はてなキーワード: プレゼントとは
家を持って、子供二人育てられる家庭って富裕層じゃなかったらどんな家庭なんだろう
子供の学費の他に食費やおもちゃ代やオムツ代や誕生日、クリスマス等のプレゼント代やレジャー費や何かとかかるじゃん
夫婦正社員共働きとか、富裕層とかじゃないと親も子供も楽しく過ごしてかつ、親の老後資金確保するの無理じゃん。
世の中お金持ちじゃない人が当たり前のように子供二人育ててるけど
子供にお金がかかる高校生のときくらいに節約生活とか、したりして何とかしてるのかな???
今、赤ちゃん一人育ててるんだけど光熱費、水道代、ミルク代、オムツ代とかでお金がパタパタ飛んでいくよ
みんな当たり前のように子供二人育ててるけど
マーガレットおばさんが母親代わりとして育てている。母の日にマーガレットおばさんにプレゼントを買う、という発言があった。両親がいない理由は不明。
先日ビルの母親が結婚式(多分再婚)を挙げるエピソードが放送されていたが、最後まで母親の顔は映らず、後ろ姿のみ。
レンキンス夫妻の孫だが両親は全く出てこない。いるのかいないのか不明。
逆にメインキャラではないマイノリティ属性の子供キャラは両親が出てくる。(スティーブ、ベッツィーは白人系、ビルは黒人系、アリーは赤毛にそばかす)
チャイナタウンに住んでいて両親も登場。
徹底している。
「ひとまず見守ればよろしいのでは」
「自分の身内が良く分からないものに入れ込んでいて、何も言わないってわけにもいかないだろ」
「信仰心がなくとも、相容れずとも、敬虔であることは矛盾しません」
「弟はそういうレベルで放っておけないんだよ」
別に“ああいう”のが悪いとまでは言わないが、それの良い面だけ無闇に信じているのがマズいんだ。
サンタは良い子と悪い子を区別してプレゼントを配ったりはしないし、俺たちはプレゼントの中身を選択できない。
ああいう自己啓発に容易く食いついてしまっている弟が、そのギャップに耐えられるとは思えなかった。
あそこで語られたハウツーの効果が、実際どれほど効いているかなんて分からない。
多少は関係あるかもしれないが、他の様々な要因が絡み合って、たまたま運が良かっただけってこともあるだろう。
大した根拠もなく「こうすればいい」だとか「これのおかげだ」と吹聴し、他の人にも伝染させるのは危険だ。
「まともな六面サイコロは、三面を見ただけで全ての数字が分かる。だが、それが本当にちゃんとしたサイコロかを確認するには、結局は転がして見なきゃあ分からないんだ」
「えっと、ごめんなさい。その例えはよく分かりません」
「……つまり弟には、もう少し冷静になってほしいってことだよ」
弟は、あの自己啓発をどんどん吸収していっている。
「仮に弟くんがそれを信仰しているとして、直ちに問題というわけでもないでしょう」
絶対的な根拠があるわけじゃないが、あいつはどこかで躓くという予感があった。
今のままじゃあ、いずれ盛大な転び方をするだろう。
まだまだガキの弟が、周りをちゃんと見ないで走れば大抵そうなる。
弟にその危機感と、転んだときに耐えられるだけの柔軟さがあるかというと疑問だった。
「そうですねえ……対策をしたいとお考えなら、やれることはあるでしょうね」
「何か方法があるのか?」
俺の意志が伝わったのか、ここに来て教祖は“とある案”を匂わせた。
しかし匂わせておきながら、随分と歯切れが悪い。
「いや、そこまでではないんですが……私の立場で、こういうことを口添えしていいものか。明日は我が身かもしれませんし……」
強制的ではないが、あまり“良いやり方でもない”ってことなんだろう。
「とりあえず言えよ。それを実行するかは別の話なんだし」
