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はてなキーワード: 呪縛とは

2023-12-22

ネットサービスの月会費は月300円が目安

たぶんiモード呪縛がまだ生きてる

2023-12-17

君たちはどう生きるのかの解説ネタバレやってたけど

宮崎駿的には、大伯父は高畑のことだったらしい。

で、自分主人公少年真人

大伯父の作った世界崩壊して、高畑呪縛から開放されることを描きたかったらしい。

とはいえ自分も大概80歳近いのに今更開放されても、ってなるけど。

老人が友達の死を乗り越える話なら分かるけど、自分投影である主人公少年て。

大伯父の世界崩壊する直前に、その世界を引き継がず、自分世界でがんばるって言ってたぞ。

まだやる気まんまんじゃん、宮崎駿

2023-12-12

親父が毒親呪縛から少しだけ開放された

親父は毒親に育てられ、兄と大きく差をつけて扱われた弟だった

親父の父(以下父)は有名企業役員で裕福な家庭であり、その中で親父の兄(以下兄)は家父長制的な考えから優遇され、高価なものを買い与えられ、暴力行為不法行為咎められず、可愛がられて育てられたようだ

一方、親父(以下弟)は学用品バイトしないと揃わず、兄に暴力を振るわれても助けてもらえず、親父の母(以下母)から直接「[兄]は好きだがお前は嫌い」と言われたそうだ

推測だが、いつも差をつけられて不貞腐れている弟より、何でも思い通りにしてもらえて親に反抗する理由のない兄のほうが可愛く思えたのではないかと思う

兄は当然のごとく性格破綻し、成人後は無駄プライドの高いニートとなって実家寄生

近場に一人暮らしして、金が無くなった時だけ無心しに来る状態

弟の方は子供時代経験から親の愛情に飢えており、なんとか愛してもらおうと成人してから甲斐甲斐しく父母へ奉仕するようになった

出かける際の送迎

実家に通って掃除

別荘や墓の手入れ

入院時は手続きをやり毎日まれものを届ける

このようなことを無償で、かかった金は自腹でやっていた

結婚したら妻にも奉仕を手伝わせた

子供(私)ができたら、子供祖父母に嫌われそうなことをするたび神経質に叱った

大きくなるにつれて子供にも奉仕を手伝わせるようになった

それが長く続いたあと、定年した父が兄への援助を止めて、困窮した兄が父の貯金勝手に持ち出すという事件が起きた

父母は年金があるものの、稼ぎの割に老後の貯蓄がほとんど残っておらず、使い潰されたら困るため弟に助けを求めた

そして弟は裁判で取り返すことにしたのだが、持ち出された金品を調べる過程で長いこと父母に嘘をつかれていたと気がついた

父母は兄への援助を弟に話しておらず、むしろ兄はもう自立していると嘘を言っていた

弟も援助には気がついていたが、まさか生活全てを賄うほどだと思っていなかった

また、父母は過去借金して別荘なども売り払うほど困窮した時期があり、その理由を弟には「株の失敗」と説明して返済を手伝わせたが、実際は兄が散財して作った借金を肩代わりしていた

父母は極めて利己的で自分の見栄や利益を優先し平気で嘘をつく人たちなので、都合のいい奴隷が愛想を尽かして離れないよう欺いていたのである

それでも弟は、生活が脅かされている今なら父母が兄を嫌いになって自分が愛されると思って張り切った

残った貯蓄の持ち出しを防ぐため兄を実家へ入れないよう言い、裁判するにあたって兄と連絡も取らないよう頼んだ

ところが裁判の準備を進めていた年末に兄が実家へ来ていたと判明した

裁判計画を中止して欲しい兄がなんとかなあなあにするため年末挨拶にかこつけて訪問し、兄が可愛くて仕方ない父母は出前寿司を取って歓待

みんなで酒盛りして弟の悪口を言い合ってたそうだ

挨拶に来ていた父の部下だった人が密告してくれた

結局のところ父母が弟にして欲しかたことは金銭援助であり、兄との裁判などしたくないが、すでに老齢で介助が必要になってきており金銭的にも不安な状況で奴隷が逃げると困るから止めることもできなかったということらしい

ここまできてついに弟こと親父は自分が愛されることなど一生ないと気がついた

見栄っ張りの親父が私に「愛されたくて頑張ってたんだと思う」「無理だって分かった」と消沈しながら急に自分語りを始めたから相当なショックだったのだろう

子供の頃から奉仕理由に気がついてたし、祖父母性格的に兄より弟が上になることは絶対ないと知ってた』とはさすがに言えなかった

奴隷奉仕ライフワークなので続けるようだが、自腹をやめて経費請求するつもりだそうだ

2023-12-08

anond:20231208182841

30年後ならジブリ映画ゲーム化されてるだろうな

宮崎駿も亡くなってるだろうしナウシカ呪縛から解き放たれてる

ラピュタゲーム化してほしい

2023-11-27

女性利権がエグすぎて笑う

日本にある認定NPOの内訳を見ると、女性を専門に支援する団体が4829あるが、男性支援団体ゼロ内閣府が定めるNPOカテゴリーにすらないので、存在のものが想定されていないのである

