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はてなキーワード: 基礎練とは

2017-01-09

プログラミングの勘所

プログラミングの入門者には伝統的に変数やif文、for文などが教えられてきました。

昨今ではJavaやってGoogle Play Storeでアプリリリースするのが目標になるのかもしれません。

開発環境は年々高級になっており、以前より人の思考に近い感覚コーディングできるようになってきました。

はいえ、かつてWindowsGUIプログラミングがそうであったように、

スマホにはスマホ流儀があり、いくらアイコン右クリックしたいといってもスマホには右クリック概念が無いという、

今までの常識思考の在り方に対する挑戦も数多くあります

様々な流れに翻弄されつつもプロダクトを開発し世にリリースしていくことは、

プログラマ選択できる使命の一つとして今後も世界中で支持されていくと私は信じています

プログラミングとりまく状況はこの30年で大きく変化したと言えます

それでも基本的な部分は変わりがありません……などというのが通例ですが、

からといって基礎練を素直に続けることが正しいとも思いません。

今の新しい世代の人なら、まずはスマホアプリWebアプリWebサイトを目指すべきでしょう。

ハードウェアに興味があるなら、ラズベリーパイやArdinoを組み合わせても面白いですね。

すると、今とっかかりにすべき言語も絞られてきます

アプリならJavaSwift。(Unityを使うならC#ですね)

Web系ならphp。(ruby on railsもいいかと思います)

(15年前だったらC++でかっこいいwincdowsゲームを作りたい若者で溢れていました)

何かを作るにあたり、まずは1ボタン1機能から始めると良いと思います

ボタンを押したら、何かコマンドを実行する。

それはメール送信だったり、画面に文字を表示したり、ショップではがねのつるぎを購入したりと様々です。

技量が上がると、ボタンを増やしたくなります

ボタンを押すとボタンが増えたり減ったり、違う画面に移ったりしたくなります

途端に難しくなります

それらを整理するためにオブジェクト指向とやらを使わないといけなくなります

バグを出しにくくするための工夫が必要になってきます

何かを作る際に、機能が多くなると、それらを整理する手間が発生します。

グローバル変数はやめようとか、goto禁止というのはそういう活動の一環として生み出されてきたハウツーです。

そして自分の作りたいものは往々にして自分の実力を超えた所にあります

そこで挑戦と葛藤が始まります

幾多の困難を乗り越え、今の自分ならどの程度の規模のものを無理なく作れるかということがわかる場合があります。(わからない場合の方が多いんですけど)

するとあることに気づきます

自由に作りたいものを列挙するのは重要ですが、

最終的に何を作るか、何を作れるかというものを見据えながら、本当に必要機能を選別しないといけないのです。

欲しいものは全ては手に入りません。

全部じゃないと意味が無いなら、即座に全てをあきらめるか、考え方を変えなければ生き残れません。

プログラミングをする上で、夢を実現する技術を学ぶわけですが、

それには、何を実現したいと願うか、何を夢とするか、をコントロールする術も含まれます

そしてそれこそが、プログラミング、ひいては

生きていくために大切な希望を見つけるための技術であると気づかされます

2016-09-26

9/25進捗

旧くからの友人に助けを求めて、土曜の晩に作業通話という名の座談会をした。相方の絵を見せたところ、私もまあ、これはどうなんだって思ったところはいくらかあったけど…、友人氏容赦なく「色が汚い」「塗りが雑」「自分だったらこれを買おうとは思わない」「せっかく増田は丁寧に絵仕上げたのに、一緒に出展する増田評価も落ちるよ?」とまあ批判の嵐。

別のグッズに絵柄を使い回すと伝えたところ、「ありえない!修正要求するべき」というので、うんやっぱりそうだよね、自分が満足行ってない作品を展示即売会という晴れの場で出展するわけないよね、と思って、自分の思ったところと友人が指摘した部分に赤を入れて相方に送った。一部だけね…。それも優しく。

いちゃもんつけただけみたいに受け取られたのか知らないけど、ツイですごい凹んでたけど。

それからも友人は相方氏に対して、将来プロを目指すんだったら指摘されて修正するのは当然でしょそれぐらいでツイに書くぐらい凹んでんじゃねー、そもそもお前基礎練してこい、アタリとってない上に複数人書くのにレイヤー1枚しか使ってないって、そうやって見えない部分書かないか身体バランスありえんぐらい崩れるんだろ、あと増田ポーズ集買え、と友人氏まあ素晴らしい毒吐きっぷりだった。

とりま給料出たし、帰りに振込のついでにブックオフ寄ってポーズ集買いに行こ)

私が甘すぎるんだろう、そういう誰が見ても良くないと思う部分の指摘すらやんわり~としか出来ない(いや、やんわりでいいんだろうけど)し、しかもすごく心が痛むのであんまりしたくない。

あくま大事なのは見てもらうことなんだから、枚数減らしてもいいから丁寧に書けって言った。本人、大丈夫って言うどころか、やることを増やそうとしてたのでマジで辟易した。

色ははみ出すわ色抜けてるわデッサン狂ってるわ服の構造分かってないわ人のオリキャラ無下にするわで本当に言いたいことだらけで、そんな中でやることとか制作物とか増やしてほしくないのである

お前は自分の絵見返してそれでいいと思ってるのか、枚数たくさん描くのはいいけど1枚1枚に愛を込めてほしいし大事にしてほしい。

それが出来ないなら作品数減らしてもいいんだし(今回に関しては、その分自分カバーできるから)更にそれも出来ない・自分の絵の書く速度の把握とスケジュール管理も出来ないのであれば、商業なんて目指すべきでない。漫画家サラリーマンも同じ「しごと」。時間は守ろう!っていう基本は一緒。同人じゃねえんだから新刊落としました!」がまかり通るわけないし。

何が一番問題かって、言い出しっぺであり申込みをしてくれた張本人がその相方であること。いやお前がスケジュール仕切れよと。スケジュール決めようって提案したのも私、必要もの買い出ししに行こうって提案したのも私、そしてなぜか絵の校正してるのも私。来年も一緒に出ようぜって口約束で決めちゃったけど、来年もしマジでやるんだったらもう1から10まで私が面倒見てやろう。漫画家修羅場が命、そんなわけねえ。前自分オンリー出た時3ヶ月前から準備してたんだぞ、それを今回2週間ちょいでやろうっていうのがどう考えても間違ってる。そんで来年も締切落としたりだめだったらもう諦めよう。私は私で別で創作活動しよう。

なんだかもう当日まで何も言えることがないなぁ。

2016-06-22

うまくないと楽しめないの?

うまくなればもっと楽しい、というのは実に結構

でもうまくはない今、この瞬間、1秒たりとも惜しい。

基礎練習とか、うまい人を研究するとかね、もう無理、ふざけんな。もうやめる。

っていうパターン多くない?

