はてなキーワード: 執事とは
Twitterの創作女子界隈(特に腐)のイナゴっぷりと嗜好(及び思考)の浅さに辟易しているという話。
流行るのはいいとして、目に付いたのは「尊い…」とか「わかりみある」とか
感じたのは「たかが4枚でよくそこまで賛美できるな」という感想です。
確かにそれなりにステキでした。でも大体どっかで見たことあるような構図なわけですよ。
「おじいちゃんになって一緒に添い遂げるもの」
「人間だけ死んで『だから人間は嫌いだ』と悲しい思いをする魔女」
このモヤモヤはなんだろうなーと思ったら、うたプリとかFree!とかその辺の熱狂に対しての感情と同じ事に気づきました。
なんでオタクの皆さんは毎度毎度提供される新規性の欠片もないキャラクターたちにそこまで熱狂できるんですか?
・熱血バカ ・執事系メガネ ・無愛想マッチョ ・無邪気毒舌ショタ ・ビッグマウス残念俺様 ・目隠れ根暗ヤンデレ
だいたいこんな感じじゃないですか。もうフォーマットが大体同じ。
打ち込んでる何かがフィギュアだったり水泳だったりアイドルだったりで方向性が違うだけで新規性がなさすぎる。
もちろんこの問題は女性だけではなく男性向けコンテンツでもあります。
・ピンク髪メインヒロイン ・暴力ツンデレ ・ロリ ・地味メガネ ・熱血お姉さん ・天然巨乳
だいたいこんな感じ。
でも、自分が女性に対して特にモヤっとしてるのはその熱狂っぷりが男性よりもはるかに熱しやすく冷めやすい物である事と
そのスピードが尋常ではない事です。(すぐに次のコンテンツに行く)
「創作」女子とか「腐」女子名乗るくらいだったら拘れよ!!!もっと深い設定とバックストーリー込みで愛せよ!!!と思うわけです。
私は、脚本家としていかにその人物がフィクションに存在しつつ、かつ
リアリティがあるかを生み出す事にめちゃ苦心しています。細かい動作や台詞回しや語尾の一つ一つ
そうした書ききれない背景全てを含めキャラクターを愛して欲しいと思い悩んでいます。
なのに、そんなポッと出の4枚に書かれたベッタベタて使い古されたキャラクターに「尊い」とか言われたら立つ瀬がないわけですよ。
わかる。執事になりたい。
自分は(娘だが)父親に「あしながおじさん」を進められたときはこういう恋愛小説に興味がなく、なんでこんな他人(年上のお姉さん)の手紙をえんえんと覗き見などしなければならんのだとおもった。
今となってはもちろん、ツンデレなおじさん(金髪碧眼の若い男性である。執事にジャービス坊ちゃんとかよばれているええとこの子である)がとてもかわいいですねという生ぬるい目で見ることができる。
あと濫読家で妹がうるさい家だったので暇つぶしもかねて小学校中学校の900(日本文学・世界文学)のあたりはありったけ読んだ。
3冊まで借りられたので、シリーズ化してあればなんでも読んだ。(全集でないのは毛色が違う取り合わせになるので選ぶのが面倒)
ねしょんべん物語も落語全集も世界創成童話も南洋一のルパンもシャーロックもSF全集のトリフィドもコバルト文庫の氷室冴子も星新一も、まあ背表紙が同じ色の版型同一の本が棚に並んでいれば(そしてだれかに先に借りられていなければ)すべて読んだ。
しかし他人の「心理」とか「日常」とかを追跡する面白さは大きくなるまでなかなか感じられなかった。夢野久作なんか心の中の話しかしてないけどおもしろいので小学校で読んでたらショックだったかもしれないな。いやそうでもないか。
ルナールさんのにんじん、オチはそれでいいんかい。でも、ちょっとわかってしまった。2chから流行った毒親文学の走りだね。
小公女ポリアンナ、アニメはチャンネル権を主張する妹たちがいたために見ることはなかったけど、成人してから読むと強烈だな。「よかった探し」というミームをつくったのこいつやで。
赤毛のアンはテレビで見れた。今見ると馬車とかやはり宮崎動画だけあって木漏れ日とか子供向けなのにめっちゃがんばってる(そして低予算なのでたぶん子供の時はわかってなかった)
