はてなキーワード: 整合とは
その辺の整合性はどう取るんだろ?
大きく分けて理由は二つ
②話の信憑性を第一に疑うようになったこと
①について。
何年も前に流行ったネタが再度新たなものとして発表されるのを目にする機会が増えた。
スルーすればいいのだろうが、目について煩わしい。
②について。
「完全にネタです」「フィクションです」という話以外に対して、まずそれは本当に起こりうるだろうか?
そして「ここがおかしい」「納得できない」と思うと、こいつはアクセス数か注目を浴びたいがために嘘をついているな、と勝手に心の中で敵対心を持つようになってしまった。
また、ネタやフィクションに対しても、「整合性が取れてない」「矛盾している」というような粗を探すようになってしまった。
①、②に両方当てはまる例がこれ
電車のホームで萌えー!萌えー!と叫ぶ中年男性。 やばい奴だなぁ、だからオタク気持ち悪いって思われるんだよ。と、思っていたら階段からパパー!と言って駆け寄る小さな影。 全く自分の娘に向って萌だなんて、なんたる幼女好き!!自重してほしいものです
これは2chのコピペで、「店内で『萌え』と叫ぶおっさんはこの世から消えればいいのにとか思ってたら、その人は娘の名前を呼んでただけでした」というコピペがある。
何度も見たコピペの改変版。←①
で、Twitterでつぶやいたってことは、そう言うシチュエーションに実際にあったということなんだろうけど、それは普通ありえない。
発音が人名の「萌え」は尻下がりで、オタクの「萌え」は尻上がりとあきらかに違うだろうに。←②
自分にとって止めどきなのかもね。
http://d.hatena.ne.jp/boxingfan-law/20110303#1299081554
「教育やしつけって
そもそも初めから
私は思っていますよ。
学級崩壊のような事態を嘆く。
これはおかしなことです。
そしてそのように考えるほうが楽だからです。
自分の人生がうまくいかないのを受験制度の不備のせいに出来ますからね。」
変に綺麗事でごまかしていない分、
論理的な不整合や事実誤認などはないように読みましたかから。」
http://6023.teacup.com/boxingfan/bbs?page=7&
上記一連のやりとりについての管理人の再言及
人格形成の側面がまったく欠けている
という主張をしたことがあるけども、
http://d.hatena.ne.jp/boxingfan-law/20120126#p2
○ コメント欄での反応では「価値観」という言葉は使われていない。管理人のいう「価値観の押しつけ」とコメント欄での「人格の塗りつぶし」は同義でない。
○ 再言及における「決して「奇麗事を排した本質的議論」などではない。」と、コメント欄でのレスにおける「変に綺麗事でごまかしていない」は矛盾した発言である。
○ コメント欄での反応における「教育とは人格を塗りつぶすことである」との主張が「事実」にすぎないとの誤認。当該コメントは「国家の名の下に行われる教育とは人格を塗りつぶすことであるべき」旨の「当為」であるという視点を欠いている。
○ 「人格形成」という言葉を定義していない。ある一定の価値観に沿った人格を形成していくことと定義するなら、人格形成すなわち価値観の押しつけである。
横だが。
封殺になってないよん。
「ウェイトトレーニングをしてない」ことも、「接客業をやらないでいる」ことも、社会的には普通な事象で、何も問題ない。
裏を返すと「接客業やってれば、あの程度我慢できるよね」と言う話だけど、これが圧力足り得るのは、「接客業をやった人」で、その人らは「そんなことない、これは圧力だぁ」って言って良い。
別の話として。
この例を大元に充てるとすると、「子供の歌声」が「エレベータすら設置しない行政」とイコールになるよね。
そして、歌声が我慢できないつぶやき主は、ベビーカーもちの子連れ母親。
本当にそう思ってるの?
とすると、子供の歌を放置する親には、公共施設をバリアフリーにしないのと同じような、市民からの要請(圧力)がかかっているんだ?