理性でそう思ってなくても、本能的にそう感じて辞めることになる。

から、今を楽しむ方法を考える。

超絶プロになった100年後ではなく、今この手にそれがあるのだから

今この瞬間を楽しむ。

2016-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20160201235728

メジャーリーグ高校野球比較するのはちょっと違うんじゃないか。

メジャーは替えの選手が何人もいるから瞬間の筋力を鍛えりゃいいけど、高校球児甲子園で勝つことを計算してトレーニングするなら持久力も必要になるよ。

替えの選手ほとんどいない状況で勝ち抜かなきゃいけないし、10人も勝てる投手が在籍しているようなチームはない。

効率重視だからといってみんな5回も持たないような体力しかなけりゃしかたない。

そもそも育ち盛りで体力も今から伸びるような子も多い。基礎練として走るのはその時期の子たちにはいらないとは言えない。


追記: 最初からメジャー目指すならそのポジションのその筋肉だけ鍛えればいいだろうね。どこからスカウトこないと思うけど。

2015-11-09

球技は、概ね4つの種類に大別される。

http://anond.hatelabo.jp/20151108234357

1)ゴール系球技

敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間ボールを通すことを目的にする球技

たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。

ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術ダイナミックさゆえに最も人気のある球技

2)ラリー球技

相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技

勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲ボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー球技もある)、という失策に対するペナルティ得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。

3)コントロール球技

ボールに対する操作ルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技

時に達成の定義として円形に仕切られた空間ボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクト競技者間で完全に独立してかつ止まった状態から操作限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターンボール特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引き重要となり、チェスに擬せられることもある。

傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合ボールを飛翔させることもある。

4)サバイバルゲーム球技

相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技

遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。

ドッジボール雪合戦代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。

さて、その中で、野球(およびクリケットなど)である

これらの球技ある意味鬼ごっこという余りボール関係のない遊戯ラリー球技の要素を付加したものとは言えよう。

しかし、上にラリー球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー球技得点パターン踏襲している面もあるのだ。

また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールトス上げたり、蹴鞠貴族ボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。

その意味では、広義のラリー球技野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。

ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボール操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドボールを獲れないとか制約はあり、野球自由度よりは低い。

その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者関係特殊性ルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。

2015-06-27

本当にいた滝先生

毎週熱心に見入っているアニメ響け!ユーフォニアム」も、気がつけばあと1話おしまいである

この作品プロアマわず音楽に取り組んだことのある人、更に部活に明け暮れた経験のある人は否応なく引き込まれるのでは?と思わされる。

とにかく京アニブランドの名に恥じない、とんでもなく作り込まれた傑作であり、見どころも沢山あるのだが、その一つはなんといっても滝先生

主人公たちが所属する弱小吹奏楽部に赴任するや否や、どこまでも紳士的な物腰と笑顔効率よく、かつ凄まじい勢いで部員たちを引っ張り上げ、それまでのどこかダラっとした集団を、コンクールを戦い抜くガチグループに変えてしまった顧問である

巷では「あんな人が指導者だったらなあ」という声も少なからず聞こえてくる。

自分何となくそんな気分でいたのだが、よく周囲を見渡してみたらリアルでそういう人がいた。

それは、自分師事する楽器先生

既に習い始めて数年経っているせいでそのスタンスに慣れてしまっていたが、振り返ってみるとかなり衝撃的な教え方だったので、それをつらつらと書いてみる。


赴任早々、滝先生部員たちを集め「どのレベルまで行きたいか」選ばせ、そこで部員たちが大した考えもなく、かなりいい加減な流れで「全国を目指す」と決めてしまったことから先生の猛特訓が始まる。

翻って自分場合、レッスンを再開するのは大学受験を機に止めて以来だったが、今思えばなんとも身の程知らずというか、「○○の協奏曲と✕✕のソナタをやりたい」と言ってしまったため、ガチメニューが始まった。曰く


「実はそんな厳しくやらず『いいですよ~よく出来ましたね』とひたすら言って楽しく教える方法もあるのですが、増田さんがやりたい曲は本当に上手くならないと出来ません。

そして本当に上手くなりたいのであれば、私もそうそう甘い顔はしません(にっこり)」


さて、レッスン再開当時の自分は、高校まで習っていた分の貯金を相当食い潰しテクニック的に荒れ放題、かなりアクの強い音を平気で出すレベルに落ちぶれていたのだが、一番まずかったのはその場のノリと勢いだけで演奏してしまうこと。

それの何が問題か分からなかった自分に、先生は「増田さんの演奏を真似してみますので見ていて下さい」と、自分楽器を借りて再現してみせた。

そのあまり破廉恥な音に、しまいには「もう勘弁して下さい」と言って止めてもらったが、ショックで帰宅後泣いた。まさしく「悔しくて死にそう」だった。

それに限らず、あの頃は毎回レッスンが終わるたび「あー今日も上手く出来なかったなー」と思いながら家路についていた。

帰ってからの練習は悩むを通り越し、真剣に苦しんだ。「まだ音が荒い、一体どうしたら・・・」と試行錯誤の日々だった。


また先生自分特性を見抜き、かなりフレキシブルな教え方をしてくれている。

例えば練習メニュー

普通器楽でも声楽でも、練習と言ったら基礎練と曲練がセットである。そうじゃない練習なんて聞いたことがなかった。

しか自分場合は曲練のみで、基礎練は一切なしなのである

それもさらう曲は全てコンサートピース級の名曲ばかりで、さら過程問題が出てきたら、問題箇所のため部分的ロングトーンとかの基礎をやってみるという練習方法

こちらとしてはそんな思い切った練習では不安なので基礎練はしないのか訊いてみたところ、こう返された。


「生徒さんにも基礎練で伸びる人と伸びない人がいますが、増田さんは基礎練では伸びないと思います

多分増田さんは基礎練スケールエチュードをやっつけでこなすタイプでしょう?

その先にあるのは曲練もやっつけ、更には本番もやっつけ・・・それだと何のために演奏しているんだ?という話になります

レッスンを止めた後、そうやってどんどん音が荒れていったのではないでしょうか。

ですから基礎練はやらなくていいので、その分曲練に集中して下さい。

そもそも曲が仕上がることが一番の目的なのですから、だったら直接曲に取り組むほうが分かりやすいでしょう。

技術演奏出来るようになるために、必要に応じて身に付けていけばいいのです。

表現したい音楽のために技術があるのですから

その代わり、一音たりともいい加減な音を出すことは許しません。

どういう音を出したいかきちんと頭でイメージし、それが音になるまで一切妥協せずさらってきて下さい」


・・・とまあ、そんな感じでレッスンを受け続けた結果、どうなったか

これ以上ないくらい厳しい目で見ている先生をして


半年でここまで出来るなんて、順応性が良すぎて逆に出来てるか疑いたくなります

一年前とは別人です。以前どんな音で増田さんが演奏していたか忘れてしまいました」


と、そんな褒められ方生まれて初めてというアウトプットを得られた。

この先生は本物だ!と思い知らされた。


そうは言っても、目指す高みはまだまだ遠い。

でも結果が出ていると意外と気にならなくなるのだから、「人は単純だ」。

勿論、こういう先生が苦手な人もいると思うので、この先生神様などと言う気は毛頭ないけど。

2014-04-08

大学オーケストラをやろうと思っている新入生へ

まず、あなた大学オーケストラをやろうと思っている理由は何ですか?

友達に誘われて?大学デビュー?新しい分野にチャレンジしたい?高校でやってた?

