はてなキーワード: 根暗とは
ネットばっか見てる人なら少なからず「自分って発ッ達なンじゃねェーの?」と一度は思った事があるのではないかと思う。
自分も大分前からそうだった。あまりにお粗末な集中力とダラけようはなんらかの障害なのか、あるいはシンプルに怠け者なのか。障害ならなんらかの対応が必要だし、怠惰なら特別な薬などないから根性でどうにかするしかないと、今思えばゼロ百的な悩みを抱えていた。
そこの所のはっきりとした線引きをメンクリで与えて欲しかったのだが、初診で受け付けてもらえるのか分からんし、どこもgoogleレビューは最悪だし、何かと理由をつけて病院には行かずにいた。発達障害の存在と、それがどうやら身近なものであるという事を知らなければ余計な迷いは生まれなかったものを……
大学で色々あって(平たく言えば留年した)相談室に行く運びとなり、その流れでキチガイ判定試験を受けた。診断狙いで敢えて「かまして」やろうかとも思ったが、模試でカンニングするようなものだし本質的な解決にはならないので真面目に受けた。
結果は詳しく思い出せないが、ナントカ傾向だのナントカ状態だの歯切れの悪い答えだった。いわゆるIQも出て、トータルで言えばまともらしいが、一点だけボコッと低い能力があった。そういった場合に得てして発ッ達認定がもらえるらしい。(詳しく知りたい人はWAIS-Ⅲで調べればいくらでもネットに情報が転がってます)自分が欲しかったのはネットでよく聞くアスペだのADHDだのとハッキリとした病名か、あるいは異常ナシ。まともですというバシッとした答えだったのだが、まともなのかまともじゃないのかという二元論的な悩みが余計複雑化しただけだった。
取り敢えず検査の結果と相談室の紹介状を握りしめて大学で聞いたメンクリの予約を取った。googleレビューは例に漏れず低かった。
初診では大学の相談室で聞かれたのと同じような事を一から説明し直し、その後数回に渡りまた別の検査を受けた。質問内容がド直球に「忘れものをよくするか」のような項目ばかりの検査もあったが、ここも一応正直に答えた。複数受けた検査の結果は何れも回答内容から考えて極めて意外性のないものだった。発達気味。根暗。抑圧的。内向的な分嫌ほど自覚している。採血もあったが至って健康ですの一言だった。何が悪ければどう精神に影響するのかすら分からない。聞けば教えてくれたんだろうけど。
あとウォッチメンで有名なロールシャッハテストも受けた。ハナからオカルトじみてるなと思い期待はしないものの、モノとして知っていたので興味はあった。が、何にも見えないシミを「強いて言えば何に見えるか?」と執拗に聞かれ、やっと終わったと思えば今度はなぜそう見えたか聞かれ、いや直感的に……と言っても「具体的にどの辺りがどう見えた?」と詰められるのは苦行だった。
これら検査山盛りセットは良い金ヅルに過ぎなかったのではないかと未だに思っているが、ともあれ結果を踏まえ、念願の薬を出すかという話に辿り着いた。無論同意。最初に相談室へ行ってから半年ほどかかった気がする。
薬を飲み始まる前には既に半期の成績が出て、今までに比べたら遥かに前進していた。以前の終わった生活を引きずりつつも、基本的に授業を真面目に受ける。ルーズリーフはどうせ失くすのでPCでノートを取る。レジュメは曜日、授業ごとにファイルを作りPCで管理。といった当たり前を真面目にやるのは案外継続できた。それでも単位をポロポロ落としてはいたが、その後薬を飲み始めてからは2学期連続でフル単だった。
まともに大学へ通う事に慣れ、授業を受けるリズムが出来ていたからなのか、あるいは薬が効いていたからなのかははっきり言って分からない。授業を受けるというある種受動的な場面以外に、能動的な作業をしようと思うと相も変わらず中々集中は続かず気力も低い気がする。目下重要な就活についてもだ。
待ちわびた薬を飲みながらしばらく過ごしてみて、少なくとも自分にとっての一つの答えが得られた。性格と障害などはっきりと線引きできるものではない。その境界にこだわるよりも、何を為すか、自分には何ができるかを模索するのが重要なのだ。具体的なものは何も指し示してくれないが、しかしきわめて当たり前かつ重要な答えだと思う。(大変失礼ながら、明言はしないがハッキリ障害と言える程度のものもあるとは思うが……)