大変だね、子育て。
28歳。
付き合いの長い友人も多い。年に2・3回ある小規模同窓会には、毎回顔を出す。年末は、学部時代の友人たちと温泉旅行に行くことになっている。
学歴にしても容姿にしても、コンプレックスの類とは無縁。経済的にも困ってない。
家族も息災。きょうだい達も立派に自立している。弟は今年結婚した。
たぶん10年後ぐらいの光景なんだろう。俺は清潔な新築マンションを借りて、お気に入りの家具に家電、服や小物に囲まれて生活してる。
今欲しいと思っているモノは、その頃には大体みんな手に入っている。どれも小金があれば手に入る程度のモノばかりだから、まあそりゃそうだろう。
仕事も順調。自分がやりたいと思うことだけを仕事にして暮らしていける、とても幸せな身分にある。
周囲の人々には尊敬され、愛され、精神的にも満たされている。俺の勝手な勘違いでないなら、この辺は現在とそれほど変わらない。
ただ、未来絵図の中の俺は未だ独身で、恋人の姿はそこにはない。結婚してないんだから、もちろん子どもなんているはずがない。
周囲の人々には愛されているはずなんだけれども、そこに現在の友人達の顔はない。というか、周囲の人々には、具体的な顔がない。
家族ともうまくやってるはずなんだけれども、具体的な彼らの存在は、影も形もない。まるで初めからいなかったみたいに。
誰が見ても分かる。この幸福は、どこかが間違いなくフィクションで、ごまかしで、不整合だ。
10年後の自分はどうだったら幸せなのか。何があれば満たされるのか。
俺にはさっぱり分からない。
http://anond.hatelabo.jp/20111210170808
ある40代の数学の先生で、たいへん人柄もよさそうなのに独身の方がいました。あるとき、その先生が女性と話しているのを見て、この方が独身の理由がよくわかりました。その人は、日常の話をしているときでさえ、論理的整合性を第一に、つまり、前に話したことと今話していることとの間に矛盾がないことに細心の注意を払って話をしていたのです。論理的整合性は、数学の世界では何より大切ですが、女性との会話に持ち出されると、女性はとても窮屈に感じてしまいますね。「この人、私が前に話したのと矛盾したことを話したら、指摘するんじゃないかしら?」と心配になります。 (「モテない男論」)
橋下府知事に突然の「逆風」 新潮、文春で「暴露」系記事が相次ぐ (1/2) : J-CASTニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2011/10/27111462.html
logic_master 橋下が人間のクズであることと、本人の出自はまったく関係ない。最低の個人攻撃。でたらめな「実績」とやらを冷静に批判するとか出来ないのか? 2011/10/29
↓
asahi.com(朝日新聞社):維新の会の橋下氏・松井氏が当選確実 大阪ダブル選 - 政治
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/politics/update/1127/OSK201111270024.html
logic_master rebirthen 何パーセントだろうが愚民は愚民だ。自分の利益にならない選択をするものは愚かとしか評しようがない。/guldeen あいつは自分の出自に復讐したいだけ。彼の中には憎悪がいっぱい詰まっている。2011/11/27
この1ヶ月の間に何があったんだ…
それとも、本人の中では整合性とれてるのか。
「草食男子って、性欲が失せたりとか女性とヤリたいって思わない人が、ガンガン増えてるってことを指してるんでしょ?でも、俺たちからしてみたら、ヤリたいよね。メチャクチャやりたいよね。スゴイ、いつでも見苦しいほどヤリたいよね、なんかね」
「夜中にいきなり起きて、立ったり座ったり立ったり座ったりして、ドアノブをガチャガチャガチャガチャってやってから、ウーーーーーー寝る!ってやるくらい、ヤリたいよね。ということは、言ってるヤツブスだろ」
「そういうことじゃん。自分のところには、全然、そのヤリたいが伝わってこないのにも関わらず、俺たち側からすれば、こんだけやりたいってことは、両方の整合性をとる理屈なんて、分かりやすいよね。『お前とはやりたくない』だけだよね。
どうでもいいけど、そうしょくけいだんしって入力したら草食系談志って出てきてGoogleIMEは一体何を期待してるんだと思った。
はっきり言って非常に面白かった。というか岩崎さんがすごい萌えキャラに見えてきた。ラノベヒロインとしてみればA級クラスの完成度だよマジで
タイトル通り読書術を期待して読むとかなり肩透かしを食らうが、むしろ小利口な読書本を期待するはてな民は最初からおるまい。