「うーん、では言いますが、やるというのなら私の顔は思い出さないでくださいね」
そう断りを入れてきたが、教祖は語りだす。
「新興宗教の多くは最初の数年で躓きます。自己啓発が信仰体系の一種だとするならば、それらの過去を顧みて応用が可能でしょう」
だが、そのままズバリ答えを言ったりはせず、迂遠な言い回しでヒントを出した。
「つまり、どうすればいいんだ」
「『生活教』をやっている身として、これ以上は踏み込んで言えません」
あくまで俺自身が考えて、行動するかどうかを決めろってことらしい。
責任がとれないし、とりたくもないので、そういう体裁が欲しいのだろう。
更に、その中から俺が出来ることで限定するならば、必然的に答えも導き出される。
そして、それは予想外に単純なものであり、予想通り良いやり方でもなかった。
およそ3年前、現場は地下。
推しから認知をもらったことをきっかけに、TOになりたいと思う一心で一気に上り詰めた。
推しはワイの顔が好きだったそうで、すぐに覚えてくれたし、オシャレには気合が入って、デート感覚で現場に通った。
しかし、ある日推しに干されたことで、現場に行く勇気を失った。考えれば考えるほど悪い方向に考えが進んで、毎晩毎晩干からびるほど涙を流した。
公演日を把握するのが怖くなった。
手元にはたくさんの円盤と紙が残された。
結局、好かれたくて好きでいただけの、自分が嫌いなオタクと同じだったことがなにより堪えた。
干されてから1年後、久々に現場に入ると、推しがワイを見つけてくれた。指差してくれたし驚いてたから、ちゃんと分かってくれてたはずだ。
なんで来てくれなかったのと言われてる気がして、とにかく申し訳なかった。それから、前みたいなトキメキは感じなかった。
でも、3年前の恋とか愛とかの火傷しそうな感覚はなかったけれど、久々に会う友達に感じるような親しさがこみ上げて来て「また来るよー!」って声を出して手を振った。
その時、やっと、ワイが推しのために頑張って来たことは無駄じゃなかったんだと思うことができた。
円盤を積むこと、公演のたびに手紙を書くこと、ツイッターで感想を書くこと、喜んでもらえたらいいなと思いながらプレゼントを選ぶこと。
TOだった頃、ワイが好きでいなきゃ推しは死んでしまうんじゃないかと(今では何言ってるんだと思うけどその時は本気で)思っていた。
でもそうじゃなかった。だって推しはたくさんの人に愛されてる。ワイはその中の一人でしかないけど、たしかにその中の一人ではあった。
重荷がようやく肩から降りた気がした。
やっと、ただのオタクになれた。
推しが幸せならそれでいいと思っていたはずだったのに、TOになるという目標が自分を苦しめ、そしてもしかしたら推しに余計な心配をかけてしまっていたのかもしれない。
TO特典なんて、推しにもワイにも、ほんとうはどちらにとっても重荷でしかなかったのかもしれない。
いつか推しが辞めてしまうとき、そういえばあんなオタクがいたなと思い出してもらえるような、そんなささやかな存在になりたい。
俺は交通機関の中で赤ん坊や幼児にちょっかい出すのが好きだ。言わば手を触れずに乳幼児を変顔だけであやすプロフェッショナルと言っていい。大抵のグズってる乳幼児は俺の厳しい視線や殺気に満ちた顔でぐずりを止める。あるいは極限の恐怖で命乞いのバイバイさえしてくる。
この業界横のつながりはないが同業者を見かけることがたまにあり、あるときに泣きじゃくる赤ん坊にまぶたのピアスをびよーんびよーんとやって見せてる男子高生くらいの同業者もいた。色々と攻撃の手段はあるものだと感心するばかりである。
