はてなキーワード: 目から鱗とは
不完全であることをよしとすべき理由を話していて、なるほどー、と
附に落ちた。
完璧主義がやめられない私にとって、不完全は恥。
とはいえ、今のファッションは「抜け感」や「外し」があっての完成形。
下手の横好きだけど、完璧主義の私も、ぬけ感や外しは忘れない。
言葉だけは残った。
あと、神崎恵さんの「好かれる女より気になる女」もいい。
「嫌な奴キャラの方が、自分は楽だし、相手からの期待値が低い分
ちょっとでも優しくすると株がぐっと上がってお得」
というようなことを言われてて、そうか!とまた目から鱗。
陰でお局さま扱いされてることを悩んでたけど、それで良いんだ、と気づいた。
いい人キャラだと、足元見られる。
それなら自分が楽に居られる方に持っていくといい。
嫌なキャラでも、使い方なんだなー。
たくさんのバッシングも受けてきたであろうかの方が言われると説得力。
参考にします
まぁ参院比例だし、サポーターになる程ではないが一番支持できるのは立憲だったから、須藤に入れなければ他の立憲候補か政党名を書いただけだが。
当選してからしばらくしてMMTにかぶれているツイートは見ていたんだが、昨年末からこんな調子である。
これから帰りの新幹線で「MMT現代貨幣理論入門/L・ランダル レイ」を読みます。僕はMMTが日本経済を救うものだと感じているのでもっと理解を深めたいと思います。#今日の読書
消費税を5%に減税し、10兆~15兆円規模の補正予算をすればデフレ脱却できるんだそうです。とにかく生活困窮者を早く救わなければいけませんね。
「通貨発行権を有する政府は財政破綻に陥らない。ということは税によって財源を確保する必要はない。したがって税は財源確保の手段ではなく物価調整や所得再分配などの経済全体を調整するための手段」と中野剛志先生が「奇跡の経済教室」で書かれています。目から鱗です。
素朴な印象で庶民の味方をしてくれそうだったから期待していたのだが、この調子では次入れる事はない。読書報告も半分くらいはMMTの本だ。自分はMMTに詳しい訳ではないが、"通貨発行権を持っていれば財政破綻しないので、税で財源確保の必要が無い"というのを鵜呑みにされてしまうともうついていけない。ここまで極端な事をすれば円は大暴落し、生活困窮者の生活はさらに困窮すると思うからだ。大阪都構想、消費税減税もしくは撤廃、MMTによる極端な財政論のような一発逆転これさえすればすべてうまくいくみたいな事は起きえないと思ってる。消費税の多寡にかかわらず、適切な再分配がされていれば生活困窮者も救われるはずだ。北欧のような福祉国家でも消費税は0どころか、20%以上である。消費が低調なのは、所得が上がらないことと将来不安からだ。安易な一発逆転策に溺れるようでは全く支持できない。
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
趣味でカメラをしていて、過去にカメラを使ったバイト経験もある。職場の行事の際にカメラ係をしてから、職場でいいように使われていてどう断っていいのかわからないでいる。
困った事例
・部活動の写真撮影をしてほしいと合宿に参加させられそうになる
→自分が所属している社内の部活で試合の写真を撮ったところ、「ぜひ我が部でも!」と合宿に参加させられそうになった。都内から合宿地までの交通費、宿泊費はもちろん自己負担。そこそこ日にちが迫っていたため予定があると断ったが、次はどうなるかわからない。
→特に困っている事案。定年まで働いた方に勤続の証書みたいなのを渡す会が月一であり、前任が抜けたことによりその撮影係にさせられた。(管轄は他の部)。取られる時間も1時間超と長いのに残業代が出ず、かつその後のフォローがめんどくさい。退職した人にデータを送るに当たって私用アドレスを教えてもらったり、アカウントの開設の案内したこともある。
管轄も違うし万が一の責任も取れないこともあり、上司に断ってくれと相談したが動いてくれない。個人的には後任をたててもらって技術講座的なのをしたい....。
みなさんならどう切り抜けますか?助けてくれ....
