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はてなキーワード: 消しゴムとは

2019-12-17

anond:20191217223154

消しゴムとか墨汁とかせっけんとか食べる子いたよね

君だろう!!

2019-12-01

anond:20191201100559

因みに今の時代だと「消しゴムは白の四角いもののみ」などという決まりがある学校が多く

消しゴムと言い張ってその手のおもちゃ学校に持ってくるのは禁じられている

anond:20191201100144

特撮系以外のグッズがほぼなかった時代の「文房具の顔した親にねだりやすアニメグッズ」だよ

もちろん学校にもっていくときは当然「これは消しゴムです」っていう

字は全然消えない

ガチャガチャ(いまのガチャ祖先だがヴァーチャルでなく店頭にある)で手に入る

種類がいろいろある

これだけでもう

テレビに「キンケシ」って出てきたか

キンケシってなに?って聞いたら「キン肉マン消しゴムだよ」って言われて、(キン肉マン消しゴムなんだろうけどそういうことではなく)キン肉マン消しゴムってなに?って聞いたら「……そうだよねぇ」って言われて教えてもらえなかったんだけど、キン肉マン消しゴムってなんなんだよ

2019-11-30

くさいまとまるくん

5年くらい前、私が小学生の頃、スーパー匂い付きのまとまるくんを見つけた。このまとまるくんは箱の中にたくさん入っていて袋からは中身が見えなくなっておりどの匂いが出るかわからないタイプのものだった。確かその時はご当地シリーズかいうやつだった気がする。マンゴーとかかわいい匂いもあった。(後で調べたらまとまるくん はらぺこフレーバー3 ご当地グルメ だった)

消しゴムが大好きだった私は箱から1つ選び大切に握りしめながらレジへ向かった。

そして家に帰り(マンゴーだったらいいなァ。マンゴーじゃなくても良い匂いがいいなァ)などと思いながら袋を開けた

開けると共に強烈な匂いがした。








味噌カツ消しゴムだった。








わず「くさっ………………」と言った気もするし言わなかった気もする。でもとにかくクソ臭かった。でも使わないのもアレなので学校に持っていった。



不評だった。



家族にも友達にも「くさっ…なにこれ…」と言われ自分でも嫌になった。

どうにかして匂い封印しようと私は何十もの紙で消しゴムを包んで封印した。それでも紙越しに匂いがしていた。

今でもその匂いを思い出すと気持ち悪くなる。私はこの時から勝手味噌カツに苦手意識を持っていたがその後初めて食べたとき全然違うことに気付いた。

2019-11-16

明日は何が起こるか分からない日なので

出来るだけ今までのことを思い出しておこうと思う。

グラスホッパー 

マイティフロッグ

ヴィダルサスーン

ティモテ

から火花が出るゴジラ型のチョロQ

グリーンドラえもん

マシンロボ

チョコとかの匂いがする消しゴム

スライム

紙粘土

学研のおばさん

生一丁

エキスパンダーの逆で押し縮めるパターントレーニング

軍人将棋

ドラキュラボードゲーム

お化け屋敷ボードゲーム

ランドセルの閉めるところをこっそり外されてて、靴を靴箱にしまときに屈んだらバサーって荷物部落ちるやつ

2019-10-21

「結局何が言いたいの?」と言われることが良くあった

話し方を変えた。ポイントを3点に絞って話すようにした。状況を伝え、どうしたいのかということを話した。


そしたら「結局こっちは何をすれば良いの?」と聞かれた。

ポイントを3つに絞って、相手に何がして欲しいのかまで話をするように変えた。


そしたら「え?いつまでにやればいいの?」と聞かれた。

ポイントを3つに絞って、相手に何がして欲しいのかいって、いつまでにやれば良いのか話した。

そしたら「え?いや、結局○○○をしたいんですよね?それは時期的に無理なので○○○という方法で良いですか?」と言われた。

あぁ、またか……そう思った。

相手に何がして欲しいのか」をピンポイントで話すようにしていた。

消しゴム取って、みたいな)

場合によっては「こういうことがしたいのですが、良い方法ありませんか?」と提案したほうが良いようだ。

(黒板の文字を消したいんですけど良い方法あります? みたいな)


結局「いつ」「どこで」「だれが」「どうなった」「どうしたい」「相手に何をしてほしい」「いつまでに」

これを簡単に書くことになった。

はーぁ。こうして何度も改善していけば

文章上手くなるかな。お願いの仕方も上手くなるかな。

2019-10-20

anond:20191020122810

パソコンが全くない時代は知らないけど、パソコン部署に1台とかの時代就職した。

  