理由は何でも構いません。クラシックに興味を持っていただけるだけで私は嬉しいです。

そんなあなたの素晴らしいキラキラした瞳を「こんなはずじゃなかった…」と濁らせないために少し話をしようと思います

まず、初心者の方。努力出来ますか?

ピアノを弾いていた方なら憂鬱基礎練習を思い出していただければ言いたいことはわかるでしょう。

運動部だった方、自分技能を上げるためにそのスポーツをやり続けるだけでなく、長時間筋トレなどがあったと思います

弾きたい曲が努力なしで出来るわけがありません。

ただ、弾けた時の感動や舞台で浴びる拍手の音には何物にも代えられない価値があるように私は思います

一つ一つ先輩に手ほどきを受けながら習いましょう。

大学ほどにもなると大抵経験はいます。上手く弾けなくたって構わないのです。あなたスピードで練習していきましょう。

焦って形にならなくて結局何だったのかわからないまま終わってしまった…と言うのが一番避けてもらいたい状況です。

大学オーケストラ定期演奏会があると思います自分が乗る曲の好きなフレーズを見つけ、「ここだけは弾ける」という部分を決めて…と言うのも極論としてはアリだと思います

周りの人に流されず、音楽を練習し、勉強し、その中で楽しみを見つけられればと思います

次に、経験者の方。貴方の主義や性格にそのオケは合っていそうですか?

あなたの入ろうとしている大学オケ過去演目を調べてください。知らない作曲家がいますか?

意味の分からない演目があったら歓迎会などで先輩にそこはかとなくその曲が決まった経緯を聞いてみましょう。

そのオケの抱える問題が見えることがあります

あとこれは新入生の方にも言えますが、サークル費を調べてみましょう。

低すぎるのもどうかとは思いますが、若干高めな上その印象を抑えるために比較対象都内私大オケになっているものには気を付けてください。

(その手法を使っているオケが全て悪いとは言いませんが)

サークル費の高さはどこに流れているのか注意が必要です。ホール指揮者トレーナー先生に充てていると言うのなら大丈夫でしょう。

ただ、サークル費を稼ぐためにバイトを頑張って単位を落としたり身体を壊しては元も子もないのです。

学生の本分は勉強です。自分限界相談をしながら楽しい大学オケ生活を楽しんでください。

言いたいことは実際はこのくらいだけです。

オーケストラは50人、100人規模の「アンサンブル」です。指揮者コンサートマスターなどの存在はありますが、大人数で1つの音楽を作り上げる中で他では味わえない感動があります

そして、音楽を通して様々な事を学んでほしいと思います技術感情、人との交流…そこには様々なものがあります

辛いことも、嫌なこともあります。人が多くなればサークルの中でも苦手な人・嫌いな人は出てくるでしょう。

その人と何とかやっていくのか、辞めるのかは貴方次第です。

音「楽」という字面だけ見て、音楽は楽しまなければならないモノだと思い続ける必要性ははありません。

自体にも悲しみやジレンマ表現したものもありますし、音楽が全て楽しいものだとは私は思いません。



同期や先輩、後輩との楽しい時間

指揮者トレーナー人生経験

オーケストラほど「音楽」と言うもののために、これだけ多くの人と交流するは他にはないと思っています

貴方の4年(6年)が楽しい大学生活と共にあることを祈っています






最後に皆さんが失敗しないために私の知っている2人の学生オケ「失敗経験者」の話をしたいと思います

後味の悪い小話ですので気分を害したくない方はここまででお帰り頂いた方が良いかと思われます

また、これはどちらも大学以前にクラシック経験があった知り合いの話ですので初心者の方には参考にはならないかと思います

(さらに、当人たちから聞いた話ですのでそのオケの悪い部分だけが誇張されている可能性も否定できません。)

それでは、1人目から

1人は割と厳しい高校吹奏楽経験者で、(わかる人にはわかるかもしれませんが)吹奏楽部のようなドロドロとした中でひたすら技術音楽理解を追い求めて行ったタイプです。

彼女が入った大学オーケストラは割とゆるめのほんわかしたタイプオケでした。

定期演奏会は有名作曲家を並べたもので、オケメンバーもやる時はやるもの基本的には飲み会やおしゃべり多めといった雰囲気だったそうです。

彼女は2年目以降は(練習の鬼と言えばいいのか)練習一辺倒になり、周りから頼られつつも1歩引かれていたように感じていたそうです。

彼女最後まで大学オケをやり切り、音楽だけは楽しかったと言っていました。

私としては個人的には仲間や先生方ともっと楽しんで欲しいかったなと思います

2人目は逆にポップス曲や有名曲をやってきた高校オケ経験者で、入った大学オケが性に合わなかったと言っていました。

そのオケ技術メインで(技術一辺倒が悪いとは私は思いません)、各パートトレーナーが付くほど本気な大学オケだったそうです。

彼は経験者と言うこともあり、サークルの枢軸といいますか、選曲などかなり重要な部分に関わっていたようです。

しかし、オーケストラトレーナー名誉顧問(?)のような人に半分牛耳られていて、定期演奏会の曲の案を出しても中々許可が下りず、毎回1,2曲不本意な曲を入れて妥協していたようです。

(夜な夜なサークル選曲係系の幹部と一緒にヤケ酒をしていたとか。)

[これが定期演奏会のの演目を聞けと言った理由です。]

彼はさらに、高校オケ音楽雰囲気大学オケ頭でっかち音楽ギャップにも耐えられず、役職交代のタイミングで退部届を出したそうです。

後味は悪いですが、話をこのぐらいで閉めさせていただきます

(回避するためにインカレと言う手段もありますね。インカレはそれはそれで苦労はありますが、私は悪くない選択だとは思います。)

年寄り妄言最後まで耳を傾けて頂きありがとうございました。

これを見た人の中には「これは全く馬鹿げた意見だ!聞く必要もない!」と言う人もいると思います

様々な人が音楽に、学生オケにそれぞれの思い入れ・考えを持つことは当然の事ですし、私とは真逆の事を思う人間がいることにも何ら疑問はありません。

ただ、こういう意見があると言う事を頭の片隅に入れて頂ければと思います

私は皆さんに学生オケをするなとは言いません。むしろ積極的に参加して欲しいと思っています

ただ、意欲的に参加したサークル憂鬱な4年(6年)を過ごす人がいないこと望んでいるだけです。

皆さんは大学オケ選びに失敗しませんように。

2013-09-28

中学校時代、「デブから柔道をやれ」と顧問に目を付けられ、親まで巻き込んで柔道部に入れられた。

ランニングだの受け身だのの基礎練習はキツかったが、まあそれはいい。

問題は、その三年間で、柔道を以下のような行為と理解した。せざるを得なかった。

殺人衝動と攻撃衝動解放し、相手を地面に叩き付けて、審判が止めるまで相手を圧殺するか絞め殺そうとする競技」

初めての寝技の訓練で、顧問寝技乱取りをやっていた時のこと。

講師に抑え込まれて「ぐっ」だか「くっ」だか、悪態めいたうめきが口から出てしまった。

その瞬間、顧問がキレた。「てめー、指導者に向かって何だその口の利き方は!!」

寝技の訓練では抑え込みから逃げ出す練習の筈だったのに、いきなり首を絞められた。

まだ13歳のガキを、柔道経験者の大人が、いきなり絞めに来たんだ。

で、かろうじて絞めをふりほどいたら、「まだ終わってねえぞコラ!」とまた首を絞める。

息はできない、のどは苦しい、顔に血が集まって視界は白く濁り、「死」の文字が頭に浮かぶ。

逃げては絞め、逃げては絞め、ついに俺は、初めての寝技の練習で、逃げ方を習っても居ない絞め技で落とされた。

次に意識を取り戻した時、顧問は俺を睨みつけながらこう言った。

「お前がふざけてるからそうなるんだ。わかったら反省するまで立ってろ馬鹿者!」

その後、絞め技で目に血流が偏り、両目の毛細血管がブチブチ切れて内出血したが、特段休むこともなく練習に放り込まれ続けた。その時わかったよ、部活ってのは恐怖で統治して、相手に憎悪を刷り込んで戦わせるもんだって柔道ってのは審判が止めるまで戦い続ける、ルールのある殺し合いだって