[以下、追記です]
みなさんしっかり表明してるんだなぁ〜というのが第一の感想です。
「仕事じゃないじゃん」っていうコメントが目から鱗でした。たしかにこれはボランティア〜。
不満点として一番大きいのは、仕事としては評価されなくて、かつ賃金が発生していないことなのかなと改めて考えました。あとは単純に写真整理やら加工やらでめんどくさい。搾取されてる感覚がつきまとっています。一度安請け合いしてしまったツケなのでしょうが。
「業務として受ければ」というコメントにたいしてですが、色々経緯があり、うちの部では「業務に関係ないこと」という位置付けになっており、残業申請も通りません。
とりあえず、カメラ依頼してくる部活の秋合宿の日程をスケジューラーで確認したので、それまでに逃げ切ります。
ありがとうございました
pixivで見てみたけど、女体化のタグが60000ぐらいで男体化のタグが5000ぐらいだから、需要全然ないんだろうな
女の人は割と責められる方が好きな人が多いしキャラクターに感情移入して楽しむから、すでに責められやすい女という性別ならわざわざ男にする必要ないんだと思う
そして女を男にするジャンルって、そもそも興奮の対象にならないことにも気がついたわ
女キャラを男にして女の子を責める、女の子に責められるのは全く興奮しない、そう考えると女体化ジャンルで興奮できる男の人はすごいね。
女キャラを男にして男に責められるなら女のままでいい気がする。
女キャラを男にして男を責めるならしっくりくるかもしれないけど、男を責めたい女の絶対数が少ないから、どマイナージャンルなんだろうな。もしくは責められる男の人側に感情移入することになって、めちゃくちゃややこしい。
婚活が上手くいかなくてむしゃくしゃして書き殴ったら思いのほか反響が大きくてびびっているクソ女さんこと増田だよ。
増田初めてだから改行とか?読み辛かったみたいでごめんなさい。読み辛いのに読んでくれて嬉しいよ。
薄々気付いてはいたけど増田はだいぶこじらせてる女みたいだね。婚活上手くいかない理由が分かったって言われてもだよね分かる〜!!としか感じられなくなってしまったもんね。
もてなされる側だと思い込んでるのが間違い、積極的にいかないと、って言われて目から鱗だよ。そうだよね。受け身でいても結婚できる女だったら婚活アプリを始める必要ないもんね。でもメッセージ返って来てないのに追撃で送るのは相手から見たら中々怖くない?どうなの??
女が書いてると思ってんのかよ、どうせおっさんだろっていうご意見もあって、なるほどそう受け取るのかという気持ちだよ。
増田がおっさんだったら良かったのにな。残念ながらリアルクソ女さんなんだよな。
お前ら若い女からの貴重な意見だぞ有難いだろという驕りもあったかもね。調子に乗ったねごめんなさい。
増田はこれからも婚活に励むよ。そしてたまにこの件を思い出して苦笑いするんだ。もしこれを読んでいる人が増田とマッチングしたらその時は優しくしてくれよな!!
ちなみに北海道は真夏でも夜は気温が下がって涼しいor寒いよ、日中は大阪や東京から出張で来た人も暑いっていってるけどな。
アドバイスありがとー
主にメトロ使って移動だね利用するー
大阪行ったときも思ったけど、外ヤバいくらい暑いし、屋内は野菜かってくらい冷えるから驚いたよ。
軽めのストールとか持ってく!!
日焼け止めや水は頭にあったけど正露丸は目から鱗だった。水ばっか飲んでたらお腹壊すよね!!ありがとう。
北海道はまだ真夏暑いくらいだけど、大阪いったとき唇がヒリヒリして・・・唇って皮膚薄いんだ・・・ってあたりまえだけど思ったよ。ボイルって表現適格過ぎて笑った。
コンサートのチケット取れたの一日だけだから前後の日観光しようと思ってたけど、やっぱり危険そうだね。生きて北海道で帰れるかな。
私はあまり可愛くない。
優しそうだねと言われることはあっても、
だから、どっちに似ても子供がスペシャル可愛くはならないだろうなというのはわかってた。
ただ、子供っていうのは無条件で可愛い顔をしてるとなんとなく思いこんでた。
可愛いドレスを着て花飾りをつけて寝かせられた娘が全然可愛くなかった。
顎まわりの肉ばかりしっかりしてて地獄のミサワそっくりだった。
直後に写真館の人が「あらぁ〜!可愛らしいわねぇ〜ー」とテンションあげて言ってくれたからなんとか我に返ったけど、「子供って無条件に可愛い顔をしてるわけじゃないんだ」と改めて実感した。
でも、私にとって娘が可愛いか可愛くないかで言うと、はちゃめちゃに可愛い。
「ちゅー」て言いながらチュウしてくれるのが可愛い。
笑うと可愛い。
泣いてても可愛い。
アンパンマンのグリーティングで興奮してハァハァ言ってるのも可愛い。
私が風邪で寝込んでるときに栄養ドリンクを飲ませてくれようとしていきなりリポDの瓶で口を殴ってきた時があったけど、びっくりはすれど優しくてめちゃくちゃ可愛いと思った。
人から羨ましがられるような幸せでなくても、できるだけ病気は少なく、周りの笑顔に恵まれやすく、辛いことがあっても、泣いて落ち込んだ後に美味しいもの食べて友達と遊んだら回復できる程度のことであってほしい。
でも女の子で顔がかわいくなかったら、思春期に辛い思いをするのは不可避なんだよ。
