はてなキーワード: サンタさんとは
クリスマスのプレゼントとは、渡す側の「期待値調整」作業である。
人は勝手に期待し、勝手に裏切られる。プレゼントの場合、貰えると思っていなければ貰った時に嬉しいし、思っていたほど欲しくないものであればガッカリする。この期待とのギャップを、事前に埋める作業が期待値の調整である。
対して受け取る側は、自分から調整を行うことが難しい。「10万円以下のプレゼント渡すやついる?いねぇよなぁ!!」とは言い難い。だから渡す側にこの作業が委ねられる。
とはいえ、事前に露骨にやり過ぎると、それは予感や予期、期待を下げていき、確定、渡されるプレゼントが決まりきった状態になる。これは期待値ゼロと同じなので避けたい。(「覚悟」とは「幸福」派の人たちは事前にプレゼントを擦り合わせて良い。)
そんな複雑な条件の中で、今年も伝家の宝刀を繰り出すことになる。
「夏休み、パパが東京にミュウの配布会連れてってくれるって!」「いいな!てかポケモン青、いつ届くんだろ」チャイムの音と共に騒がしくなる教室で、目を輝かせる友人達。小学校の話題の中心はいつもポケモンだった。僕は一人、いつも下を向いていた。ウチにはゲームボーイも、スーファミもなかった。
「ファミコンは目が悪くなるから」。僕と弟がゲームをねだるたび、母は困った顔をして、でも決して折れなかった。図鑑、世界名作全集、蟻の観察セット。サンタさんは毎年、僕のリクエストを無視して高島屋の包装に包まれた立派なプレゼントをくれた。嬉しくないのに、喜んだふりをするのが辛かった。
銀行員の父が毎晩遅くまで働く中、短大卒で専業主婦の母は気負っていた。お菓子は手作りで、床にはチリ一つなく、洗濯物はいつも綺麗に畳まれていた。彼女の信じる理想の子育てとはつまり公文とスイミングとピアノのローテーションであり、ゲームボーイみたいな退廃的な娯楽が入り込む余地はなかった。
大人にとっての理想の息子は、子供の世界では異物でしかない。ポケモンの話題についていけない僕を待っていた疎外感。クロールのタイムが早くても、小学生で因数分解を解けても、誰も僕に関心を持ってくれなかった。みんな、放課後は通信ケーブルを持ってる田中君の家に集まり、通信対戦に夢中だった。
ドラクエもFFもクロノトリガーも、テレビで友達のプレー画面を見てるだけで我慢できた。でも、ポケモンは違った。ゲームボーイの画面は小さく、見ようとすると「近いんだけど」と邪険に扱われた。通信対戦で盛り上がる友人達のそばで一人、本棚の古いコロコロを読んでた。涙をこらえるのに必死だった。
お小遣いを貯めて、ポケモンの攻略本を買った。隅から隅までボロボロになるまで読み込んだ。技マシンの番号と技名を全部覚えた。全ポケモンの進化パターンもそらんじた。でも、そこには僕が動かせるピカチュウもミュウツーもいない。むしろ虚しくなるだけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
大人になった今だから分かる。健全な物に囲まれ、誘惑に負けることなく健やかに育って欲しいという母の想いは世間では愛と呼ばれるものだ。僕が社学とはいえ早稲田を出て、それなりの企業に勤めているのは母の愛のおかげだ。でも、幼少期に満たされなかった想いは、渇きは、今もまだ確かに残っている。
「うわ、バイオレットだ!やったー!パパ、ありがとう!」朝、リビングでAmazonの箱を開けて大はしゃぎの息子。「誕生日でもクリスマスでもないのに。まだSAPIXの宿題も終わってないのよ」としかめっ面の妻。これは息子のためでなく、僕の傷を癒すための儀式なんだと言っても理解して貰えないだろう。
「そういやα1のケンタ君、家にSwitchないんだよ。ママが厳しいんだって。可哀想だよね」息子の何気ない一言に、動悸が早まる。子供の世界の共通言語を持たず、母親の監視の下で偏差値を上げるためデイリーサピックスを黙々と解く小学生男子。顔も知らないケンタ君の日常を思うと、胸が締め付けられる。
深夜、家族が寝静まったタワマン低層階のリビングで1人、Switchの電源を入れる。ニャオハがマスカーニャまで進化しても、チャンピオンロードでオモダカを倒しても、驚きや喜びを共有できる友人はどこにもいない。プレミアムモルツを一口飲む。僕が本当に欲しかったものは、もう二度と手に入らない(完
嫌いじゃないけど・・・w
9:30
別れたいって連絡して連絡先消してもうかかわりをなくした状態って別れたのと同じでいいのかな?