うちの業界機械化が早くから進んでいたが、昔の時代機械投資が大きかったせいもあり、パソコン等のダウンサイジングされた

OA機器が導入され始めたのはWindows95以降、一人に1台配布されたのは21世紀になってからだった。

といっても、業務効率化のために使ってるのは1日のうちのほんの少しであり、あとはパワポエクセル方眼で資料を作ったり、

相手先への文書の清書をするための機械としてしか使っていない。鉛筆消しゴムより時間はかかっている(完成度は上がっている)。

  

効率が上がっていないということはないが、パソコンならではのことをしているのかというと疑問だ。

もちろん電子メールインターネット、共有ファイルサーバは確かに便利で恩恵を受けている。

問題は、仕事の仕方がパソコンがなかった時代のやり方にあまりにもこだわり続けていることだ。

こういうのは重厚長大かつ先行投資の大きかった業界ほど顕著。

パソコンのない時代はどうやって仕事してたの?ではなくパソコンを使ってパソコンがない時代と同じような仕事をしている。

効率の極み。

人間は思ったより変わらないものだ。

カンニング方法

透明なシャープペンに筒状にしたメモを入れる。

消しゴムに書いてカバーで隠す。

etc

色々試そうとしたけど納得のいくものは無かったなあ。

2019-10-16

anond:20191016105538

明らかに萌え絵巨乳男性の性欲を刺激して「注意を引く」ために描いてあるものだけど、それと鉛筆消しゴムの違いがわからないなら永久に黙ってなよ

人はどんなところにエロを見出すかわかんねぇよ

鉛筆フェチだっているだろうし

消しゴムフェチだって居るだろうよ。

「このフォルムエロイ!ふぉおお!」って良く分からんところでエロイエロイいうやつもいる。

anond:20191015215445

2019-10-01

anond:20191001004728

揮発じゃなくてブリードの話をしてるんだけど

消しゴム真空パックしたらネトネトが発生しないと思う?

真空パック内部に液体が溜まってる状態になったやつ見たことある

2019-09-26

たまに引くくらいでかい耳くそがゴロっと耳から落ちる。

そろそろ持つのがきつくなってきた小さくなった消しゴムくらいでかい

掃除しても小さいのしか出てこないから奥深くで育ってるんだろう。

アメリカの耳科協会は「耳掃除すんな!ほっとけ!」って怒るけど、あんなん詰まってたらよく聞こえなくて困るんだけど。

2019-09-23

anond:20190922033512

ゲームの変遷が面白い

インベーダーゲーム以前の昭和生まれ小学生流行物は

スーパーカー消しゴム

怪獣下敷き

・リリヤン編み

リカちゃんなどの人形(やや高価)

いわゆるクロスオーナーシップメディア製の内国植民地文化だが

買って貰えなかった子は生命保険を掛けられているか確認したほうが良い

子どもは親を選べない

2019-09-22

消しゴムのようないいハナクソが出た

2019-09-17

息子の算数問題

ノート36冊と消しゴム48個を、なるべく多くの子供に同じ数ずつ分けます。何人の子供に、いくつずつ分ければよいでしょうか。

自分的には36人に1つずつ(消しゴムは余るけど)だと思うんだが、妻によると最大公約数問題から違うこのバカがと言われた。実際の答えはわからん

2019-09-06

あなたの番です」最終回推理

09-06 23:00 初出

09-08 19:00 改訂

菜奈殺しのアリバイ

19話 36:15〜

刑事1「黒島沙和ですが、手塚菜奈の死亡時刻の2時から4時に、大学近くのファミレス勉強してる姿が、店内防犯カメラに映ってました」

刑事2「一方、尾野幹葉ですが、0時半すぎに終電帰宅する様子と、その後公園野良猫と遊んでいる様子が、それぞれ防犯カメラ確認されています

水城「はあー。内山は?」

刑事1「朝4時までネットカフェいたことは確認されてますね。途中、外出した形跡もありません」

水城「はああー」

このシーンの情報を簡潔にまとめると、「黒島内山にはアリバイあり、尾野にはアリバイなし」ということである

いかにも尾野にもアリバイがあるような反応を水城が返しているが、騙されてはいけない。

内山動画撮影場所

19話 23:40〜

翔太「このカーテンについて聞きたいんだけど」

尾野「あれは一点物で、日暮里専門店・・・(ハッとした顔)・・・ていうか、いま関係あります?」

翔太「関係あるから聞いてんだよ!!」

二階堂「落ち着いてください」

二階堂の尾野を庇うような言動のせいで流されてしまうが、極めて重要ポイント

わざわざ「一点物」と言わせているのは「内山動画撮影場所は尾野の部屋で間違いない」という、製作からメッセージと考えられる。

黒幕は尾野か?