「男なんだから母親を助けるのは当然」生活保護で暮らす30歳の首を絞めた“男らしさの呪縛”。幼少期から虐待されていたのに

https://nikkan-spa.jp/1955722

男女共同参画予算は9兆円!女性だけを助けるファッキンNPO(笑)が約5,000も存在できるのは完全に利権で公金啜ってるだけやんけ!

女のどこが「弱者」なんだよ。いい加減にせえよお前ら。

2023-11-17

しずかなインターネット

https://sizu.me/

コミュニティにしない」といいながら、感想を送れる機能があったり、購読できたりして、けっきょく「誰かにまれること、リアクションをもらうことを意識したSNS」でしかなくて、インターネット上にいるうちは、その呪縛からは逃れられないのか、と思ってしまった。

2023-10-25

anond:20231025225122

人間関係がほぼ無い状態で成人後20年ほど過ごしているが

呪縛から開放されなくて毎日辛いぞ

人間関係がほぼ無くなるとモテるモテないとかの呪縛から開放されて幸せになれる

強がりに聞こえるかもしれないが本当にそうなんだ

2023-10-18

私は田舎家族が苦手だ

私は地方実家に住んでいる家族がとても苦手だ。

苦手というと毒親や、貧乏な家庭だと思うかもしれないが、私の親は裕福で理解のある親だった。私は何不自由ない教育を与えられて、それなりに評価される大学に入り、それなりに社会からも認められる会社に入った。まさに今の言葉で言えば親ガチャ成功だと思う。親が苦手とは何事かと思われるかもしれない。まさにその通りで私は親不孝な息子なのだ

なんとも言えない親への思いは歳を経るごとに増していった。なぜだか全くわからないが、親と話すたびに、苦手意識が増していくのだ。

自分の親は愛すべきである兄弟は助け合うべきである。私は強くそう思う。そう思うからこそ、どこかむず痒く、脂っこいものを食べて胃酸が上がってくるような気持ちに襲われるのだ。そして時には胃が痛くなるほどの胸焼けを起こすのだ。

思い起こせば高校生の頃からそうだった。親とは何を話しても面白いとは思えない。むしろ窮屈になる。視野が狭窄して自分というものが何かわからなくなる。こんな気分になるのは親と話している時だけだ。

社会に出て実家に帰るたびに、この思いに駆られては押しつぶすを繰り返している。30歳をすぎて、そろそろこの思いに決着をつけなくてはいけない。

実家から帰る新幹線ホームぼんやりとそんなことを考えながら、電車に乗り込み窓際の席に座った。今日はとても空いているようだった。

思い起こすと、私の親は自分というものが一切なく透明に見えるのだ。自分意思よりも、家族意思を優先する。家族意思よりも、社会意思を優先する。自分意思が全くなく、何かに決められているようだった。

そうやって生きてきた人なのだ。よく親が言っているのはこんな言葉だ。「親はこうあるべきだ。子はこうあるべきだ。親戚なのに何もしてくれない。医者真摯病人に向き合うべきだ。女性はこうだ。男性はこうだ。良い歳して何してるんだ。」そんなことを口にしながら、泣いたり、怒ったり、苦しんだりしている。それを聞くたびに私は頭が痛くなるのだ。他人ことなんて放っておけば良いのにと思う。誰がなんと言おうとやりたいようにやれば良いのにと思う。

私が進路を選ぶ時もそうだった。社会が決めた基準遂行できる洋服を着飾るために一生懸命だった。親心という名の善意の名を借りて何かに決められた基準を私に諭しているだけだった。塾にももちろん通ったし試験のために必死勉強もした。

あなたのためを思って言っている」と口癖のようにいう。今もそうだ。だけどそれは、あなたのためを思って[社会的に間違えてない正解]を諭しているにすぎないのだ。それが愛というのだろうか。そんな生き方は窮屈じゃないのだろうか。

こうして言語化してしまうと、たちまち親への思いがただの苦手から嫌いに変容しそうになり、自分が嫌になった。普通な感謝すべきだろと思うし、どれだけ自分投資たかを考えると頭は上がらない。だからこそ辛いのだ。なんとなく苦手で終わらせておけばよかった。終わらせれば良いのだ。私は高校時代に、親に向かって「絶対友達にはなれない性格」と言っていたらしい。なんてひどい奴だと思った。そんな自分自覚したくなくて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。