そして、その後3年間、「指導」の名の下に、顧問に圧迫されながら柔道と言う牢獄に俺は放り込まれた。

その後、地域でもそこそこ強くなったけど、もう二度と柔道はやりたくなかった。

柔道から解放されて高校に入る時、もう俺は自由なんだ、って叫びそうになったよ。

顧問ビンタしてる動画があったろ? あれに実際にギリギリ絞めるとか寝技で胴体圧迫するとかを加えるのがうち中学における、柔道一般的な「指導スタイルだったよ。柔道ルールのある殺人だってことを教えてくれてありがとうT先生、俺はもうやらない。

2012-10-01

歴史から学ぶだけで現場の実情を汲み取れない哀れな人っているよね

http://anond.hatelabo.jp/20121001123743

件のコメントは俺がバカな厨房を装った釣りコメから、何マジレスしてんの?ニコ動は初めてか?力抜けよ

こういうコメを書く前に、毎日の練習がてらもうちょっと自分がやっている楽器歴史も学んで欲しい。

え?全国大会ゴールド金賞できゃあああああああああああって黄色い声をあげることと楽器歴史を学ぶことに何の意味があるんですかね?

そんなくだらないことグチグチ垂れてる暇あったら基礎練しろよ。甘えてんなカス

こんなことでクラオタとかに「水槽厨」などとバカにされるのはつまらないし、見ているこっちが恥ずかしい。

だって馬鹿にされる演奏ばっかりしてるし、音も濁ってて気持ち悪いし、バカみたいな味付けした演奏ばかり出まわってそれらが普門館で金賞なんて取ってるからバイブルになってるし、そういう業界がバカにされないわけがないよね?ww

だいたい歴史から学ぶならクラシックのほうが立場が上なのはわかりきったこと。吹奏楽はどこまで行っても「実用音楽」でしかいからねww

あとオケサックスがないのはオケ歴史と比べてサックスが新しい楽器というのもあるけど、音が弦と決定的に合わないことが一番の原因だと思う。

オケの基盤は弦の豊かな響きなので、それをスポイルちゃう楽器定席を得られないというわけ。

そもそもオケサックス不要協奏曲にたまに出てくる程度でいいんだよ。

以下余談。

知り合いのファゴット吹きに、中高の吹奏楽には憧れのファゴットが無くて、一人はバリサク、もう一人はユーフォニアムで過ごした人がいたっけ。

どっちも大学オケで初めてファゴットを手にし、たちまち名手になってた。

とても素敵な転向だと思う。

はいはい、おめでとうございま~す。すごいね88888888

で?っていう

2012-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20120918174326

苦手な人も一定レベルに導ける指導ができる前提ならいいかもしれないけど

基礎練習をしっかりやらせれば器質的な障害がない限り、誰でも基礎動作はできるようになるよ。それさえできないなら体育教師資格ないでしょ。

九九を教えられない算数の先生なんて必要ない。基礎動作を教えられない体育教師必要ない。

 

いろんな種目やれば一つや二つは人並みにできる種目あることが多いし。

そうじゃないかスポーツ嫌いが量産されてるんだよ。

体育って、2年とか3年、短くて1年でもいいからずっと同じ種目やらせて、その時間ほとんどを基礎練習に当てて最後10%ぐらいで模擬試合をやればいいのに。

次々種目を変えて基礎練習をおろそかにしてゲームに放り込むから児童生徒は何も新しいものを習得できず "なんとなく" "センスで" 動ける範囲でしか動けない。

結果、ただただ運動の得意な子が運動神経のよさを披露して遊んでストレスを解消するための場になる。

2011-07-27

吹奏楽が気に入らない話の続き

↓これの元増田です

http://anond.hatelabo.jp/20110726182058

ぶっちゃけこんなに伸びると思わなかった。

まず、認識を改めないといけないと感じたこと、やっぱりそうだよなと感じたこと

色々あったのでこの記事に対してトラバしてコメントする形でまとめる

http://d.hatena.ne.jp/usatome/20110727/1311720122

ジャンルとしてのガラパゴス化については問題じゃない

まず、「ガラパゴス」という表現は吹コン中心の日本の現状に対してのもの

吹奏楽というジャンルそれ自体に関して問題視したわけではないです

ショボさ

自分が言いたかったのはusatome氏の言葉を借りるとこれが近い。

吹奏楽はいろいろなジャンル音楽を編曲によって引っ張ってきてるんですけど、それをことごとくショボくしている



ただ、自分はショボくしている原因は編曲だけのせいじゃないと考えてる

まず、「吹奏楽曲・吹奏楽オリジナル曲」と呼ばれる曲

あのうやうやしく演奏する様だったり壮大な曲調だったり

とりあえず基本はクラシック"的なこと"がやりたいんだよね?ってのを前提で話を進めた

「ぱっと聞いたり見たりした印象はクラシックジャズポップスかと聞かれればクラシックでしょ」

という程度の話でしか無く、そこまでクラシックマンセーしたり追従すべきだと主張したりそもそもの起源から論じたいわけじゃない。

で、そういうような吹奏楽曲(=クラシック風)と、着席してるくせにマーチングみたいに踊りながらやるジャズ

ちょろっと曲数稼ぎのJ-POPと、なんでもかんでもなそういうステージ悪趣味じゃない?

