はてなキーワード: 小説家とは
「私は様々な監督や脚本家など(小説家もいます)国内外の様々な優れたクリエイターにインタビューしてきましたが、あなたみたいに社会への影響についての意識が低い人はいませんでした」
プレジデント誌ですしざんまいについてのデマ記事を書いてた人である。
彼のプロフィールには、「CAとして著名な成功者から話を聞いてきた」という触れ込みがある。
もちろん、すしざんまいの記事も、彼は直接すしざんまいの社長から話をきいたというていで語っていた。
知念氏の発言に対して、彼は自分の作品を表に出して語ればよかったのである。
彼は映画評論家としてだけではなくマンガデビューもしているのだから。
しかし、彼は自分の作品を出して「私は社会的責任にもとづいて書いてます」と言わず
他の作家さんもこんなこと言ってましたよという太宰論法を使った。
なぜ彼がそんなことをするか。
自分の意見は他者からのお墨付きがあると見せかけたかったのであろう。
呼吸をするようにほらを吹く。
そのホラを真に受けるとひどい目に合う。
ただ、こういう性格でありながら詐欺などに手を染めていないのは魂が善良と言える。
この手の性格の人間は、半数くらいが詐欺師とか情報商材屋になっているからだ。
他人から批判されつつもちゃんと表にでて名前を出して活動しているというだけで立派に思える。
ただし目立ちすぎるといろいろと不都合はあるだろう。
その覚悟を持ってやっているならなかなかえらい。
おまえの作品がロシアで人を殺した、といわれてそれでもロリ絵を描き続けられるやつはいない。
作家にとって作品は子供でありいつまでもコントロール可能であってほしいもの。
ちなみにとらもそれ以外(たとえばピクシブ)も「海外から通販(閲覧)可能にしますか?」と設定できる。
海外へ通販を仲介する業者というのがいて、すなわち作家にも合意で転売するかどうかをきいてるわけ。
エロ絵師はあまりOKにしない。スキャンして日本語から現地語にされて再出版されたらこまるし。さっきのような現地の法律の事情もある。
エロ小説家はどうせ文だと外国人からは読めない(グーグル翻訳にもかけられない状態で紙本として提供する)のでOK出すことが多い。
まず思うのは政治家が表現の自由を守ると思ってるオタク、どんだけ馬鹿なん?ということ
今までの歴史で
国民「やめてくれーっ!」
なんてこと殆どないよね
現実は、
このケースが大半
今まで超売れてる立派な作家(漫画家、小説家、イラストレーター)が政治家になった例なんてないんだよ
何故か?彼らは自由の尊さを身を持って知ってるから。そして政治家は自由を決して守り得ない職だということも知ってるから
石原慎太郎がいる?石原慎太郎が超売れっ子か?大して売れてねえし、立派でもない。立派じゃないから自由の尊さも知らず政治家になるんだぞ
そもそも政治家が自由を広げるようなら、国家なんてものは必要ねえんだわ
外でオナニーしようが人にウンコ投げつけようが誰にも罰せられない
そして政治家の仕事は国家の中で自由を制限すること。具体的に言えば、国会議員は自由を制限する法律というルールを作成するのが仕事
そういう主張なら納得。
この世の中はそんなもんでしょ。
ぼーっと生きている人と、わかっているけどどうしようもできない人がいるだけ。
僕はどっちだろうかと常に自問自答するしかない。
けれども、酒を飲むのは喜ばしいことらしい。
そのまたまた昔は、お国のために人殺しをすることが正義であった。
三浦綾子は教師時代にそのような軍国教育をして、戦争が終わり手のひらを返した世の中を見て
よくよく考えると僕らが小学校で習った歴史の偉人は大量殺人鬼ばかり。
動物を助ける動画でほっこりし、動物を殺す人をみて憎みながら、何食わぬ顔で豚汁を食う。
2021年は例年より多くの本を読んだ年だった。
本に手を伸ばす理由は、過ぎる時間の虚無を埋めてくれるからだ。
暇な時間にふと、理由のない虚無感や今まで自分の行ってきたことがふと無意味だったのではないだろうかという思いに襲われる。
そんな中、以前では現実逃避や問題の先送りが悪と捉えてきたものを、積極的に物事を放置、物語や文章に没頭することが心地よくなってきた。
恐らく、以前はもっと人生とは自分の思うように舵を切って、自身に起こりうる出来事は自分次第で制御できると考えていたのだ。
もちろん、突拍子のない願望や生まれ持った環境など、制御しようがないことが存在することはわかっていた。
しかし、心の奥で、自分の願望は全て叶えられる、変化できると思い込んでいたのだ。