この本は、どちらかと言うと「岩崎夏海版 小説を書くことについて語るときに僕の語ること」と名付けたほうが良い。
小説とは何か、小説はなんのために読むのか、小説の面白さとは何か、という彼流の思索を綴ったものである。
岩崎さんがどのようなことを考えて小説を書いているかがわかるので「もしドラ」について語りたい人は必読であると思われる。
しょっぱなからイノベーション(笑)があり、100ページ読んでも小説の読み方についての話が始まらない「小説の読み方」の本になっている。
「いいから早く小説の読み方の話をしろ」などと野暮なことを言い出す人はそもそもこの本を読む必要はない、という彼の強気な姿勢が伺える。
ではそのまえがきで何を書いてるかというと、上で書いたとおり。
岩崎さん自身の読書遍歴とか、小説の歴史と称して実際はドン・キホーテやハックルベリーの冒険がいかに素晴らしいかという話を彼自身の語りで延々と説明するのだけれど、論理性を欠いているせいか、はたまたまた繰り返しの多い冗長な構成のせいか、情熱が空回って言いたいことは全くこちらに伝わらないのが実に岩崎さんらしい。
どちらかというと、彼が推理小説および推理小説的な読み方に偏った日本の読者批判をするところの方が面白い。
ところどころに、Amazonレビューややねうらおさんによるもしドラの「誤読」に対しての嫌味が入っており、ニヤニヤが止まらない。
(ありきたりというのは決して悪い意味ではなく、基本をしっかり押さえているという意味でいいことではあるのだが)
正直言ってこの部分だけが目的なら「未来形の読書術」「打たれ強くなるための読書術」という本を読むことをおすすめする。
まず「どうやって読むか」は目的によって変わる。
「なぜ小説を読むのか」について岩崎さんがどう考えているかだが、彼ははっきりと成長のため=「自分の人生を豊かにするため」「器を広げるため」と言い切っている。つまり、もともとラノベ的な消費のされ方をする作品群は彼の考える小説に含まれていないように思われる。じゃあもしドラには使えないんじゃ・・・
一応「成長するための読書」を目的としたときに意識するべきことは以下のとおり
・「正しい読み方」はドン・キホーテとか百年の孤独、ハックルベリーの冒険など、読者を鍛えてくれる本を読めばを読めば自然と身につく。
・できる限り長い作品に挑戦して小説の世界に浸ることで現実の道徳などの柵を取り外す。
・結末や筋書きを意識したり、物事の善悪、登場人物の正否などを勝手に判断せず、素直に作品で描かれていることを体験する。
・二度読み、三度読みによって、物語をいろんな視点から眺め、登場人物や世界にに奥行き立体性をもたせたり、行間に気づくようになる。
・作品が発する問いに自ら向き合うことで自分を成長させる
そのあとに実践編が続く。
ただ、この部分はハックルベリーを読んだことがある人なら、まぁ普通にそう読むよな、ということが書いてあるだけなので興味があるなら、程度でよい。
どちらかというと、説明の内容よりも、説明をしているときの表現の端々に感じる「読者を子供扱いする彼の意識」の方が読んでて面白かった。
ここで彼が言いたいのは、あくまでハックルベリーの冒険という小説がいかにすごいか、ということだ。
私もこの小説は、いろんなことを考えさせられる素晴らしい作品だと思うので私からもぜひお勧めしたい。
大人こそ読むべき。続あしながおじさんとあわせて読むとなお良いです。
彼がこの本で最も主張したかったことはこの部分で、「今の小説家と読者との関係を問い直す」ことであると思われる。
彼はよりよい小説を世に送り出し、世の中を変えるため、「俺が今の小説界を世直ししてやる」くらいの意気込みを語ってるんですよ。
「読者は小説の読み方も知らずに偉そうなことを言うな」と言って、読み方を教えると共に、ある程度の責任を課す。行間読めとかいろいろね。
一方で小説家に対しても「論理的な整合性とか読者の顔色気にしたりして一番大事な面白さを追求できていない」と言って批判する。
そうすることによって「小説の面白さって何だった?お前らもう一度考えなおしてみようぜ!」と熱血教師のノリで問いかけるわけです。
この部分が最高に面白い。「お前が言うな」って野暮なツッコミは無用だ。昂ったっていいじゃないか、ハックルだもの。
というか私は個々の部分を読んで、2年前に竜騎士07という人が、
「うみねこのなく頃に」という作品でミステリーにケンカ売ってた時のドタバタを思い出した。
あの時のスッタモンダがまた見られるのかと思うとワクワクせざるを得ない。
個人的な意見をいうなら、私はめちゃくちゃ好意的だ。応援したいとすら思う。岩崎さんの人気の秘密は、この熱さを持続し続けることが出来る部分にあるのだろう。
こんな人ばっかりだと困るけど、他の作家さんも意気込みとしては時々このくらい熱い思いでやってほしい。