もちろん、診断を受けて薬を飲んだら生活が劇的に改善されたという人もいるのだと思う。コンサータを飲んだらバキバキになって人生変わりました、みたいな話はネットにいくらでも転がっているだろう。真偽は知らんが。しかしそれにしても、この性格と障害が曖昧であるという意識は重要なのではないかと思う。これに気付けなければ、発達障害かは微妙だけど実は鬱かもしれない、自律神経失調症かもしれない、HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……といくらでも別の可能性にすがってしまうのかもしれない。
まあマジで無理だと思ったら変に迷わずさっさと病院予約した方が良いと思いますね。別にもし何かしら診断が下ったとして、その瞬間に「健常者」から「障害者」へ身体が変化する訳じゃないんだから。
AERAの「発達障害を職場の戦力にする」特集に対する批判への反論として、
高学歴に発達障害が多いし裁判官は司法修習時代の成績で法務省にスカウトされてなると司法・行政の発達障害者率ってめちゃくちゃ高いんじゃないかと思うという
…という反論があったが
今時の裁判官に求められるのは何の引っ掛かりもなくエリートコースを歩んだ若くて高学歴な陽キャだけ、それと陽キャになるには容姿がよくて自信がある事が前提条件だから
顔も良くなきゃ駄目
一般的なイメージに反して根暗なガリ勉は裁判官への任官からは排除される
大昔は違ったのかもしれないけれど、今は発達障害者は裁判官には採用されないよ
他の公務員だって同じだよ、今時は住民との対応をそつなくこなせなくちゃならないから、
仮にペーパーテストの成績がどんなに良くても顔が良くて陽キャでパリピじゃないと採用されない
発達障害者は基本的に裁判官にもその他の公務員にもなれないし、仮になれるとしたらASDとは併存していないADHD単体で多動型とか積極奇異型の人だけだと思う
ここ数日かなり凹んでしまった。
他人の幸せを素直に祝えない自分、合わないと思ってしまった人相手にうまく笑えなかった自分、我慢しきれず文句を言ってしまい案の定相手に嫌な思いをさせてしまった自分。上記は全部別の人相手なのでタイミングがたまたま重なっただけだけれど、ここまで続くと完全に自分に問題があるよなと思わざるを得ない。実際そうなのだろうし。
私は自己開示が苦手だ。せっかく自分のために時間を割いてくれてるのだから悩みだの愚痴だのを零すのは以ての外。基本的に接する相手には楽しんでもらいたいし嫌な思いをさせたくない。(相手から相談されたら一生懸命考えるし愚痴を零されたら絶対慰めるけれど、残念ながらそこまで自分を信頼してくれる人はいない。)
加えて元々2ちゃんねるをずっと見てるような根暗人間で、2人組くんで〜の時は絶対余るしお昼に一緒にお弁当を食べる相手もいなくて、そこから色々あって結構明るくなれたもんだからやっと手に入れた"理想の自分"を手放したくない。周りの人からもいつも楽しそうで羨ましい、話しやすいと言われるくらいには変われたから。
ただそれを徹底できればいいのに、根底からは明るくなれないから結局破綻してしまう。
自分は価値のないゴミクズ人間だから相手に尽くさなければならないという思い込み、そこからの相手の反応のギャップ。例えばだけれど自分はデートのために予定を聞いて店を調べて予約もして1日の計画も立てるけれど、相手はうん!くらいしか返信を返さないとか。理由を聞かされず約束を先延ばしにされて心配のLINEしたら実は結婚してて、ただ自分はそもそも付き合ってたことすら知らなくてそれを人伝てに聞くとか。
でそれが歪な形で吹き出してしまう。キレたりはしないけれどやんわり伝えようとして失敗する。
相手にとっては最悪だ。コイツ突然何言ってんだ?になるし実際そうやってSNSで愚痴ってるのも見てしまった。本当はめちゃくちゃ優しい人なのに。
そしてみんな自分のような人間と親しくしてくれるような人達ばかりなので、恋人とか配偶者とか親友とか家族とかに慰めてもらえる。当然私は全て持ち合わせていないので、どんどん相手に尽くそうとして失敗する。距離感を測れていないので良かれと思ってやったことが相手にとってただの重荷になったりする。