さてここは終電まで一時間くらいの下りの電車。帰宅ラッシュが多少ひと段落した車内で一歳に満たないくらいの赤ん坊が泣いており、母親が周りを気にしながら一生懸命あやしている。プロの出番だな。
いいかガキよ。ここは電車の中で乗っているのは会社帰りの俺を含めたくたびれたリーマンやOLが家路を急いでるんだ。眠くて機嫌が悪いからってぐずるんじゃねえよ。ほらお前のママがうろたえながら一生懸命お前の背中をぽんぽんやってるじゃねえか。お前ママを温泉に連れてったりプレゼントしたりの親孝行したことあるか?俺たちはある。大人だからな。くやしいだろ。だがそんなお前にも今できるたった一つの親孝行、それがおとなしく眠ることだ。それができないと言うのなら俺が強制的に黙らせてやる。
そんな気合を込めた一瞥を俺は軽いジャブでガキに突き刺す。ママの肩越しに一瞬表情が凍り付くガキだが俺は容赦しない。すかさずこの世のものとも思えない殺意に満ちた表情を作りガキを威嚇する。酒が入ってるからほっぺたと唇の筋肉がピクピク言ってるが我慢だ。俺は大人だからな。
俺に視線をホールドされたガキが小賢しくもママの胸に顔を埋め、俺の威嚇を回避しようとする。バカめ!隠れたつもりか。ほら早くも肩越しに顔を出して俺のプレッシャーに晒されている。恐怖に満ちた黒豆のようなお目目が俺を見ている。ざまあみろ。
しばらくするとこのガキはまたしてもママの胸に退避しやがった。卑怯者め。だがそれは俺の思うつぼである。俺は表情を変えずにショルダーバッグに手を突っ込むと人差し指と中指に特別な攻撃モジュールを装備した。ゲーセンのクレーンゲームでついムキになって1000円くらい突っ込んで入手したアイテムだ。男は30過ぎると酒飲んだらクレーンゲームがやりたくてしょうがなくなるのだ。大人だからな。
5センチくらいのカンガルーとパンダの指人形を装備してピースの状態にすると、俺はこのガキが三たびママの肩越しから顔を出すのを狙った。もちろん殺意に満ちた表情の準備も万全だ。完璧な段取り。まさに大人。
だが次の瞬間ドアが開き、何と母親が笑顔で振り返り俺に軽く会釈して降りて行った。くっ!何だと?
確かに俺の攻撃が母親に悟られ「すみません」とにっこりガードされてしまうことはある。俺はこれを親テレパシーと読んでいるが、親テレパシーの感度が高まるのは、敵が隣に立つもしくは隣に座るときであり、今回俺の位置は真後ろである。しかも車内の混雑具合はとりあえず椅子が全部埋まってる程度で、立ってても新聞広げられるくらいだった。敵までの距離も一歩半程度と完璧だった。
次の瞬間ドアが閉まり俺は全てを悟った。
ドアの窓ガラスの中にカンガルーとパンダを指にはめた酔っぱらいのリーマンがいた。
ワイシャツの裾が片っぽ出てた。
四年付き合っていた彼氏と別れた。
話し合ってお互い納得して別れたから、後悔はしてないけど、眠れない夜はいい思い出ばかり思い出してしまう。
プレゼントはいらないから、手紙が欲しいって言い続けたのに誕生日当日、手紙書くの忘れてて私がお風呂はいってる隙に一生懸命急いで描いてたり。(間に合わず私にバレる)
私が一人でスーパーに買い出しに行って、帰ろうとしたら傘持ったあなたがいて、傘絶対忘れてると思ったんよって迎えに来てくれて。明日台風で部活休みになったんだよって。私よっしゃーって大喜びして。傘一つだからお互い半分濡れてて。私はそれさえなんか嬉しくて。(なんだそれって感じだろうけど)
嫌なとこを直して欲しくても治らなくてイライラした事とか、たくさんあるのに私が我慢してればとか変なことを考えたりしてしまう。
でも、そんな気持ちもここに書くことで置いてって、寝て、明日も元気で頑張ろうと思います。私の心にはあなたがまだいて、私はずっと応援してるよ!