内山動画撮影場所が尾野宅である以上、可能性は次の3パターンに絞られる。

(1) 黒幕は、内山を連れて尾野宅に忍び込んで撮影した。

(2) 尾野は黒幕の協力者である

(3) 尾野自身黒幕である

から順に考えていこう。

(1)の場合動機が考えづらい。尾野に罪を着せる意図だとすれば、内山に「黒幕は尾野なんです!」と言わせれば済む話だからである

(2)の場合は、まず内山黒幕の協力者なので、黒幕グループが3人もいたことになってしまうし、そもそも該当しそうな人物がいない。

そこまで疑うのであれば、まずは(3)の場合、尾野自身黒幕である可能性を検討した方が、話がシンプルである

黒島は嘘をついたのか?

ところで、尾野が黒幕である可能性を考えた場合、大きな問題が一つある。黒島は、書いた紙が「早川教授」、引いた紙が「織田信長であると申告しており、どちらも存在確認されていない。このような肝心な情報に関して嘘をついたのではないかという疑惑があるため、黒島が怪しくなっているのである

しかしここは、「黒幕ではないのに黒島が嘘をつかざるを得なかった理由」を考えるのではなく、逆転の発想で攻めてみると良い。つまり「もし黒島が嘘をついていなかったとしたら?」と仮定して推理を進め、矛盾のない説明可能かどうかを考えるのである

久住証言

19話 32:50〜

久住浮田さんの書いた、赤池美里を引いた人は・・・黒島さんです」

ここから黒島らしき服装人物が「赤池美里」と書いた紙を開くシーンと、黒島が開いた紙を見て目を細め、それを浮田が観察するシーンが続く。

一見黒島が「赤池美里」を引いたことに疑問の余地はないように見えるが、それでも「黒島は嘘をついていない」とするのであれば、可能性はただ一つ。黒島が引いた紙には、小さい文字で「織田信長」と書かれていたのだ。

赤池美里の紙

19話 19:35〜

翔太「尾野さんさ、303の鍵持ってるよね?」

尾野「何なんですか、いきなり」

翔太「これ置いたの君?」(赤池美里の紙を見せる)

尾野「・・・どう考えても黒島さんでしょ」

翔太「どうしてそう思うの」

尾野「私も菜奈さんみたいに殺されちゃう!!」

少し戻って、このシーンを検討する。「赤池美里の紙を引いたのが黒島である可能性が高い」という情報を知っているのは、翔太たちと久住、そして殺された浮田だけのはずである。ここでの尾野の言動は、そのことを前提に翔太たちの考えを誘導しようとしているように思える。しかし、赤池美里の紙を置いたのが尾野だとすれば、どうやって黒島が引いた紙を入手したのだろうか。

織田信長の紙

以上2件の情報を合わせると、尾野が書いた紙は「織田信長」であり、引いた紙は「赤池美里」であったという仮説が成立する。浮田と同じトリックを尾野も仕掛けていたのだ。第1話で、尾野は引いた紙をすぐに確認せずに周りを観察している様子だったことも、この仮説を支持する材料である

黒島が目を細める様子を見た尾野は、まず黒島が「織田信長」を引いたと考える。しかし、後でこっそり自分が引いた紙を確認してみると、そこには自分と同じような小さな文字で「赤池美里」と書いてあった。となれば、尾野はこう考えるだろう。「これは面白いことになった。赤池美里と書いた誰かさんは、黒島がその紙を引いたと思い込んでいる。何かの際には、この紙が利用できるかもしれない」

早川教授の紙

黒島が書いたはずの「早川教授」はどこへ行ったのか。この紙が実在した前提で考えるならば、引いた可能性が最も高いのは田宮だろう。

田宮の性格ならこう考える。「早川教授という人は知らないが、ゲーム参加者の中に大学生は1人しかいない。この紙のことは誰にも言わないのが、あの子のためだ!!」

白紙

尾野が入れた紙が白紙でなかったとするなら、北川が引いた白紙を入れた人物が他にいるはずである。第1話では尾野以外の人物は全員何かを書いている様子が映っているが、その中で唯一、白紙で提出した可能性のある人物存在する。それは、鉛筆で書いたと思われる文字消しゴムで消していた床島管理人である