そんな気持ちで日々を制御しようとしていた10代、20代、さぞかし理想と現実の差に苦しみ続けてきただろうと考える。
どこまで求めて、手に入れても満ち足りない日々は確かに何かを手に入れて、成長したこともあったのだろう。
けれども、取り組んできた物事の難易度が時間と共に上がり、自身の行動の影響する範囲が大きくなるにつれて、自分の能力では制御しきれない領域もあることを徐々に感じ始める。
精神が一気に崩れ落ちて、自身を鼓舞していた心のどこかにあっただましだまし、綱渡りのスイッチで稼働していた力の源泉から何も沸いてこなくなりついには割れてなくなってしまった。
この虚無感はいったい何なのか?答えを本の中に求めて、小説、エッセイ、ドキュメント、啓発など色々読んだ。
なるべく同年代の主人公で人が死なない日常の物語を最初は求めていたのだけれど、いつしかその縛りは忘れて、自由なジャンルのものを読み始めて没頭していた。
自分は何している時が満たされているのだろう?とふと考えた時にパソコンのキーボードを打ち込んでいる時と思った。
仕事柄キーボードは毎日叩くのだけれど、キーボードを打ち込むそれ自体の行為が好きなのではなく、打ち込んでできた成果物が完成した時に満足している。
のだと思っていたが、単純に今キーボードを叩いて文章を書く行為が気持ちいい。
そして、今さっきまだ読み途中なのだが、「中年の本棚」という本を読んでいた。
その中には超おおざっぱにいうといわゆる中年あるあると中年の虚無感を古今東西の本から該当する要素を抜粋してそれに対する思案を述べているものである。
当初自分が求めていた内容が書いてある本にようやく出合えたと謎の手ごたえを感じた。
その本の中で「隠居」について掘り下げて書いてあった。
では何も思い浮かばないが、
では真っ先に「隠居」がしたいと筆者は語っている。
自分も同じ考えだ。
そこから、「隠居」について書かれている本をピックアップしている。
その中で、「日曜〇〇家」というキーワードがでてくる。
要は、「日曜〇〇家」で社会人生活を60歳まで過ごし、以降は「日曜」ではなく「〇〇」を毎日やるのだ。
例として、そのような小説家を何人か取り上げている。
医師を平行して、小説を書き、定年後は本業、ないし隠居しながら小説を書くというものだ。
エッセイやら随筆やら小説やら、結局は自分のために書きたいものを書けばいいというメッセージがふと強く突き刺さった。
自分には教養も知識もないが、キーボードをひたすら打ち込むと心地がよいという属性がわかったので、これから何かしら文章を書きたいと思っている。
タイピングソフトでもやればいいのでは?という問いには、自分が何かしらの成果物を作り上げているという達成感がなければ意味がないと答える。
というわけで、なにかカタカタ打つからには、自分か他人に何かしら意味のあるものを書こうと思っている。
また自分の思考を整理する過程も好きなので、一石二鳥ということで。
難しいことはわからないし、無理に着飾ってもしょうがないので、自分が面白いと思うものをひたすら書こうと思う。
趣味は「キーボードをひたすら打ち込んでなにかしら成果物を作ること」にしたい。
一言でいうとなにになるのだろう。
作文かな
以下、ZOO愛をくださいに登場する動物たちのカップリングです。瀬尾河童は小説家です。河童は妖怪です。
頭下げるのは夜更かしが好きになってしまったフクロウをその境遇から救うためだったみたいな自己犠牲カップリング。
お互い何か見つめる動物がいるもの同士、好きを理解してもらえない者同士の慰め合いカップリングです。
猿にそっくりな九官鳥に挨拶する人を介して繋がる遠距離恋愛カップリング。
ひとりぼっちで寂しい。
なんでだろう?
これまじでサイコすぎるだろ
「ありがとう」より先に「ごめんなさい」が来るべき案件じゃないか?(ごめんじゃ済まないが……)
ほぼ強制的に40年以上の労働がついてくる、って点だけで、俺は子供を持つことに積極的になれない
俺がやりたいと思える仕事、たぶん小説家か翻訳家くらいなんだけど、どっちもあきらかにセンス系ジョブで、俺にはセンスがあきらかにないので、やりたくもねえ仕事をやるしかないということになる
というか、さらに言えば、仮にセンスがあったとしても、小説も書きたくねえし翻訳もやりたくねえ
何もしたくねえマジで
ただ寝てたい
ただ寝てたいんだよなあ
なぜ、ただ寝てたい人間が、ただ寝てられないんだ
いけなくなかったんですよね!
