「認知科学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 認知科学とは

2018-09-09

女性の傷ついた言葉の線引きが相変わらず個人単位なの何とかならないの?

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33823218

と、このギャグ動画を見て、コメントで「面白くない」と言い切ってしまう女(だと思う、それ系のいじりネタ)ってほんっとどうすればいいの?って悩む。

いや、女性が主張できるような社会になる。いやなったのはいいと思うよ。

だけど、主張が出来るようになったのと、主張していいのとはまた違う、それこそ言っちゃっていい事は相手も考えてほしい。

自分ADHD持ちなので、相手の事を考えながら言葉を選びながら話をする。なんてことは出来ない。

そもそも出来ること自体認知科学としても離れ業なので、出来る人間が限られるのだが…10代ほどそんな人間を求める)

から、話す言葉をまず限定してしまうのだけど、それをすると大体の人と話が出来ないぐらい単語限定されてしまう。

つい、とかうっかり、とかも近代許されなくなってきてるんだなあ。とこの動画見て感じるようにもなってる。

で、ここから本題。だので、個人単位で言っていい事悪い事を聞くのだが、だいたい

「聞かなくても解るでしょ一般常識無さすぎ」

と返される(いや解んないから聞いたんだけど!?

かっこの中を言いたいがグッと堪えて、それじゃこれとこれとこれだからこう。と極力単語のみで感情を交えないようにすると

「喋ってて楽しくない。話ししたくない」

逆切れされ(いやお前が言わないから極力揉めない様に抑えてるんだからねってか上から目線になってませんか!?!?

と切れそうになるのを何とか抑えて調節出来ないけど何とか頑張って感情を入れ始めると、いきなり

「なんで私を傷つけるの!?もう話しかけないで!!」

対話終了。(実話)

(お前もうくらあああああああああああああああああああああ)

という事が何回かあって(毎回全敗)それから女性とは話をしたく無くなったんだが。

ホント、これ、何とかならないの?そして、傷つけないような言葉ライン表とかどこかに無いの?

TV局とかに話しちゃいけない禁止単語表とか無いのかなホント

2018-08-15

anond:20180815071518

ドメインから入るなら教育だけど、認知科学系でしっかり基礎を積んでからの方が良さそう。理系なら医学系だし、文系なら心理学かな。

2018-02-16

anond:20180215230733

認知科学を少しかじっただけの知識で書くので間違っていたら許してほしいんだけど、旦那さんはイメージによる認知機能が平均的な人よりも発達しているのではないかと思う。

人間には言語による分析的な認知機能イメージによる比較原始的認知機能があるらしい。そしてこれらは片方が強まれば片方が弱まる(両立が難しい)関係にあるらしい。これは増田が、旦那の頭はあまり良くないと言っているところとも矛盾しない。

いわゆるサヴァン症候群もこの認知機能トレードオフ関係しているといわれている。チンパンジー動画を例として張るのは悪いとは思いつつも、京都大学霊長類研究所動画が参考になると思うので置いときます

http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/gallery/video-chimp-Ayumu-memory-task.html

2016-05-21

パナマ文書 MXテレビが詳細実名報道

ドクター苫米地によるパナマ文書解説

2016年5月12日にMXテレビ番組「今夜は寝れ9!!ナイン」で放送された

ドクター苫米地パナマ文書解説話題になっている。

  

動画パナマ文書租税回避日本企業名の本当のリスト公開

企業言い訳:ぶった斬る|ひめとあとむのブログ(旧サファイアブログ

http://ameblo.jp/himetoatomu/entry-12162514563.html

5/12 パナマ文書 Dr.苫米地 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=Dwu0KrUrHh0