しかし、彼の主張の正しさを示すには、彼がその主張を裏付けるだけの作品を世に出すことが求められる。
そうでなければせいぜいラストイニングの鶴ヶ島という人物のように「ブレないところがチャームポイントの頑固キャラ」止まりになってしまう。
萌えキャラならこれでもいいけど、作家としてそれいいのかハックル!?といいたいところだけれど・・・
コレについては本を読んで確かめてみて欲しい。
自分をマーク・トウェインに重ねて、次回作を「ハックルベリーの冒険」なみの傑作になると確信している彼の語りの部分は生で読まないともったいない。
というわけで、彼の使命感がどういう形で次の作品に反映されるのか、今から楽しみでしょうがないです。
ちゅいき♪
すんません、この記事読んで、初めてこの本のタイトルが「小説の読み方の教科書」で在ることに気づいたので直しました。
http://d.hatena.ne.jp/the-world-is-yours/20111018/p1
理由は、この本の内容で「教科書」を名乗る精神性が、自分の頭の中でまったく理解できなかったからです。ハックルさんの偉大さにまた一つ気づきました。
人より言葉やパンクチュエーションを無駄に(というのもそこには大した美学や整合性もないから)気にするたちであるとは自覚している。
「死」という言葉の重さ云々と今更ここで滔々と述べても誰の為にもならないと思うのでそこは省略するが, です。
「死ねばいい」という言葉は彼女達にとってきっとジャングルジムのてっぺんの様な誇らしいものなのであろう。
最初は「嫌い」「気持ち悪い」という言葉だったのがどんどん高いところへ憧れていき
「死ねばいい」と飛び降りる瞬間その言葉の持つ危うさ,スリルを楽しんでいるのだろうか。
死ぬという言葉を否定しているわけではない。例えば「 」に描かれる死はまさに的確に人の死への恐怖や好奇心を描写していると思うし,その他私たちにとって乗り越えられない(そして乗り越えられないことが好ましいであろう)死について興味深い考察を残した作品は沢山ある
こういうのを何て言うんだろ?紺屋の白袴じゃちょっと違うな、う~ん何だろ
こういうの、こんなに後追いする事は無いと思う。しかしやっぱりこれを見て、科学に言及してこんな事書いてそれがちっとも実践されてないなんて!!!
(Φ皿Φ)クワ!(Φ皿Φ)クワ!(Φ皿Φ)クワ!
そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない、何か判断するには情報が少なすぎるという事がわかる人は意外と少ない、という事か
科学的って言うのは、何回やっても同じ結果が出るとか、各種の比較実験や、対象を比較してみるとか、例えば虐待された人の中でまた虐待を繰り返す人がいた、としても、虐待された人は虐待を繰り返す、というのが理論として確立されるためには、虐待されてない人との比較をして、はっきりとした差が確認されて、初めてその理論が検証され確立した事になる。
(Φ皿Φ)クワ!なブクマの中の一人の人が、「このリストは、機械的にニセ科学を見分けるためのものではない。「リストに載ってないから本物」などという判断は、それ自体科学的ではない 」と言っている。これこそが科学的態度というもの!!(Φ皿Φ)クワ!!(Φ皿Φ)クワ!!
疑似科学は前から叩く方も色々言われてる場合もあったな。叩き方や決め付け方がものすごい上からで、自然科学教の権威を振りかざすみたいなので。
問題なければエセでも擬似でも良いんだけど、問題あるから言うわけで、その問題をちゃんと言えるかどうかも、問題かも。
どこが問題と言えなくて、頭ごなしに怒ったり叩いたり、からかったり、誹謗中傷したり、しているのも、あんまり科学的でも学問的でも無いという事なのだろうなぁ。。。
上の科学的って言うのは、の補足
実験して 検証 したり 例に出したのは統計の取り方について だけど
その前に、仮説を立てる、のがあった 仮説を立てて、それが正しいかどうか、実験して検証する。仮説を立てて、それに沿うような結果ばっかり持ってきても科学的とは言えない。だから、比較実験をしたりなどして、客観的にわかるようにする、と。
疑似科学叩きがなぜ科学的でなかったかは、これらをあまり踏まえてない言い方で言っていたからではないか?
ちょっと感情的ではないかというような事を言われていた人がいたのを、水エセ科学騒動の時にも見た。
しかし、私はその人はわざとやってるのかと思っていた。人に訴えかける時、あまり冷静に客観的な事ばかり書いていると、あまり興味を持たれなかったり、退屈されたり飽きられたりしてしまう。冷静で理知的で理路整然とした文章、好む人は好むだろうし、そういう条件を満たしつつ面白いと多くの人に思われる文章を書ける人もいるだろうが、理路整然だけでは、人の興味を引きつけるのは、難しいのではないだろうか?