生まれなくてよかったんだよ本当に
……ってなるんだよな、絶対
俺の子供なら、俺の意志を継いでそうなってくれるという、確信に似た信頼がある
存在しない未来から聞こえてくる哀願の声に応えて、俺は一生独身か、うまくいったらDINKSになるよ
でも彼女どうなんだろうな
ぼちぼち真面目に子供の話をしないといけない
俺が信条的に子供を持つことに抵抗がある!って主張したあとに、いいや私は欲しい、って言うのは難しいよな、実際……
なんかこう、恋愛衝動に突き動かされて付き合ってしまったところがかなり悪かったという感じはあって、そういう意味では俺も衝動的に子供を作る人と同じことをやってるんだよな
でもまだ取り返しはつくねんな
多分…多分つく
つか、大学一年生のときに開始した交際がここまで長く続くっていうのを、お互いじつはあまり想定してなかったのかもしれん
ライフロングな関係になってしまうと、子供の話はついてきますねえ……
ついてこないでくれ〜ッ!!!!
最低なことを言うと、俺は、彼女が不妊症だったらいいなと思ってるんだ
彼女が不妊症だったら、物理的に子供は無理なんで諦めましょうってことにできるし、俺にとってはなんのデメリットもなくて、彼女にとっては……どうなんだこれ
やっぱそこは健康でいてほしいな
俺と付き合い続けるってことになった場合には不妊症であってほしい
俺を振って誰かと結婚なりなんなりするなら、普通に子供でもなんでも作って幸せにやってほしい
とにかく、俺は俺の子供にしか責任を負わんけど、その責任の負い方っていうのは、「産まない」一択やねんな
俺はきみに週40時間働けとは言わない
俺はきみに面倒を見てくれとは言わない
何も求めない
それが俺の愛や!!!!
平安時代の王朝文学には写本を頼りにしながら現代まで生きながらえている作品があるように、現代出版されている書物はどの程度(例えば1000年後)のちまで読まれるのだろうか? 例えばあまり知られていない小説家の本が1000年後どこかに残っているかどうかは疑わしい。手書きで写本を作っていた平安時代より印刷部数は遥かに多いものの、捨てられたり紛失されたりする可能性は大きいわけで、印刷された本が全て失われることもあるだろう。電子書籍のデータも100年だって残るか疑わしい。著名な作家の本は1000年後でも読まれていそうな気がする。印刷部数が桁違いに多いし、翻訳もされていれば何らかの情報が1000年後も残っている可能性が高い。日本語に限らず1000年経てば文法も変わるだろうが、現代の我々が古典を読むように、多少訓練は必要であるにせよ全く解読不能ということもないだろう。
歌唱→ボイチェン通してる状態で歌うとかいう曲芸出来るやつら意味分からん
プログラミング→エクセルマクロマスターとして職場でチヤホヤされて20年ぐらい実質それで食ってるオレより多分凄い
結婚→そもそも他人とコミュニケーションしたりおセックスしようとしたり出来る時点で人間としてオレより正しい
モデリング制作→昔メタセコイア弄って3日で発狂して体験版だか雑誌についてきた入門モデルデータだかのCDをベランダのカラスよけに改造したオレより確実に上
ルックス→イケメンなんだろ?少なくとも手がクリームパンじゃない時点で
うおおおおおおおおおおおおおお
負けが込みすぎているな
負けまくっているけど生きていることに対して「プライドを捨てて生きる術を身に着けた。この適応力にふるえよ」と言うには他社への嫉妬が強すぎるのはこの増田を見れば明らか。
つまり何も勝っていない。
つまりそれって現状に対して満足してないのを他人と比べることで解消しようとしているってこと。
ここまで分析することが出来る程度の学力は社会構造によって身についたのに、そこから解決するための能力を身につけることに失敗してる時点でしょーもない。
オワコン。
最近、雑誌や図書館の本の「オンライン化」「オフライン環境で」「オンライン時代を」みたいなの全部「オワコン化」「オワコン環境」「オワコン時代」に空目する。
疲れた。
もう疲れたんだよな
最近はもう怒りすらなくなりつつあって、なんというか、人生に対する所感が「無」なんすよね
こんな世に産みやがって!みたいな怒りがちょっと前は確かにあったんだが、それが無くなった
まあええよ、しゃあないよな、で終わり