(あと、クラシック風なのにビッグバンドみたいにスタンディングしてソロ吹くのも嫌い)

魅せ方・選曲・編曲色んなとこでそういう中途半端精神蔓延ってるのを「イロモノ」って表現した

表現の多様性っていうとポジティブ表現だけど完全に履き違えてるでしょう

(まともに纏めてるバンドがちゃんと一定存在してるのも知ってます

個性<集団」の説明と訂正


まぁ要は自分が苦しめられた気持ち悪い同調圧力は、

吹コンで入賞するようなとこはみんなやってるんだと思ってた。

で、こういうのを元増田が言うように、アホな弱小校が真似すると大変なことになる。実体験でわかるぜ。なんで顧問演奏中の動きまでコントロールされにゃいかんのだ。

でも正しくはこのパターンらしい。要するに自分出会ってきた「そこそこ」な人は弱小の部類だったわけだ。それは考えを改めないといけないみたいだね

ちなみに「そこそこ」って県で金賞→地区落ちコースの常連ね。

転勤してきた「そこそこ」の顧問大学・一般で出会った「そこそこ」高校出身者が

さも当然のように同じこと言うもんだからそこそこ以上の総意だと思った

あと本当に審査に影響してるかは知らないんですけど(僕はさすがにそこまでは見てないんじゃないかと思う)、吹奏楽部はなぜか見栄えにもこだわる。ニコニコとかでコンクール演奏見れば分かると思いますが、いわゆるトップ校は、奏者の「動き」が揃っている。文字通り「動き」ですよ。マジでフルートの角度とかまで揃ってたりするからシャレにならない。

「動き」もそうなんだけど、道具から練習方法からすべて"統一"することが何よりも重視されてると感じた

「そこまで出来ないけど理想はやりたい」「絶対やれ」など込みで耳に入ったもの列挙

材質・メーカーを統一するために個人持ちの良い楽器使わせないとか、マッピとかリードリガチャーも完全指定されるとか

音質統一させるために普段3半リードなのに3にさせるとか

(3を3半にさせるのはギリギリじゃ無理だからね、ペーペーに揃えてどうすんだと)

まぁあと細かいところだと休符の構えがどうのこうのとか、

そういうのばっっっかりたくさん押し付けられたので

どれが妥当でどれがやりすぎか吟味するんじゃなくて思考停止信仰するか拒絶するかしかなかった。

基礎をないがしろにして(そもそも顧問が間違った基礎練押し付けてくると地獄なんだけど)

そういうことばっかり気にして音楽ごっこしてる人がいっぱいいる印象なんだよね

県で金賞→地区落ちコース程度を「弱小は酷いことやるよね」と

マイノリティみたいに片付けるのはねーどうかねー。

結論

まぁ私怨が大いに絡んでるのは自覚してるし、自分が関わったのがたまたまアレだっただけみたい

でも吹奏楽オケ室内楽みたいのといくつか団体渡り歩いた結果

ダメなのを引いたのがことごとく吹奏楽

「(履き違えた信仰だったにせよ)あー吹連信者だなー。」と感じたのもまた事実

やっぱり裾野が履き違えることを考えると宗教じみてるのは良いと思えないな

2011-06-26

模写はやっぱりダメなことです

私は絵を描くのが好きだ。

ただ、下手。

夢はマンガ家!と思ってた時期もあったけど、まぁもうこれは才能だろうなぁと諦めて、

今はただ、楽しみのために絵を描いていきたいし、どうせなら上達したいと思ってる。

で、画力を上達するために私が考えたこと。

1,ヌードデッサンや人物デッサンなどの勉強

全くしたことがないときよりは、それなりにかけるようになってきた。

でも、見たものを描くことと、創造世界を作って描くことはちょっと違うなと感じてきてる。

創作的な絵にはあまり変化はなかった気がする。

ただ、絵の密度をあげる勉強にはなったかな。

2、人体の仕組みを理解する

なのでインターネットや本の資料を読んで描いてみた。

知識が増えるだけで絵に説得力がでるようになってきた。

覚えたことを全部絵に反映させられるわけではないけれど、勉強する度力はついてきてる気がする。

これは音楽なら運指練習、スポーツなら走りこみや筋トレにちかい基礎練習的なものだなぁと感じた。

なので、楽しいっちゃ楽しいけど、それプラス絵を描いていきたかった。

3、写真や好きなマンガ家の絵の模写

ゼロからも描いていくけど、やっぱり資料があって描いたものとはちがう。

自分だけの頭でできたちっぽけな世界より、説得力のある絵になる。

ゼロから描いても楽しいけれど、見返してうれしくなるのは資料を見ながら書いた絵。

ある本に「模倣することで引きずられる形で精度があがる」と書いてあり、なるほどとおもった。

日本画の授業では模写がある。デザイン勉強でも模写はいいらしい。

模倣からかたちを覚え、身体に身につけていくことは結構あるとおもう。

から、何かを習得するには、模倣していくことが大事

そう思ってた。



でも最近は、模写が怖い。

ネットで、「こいつトレスしてんぞー。模写してんぞー」とまつりあげられてることがある。

まんま模写!がわかると、その絵の価値も、作者も全部否定されている。

(そりゃぁ私も、人の絵を丸パクリして金銭的なものに変えていたり、楽して評価されようとしているのをみると「どうかなぁ」とは思うけれど…。)

私は、模写で商業的な成功をしたいとは思っていない。

ただ勉強として模写をして色んな絵をかけるようになりたいとおもってるし、もしいいのならそれを公表して人に見てもらえたら、と思ってる。

でもそれはマナー違反っぽいよね…。

「これは◯◯をもとに描いています」ってかけば、問題はないですか?

その作者に「〇〇を勉強のために模写したいですがいいですか」って許可をとればいいですか?

自分で全部撮影した写真だけ参考にしたらいいですか?

そもそも、資料を見ながら作った絵は、発表してはいけないですか?

絵を描いて発表したい。でも、絵を書くのが、発表するのが怖い。

2010-10-09

基礎練習は必要だが、それだけでは足らんのですよ

http://anond.hatelabo.jp/20101008123335

基礎の詰め込みは避けて通れません

大学受験人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。

例に挙がってる数学のケースで言えば、おおざっぱに以下のレベルがあって、

  1. 公式を覚える(単なる丸暗記)
  2. 公式を理解する
  3. 公式を定型的に応用する
  4. 公式の応用方法を考え出す

教科書の公式を証明するのは2.~3.のレベル教科書に載ってる公式なら大抵は証明も一緒に習ってるはず。

受験数学だと、大学ランクによるけど2.~3.ができればそこそこの所には入れる。過去問題をやりまくって経験済みの応用パターンを増やせば結構良い大学まで3.の勝負にできる。

でも東大京大クラスでは4.レベルを要求される。3.レベルは出来て当たり前の人間が集まってその中で頭ひとつ抜け出ることを要求される。


高校の教科書が理解できていれば東大でも入れるってのは、入学試験の前提条件として要求できる知識は高校の教科書に載っている内容のみって縛りがあることの裏返しとしては正しいが、+αの問題解決能力を要求されないって意味ではない。

だから、そう主張してる人がいたらそれは

  • 応用力はともかく知識としては、という前提で話をしている(その前提をその場で説明するとは限らない)
  • 背景を理解せず、結論だけを請け売りしている(おそらくその人自身には東大に入る実力は備わってない)
  • 応用力が無い人もいるってことを感覚的に理解できない天才(呼吸するように出来る人には出来ない人の気持ちを理解するのは難しい)

