことが苦にならない関係性が理想である。相性がいいとはこのこと
上記のように、恋愛的な距離の詰め方にはかなりプライベートな話が必要になる。不慣れな人間が職場で知り合った人とそういう話をするのはハードルが高いと思うので、恋愛相手探しはやめよう。相手に興味を持つということの練習くらいなら職場の人相手でもOK
恋愛経験があって役に立った事があるか、というとそんな事あんまりないと思う。人間十人十色だし。割と応用が効かない気がする。
自分の周りの恋愛の達人みたいな人は、不倫とか浮気とか離婚までも恋愛経験の一つみたいな勢いなので、あんまり共感できない。
自分の場合、何か共通の話題があれば老若男女問わず誰とでも仲良くなれると思ってるし、仲良くなった相手が自分のことを好きになってくれたらそれでいいと思うし。自分が先に好きになったら相手に近づいて好きだと気づいてもらうようにすればいいし。
恋愛に発展するのは案外簡単だったりするんだけど、結局うまくいかない事もあるわけで、それはそういう時に反省すれば良いわけで(そりゃ悲しいけども)、良好な関係の維持っていうのは恋愛経験とかそういうのとはまた毛色が違う気がする。
何が言いたいかというと、選ぶとか選ばれるとか、条件とかスペックとか価値観とか結婚とか恋愛経験とかそういうのじゃなくて、もっといろんな人といろんな話題で楽しくお喋りしたら好きになったりなられたりするんじゃないの?という感想でした。
今日も私は終わっている
終わっている
学生時代の嫌な思い出が、本当に孤独だった期間があったことが私の性格を悲惨なものにしている
薄ら一生人間不信のまま生きていくことがわかる
頑張っても全然自信が持てない
喋り方とか体型とか肌とか仕事頑張るとか人に愛想よく接するとか頑張って、そしたら最近やっと普通の人っぽくなってきた気がしたけど根本が全然変わらない
根っこが全然治らないびっくりするほど自信がつかない
仕事で褒められたりしても周りの人に優しくして優しさを返してもらっても無理
昔の自分がそれ全部嘘だよって耳元で叫んでくる感じ
だからはじめてできた好きな人にも好きって言えない自分なんかに好かれても迷惑だと思うから
死にたいと思うことがある人間が人に好きなんて言っちゃだめだと思うから
あの人は綺麗で優しい人だし
人に好きって言えないから人に好きっていわれないことはわかってる
クソすぎる
誰が見ても素敵で綺麗な他人に好かれる人間になって、それでもずっと1人でいることを選んだらそれがきっと復讐になる、と思ってる
はてなでモテ・恋愛・婚活の話題がループしているのはいつものことだけれど、自分はなぜ今の状態なのか?この先どうするつもりなのか?不意に整理したくなったのでもっとこういう原因あるだろとか言い訳だろとか意見くれると助かる。
(表題詐欺でアドバイスを求める投稿ではない。ごめん。思考のブラッシュアップはしたかった。)
と一言で言えてしまうが、如何せん解像度が低すぎる。思いつく限り、かつ、自分の驕り昂ぶりへの気恥ずかしさを無視して挙げていくとこうなった。
というとカッコつけてるように見えるが
のが一番でかいと思う。二次元も三次元もいけるのでおかずには困らない。1,2回抜いたらどうでもよくなる。ありがとうブルーアーカイブ。
「風俗行く直前にシコると風俗行きたくなくなるので実質数万円儲かる」とかいう言説は割と好き。
露出度高い女の人とか居るとめっちゃエロいなぁとは全然思うのでおそらく性的指向はバリバリのストレートと思われる。
完全童貞はまだネタとして笑えるけど素人童貞は微妙に笑えなさそうという超偏見も足を引っ張っているかも。
上にも書いたように
『適当に生活してて、たまたま好きな人ができて相手も自分のこと受け入れてくれれば付き合えばいいし、できなければできないで別にそれでいい』
と思っているので、基本的なスタンスはずっとこのままなんだろうなと思っている。
ただ、最近は若干心境に追加された項目があり、
『気の合う人間を探して見つけてパートナーになれればそれは結構喜ばしいこと』と多少思うようになったので、そういうノリでほんの少しの積極性を得て日々を楽しく過ごしている。
そういうノリで過ごしていると周りも変化に気づくらしく、彼女欲しいなら知り合い紹介するで!みたいな話もちらほら貰えててムホホwという感じでありがたく思っている。
(とはいえ経歴的に世間の標準から見たら不慣れの極みなのでトントン拍子でうまくいくはずもなく。まあしゃーない)
人生観ピュアピュアのところで書いていなかったがそもそも「恋愛も結婚も普通の趣味と同等でしょ」と思っているので、はてブを見ているとこの手の男女論の流れが、たとえば一部の自称ゴルフ上級者がアドバイスを求めるゴルフ入門者に『パター未経験はきついなぁ』『友達居ないのになんでコース回れると思ったの』『なんか気持ち悪い』『ゴルフの実績解除したいだけの人だ。』『こんなところでアドバイス求めてる時点で頭悪いんだろうな』『ゴルフしなくてもよくない』『ゴルフすれば楽しくなれると思い込んでる。要はガキ』『勇気がないんでしょ』『ソープに行け』みたいな詰め方をしているように見えて、なぜそんな上から殴ってるんだとイラつく。ジンオウガになってしまう。
ひとにやさしくしませんか?