ICSJ記載租税回避日本企業名の
ほんとうのリスト(一部)
電通 バージン諸島経由(スイス銀行口座経由)
東京電力 バージン諸島経由(スイス銀行口座経由)
JAL バージン諸島
住友金属工業 バージン諸島
住友林業 バージン諸島 *
ドワンゴ バージン諸島
NTTドコモ バージン諸島
楽天ストラテジックパートナーズ ケイマン諸島
ライブドア バージン諸島
ソフトバンク バージン諸島
オリックス(ファンド) バージン諸島 モナコ
野村證券 ニウエ(2015年まで国交なしの新興租税回避地)大和証券 バージン諸島
日興証券 バージン諸島
東京海上 ケイマン諸島
日商岩井 バージン諸島
三菱商事 バージン諸島
伊藤忠商事 バージン諸島
丸紅 ラブアン(マレーシア租税回避地)
豊田通商 バージン諸島
大日本印刷 ケイマン諸島
日本製紙 ケイマン諸島
商船三井 バージン諸島
バンダイ バージン諸島 ケイマン諸島
ドリームインキュベータ ケイマン諸島
セコム バージン諸島
東洋エンジニアリング バージン諸島
JAFCO(野村證券ベンチャーキャプタル) バージン諸島 ケイマン諸島
ファストリテイリング シンガポール
JX バージン諸島 

 

今後出て来そうな記載者の言い訳
  
1「ビジネスのためで租税回避目的ではない」
租税回避目的以外で租税回避地は使われない
2 「投資先の依頼で」
投資先の租税回避に協力、
更に自身租税回避言い訳にならない。
3「損したか租税回避ではない」
国内課税対象の元本の租税回避であり、
投資後のゲインの話ではない。
租税回避への投資のものが税逃れ行為
4「租税回避地として認識していなかった」
契約書に登記地明記。プロとしてありえない。
5「金額が小さい」
→大小の話ではなく
国民の当り前の義務回避したということ。
6「政治家ではないか節税問題ではない」
節税ではなく脱税政治家でなくても犯罪
7「みんなでやっている」
子供論理

  *5/19 放送で 野村証券住友林業文書記載されてる企業とは関係ない、との訂正放送あり

 

認知科学ドクター苫米地

 

彼の発言について言うべきことはない。

彼が番組で言っていた事実は、本来

放送局報道部門やジャーナリストが、

ストレートニュースとして報道すべきことであり、

それ以上でも以下でもない。

「今後出て来そうな記載者の言い訳」も

別に彼ではなく、別な誰かが言ってもよい

ごくあたりまえの常識にすぎない。

 

放送局にはドクター苫米地のような

エキセントリック人材を使う必要性があったのだろうが

誰が語ろうとも、事実事実だ。

ちなみに、MXテレビは、ドクター苫米地

番組でトークを始めたとき

独自ルートから他局では話せない様々なスクープ解説する天才

というテロップを出していた。

番組への抗議をあらかじめ抑止するための予防線であり、

苫米地が語ったことを苫米地個人の責任とするための「配慮」だろう。

小賢しい責任逃れとテレビ局批判することもできようが、

巨悪と戦うためには知恵も必要だ。

 

MXテレビの訂正放送について

訂正されていない企業の住所は、

パナマ文書所在地完全に一致していて、かつ、

他の同所在地企業存在確認できない。

から完全にクロ。

指摘された企業言い逃れができない状態だった。

だが訂正二社は、パナマ文書所在地複数登記法人があり

訂正二社だけがクロ判定できない、グレーゾーン状態だった。

それをMXテレビは、誰かからの抗議を受けて

関係ない」と訂正してしてしまった、という経緯のようだが

実際のところはよくわからない。

 

グレーゾーンなら、訂正するとき

野村証券住友林業の二社以外にも、

同地には○○会社と▽▽会社存在しております

以上が事実であり、訂正させていただきます

と、MXテレビ報道すれば良かったし、

裁判で訴えられても受けて立てばよかった。

関係ない」と言ってしまったのはテレビ局として譲歩しすぎだが

「訂正放送」は放送局に課された法律上義務で、

安倍内閣キツネ目の総務大臣は「局の認可取り消しもあり得る」などと

比例原則無視した発言をしているので

今後の報道を考えて安全策をとったのかもしれない。

MXテレビとそれ以外の局を区別することの重要

竹下雅敏は苫米地のトークに感化されてか

日本マスメディアいかコントロールされているかがよくわかります」と、

したり顏で書いている。たしかにそういう側面はある。だが、

番組苫米地を出演させパナマ文書の詳細を語らせたのは

東京メトロポリタンテレビジョンだという事実事実として

そこはしっかりと冷静に見ておく必要がある。

マスコミの中にも温度差はあり、今も昔も一枚岩ではない。

 