あーーー、一緒に頑張りたかったなあ。
本人はファンに少しでも楽しんでもらおうと頑張ってるのが伝わってくるけど、あの事務所の企画の立て方が私は気に食わない
まずFC会員1人1回限定参加イベントなのに、不必要な回変わり要素を毎回入れてくるのを本当に辞めてほしい
1人1回しか参加してはいけないルールなのに、なんで回変わり要素なんて不公平なものをいれるのか
vol.1では先輩若手俳優が回変わりでシークレットゲストとして登場していたけど、コメント映像レベルならまだしもゲストとしてクロストークするなんて見たい人のトークを見れないのは嫌過ぎるし不満
チケット発売前にゲストを発表して、見たいゲストの出演回のチケットを買うのが普通だろ
vol.3であった、客席からの声が大きかった作品をトーク話題に決める流れ、その話題に興味のない客層はつまらないし、自分が参加していない回で興味のある作品が取り上げられていたら悔しくて不満
全作品を話題にできないなら話す作品ごとに最初から部を分けておいてほしい
vol.1とvol.3では回によって衣装が違ったらしいけど、1人1パターンしか見れないのに回によって衣装変えても何も嬉しくない
好き好んで全通しないのではなく、ルール上1人1回限定だから全通できないのに、なぜ全通者向けのような回変わり要素を入れるのか
vol.1と2ではお土産にサイン入りポストカードを配っていたが、これも回変わりでポストカードの写真が違った
そのお土産ポストカードがイベント終了後すぐにメルカリで売られてしまうから、vol.3ではお土産を無くしてハイタッチ会をすることにしたと司会の方が言っていたが、ハイタッチはお土産を配っていたvol.2でもあったし、vol.2と比べて接触時間が延びた訳でもないのにそんなドヤ顔で「お土産の代わりに接触の機会を設けた」といった言い回しをするなと不快
ポストカードの写真を回変わりなんかにするから、コンプリートしたいオタクがメルカリで買うんだろ
全部一緒ならわざわざ同じものの2枚目を買う奴は減るだろ
加えて、「メルカリで売られるから廃止した」とわざわざFCイベ最中にアナウンスするなんて、ファンを信用していないと明言しているということだから不快
確かに実際にFCイベに参加しているFC会員でないと出品不可能な訳だが、FC会員なのになぜ出品したのか…FCイベに参加した結果幻滅して担降りするためにグッズ整理したという可能性もあることに、思い至っていないようで不快
売ったファンを非難するよりも、売って手放してもいいと思わせるサービスしか提供できなかったんだと考えるべきではないのか
プレゼント当選者しか幸せになれない、大多数にとって時間の無駄
後方列の人が当選するように調整しているようだけれど、当たらなければ不要な時間
説明もなく先日まで上演していた作品の歌を歌われても、もうその歌は聞いたことあるから、何故また同じ歌を歌うのか説明するべき
vol.1や2では客席後方まで本人が来てくれて距離が近いイベントだったのに、vol.3では座席が遠いと不満が解消されなかった
リンゴ産地出身の私がぁ、うっかりみかんの産地に嫁いだんやざ。
みかんの無人販売所に興奮してあっちゃこっちゃから買ってきたんやけどぉ、みかんの産地出身の夫は見向きもしん。
ある日、誕生日プレゼントにぃ品評会に出た高級みかんを買ってもらったんやざ?
夫がそれを味見して顔が変わってぇ。。もりもり食べるんやぁ。
私の誕生日プレゼントのはずなのにぃ半分食ぺられてん。よっぽど美味かったんやなぁ。
普段私が買ってきたみかん食べたらぁ、チベットスナギツネみたいな顔しとったん。
また買いに行こざ。
福井弁Ver.
リンゴ産地出身の私、うっかりみかんの産地に嫁いだのさ。(北海道)
みかんの無人販売所に興奮してあっちゃこっちゃから買うてきてんけど、みかんの産地出身の夫は見向きもせえへん。(大阪)
ある日、誕生日プレゼントに品評会に出た高級みかんを買ってもらったじゃん?(横浜)
夫がそれを味見して顔が変わってなー。もりもり食べとるんよ。(岡山)
私の誕生日プレゼントのはずなのに半分食われたんじゃけ。よっぽど美味かったんじゃろうなあ。(広島)
普段私が買ってきたみかん食べとっとが、チベットスナギツネみたいな顔しとったい。(福岡)
だもんでまた買いに行こう。(名古屋)
リンゴ産地出身のうち、うっかりみかんの産地に嫁いでしまったんや。
みかんの無人販売所に興奮してあちこちから買うとったんやけど、みかんの産地出身の夫は見向きもせーへん。
ある日、誕生日プレゼントに品評会に出た高級みかんを買うてもろた。
夫がそれを味見して顔が変わうて。もりもり食べ始めとん。
ウチの誕生日プレゼントのはずやのに半分食われてもうた。よっぽど美味かったらしい。
普段ウチが買ってきたみかん食べるときはチベットスナギツネみたいな顔しとるくせに。
また買いに行こう。
みかんの無人販売所に興奮してあちこちから買ってきたけど、みかんの産地出身の夫は見向きもしなかった。