のいずれか。

2010-07-12

自分の才覚に自信がなければ、真面目さは逆に足を引っ張る

俺も院卒だけど。

何度やっても「人の話を聞け」と言われる。自分では、人に言われた事にものすごく気を付けているつもりなのに。ある時、もう、真面目になるのを諦めて、「不真面目になろう」、「人の話を逆に全く聞かないようにしよう」と思った。一旦、全部の注意をまっさらにして、自分が他人だったときに論理的に考えてやられると困るミスから潰していくようにした。他人に共感することはできなくとも、いい大学に入っているのだから、論理的に考えることは一応できる。そうしたら、だんだん普通に作業できるようになった。

http://anond.hatelabo.jp/20100709111531

この感覚は非常によくわかるなあ。仕事全般じゃなくて人間関係全般でね。

もし元増田で話題になってる院卒の人が過去の俺と同じ問題を抱えてたと仮定すると、その人は多分何かにコンプレックスを抱えてるんだよね。一番ありがちなのは多分「KY恐怖症」。院卒というぐらいだからいい意味でも悪い意味でも世の中ではかなり特殊な経歴の持ち主なわけで、世の中の常識自分常識がずれてることが結構あるわけよ。だから、周囲に自分を合わせなきゃいけないって気持ちを常に抱えてる。そこで色々無理してしまうんだ。たとえば俺の場合だと、ちょっと例が古いけど周囲が小島よしおネタで盛り上がってるときに、自分小島よしおの何が面白いか全く理解できなかったわけ。ところが職場飲み会で「小島よしおなんて何が面白いんだ」というわけにはいかない。だからそこは無理に合わせて「そうっすね、最高っすよね」とか適当に言って笑っておくしかない。そういう細かいことが積み重ねって神経すり減らして肝心なところに目がいかなくなっちゃうんだよね。

本当は、知識として覚えておかなければならない注意などごく一部で、多くの注意は、論理的に考えれば帰結できるはずなのだ。ところが、このタイプの人は、他人を必要以上に恐れており、他人に言われたことは全て守らなければならないと思っているため、「注意された理由を考える」という概念が欠如している。そして、言われた注意を全部丸暗記しようとする。この方法は、実は、試験では上手くいく。

ちょっとその説明は誤解を招くんじゃないかなあ。そういうことを言うとますます「高学歴試験しかできない」という世間の思いこみが強化されそうだし。

ここで一番重要なところは「他人を必要以上に恐れており」という部分だよね。「注意された理由を考える」という概念が欠如してしまう原因はなぜかというと、結局「自分論理が通用する」という自信がなかったり、あるいはどういう論理を使っていいかそういう実例を見たことがないから想像ができなかったりということでしょう(逆に、学校勉強ができない人の多くは「学問を必要以上に恐れている」問題を抱えている気もするけどそれはさておき)。

ここでもまた自分語りするけど、俺は子供の頃から音楽をやってたんだけど、上達がどうも遅くて何十年やっても自分演奏から素人臭さが抜けなかった。それなのに、「子供の頃習わされてたけど特に好きでもなかったから」とか言ってる人の中には、俺よりよほど技術的に洗練されている人がゴロゴロいたりして、自分がよっぽど才能がないと思ってたんだ。その才能の差を努力で埋めようとして基礎練をいろいろやってみたけれど、やればやるほどおかしな方向に進んでしまうので、本当に絶望するしかなかった。

でもあるとき都合で師匠を変えることがあって、愕然とした。その師匠は単に自分が何かをやってみせて「こうしろ」というのではなく、「この曲のこの箇所ではこのような音をつくるために、体のこの部分をこういう感覚で動かせ」とか、全部理詰めで教えてくれたんだよね。何がびっくりしたかって、「効率よく体を動かす」みたいな発想で頭を使っていいっていう発想がなかったから。「芸術とは才能と努力のたまものである」みたいな漠然とした考えしかなかったからね。

これは本当におかしなことで、勉強とかいうことになれば、必要な知識や手法を理解するためにはどうしたらよいかとか、時間と効率を考えて戦略を立てるという考え方が自然にできていたのに、趣味の方ではまるでそういう発想が働いていなかったわけ。この差はなにかというと、結局は学問の方では「自分馬鹿ではない」という一定の自信があったのに対し、趣味の方では「自分には才能がない」と最初から決めてかかっていたことで発想を萎縮させてたってことなんだと思う。

自信というものの大切さは一事が万事で、元増田の院卒の人も結局は同じ問題抱えてたんじゃないかと思うんだよね。院卒の人なんてのは得てして「象牙の塔学問なんて机上の空論」なんてことを言われ続けて屈折してたりするから、案外その人も

自分社会でやっていけない、自分の考えでものごとを進めたら失敗する、だから自分ではなにも考えないで人の言うとおりにしよう」

という風に自分自分を押さえ込んだりしてしまっているんじゃないだろうかね。

これを克服するためには何らかの成功体験が必要なんじゃないかと思う。俺自身、自分がそういう発想に陥りがちなのを自分で気づいて自分で克服したきっかけは、上に書いた趣味の分野での気づきだったし。

というわけで提案。元増田の人は、たとえばその院卒の人にメイン仕事とは離れた部分のことで、責任も重くなければ息抜きにもなるようなこと(たとえば社外ボランティアとか、やりがいはそれなりにあるけど失敗しても謝れば済む程度のこと)を割り振ってみるとかどうでしょう。一度何かできっかけをつかめれば、「自分で考えていい」ってことに自信を取り戻せて、氷が融けるようにじわじわと本領を発揮する場面が徐々に増えていってくれるんじゃないかと思うんですが。

2010-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20100517092641

何が卑怯なんだ?世の中手とり足取り教えてくれる事が当たり前とか言っちゃう所が子供であることの証明だわな。

非モテプライドだけが高いから、基本的な恥も伴なう基礎練習の状態に耐えられないんだよ。

その上口だけ開けて餌を入れてくれないと嫌だ、と抜かす。

大切なのは自ら出来ない事をチャレンジしてトライエラーして悪い所を徐々に直していく事だっつーの。

2009-06-29

習い事中毒な私

子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。

目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。

1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。

2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。

特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。

3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。

以下にこれまでの遍歴を述べることとする。

<序章>

習字

期間:小学校1年〜高校2年(週1回)

動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。

結果:だいぶ上達した。学校展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。

受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。

エレクトーン

期間:小学校4年〜6年(週1回)

動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。

結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)

中学大学時代までずっと部活楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。

<第1章>

陶芸(月2回、3カ月コース)

期間:大学4年の1月〜社会人1年目の4月

動機:前から興味があったが、サークルバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学バイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。

結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。

先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。

●絵画教室

期間;大学4年の3月〜社会人1年目の5月頃(週1回)

・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。

結果:講師引っ越しを機に自然消滅

・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。

篆刻カルチャースクール

期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)

動機:高校書道時間篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール

結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。

・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。

自動車免許教習所

期間:大学4年の3月〜社会人1年目の夏

動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。

結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー免許証使う機会は身分証明目的のみ。

・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。

<第2章>

大学通信教育課程(学芸員

期間:社会人2年目〜現在

動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。

結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習テキストレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。

・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。

英会話

期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)

動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。

結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICスコアが100上がった。

・土日は無駄ゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。

フィットネス

期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)

動機:仕事ストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。

結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。

・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。

料理

期間:昨年10月現在(月1回)

動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。

結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。

・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。

華道

期間:1時間(体験レッスン)

動機:高校大学時代の友人達華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。

結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。

・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。

ドイツ語

期間:これから(入門編3カ月のみ)