まったく行き場のない、終着点のない思いを抱えて、新幹線は見慣れた高層ビルの合間を縫って東京駅へと着いた。誰も私のことなど気にしてない、気にかけてない、横糸も縦糸もない。ふらふらと行く宛もないまま、高架下を通って寂れた飲み屋に入った。終着しない思いを抱えて、浴びるように酒を飲んだ。このまま記憶がなくなって、全く別な人間として生きていければ良いのにと思った。記憶がなくなるほど飲んで、夜の街をふらついた。夜中の12時を回っていたと思う。

ふと気がつくと目の前には知らない女性がいた。見ず知らずの会ったこともない女性だった。身元もわからないただ性を売る女性と、何を質問されても嘘ばかり答えている自分が遠くから見える。そこに存在するのは、ただお金のつながりだけで、お金を得たい女性と、性を買いたい男の汚くて生臭くて、目を背けたくなるような関係しかなかった。「こうあるべきだ」という呪縛から社会が決めたドレスコードを守るだけの生活から、なんとか抜け出そうとして、ここに辿り着いたのかもしれない。全くの間違いだったとしてもそんな自分を許して欲しい。良い歳してこんなことするなんて馬鹿だと親にな言われるだろう。

過去にも同じようなことがあった。酔っ払って大学時代の友人に出鱈目ばっかり喋ってたと言われたことがある。何かになりたくて、何者にもならなくて、結局そんな自分が嫌いで、自分を消し去ってしまいたいと思っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。

目の前の女性はとても暖かかった。水槽の中で飼われた魚のように思えた。複雑な世界から、生臭くて汚くて煩わしいものを引き抜いた、美しい世界だと思った。誰かを愛したり愛されたり、面倒で煩わしくてこんがらがった関係自分は築ける人間になれるのだろうか?それを受け入れて、複雑な社会で透明になって生きていくことはできるだろうか。プラスチックのような、テトリスブロックを積み上げるような、機械的な会話をして外に出た。10月とは思えないほど外は肌寒かった。

2023-10-16

私は田舎家族が苦手だ

私は地方実家に住んでいる家族がとても苦手だ。

苦手というと毒親や、貧乏な家庭だと思うかもしれないが、私の親は裕福で理解のある親だった。私は何不自由ない教育を与えられて、それなりに評価される大学に入り、それなりに社会からも認められる会社に入った。まさに今の言葉で言えば親ガチャ成功だと思う。親が苦手とは何事かと思われるかもしれない。まさにその通りで私は親不孝な息子なのだ

なんとも言えない親への思いは歳を経るごとに増していった。なぜだか全くわからないが、親と話すたびに、苦手意識が増していくのだ。

自分の親は愛すべきである兄弟は助け合うべきである。私は強くそう思う。そう思うからこそ、どこかむず痒く、脂っこいものを食べて胃酸が上がってくるような気持ちに襲われるのだ。そして時には胃が痛くなるほどの胸焼けを起こすのだ。

思い起こせば高校生の頃からそうだった。親とは何を話しても面白いとは思えない。むしろ窮屈になる。視野が狭窄して自分というものが何かわからなくなる。こんな気分になるのは親と話している時だけだ。

社会に出て実家に帰るたびに、この思いに駆られては押しつぶすを繰り返している。30歳をすぎて、そろそろこの思いに決着をつけなくてはいけない。

実家から帰る新幹線ホームぼんやりとそんなことを考えながら、電車に乗り込み窓際の席に座った。今日はとても空いているようだった。

思い起こすと、私の親は自分というものが一切なく透明に見えるのだ。自分意思よりも、家族意思を優先する。家族意思よりも、社会意思を優先する。自分意思が全くなく、何かに決められているようだった。

そうやって生きてきた人なのだ。よく親が言っているのはこんな言葉だ。「親はこうあるべきだ。子はこうあるべきだ。親戚なのに何もしてくれない。医者真摯病人に向き合うべきだ。女性はこうだ。男性はこうだ。良い歳して何してるんだ。」そんなことを口にしながら、泣いたり、怒ったり、苦しんだりしている。それを聞くたびに私は頭が痛くなるのだ。他人ことなんて放っておけば良いのにと思う。誰がなんと言おうとやりたいようにやれば良いのにと思う。

私が進路を選ぶ時もそうだった。社会が決めた基準遂行できる洋服を着飾るために一生懸命だった。親心という名の善意の名を借りて何かに決められた基準を私に諭しているだけだった。塾にももちろん通ったし試験のために必死勉強もした。

あなたのためを思って言っている」と口癖のようにいう。今もそうだ。だけどそれは、あなたのためを思って[社会的に間違えてない正解]を諭しているにすぎないのだ。それが愛というのだろうか。そんな生き方は窮屈じゃないのだろうか。