なんか変な感じだ
昨日まで毎日のように思い出して、悩んで、傷がえぐれてあんなに泣いたのに別れようと送った今日はまだ泣いてない。
現実味がなさすぎて、理解できてないのかもしれない 自分がしたことなのに
関係がごちゃごちゃになって、距離を置いてからもう1か月くらい経つ
その間に何回か会話したけど全部私から「別れよう」って連絡したときだけ。
もう3回目くらいの「別れよう」って連絡 でも前回は「次無理だと思ったら本当に別れる」と言ったから今回こそ本当にお別れ
最初に別れようって言った時は大変だった、3時間くらい電話がひたすら来続けてびっくりしたけど本当は嬉しかった
そのまえはいったん別れるのを受け入れてくれそうだったのにしばらくしてから「ごめんやっぱり一緒にいたい」って連絡が来た それも嬉しかった
私は多分今も、今日も、今回もそうやって追いかけてもらえるのを待っている
きっともうそんなことはないのに
元彼氏になったきみへ
距離を置いてる間に髪の毛切った 長さはそんなに変えてないけど前髪めっちゃ重くしたよ
あとなんか姫カットみたいになった 美容師さんに「中学の時みたいに戻ったね」って言われて確かにこれが私らしいなって思った
こんななら、きみが好きなボブにしてやればよかった 付き合ってる間はタイプだったって言ってた元カノと同じになりたくなくて意地でしなかったから当てつけ
ロングの私のこと大好きになってもらって タイプさえ変えてやりたかった
前髪重くしたからボブじゃないけどまえよりはきみの好きそうな髪形になったな だった
ネイルも変えたけど、会社の面談あったしワンカラーしかできなかった
しかもネイリストのおねえさんが嫌な感じの人でさいあくな気分で1時間以上過ごした
し、お姉さんおすすめの色にしたらぜんぜん似合わないし好きな色じゃなくてこれもまた最悪
みんなセンスなさすぎってイライラしながら帰り道大盛りラーメン食べて帰った
まえ一緒に行ったところね カウンターの目の前の店員さんめちゃくちゃ見てきて気まずかった
あー早く変えたい でも見せたらきっと「でもこれもかわいいよ」って言ってくれたんだろうなって思う
最後に会った日はのびのびの不格好なネイルだった あのまま会わないでさよならしちゃうの超後悔してるよ
でもこの色よりはましかも 前のリボンのやつお気に入りだったから
あれかわいかったよね
ようやく涙がでてきた10:08
あと買おうか迷ってたキーボードとかぜんぶかったよ
白くてかわいすぎる ヘッドセットもいい感じ
無線マウスってこんなに使いやすいんだって驚いた これ直接言ったら時代遅れとか笑われそう
PC周りかわいくしたらゲームもうまくなるかと思ったけどぜんぜんそんなことなくてモチベ下がった
でも新しいキャラ練習してちょっと使えるようになったよ まだときどき敵にフラッシュ入れるつもりが味方に入れたりグレ投げミスって自分のところに飛んできたりするけど
まつパ予約したり今美容に命かけてる
きみのお誕生日までには「やっぱり一緒にいよう」って言うつもりだったから
12月頭 会った時かわいいネイルとかわいい私で会えるようにギリギリの11月26日 まつパとネイルの予約取った
私ほんとうに大好きだったからきみで推しネイルしようとしてたんだよ
驚く顔も声も想像つく ええ、って驚いた後にかわいいねってありがとうって言ってくれたはず
いつもそうやってずっと可愛がってくれた
きみと会う以外であまり人に会わなかったからきみと一緒にいなくなったら私ほんとどこにも行かないよ
ネイルとかまつパしても意味ないかもとか思って全部やめてやるってひねくれたけど、逆に続けてやる
コスプレ してみたかったけど今まで恥ずかしくてしてこなかったからきっかけくれてありがとう
今は毎日のようにコスプレの衣装の通販サイト見てどれ買おうか悩んでる
サンタさんとかいろいろ買うつもり 見せたかった 本当はクリスマスお泊りのときに着てじゃじゃーんってするつもりだった
やっぱりしたいこと しようと思ってたこと 全部にきみがいる
けどそれさえもいつかなくなると思ったらそれはすごくさみしいと感じる
もっともっといろんなことあったはずなんだけど、どれも日常の取り留めない出来事だからおぼえてない
今までは忘れる前にきみに全部話してたから、それもしょうがない