ドイツ一人旅を機に習ってみたくなり、たまたま近所に格安の教室があるのを知って入会してしまった・・・。さあどうしよう。

2009-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20090511161122

補足で、自分高校から部活楽器始めてろくに習いもしなかったんで、上手くないんですよ。しかもやってる楽器が一番難しいとこだから、本当毎日練習しないと追いつけなくて。

書き込み内容から想像しただけで判断するけどさ、ものすごく効率と要領の悪そうな練習をしてるような気がするわ。

上達に加速度つけたいなら、周囲の楽器が上手くて学業バイトと両立させてるような人に効率のいい練習のやり方を聞いてみな。

どういう基礎練やってて、どんなイメージを持ってどんな点に神経を行き渡らせて音だししてるのか、そういうところ。時間掛けてれば上達するってもんじゃないよ。

で、浮いた時間バイトして金貯めて、大学オケ集大成である増田の最後の演奏会までに一度だけでも親を招待してやれよ。

自分だけが楽しく過ごすんじゃなくて親にも楽しさを分け与えてやれよ。喜ぶぞきっと。

一番難しい楽器ってなんだろう?ダブルリードか?

なんにせよ学業が主であることだけは忘れずにがんばれよ。

2009-01-05

イカスミのように真っ黒い液体が自分の中でうろうろしている。

昔所属していた学生オケでトップ争いがあったとき

陰口が渦巻いてる状況に耐えられなくなって誰にも何も言わずオケを辞めた。

それでも、オケで弾くのが楽しい時もあったじゃないかと思って

他のアマオケに入ったけれど

「他人の邪魔にならないよう弾かなきゃ」という意識が先行して

一人で勝手に緊張を感じてフェードアウト

学生オケ時代の知人が立ち上げるオケに立ち上げから関わったら

またオケを好きになれるかもしれないと思ってすごくいろいろ頑張ったけど

他の運営メンバーにうまく仕事振れなくて、フリーライダーを作ってしまい

でも誰にも自分のしんどさを伝えられなくて一人でいろいろ抱え込んで、

第一回演奏会終わった直後に高熱出して寝込んだ。そのオケも辞めた。

楽器を弾くのが全然楽しくなくなったので

バイオリンを試してみたいという友人のところに貸した。

楽器ケース見るのも嫌だった。

どんなに練習しても超えられない壁があって、

自分の体なのに言うこと聞いてくれなくて、もう嫌だと思った。

上手くなりたいのにどうしたらいいのかわかんなくなった。

好きだったはずのものを嫌いになっちゃうのってものすごく悲しい。

学生オケ内の政治力はその人の楽器の腕とニアリーイコールだから

あの時、周りを黙らせるくらい楽器が上手かったら

少しは状況が変わっていたのかなとも思うけれど

そういう訳でもないんだよな。

言いたいことがある時はその場で言わないとだめなんだよな。

去年の秋、システマチック基礎練を教えてくれる先生と出会って

今は少しずつ基礎の練習からもう一度さらってる。

長いこと蓄積してきた体の癖はそう簡単に抜けてくれないけど

構えを変えたら明らかに響きが変わった。

浅田真央自分ジャンプの悪い癖を3週間で修正したってTVでやってたけど

それができるのは本当に本当にすごいことだと思う。

あと、たまたま今の学科内で弦楽四重奏のできるメンツが揃ったので

時々四重奏を合わせてる。

まだまだ上手く弾けないところもあるけれど、気の合う4人で弾くのは楽しい

オーケストラみたいな大規模な組織でなんかするのは向いてなかったみたい。

ほんと学生オケコンマス決めの時は怖かった。

何人かと雑談してて、コンマス候補の子が席を外した瞬間、悪口の大炸裂。

もう( ゜Д゜)ポカーンとしてなにも言えなかった。

さっきまでニコニコ楽しげに雑談してたのに。

あと、自分楽器の腕に対してこだわりすぎてたことに最近気づいた。

音質は悪くないんだけど、基礎がないから音程アーティキュレーションがめちゃくちゃ。

生き急ぐこともないんだよな。

解決すべき課題がきちんと見えてきただけ数年前より格段にラクにはなってる。

今年は楽しく楽器の弾ける年にしたいなあ。

2008-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20081208223952

いくらなんでもそりゃ無理だ。何かを始めるのに遅すぎることはないという言葉は確かにあるけどさ。プロにならないにせよ人から萌えられるような絵を描くのには数年か

かるよ。社会人がそれに耐えられる?

俺が不安だったのは、老眼などの肉体的なハンデが障壁となってこないかどうか。そこを期待して質問したつもり。

気力の持続に不安は無い。けど、よくよく考えてみたらJOJOの作者って50歳なんだよな。冨樫某も見た目若くなさそう。なんとかなるかも。

遅咲きの漫画家でも40歳からスタート、ってケースは無さそうだけど。まあ競争世界に飛び込むつもりは無いからそこは知らんぷり。

あー、でもあの人たちはインセンティブがあるからなぁ。描かないと死ぬわけだし。俺そうじゃないしなぁ。そこが不安といえば不安かも。

(ちなみに俺が描ける様になりたいのはイラストであってマンガじゃないよ)

同じ理由で音楽だって難しい。今からヴァイオリンをマスターする気力があるか?アマオケに参加して楽しくなる程度になるのに5年はかかるぞ。

バイオリンは知らないけどフルートトロンボーンならぶっちゃけオケへの参加は1年後からで良い。基礎練習は平行してやる。それでどうにかなる。ただし、絶対に師事するコーチを確保する。これ重要

絵描きも同じだ。お前はバスケを始めるときドリブルの練習を1ヶ月も2ヶ月も続けられるか?

できる。その死ぬほどつまらん練習の果てに、大抵の世界では良いことがあることを俺は知っている。たぶん絵画の世界も同じだと睨んでる。

若けりゃいいだろう。だけど30歳も後半だろ?徹夜できるか?ソフト開発だって台頭してるのは若い奴ばかりだぞ。

徹夜は能率が悪くなるだけなのでしない。たぶん絵の練習を寝る時間を惜しんでしたりはしない。ニコニコ動画作った人は確か30代だぞ。

2008-11-11

犬式蹴球戦術

犬式蹴球とは

頭の中がアレな事で有名な我らがサッカー協会会長様から、先日このような提案がなされた。

すでに地方協会訪問の際に、「10-15歳の育成世代でバックパスをさせてはいけない」と地方協会幹部たちへ指導方針の通達を始めている犬飼会長ドイツのような“ルール化”まで視野に入れる。育成世代の試合でバックパスを出した場合は警告を出したり、プレーをその場で止めるなどの特別規則が導入される可能性まである。

http://www.sanspo.com/soccer/news/081108/scg0811080504000-n2.htm

なにをもって『バックパス』と見なすのか定かでないが、仮に記事後段にあるようにラグビーの逆、「後方へのパス一切禁止」という事であるのならば、これはもはや別の競技である。

よって、このルールの元で行われる競技をア式蹴球ならぬ犬式蹴球定義し、そこでの戦術考察したい。

攻撃編

斜め後方へのドリブルが基本

犬式蹴球においては、縦方向のパスコースが切られるのは鉄板である。さらに横パスインターセプトも常に狙われる。そこがアタッキングゾーンならばドリブル突破を狙うべきではあるが、そうではない低い位置ならばどうか。横方向へドリブルしつつ縦を空け、前方へのパスの相手を探るのが正解となるだろう。守備者の圧力を受ける為、実質は斜め後方へのドリブルとなる。