ちなみにMXテレビについていえば、

取引先には電通が含まれる他、

MXテレビ主要株主には三菱商事がいて、

MXテレビ大株主エフエム東京大株主には

大日本印刷が含まれている。

いずれもパナマ文書でクロ判定が下っている日本企業だ。

そういう意味でMXテレビは、

身内の疑惑を堂々と暴露したわけだ。

 

別にMXテレビは偉いわけではない

だが報道とは本来そういうもので、なにか抗議があれば

報道の個々の内容に経営が口をさしはさむべきではないと考えております

それが放送局として守るべき中立であると考えております」と

局の責任者がきっぱり言えばよいだけのこと。

 

そういう意味で、MXテレビ

ほめられるような偉いことをしたのではなく

あたりまえのことをしただけとも言える。

ジャーナリストとして普通のことだ。

普通のことを普通に伝えた。ただそれだけだ。

オマケ

苫米地英人日本富豪400人の名前が明かされたパナマ文書

https://www.youtube.com/watch?v=1Hd8w7RcnNo

 

彼は日本人というより「地球人」と呼ぶべきかもしれないなあ。

 

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824201755

行動主義とか認知科学とかの実験系の教員には、

精神分析科学としての心理学ではなくて、思想だと言っている人がいた。

それに基づくならば、精神分析研究する人は、

(これからは)心理学ではなくて思想史に行ったほうがいいことになるだろう。

実際ソシュールとかで和辻文化賞とった人とか精神分析関係の本を書いてた気がするし、

最近フロイトの新訳とか哲学(史)の人が多いしな。

(追記)

いやそもそも臨床心理ってのは技術かもしれないな。

技術科学に基づく場合もあるが、基づかない場合もあるかもしれない。

そうだとしたら、臨床心理には精神分析の人がいてもおかしくはないな。

2015-06-09

佐野  千遥 さの ちはる

セント・クレメンツ大学教授

ロシア科学アカデミースミルノフ物理学派論文審査員

東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロ通訳翻訳家矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学自然社会人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部難関大学入試数学オリンピック社会人大学院入試、IT関連資格)支援

■経 歴

2002年 (至現在セント・クレメンツ国際大学 物理学教授

2001年 英国セント・クレメンツ大学で数理物理学博士号取得

2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる

1999年 英国ウィットフィールド大学コンピュータ科学人工知能博士号取得

1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所確率論批判・学習システムの研究

1988年 (~1991年世界認知科学権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究

1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)

1985年 西独ジーメンスミュンヘン研究所生産ラインへの人工知能導入の研究

1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所

1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院通訳国家免状取得

1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院言語学履修 西国政府給費留学生

1971年 東京大学基礎科学卒業数学物理学専攻)

■専門分野

数理物理学Ph.D.コンピュータ科学人工知能Ph.D.マスターした11カ国語を駆使したプロ通訳翻訳家

■講演テーマ

ビジネスマン文系社員理工系技術技術発明評価できる眼を」

近年世界大学ビジネス志向学生向けに、理系技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。

英語完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から国語通訳ネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援

海外プロジェクト企業と折衝するとき英語ネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。

発見された言語学理論外国語訓練方法論を基に、文科省英会話学校英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」

統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブ母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。

「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス金融工学保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」

我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学ビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。

「新エネルギーエコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」

20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用法則である圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石エネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。

世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学

現代物理学の二本柱、量子力学相対論の中、量子力学水素原子原子核と軌道電子関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガー波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギーレベル一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギーレベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。

現代フォン・ノイマンコンピュータアーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータアーキテクチャー」

現代フォン・ノイマンコンピュータ計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンのものであるチューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソチャーチ計算モデルラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISP言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップ計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間学習進化時系列順に模写するのに持って来いの仕組である関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界先進諸国コンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。