基本的に何かを誘うのも提案するのも全部自分からだ。誰かから誘われたことも必要とされたこともない。恋人家族友人問わず。
試しにある友人に自分から連絡を取らないでみたらあっという間に1年が経過した。相手からしたら縁が切れても気づかないかそこまでして繋がっていたい相手じゃなかったのか、もしくはせいせいしてるか。
こんな文章を書いている人間がそんな訳ないと思われるかもしれないけれど、明るく振る舞うし相手に話を振ってちゃんと話を聞くし、自分の失敗談とか駄目人間話で盛り上げるから第一印象は悪くない。そんなに深く付き合ってない人からしたら色々誘ってくれるし面白い話をしてくれる知り合いって感じだと思う(本性を出すまでは)。
唯一救いなのは絶対家族を持ってはダメなタイプだとわかってるので結婚は望んでないことか。こんな配偶者・親なんて最悪だ。
何が言いたいのかわかんなくなってきたけれどとりあえずそろそろ知り合い全員から縁を切られそうです。自業自得とはいえ悲しい。
身体も小さく(小学校6年間ずっと学年で一番低身長だった)スポーツも全くできずコミュ障で陰キャをやってた俺からすると、人生の序盤で上手くやってたのにそこまで転落してしまうというのが想像しがたい…。
妙に気分が落ち込んだ状態で書いているので、半分嘘くらいの感覚で読んでくれると嬉しい
30歳になって少し経った。Twitterで同年代の結婚出産報告を見かけることが増えた。特に絡みはないので「へぇ、そうなんだ」と思って終わりなんだけど、ふと自分はこの先どうなるんだろうと考えてみる時もある。
特に何も思いつかなかった。
強いて言うなら、親が動けなくなったら介護しなきゃいけないんだろうな~という程度。双方60過ぎで今は元気だけど、さすがに前と比べれば老いた印象を受けるし、本人たちから体調に関する愚痴を聞くようになった。あと10年は大丈夫かもしれないがその先は微妙だなぁ、という感じ。施設に入るとか言っていたがどのくらい本気かは分からない。
でまぁそれはともかく、それ以外に何もなかった。親を看取って、家とか家財とかお金とか墓とかをどうにかした後のことがさっぱり思いつかない。
結婚するつもりはない。こんな根暗ブスを好いてくれる人がいるとは思えない。いたとしても私が受け入れられない。根暗ブスを気に入る時点で人を見る目がないに決まっている。もしくは気の迷いだ。もっといい人がいるからその人と共に頑張ってほしい。
それでも一応、親孝行のつもりで1年くらい結婚相談所に登録したけれど、送られてきたメッセージを読んだだけだった。どうしたらいいか分からなかった。返事をして期待を持たせるのも失礼だし、かといって断るのも失礼な気がする。会ったこともないゴミクズに断られて凹んだり悩んだりする時間がもったいない。恐らく何通も送っているだろうから有象無象の中に埋もれて忘れていてほしいと願いつつ退会した。私が自腹でそこそこ払ってこの結果だったからか、親からは「結婚しないのか」とは言われなくなった。もしかしたら来年あたりにはまた言われるかもしれないが。
似たような理由で子供を産むつもりもない。自分が母親だと思うだけで子供がかわいそうになる。責任感もなければ甲斐性もなく根性もない。ついでに言えば視力も聴力も低い。頭も悪い。親は孫の顔が見たいのかもしれないし、それが親孝行になるなら見せたい気持ちも1mmくらいは存在するが、自分の欲求のために他人の命を左右する気持ち悪さの方が勝る。孫(子)は顔を見せて終わりじゃない。その後何年何十年にも渡ってたくさんの困難を乗り越えなきゃいけない。それをすべて投げ出さずにやり遂げられると思えるほど私は私を信用していない。こうやって愚痴を書き連ねて防衛線を張って行動しない理由を探してばかりいるクズが他人と共同生活を営んで、あまつさえ子供を産み育てる? 無理に決まっている。
というわけで、親を看取ってから自分が死ぬまでの人生が空白で、その空白が億劫だと感じている。幸いにも今は定職があって給料もそれなりにもらえているが、それだっていつまで続くか分からない。
とりあえず孤独死してドロドロになって親戚に迷惑をかけることだけは避けたいと思っている。しかしそれまでの空白をどう過ごせばいいんだろう?