そのあとお小遣いが増えて漫画が買えるようになりSF系少女漫画やコバルト文庫も好きなだけ変えるようになり(少女向けsf漫画の出始め)、ウィングス創刊に立ち会った。ズッコケはたぶん自分が高校ごろでそのあと怪盗ゾロリとかでて自分の子供世代だとゾロリは全巻必修だったのかな。アンパンマンも地味な扱いだったと思う。今みたいなポケモンみたいなアニメ系作画じゃない水彩っぽい絵本がぽつぽつとでてはいた。児童だとバーバパパ、あと長靴下のピッピ、マガーク探偵団(これもなかなか長い)(しかし主人公が不細工で絵も今いち)
子供が特定の本を選ばないのは「長い文章がいやだ」「ふりがながふっていない」「文庫本は字が小さい」「挿絵が怖そうに感じられた」といった些細な理由だと思う。
追記、そういえばクレヨン王国シリーズは妹がたくさん集めていた。自分は誰も知らない小さな国シリーズ出てるだけ読んだくらいだなあ。
金を最小限にしか払わないということは、それを自分でやらないといけないわけで。
例えば、コンシェルジュなり執事なり管理人なりを雇っていれば、荷物をいつでも受け取れるけれど、居ないとその時刻に必ず家に居て受け取らないといけない。
例えば、プライベートジェットを持っていたら、即座に自分のタイミングで出かけられるけれど、持っていないとチャーターををするか定期就航便にあわせないといけなくなる。某大臣ではないけれど、手利き就航便を使っていたら、取引先と胸襟を開いた話ができる機会を失ってでも飛行機に乗らないと行けないことにもなる。プライベートジェットだと出入国手続きはプライベートジェットの中で行うらしいし、高いクラスの乗客も優先レーンがあって、ほとんど待たずに飛行機に乗れるけれど、エコノミーだと何時間も前から飛行機に乗る準備をする。
例えば、出先でスイートとかに泊まっていると、誰かとの面会が必要になった時、部屋を応接間として使えるけれど、そうでないと生活空間が別れていないから別に安全性が確保された部屋を用意しないといけない。家族を連れて移動していたら、普段の広い生活からあまりにも違う狭いところに押し込んだら、それだけで不満が出ないか?
お金を多く払う人はお金で時間を買っていたり、お金で家族の協力を買ったり、お金で健康を買っていたりするところがあると思うんだけれどなぁ。
そういう事情を知らない人がそれを贅沢と呼ぶということでは?
https://anond.hatelabo.jp/20171226222422 の続き。
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上記の時点では大反省会(上)(下)未読で書いていたが、やっと入手できたので読んだ。
読み終えた第一声「本当に同人編は3巻くらいで終わらせるつもりだったんかい!?本当かよ!?」ってのが多分感想の8割くらいを占めてる。
じゃあ何であんな引っ張ったんだろうか?
ルカがいい子だから?と書いているけど、マジ?アニメ逆輸入とか各所への配慮とかではなくて?
もし本気だったなら、その選択が大きすぎる失敗だったと言わざるを得ない。
人気を維持するならば、間違いなく、カットしてしまった11月のイベント(学園祭とナギの誕生日)に全力を注ぐべきだった。
定番ネタは定番過ぎてマンネリと見られるけど、定番だから安心して読めるんだよ。
まあ畑センセが学園祭書いたらネギまの学園祭パロ(加えて現実的なイベント数的に)で3巻くらいかかってた気がするけど。
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あと公開時に一部で燃えてたらしい「マリアさんはハヤテの姉です。」って、これ下にある本文と矛盾してる。本文で「だから途中で姉弟という設定もなくなりましたねえ。」と言ってるのに、あとがきでは設定が生きてたように書かれてる。
結局どっち?
実際に綾崎父の不貞の子だったことが王玉で分かったときの話が本編で描かれたとしたら、マリア編とかいう位置づけになって数巻伸びてただろうけど。
それでも、新キャラどんどん出していくよりもそこはちゃんと回収していってほしかった。
どの時点でどのキャラ作ったかは結局あまり明かされてないけど、初期プロットにいなかったキャラがたくさんいたはず。その投入タイミングと立ち位置の調整が上手くいかなかったのかな?
それとも初期のマリアの人気のなさ→テコ入れでキャラ改変した結果、つながらなくなってカット?