こうして言語化してしまうと、たちまち親への思いがただの苦手から嫌いに変容しそうになり、自分が嫌になった。普通な感謝すべきだろと思うし、どれだけ自分投資たかを考えると頭は上がらない。だからこそ辛いのだ。なんとなく苦手で終わらせておけばよかった。終わらせれば良いのだ。私は高校時代に、親に向かって「絶対友達にはなれない性格」と言っていたらしい。なんてひどい奴だと思った。そんな自分自覚したくなくて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。

まったく行き場のない、終着点のない思いを抱えて、新幹線は見慣れた高層ビルの合間を縫って東京駅へと着いた。誰も私のことなど気にしてない、気にかけてない、横糸も縦糸もない。ふらふらと行く宛もないまま、高架下を通って寂れた飲み屋に入った。終着しない思いを抱えて、浴びるように酒を飲んだ。このまま記憶がなくなって、全く別な人間として生きていければ良いのにと思った。記憶がなくなるほど飲んで、夜の街をふらついた。夜中の12時を回っていたと思う。

ふと気がつくと目の前には知らない女性がいた。見ず知らずの会ったこともない女性だった。身元もわからないただ性を売る女性と、何を質問されても嘘ばかり答えている自分が遠くから見える。そこに存在するのは、ただお金のつながりだけで、お金を得たい女性と、性を買いたい男の汚くて生臭くて、目を背けたくなるような関係しかなかった。「こうあるべきだ」という呪縛から社会が決めたドレスコードを守るだけの生活から、なんとか抜け出そうとして、ここに辿り着いたのかもしれない。全くの間違いだったとしてもそんな自分を許して欲しい。良い歳してこんなことするなんて馬鹿だと親にな言われるだろう。

過去にも同じようなことがあった。酔っ払って大学時代の友人に出鱈目ばっかり喋ってたと言われたことがある。何かになりたくて、何者にもならなくて、結局そんな自分が嫌いで、自分を消し去ってしまいたいと思っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。

目の前の女性はとても暖かかった。水槽の中で飼われた魚のように思えた。複雑な世界から、生臭くて汚くて煩わしいものを引き抜いた、美しい世界だと思った。誰かを愛したり愛されたり、面倒で煩わしくてこんがらがった関係自分は築ける人間になれるのだろうか?それを受け入れて、複雑な社会で透明になって生きていくことはできるだろうか。プラスチックのような、テトリスブロックを積み上げるような、機械的な会話をして外に出た。10月とは思えないほど外は肌寒かった。

2023-10-12

ロケットニュース記事がキレられる理由底辺ライター解説する

[B! 鉄道] 【終点まで行ってみる】都営新宿線終点橋本に行ったら思ってたんと違いすぎた…

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/rocketnews24.com/2023/10/11/2050558/

なんでこんなピキってるブコメ多いの?ほっこりブコメを期待してたのに…ピキってる本人か、その機序理解できる人は増田に書いて欲しい

要望があったから書くわ。

ざっと読んだだけでピキられる理由が3つくらいあると思う。

1個1個解説していくね。

タイトルそもそも間違っている

終点まで行ってみる】都営新宿線終点橋本に行ったら思ってたんと違いすぎた…

都営新宿線本八幡新宿駅までで、新宿から先は京王線に乗り継ぎをしてるだけです。橋本駅は京王相模原線終点なので、「都営新宿線終点橋本」は明確な間違い、もっと言えば「嘘」です。鉄道は鉄オタが多いジャンルなのでここでまず地雷が埋まってる。

ライターは「普段乗ってる都営新宿線から橋本まで行けるじゃん」って意味で「終点」って書いたんだろうけど、それなら「都営新宿線で行ける終点」とか「都営新宿線に乗ってたらたどり着ける終点」とか、ひと言補足を入れて「逃げ道」を作るべきだった。

②ほめるために偏見を垂れ流して対象を貶めている

これね、結構ライターでもやっちゃうのよ。「韓国人は怒りやすいと思ってたけど、全然しかった!」「近所のラーメン屋、見た目が不味そうだったけど、入ってみたら内装綺麗だしおいしかった!」「ジャニー喜多川って性犯罪者だと思ってたけど、意外と優しかった」でも、なんでもいい。いや最後のはホントか。まあいい。

こういった、対象を褒めるためにしばしば使われる「~~だと思っていたら、実はhogehogeだった」構文は基本的に使わない方がいい地雷である。こういった構文は「マイナスイメージプラスに変わりました」ということを言いたいことに使われやすいので、「~~」に当てはまる表現はほぼ100%褒め言葉ではない(まず「マイナスイメージを持っている」という表明自体が失礼にあたるということに無自覚なのがまずいのだが)。しかも、その「~~」は「書き手主観」になりやすい。嫌な言い方をすると、書き手偏見を露呈してしまやすい構文なのだ