アマチュア団体と言っても、学生時代のサークル活動の派生で誘ったり誘われたりみたいなのが主なのだが、最近なんとなく気が向かず参加していないことが多くて、その理由をよく考えたら自分のありとあらゆる問題が詰まってる気がするので勝手に反省する
・たった休日の数時間なのに、練習日程等で先の予定を長期的に縛られるのをプレッシャーに感じてしまう性格上の欠陥
・そもそも参加したところで、コミュ障すぎて親しく喋れる人も少ないし、とか言い訳するコミュニケーション上の怠惰さ
・団体の中心人物たちに比べて演奏技術が劣っている点で自信がなくお荷物になりたくない、とか言ってるがその実は必要とされたい気持ちが異常に強いだけというきもいプライド
・とか色々言ってチャンスがあっても参加しないくせに、参加した人たちの様子をSNSで見て羨む根暗
結局のところ、心の奥底では「ぜひあなたに参加して欲しい!」「えー仕方ないな」みたいに参加してちやほやされたい(アホか)みたいなきもい誘われ待ち願望があるくせに、それならチャンスがあれば片っ端から参加して人間関係築いていけばいいのにそれもしたくないというきもい自意識
茹だるような暑さにも体が慣れ始めた8月の上旬、入道雲が空に浮かび照りつける太陽が瞳を焦がす季節に今年もなった。
映える緑を遠くに見ながら、今日も飛行機に揺られ遠方の目的地を目指している。
これだけ技術が進歩した令和の時代でも、飛行機の中は電波が無いことが多く、機能が制限されたスマホを皆手に持ちながら思い思いの時間を過ごしている。
初めはワクワクしながら窓に映る景色を眺めながらまだ見ぬ地に想いを馳せたりしたものだが、遠方の営業先へ向かうために日常的に飛行機に乗っているとそうした感動も当たり前のように薄れていく。
手持ち無沙汰なこの時間を、私はこうして文章を起こしてみたりしながら自分と向き合うために使っている。自らの魂に語りかけるかのように、丁寧に過去の自分を紐解いていく。
過去を見つめ直すことは、夜の飛行機の窓に映る暗闇を眺めることに似ている。
人は皆死に向かって歩みを進めていく。生きとし生けるもの全てに等しく与えられるその瞬間に向かってもうただの一歩も歩けなくなるまで、前に進んでいくしかない。
挫折を味わう度に後ろばかり見て立ち止まっていた10代や20代の頃と比べると、随分と精神も安定し魂も磨き上げられた。
高く大きな壁が眼前に聳えたとうとも時に乗り越え、時に周り道をして、時に壁に穴を開けて壁を越える手段を身につけてきた。
ただどうしたって過去や弱かった自分と向き合う時間は私にとって必要だ。今この瞬間は、未来へ繋がっているのと同時に過去から歩みを進めてきた結果に他ならないからだ。
きっと私という人間の器はその工程を重ねていかなければ大きくならなかったのであろう。
過去のことばかり考えていることを、また内向的な人間であることを、人に笑われたっていい。自分の弱みと向き合った時間が長い分、きっとそいつよりも遥かに自分という人間のことを理解しているはずだから。
根暗だったり、隠キャだったりすることはハンデにはならない。内向的である自分を愛せるようになった方が良い。
クヨクヨ悩んでも仕方がないことは山のようにある。きっとこれから先も失敗したり、自分が嫌になったりすることはたくさんあるだろう。
ただ、後悔だけはしないようにしたい。
数手先の未来を考えることはできなくても、次の一手のことを全力で考えていける人間でありたいと思っている。