ここはなんとか本編中で回収してほしかったな。
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各所に、大風呂敷を広げすぎて伏線回収に失敗して後悔している様子が見える。
姫神とか予定通りにしてとっとと出しておいたほうがよかったじゃん。
この辺は多分やっぱり「長かった」のが一番の問題だったんだとは思う。
10週打ち切り覚悟時点でも、あんなキャラ出す気だったのかと。
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そしてモニョったのが(上)ナギの絵側のページに書いてあること。
上の感想に書いたことはだいたいあってたけど、それまでのハヤテ中心の話を突然ナギの成長中心の話に切り替えたように読めてしまう。
方針転換に失敗した(上記を認識してついていける人が少なかった的な意味で)、ともとれるのかな?
ブクマしてくれたコメにあった「やりたいことを詰め込みすぎた」ともとれる。
…もしかして、ナギ中心の話にしたらラブコメ上手く作れなくなって、それでハヤテとルカの話を(ナギを主人公ポジとして維持しつつ)上手く進められず、その結果あんなに長引いたのではなかろうか?
どうやったって、ナギの成長を書くならナギが常に出張ってないといけない。
「ハヤテと○○(女の子)」のシーンの代わりに、「ナギと××(友人)」を出さなければならない。
そのうえで人気維持の要の一つである、ハヤテを中心としたラブコメを描かなければいけない。
こんなジレンマの中で毎週の話を作っていくのはすごく大変そう。
それが解消されたのがイクサ以降…なのかもしれない。
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(上)の扉コメントにある「でも漫画は生き物、変化し続ける。13年もやってればしょうがないのです。」と開き直るのはいいけれど、なんだかなー…。
全盛期にハマって、そのあとフェードアウトした身からすると、書いてあることの半分くらいが言い訳、もしくは明言できない大人の事情に見えてしまう悲しさ。
何故その展開に行けなかったのか?その時何をどう感じていて、どういう事情があって決断したのか?その辺の心理状態がほとんど書かれてなくて、「変わっちゃったんですよ~アハハ~」ってかるーく濁したのがとても残念で仕方ない。
あれだけ単行本でもプッシュしてたアニメについてほとんど触れてないし。別口でどっかで書いてるからカット?
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正直、新しい見方ができたところもあったけど、全体的には少しがっかりだった。下手すると読まなかったほうがよかったかも…。
それでも次の作品はまた別の作品になるはずなので、頑張って面白いマンガを描いてくださいな。アドなんちゃらも。
ただし、久米田作品みたいに舞台が違うだけでやってること同じ漫画を描くなら、多分同じ末路をたどるだろうから読まないと思うけどね。
久々に思い立って、「ハヤテのごとく!」を読みなおした。その感想文である。
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多分、かつての多くのファンだった人同様、同人編あたりでふるい落とされたクチだ。
春ごろに「ようやく終わった」と聞いたまま、そのあとも単行本も追いかけずスルーしていた。
本誌で多少読んでいて、30巻くらいまでは何となく覚えていたので、アテネ編終わり、同人編はじめあたりから一気に最終巻までザーッと読んだ。
そのうえで、過去に単行本を買っていた20巻くらいまでを読み直した。
とても懐かしい。懐かしすぎて死にそうになった。
そして、どうにも自分の心に留めて昇華することが難しくなってしまったので、ここに吐き出した次第である。
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最終巻を読み終わり、まず出てきた言葉は「長かった、しかしようやく終わった」だった。
13年568話は、やはりこの作品には長すぎた、それが失敗だったのだと思う。
確か「下田編」(12巻あたり)でアニメ1期が決まり、その前後は本当に面白かった。
その後はだんだん下降線をたどり、「アテネ編」がキャラ萌えシリアス嫌い組から反発を受け、「同人編」で多くのファン"だった"人たちに見切られた感じがある。
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「同人編」(268話~433話 もしくは 25巻7話~40巻7話 あるいは 2010年4月~2013年12月)
3年半、あの同人の話で引き伸ばされていたんだ。そう考えてしまう。
何故俺が同人編でふるい落とされたかと言えば、シリアス分(≒非日常パート)の消失だろう。
アテネ編でようやくはぐらかされていたこっちの話が動いて、やっと王玉やら姫神やら色々貼られていた伏線が回収されるのか!と期待させられた。
さらにムラサキノヤカタへの移転で棺とか出てきて、この路線を信じようとしてたと思う。
しかし、そこからはひたすらにマンガ・同人の話、そして特定キャラをピックアップしたラブコメを延々とやっていたような印象だった。
いつしか薄いラブコメと進展しないストーリーに飽き、サンデーそのものを読むことを辞めた。
カユラあたりは見覚えがあったから、33巻くらいまで、2012年くらいまでは読んでたのかな。
アニメも3期が露骨な媚び売り萌えアニメ化していたので、一切見ることはなかった。二期までは多分ほとんど見てたのに。
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一方、同人編をまとめて読むと、そこそこストーリーは筋が通っていて、面白いと思う。
52巻あたりを読んだ後にパラパラ見返したが、なるほどナギが成長したのがよくわかる。
ただしそれは、ラブコメではなく、非日常シリアスでもなく、"ナギが自身を見つめなおして成長する物語"として見たときのお話。
それは当時のハヤテの読者層には求められていなかったのではないか。
当時の読者層は、「パロギャグ好き組」「ラブコメ好き組」「キャラ萌え組」「ストーリー考察組」のような感じで分かれていたように思う。
果たして、同人編でそれらの要素は重点的にピックアップされたのか?