私が想像する橋本駅は、のどか住宅街の中にある何の変哲もないさなである。素朴な駅名そのままに、駅の周辺にはコンビニスーパー、近くに大きな建物はなく、何もないような場所……。

一般論として、地元をばかにされるという経験は、怒りこそすれ喜ぶことはほとんどない。たとえば自分地元駅について、地元に住んでない人が「○○駅って、周辺にはコンビニスーパーしかなくて近くに大きな建物もない、何もない場所なんでしょ?」って言ってきたら、事実かどうかはともかくとして「ケンカ売ってんのか?」となりかねないのは想像にかたくないだろう。この記事は、「他人から自分地元をばかにされる」という、基本的には不快である可能性が高い経験を読者に思い出させてしまうのだ。

記事の流れを読めば、ライターが「心癒やされるのどか場所」というプラスイメージを抱いていたであろうことはわかる。わかるが、あまりにも表現が悪い。

③読者と書き手が持つ共有すべき前提知識がそろっていない

なぜこのような事態が発生するのか。実は、記事の中にヒントは散りばめられている。

地方から上京してきた田舎もんの私

見知らぬ終点駅への憧れを抱いていたものの、家から片道2時間かけて「隣の県のちょっと栄えた街」に行ったという、あまり夢のない結果になってしまった。まあ、自分勝手思い込み知識不足のせいなのだが。

これは推測にすぎないが、このライターはこう考えていたのではないか

もしそうなら、その主張には少なから説得力が出る。なぜかというと、主観的な感覚ツッコミが入りやすいが、主観的な経験否定できないという特性があるからだ。むしろ、その経験が「わかるわかる!」だったり「へー、そうなんだー」だったりの共感や興味を引くような内容であれば、読者の心をつかむことができる。

そういった感情に由来する前提条件が、この記事では読者とライターでそろっていない。少なくとも揃えようとする意図を感じづらい。本記事場合は、せめて冒頭で上記のような「自分地方出身者だ。地方出身者にとって、電車終点とは何もないが故に心洗われる場所である」みたいな文章を入れておくだけで随分違ったと思う。具体的な出身地と路線名を出すとよりいいかもしれない。「実家の最寄り駅は津軽線だが、その終点三厩駅なんか本当に何もない。駅前スーパーなんて存在しない、かろうじてファミマがあるけど駅から徒歩15分だ。しかしその分、景色が最高である」みたいなね。

余談

ここまで読んで、「正直、考えすぎじゃない?」「作者のひとそこまで考えてないと思うよ」ってツッコミを入れたくなる人は少なからずいるだろう。俺含めてみんな正直あら探ししすぎだと思う。この増田を書いてる人間は、あの記事はいものロケットニュースあるあるな「ライターの素朴な日常記事にすることの、素朴な楽しみ」をうまくやってるのでおもしろく読ませてもらった。俺も橋本駅行ったことないしね。

ただ、最後に意地悪なツッコミをしておこう。本記事執筆した御花畑マリコ氏の経歴は、ロケットニュース記載の内容を信じる限り以下の通りである

83年生まれ牡羊座AB型90年代呪縛から逃れられない系の元オリーブ少女だが、なぜか最近競馬サウナが好き。姉妹サイトPouchからロケットニュース24に移籍した。常に甘いものを食っている。

83年生まれって40歳じゃん、それなりにライターとしての年月重ねてると思うんだけど、「書いてることが間違ってる」「主観偏見をそのまま書く(ツッコミが入るの予想できそうなもんだろ)」「読者に共感してもらうための、主観的な経験情報共有を怠る」という割と初歩的なミス・手抜きをやっちゃうのは、「半分炎上狙いだったのかな?」みたいな邪推をされてしま可能性もあると思うんで気をつけた方がいいと思います

CDを買わなければならないという呪縛から解放されたい

中学時代からある歌手ファン大学時代からあるバンドファン

他にも好きなアーティストはいるけれど、この二組は特別

CDリリースされれば必ず買っていた。中学時代から好きな歌手の方は、アルバムだけでなくシングルも買っていた。

応援意味で。

CDを買うことが真のファンである証のような気がしていた。

地方在住で、あまり金銭的に余裕のない自分ライブ遠征ができない。ライブへ足を運ぶのは基本的地元に来てくれた時だけ。

だけど、CDくらいなら買える。レンタルなんかしないぞ。予約して買うぞ。当たり前じゃろ???……と数年前までは思っていた。

ところがどっこい。現在CDを買うメリットが見出せないでいる。理由は以下の通り。

1.CDプレーヤー動作不良

 随分前からではあるけれど。CDを吸い込んだまま、なかなか返してくれないのだ。買った当初は数件のレビューしかなかったけど、改めてAmazonレビューを見ると同じ症状に悩んでいる人がちらほら。

