はてなキーワード: 消しゴムとは
こういう煽るタイプのアホって何なんだろうな。
話の途中で、「それイジメだろ」って言ったら、笑いながら「あいつは笑ってたしいじめとも思ってねぇよ」って言ってやがった。
テスト期間だか知らんが、いつものように「シャーシン貸せよ」って言って芯が入った箱?を奪ったら
返せって言っても聞かないからか、友達の手首の甲?にカッター当てたらしい。
「できないだろお前に?やってみろよ?」って煽ったら、本当に切られて流血して、傷跡も残ったと。
「普通やらねぇだろ!あいつがおかしい!」って言うんだが、煽るのもいじめるのもお前がきっかけだしお前が悪いだろと思う。
今では仲が良いらしいんだよ。一緒にモンストしたりしてるようだ。
小学1年生のころ、授業で国語の教科書を模写する時間があった。
おそらく字を書くことに慣れるために実施されているカリキュラムだろう。
ルールは簡単で、指定された位置まで模写が終わった生徒は教師の前に一列で並び、一人づつノートのチェックを受ける。合格をもらったら授業中は好きにしていい。
生徒は30人くらい在籍していたので、それなりに長い列ができる。自分も列の最後尾から並んでそわそわしながら待った。
いよいよ自分の順番が回ってきて、少し緊張しながらノートを教師に向かって開くが、なんと無言でノートを手で払われる。
チェックすらされない。その理由もわからない。困惑が頭を埋める。
ノートは教師の机の右側に寄せられて、教師は「次の人」と言う。もう自分のことなんて見ていない。
自分が何か悪いことをしてしまったんだと思って、無言で席に戻る。
汚いところがあったのではないかと推測して、消しゴムで消してもう一度書き直す。
もう一度列に並んで、また教師の前でノートを開くも、また無言でノートを払われる。
これがずっと行われる。
まわりのみんなはノートのチェックをされているのに、自分だけ見てももらえない。
せっかく並んだのに払われたノートを拾って戻っていく気持ちを想像してほしい。
学期末の通信簿には「積極性がない」と書いてあった。今でもあの悔しい気持ちを覚えている。
当時は自分が悪いのかと思っていた。
大人になって組織や人材のマネージメントをする立場になって、たくさん勉強した。
今でもあの担任を恨んでいる。
「A子さんに術後せん妄があり記憶がすべて正しいとは言えない」としても、「わいせつ事件があった」は、また別の事象だ。
つまりA子さんに術後せん妄の時間があり、かつ、わいせつ事件も起こっていたことはロジックとしてありえる。
またA子さんの証言が不確かで、ただ唾棄されただけもありえる。
ブコメしている人たちが、科学鑑定結果の間違いをすっかり信じていることが不思議でしょうがない。
触診や唾液の飛沫で「微物に大量の医師のDNAが含まれ」た結果がでたと本当に考えているのか?
一般的に、事件があったのに検出できないことはよくあるが、何もなかったのに「大量のDNA」が含まれることは起こりにくい。
しかもアミラーゼの検査とDNA検査、二つの検査で、その方向に間違った結果が出るとは考えにくい。
また下記の部分の書き方も恣意的だ。
“大量のDNAが検出されたとする根拠は、科捜研研究員が実験ノートに当たるワークシートに記載した数字のみ。
研究員は、ワークシートを鉛筆で記入しており、必ずしも時系列でない記載もあったうえ、消しゴムで消して書き直した部分もあった。”
職場のルールでペン書きが義務化されているならわかるが、そうでないなら実験ノートの鉛筆書きはごく普通の行為だ。
鉛筆書きでサンプルが残っていないから科学的信頼性がないとは、、、難癖をつけられているかのようだ。
こう書くとA子さんを擁護しているように見えるが少し違う。
どちらがより、先入観を排除した、証拠に基づいた科学的・客観的な判断だといえるのかという点において興味を持っただけだ。
「被害者感情に流されず、科学的・客観的な判断が出てよかった」という内容のブコメが、自分にはこの上なく感情的に思えたから。
さっき別の医師が書いた記事を読んだが、科学鑑定結果についてまったく触れていなかった。
「術後せん妄を知ってほしい」と医師がアピールしなくても、鑑定結果で唾液や口腔内細胞が検出されなければ、警察も取り合わなかっただろう。
自分はどちらかといえば研究員に近い立場なので、違う見方をしてしまう。
周りに多くの人がいたこと、評判のよい医師であること、術後せん妄がよく起こること、実験ノートが汚いこと、などの状況証拠を必死に積み上げて、科学的な証拠をなかったことにしようとしているように思える。
まず「何が書いてあるのかさっぱり分からない」
本当にこれは日本語なのか?いや言語なのかどうかも分からない。
分からないので不正解とする。すると書いた張本人の生徒から異議申し立てがくる。
「ちゃんと正解を書いたのに」と。悪びれる様子は微塵も感じられない。
むしろ「お前の眼球と脳みそは腐ってんのか?」とでも言いたげな侮蔑の視線を向けてくるので、実は何か間違っているのはこちらなのかも知れない、と段々思うようになっていき、ついには「今回はオマケで正解にするけど、今後はもっと丁寧な字を書くように心掛けて…」と呟くのが精々だったりする。
他にもテストの回答で「a」と「d」の字が全く区別できないふうに(あえて縦棒を微妙な長さで)書いてくる生徒がいて、何でそんな事をするのか不思議だっだが、どうもやってる本人にとっては大真面目(?)に「正解の可能性を僅かでも上昇させる作戦」なのだという事が判明した。
漢字の一画をわざと書いてから消しゴムでうっすらと消して書き、一画多いのが正解だった場合「ちゃんと書いている」、一画無いのが正解の場合は「ちゃんと消している」と言い張って何としても正解を奪取する作戦も流行していた。
「そのような、採点者の心証を悪くするような手段を駆使して、それで良い点が貰えると本気で思っているの?」とはっきり説教した事もある。しかし当の本人達の反応は「???」だった。本気で理解していない顔だった。
何だろう?これが「教育の敗北」という奴だろうか
デザイン作業にやたらめったら時間がかかる時は大体次のどれかだと思う。
2.大まかな構成が決まらないまま細部のあしらいや全体のトンマナに着手してしまう
3.必要な情報が足りていない、もしくは情報の不明瞭な箇所がある
作業をするにあたっていきなりPhotoshopやらIllustratorやらを立ち上げるのは、絵を描く時いきなりペンや色鉛筆を手に取るのと似てる。
もちろん明確な完成図が頭にあるならそれでも全く問題ない。
まずは仕様を確認して、足りないものが無いか確認する、仕様のふわっとしてる部分は後で絶対悩むので確認する。