キャラ萌え組からすると、いつ自分の嫁がメインになるか分からない上に扱いが雑。
ストーリー考察的には、何も話が進まずヒントもほとんど出ないまま。
さらに絵的に大きく動きがあるわけでもなく、半分くらいはムラサキノヤカタ周辺でしっとりマンガとラブコメ。(というイメージ…偏見ともいう)
これで3年半。入れ込んでいた人が愛想をつかすには十分すぎる期間だったのではないか。
28巻の表紙にいるルカの目の描き方、この辺から絵柄が変わったように思う。
個人的に10巻くらいから25巻くらいまでの描き方がすごく好きだったので、これも落胆の要因だった。
41巻表紙のヒナギクとか別人すぎる。
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同人編が終わり、イクサ編になると一転、ようやく話が進みだした。王玉的な意味で。
2.5巻使ってイクサをまとめ、その中でイチャコラする感じはアテネ編以前を少し思い出した。
バトル自体がシリアスよりになり、以前と比べると笑える流血執事ギャグバトルではなくなったけど、この辺りは同人編より前のノリを取り戻したように見える。
これ毎週次の話を待つのは相当辛かったのでは。
何というか、通して読むと面白いけど1週間待って楽しみにするほどの面白さがない感覚。
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なんとなく、言われている半年ではなく1年かけて描ききるつもりで方針転換したように見える。
ここから最後まで、よく広げた風呂敷をうまくまとめた。とても面白かった。と思う。
話の軸として"ナギの成長"に明確にスポットを当てたように見えるのもここらへんから。
株やFXの才能(自分の力)を使わない理由だけがよくわからんけど。
しかし、やっぱり毎週1話を追っていくとして考えると、ここら辺の話は重いし、追うのはつらく見えた。
しかもいつかどこかで出てきたような、伏線だったか何だったかイマイチ覚えていないような内容を唐突に引っ張ってくるので、「誰だっけ?」「何だっけ?」が結構頻発した。
王玉もいつどこで誰がどれを持ってたかがよくわからなくなった。
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最後のあたりで不満があったとすれば、ナギの誕生日が1コマで終わり、マリアが事実上の退場をしたこと。コミックスの補完を読んで納得したからいいものの、アレはちょっと…。
ストーリー展開的に無理なのは承知で、これまでならナギの誕生日に2巻分くらいかけてたのに、ヒロインの誕生日をほぼスルーはひどいと思った。
何あのキャラ?散々引っ張った割に、神様にロケットパンチからネタ拾ったところしか、キャラとしてはほとんど面白くなかった。
法仙もよくわからんかったけど、ここまで引っ張ったなら法仙でよかったんじゃね?って感じ。
わざわざ玉砕で終わり、それで出番が終わったのはウーン?