2.iPodが死んだ

 これも随分前のことだけど。新しいMP3プレーヤーは買っていない。

3.Spotify存在

 これが一番大きいかもしれない。Spotifyで気軽に聴けるのに、吸い込んだまま返してくれないCDプレーヤーCDを突っ込む理由がない。ましてPCに取り込む意味はない。

もしSpotifyがなかったら……

もしiPodが現役だったら……

迷うことなく先日リリースされたアルバムを買っていただろうな。

CDを買うメリットがない。だけど、買わないとファンとはいえないような気がしてしまう。

もし同じアーティストファンと知り合って、そのCD話題になったらどうしよう。気が引けるだろうな。

そんなことを考えて悩んでいる。

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-09-29

ジャニーズが衰退して誰が得するかって?

秋元康じゃん

なんで誰も触れてないん?忖度してるん?

しかできなかった呪縛が解けるやん

ジャニ担が秋担になるだけよ

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

2023-09-20

ゲームの読み込み時間が嫌い

全体的に「ほんのちょっとの待ち時間」が嫌い。

信号とか、エレベーターが来るまでとか。

から大学生になってゲーム禁止呪縛から離れて初めてPlayStationゲームした時の読み込み時間の長さにイライラした。

地デジになってからTVの起動とかもイライラする。

車の運転マニュアルで取ったせいでオートマアクセルタイムラグもムカつく、ブレーキラグしなの安心してる。

で、最近ポケモン始めたんですけど、技が出るのが遅いんだよなああああ。

技選んだらAボタン押下と同時に攻撃アクションして欲しい。格ゲーくらいの速さで頼む。1ポケ4技だしフィールドに出した時点で全モーションの読み込みしておけるだろ。無駄カメラワークかいらんのよ、うるせぇ早く先に進めろやの気持ち

ポケモンGB時代からかなり進んで色々と快適になったのに、ポケモン図鑑とバトルの時間のかかりっぷりの改善はされないんか?

っていうか任天堂スマホゲームはどれもこれもロード時間とかリアルタイム演算とかふざけんな感が強い。軽快にしろ!!!

2023-09-18

anond:20230917235726

努力家で有能な人間なのに、親の呪縛自分低脳だと思い込んでいるだけの話なので、増田のどうしようもない弱者男性たちでも見て優越感を得るのが良い治療になるでしょう

2023-09-06

『母という呪縛娘という牢獄』を読んだ

インターネット徘徊をしていたら偶然見つけた『母という呪縛娘という牢獄』を読んだ。最初から最後まで一気に読んだのだけれど、読解力以前に母親を殺した娘が反省していることが全く理解できなかった。演出なら理解ができるけれど、本心ならよくわからない。

娘は母親洗脳に近い教育をされた上に、暴力や進路を勝手に決められることなどまあこんなことよくできるなってことを強いられていた。この時点で娘は母親を殺しても「まあそれだけされてればそうなるだろうな」と思っていた。旅行も行っていたというけれど、母親の好きなテーマパークだし、そんなのは押し付けでは? と思ってしまった。父親は別居、学校では教員に嫌われ唯一頼れる教員は娘を諭して家に帰らせる。

いやなんでみんなこぞって娘を助けないの!? 父親は娘が中学生ときには出ていったと書いてあったけれど、自分母親(妻)のことが無理になり逃げだしたっていうのに娘を置き去りにして見殺しにしたわけでしょ!? そこで連れていけない理由があったとしても、児相に繋げることすらできないの? 娘がひどいことをされていたって知っていたのに無視するって本当に父親なの? 唯一頼れる教員も、娘が「担任と仲が悪いか相談できない」と言っていたのに「俺が繋ぐ」とも自分で通告することもせずになあなあにして帰したって、そもそも教員として生徒を守るってこともできないの? となってしまった。

そのうえ最後には娘が「母親申し訳ないことをした」と言っていたと書いてあって、なんだかなと思ってしまった。「父親には感謝している」ともあったけれど、見てみぬふりをして逃げ出した父親に対して、母親を殺したら何かと世話を焼き始めたか感謝するということがよくわからなかった。一度娘を見捨てた父親がその罪を滅ぼそうとしているだけにしか読み取れない。娘になにかあったとしても、母親のしいたことは異常そのものだし、周りの大人が誰も手を差し伸べないということが全くわからなかった。なんで娘にここまでした母親無罪の「被害者」になり、母親に数十年も虐待を受けていた娘は「加害者」になるんだろうか。殺人なのでそうなるとは思うけれど、こんなのほぼほぼ正当防衛になるのでは? と思ってしまった。これはこちらの性格が悪いのか?

2023-09-02

映画SLAM DUNK」に文句を言っていた人たちは何処へ消えた?