こうやって話したかったこともわすれて、きみのいない生活にもっと慣れて、悲しいとも思わなくなっていくのを私は知ってる
けどこんなに好きなまま人と別れるなんてはじめてだから、時間はすごくかかりそうだよ
きみはこの1か月どんなことがあったんだろう
でもそれを理解しながら、一緒にいるうちにちょっとずつ大人になって
あまったれ社会人の私にできることなんてなかったかもしれないけど 一番近くで大人になっていくきみを見たかった
池袋のカービィのポップアップストア お弁当箱みつけて「一緒に住んだらまいにちお弁当作るね」って言ったら「ほんとに?」って笑ってた
「だからお弁当箱これでいい?」って2段のカービィのお弁当箱 ピンク色
指さしたら「それ以外がいい」って言われた ごめんねカービィ 可愛いお弁当箱
全部きみがいてどこに行っても涙が出る ずっと思いだす
数か月前までは笑ってそこにいた 今と何が違うんだろうってずっとかんがえる
一緒に食べたラーメン 家の近くのフルーツサンド マック つくってくれたカレー ピザ ハンバーグ オムライス
一緒にやったゲーム
私を呼んでくれる声 寝顔 笑い方 泣き顔 イライラするくらい優しい髪の毛の乾かし方 顔に直接つけられた泡の洗顔フォーム だっこ 手の大きさ
ぜんぶ思い出せてこまる
きのう少し外に出たら右手がさみしくてびっくりした
今は抱きしめてもらえないからだがさみしい
こんなことを思うのは人生で初めて
そういえば来月できみと出会って1年になるね お兄ちゃんのお誕生日に出会ったから運命だと思ってた 可愛らしい勘違い
きっと12月26日を迎えるたびにお兄ちゃんよりも先に思い出す ごめんねお兄ちゃん
たった1年なのに誰よりも一緒にいた 誰よりも好きになった 初めてこんなに好きだと思った
だからこんなにさみしくて悲しい
ひどいこといっぱいしてごめんね
次もいつかもないかもしれないけど、もしもまた縁がつながる時が来たらたくさん話をしましょう
何も恨んでなんかない ただ大好き
空が、晴れていました。
雲ひとつない、青い空。
今すぐにでも、窓から飛び出したい気分。
けれど、ダメなのです。
無理なのです。
それに、今は目の前の作業に集中したくて、一心不乱に手を動かしています。
昼休みからコツコツと建造してきた私のお城を完成させなければならないのです。
硬くて、壊れにくい素材です。
おじいちゃんとおばあちゃんとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの合計四人にねだって、普通のおうちセットを合計四つ買ってもらいました。
老人のくそつまらない話に相槌を打っておねだりをするのは子供の私にとって拷問に近い所業でしたが、ママの財布からお金を抜いて後で物干し竿に吊るされるよりはマシだと判断しました。結果土日と引き換えに普通のおうちセットが合計四つ手に入ったので良しとしましょう。
しんと静まり返った教室で私は黙々とブロックを積み上げていきます。
これくらい空気が張りつめていた方が作業が捗るというものです。
残すは外壁の建設のみ。
煉瓦造りにするか。
どちらも魅力的な提案でしたが、昨日見たドラえもんの映画を思い出したので普通の石垣を作ることにしました。
「もうちょっとだ」
朝はランドセル一杯に詰まっていたレゴブロックも今や半分以下。
この分だと帰りの会でみんなに自慢できそうです。
きっと万の言葉を用いて私を褒めそやしてくれることでしょう。
そんな空想に耽っていた時でした。
がしゃああああん。
はじめ、何が起きたのか分かりませんでした。
視界の外から勢いよく何かが振り下ろされたかと思うと、私のおうちは粉砕されていました。
「……っ」
体からすーっと血の気が引いていきます。うんていから手を滑らせて後頭部から落下した時のように、視点が定まらず世界はぐわんぐわんと回っていました。
「あ、あ……」
おそるおそる視線を上げるとまきこ先生がしかめつらでこちらを睨んでいます。
「何か言いたい事があるようだな」
重く冷たい声色に少しおしっこを漏らしそうになりましたが、私は勇気を振り絞って立ち向かいます。
「……あの、おうち!」
私の訴えに先生の表情は微動だにしません。それがどうした、と言わんばかりです。
「壊れちゃったんですけど……」
おののき、震え(主に膀胱が)、尻すぼみになりながらも私は抗議の意を表し続けます。しかし、鷹のごとき双眸は依然として私のこめかみを射抜いているようでした。