失敗しても消しゴムは使わず、ぐりぐり打ち消すもよし、新たに書くもよし。
ラフの段階でとりあえずこれだ!って物が見えたらここでやっとソフトを起動する。
あ、あとラフに時間はかけなくていい。長くても10分とかでいい。
ソフトを起動したら色やフォントは一旦気にせず要素をドカドカ配置していく。
Webデザインでいうとまあーワイヤーフレームみたいなもんなので、とりあえず情報の優先度が守られてればよい。グレースケールで作るといい。情報の関係性が崩れないよう余白はちゃんと設定すること。
グレーの状態で情報設計がちゃんとしていれば後から大きな巻き戻りが起こることは少ない。装飾を入れる前にここでばっちり決める。
で、あとは色を決めて細部のあしらい作ってつけてフォント選定してドーン!だ。ドーン!
デザインをしていて何か上手くいかない…野暮ったい…どの要素も目立たないうんこ…しっくりこない…って時は大抵、構成や情報設計の段階で失敗してるので段取り大事だなって思いました。
これから舌ピを開けたいと考えている人の参考になると嬉しい。
セルフ。すでに開けている知人にはスタジオを勧められたが、金が惜しいのともっとスナック感覚で開けたかったため。
Amazonでちょうど[こんなもの:https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07FKJS8F7/ref=oh_aui_detailpage_o02_s00?ie=UTF8&psc=1]が売っていたため使用した。
ニードル(14G)
サージカルステンレスのストレートバーベル(14G、ボール6mm、シャフト18mm)
穿刺ペンチ
穿刺ペンチ(舌挟んで固定するやる)はもともと使用予定がなかったものの購入してセットに入っていたため使ってみたが、これが非常に便利だった。奥に引っ込もうとする舌を固定してくれるし、U字型のもので舌を挟むため上下で針の刺す場所・出す場所がわかりやすくなる。
ファーストピアスは腫れを考慮してかなり長めのものを選んだ。実際シャフトぴったりくらいまで腫れたが、ものすごい邪魔だったので1週間後には4mm/12mmに変えた。
刺す瞬間さえ乗り越えれば以降は大して痛くない。むしろ穿刺ペンチで挟まれている痛みの方が強い。
肉をブチブチ切り裂いている感覚が直に指先に伝わってくるので楽しい。軟骨より全然柔らかく貫通させやすい。
開けている最中は唾液が垂れ流し状態になるため、長めのハンドタオルを襟元に引っ掛けて腹〜腿まででろんとさせておくと汚れない。
1~3日目はお粥やスープ類が主。一回血迷って栗きんとんに手を出したら痛過ぎて舌の感覚がなくなったのでやめましょう。
4日目くらいからピアスに当てないようものを食べるコツを掴む&粥に飽きて普通に食べ始める。ミートソースやパンなど、具材が細かく切ってあるor口の中ですぐ柔らかくなるものなら以外といける。
普通食をぼちぼち食べたくなってきた頃(1週間くらい)にセカンドピアスに変える。ファーストピアスの下のボールを外してセカンドピアスとくっつけて押し込む方式でやった。これでもだいぶ舌の内部を擦ってしまうと痛かった。
死についてずっと考えてきたんだが最近どうでもよくなってきた。
さすがに31歳になるまで毎日怯え続けて来たら段々と恐怖にも飽きてきた。
体は全くの健康体。
だのに肉親や身内の死、ペットの死ですら恐ろしい。
やる気になろうとすると「どうせ死ぬ」という考えが邪魔をする。
しかし仕事以外の日常生活では何かをする理由が「どうせ死ぬ」にかき消される。
力強く心の壁に書いた志も、どうせ死ぬ消しゴムに簡単に消されるような、そんな毎日を送ってきた。
この悩みが達が悪かったのは誰にも解決策がないってことだ。
生きる意味、生命の尊さ、産まれてきた喜び、社会貢献、ポジティブシンキング。
結局のところ、それは「死という現実」から目を逸らすための妄想、
言っている本人は自分の嘘を信じ切っているため、その手の人間に打ち明けたとしても解決はしない。
もし自分が心から尊敬する人間がこの世にあらわれるというのなら
自分を死から救ってくれる、開放してくれるような人間であるだろう。
しかし年も明ける頃になって
段々と自分が死の恐怖を忘れだし、死の恐怖に対する興味というものが徐々に減りつつあることを実感している。
それは自分という生命体、可能性、ポテンシャルに対する期待の低下と伴っているようだ。
つまり自分にはもう生きている価値もない、命を賭ける価値さえない、死んだところで何が変わるのか。
そういった考え方になっていく。
死の恐怖は依然として残っているものの、死から守り通すだけの価値がはたして今の自分にはあるのだろうか。
もはや成長は望めず、市場的価値は低く、交友関係は少なく、愛している人もいない。
そういった自分は果たして死から守るだけの価値があるのだろうか。
自分の価値など誰が付けるのだろうか。それは正しいのだろうか。
今は心の壁に書いた志の消し残しがゴミのようにへばりついている。
それはこすっても消えそうにない。まるで肌のシミのようだ。
もう人生に挽回などないおっさんになって死の恐怖から徐々に開放されつつあるものの、
依然として死という現実は何も変化は遂げていない。
今度は呼べない死の恐怖を忘れてしまうことへのボンヤリとした不安があり、
しかしこれも年月と共に薄く消えていってしまうのではないだろうか。
いつか訪れる決して避けられない死という現実を受け止めるための正しい姿勢とは、
やはりその事実から目を逸らさずに真正面から認識と自覚をもって受け止めるべきものではないのだろうか。
表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。
正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。
こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。
確かに今現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。
どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子をリビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子どもの記憶違いではないはずだ。
あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたときの記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。