でもバックステージ見るとこのシーン忘れてたっぽいし。ヒナギクはもう伊藤静だったのかなあ。
初期ヒナギクが(テンプレツンデレ気味とはいえ)とても好きだったのでこの最後はとてもガッカリした。
逆にハヤテの両親周りは上手いこと描かれたと思う。
ド外道であんな人間実際にいたらぶん殴るけど、初期からの外道を綺麗に回収し、かつ落とし前をつけられたことを暗にほのめかされたのはよかった。
割とマジメにこの二人が出てきた当初は全然気づかなかった。
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冒頭に戻る。
こうダラダラ思ったことを書いていくと、「長かった」以外の言葉が見つからない。
ハヤテが同人編あたりから何がまずかったかのだろう?と考えると、「全体のプロットはよかったけど、各話がつまらん」だったのかもしれない。
特に同人編のプロットはマズかった。あれはせめて数巻でケリをつけるべき話だった。
しかし連載を追い続けていたり、単行本を追い続けているだけだと、「いつ終わるんだ」「風呂敷広げすぎ」と思うのも詮無いよなーと感じる。
現状のモデルとして、週間・月刊連載で人気を得続けるためには、少なくとも各話がある程度面白くないと読んでくれなくなる。
いやまあ、初期はこんなに長くなることは全く想定してなかったんだろうけどさ。
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…何か似たようなことを最近思ったなーと思い返すと、「うみねこのなく頃に」だった。
これも最近、最後まで箱の中を描き切ったマンガ版を一気読みしたが、世間で言われているほどひどい話ではなかったと感じた。
問題は半年に一度のリリースで待たせ続けたこと、Episode5になってもろくすっぽ話の根幹を進めなかったこと、そして最後のEpisode8の描き方に失敗したのが主原因だったんじゃないかと思う。
六軒島事件を解くミステリーだと思って読んでた人からすればガッカリどころじゃすまなかっただろう。
視点が入れ替わりすぎて読みづらいし。
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ハヤテに話を戻して。
もうハヤテの続きが描かれることはほぼないだろうし、アニメも絶対ないだろうし、原画展とかにも行きそびれたので今後思い出した時に触れることももうほとんどなくなるだろう。
アド何とかも休載っぽいし、それが声優も終わったが、2018からの新連載はどうなることやら。
次のマンガはしっかり落としどころを決めてプロット作りこんで、2年~3年くらい(150話くらい、12~3巻くらい)で上手いことまとめて作ってほしいとは思った。
最後に。
楽しかった。楽しみですわとは言わんけど、頑張って面白いマンガ書いてほしい。
(俺が実際に読むかは知らんが)
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カズオイシグロ氏がノーベル賞を受賞したと聞き、ミーハー丸出しで「日の名残」を読んだ。
舞台はイギリス。本筋としては語り手である執事が休暇を貰い田園風景を旅をする物語だ。仕えていた主は上流階級の大物政治家であり、職務に誇りを持っている。
そんな「日の名残」を読んでいると「黒執事」を思い浮かべた。例の悪魔で執事の有名なマンガである。大ファンと言うわけではないのですが。執事と言ったらね。
「日の名残」作中において、優れた執事とは主より目立ってはならず、影を潜め、口をはさまず、しかし盲目的にならずに己の忠誠を捧げる相手を選ぶ存在ではないかと語られる。
目立ちまくり、主にイヤミを言うのが日課のセバスチャンとは真逆である。こういった執事は一時は誉めそやされるのだが、どこかで馬脚を表し失脚するのである。
セバスチャンは悪魔である。したがって、いつまでも完璧な執事(ある意味で二流)のまま変わらない。
セバスチャンがどれだけ見事にこなしたところで、執事としては二流。悪魔には表面をなぞることしかできないのだ。
主シエルのセバスチャンとタナカさんへの態度の差から、作者もこの辺りを意識してるように感じる。
何でも出来て悲惨な現実でもどこか他人事の癖に、矮小で有象無象の人間に執着する悪魔。
逆説的な人間讃歌ですよね?