映画が公開されてすぐの頃には賛否両論というより否定的意見のほうが目立っていたように思う。

しかし、映画の評判、というか興行成績が伸びるに従って映画に対しての評価が定まってしまったように感じる。

映画作品SLAM DUNK」は成功である認識されるようになってしまった。

ここからが言いたいことなのだが、作品評価興行成績というのは必ずしもイコールではないのに、

現代経済ファースト社会だと、なんでもかんでも「どれだけ売れたか」が作品評価の軸になってしまうのが残念だ。

例えば宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を評価するにあたって、

宮崎作品の中でどのような位置を占めることになるか?

興行成績によって変わってるくる部分が大きいと思う。

そういうのは納得がいかない。

売れたからって、いい作品とは限らない、というのは皆わかっていることだけれど、

売れたか売れなかったか評価から外せないというのも事実だ。

ある程度、時が過ぎた(10年くらい?)頃にようやく作品のもの価値が見直されるというのは納得がいかない。

どうにかしてお金呪縛から思考を開放する方法というのはないものなのだろうか。

2023-08-21

anond:20230821231625

へぇ

悪い言い方になるけど、女性の化粧ってある意味呪いみたいだね

ずっとついて回る呪縛というか

anond:20230820202444

これは俺も前から「具体的に何をどうすればいいの?」って気になってた。

ブコメ日傘の件が言われてるけど、俺が日傘を差さないのは「通勤自転車で、屋内ワークだから仕事日傘を差す機会がない」「多少の日焼けはしていた方が格好良い」「建物建物の間の短時間の移動でいちいち傘出すのめんど」という理由がメイン。「男が日傘を差すなんて恥ずかしい……」という理由特にない。え? みんな恥ずかしいか必要でも日傘差してなかったの? そんなにアホだらけなの?

その「日焼けは格好良い」という価値観が「男らしさ」なんだ、ということかもしれないけど、俺が何をかっこいいと思うかについて他人から降りろと言われる筋合いはどこにもないしなぁ……好きで化粧してる女の人に向かって「女らしさから降りていいんだよ」って言ってるみたいなグロテスクさがある。もちろん化粧の強制は滅ぶべきだけど、好きで化粧する分には自由だし、他人からどうこう言われる筋合いないでしょ。それと同じだよ。

あとは、最近話題になったのだと「転勤」とか? あったよね、転勤を命じられた女性が次々に辞めるっていう増田anond:20230807134943)。俺は正社員でい続けたいから転勤を呑むけど、それは男女関係ないよな。正社員身分保障の手厚さを知ってしまうと、たかだか東京から離れたくない程度のことで正社員地位を失うなんて考えられない、って思っちゃうけど、これも別に男らしさどうこうの話ではないし(もちろん「非正規身分保障正社員並に手厚くするよう要求する」という手法もあり、それを期待して共産党かに入れてたんだけど、昨今の萌え絵叩きでまあ無理になりましたよね。お前の票なんか要らないよって堂々と言われてまだ入れ続けられるほどマゾヒストじゃないので……)。

過度な競争心をなくせ? いやいや、ぼーっとしてたら男女問わず優秀な奴らがどんどん業績を上げてポスト獲っていくのを見たら焦りもしますわ。後輩が素晴らしい業績上げてきたとき感情とかもうグチャグチャですよ。競争しないと生き残れない業界なので、競争せざるを得ないっす。これも男女関係ないけど、最近採用女性優遇されるようになってるからしかもお役所公認というね。アホかよ。性差別やめろ)、男の俺は女より多くの業績を上げないといけないわけで。「アファーマティヴ・アクションの一環として、業績が同等なら女の方を優先して雇う」と言われてる世界なんだから、男に生まれた以上は女以上に頑張らないといけない、というインセンティヴが生まれるよな。あたりまえ体操

趣味は既に男らしくないしね。少年誌的なバトル漫画よりも可愛い女の子が出てきてワチャワチャする漫画を好む、というのは普通に「男らしさ」からは外れるし、キャラクターの掛け合いの妄想ネットに書き込んだりするのも男らしくないしなぁ(某掲示板では、キャラクターの掛け合いを妄想してネタにすることを「お人形遊び」と表現していたけど、すごい的確だと思う。オタクキャラの会話を妄想するのはお人形遊びだよ)。むしろ女の人の方が熱心に少年漫画読んでる説ないですか? 知り合いの女性が『バクマン』にハマったかと思えば、別の女の人が『ハイキュー!』にハマっていて、俺より少年漫画読んでるじゃんw と思ったもん(ガルパン劇場版に通い詰めながら。要するに少年少女プリキュアライダーみたいな同性に憧れるけど、ヘテロセクシュアル大人は魅力的な異性がいっぱい出てくるコンテンツを好む、ってことなんだろうね)。