ある日、誕生日プレゼントに品評会に出た高級みかんを買ってもらった。
夫がそれを味見して顔が変わった。もりもり食べ始めた。
私の誕生日プレゼントのはずなのに半分食われた。よっぽど美味かったらしい。
普段私が買ってきたみかん食べるときはチベットスナギツネみたいな顔してるくせに。
また買いに行こう。
少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。
私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。
何時間もやる連中の気が知れない。
映画が好き。
私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。
(いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話)
自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。
ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚人に勝てないし、星のカービィはかわいいキャラクターの動きを見るのは楽しいが見てるとボタンがうまく押せないし、
ファイナルファンタジーはお話があったので兄がプレイしているのを後ろで読むのは好きだったが戦闘やレベル上げが始まるとくそ面白くなくて見なくなり、そうなるといつの間にかシナリオが進んでいて結局話についていけなかった。やるにはやるが面白いと思ったことがなく、ゲームをクリアする達成感なんて得られたことはなかった。
とにかく、ゲームは男の子が好きなもの。女子によさはわからない。そういう割りきりをしていた。
初めて自主的にゲームを買ったのは高校生の頃だった。新聞の一面広告。
クーロンズゲートというゲームだった。主人公らしきサラリーマンの実写の顔部分がライターかなにかであぶってあり、焼けて穴が開いている。
1997年2月27日の新聞。クーロンズゲートが明日発売されるという全面広告がある pic.twitter.com/hDwVHpxADp— ぴざろぼ (@pizarobot) June 2, 2013
写真の背景になっている香港、特に九龍城塞のこともこのとき初めて知った。
それまで自分は新しくてきれいな場所やモノが好きだった。おさがりのカバンや勉強机は嫌いだったし小汚い祖母の家は嫌いだった。
建物も街も新しいほうがいい。
だけどそのゲームのデザインは「臭くて異臭を放つグロテスクで暗く汚い街」を全面に見せていた。いわゆるデカダンスとかそういう美学と初めて会ったのがこのゲームだった。
汚い街でもゲームなら歩ける。
今思えば、サラリーマンの顔が焼け落ちていたのも主人公はあくまでプレイヤーといいたくてそう言ったデザインだったんだろう。実際ゲームは主人公の姿かたちの明言は一切なく、始終一人称視点で進むものだった。
ぞわぞわした気持ちで、気が付いたら予約購入していた。よくわからないものに高校生が一万円弱の出費(初回特装版)。どんな話なんだろう、これはどこだろう、とにかくこれが何なのか知りたかった。
どうやらこのゲームをするのにプレイステーションが必要らしかった。
当時は人気商品でなかなか入荷しなかった。
ゲームソフトはその後たしかすぐ手元に届いた気がするが、プレステ本体を手に入れるのにはそれから半年前後かかった気がする。
この値段ですといわれたものを言い値で買うのは初めての経験だった。
本は中古屋で買っていたし、映画はなるべく安くなる日を選んでいた、バイトもしていない高校生が万単位のものをポンポンと。今思えばケチの私が、異常だった。あれはなんだったんだろう?
今思えば妙な突き動かされ方だった。
実際初めてプレイしたゲームにはいろいろ苦労したが、私はそのゲームを何とか一年半かけてクリアした。
世の中ではこのゲームを香港返還前にプレイし終わるのが目標みたいに騒がれていたが、コントローラーを握るのがほとんど始めてみたいな私には無理な相談だ。とにかく自分のペースでやった。
なぜこんなに時間がかかったのかというと、それは主に敵の出るダンジョンが怖かったからだ。
よくyoutubeにホラーゲーム実況チャンネルが軒を連ねているが、見るのとやるのでは怖さが違う。自分でやりたくない人が実況動画を見るのだなと思った。
ひたすら人気のないダンジョンをたった一人だけで、進む怖さ。
私はその時はゲームをプレイしているわけではなく、そこに、本当に、自分が風水師として香港を歩き回っていたように感じた。
クエストをこなすと人に感謝された。たまには、「余計なことを」と感謝されなかった。
高校生が実感したことのない大義と任務と達成感がそこにあった。中毒になった。
新しい街に踏み込むと、探索にわくわくした。