水エセ科学は、人の道徳心や神秘性を好む心に訴えかけ、うまく引っ掛けていた。あれに対抗するにはある程度道化師的に見られても、感情的に大げさに表現するキャラクターが必要だったのではなかろうか?
それと、その方は某巨大掲示板も見てるようだったので、ついそれのノリが出てしまったとか
でも、あれだけ感情に訴えるようなパフォーマンス的な部分が無ければ、あれほどの騒ぎになったのだろうか? それを考えるとやっぱり戦略としては成功だったんだろう。
しかし、ここで更に考えると、一つのパラドックスに気付く事になる。
つまり、多くの人に訴えかけるためには、大衆的になる事も時には必要である、しかし、それをやりすぎると科学的態度からかけ離れてしまう。科学的でないものを科学的ではない態度で批判する、という事になり、お互い科学的ではないのだから、一体何が問題なの?みたいにならない事もなかったりしてw
そうは言っても、厳密に言えば科学的態度と言えないというのと、全く科学的根拠が無い実験や検証データからもそれが科学的でないと証明できているもの との非科学ぶり具合を同列に語ってはいけないのかもしれないが。
疑似科学を否定する効果的な方法が、科学的態度の啓蒙ではないと言う事が何とも皮肉だなぁと思った。
最初の(Φ皿Φ)クワ!と、内容が離れてしまったが、まあいいか。
こういう(Φ皿Φ)クワ!な人が出るのも、その事と関係ない事も無いかもしれないから、まあいいか。
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ここで結びにしようかと思ったけど、何が(Φ皿Φ)クワ!なのか自分も全然わかるように書いてないなと気付いた。
自分の場合、客観的に証明できる事は少ないのがわかるから、どう言って良いかわからなくなっていた。偏見も多い。それについて、ものの見事に(Φ皿Φ)クワ!な事を言ってくれた。
だから、証明しようが無いのだが、ネットの文章を見ただけで、そこまで決め付けられる程の情報がない事に気付かなかった科学者(?を目指す人?)とは、言えるかもしれない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/DocSeri/20071128/1196234450 覚えておきたい、ニセ科学リスト - 妄想科學日報
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相互リンク(Φ皿Φ)クワ!!
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111004183757
これのコメ少し続く ネット上などで見て検証できない状態の場合、言うとしても、その可能性が高い、までだと思うけど、( 言うと言うのは、本人にじゃなく、そう言えるかどうか )
自分だったら、物理的に不可能な事をしていたら、その可能性が高いと考えるが、あの「体の調子が悪いんです」を読んだだけで、「うわぁ、これは心の調子が悪い」と言いたくなるのは、この人から見て物理的に不可能に匹敵するような事があの文章にあったという事なのだろう。 何かはわからないが。
しかし、今気付いたが、この人は私がどういう状態でどういう状況だと思ったのだろう? 所謂そういう病気の人というのは、自分で自分がおかしい事に気付かなく、自分の事を客観視できないから、自分で辻褄があっていると思っていても、論理的整合性に欠ける事を書く事もあるだろうし、自分で事実だと思っている事も本人の思い込みや妄想の類であるという事もあるだろう。
私は、「体の調子が悪いんです」の中で、心療内科の薬を内科の薬と言われ、内科へ行くなら漢方のクリニックを止めると言われたと書いていた。 精神を病んだ人が、病んでいるのに気付かず、精神科にかかっているのに自分は内科にかかっている内科の薬を飲んでいる、と言っているのではなく、心療内科のうつや不安に効く漢方薬を内科の薬かもしれないと、区役所民生の人間に言われた、という話だ。
その前に精神的に動揺していたり、不安定な様子は書いている。書いているが書いているから不安があるから漢方を処方する心療内科に通い薬を貰っていたのだ。 だから、辻褄はあっているじゃないかと思うが、一体どの部分がどのように、「うわぁ」だったんだろう。
書いていて、あれ?!と思ったのは、「うわぁこれは心の調子がおかしい」がおかしいのは、”だから、そう言ってるじゃないか!”という事だ。 心の調子と言ってしまっていいかどうかわからないが、精神的に不安定な様子を書き綴っていた。書けるという事はそれを客観視できると言う事だ。だから、何で”うわぁ”になるのかわからない。 体の調子が悪い に対して言ったのだろうけど、両方悪いと言っているのに、なぜ?