吉村の紙

ところが、床島が白紙を入れたとするならば、石崎が引いた「吉村」を書いた人物がいなくなってしまう。そこで、書いた紙が唯一確定していない赤池美里が「吉村」と書いたと仮定して推理を進める。つまり、「赤池幸子」を引いたとする浮田証言が嘘であった可能性の検討必要である

赤池幸子の紙

4話 20:45〜

浮田「あのよー・・・何て書いたかなんて、みんなの前で言うわけねえだろう」

石崎自分が殺されるかもしれなかったら、浮田さんだって!」

浮田赤池幸子」

石崎「えっ」

浮田「俺が書いた名前じゃねえぞ。俺が引いた紙に書いてあった名前だ。だから少なくとも、俺はあんたを殺さない。安心たか?」

このシーンの状況を考えると、浮田石崎安心させるために言っているので、本当に引いた紙は「石崎洋子」もしくは「すでに殺された人物名前」だった可能性がある。しかし、「石崎洋子」の紙から浮田指紋が検出されていないので、消去法で浮田が引いた紙は「管理人さん」となる。

石崎洋子の紙

必然的に、「石崎洋子」は床島が引いたということになる。これは尾野の主張通りである

真・書いた紙引いた紙

- 書いた紙 引いた紙
久住袴田吉彦細川朝男
田宮 こうのたかふみ 早川教授
石崎石崎洋子 吉村
浮田赤池美里管理人さん
黒島早川教授織田信長
シンイー タナカマサオ袴田吉彦
尾野 織田信長赤池美里
菜奈 細川朝男 こうのたかふみ
北川 児嶋佳世 白紙
榎本管理人さん 山際祐太郎
藤井 山際祐太郎タナカマサオ
赤池吉村 児嶋佳世
床島 白紙石崎洋子

以上で、「尾野が嘘をついている」「黒島は嘘をついていない」という条件において、書いた紙引いた紙を矛盾なく説明可能である

それはつまり、尾野が黒幕グループであっても矛盾点がないということであり、アリバイ撮影場所の件と合わせて、黒幕は尾野であることがほぼ確定する。

おまけ

(L?) 4/? ウエハース 翔太「美味い!」

(L?) 4/? 雷おこし 翔太「雷おこしって手作りできるんだね!」

(L) 5/3 弁当箱 翔太「驚きの方が勝っちゃってるけどねー」赤池美里吾郎死亡

(L) 5/21 プロテイン 翔太「これで最後にしてもらってもいい?」児嶋死亡

(-) 5/28? 一緒に帰る 翔太「菜奈ちゃん大好き人間から

(L) 5/29 浮田死亡

(L) 6/5 オイルマッサージ 翔太、困惑しつつも受け入れる

(-) 6/6 河野死亡(笑顔ではない。ラッキーデーではない)

(L) 6/17 菜奈死亡

(L?) 8/3 ウエハース 二階堂「僕、人の作ったもの食べれないんですよ」神谷死亡

2019-08-29

商品貨幣論経験

私自身の経験に基づけば、商品貨幣論は小さな集団では確かに成り立つ。

無論、歴史的価値が生み出される経緯が商品貨幣論説明できるとは思わないが、貝貨のように債券として機能しないもの存在していたことも事実である

Twitterに書くには長すぎたので私の小学校高学年時代経験を書く。

私が小学校高学年の時は珍消しゴムトレード流行っていて、各々の価値基準に基づいたレートで物々交換が行われていた。

香りのついた練りけしをはじめ、フィギュアのような消しゴムや、機能性押しの消しゴムも人気だった。

私は牛乳キャップを使ってコマを作るのが好きだったから、よく消しゴムを買っていってキャップと交換してもらっていた。

しばらくすると牛乳キャップには何枚かで消しゴムと交換可能な程度の価値があるという認識が学年中に広がった。

交換用に消しゴムを買うのにもお金がいるので私は作ったコマ牛乳キャップ何枚かと交換しだした。

私のコマは人気で、私がより多くのキャップを欲したこともあり、一番多いキャップを出した人とコマを交換することにした。いわゆるオークションである

ところが牛乳キャップの入手手段は限られていたため、入札額にも限度がある。

すると持っている珍消しゴムを売りに出す人、新しいコマを買うために古いコマや作ったコマを売る人が現れ、牛乳キャップが珍消しゴムと交換する以外の価値を持つようになった。