他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。
これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。
子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子供相手にマウントを取りたがる親なのである。
もしかすると、この程度のことはごく普通のことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。
ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。
二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。
メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。
恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。
最近は小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。
私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉を額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。
中学では制服や校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則は部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。
しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛も晒していた。
そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)
中学三年間男子からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識が根付いた。
一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子の友達はいた。
だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスのボス的ポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。
中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前後から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。
要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである。
その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去の記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。
失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったからである。
私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。
それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである。中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。
中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。
中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校でとある文化部に入った。
彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。
だが、彼も所詮は男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子とコミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである。
この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。
それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。
勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。
同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。
基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生は別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ。
学校の先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。
高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。
学校の先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。
そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。
でも、それで人から好きだと思われることは無い。
人から向けられる愛情は、お勉強をいくら頑張っても手に入らないのだ。
そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。
色々ある中で、気遣いや笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。
愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。
少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。
自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。
高校で気付いたこの事実は、高校を卒業してからもだいたい事実だった。
ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。
そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである。
あの子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。
でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。
なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。
この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。
欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。
私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。
少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。
ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。
いつかっていつだろうな。
愛されないのに何で生きてるんだろう。
作業としては嫌いじゃない。むしろかなり嬉々として取り組めてる。自分にわりと向いてると思う。周りからの評価も(口頭では)結構高い。
でもなんかつらい。なんか、いつになくきつい。
この組織のために働きたくない。
私は女で、新卒で入ってからずっとここでやってきて、もう10年になる。が、役職とかがつく気配がない。一般のまま、いっこ上に上がるとかもない。
仕事の評価は決して悪くない。みんな口ではやたらほめてくれる。でもなんというか、パソコンの大先生的ほめ方なのだ。実際仕事内容がパソコンの大先生だからだろうか。ちょっと複雑なVBA組んだり、依頼されたデータを引き出してきて整形したり、そんな補助的な仕事ばかりだから。そしてそんなのをひとりでやってるから。
つまり便利屋だ。とても便利な便利屋。そらほめるか。おだてとけばにこにこと次から次へ仕事を受けるちょっとトロい感じの女。ほめて損はないもんな。
そしてほめはしても、評価はあげない。人事評価に反映されない。もう2回は面談で直属の上司とぶつかってるが、評価は良くてもBで、最高のAには達しない。なぜなら誰もできないような素晴らしい成果を上げては居ないから。私のほかに誰もできないやらないVBAを組むとかそういう作業に従事していても。
ここまででも相当嫌気がさしていたんだが、ちょっとトドメがきた。
私は完全に文系ど真ん中の学部卒だが、大学は結構いいとこ出ている。早慶上智とかそこらへん。
そして私より前に私と同大卒で入社した人は(少なくとも当時在籍中の人では)いなかったらしく、私が初の「あの大学卒」みたいな扱いになった。ついでに「あの大学卒なんだからお嬢さまなんだろう」みたいなアレな扱いにもなった。庶民やけどな。庶民どころか、山と田んぼの地から出てきた田舎の山猿やけどな。
でもお嬢扱いっていろいろラクなんだよな。これまでもあったんだそういうこと。頭良くてお嬢って前提だと、本を読みまくっててかわいげがあんまなくてちょいと一般常識が怪しいところがあるってくらいだとプチ変人扱いでスルーされるみたいなのあるじゃん。それに甘んじちゃったんだよな。他に就職先のアテもなかったし。
思えばこれがいけなかったんだよな。
そんで私の後に2人、同じ大学卒の女性が1〜2年おきくらいに入ってきている。
その3人をまとめて「シスターズ」「三姉妹」と呼んでイジるような空気が、最近いつのまにか醸造されていた。
これがもう、なんか、思ったよりダメだった。
私はリアルに三人姉妹の長女なので、同大卒の後輩とはいえ在学中に接点なかったレベルの他人とまとめられて三姉妹の長女と呼ばれることの違和感が半端無い。脳が一瞬バグる。「あれこのひとなんで仕事中に私のプライベートに言及して軽口叩いてるの??」みたいにどうしてもなる。
あと私の仕事ははっきり言って大学まったく関係ない。学部卒レベルだし、習ったことマジで1ミリも使ってない。
なのになんか学歴がへんなアイデンティティみたいになってる。いつのまにか。
わたしの仕事場で、わたしの仕事っぷりよりも、卒大が筆頭にきて幅きかせてる。いつのまにか。
だけど、これもうダメだよね。職場風土だもん。抗えない。抗い方がわからない。みんな親しみの表現としてやってんだもん。特におじさん幹部級に完全に馴染んでるのこのいじり方が。無理やろこれ。今から反抗無理ゲーやろ。ただでさえコミュ障気味なのに。
あー、しくった。気持ち悪い。もう仕事の何もかもが気持ち悪くてたまらない。
つらい。なんかこう、消しゴム食わされてるような気持ち悪さがずっと想起されててしんどい。消しゴム食ったことないのに。カロリーメイトがなんか消しゴムっぽい味しそうで食えない。他に食いもんないのに。
仕事がつらい。
追記:
悪意や妬み嫉み的なイジりではないしそれよりはずっとマシなのは重々承知しています。
ただ、「シスターズ」の下二人は同部署にいますが、彼女らと私とはフロアも違うような別部署であること、私のとこは完全に私の一人親方状態であり後輩指導的な接点は誰ともないことなどを考えると、私が彼女らと和気あいあいしてるのを観賞して癒されてる人はいないと思います。彼女ら2人が和気あいあいして癒されてる人はいるかもしれない。
あと忘年会は普通に会費取られます。飲めないけど飲み放題で5千円。飲めないのに…というのはあるけど金取ってくれるのはむしろなんかホッとします。オゴリでシスターズフルセットで誘われたときはキツかった。二十代の後輩と並んで三十超えてシラフで場の華扱い(小規模なお誘いで他に女子なし)はコミュ障気味で化粧も下手なわたくしには荷が重かったです。
あとはアレだ。シスターズくらいならともかく、この後輩たちに言及するときに皆さんナチュラルに「妹たち」言うてくるのが一番ダメなんだと気づいた。
えっ私の妹はひとりは結婚して他県で暮らしてるしもうひとりはいろいろあって実家で家事手伝いしつつ療養中ですが???
ってなってしまう。むり。