下のは「うわぁ」には直接関係無いけど補足
そこには、書いてなかったが、私は精神科と内科とケースワーカーが要る大きい病院で内視鏡検査も含め、親からの保護のために先に入院( 親とは離れて暮らしているが年末に凄い目にあった ) も検討できるところを望んでいた。少なくとも内視鏡は最初に申請した時にも、ずっと体に痛みがありだるさがある時もあり、ずっと前にある病院で、血糖値が糖尿病の境界域になっていると言われた事があり、それ以来ずっと体調は悪いまま、暮らしているという事を告げて、それについては内科的治療をするという話になっていた。説明はロクに無く、ここなら行けると医療券を出されたのは、キリスト教系の病院だった。そんなに近いわけでもなく電話したら内視鏡科はいつも暇なようで、明日でも検査できると言われた。大きい公立の病院だと内視鏡の検査は予約が要り、すぐ次の日というわけには行かないので、大丈夫かなと思った。内科に行けなくされてからだが、質問サイトで聞いてみたらやはり同じ事を言われた。
申請時の担当者には年末に親がした事も、業者経由で送ってきたFAXや弁護士の内容証明を添えて見せて、区役所はどう判断されますか?私は親が狂っているのか狂ったふりをしているのかわからないんです、と言った。普通じゃないとあっさり言われ連絡しないと言われた。 ( しかし、これも後から考えると、連絡しないだけで済ましても意味が無いのでおかしい。連絡しないのは虐待から逃げている場合居場所がわかる事を恐れているからで、既に居場所がわかっている人を、普通じゃないと認めた人から何をされるかわからない場所に置いておくのはおかしいから、どこかに保護する事を普通は考えるのではないか? )
申請時、担当者は、一つの症状に一つの病院という原則も説明しなかった。病院を替わろうとしたらこれを言われた。そうだとしたら最初に罹った病院以外行けなくなってしまうので、慎重に選ばなくてはいけないのに、そんな重要な事を言わないなんて、民間なら説明義務違反なのに。
それで病院に関して余計迷うようになり、中々決められなくなった。 何しろ本当に長い事病院に行ってない。 病院で怖い目にあった事がある。 その事に関して相談に行っても怖い目にあったりもした。
やっと、公立の大きい総合的な相談もでき住んでた所からも近い所に行く事を決めたのに、内科の薬ではないものを「内科の薬かもしれない」「漢方のクリニックを止めなければいけない」「精神科に行くなら一つの症状に一つの病院だから漢方クリニックは止めなければ」と、ツムラで保険は効くけど、扱ってない病院もあるから、そこの精神科が扱っているかどうかわからないから、薬は漢方クリニックで貰わないと困ると言ったのに、民生係長はそう言い続けた。総務に苦情を出したからだ。
しかし、長い事全く内科的にも精神科的にも治療を受けてない状態の人間が病院に通いにくい状態にして、後で問題が起こるとは思わないんだろうか? そもそも診断は医者がするものだから、通うかどうするかは医者が診断し判断する事なのではないか? 内科の薬”かも”しれない、という言葉についてもだが、もしそうだと言うなら、医者か薬剤師に文書でツムラの漢方「桂枝加龍骨牡蠣湯」は内科の薬です、と書いた証明書を出してくるべきじゃないのだろうか?
総務に苦情を言ったら、それまでもハイハイ聞いてたのに、民生に説明させるとか、民生の事は詳しくはこちらにはわからないとか。じゃあだったらなんで、ハイハイ聞いてたのか?