この、「進行方向に対して斜め後方を見ながらのドリブル」というのは基礎練習に組み込むべき基本動作と言っていい。

ライン際での縦へえぐる突破は厳禁

マイナス方向へのクロスが入れられない為、コーナー付近やゴールライン近くは完全なデッドゾーンとなる。えぐればえぐるほどパスコースがなくなってしまうのだ。

サイドボールを受けた選手は、早いタイミングアーリークロスを入れるか、中へドリブルで切り込んでいくしかない。

「逆ウェーブ」の動き

上記デッドゾーンに追い込まれない為に必要となるのがこの「逆ウェーブ」だ。

本来のサッカーにおける「ウェーブ」とは、ボールホルダーの後方内側にいる選手が、ボールホルダーの後ろを通り外へ回り込んでいく動きを言う。これによってサイドの数的有利とマークのずれを生じさせる戦術である。しかしながら、犬式蹴球においてはむしろデッドゾーンへ誘い込まれる危険性が増すため有効とは言いがたい。

有効なのは全く逆の動き。ボールホルダーの前方外側にいる選手が後ろから内側へ回り込んでいく。この動きで横パスを受ければ前を向いてボールを持てる可能性が増える。

「楔のボール」も厳禁

トップの選手へのパススルーパスでなくてはならない。マークに付かれている状態で足元へ入れてしまうと次の手がなくなる。『落とす』ことが出来ないのだから。(よって、3人目の選手が飛び出すという動きも無意味である。)トップの選手はむりやり振り向き突破を狙う他ない状態となり、これはかなり困難を伴う。

キックラッシュ活用

それでは、犬式蹴球においてポストプレイヤーターゲットマンが不要であるか、というとそうでもない。相手最終ラインの選手は自分の後方へボールを落とされる事を嫌う。キーパーに返せないのだから、後ろ向きでボールを追う形となればタッチかコーナーに逃げるしかない。よってフィードボールは無理にでも跳ね返さざるを得ず、そのセカンドボールを狙う戦術が有効となるだろう。深い位置からボール繋ぎ組み立てていくのはあまりにリスクが大きいというのもある。極論すれば、相手センターバックにわざとボールを渡し、そこを奪いに行くほうが効率的なくらいだ。

ロングスローは不可欠

深い位置でスローインを得た場合、近くの選手に入れてしまうと手詰まりとなる。よって、直接フィニッシュが狙える位置まで投げ入れられる選手が、チームに最低1人は必要。

守備編

ディフェンスラインはとにかく深く

上記した通り、ゴールキーパーとの間にボールを落とされるのは避けたい。また、ワンタッチで入れ替わられるのを防ぐ為にも、ある程度距離を取っておく事が必要だろう。最終ラインの選手は無理にインターセプトを狙わず、いったん楔を受けさせ、その後詰めて振り向かせない形が有効か。

サイドの守備は縦を空ける

犬式蹴球の守備は基本的に縦方向のパスを警戒する形となるが、サイドだけは例外となる。ある程度の深さからは縦へ縦へ繋がせ(あるいはドリブルさせ)、デッドゾーンへ追い込むべし。

スクリーンは拙い守備

ドリブルが大きくなった相手に対し、ボールと相手の間に体を入れる。これは決して良い奪い方とはいえない。プレッシャーがかかった状態で後ろ向きにボールを持つ事となり、手詰まりとなる。

逆に言えば攻撃の際は大きいストライドドリブルをすべし。

ゴールキーパーのさらなるリベロ

これはむしろ守備というより攻撃か。上記のように最終ラインの選手が後ろ向きでボールを持たされた場合、バックパスができないのだから、ゴールキーパーエリアを大きく離れて(少なくとも横並びの高さまで)ヘルプに向かう必要がある。

結論

犬式蹴球は放り込みやパワープレイ、力任せのドリブルベースとした大味な競技となる事が予想される。また、その特殊性により、場合によってはサッカーと正反対の戦術セオリーを持つ事となる。

よって、犬式蹴球の習熟は、少なくとも「サッカーの強化」には不適であると考える。ゴールキーパーの足元の技術に関してのみ効果があるかもしれない。


まあ、彼が言ってるのは「後方へのパス一切禁止」という事ではないのだろうさ。「前へ仕掛けるべき状況で仕掛けなかった選手ペナルティを」って事なんでしょうよ。でもね、そんなのを『ルール』として明文化できると思う?主審が一定の基準でジャッジできると思う?若年層指導者は『消極的プレー』に対して今まで全く指導をしてこなかったと思ってる?

彼が言ってる他の寝言秋春制だとか『最強チーム』だとか含め、彼は自分が銀の弾丸を撃てると思い込んでるんだろうな。自分の一言で状況が劇的に改善される、と。他の奴らは何もしてこなかったし何も考えてない、と。

うぬぼれんなっつーの。オマエの思いつきでどうこうなるほど世の中もサッカーも単純じゃねえんだよ。

2008-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20080929202627

女性は小さいころからずっと、外部からの視線を多かれ少なかれ気にせざるをえないからねえ。

いっぽう、男性は自分の身だしなみや立ち居振る舞いを意識する機会がどちらかといえば少ない。

自分をなるべく客観的に見つめて、修正すべきと感じたところを修正する(できる)機会が少ないと、

スポーツ基礎練習ができてないのに大技をマスターしなくちゃならないようなハードルなっちゃう。

ふだんから客観化と修正をくり返していればそれが基礎練習とポジティブスパイラルになって、

それこそ「非モテをこじらせる」こともないのかもね。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320073242

運動に限って言うと、軌道というよりもリズム/タイミング(要は緩急)な気がするのは私だけかね?

あれを「ピストン運動」とか呼ぶから、エンジンのシリンダーのような無機質な動きを連想して、貧しい動きになってしまう。

むしろ「ストローク」とか言うべき。1ストロークストロークを大事に。行きも帰りも重要

だから一言で言うと、必要なのは運動神経じゃなくて、音楽のセンスだな。

繰り返しの中にも、緩と急、疎と密があって、呼吸と言葉とで流れができてゆく。

多少の肉体の鍛錬を必要とする点も、音楽と同じ。基礎練習を必要とする感情表現なんだよ。

耐久力の面で言えば、ポイント股関節の柔軟性と、括約筋かな。あとは何しろ、精神的な落ち着き。

この辺はタントラをかじったHowToものでも十分参考になると思う。

ここまで書いて急に思い浮かんだんだけど、

愛し合っていて相性もいい相手とのセックスでも、同じセックスは2度はないんだよね。

かといって何かに残しておけるようなものでもないし、寂しいもんだよね。

2007-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20071220160327

何もなしにいきなり「球蹴りてぇー!」って衝動が沸いてきてサッカー選手を目指す奴がいるか?

そして何も考えなしに基礎練習や技能の修練なしにただ球蹴って「いつかサッカー選手になれたらいいな」なんて(笑)

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