■実 績

【講演実績】

大学大学院2002年以来常時講義

Trinity International University

コンピュータ科学」 学士号コースの学生卒業まで全コースを講義

St.-Clements University

金融工学必要数学物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文アドバイス

St.-Clements University

研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビットストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語アドバイス

St.-Clements University

外国語学部ポルトガル語伊語通訳翻訳学士号コースの学生教養学部レベルから社会科学経済学法律学社会学経営学)、人文科学哲学言語学心理学歴史学)、自然科学数学物理学化学生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリングInformation Technologyソフトウエア工学電気工学電子工学)の各々の学科の全講義を行う。

Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)

物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。

メディア出演】

ロシアで3度物理学権威スミルノフ氏とTV出演、ロシア

【執筆】

学会物理学論文多数発表

ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文

日本国内では著書「人工生命人工知能」「超勉強法超批判」

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829112819

横だが、宗教は「科学」の外にあるようなものから、あまり定義」を持ち出して何か共通認識を求める自体が相応しくないのかな。ゆえに宗教がらみって議論がなかなかかみ合わないんだろう。もしくは認知科学領域まで踏み込みかどうか。

まあ、人それぞれ信号機の色が同じに見えているかどうかも怪しいことだしな。

2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2013-11-28

本能

専門分野では通常は本能という語の使用は避けられる。動物行動学の他、心理学、神経行動学、神経生理学などの分野では特定の行動に対して本能行動という表現を用いるが、本能概念とは異なる物である

行動を学習本能という二つに分ける事は行動の理解の役に立たない。行動を学習か生まれつきかで二分しない立場は行動生態学などでは標準的である

一般的人間本能行動はほとんど無いかわずであると見なされている。

認知科学人間生物学特に社会生物学人間行動生態学、行動遺伝学)などの分野では人間本能を認める。ただし本能という語ではなく、生得的、遺伝的基盤がある、生物学的基盤がある、モジュールを持つ、と言うような表現を用いるのが通例である

http://anond.hatelabo.jp/20131128133538

確かに100ドル札使うと偽造通過じゃないか透かしを確認するぐらい使われないけど。

50ドル札ぐらいなら普通に使うしその時にお釣りが10ドル札4枚になるか20ドル札2枚になるかの違いは大きい。

人間が一度に認識できる物の数は7から8と言うからキャパシティを半分も費やすのは認知科学的にも不合理だ。

2012-09-11

みんな幽霊についてどう考えてる?

自分は、んなもんいてたまるか!って感じだ。

認知心理学やってたことが大きいんだと思うけど、霊的体験とやらはきっと、恐怖が認知ミス引き起こしたとか

何でもないもの幽霊だと認知したとか、そういうのだろうと考えてる。だいたい目が見えるとはどういうことかというと(ry

とことん冷静でも認知ミスは起こるものだし、正確に把握できるとも限らないのが人間から。だから信じる気になれない。

なんだけど、たとえばここ5年だけでも、身の回りのちゃんとした人たちが「そういう経験がある」ってぼそっと言ってて、真面目に考えてみたくなった。

普段からスピリチュアルな発言の多いやつは除いても、冗談では絶対にスピリチュアルトークなんかしない人たちがぼそっと、そういう話を告白する。

院で理系研究者やってるとか、認知科学やってる奴とか、そういう、人の認知システム分かってそうな奴までも、そういう経験があるとか言うんだ。

無論懐疑的に。たぶん疲れてたか、恐怖に支配されてたかと思うんだけど……でも研究室の先輩も同じこと言ってんだよ……こええよ。とか。

大抵の場合、「あそこにいる/いた」ってのが一致してるのがひっかかる。「いた」という幽霊の特徴も。

あと、そういう奴らが酔っ払って、守護霊とやらの話をし始めたことがあって、人の斜め後ろ上をちょっと見て、コメントするんだけど

そのコメント内容が、一致してる。全く交友関係のないグループから自分守護霊とやらについて同じようなことを言われて、どうもひっかかってる。


もちろん、そういう存在を信じるかっていうと、やっぱりできない。

でも、何か自分は壮大なドッキリに巻き込まれてるんじゃね?って気持ち悪い感覚がある。

考えるのも無駄かなーって気もしてきたんだけど、なにせスピリチュアルトークなんかできるキャラじゃないので、リアルでは相談もできない。

それになんとなく、そういう話は避けたいって空気もある。誰だって怖い話は嫌だしな。

なので、ネットでみんなの意見を聞きたい。もしよければ、だけど。

みんな、幽霊についてどう考えてるんだろうか?