ちなみに、ツムラ 桂枝加龍骨牡蠣湯 この適応症のところ、ここまでじゃなくて、普通に不安感やうつ状態でも出すのに、強烈に書いてあるので、処方箋薬局の人が人によっては何となく退いてるようでちょっと気になった。けど、とにかく内科の薬ではなく神経の薬です。
http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/5200035D1030_1_08/5200035D1030_1_08?view=body#22 ツムラ桂枝加竜骨牡蛎湯エキス顆粒(医療用)販売名コード5200035D1030 承認番号(61AM)1165
バックに圧力団体がいないから嘗められていると思う。無茶苦茶言われてる。 録音してるのに。 電話を録音できるアダプタを、起き上がれるようになったら一番に大須に買いに行った。 これが無かったら、弁護士にしてもその他団体にしても、無駄にショックを受けまくりなだけだった。 録ってて良かったー 弁護士が最初は訴訟すると言ってたのが、交渉じゃなかったら降りると言ったのも、ばっちり! 記録してる。
年末にあった事
1ヶ月程前に予約していた精神科に行ってきた。
院内は新設されたてだったようでとても綺麗だったし、待合室にいる間にコーヒーをサービスしてくれたりして、こうやって患者の緊張をほぐしてるのかな、と少し驚いた。
まず問診票の「どのような症状があるのか」という所で少しつまづいた。
私は自分の考えてることを片端から本当かどうか考えてしまうので、どう書くべきか非常に迷った。
とりあえず情緒不安定と書いておいたら案の定、具体的にどういうことか、と聞かれた。
たどたどしくも、出来るだけ、自分なりに恐らく、と整合性が取れる範囲で思いついたものを述べていった。
まぁ、ここまではよかった(これまでに問題があったのかもしれないが)。
「貴方はそれを治して何をしたいのですか」と聞かれた。
考えたこともなかった、というのは嘘で、私はもとより何もしたくなかった。
更に、私は治ることに恐怖を感じていた。
お前は何を言ってるんだ、じゃあ何故受診しているんだ、と思うだろう。
この感情はおかしい、と自分でも思うが、私が苦しくて治りたいと思うことと、それに対する怯懦とが両立することは私にとってはおかしくなかった。
ただ、それを相手が理解出来るように言葉にするにはまるで出来る気がしなかった。
しかし特に何もしたくないと言えば、何故来たのですか、と言われそうで怖かった。
わかりません、と言うしかなかった。
ここで先生に呆れられた。
「それだとこっちとしても治ったのか、治りつつあるのか判断のしようがない」
なるほどそりゃそうだと思った。
と聞かれこれまた答えに詰まって、とりあえず薬を処方して頂ければ、と言った。
私はパニック障害で心療内科に通院していてソラナックスやらジェイゾロフトやらを処方されていて(一応精神科と分けて考えていたので)、
「それならば出す薬はそんなに変わらない」
そうなのか。
もう限界だった。
なんだか更にわからなくなった。
病人には治りたい理由が必要なのだろうか。
だが事実として私は私の症状を伝えることができない。
ならばどうすればいいのだろう。
治りたいという意思が無い、というのは患者として致命的だというのはわかる。
しかしそのアンビバレンスに挟まれている状態で苦しんでいることは、どうしようもないのだろうか。
もっとも、私が何らかの精神病を患っている、ということは何も確定していないのだけれど。
いつまでもダダをこねているし、もう一生このあたまで生きていくんだろうな、とも考えている。
私のこの矛盾だらけの感情は、クオリアやらなんやらかもしれないが、結局相手が理解出来かつ許容出来なければノイズみたいなものでしかないのだろうな。
レジストリを起動する
レジストリの内容を参照/編集するには[スタート]ボタンをクリックして検索ボックスに「regedit」と入力
HKEY_CLASSES_ROOT\Applications\********.exeまでいく (applicationという似た名前があるので混同に注意)
(規定)を右クリック
その後再起動する
パーティション分割してファイルをDドライブに移動させたりすると関連付けできなくなる。
http://menushowdelay.blog13.fc2.com/blog-entry-302.html
関連付けを設定できません
以前は問題なく動作していたアプリケーションなのですが、ファイルを右クリックから、このアプリケーションで開くことだけができなくなりました。
アプリケーションを開いた後で、ファイルをウインドウ内にドラッグ&ドロップすることならできます。
ファイルを右クリック→プロパティ→全般→プログラム:変更→ファイルを開くプログラムの選択→参照→プログラムから開く
で実行ファイルを選択することで、普通は「ファイルを開くプログラムの選択」ダイアログに戻って一覧に選んだプログラムが表示されるはずなのですが、このプログラムだけが表示されなくて困ってます。
ひょっとして、導入後にフォルダごと移動したりしませんでしたか?
