はてなキーワード: 手書きとは
「君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?
戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?
これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?
「もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこ」だって物語の大筋自体は冒険譚だからね?
その冒険譚の中で自然と人間の対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?
「ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画のストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?
人伝に聞いた高尚な見方を意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?
たしかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?
なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?
鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿の遺言探しでもやってたんか?
そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。
※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコはジブリのアニメーター」「インコ大王は例の映画の監督」「ばあやは宮崎駿の師匠世代のアニメーター」「鳥は鈴木」
残るはイーシンチュウただ一つ。
鳥山明先生が亡くなったニュースは、あっという間に世界を駆け巡った。
世界はその偉大な業績を称え、そして悲しんだ。
「7つのボールを集めることができれば、我々の願いは叶えることができる。」
ドラゴンボールは本当に存在するのか。誰もが当然に考える疑問だ。
ところが彼が亡くなった数日後、とある出来事をきかっけに事態は急転する。
誰一人立ち入ることが許されなかった鳥山明の自室から、星が描かれた3つのドラゴンボールと漫画に登場したものと全く同じ形のレーダーを彼の長男が見つけたのだ。
父らしいと思いながら読んでみると、そこに書かれていたのは誰にとっても驚きの内容だった。
なぜなら、そこに書かれていたのは、彼が漫画家として成功できた本当の理由だったからだ。
いつものように学校からの帰りを急いでいると、道端にぐったりと座り込んでいる一人の老人がいた。
彼は、今にも息絶えそうな様子で鳥山明に語りかけた。
ここに探知機が一つある。とある最新製品の試作品なので見慣れないのは仕方ない。
この探知機に従って山に入っていくと一つの水晶玉が転がっているはずだ。
それをワシのもとまで届けにきてほしい。お礼は弾む。」
鳥山少年は一切疑うことのないような澄んだ瞳で言う事を聞いた。
そして老人には険しくとも、少年にしてみれば何でもないような山道をサクサクと登り、岩肌の隙間に挟まっている水晶玉を見つけた。
どこかから強く投げ込まれたようにめり込んでいたが、少年が手を伸ばすとまるでそれに返事をするようにゆっくりと光って地面に落ちた。
少年の手に握られている水晶玉を見て、老人は表情を激変させた。
先程までの息絶えそうな呼吸は激しくなり、目玉が飛び出しそうなくらいに開かれていた。
お礼を期待する鳥山少年から何も言わずに水晶玉を奪い取ると、彼は懐からさらに6つの水晶玉を出して眼の前に並べ始めた。
お礼を貰えなかったことに不貞腐れていたものの、少年の好奇心はすぐに老人の異様な姿に奪われた。
老人は興奮した様子で水晶玉を並べなが、「ついにやったぞ」「いよいよだ」といった言葉を繰り返している。
「いでよシェンロン!」
老人が突然叫ぶと、辺りは一瞬で昼のように明るくなった。
少年は急いで目を塞ぐ。
老人の声が聞こえないことが気になり、やっとの思いで薄く目を開いてみると、大きく口を開けて目をかっぴらいたままの老人が見えた。
老人の目線の先を追うと、そこに見えたのはこちらを見下ろすように中に浮かぶ大きな龍だった。
それに驚き老人を再び目を向けるが、老人は一点を見つめたまま動こうともしなかった。
気がつくと、周囲は夜よりも暗い闇と静寂に包まれていた。
老人が何も言えないでいると、目の前の龍は頭に直接語りかけてくるような声で「さあ願いを言え」と一言だけ言った。
その声が聞こえたと同時に老人の呼吸が荒くなり、何かを喋ろうにも喉が詰まって喋れないような、そんな様子で悶え始めた。
そうかと思っていると、老人は急に立ち上がり、大きく一つ息を吸ったかと思うと吐き出すことなくそのまま倒れ込んでしまった。
目は大きく見開かれたまま、ピクリとも動く様子はない。
突然のいろいろな出来事におどろいて動けないままでいる少年の頭に、さらに声が鳴り響いた。
「そちらの人間は願いが言えなくなってしまった。お前で良い。さあ願いを言え。」
少年は事態が飲み込めないまま、まるで夢でも見ているような気持ちでそこに立っていた。
亡くなった鳥山明の部屋から3つのドラゴンボールとレーダーが見つかった半年後には捜索チームが組まれていた。
添えられた手紙には、彼がドラゴンボールに出会った経緯についての漫画と、そうしてレーダーを利用して秘密裏にドラゴンボールを再度集め始めていたことに関する内容だった。
漫画が終わると、その後には自分がいつ死んでもいいように、その時はこれらのドラゴンボールは長男に託すと手書きの文字が書かれていた。いわば遺言状である。
彼が再び何を願いたいのかまでは書かれていなかったが、「これを見つけたということは俺はもうこの世にはいないということだ。それは残念なことだが大丈夫。俺はお前を信じている。」とだけ書かれていた。
生前に返しきれないほどの恩を受けたであろう彼の信頼できる弟子や、同じ時代にしのぎを削りあった漫画家や編集者たち5人が集まった。もちろんトリシマもいる。
はじめのうちはレーダーが一つしかないために捜索の効率はとても悪く、誰にも悟られないように慎重に進めていることもあって全く見つけることができなかった。
レーダーの範囲より外の反応はレーダーの端に表示されるだけなので、水平方向に移動した時に見られるわずかな収差をヒントに距離を予測して地点を絞り込んでいった。
飛行場が近くにないような場所はヘリコプターを使ったりもしたが、そうした交通手段が揃っている場所であることのほうが稀で、迂闊に他人を巻き込めないという状況も手伝っていたずらに時間ばかりが過ぎていった。
それでも地道に場所を絞り込み、一つは5,000m級の山の上、一つは1,500mの海底、一つはアマゾン奥地の原住民族に神と崇められている祭壇から、3つのドラゴンボールを集めることができた。
残りの一つは、日本とは国交のない、しかも今現在戦時下真っ只中の高い壁に分断された自治区の範囲に絞られた。
鳥山家長男は、難民支援を目的とした多額の資金を手に、そのために作った慈善団体の代表として同行することでやっとの思いで入国を許されることができた。
そのために使った金額は、実に鳥山氏が生涯稼いだ財産の半分以上に至り、彼の行動の一つ一つが世界中で報道されてしまうことで、余計な注目を集めることになった。
どこにいてもマスコミの目から逃れられない状況は足かせでしかなかったが、支援活動の間を縫ってはレーダーを確認し、やっとのことで場所を絞り込むことができた。
マスコミの目を盗み、現地のコーディネーターの反対をのらりくらりとかわしながら瓦礫の山を登る。
ドラゴンボールの位置を示すレーダーの点が中心に移動し、今まさに自分の足元に埋まっていることを指し示す。
しかし、どうやって掘り起こせば良いのか、途方に暮れながらひとまず座り込むことにした。
いたずらに瓦礫をめくってみると、それはまるで当たり前にそこにあるかのように淡く光を湛えて転がっていた。
それこそが紛れもないイーシンチュウだった。
とうとう最後の一つ、イーシンチュウを手に入れた彼は、支援活動も放り投げて早々に日本行きの便に飛び乗った。
残りのドラゴンボールを持ち歩くことで万が一のことがあってはいけないし、過酷な環境下で願いを叶えること自体が危険だと考えていた。
他のメンバーにしてみれば、彼が日本への帰国を急ぐこと自体がイーシンチュウ発見の合図である。
彼が日本に着く頃には、全てのメンバーが鳥山邸に集合していた。
すぐにでも願いを叶えたい気持ちを抑えて、皆で願いを叶えるための準備を進める。
ここまで一緒に戦い抜いてきた仲間である。誰の言葉で願いが叶っても良いのだ。
焦って願いが失敗してしまうことのないように、この日メンバー全員で何度も願いの言葉を練習した。
翌朝、目が覚めると外が騒がしかった。
その中心に横たわっていたのは、一部が焼け焦げてはいるがトリシマだと分かった。傍に黒く焦げたアタッシュケースが転がっていた。
メンバーたちは動揺を隠せないでいるが、リーダーである長男だけは落ち着いていた。
誰かが裏切り皆を出し抜こうとしたときだけに発動する罠が仕掛けられていたのだ。
鳥山明氏の遺言状とも言える漫画の一部、シェンロンを呼び出すシーンに手が加えられていたのだ。
正しい呪文は「いでよシェンロン!」であるが、漫画には「ででこいシェンロン!」に書き換えてあった。
そしてその呪文に連動するように、ドラゴンボールを格納しているアタッシュケースには細工がしてあった。
メンバーには直前に正しい呪文を教えるつもりだった。つまり、誰かが出し抜こうとして間違った呪文を唱えれば途端にアタッシュケースが爆発し、たとえそれでシェンロンが現れてしまったとしても、爆発によって願いを叶えることはできなくなるという仕掛けだった。
もちろん、位置情報によってこの建物を離れようとしてもアタッシュケースは爆発するようになっていた。
そのことは他のメンバーには伝えていなかった。
ざわつくメンバーを尻目に、リーダーである長男はレーダーを元にそこら辺に飛び散ったドラゴンボールを拾い集める。
流石のドラゴンボールだ。傷ひとつどころか、汚れさえも全くついていなかった。
動揺するメンバーに事情を説明して、この事故が自業自得であることを理解してもらう。
メンバー達は安心したような、それでいて何かに怯えるような表情をしている。怒りの表情を浮かべるものもいるがもう知ったことではない。
そんな状況を仕切り直すように「さあはじめようか」と、長男は一言だけ言った。皆は無言で頷く以外になかった。
いよいよだ。
「いでよシェンロン!」
途端に視界が光に奪われる。まだ朝だというのに、真夜中に突然目の前でナイター照明を焚かれたかのような明るさだった。
少しずつ目を開けて見上げてみると、まさに生前に父が漫画で描いたかのようなシェンロンがこちらを見下ろしていた。
「さあ願いを言え」
これも父が漫画に描いたシーンのように、直接頭に響くような声だった。
漫画で見ていた分、少しは冷静でいられたために周りを見回す余裕もあった。
周囲はすでに夜よりも暗い闇に包まれている。
どうやらこの周辺以外の時間が止まっているらしく、ここにいるメンバーたち以外に何かが動いているような様子や音は感じられなかった。
それならば騒ぎになることはない。焦る必要はないのだ。
メンバー達と目配りをする。
「どうした。さあ早く願いを言え。」
その声が皆の頭に響いたのを合図に、メンバー達は同時に願い叫んだ。
ここまできて裏切りがあったのであれば、それはもう仕方ない。
また探せばいいのだ。残ったメンバーの数だけ、探し続ければいいだけのことなのだ。
そんなことを考えながら願い事を言い切ると、「たやすいことだ」という一言が頭に響いた。
周囲が光に包まれると同時に目を閉じる。
そして眩しさが去ると、辺りに喧騒が蘇ってきた。
恐る恐る目を開けてみる。メンバー全員が不思議そうに顔をみあわせる。
それぞれの表情を見比べると同時に、自分たちの願いが叶ったことを理解した。
そう。皆の頭には、今まさに脱ぎたてのようなほかほかな暖かさに包まれた小さなリボン付きの純白なパンティーが、それぞれかぶらせられていた。
偉大なる巨匠であり我が父よ。あなたの願いはこれで間違いないだろうか。
皆で何度も相談した結果、どう考えてもこの結論にしか至らなかった。
AIを使っていると、反AIに誹謗中傷や嫌がらせを受けている個人や企業をよく目にするようになった。
やれ「無断学習」やら「泥棒」やらAI利用者について好き放題言っているけれど、
絵師さんたちって自分たちはその「無断学習」や「泥棒」してるって自覚ないんだよね。
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絵師さんも他の人が発表した作品を模写して自分もそれが再現できるように訓練したりしてるし、
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こういう話すると、手書きの無断学習はAIの無断学習と違うって言い始めるんだけど、
現在の法律では公開されてる他者の著作物を学習するのは手書きもAIも自由にやっていい。
これによって、絵師さんたち自身はものすごく恩恵を受けてきたんだよ。
反AIは「無断学習やめろ」って叫ぶけど、そもそも学習に許可なんかいらないんだよ。
それに絵師さんはさんざん他人の著作物を無断学習して無断利用してきたでしょ。
絵師さんは無断学習してよくって、AIは無断学習やめろって叫んでるの、流石に無理筋でしょ。
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それに反AIは自分たちが何を言ってるか分かってないみたいだけど、
「無断学習」を禁止したときには、絵師たちも無断学習できなくなるけど大丈夫?
絵師たちは他人の著作物から学習するのに許可なんか取ってないし、
同人誌作って著作権侵害したコンテンツに利益を還元したりなんか、一度でもしたか?
「いつもこのスーパーで買い物してるからたまには万引きしてもいいよね」みたいな話じゃないんだよ。
絵師さんは昔からゲームや漫画のキャラクターを脱がした絵で金儲けしてたし、
他人の著作物を勝手に改変して同人誌つくって金儲けしてたよね。
自分たちが学習したりし利用してきた著作物に利益を還元する覚悟、ある?
本当にある?本当に?本当に?
絵師さんは、合法AIにお気持ちいちゃもんで盗人盗人言う前に、
自分たちが盗人側だってことについて、もっと自覚してくれないか。
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「ぼっちざろっく」の主人公のおもらしイラストをFANBOXで公開して金儲けしてたし、
冠婚葬祭以外でスーツもろくに着たことのない人間が、まともな職業に転職することは可能ですか?
アニメ「陰の実力者になりたくて」を観ている
シャドウはなぜ強いんだろう?
それよりも敵はなぜ弱いんだろう?
まあいいや
なろうのWeb版をチラ見したんだけどアニメでは大幅に手が入っているのか順番というか構成が違うような気がする。チラ見だから実際のところはわからないけど。書籍版に則っているのだろうか?
OPを歌うのがOxTだから頭の中にオーバーロードがよぎる。あれほどの異世界アニメ代表作となるのだろうか?なんとなくそんな気がしない。深みがない、と言うと安直な映像化に反対する厄介な原作信者みたいだ
付き合ってくださいと言って男女が付き合う世界があるんだ。「付き合う」という概念がこの世界にもあるんですか?交際の歴史について学びたいと思った
魔法の存在があるのに汽車が走っているような19世紀ヨーロッパっぽい雰囲気がそぐわなく思える、魔法があればそうならないんじゃないかと思ってしまう。なんで車両内が山手線みたいな見た目なのだろう?まるでコンピュータテクノロジーの発展した世の中なのに紙の書類に手書きにハンコ文化が生き残っているそんな不和を感じる
出てくる人物がどれも特徴的だ、いや、特徴的過ぎる気がする。普通なのがいないのだろうかと思う
アルファがいきなり出てきた(4話中盤)。どっかいったんじゃないのか。じゃあぜんぜんシドは孤立したんじゃないのか。なんだよ
ある新入社員が入ってきた。
俺がある程度面倒をみるんだけど、この子で個人的に気に入ったのはきちんと報告を行う子だったということだ。
最初は「報告きちんとしてくれるから安心だな~」とぐらいに思っていた・・・んだけど、会社に慣れてくるとちょっと度が過ぎるということで周りにも迷惑をかけはじめた。
とにかくなにかにつけて全て報告をあげて指示を仰いでくるのだ。
ざっくりいうと「そんなもん大した話じゃねーからいちいち聞いてくんな、自分でなんとかしろ」と言いたくなるものも全部報告してくる。
例えばティッシュが切れたらそれをいちいち上司に報告をあげる。
「増田さん、3F の303会議室のティッシュが切れてます。どうすればいいですか? ちょうど近くのコンビニでティッシュ安く売ってましたけど」そんな感じだ。
しかも指示を仰いだ挙句、自分のオリジナリティをぶっこんでくるのが厄介なのだ。
下手にきっちり報告しつつ、オリジナリティを入れてくるもんだからこちらも対応せざるをえなくなり、業務がとまったり他の部署に影響がでたりしはじめた。
一度、受付窓口を一か月好きにやらせたら客の問合せに全て対応し、我々に指示を仰ぎ、結果として窓口周りが
・〇〇はこちら
・××はこちら
・△△はこちら
みたいな手書きのポップでとんでもないことになった。コンビニのコーヒーメーカーが指示のシールですごいことになってる写真をみたことあるだろうか。
あんな感じになったのだ。
姑が窓の端を指でさわってほこりがついているのを見せつけてくる・・・
という表現があると思うけど、とにかく「改善点」を探していてそれが見つかったら報告してくる感じだ。そしてその改善案もなんかズレている。
周りから「増田、あいつを止めろ」と言われ俺もちょっとやりすぎだといいたいけれど、「どのラインが報告すべきでどのラインは報告すべきでないか」を明確に文章にできない。
ベースとして報告は欲しいのだけど、それは要らないという線引きを文字化できないのだ。
こういう場合、どうすれば良いのだろう。
みんな、信じられますか?
いま僕40歳で、今年息子が小学生にあがるんですけど、30年以上前に自分が小学校の算数で使った「算数セット」なるものを今も小学校では使ってるみたい。
しかも、こんなちっちゃいものに、全部名前を書くか、お名前シールを貼らなきゃいけない。 ※写真のおはじきにはピンセットで名前シールを貼りました。名前は消しています。
みんな、信じられますは大仰です。ものが小さいがために名前を書かなくてはいけません。
親業をやってきているのであれば、このほかにもこのような作業は当然たくさんあって、
40歳で親業がそこそこになっているのに、それを幾度となく感じずに過ごしてきているわけではないので、
それを思い出して欲しいです。
ちなみに、このおはじきは算数セットのほんの一部で、他にも小さいものがたくさん入ってて、その全てに一個一個名前を記す必要が。
先ほどと同様に親業として行なってきた、
同種の名前書き作業についてのこなしかたの選択を思い出せば良いかと思います。
https://x.com/xusa2023/status/1758005370973454495?s=20
そのほか多くの方がこの問題との自分なりの折り合いについて付けられていて、
それを親業を日々こなされているのであれば、
ネットや日々の親業でつながるネットワークの中でお話を聞いてると思います。
思い出して欲しいです。
名前なんて書かなくてよくね?
どれほど助かることか。
名前を書くことで自身のものが戻ってきた経験を思い出しましょう。
そんな、なくす?
そんな、落とす?
そんな、無くすし、落とします。
親業をされているうちに目にしたことはありませんか。
それを思い出しましょう。
仮に、1つや2つ落としたり無くしたとて、そんな困る?
授業に支障でる?
1つや2つ落としてたり、無くしたりしたとて、
ただし、ここでいう支障を支障と呼称することは
少し待って欲しいものです。
というのも、この落としたり無くしたりという事象が
そういって学校現場ないし学校という世界観は形作られています。
2017年の出生数は94万人ちょい、2018年の出生数は91万人ちょい。なので、今年日本で小学校に上がる子、つまり2017年度生まれの子はおそらく91〜4万人の間。
その保護者が日本中で日々の暮らしだけでも忙しい中、貴重な時間を削り出して、夜な夜なシール貼ったり名前書いてると思うとマジで無駄。愚の骨頂。日本人の生産性が低いって言われてるのそゆとこじゃないの?って思う。
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」という言葉があるように、
発言でデータを持ち出すときは、その奥にある何が言いたいのかという意図に
目を向けなければならないように思います。
効率を重視したいというのであれば、
今までのその日々の暮らしの中で悩んできた中で
それを思い出して欲しいです。
もちろん、同じように考えている人もいるのか、自治体によっては算数セットが学校にあらかじめ置いてあって、貸し出してくれるところもある。ただ、僕が居住している自治体では買わされた。
30年前も同じような状況があったように思います。
どういった事情が背景があり、貸し出すのか否かは個別具体になります。
が、
その地域の貧困率とそれに対する向き合いかたが昔ながらの事情というのであればあります。
現場サイドとして、どう解決していくのかということ中で生み出されたこともあります。
発言者はお住まいの自治体のすべての小学校で買わされることを確認された上での発言のようです。
ここにも、親業として今まで培ってきた情報が生かされていません。
児童の教材についての選定は各学校の実態に応じて、校長の裁量で行われます。
校長が変わり校長が貸し出しが必要であると判断し、校長が判断を起こせば、貸し出しにできるのです。
お住まいの自治体すべての小学校は算数セットは購入となっていることを確認することだったのか、
それとも、校長の現状の判断を変えるように働きかけることだったのか。
「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」
誰に対してどんな知恵をあなたは出し、隣の親や目の前の担任やその他の先生に知恵を出してもらうのを促すのか、
「サンデーモーニング」ではなく、当事者性の高いことなのだから、頑張っていきましょう。
あんま使った記憶も残っていないこの算数セット。日本中で毎年何十万セット買わされている人がいるのか、正確な数字は分からないけど、使われなくなった算数セットはきっと毎年数十万セット捨てられてるんだよね?
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」を繰り返しが行われているように印象付けられます。
意図的に自身が有利になるようにデータの提示をするのはあまり褒められたことではないと思います。
それってかなりのプラゴミの量だし、もう日本中の小学校に必要な数だけ置いといて、レンタルにして欲しいって思うのは自分だけ?
大雑把にプラゴミの量を減らせばいいという発言を無批判に垂れ流すには注意が必要な発言です。
レンタルにして欲しい、どなたからか借りたいという要望はあり、その具体的な解決の方途については返信で行くつも示されている通りです。
ご自身がコスパ、タイパが高いと思われるものに各自の判断で使えばよろしいかと思います。
すごい通知くるなぁと思ってミュートしてたら、ちょびっとバズってましたww
お疲れ様です。
親業として貴重な経験でこのような苦労を親にもかけていて、
その上で自分が今我が子に手間暇をかけてやれると思えて幸せな時間だったと思います。
多すぎて全部は見れてないものの、リプやら引用などをざっと見た感じ、結局算数セットを毎年各家庭に買わせて、名前を書かせることに関して納得できる合理的理由を述べているものは一つもなかったです。
何を持ってご自身が「納得できる合理的理由」と判断されたかを示されていないのでその部分については、なんとも言えませんが、
「納得できる」というところをわざわざ付けておられるところから、首肯しそうになってしまったリプや引用があったのでしょう。
親業って本当にそんなことばかりですよね。そして、通り過ぎると確かにその通りかもなあということ本当に多いです。
親業をやって数年経ち、就学前を終えようとしているステージならば、実感がこもって首肯できることのように思うのですが、
親業における子どもとの関わりって「納得いかない非合理なこと」しかないですよね。
子どもは非合理でしかないですよね。その非合理の最中の中でどうにかこうにか合理的だったり最適化されたりしたものに
日々そんな物心ともに周りとの関わりでどうにかこうにか生かされていることを実感する日々です。
まず、「算数セットをなくすに反対」については、僕は算数セット自体をなくせとは一言も言ってなくて、むしろ肯定派。算数セットが担っていたことをタブレットにしちゃうのも反対。手を使うのって大事だから。なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした。学校に人数分プラス余分に算数セットを揃えておいて、貸し出すのがいいと思っています。
文脈としては、「算数セットをなくす」という思いを持ちながら書いていると読めます。
「手を使うのって大事だ」は返信等を読んだ上で、先ほど書いた通り、うっかり首肯してしまいそうになったものの中から取り入れ、
「なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした」
書き始めを大仰に書くのでなく、修正でないのならば、上記の主張をはじめに明示してから始めると
先に述べた印象は薄らいだと思われます。
「学校の先生が忙しすぎて、今のあり方を変える余裕がない」については、そもそも算数セットを採用することを誰主導で(文科省なのか、自治体なのか、校長なのか、現場の先生なのか)決定してるのかよく知らないですが、文科省主導で貸し出し統一すればいいと思っています。僕は教師じゃないので現場のことはよく知らないし、「知らないお前が偉そうなこと言うな」というのもごもっともですが、教師ではない以上現場レベルの問題解決策までは提案しようがないです。そこまで提案しないと問題提起しちゃだめってなると、たぶん世の中何も好転しない。それは「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」かなと思っています。
ここがいただけない部分の根幹にあり、「サンデーモーニング」です。
算数セットを採用するのは、誰主導の選択肢から言えば、現場の先生の意見を吸い上げた校長です。
親業の中で情報を収集してきた中でそれはご存じであるかと思います。
無知を装うのは、卑怯だと思われかねないので宜しいことではないと思います。
文部科学省からの貸し出しの通知文を出すように要請をしているように見受けられますが、
通知文については効力がどの程度あるのかは不確かなところがあります。
お住まいの自治体の状態を具に調べるほど、親業としての手腕をお持ちのようなので、
「なくすし、おとすし、盗まれるから名前書きが必要」に関しては、だからこそ学校から貸し出すほがメリットは大きい。貸し出しなら各家庭で膨大な量の名前を書く必要もないし、先生たちの名前のない落とし物の持ち主探しの時間も節約できる。盗むに関しても対学校になるので、生徒間・保護者間のいざこざもない。
親業をやられている数年というところなので、
今までご自身の経験の中から「自分の落とし物があったら、名乗り出ることができる」ことや
「友人が落とし物をしたら、一緒に探してあげる」ことなどいわゆる非認知スキルの大切さについては、
実感しきりなところかと思います。それを思い出して欲しいです。
親業をやられていればこれも感じることかと思いますが、
自身の子どもが「盗まれる」だけでなく「盗む」側になるかもしれないということ。
また、その「盗む」ということをする場合に、早期にその行動について変容を促さなければならないことに
そして、「生徒間のいざこざ」が発生し、それを未然防止するために集団の一員としてどうするのか、
どのように全体最適を集団の一員として寄与するのか学ぶこと。これこそが、公教育の公教育たる意味です。
親業をしていく中で育児方針等を立てる上で、目にしたかと思います。
それらを思い出しましょう。
「保護者間のいざこざ」という部分については、まさに「子育ては、自分育て」なのだと思います。
蛇足ですが、小学生のことは「生徒」とは呼称しません。「児童」です。
「消毒云々、数年で足りなくなる云々」の運用上の問題は確かにあるとは思うけど、そもそもみんなで共有してる学校備品なんて他にもあるわけだし、どんな方法を選択するにしろ問題ゼロはありえないので、そこは運用しながら問題解決していくしかない。
学校備品ではなく、消耗品になります。そこは民間と理解は変わりません。
多くの学校では、予算が厳しくなっていることはありますが、消耗品になるので、必要性を論理的に主張することができ、
且つ校長と事務官のモチベーションが高ければ通りやすい部類になるかなあというのが実感としてあります。
もう一つは、良くも悪くも地域からの熱い要望があれば、通りやすいです。
あと珍リプ的なとこで言うと「名前書き不要=お前は子供が嫌いな人間」にまで飛躍したものもあった。そもそものスタートが名前書きに膨大な時間を奪われて、子どもとの時間が奪われていることに起因する主張だったんだよなぁ...って感じ。
語勢からそう読み取るのは容易でありました。子供との時間の中で名前かきをしている方も大勢いるのが返信からもわかったのではないかと思います。
親業をやっているのであれば、知り得る情報についても意図的になのか隠されているところもそう読み取らせることを容易にさせることに寄与しました。
もし、意図的に隠したのでなく、情報を得ていなかったのであれば
「子どもが好き嫌いかはわからないが、パートナーとともに一緒の目線に立って育児をしていない人なのだろうな、パートナー大変そうだな」
ということは言えるかと思います。どちらにしても、ざんねんな感じです。
私も残念なところばかりで、「余計なお世話だよ」と言いたくなることも他人から言われます。一緒に頑張っていきましょう。
「子どもの持ち物に名前を書く余裕もないのか」については、ひとり親世帯数の推移はひとまず確認した方がいいと思う。その主張はひとり親世帯ではない人のものだったけど、僕の姉はシングルマザーで働きながら二人の子育てをしてて、本当に大変そうな姿を見てるから「そんな余裕あるわけねーだろ」と声を大にして言いたい。
姉が睡眠時間を削ってこんな膨大な量の名前書きをやっていたかと思うと...言葉にならない。てか、それが根底にあったから怒り爆発したってのはある。
当事者としてそこに切実なニーズがあることを感じているところのようですので。
頑張って欲しいです。
ただ、結構たくさんの人から「学校から貸し出しでした」という声をお寄せ頂いたので、それは素晴らしいと思いました!ちょっとずつ変わってることを感じました。
学校教育に関する認識の誤解あるあるで十人十色経験は違うのに、自分の経験が絶対だと思うのはよしてほしいです。
30年前から貸し出しのところは貸し出しだし、そうじゃないところはそうじゃないです。それだけです。
算数セットを各家庭に買わせるか否か決定する立場にある人に、この一連のポストが届き、来年以降に小学校入学を控える子を持つパパさんママさんの負担が減り、家族の時間が増えると嬉しいです
自戒を込めて、
「半径0mの世界を変える」には