パフェケーキとか笑う。毎週どっかの喫茶店で甘いもん食ってるわ(そして毎回写真も撮ってる。はいふりカメラで)。スーパーで甘いもんよく買うわ。美味しいよねスイーツ。久しぶりに帰省したら親から「明らかにお前の横幅がデカくなっている。健康に悪いから改めろ」と言われたけど、それは男女関係ないし……。で、俺は甘いものが好きだから甘いもの食べてるけど、特に甘いものきじゃない、とか、喫茶店で食うくらいならスーパーで買うわ、っていう男も大勢いるわけで、彼らにわざわざ喫茶店パフェケーキを食べろというのもおかしな話だし……え? ひょっとして世間の女の人って「『男らしさ』の呪縛に囚われてスイーツも食えない男の人かわいそう……」って思ってるの? アホか。食わん奴は好きじゃないかカネがないか身体的な事情があるだけだよ(糖尿病予備軍とか、アスリート体脂肪率を厳密に管理してるとかね)。

女子供を守るとか? そもそも彼女いないし、童貞だし、警察官自衛官でもないから、必然的に守るべき女子供かいないし……。まあそりゃ他人を助けることくらいはあるけど、これも別に男女関係ないよね。災害とか通り魔かに遭ったら、友人やら家族やらはもちろんなるべく見捨てないようにしたいけど、他人を見捨てて我先にと逃げるのはまあ男女関係なく当然というか。避難するときの「おかし」は「おいてけ、かまうな、しかたない」の略だって義務教育で教わるよな?

モテを求めるのが男らしさとか意味わからんわ。異性愛者なんだから異性から愛情が欲しいと思うのは当然だろ。オスもメスもあるかよ。こないだ喫茶店ケーキ食って茶飲みながら読書してたら「あー早く彼氏作りたーい」とか話してる若い女がいたぞ。一部の男女論に熱中してるジェンダーオタク以外はそういう温度感なんだよ。男に男らしさから降りろどうこう言うならまずは「早く彼氏作りたい」とか言ってるそのへんの若い女捕まえて「女らしさから降りろ」って説教してこいよ……って思ったんだけど、ラディカルなフェミニストの人たちは割とやってるなそれ。うん、男女平等でよろしい。

見た目に気を使う? 知らんわ……髪型ファッションは全部「自分にとって快適か」で決めてる。毎日シャワー浴びるのも自分がそれで快適だからだし、登山Tシャツ職場に行くのも快適さを追求してのことです(服装規定が緩い職場でよかった)。ファッションに興味を示さないのは男らしさの証だから降りろ、とか言われてもマジでどうでもいいから困る。服装選びとか最短で済ませたいんだわ。モンベルユニクロで全部揃うのに何軒も店回りたくねーよ。興味ないことを延々とやらされるのは普通に苦痛だよ。電車恐竜に興味を示さないのは女らしさの証だからもっと女らしさから降りてお人形よりも電車恐竜に興味を持て、って男が言ってまわったら狂人扱いで終わりだと思うんだけど、なんで似たようなことを女が言うのは咎められないんだろうな。

(もちろん本気でモテたいと思うなら服装改善は当然だろうけど、大抵の服がダサい男の言うモテたいは初詣世界平和をお願いするようなもんだから

ともかく、抽象論で言われてもわけわかんないんで、もっと具体的で、かつ、俺がQOLを上げられるような指針をくれませんかね、って思う。「男らしさ」から降りて、それで俺のQOLが下がるならそれにはなんの意味もないんだわ。日傘とかスイーツとかそういう的外れなやつじゃなくてさ。興味ない分野に興味を持てという圧力かけるのでもなくてさ。

2023-08-20

男らしさから降りろとか言って炎上した女wwwww

https://twitter.com/shihori94/status/1692458973687886303

まあ「人として無理やろ」っていうワードが余計だったよね

なんかお友達アニメ監督みたいなやつがそれは弱さじゃなくて卑怯だとか言ってたけどhttps://twitter.com/minamiGIGA/status/1692573323639865482卑怯の話はしてないんだからここではヤンキーに絡まれて一人だけ逃げるという行動は弱さの発露でしかないんだよね

しろいからこそ卑怯なふるまいをしてしまうと考えた方がいい。

で、結局おまえらは弱さを受け入れないんじゃんって話。別にパートナーとして選べとまでは言わんけどさ、弱くて卑怯人間を「人として無理」とか言って排斥するんじゃんって話なんだよね

あとそもそもこのケースの最適解が「二人で頑張って逃げる」しかないのがおかしいんだよね。強い女が弱い男をリードして逃げるという答えが出てこないあたりが男らしさ、女らしさの呪縛にとらわれているんだよ

男は常に頑張りを要求されていてそこから降りることは許されないんだよね。男が女をリードして逃げた場合に関しては別に女は何も頑張っちゃいないわけだけど。

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