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。

第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである

第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること

↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる

第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない

 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)

 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。

(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)

・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている

科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。

構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

Permalink | 記事への反応(0) | 15:30

2009-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20090202115356

元増田。まぁ、確かにそうなんだけど、それは、否定の証明というのでは・・・否定の証明を試さないと「非科学的な態度」になるのであれば、ほとんどの疑似科学は否定できなくなってしまうよ。以下で、「神様がいないこと」を、「霊がいないこと」とか「水は言葉を理解すること」とかに置き換えてみれば分かる。

科学神様がいないことを証明し、それを査読し、論文に載り、世界中科学者が追実験し、証明が確認された。

という事実は聞いたことがない。

よって、科学神様存在を、証明も否定もしていない。未だ議論中。

科学があるから、神様はいないと考えるのは 非科学的。

科学的には、データ不十分で、証明も否定もできない。もっとみんなでデータを集めましょう。というステータス

自分の言いたかったことは、次のようなこと。

・「神の存在」はもともと反証不可能な命題で、反証不可能な命題は信じていても科学的な態度(=反証可能な命題は証明か反証をする)とは矛盾しない。

・「神頼み」は、反証可能な命題に対して証明も反証もせず、原因を神に求める態度であるため、科学的な態度とは矛盾する。

よって、非科学的なのは「神頼み」であって、「神の存在」を信じることは科学的な態度に矛盾するものではない、ということ。要するに、反証可能なことだけに注目して、そこは白黒つけましょう、というのが科学だ、と言いたい。

「神の存在」は、神が見つからなかったとしても、「神は全知全能だから人間には分からないように隠れられる」と言い逃れられるので、もともと反証不可能。

「霊の存在」の反証不可能性は微妙。霊の定義に「霊は人間には分からないように隠れられる」という命題が含まれていれば、もともと反証不可能になる。そうでなければ、「既存の光や音に関する科学実験結果は、全て霊の存在関係なく説明可能」ということから、間接的に、物理的な霊の存在を否定できる。これが、「人間は霊を感じる」という認知科学命題であれば、話は全く別で、これは真になると思う。実際に一人「私は霊を感じます」みたいな人を連れてくればいいだけだし、幻覚作用のある物質を投与したときに霊を感じたりする場合の記録などがあるはずなので、正しいはず。

「水は言葉を理解する」という命題は、「過去の水に関する実験結果は、全て水にかけた言葉関係なく説明できる」ことから、間接的ではあるが、否定実験をするまでもなく容易に反証可能。

うーん、自分で書いていて、なんか考えがまとまっていない気がする。科学哲学に詳しい人、よろしくお願いします・・・

2008-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20081206154837

アスペルガーやカナーが記述した症状が自閉症から独立したものといえるかどうか

あるいは自閉症に包摂されるかどうか

自閉症そのものの定義の問題か

自閉症スペクトラムと見るか単一のものと見るかどうか

もともといろいろ揉めてるし、認知科学以降の研究しか信用できないし

コミュニケーション障害でいいとオレは思うよ

というかそう定義されてるはずだし

2007-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20070924204336

まさか本気で「アニメゲーム暴力的表現は子供に何の悪影響も与えない」と考えてる馬鹿じゃあるまいな。

本格的な科学調査が行われた時に困るのは誰か考えろボケ。賢い連中は一連の事件報道を黙殺してんだよ。

申し訳ないのですが僕の頭が良くないので宜しければ代わりに文章を修正して頂けないでしょうか。

本当に「アニメゲーム暴力的表現は子供に何の悪影響も与えない」のでしょうか。

認知科学の応用分野における物語メディア(または視覚メディア)と認識に関する研究では、先行研究の成果によって「影響あり」が前提となっていることくらいは知っておくべきだと思います。