やり始めて数時間は町並みに圧倒されつづけ、その後数時間は不気味なキャラクターたちのセリフに魅了され、シナリオが半分も進んだころには再びぞわぞわした得体の知れなさに震えた。
これはもしかしてマスターピースともいえるとんでもない名作を手にしたのではないか?という興奮だった。
実際には、世間の評価は厳しく、「一部のマニアックなものが好きな人にカルト的人気を誇った」作品という扱いだったが。
あとから調べれば調べるほど、台詞や要素がすべてオカルト的、文学的、歴史的な裏打ちがあり、ゲームの攻略本には荒俣宏が何ページもコメンタリーを載せていた。
今のゲーム業界で当たり前になっているオープンワールド(自分で自由に散策できる世界)がはやるのはこういうことなんだろうと思う。
画面の向こうの世界へは肉体の隔たりがあるはずなのだが、脳は単純で勘違いをする、ここにいると。
ゲームをクリアした後も、あの世界、あの自分の立場や仲間たちが恋しくて「香港に帰りたい」と何度か思った。
実際、啓徳空港が閉鎖するとニュースで聞いて、いてもたってもいられなくなり、初めてバイトをして、一人で旅行会社を見つけて香港へ行った。
写真を、フィルムで15本とって帰った。現像に出すと全部で三万はした。
これでしばらくはホームシックにならずに済むかも、とすら思った。
高校生活は退屈で何にも覚えていないが、香港で孤独に活躍し世界を守ったことは覚えている。
少なくとも、私は、ゲームは疑似体験そのものの楽しさだと思っている。
ゲームメイカーが作った世界でもう一つの自分の可能性を体験する。
風水師の自分、どこかの国の王族である自分、アンドロイドの自分、人間以外の何かである自分……。
PS4のCMのコピーが「できないことができるって最高だ」だったんだけど、これを見たときニヤリとしてしまった。
わかるわかる。そういうゲームをやった後って、夢の中でも飛び始めるんだよね。自分がね。
「デトロイト」をすると、何度も人の命を自分が預かるシチュエーションに陥る。
選択肢を求められると、自分がどんな人間なのかを考えさせられる。そしてその結果を見ることができる……。
不思議なのはゲームと分かっていても、人を犠牲にしたり殺す選択肢を選ぶときは心が痛むことだ。
「ファイナルファンタジー15」をしたときは突然できた「昔からの友達」と、一緒にキャンプして初めて訪れる街を散策して、楽しかった。
「CALL of DUTY4:MODERN WARFARE」でうまく敵を倒したとき上官から「beautiful!」と褒められて本気で照れてしまった。
誰かの選択を客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。
ゲームが映画と違うとすれば、映画は途中で寝落ちしたとき、しょせん他人の人生だから目が覚めた時にすでに登場人物は決断し、エンドロールが流れているが
ゲームは起きたときまだ問題は目の前にあり、「さあどうする」と選択を迫ってくることだ。
自分が一体どんな決断をしてどんな装備を選んで進んだかを、ほかの人と話したり、ほかの人のプレイ実況動画を見ることで比較して楽しむ遊びも残されている。
「デトロイト」や今度発売される「デス・ストランディング」はCG技術の向上でほとんど実写と見まがうばかりだ。
一本の映画を見ている気分になるし、プレイするとうっかり自己体験と混同しかけるほどだ。
デトロイトをプレイしたときは私はしばらく現実に戻ってくるのに苦労した。
登場人物に実際の俳優がモデルにされることもあるし、シナリオを映画の脚本家が手掛けることも今では珍しくもない。
俳優にとっても映画とゲームの内容は変わらなくなってきているのかもしれない。
『DEATH STRANDING』TGS2019 ノーカット プレイ映像 (9月14日のステージイベントより) https://youtu.be/D10J89jgZHc
シューティングやRPG、アクションその他のジャンルに関しては省かせてもらったが、
そちらが好きな方の意見も読みたいのでぜひ誰か書いてほしい。
モンスターハンターなどヒット作だと、会社で別部署の初対面の人と突然ゲーム仲間になれたこともある。
就業終わり応接室や居酒屋で同じゲームをプレイする共有体験は本や映画以外ではスポーツ位しか思い浮かばない。
eスポーツというくらいだから、スポーツに近いのかもしれない。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0187779
70歳を超えた父が最近どうも物忘れが激しいのでマインクラフトをプレゼントした。
モノ作りが好きな父には、モンハン(狩り)より、木を切って家を作るようなゲームが好きだろうと踏んだからだ。
予測は大当たりで、父は寝食を忘れてはまってしまい、母が食事で読んでもなかなか来ないといって、ゲームを与えた私が変わりに怒られてしまった。
半年後に実家に戻ったら、父はゲームの中でそれはそれはでかい光輝くピラミッドを作っていて肝が冷えた。
自分の墓かよ。