元々コマに興味が無く、消しゴムに飽きた女子は好きな男の子牛乳キャップを独占的にあげたりしていた。

しばらくすると、コマ消しゴム牛乳キャップの形で保持する人が出始めた。学年内に流通しているコマ消しゴムは目新しい物の価値が高く、古くて見飽きた物は価値が下がる傾向があった。つまり飽きたなら価値があるうちに牛乳キャップに交換して持っておく方が良い。そうこうする内に消しゴムコマブームは去り牛乳キャップは交換券として機能しなくなったが、価値あるものと交換した牛乳キャップは誰も捨てなかった。

この時点で牛乳キャップのもの貨幣価値を持ったように思う。

月日は流れ、自作カードブームが来た。担任自分で作ったカードなら学校で遊んでも良いという発言をしたためである

UNOを皮切りに遊戯王デュエルマスターズなど当時はやっていた各種カードゲームを学校で遊ぶため、私含め工作好きな2、3人がパックを手作りしてキャップと交換した。

トレーディングカードゲームの類はある程度枚数が無ければデッキを組む楽しさが味わえないため、かなり苦心してカード大量生産した。パックで出たデッキ不要カードはやはり牛乳キャップトレードされ、各々デッキをくみ上げていた。なお、肝心の私は自分デッキ顰蹙を浴びない程度に自作できるので、得たキャップの使い道は殆ど無かった。

またしばらくしてカードゲームに飽きた私は、パックを作りつつも今度はルーレットを始めた。キャップ工作が廃れ、毎日給食から供給されたことで大量に増えて消費先のないキャップを、大量に消費してやろうという考えだった。段ボール画鋲で作ったルーレットでも中々中毒性があり、はまる人が出てきた。

大量にキャップを持っていた私はルーレット一回につきレートに応じたほんの少しの手数料を取って、掛け金の合計から足りない分は自分キャップを出すという形にした。これが恐ろしい発明だった。ルーレットは全員負けることが少なくない上に主催者である自分絶対一定手数料が入ってくる。キャップは消費するどころかどんどん増え、ジャンキーたちの要望により高レートルーレットの開催が増え、さらに儲かり、顧客は借キャップをし始めた。高利貸し融資を募る人、親が儲かることに目をつけてカジノを始める人が発生し、授業の合間の休憩時間教室狂気カジノだらけになった。

このあたりは最早脱線しているが、要は最初消しゴムの交換券でしかなかった牛乳キャップ消しゴムトレード文化の衰退に伴い、消しゴム価値を吸収し、それ自体価値を持った訳である

さらカジノという、価値を物の購入以外で消費する文化が発生したことで、価値の維持に消耗品必要なくなった(消しゴムコマ消耗品なので、交換券としてのキャップ価値を持ち続けるためには常に新しく消しゴムコマ存在する必要がある)。


まり結果として、物々交換➝金の交換券としての兌換紙幣貨幣)→金との交換の保証不要不換紙幣貨幣)と商品貨幣論実践されたように見える。これが私の経験である

小学生程度の知性でこのありさまなので、当然長い歴史の中で小さなコミュニティにおいて商品貨幣論過程貨幣価値を持つことは十分に考えられる。貝殻には装飾といった需要があったことを考えれば、貝貨牛乳キャップ過程で普及してもおかしくはないだろう。商品貨幣論でよく説明される金が扱いづらいか兌換紙幣が生まれたというような説明を用いずとも兌換紙幣が発生しうるという話でもある。


余談:

毎日給食供給されるキャップがあるにも関わらず、過度のインフレが起こらなかったのは、私のような銀行的振る舞いをする人やため込むのが好きな人がいてキャップをため込んでいたかである

カジノ時代になると、資金が付きそうになったギャンブラー銀行家が他人預金を使ってギャンブルをしたため、微妙信用創造的なことも行われていた

高利貸しがいる以上破産はするが、破産者には多少恵んでやるという暗黙の了解があったため、破産しても1、2週間程度で復活できた

・この経済圏小学校卒業間近に消滅した

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

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今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-08-23

anond:20190823120243

読書感想文かけないってよくわかんないんだよな。

絵が描けないはわかるよ。うまく線が引けないとか、画材の酔っては消しゴムでやり直せないから嫌とか。

でも、増田文章書けるってことは少なくとも文字も読めるし、文も書けるじゃん。

本を読んで思ったこと(感想)を書くだけじゃん。採点もない。合ったとしても、原稿用紙の使い方や漢字の読み書きチェックぐらいだろ。

大人が褒めてくれそうな内容を書かないといけないと思ってないか

2019-08-20

anond:20190820121201

「角がたくさんある消しゴム」みたいに「最上階角部屋がたくさんあるタワマン」を作ろう

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