「その、保険とかってききませんよね……」
パァン、と軽快な破裂音が響きます。
揉み手をしてはにかむ私の頭に、丸めた教科書が振り下ろされました。
「……あうぅ」
「片づけとけよ」
心無い笑い声に包まれる中、私は一人お城の破片を拾い集めていました。
小さな私の手ではそう多くのブロックを拾うことはできません。また、隣の席のタカユキくんが足でブロックを散らしてきたりするので、私はなかなか片付けられずにいました。
粉砕されたおうちが頭の中で何度もフラッシュバックしています。
何も完成間近のものを壊さずとも、私がレゴブロックを机に出した時点で注意すればよいはずです。
それなのに、わざわざ私が一番悲しむタイミングでおうちを壊したのです。
ストレスが、たまっていたのかもしれません。おおかた、彼氏とうまくいってないのでしょう。適齢期を過ぎて後のない先生が性急に入籍を迫ったことで時間をかけて育んでいた関係に亀裂が入ったに違いありません。きっとそうです。
幸せの象徴であるマイホームに鬱積した気持ちをぶつけたくなるのも無理からぬ話でしょう。
だからといって、許されることではありません。
悲しみを怒りに変えて誰かにぶつければ、それはまた別の新たな悲しみを生むことになるのです。
まして、いい大人が、立場の弱い子供に、あてつけのように暴力をふるうなど、あってはならないことです。
怒りが、ふつふつと沸いてきました。
私はかがんだまま教壇の方を見やります。ころすぞって気持ちを込めて、きっ、と目を見開いて。
しかし、先生が気付くことはありません。淡々と分数の問題の解説を進めています。まるで私など、歯牙にもかけないと言わんばかりに。
「くそっ……!」
やけくそになって手元のブロックを投擲してやろうと思いました。
体が、震えていました。
先生には勝てないという本能の働きに屈する自分が情けなくて、目頭が熱くなりました。
「いつまでやってんだよブス!」
タカユキくんが冗談交じりに私の背中を蹴りました。冗談とはいえ、サッカークラブの脚力です。とても痛いです。一瞬、呼吸ができなくなります。
体の痛みと心の痛みが合わさって、一層惨めな気持ちを助長しました。
どうして。
私ばかりがどうしてこんな目に遭うのでしょう。
天を仰ぐと、どこからか声が聞こえてきます。それは聖母のような声でした。
痛みは、分かち合うもの。
天の声の励ましを受けて立ち上がった私は、タカユキくんの方へ歩いていきます。
授業中だというのに、腹を抱え机をバンバン叩いているタカユキくん。
「うわっ、なんだよこいつ」
タカユキくんはとっさに手を振り払おうとしてきますが、放しません。
私は動揺するタカユキくんの手のひらを少しずつほどいていき、そっと机の表面に添えてあげます。
「ねえ、知ってる?」
「……な、何を?」
「神様が、言ってたんだよ」
「は? 神様?」
私は隣の席にある筆箱からからプリキュアの鉛筆を取り出すとタカユキくんの指の間に挟みました。
鉛筆を挟んだタカユキくんの手の甲へ、ひと思いに体重をかけました。
「痛ってぇぇ!!!!」
タカユキくんは大声を上げて痛がっています。しかし、タカユキくんは嘘つきです。こないだもサンタさんがいないなんて嘘をついて私を虚仮にしてくれました。そんなタカユキくんのことですから、きっとこれも演技なんです。第一、私はまだ体重の半分もかけていないのに、そんなに痛いはずがありません。
レゴブロックを蹴散らすタカユキくんにも物を大切にする心があったなんて……。
でも、どうせこれも嘘です。
「これは、蹴りの分」
「はぅあっ! おいてめえこのブス! 痛いっつってんだろうが!」
「これはブスって言った分」
「じ、事実だろうがああああ!」
「これは、おうちの分」
※
タカユキくんはさめざめと涙を流し、やめてよう、やめてよう、と言うだけの生き物になりました。教室は何やらざわついているようでしたが、先生は何も注意しなかったので、きっと問題ないはずです。
痛み、十分に分かち合えたと思います。
心なしか晴れやかな気分です。
さっきまでの怒りが嘘のように体が軽いです。
これが痛みを分かち合うってことなのでしょうか。
だとすればこんなに素晴らしいことはありません。
この行いが広がれば、世の中から争いが消える日は近いでしょう。