全部許す 全部どうでもいい
何にもムカつかない
ネットの争いにもどうにも乗れなくなった
かといって、感動コンテンツをみても感動せん
というのは嘘で、仕事したくねえなあ、っていうのは、非常にジェニュインで、ピュアで、ストロングな情動ですね
ガチで辞めてえ
やっぱそこなのかもしれないな
俺は、どんな貧困生活でも良いから、とにかく働きたくないのかもしれない
欲を言うと小説家とかになりたいんだが、それって無理くせえ、なぜなら書きたいものも書く力もない
そういう暮らしが俺はしたい
小説家だろうが誰だろうが、SNSを使うのは別にいいと思う。言いたいことを言えばいい。ただ、その結果、責任は本人が取らなくてはいけない。
あとはフォローする側が、相手に対して何かを期待するような人であれば、最初にどんなことを呟いているか見て、見たく無いなと思ったらフォローしなければいい。
個人的には、創作をする人全般に、人格はまったく期待しない。むしろクズ率が高いと思っている。だから不必要に作者をフォローしないし、炎上があっても「はぁ〜難儀だな、でも作るものは素晴らしいんだよな」となる。
創作者がタレント活動的なものをしている人であれば、マネージメントがきちんと「見え方・見られ方」を管理したらいい。人物のイメージも商品になるから。
正直、そう思わないだろうか。
デマかも分からない情報を拡散することになるかも。もしくはデマだと分かっていて拡散する。そんな奴がとりわけ多い。
これは一般人でも問題だが、有名人となると話はかなり違う。特に小説家のSNSは酷い。
他の作品に対して嫌味な物言いをしてマウントを取る。自分が人格者であり、常に正しいと信じてデマを拡散。政治家を断罪して急進左派的な立場でマウントを取る。特定の人物に対して見た目などを揶揄して自らを上に立たせようとする奴。
こんな奴が山ほどいる。
いつから小説家はこんなネジくれた奴しかいないのか。昔から「文豪にはクズが多い」とは言ったものの、今の小説家は極端な政治的発言や差別的言動は見ていて不快どころではない。もちろん、そう言った発言についてある程度許容するのは当然だが、それにしてはあまりに過激だ。奴らは言論の自由という伝家の宝刀を常に振り回し、異端だと思えば惨殺することも厭わない。
そして、このような悪逆非道な行いをしていても、週刊誌はこれらを取り上げようとしない。よく考えたら当然なのだが。
間違いを認めるだけでも大きく変わる。それが出来ないのは致命的だ。自分が正しいと思っているから問題だろうが、一度見直してみてほしいと願っている。
英語に兄や弟の差別用語はないから、普通「Big Brother」をキーワードにしない。
『1984年』を持ってる人は巻末のニュースピークを確認するといい。
「資本」「社会」「会社」「社長」「経済」「経営」「広告」「契約」
「主語」「主観」「客観」「概念」「抽象」「具体」「経験/体験」
「義務」「教育」「教科書」「教師」「教皇」「宗教」「教会」「司教」
【努力】「問題」「存在」「選挙」「表現/表情」「交換」「説明」
「会話」「感情」「感性」「情緒」「理性」「思考」「論理」「議論」
ほぼすべて造語。現代日本語なんて妄想。非現代非日本語。やったぜ!
間違ったロボットは正しいオピニオンを言われても
そういうとこだぞ (´・∀・`)
読者としては単位時間あたりに得られる情報密度の高い漫画のほうが嬉しい。
これは間違いないことだ。
答えは簡単だ。
そのうえ両方の才能がそれなりにないと結局結果は出せない。
カイジなんて絵がスゲー下手と言われているが、あの画風を味があるとパクっている作品の多さを見れば「味のある絵を描く」という才能は普通にあったことが分かる。
大抵の人間はヘタウマを目指しても、単なるヘタや舐めプで終わるので、ああいうのは本当に才能なのだ。
そして多くの人間は、絵と物語の両方の才能を持って産まれない。
じゃあそもそも俺があーだこーだ悩んでも無駄で、そもそも俺にはどっちの才能もないので描くだけ無駄なのだ。
そういう状況でこそ、せめて少しでも時間辺りの価値が高いものを作ろうとすると漫画になる。
たとえばこんなゴミみたいな話を書くのであっても、これが漫画だったら人間の顔のアップを20回ぐらい書いて、背景も10回ぐらい描くことになる。
馬鹿げている。
助けてくれ