その上で、どのような影響があるか分からない、というネガティヴな感覚は排除すべきでない重要な問題です。

個が全体のために、全体が個のためによりよい文化を選択していくという意識を持ち続けるべきなのではないでしょうか。

2007-05-14

52 :Trackback(774):2007/05/12(土) 21:10:22 ID:burbk2KI

茂木の脳"科学者"としての研究能力は3流以下。

なにしろ自分自身で出している原著的成果が超ショボい。有名な研究をしょぼく変更しただけ。

オリジナル性は皆無の上、発展性もほとんどない。

正直、うちの大学修士課程の院生の方がよっぽどまともな"研究"をする。

でも他者の研究の解釈・論評はなかなか良いものだし、それを物語る筆力は評価に値すると思う。

いわば「脳科学評論家」。そういう立場なら一流といっても差し支えない。

彼がもし純然たる脳科学者、あるいは認知科学者として実験

原著論文執筆に従事しても凡庸以下のものにしかなりえなかった。

彼は、彼の持ち合わせた能力を最も活かせるやり方をこなしているのだと思う。

2007-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20070428010214

オタクは自分の本能に従っている。

博学というのは理性に従っている。

オタク/博学」「本能/理性」の二分法がテキトーすぎる。だから、

社会性というのは他人とのコネクションのことを指すので、

必然的にオタク社会性が無くなっていく。

ただし、オタク社会の中だけで通用する社会性というのもある。

そして、そこには理性的な努力が必要だったりする。

例えば、コミュニティーサイトの運営などは、苦痛がともなうはず。

の部分で論旨が混乱してる。理性的な努力が必要な領域に関わっているオタクがいるのであれば、「理性に従ったオタク」と「博学」の差はどうなるの? 今書かれている文章だけだと、リテラルには破綻しているようにしか読めない。さらにいえば、そもそも「社会性」と「オタク社会の中だけで通用する社会性」を分けるためには、「社会」と「オタク社会」の差を明確に指摘できないとダメなんだけど、そこはどう考えてるの? 分析的な文章が書きたいのであれば、イメージに頼らないようにすべきだと思う。たとえ匿名で緩く書き込める場であっても。

以前「オタクルサンチマンで説明できる」とかなんとか言って、ボコボコにされながら粘着していた天然クンを思わせる……。

ついで。

http://anond.hatelabo.jp/20070428012327

(東浩紀しかそんなこと言っていない)

東浩紀も言ってない(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20070428015502

(このレスをしてるのが元エントリ増田かどうか確証はないが)なんだ、無知かと思って反応してみたらただの馬鹿なのか。がっかり。

世の中、大と小だけじゃないけど、

大と小で表現するわけだ。

なんで? 大と小で表現する必然性ないじゃん。

それどころか、分析対象に中間領域があるってわかっているなら最低でも大・中・小に分けて分析して表現するべきじゃないのかね。

複雑さの度合いが「現実>分析」なんてのは当たり前の話。その中でどこまで分析の精度上げていけるかが大事。その努力を怠る奴が、知った風なことをほざく権利はないね。たとえ増田でも。

しっかし釣りにしてもツマランなぁ。以前の天然クンはなかなかにアジがあったのに。

http://anond.hatelabo.jp/20070428012327 の追記3

理性ってなんなんですかね。人間の本能の一部じゃないのかな。

生物学的な意味での「人間」に、何の教育も与えずに孤独放置しておいても「理性的」な振る舞いができるようになるんだったら「人間の本能の一部」だろね。一時期、認知科学方面でそういう発想に基いた研究流行ったけど、今どうなってんだろうなぁ。まあ、きっちりと証明されていない以上、フツーに「(人間の)理性とは後天的に身につけることができる論理思考能力のことで、対比物は『悟性』」とか考えたら良いんじゃないのかなあ。俺も哲学シロート同然なのでなんともいえんとこだけど。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん