はてなキーワード: 性的指向とは
その友人との間柄がどういうものかは知りませんが、オタク友達的な間柄なら「女性同士の恋愛ってどう思う?」と聞かれてLGBT論とかジェンダー論ぶん投げてくる方が怖いと思うんですが、どうですか?
世の中の大多数の人間は「レズビアンに対する偏見はある?」まで踏み込まれればやっと話すかな、くらいの扱いだと思いますよ。
あなたが性的指向をオープンに扱おうとする主義であることには構いませんが、同性愛者も異性愛者もそういう主義ではない人が多いことも理解して、そしてあなたがやっているその勝手に人のことを試して分かった風に決めつける行為がほとんどの人にとって不快であることも自覚してくださいね
『増田が信じるものを別に止めない』『信じるものをそのまま信じて続けろ』と書いているが
なぜか増田はそれ以上のモノをお望みのようなので
○ 増田の世界ではそうなんだろうな、ではなくフツーに同意が出来ること
見せたくないなら Twitter を選ばなければいいのでは?だけど
いわゆる腐女子絵(人物の性的指向を変えた作品) を好まない人の目につく可能性は多少は下がる
検索システムは検索避けで使っているつもりらしい文字列フツーに無視しますよとか、サジェスト汚染とか以前に、
インターネットの仕組み的に無理
なんなら Twitter の検索窓に作品のキャラクター名入れるだけで出てくる
○ 何度でも伝えたいこと
タイトルで検索してもクソキモいホモ絵をあんまり見なくて済むのは素晴らしい
そもそも、
なんだよな。一般的なワードで見るハメになる (まぁそういうものだから仕方ない)
仕組みとしては同人販売や同人グッズ販売で作品名やキャラクター名を入れるので
純粋に Twitter から画像を拾ってくる以外では Pinterest が多い
Twitter も Pixiv も Pinterest 禁止してないから仕方ないね
(Pixiv は Pinterest のビジネスアカウント持っているし、そもそも Google 検索で拾える仕様)
根本的な話として、実在・非実在かかわらず、人物の性的指向を変更した作品(いわゆる腐女子絵)を
公式(作者・出版社・事務所) や いわゆる腐女子絵が苦手な人に見せたくないと強い意識を持っているのなら
ましてや流行りのプラットフォームにわざわざアップロードするなんてポーズ以外の何者でもない
公式(作者・出版社・事務所) や いわゆる腐女子絵が苦手な人に見せたくないではなく、
あくまで “自分自身の作品だけは見られたくない” なら、鍵アカウントやプライベッターで
いきなりは表示されないし、Pinterest にクリップされたり転載される可能性もそのままよりは下がる
職場で『性自認が女性』だという男性(生物学的分類による男性)が来た。性的指向は知らん。曰く、男性恐怖症なので全て女性スタッフに対応してほしいとのことだった。幸い(?)大人しくこちらの指示に従っていたし、何かするわけでもなくスムーズに事は済んだ。あくまでこの人は。
今回は何もなかったが、もし万が一にも同僚である女性スタッフに危害を加えるようなことがあったら…と思うとモヤモヤするので書こうと思った。(女性であると主張する男性に限らずありとあらゆる人間は他人に危害を加えてはならないのは勿論である)
そしてタイトル通り。
性的指向と性自認と肉体的・生物学的な性別は分けて考えるべきだ。
これを聞いてお怒りになる方々もいるかとは思うが、少なくとも自分はそう思う。
性的指向と性自認については、はっきりと分類できるようなものではないと考えている。それらは連続性があり、兼ねることが可能であり、境界は極めて曖昧だ。他人が誰をどんな風に愛し、もしくは愛さなくても、どんな体になりたいと思おうとも、それは全て自由であるべきで侵害されることはあってはならないと思う。
でも、肉体の話になればそうはいかない。外科的に加工をしてどんなに顔や体を変えたところで遺伝子そのものを変える事は不可能である。はっきり言えば(これは変わりたいと願う人には申し訳ない気持ちもあるが)、最初に生まれついた性別からは逃れないという事だ。最後の染色体によって性別は決定され、これを覆すすべはない。来世については信じていないため除外する。
『どちらもある/ない』という方たちが存在するが、その場合は第三となる性別もしくは呼称が必要になるのだろう。男女の欄で悩むとすれば、そういう方たちなのではと考えている。
人間含めた有性生殖によって子孫を残す生態を持つ生き物は全て、肉体の性別からは逃れられない。そういう風に生まれてきてしまったのだから仕方がない。
単細胞生物は『母細胞』と『娘細胞』という風に呼称されているが性別の概念などない。『コピー元』と『その新しいコピー』に、有性生殖をする人間が名前をつけてしまっただけで。
任意のアンケート等に自分が思う性別を書くのも自由だ。書かないという選択も自由。ただし、公的な場ではどちらかに従って欲しい。それはあなたのパーソナルな部分など反映していない。生まれた時の入れ物の話だ。
入れ物を変えたいなら正式な手続きを踏んでからにしてほしい。元の入れ物の特性、もっというならば固有の臓器あるいは器官とそれに付随する機能を持ったまま、入れ物の変更はできないのだ。
少なくとも我々が有性生殖という方法を用いて繁殖を続ける限りは。
もし遙か未来、人類が有性生殖という手段を捨てた時、そこで初めて人類に対する性別の概念は消えるだろう。そんな未来が来たら面白いと思う。まあそんな頃まで生きてないし、子孫も残さないつもりだから関係ないけど。
これをだらだらと書いていて思ったのが、古(?)の腐女子のいう「生物学的には女」という表現が案外的を得ているのでは???ということだ。
オチはない。すまん。
初めてこういうものを書くので何から書き始めればいいのか良くわからないけれど、少し前の話をしたいと思います。
私はいわゆるノンセクシャルと呼ばれる性的指向を持つ人間です。
ノンセクシャルって何? という方のために説明させていただくと
非性愛(ひせいあい)とは、他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒久的に他人への性的欲求を持たないことをいう。 非性愛の性質を持っている人のことを非性愛者、またはノンセクシュアルという。略称としてノンセクともいう。
こんな感じです。人によって様々だとは思いますが、一応はこういう定義となっています。
それが私の性的指向です。
昔から、友達が誰かと性行為をしたと聞くたびに言い様のない不快感を覚えていました。友達からは、まだ子供なんだよ。とか、いつか本当に好きな人ができたらしたいと思えるようになるって、などという言葉をかけられることがほとんどでした。
そのときは私もまあそんなものなのかな、とそこまで真剣に考えるようなことはなかったです。
でも本当に好きな人ができて、そういった行為をしようってなったときにようやく何かがおかしいことに気がつきました。
好きな人に触れられているはずなのに、私が感じていたのは嫌悪感だけでした。彼が明確にそういった意図を持って私に触れていると思えば思うほど体は強ばりましたし、結局私の気分が悪くなってしまって最後まですることはできませんでした。
心配される方もいらっしゃると思うので明記しておきますが、彼が私にそういった行為を強要した事実はありません。2人で決めたことです。あと、過去に性的被害を受けたようなこともありません。
ただただ私が、相手が好きな人であったのにも関わらずセックスできなかった。それだけの話です。
今はそのことに不安感を覚えるようなことはなくなりましたが、当時の私はとても混乱していたのをよく覚えています。
世間ではセックスは当たり前のように、一種のコミュニケーションツールとして扱われています。私も年相応にそういったコンテンツに触れてきていました。
だからこそ余計に、それができない自分はおかしいのだと自分を責めるように気分が転換していたんだと思います。
結局その彼とは別れました。私が自分のことを正しく把握してなかったせいで、彼にまで迷惑をかけてしまって本当に申し訳なかったです。
そのあと私はネットで色々と性的指向について調べ始めました。そして、初めてノンセクシャルという言葉と出会いました。
私は漠然とした不安感からようやく解放されたような気がしました。私は自分のことをずっとおかしいと思っていたから。
LGBTQに関して、性別の名前を増やしすぎだと思う人もいるかもしれません。マイノリティのためにマジョリティが苦労する必要はないと思う人もいると思います。
それでも私は、自分の性的指向に名前がついたことに心の底から安心しました。自分と同じように考える人がいると知れただけで、自分を受け入れることができました。
自分が今まで手に入れてきた恋愛観にとらわれる必要はないのだとネットを通じて知ることができました。
長々と書きましたが、私はノンセクシャルという自分の性的指向を知って少し気持ちが楽になった、そういう話です。
気になるところ
・元ツイ主がゲイであり、ロールモデルをBLとして提供されたという被害意識
・元ツイ主は「日出処の天子直撃世代」を主張しており、現在のBLは読んでいない点
・仲間意識を示しているのは「腐」ではなく「ゲイ」のコミュニティである点
考えたこと
→消費する腐女子? 消費されるキャラクターや二次創作であれば版権? それとも現実の男性同性愛者?
→あるし、あるべきだ
→そうではない
→そうではない
→ゾーニングの観点からいえばそうであるが腐女子の定義が曖昧である以上誰でも読むことができる
・架空の恋愛や性行為について、現実世界に当事者は存在するのか?
→難しいけど、あるとしても性別による性的指向の合致ばかりがその軸とされるべきかは不明
・ていうかなんで腐女子が発生するんだ?
→分からん
→人によるっぽい
・腐女子って治る?
ツイ主は、ぶっちゃけ腐女子に対しては敵対的な態度であるし、彼にはそうする理由があるが、彼が攻撃したかった腐女子と実際いまツイッターでBL創作をしている腐女子は別人である。腐女子個人は彼個人が敵対的な態度であり、自分たちの表現の自由を毀損しようとしていることを理由に反論する権利がある。
それはネットフェミ個人と男性向けの「エロ」を消費する男性個人にも同じことが言える。
個人的な願望
あのツイートが今後のBLに影響を与えるかという話になるなら、とにかく与えるべきでない。それでもBL自体は変化していくはずである。
変化は現在のBLに続く過去の男性同性愛を描いた作品に被害者意識のあるゲイ男性や過去にBLを読んでいた人を含む、BLを読まない人によってではなく、進行形でBLを読み、書く“当事者”によってなされるし、そうあるべきだ。
お気持ち増田を書いてたら憎しみがふつふつと湧き上がってきたのでanond:20200704190433をサンプリングして新たなお気持ち増田を書きます。
私は同人女の中でも腐女子が一番嫌いなので男同士でCPにするなよって思ってますけど、腐女子の反論は大抵「同性愛の差別するな」じゃないですか。
こっちはキャラが同性愛者にされてるから嫌なんじゃなくて、男女カプでも何でもキャラの性的指向がねつ造されてるのが嫌なんですよ。
別に原作で明言されてないキャラの性的指向がどうであれそこに嫌悪感はありません。ただ女好きのキャラでBLとかはアイデンティティを消失させてるように感じるから嫌なんです。現実のLGBT問題を盾にして自分たちの二次創作を正当化しないでください!
そういうのが読みたいなら商業BLがあるのにYOUは何しにこのジャンルへ?
私が腐女子の某さんとか同人字書きの漫画を読んで「こいつらやっぱりキャラをおもちゃにしてるな」とか「AとBは承認欲求の道具じゃないんですけど」って不愉快に思うのは100%自己責任です。
ただワードミュートもマイナス検索も駆使してるのにキャラ名で検索かけたら「AくんとBくん付き合ってる…二人は公式」みたいなツイートが出てくるのは邪悪すぎませんか?しかも最近は絵文字とかCP名の省略とか多様化していってるのでそれの対応に追われるのも嫌なんですよね。ユーザ辞書で検索って打ったら"地雷" "地雷"…て入力出来るようにしてるんですけどこれが日に日に長くなります。
でも母数が全然違うので森とタタラ場で暮らすためにはこっちが自衛するしかないんですよね。こんなに嫌いなのに嫌よ嫌よも好きのうち理論を適用されたらたまりません。早く無関心になりたい。
同人女は等しくえらくねーよ!正当化すんな!っていう全方位に向けたお気持ちなので良い人もいるんだけど…みたいなのは省きますが、同人女じゃないと女オタク生きにくいなって思う個人の私怨です。(ここでは見る側作る側を問わず夢女子・腐女子・男女CP厨を同人女と定義します)
オタク女のコミュニティではこの3つのどこかに属してる前提で話が進むのでめちゃくちゃストレスです。そのため「好きな漫画?鬼滅の刃!流行ってるよね〜」みたいなファッションオタクとしてお茶を濁したり、オタクであることを隠すようになったんですけど、Twitterがあまりにも同人女のるつぼ。検索すれば何かしらの二次創作がヒットするの、全然森とタタラ場で暮らせてなくないですか?こっちは公式アカウント見たいだけなのにちょっとリプライを遡ると「〇〇くん幼女すぎ」みたいなえぐめのツイートが目に入るのめちゃくちゃ嫌なんですよね。性別知らずにゲームしてるのかな。
他にもやりたい放題してるので、同人女は他人の作品の二次創作で承認欲求を満たすために鍵パカのアカウントを使ってるのかと邪推してしまいます。本当に何で鍵かけないんだろう。
嫌なら見るなってゾーニングされてることが前提の発言じゃないんですか?
三者三様に嫌いなんですけど腐女子が特に苦手です。高校で私がオタクって分かった時に当然のようにその作品のBLの話をされて、さらには馬×男のCPについて話されたトラウマがあるんですけど、ジャブとしては重すぎるでしょ。初手から人外てなんなん?
・腐女子
男キャラ同士で妄想してる人と話してるとすべての展開がCP妄想に終着したり、キャラの会話を燃料とか言われたりで話が合わないんですよね。
中でも嫌なタイプが配慮したつもり腐女子とマウント腐女子です。
前者は腐女子の配慮って腐女子同士のことしか考えてないのかなって感じるあれです。
度々Twitter上で議論になる腐女子の自衛問題あるじゃないですか。例えば赤くんと黄色くんっていう苗字のCPに対して「赤くんと黄色くん最高!(画像の添付)」に赤黄とか黄赤ってつけろ、とかどんなシチュエーションか明記しろ、みたいな。
じゃあ腐女子じゃない人が自衛するためにCP名に赤を使うなよ!っていうのはあんまり言われてなくないですか?
どんなに公式名称で呼ばないとかの配慮をしてるつもりでも漢字一字の苗字や名前のキャラをCP名にしてる時点で無意味ですよね。
マウント腐女子は顔カプって言って作中で交流の少ないキャラをCPにしてる人をディスる腐女子のことです。確かに顔カプも理解に苦しみますが己を振り返ってみた時に笑える立場でしょうか?信頼関係が描かれているから、交流が多いからといって別にそのキャラ同士は恋愛関係ではないことがほとんどです。
この手の腐女子は厄介なことに多くが関係性厨を自称しています。しかしキャラ同士の関係性を重んじるなら原作以上の関係を望まないと思います。
親友なのが良いよね、ライバルなのが良いよね、みたいな話をしてるのにそこでCPに発展させられてもついていけません。
あと現実の性的指向の問題と混同する人多くないですか?今あなたのことは呼んでないんですが…
それとクラスメイト同士のBL小説みたいなのをメールで送られたことがあって、それも鳥肌ものなんですけどわりと対象の男子が寛容で「こういうのが好きなんだろ?」て腐女子相手に面白がってやるノリあるじゃないですか。キショ・キショ・キショ!需要ないわ!
・夢女子
いわゆる乙女ゲームを通っていないのでキャラと恋愛する感覚がよく分からないのもあるんですけど、夢女子と腐女子兼任してる友人に見せられた夢小説がまったくピンと来なかったんですよね。
そもそも俺TUEEE的な傾向のものが苦手なのでキャラのセリフや立場を乗っ取って無双する話にいまいち魅力を感じません。
・男女CP厨
自分の所属は一番ここが近いと思います。ただ明確に矢印が出てたり成立してるCPを応援してるのであって、原作にA男←B女の描写があるのにC男とB女をカプらせたりするのは違くないですか?パズルすな
上記の理由から同人女が苦手なんですけど、だからって他者の嗜好は変えられないのでブロックに勤しむしかないんですよね。この三つ巴でぶつかり合って消滅しないかな(カロリー0)
的外れな反応があって驚きました。タイトルは「死んでくれ同人女 人の目に触れないまま」とかの方が良かったですか?私は性別問わず作中で明確に恋愛関係になってない二人の二次創作CPが嫌いなので(作品の主題から逸れてると思う)、人を勝手に天邪鬼みたいにしないでください!
特定のコンテンツを死ぬほど掘り下げるわけではないが、Twitterでボクっ娘漫画が流れてくるとフヒッフヒヒッと最悪の笑い声を上げながら閲覧してしまう受動的☆オタクの小生、21歳、学生。(それはもはやオタクではなくただのキモなのでは?と思うが、この話を掘り下げるとつらい気持ちになるので割愛する) 小生は女性器を保有しつつジェンダーが非常~にXに近いQで、漫画の中の彼女たちのように、自分のことを「僕」「俺」「それがし」「拙者」「小生」と称することに憚りが無かったし、むしろ「私」という一人称に抵抗があった。恋愛対象や性的指向は両性に亘り、「18歳のナオンのケツを一生触りたい」という願望と「異性と愛し合って子どもを設けてみたい」という気持ちを両立させながら元気に暮らしていた。
ある日、冷やし担々麺を食いながら、ふと小生は思いを巡らせた。
「俺は高校のころ、Twitter上で同期から『[俺]の言葉遣いはこじらせ銀魂腐女子っぽいし黒歴史になりそう、後々過去ツイ見てジタバタしそう』と言われていたし、そうなることを自分もどこかで願っていた・・・が、思春期過ぎても一人称に変わりは無かったし、このまま母親になっても俺でいるんだろうか・・・だとしたら、先輩ボクっ娘ママを探さなければ・・・・・・ん?一人称が『僕』や『俺』の母親って現実でもコンテンツ上でも全然存在しなくないですか?」
それは、かつて片目をつむったまま遠くの小指を凝視し、自分の盲点をはっきりと認識した感覚に似ていた。想像の盲点だ、視野が広がるとはこういうことだ。うわ~、こういうときに粋な考察をササッと出せるようになるためにも、ジェンダー論しっかり学びたい!という明るいお気持ちに包まれた。しかしながら、まず何も学んでいない状態で結論を出してみて、大いに勉強をした後でファースト・粗野・考察を見返すのもきっと面白いだろうなあと思い、小生はここにそのプリミティブな思想を書き留めておくことにする。以下にはもう、本当に野蛮で無知で最悪な文章が綴られているので、有識者はたたかないでください。
1. 「僕/俺」と「私」の非対称性、「あたし」
そもそも「僕/俺」と「私」、使う人間の層はどう分かれているんだろう?
成人男性は「僕/俺」と「私」の両方を使うことができるが、まだ幼い少年が自分を「私」と言っていると、相応に作為性を感じる。対照的に、女性は若いうちは「僕/俺」の使用が(かろうじて)認められるが、加齢していくにつれて「私」の求心力が極大に近づいていく。ものすごい非対称だな。う~んこれはいったいどういうことなんだろうね。無学なのでわからん!
これは勘ですが、大人(または人間)のデフォ一人称が「私」なのでは?そして、「僕」や「俺」という男性一人称は、男性側が女性と差別化を図るために生み出した切り札のようなもの?二次性徴以前は、男女の体や性格が未分化であり、しゃべらなければ見分けがつきにくい。そこで、素早く同性or異性の判別をして固いホモソーシャルを築くために、少年さんサイドが「私」とは異なる固有の一人称を保有しているのではないだろうか。一方、少女側にもホモソーシャルを築きたいという欲が強い人間がおり、彼女らは「あたし」や「うち」などの一人称を駆使し、多くの友達と連帯し、大概「気が強い」と思われている。男らしい一人称(や女らしい一人称)というのは、未分化な少年少女たちがホモソーシャルを築くための最初の一歩として獲得するものではないか?
思春期に入り、体が性別に沿う姿に分化すると、このような一人称でのジェンダーの探り合いは不要になっていく。ただまあ、精神は連続的なものなので、しばらくは男女両陣営が幼少期に獲得した一人称を保持している。成長に伴いフォーマルな場というものにブチ当たることによって少しづつこの傾向を修正され、多くの場合就活のときに決定的に一人称が「私」に統一されるでござるなあ。(なぜ、フォーマルな場所では一人称が「私」に統一されるのか、それについては勉強によって解明したいと思いました)
男性一人称は本来少年に与えられたもので、それゆえに男性一人称にはどこか瑞々しく未熟な感じが出るのでは。そして、少女が「僕」を使うことで、この若さを維持・増幅しつつ一定の倒錯を生み出すことができる。輿水幸子(デレマス)が自称する「カワイイボク」という概念は、性別の観点から見れば矛盾しているが、若さ・幼さという点においては「カワイイ」と「ボク」が加算的に働いている。うわ~かわいい!最高!いじめたい!
一方、一人称が「私」の少年と言うと、どこか神々しいというか、メカニックというか、そういう・・・人間らしさの希薄性が強調される。あ~中性的でぼんやりした美少年か、エッチだ!ちんぽしごきたい!
【加筆】「あたし/うち」は、「異性と同性を区別する」というよりむしろ「自身のジェンダーを強調する」目的で使われているという点で「僕/俺」と対照的なんではないでしょうか。だから一生使っても問題ない(幼稚さが出にくい)し、オカマのみなさんにも愛用されていることが伺えます。
上記の小生の仮説から考えると、母親というキャラクターと男性一人称はものすごく相性が悪い。(これは持論ですが)母であるということは、その人が異性とセックスをできたということの証左になり、すなわちこころの性が女であるという暗黙の了解が働くよなあ。なおかつ、母親は子を産み育てるという社会的責任を負った存在なので、「心身共に成熟した人間である」という前提が追加で発生している。(本当はそうでもないよね)
この場合、男性一人称の母親というのは「未熟な少年の言葉」でしゃべる「成熟した女性」となってしまい、なんの相乗効果も生まれず、ただただ独特の気持ち悪さを発してしまう。キモすぎて多くの人間の想像の視野に入っていない。(思春期以降の女子が「俺」を使っていると腐女子っぽくてキモいというのも同様の理屈だと思います) 自分の子供に向かって「よしよし、俺はこっちだよ~」と呼びかける母親、なんか嫌じゃないですか?ちなみに小生の性癖にはとても刺さります。
※あと、なんとなく思いが廻ったので加筆しますが、"男性一人称の母親"への抵抗感の発生は、男性と女性とでメカニズムが若干違うのでは?まず男性の場合、母親はどう転んでも客体、すなわち消費されうるキャラクターである。男性が母親というキャラクターに求めているものの第一は「母性」「包容力」なので、自分たちと同一の一人称を用いてこられるとその両方が感じられなくなってしまう、つまり萎えが発生してしまうのでは。一方"母親"が自らの主体となりうる女性の場合はというと、心の中に[母親は成熟した女性であるべき]という縛りが発生していて、男性一人称の母親の存在はこの信条に悖ってしまい、憤りにつながるのではないか。まとめると、"男性一人称の母親"は、男の信仰・女の義務感の両方をくすぐる最悪の概念であるかもしれないということだ。
3. 小生の意見
Twitterで「僕っ子 母親」を調べたら「子供に悪影響出そう」「痛い」みたいな意見が出ていて、それは至極まっとうな感情だと思う一方、小生は悲しいよ。どうして『弟の夫』『きのう何食べた?』みたいにゲイが子育てに関わる話は☆多様性☆の印籠のもとに迎えられるのに、一人称が「僕」の母親は痛いという風潮は変わらないんだろう。かつては同性カップルによる育児も子供への悪影響が懸念されていたが、今ではその心配が杞憂であったことが分かりつつある。おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。インターネットに迎えられなければ、小生が積極的に声を上げていくべきなのだろう。僕が僕として授乳できる社会ができたらちょっと嬉しいかな。
あと、子供を産んだ時点でジェンダーが女であるというのは偏見だぞ。最近SOGIとかいう言葉が流行り出して小生は感極まっている。性自認、性的指向、性表現は相異なるものであるということが認知されつつある。「自分をなんとなく男寄りだと思っているバイの母親」は存在しうる。存在しうるんだよ。多様性ファンならあらゆる可能性を尊重しよう。
とはいえ、「一度出産を経験するとこころの性が女に全振りされる」という現象が存在する可能性もなくはないので、本当にそういうことがあるのかは今後勉強したい。
小生からは以上です。