そういえば、夜の飛行機から見る窓の景色は何も暗闇ばかりじゃない。着陸する空港に向かって高度を下げ始めたときに眼下に映る、あのキラキラした街々の光は何回見ても最高だ。
俺は昔、キョロ充だった
手助けできそうな人を探しては助けに入り、楽しそうな話題があれば首を突っ込んだ
軽快なトークとコミュ力で知らない人とも楽しく話せるイケてるやつだと思っていた
コミュ障で根暗なキモいオタクとは違う、インターネッツが得意な良いオタクのはずだった
そんな時ネットで"キョロ充"という言葉ができた。数年前くらいか
まさに俺だった
俺は影響されやすく、恥ずかしがりで、プライドだけはあるやつだったので
ゲームに出てくる村人みたいに、目の前に立ってAボタンを押されるまで俺は話さなくなった
それから周りのやつらが全員キョロ充に見えた、何にでも首を突っ込んで
なんなら全く見ず知らずの他人にすら声をかけて道を訪ねたりする
全くおかしなやつら
そして時が経ち、大人になって久しく、職場でキョロ充に出会った
顔がイケててスタイルも良く感情豊かだったから初めは気づかなかった
話に聞き耳を立てて、隙あらば会話に首を突っ込む
元キョロ充として、あーあ、やっちゃってるなという気分
みんなを巻き込んで一緒に解決しようじゃねえんだわ
キラキラした理想を語るな、だから距離をおかれてそっけない態度を取られているんだ
答えは一つ"キョロ充をやめろ"
俺はお前の味方じゃない
おこがましいとは思いつつ、この相談を受けて、アドバイスして、上手くいったら
きっとあいつは俺に相当感謝するだろう、キョロ充は恩着せがましい代わりに恩にはうるさいからな
命の恩人みたいに一生ことあるごとに感謝するだろう、あの時は助かったって
人の目をしっかり見て話し
あー嫌い嫌い、俺が成れなかったあこがれの姿を見ているみたいでムカムカするぜ
仕事もしていないしやりたい事も行きたいところも特にないから、ここ最近昼夜逆転が激しい。朝の6時ごろに寝て夕方近くになってようやく起きるといった、ダメダメな生活を送っている。こうなってしまったのは、最近の話ではない。
もともと子供の頃から寝つきが極端に悪かった私は、お泊まり会などでも友達が寝てしまったあと静けさの中ずっと知らない天井を眺めるタイプだった。修学旅行でも同室の者が全員寝静まってなお1時間ほどは目がぱっちりと冴えてしまい大変困った。そして、本当に朝に弱い。大学に入って下宿で暮らすようになってから、ますますこの傾向に拍車がかかった。夜更かししても講義に遅刻しても滅多なことでは怒られないから、調子に乗って夜アニメを見たりネトフリを見まくったりゲームをしたりということをするようになった。しかしいくら怒られないとはいえ、こういうことをしていると社会生活がままならなくなるし、人間的にどうなのかという気にもなってくる。どっちにしても、アルバイトは遅刻すると怒られる。あまり金のある方ではない私にとってこれは致命的だった。メンタルクリニックに通い出したのも、昼夜の逆転を治して社会生活を円滑に行いたいという狙いがあった。元来かなり根暗で鬱傾向なので、そこもどうにかならないかと思っていた。