最近しつこく広告に出てくるので、ホームスケイプというアプリを入れた。
ついでにガーデンスケイプというのも入れた。
オースティンという執事のおっさんが出てくるのだが、めちゃくちゃかわいい。
基本的にはパズルクリアで☆をもらう→☆を使って家を綺麗にするという流れ。(ガーデンスケイプなら庭を綺麗にする)
パズルをクリアするたび拍手されるのだが、その姿がかわいすぎてかわいすぎて、空き時間が出るたびにオースティンに時間を貢いでいる。
オースティンが喜ぶ姿が見たい、ただそれだけのためにパズルをひたすら解く。
褒め方もうまいのでモチベーションも上がる。オースティンは本当に素晴らしいおっさんで、素晴らしい執事。
最高だ…。
"「育児で全然眠ることが出来なくて辛くて辛くて死にそう」って妻に言われても、「具体的に助けてほしい事を言われないと何していいか全然わかんない」って答えてるツイートを複数見かけたんだけど、馬鹿なのかな?それともそのまま妻に死んでもらっても良い、って感じなのかな?…知らんけど。"
"いまでは私は息子と一緒に9時間とか眠れるようになったんでもう関係ないんですけどね…。生後3ヶ月まで全然寝てくれなくて辛かったときは、夫も一緒に起きてくれて、死にそうになりながら仕事行ってましたけどね…だからその頃の恨みっていうのはうちは全然ないんです。"
私も子育てを経験しているので、この辛さはわかる。子どもが生後まもない頃は夜中に何度も起きないといけない。その結果、まとまった睡眠がとれずに、朝は死にそうになりながら仕事へ行かなければならない。
父親は育児をするのが「当たり前」の時代になってきた。子育ては大変であり、母親だけにその責務を任せて、父親はなにもしないのは、のほど特殊な事情がない限りはありえないと、現代では「常識」になりつつある。仮に母親が育休中で、父親が通常どおり仕事をしていても、父親が育児をしないと大バッシングを受け、父親失格のレッテルを貼られ、離婚の理由として突きつけられかねない時代である。
それはそうとして、前述のtweetから母親と父親のズレが顕著に感じられる気がする。
"具体的に助けてほしい事を言われないと何していいか全然わかんない"
という父親側の訴えに対して
"馬鹿なのかな?それともそのまま妻に死んでもらっても良い、って感じなのかな?"
このtweetに対する「いいね」や「賛コメ」は見受けられたが、否定的か意見はこの記事を書いている時点では見受けられなかった。ということは、おそらく世の母親は少なからずこのtweetに同意していると推察される。
……いや、この父親はとても真っ当でしょ。
大変そうな妻に対して「何してほしい?」と聞いてることの何が不満なの?
「そんなこと言わなくてもわかるだろボケ!」というのが母親側の言い分なの?
まるで昭和の親父が「おい」と言ったら妻はお茶なのかメシなのか風呂なのか解読しないといけないテレパシーみたいなのを、現代の母親は父親に求めてるの?
そしてそれができないと「馬鹿なの!死んでもいいと思ってるの?」と返すのが妥当だと思ってるの?
さらに、このtweet主は「子育てが大変だった時期に夫が死にそうになりながら仕事に行ってた」からご満悦らしい。
要するに、子育てで妻が夫に求めることは「具体的なあれこれ」ではなく「こっちが辛いのだから、お前も苦しめ」という怨嗟であったり「具体的な要求を暗黙に受信して達成する」という漫画の執事のような超能力であったり、もしくは「夫は言わないとなにもわからない、なにもしないゴミクズ」というサンドバックにする名目なのだろう。
そうじゃないなら、夫の「なにしてほしい?」に対して「馬鹿なの?」なんて返答はないんじゃないの。
「死にそうな態度を続けて妻に満足させる」か、
「怨嗟も吐かず、具体的な要求を面倒臭がらず、本当の意味で子育てを協力できる妻」の
いずれかを準備すると良いのだろう。
もっともアラジンやアナ雪、美女と野獣などタイトルは知っているが、
観る機会がなかった。
ところが、30歳を過ぎてはじめて彼女が出来た。
はじめにアナと雪の女王を観た。
つづいて観たアニメ版の美女と野獣も狂言回し役の燭台と時計の給仕や執事達の話のもっていき方、
伏線の貼り方がこどもたちにもわかるように、そして飽きさせないようにつくられているのに関心した。
塔の上のラプンツェルは、いつも飲んでいるホットワインの銘柄と同じ名前で親和感がすでにあった。
髪をふりまわす様はジョジョの山岸由花子のパクリかと思ったけど、
ディズニーの姫君は屈託がなく、実に生き生きとしている。
あえてアホに作られている。ここが素晴らしい。
思えば日本の作品も時代劇よろしく昔は勧善懲悪ものが多かったように思うが、