有村架純や広瀬すずだったらチヤホヤされるのに、千原ジュニアは辛い目に合うんだよ。
以前新聞の投稿で、女子大に行った娘(あまり可愛くないらしい)が入学式のあとのインカレの勧誘から徹底的に無視されてて帰りの電車で泣いてたって話を読んで目眩がした。
いつか娘もこんな目にあっちゃうのか。ひどいよ。
娘は家族で遊びに行くと確実に「パパにそっくりだね!」て言われる。
わたしから見たらはちゃめちゃに可愛いけど、他人からみたら千原ジュニアな幼児なんだろうか。
でも、それに少しホッとしてる。
将来娘から「あなたのせいで可愛くない!」と恨まれるのはわたしじゃないと思ってしまう。
娘にも旦那にもひどいよね。
でも、可愛いほうがいいじゃん。
ごめんね娘。
でも、口に出しては言わないよ。”可哀想な子”になっちゃうから。
それしかできないよ。
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投稿して1日くらいはコメ少しもらったくらいでそのまま忘れてたんだけど、久しぶりに見たらブコメ一気に増えててびっくりした。なので追記。
現実で同じようなこと愚痴ったらたぶん「そんなことないよ〜☆むすめちゃん可愛いよ〜☆」て言われて「ありがとー!」で終わるんだけど、「メイクしっかりすれば大丈夫」「歯並びは直せ」「愛嬌が大事」とか実践的コメたくさんもらってて嬉しかった。確かに!て思ったし、顔がいいだけじゃない部分の”可愛い”って他の人にとっても大事なんだよなって思えた。「有村架純の両親も有村藍里に架純の人生は用意してない」は秀逸では?目から鱗。
温かい反応たくさんもらってて嬉しかった。特に「親に愛情持って接してもらったから幸せだよ」てコメは本当に勇気が出たんだよ。愛情なら自信ある。娘が辛くなったときに思い出してもらえるようにがんばる。コメントくれた人たちはもう見てないだろうけど、本当にありがとう。
あと投稿する前にもういちどブコメと引用コメ?見たけど、別に温かいコメばっかりじゃないな(笑) いつもの増田どおりみんな好き勝手言ってるわ。みんな元気でなによりです。
弱者男性がどうのこうのって話題については特に思うところ無いので
あえてネットではあんま語らないようにタブー視されてる弱者女性についてつらつらと書いてみようと思う。
★1:未婚
まぁ大前提。
既婚ってだけで強いよ十分。
★2:デブ
友達としては全然オッケー。ただ、なんか、弱者やめたいって思うなら痩せた方が絶対にいいと思う。
★3:笑顔が無い
自分の友人の中には1人もいないけど、笑顔が表情パターンの中に無いって人。
そういう人はマジで弱者of弱者だと思う。他人に笑顔を見せてなるものかって思ってるのか
「私、感情無いんだ」ってキャラなのかはわからんけど、笑顔を出せない人とは友達になれないよねって思う。
★4:低収入
低収入については、職業がそういう職業であるとか、あんま長く働けないとかあるかもだけど。
低収入だとあんまり遊べないし貯金も無いし。下手したらクリーニング代すら出せなくてってなるとそりゃ友達も減るわと思う。
学歴とかそういうのは置いといて今の時代は男も女も同一賃金だから働きさえすればお金は手に入るので
低収入になる原因は働くだけの体力が無いか、とにかく頑張れないメンタルかのどっちかだと思う。
長々と書いてアレだけど解決策思いつかないし、解決策があったとしても
「コレが正解です!アナタはコレをすべきです!」って言われてやるかやらないかだと
みんなやらないよなって思うのでマジで低収入についてはそういう星に産まれたとしか言いようが無い。
★5:無趣味
もしくは、趣味があっても周囲に言わない。
仲間を作ろうとしない。
趣味さえあれば、今日日趣味の輪に入るのは簡単だから孤独とは無縁に楽しく生きていけると思う。
★6:排他的
男性嫌いも含むか。
小中学生の頃さー「男子が配膳した給食は絶対に食べない」とか「男子と一緒にご飯食べるの絶対無理」とかそんな子いたけど
まさか大人になってもそのメンタル引きずってる人がいるとは思わなかったわ・・・。みたいな子、ちょいちょいいる。
自分とちょっとでも違う意見、違う属性持ってる人との縁を全力ジャンピングチョップでぶった切ってる人。
★7:老けてる
多分弱者男性も一緒で。老けてる人はなんて言うか、カテゴリが違うって感覚になるよねって。
人間、心根は高校生の頃から変わったりしないんだけど。やっぱり老ける前に決断すべき時ってあって。
ダラダラと決断すべき決断先延ばしにして現状を維持を続けたオバサンってのはそりゃ魅力無いよなって。
色々挙げて考え整理できたけど。
弱者ってのは「他者に訴求できる魅力が無い」って意味なんだなと思った。
自分自身もいつか弱者になるかもしれないから、仲間を大事にしようと思ったし
自分自身の魅力も大切な、いつか壊れるかもしれない宝物だと思う事にした。
2019/06/14 13時追記
なるほど
かなり目から鱗なので書いてよかった。
同じ趣味や思想であれば顔がアレでもどうとでもなりますよ。ブサイクは弱者条件になり得ないです。
って気付きを得る事ができました。
あと、20代なら全然相手されたのに20代の頃に仲間なら恋人探さなかった弱者は