ここまではまだ普通のことだ。問題は、睡眠薬で遊ぶようになってしまったことだ。処方されてから半年くらい経ったある日の夜、いつものようにマイスリーを飲んで布団に潜るも、なかなか眠くならない。しまったコーヒーを遅くに飲んだからかと思っていると、眠くならないどころか、目の裏側で不思議なイメージが踊り出した。その時はっきり覚えているのは、「友達が夜店でトンカツを買っているシーン」が唐突に脳内に浮かび上がってきたことだ。そして、そういった類の全く脈絡のない思考が始まり、閉眼幻覚を見、関係のない幻聴も聞こえ始めて大いに困惑した。気持ち悪くなってきたので便所でゲボを吐くと、興奮していた脳が若干落ち着いたのかその後はすんなり寝ることができた。
次の日、前日の異様な状態を再現したくて、マイスリーを飲んだあと眠ろうとせずにずっとイヤホンで音楽を聴きながらスマホを触っていた。しばらくすると、スマホの文字が踊り出し、音楽がやたら面白く聞こえるようになった。変換サジェストが、電車に見えた。ニヤニヤ笑いが収まらなくなり、光とかがやたら面白くて、子供の頃に戻ったような感じがした。この精神状態を記録しておかねばならないと思い、急いでメモ帳を開き、思いのままに筆を走らせた。その時のタイトルは、「グリーンうんちボール」だった。それから2年ほど、マイスリーを飲んで静かに狂う状態を楽しんだ。ラインのボイスメッセージで突然友人に歌を送った事もあるし、気持ち悪くなって床に大ゲボ吐いた事もある。散歩して、物陰が人に見えてやたら怖かった事もあるし、ハイになった勢いで作った曲がいくつもある。友達とも何度かやった。散歩して茂みの中で相撲をとったり、セブンで紅茶を買ってティーパーティーをやった。全裸になって「じゃがたら」のでも・デモ・DEMOに合わせて踊った。ハイの状態の健忘遊びをずっと楽しんでいた。
しかし、困ったことに今年に入ってからマイスリーがめっきり効かなくなってきた。遊びすぎた代償だと思う。それで、甲類焼酎で飲むようになった。言うまでもなく、こういった薬を酒で飲むのは危険だ。死なないにしても、体には当然ダメージがいく。そして、ハイになろうがなるまいが健忘は今までよりひどくなった。脳に来てるんだな、と思う。そして、効かなくて眠れないから、生来の鬱も悪化している。友人と喋るのもままならないレベルまで、元気がなくなっていた。
そして、昨日酒でマイスリーを飲んだあと、自○未遂をしたらしい。らしいというのは、その時のことを覚えていないということだ。8冊目にもなるメモ帳には何も書いていなかったが、昼過ぎに用事があったので起きてTシャツを脱ぐと左の腹部に明らかに人間がつけた切り傷が3本入っていた。これは自○とは関係なく、リストカットのようなものだと思う。ただ、驚いた。こんなことしたのか、と、自分が怖くなった。そして、ロフトベッドの横の骨に、ロープがかけられていた。高さ的には、吊ってもギリギリ死なない程度のものだが、明らかに首を吊ろうとした形で結ばれている。そして、体調が異様に悪かった。本当に、一度吊ったんだと思う。そして、ダメだったので寝た、という感じだろう。わざわざこんなことを匿名ダイアリーに書いたのは、眠剤遊びは危ないぞという啓発が目的ではなく、傷を見せびらかしたいわけでもない。ただ、誰にもこんなことは言えないし、自分の中で一回文章にして整理しないとまた同じことを繰り返しかねないからである。心配される、ということももちろん考えるが、ドン引きされることも怖い。眠剤飲んで自○未遂なんて全員がすることではないし間抜け極まりないから、気持ちをわかってもらえるとも思えない。とりあえず、今日は無理に眠剤で寝ようとせず、眠くなったタイミングで寝るようにしようと思う。いやはや、ロープを見た時は本当に死ぬかと思った。