今にして思えば、先生は私にこのことを伝えたかったんじゃないかって気がしています。
すると、今度は目が合いました。やりました。心、つながりました。
「小梅、あとで職員室な」
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。
ポケットピカチュウで思い出した
小学生低学年の時にクリスマスシーズンに出たドラグーンビクトリー、ベイブレードが爆発的に流行った頃にめちゃくちゃ欲しかった
確か機体の中にマグネットが入っていて専用のスタジアムを使えば磁力で留まったり反発して予想外の動きをするらしい
コロコロコミックで主人公のタカオくんが使ってたバチクソにカッコイイ機体だ
クリスマス当日、ワクワクしながらサンタさんのプレゼントらしい手紙を開けると「ドラゴーンビクトリー引換券」と書いた紙が入っていた
泣いた、すごい泣いた、声が枯れるまで泣いたかもしれん
当時を思い返すと丁度引越しが重なっていて忙しかったんだろうなーと思う
綺麗な親父の字で書かれた引換券で俺はサンタさんがいないことを知った
そういえば自分は誕生日プレゼントやクリスマスプレゼント(=サンタさんのプレゼント)について、「自分の欲しかった物を親が勘違いして微妙に違う物を買われた経験」が一切無かったことを思い出した。
欲しい物は全て要望通りに買ってきてくれたし、当時は感謝しつつも当たり前だと思っていた親の購買行動が実はとても良い購買行動だったんだなと実感した。
「ポケモン緑が欲しい!」と言った時にポケモン赤を間違って買われなかったし、「聖剣伝説3が欲しい!」と言った時に間違って聖剣伝説2を買われたりもしなかった。
また、門外漢なら結構間違えそうな商品として、「カービィのブロックボール」をねだった時もあったが、その時も間違ってカービィのピンボールを買われたりもしなかった。
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。
最初から「神は自らたすくるものをたすく(西洋)」とか「人事を尽くして天命を待つ(日本)」といわれているとおりなんで、
学校の内申書みたいなものとしての善行を気にしてるならいちいち神のご機嫌を気にすることなく学校でいい人を演じればよい。
子供のうちは「迷惑をかけずに善く生きる」ということを気にするけれども、それは親の保護の下にいればの話。
社会にでてみれば善悪は混とんとしており、ただ助け合い生き抜くことだけが人としての善性であることに気づく。
西洋のキリスト教の神はたとえば巫女としてのアイドルのようなもの。この人にだけは恥じないように生きようという指針である。その後ろ盾になっているのがユダヤ教で、選民思想でいい子ちゃんだけ蘇生させるといわれているがこれは元増田のいうとおり現代ではほぼ破却されている。
日本の神は善悪ない。たとえば神道の総本山は天皇だが、戦争のあと天皇は神ではなく人かつ犯罪者ということになった。
仏教の仏にいたっては、悪人こそ悟れるし、全員100年経ったら骨になっちゃうからどうあがいても同じとまでいう。
つまり、サンタさんのようなご褒美は大人にはないしサンタにご褒美を請求するためのいい子ちゃんな善行も必要ない。
ただ自分がそうしたほうがよいとおもったことをするのが善だ。神はスマホより詳しくお前を監視したりはしない。
カノジョの前でいいかっこしたくてコンビニの箱に釣りを寄付するのは、自分(と、もしかしたらカノジョ)がそうしたほうが気分がいいからする。
それで充分な善なのだ。
親の正体サンタさんだったらエグい
小さい頃に「江戸時代の平均寿命は50歳ぐらいだったんだよ」って親から教えてもらった。
馬鹿だったからそれから漠然と「江戸時代の人はみんな50歳ぐらいで死んじゃうんだ」と思ってた。
江戸時代の人で50歳なんだから紀元前の人とかなら尚更すぐ、20歳ぐらいで死んだに違いないと思ってた。
時が過ぎて、中学生になって、倫理の授業でプラトンやソクラテスが超長生きだと知った。
まだ馬鹿だったから「哲学者みたいな凄い人は長生き出来るんだ。凄いな!」って思った。純粋だった。サンタさん信じてた。
高校生になって、やっと気づいた。
平均寿命には幼い頃に亡くなる人の数が反映されることに。
あー恥ずかしい。
幼い頃にサンタさんの正体知った時かなり落ち込んでそう