レジストリを一切いじらずにインストールが可能なアプリケーションでも、実はこの「プログラムから開く」の「プログラムの選択」で参照してしまった場合、Windows2000/XPでは
HKEY_USERS\(ユーザー識別子)\Software\Classes\Applications
以下に登録されます。別の見方をすると、こうして登録された後で「レジストリを一切いじらないアプリだから」 という理由でフォルダごとどこかに移動したり、フォルダ名をリネームしてしまうと、先のレジストリの記述に不整合が発生し、以降はその不整合を直接編集によって書き換えたり値のデータを削除したりしない限り、永遠にそのプログラムで開くことができなくなるという不具合を生みます。「ファイルを開くプログラムの選択」ダイアログの「参照」ボタンをたどって移動先やリネーム後のアプリケーションを指定しても、エントリは正常に書き換えられることはありません。直接編集以外に道はないのです。
「スタート」ボタン→「ファイル名を指定して実行」→ regedit と半角で入力してEnterキーを押下します。
HKEY_USERS\(ユーザー識別子)\Software\Classes\Applications
以下に該当アプリケーション名のキーが存在したら、とりあえずバックアップをとってからキーを丸ごと削除します。
バックアップとその書き戻しについてですが、今回の事象の場合はreg saveコマンドを利用する必要はなく、該当キーを選択した状態で、右クリック→エクスポートを選択し、名前は適当に「aaa.reg」とでもつけて、デスクトップあたりにでも保存すればよろしいかと思われます。
該当キーを削除しても、OSが起動しなくなったり、デスクトップ画面までたどり着かないようなことは一切ありません。
HKEY_CLASSES_ROOT\Applications\********.exe
だったという例あり。併せて確認されたし。
公式RTの発言によってその人の人格を判断するというのがいかにバカげてるかという話。
人民よ! バナナを食え! バナナこそは至高なり! ああバナナ! 汝はちんこの暗喩なり! 思い起こせば人類の歴史十万年、バナナは毅然としてそこにあり、人類によって食べられる日を待っていたのだ。人の叡智がバナナと出会ったそのとき、バナナの秘密が人類に開示された。バナナ! カリウム豊富! バナナ! 黄色くて曲がってる! バナナ! 場合によっては釘も打てる! バナナよ永遠なれ!!!!!!
引用するなと言われると引用したくなる駄目読者です。こんなダメダメな私は増田に埋まってますぅ。
これ文脈抜いてここだけ公式RTしたらとんでもないことになるだろうなぁ。
文脈といっても元の文は「全体がでっちあげ」である。ちゃんと序文でそう述べられている。
つまり「でっちあげだが、単体としては整合性がとれている話」「その話の一部」という二重構造であり、
ある人が、本当は良い人だし知識も豊富だけど、皮肉のためにツイッターでのアカウントでは露悪かつバカっぽい的な発言を繰り返しているとしよう。
その一連の流れの中ではある発言が文脈としても整合性がとれているとしよう。
jonetsuさんとかは良いキャラクターしてるよね。あの調子で死ぬまでやってほしい。というか幸せになったら殺したい。
そういう人がたとえば「福島は見殺しにするけどガンバロウ日本」みたいな発言をしたとする。
これは普通の人には <バカには文末のカッコ笑いとか、表現の周りにあるカッコが見えないという「裸の民衆様」を表現するアート>なのであるが、
しかもこの場合、文脈的には整合性がとれている。そういうキャラとしていつも似たような発言をしているからだ。
ところが、またここでキャラと実物の違いが分からないバカがいる。
よくリテラシーというと、知識とかメタ知識とかの話なるけれど、
ネットでよく問題になるバカというのはリテラシー以前の問題だ。
ネットの発言には、つねにこの「文脈」と「キャラ」の二重の壁がある。バカというのはこの壁が見えないということだ。
見えないから常にその壁にぶち当たって、壁とお話をしている酔っぱらいみたいな人たちがたくさんいる。
そういう人は、人間と本当の意味で会話をすることもないし、出会うこともない。
ネットでは、バカにはコミュニケーションそのものが閉ざされているシビアなセカイだ。
ネットを始めるなら、この2つのバカの壁の存在くらいは学んでからにしよう。
それまでは、リアルで人間というものを学んだほうがいい。コミュニケーションに関していえば、ネットでしか学べないものはろくなものがない。
更に言うとバカよりひどいマジキチの壁というのがある。
例えば福田なにがしとかいう主婦の人。まぁあれもキャラかも知れない。キャラなのだとしたら小説家になるべき逸材。
あれは自分の脳内という壁があって、その壁から一歩も外に出られない人である。
自らを精神病院に放り込んでいるようなもので、ほんとうの意味では誰とも会話してないし、誰にも話しかけていない。
ああいう人間は、周りから見ると恐怖を感じるが、実際的にはなんの害も無いので、そのまま病院にいてもらうのが世のためその人のためだ。
(2012年1月書き直し。文章が長いという意見が多く見られたので箇条書きでまとめ直した)
放射線研究で世界に冠たろうとする山下俊一教授、独シュピーゲル誌とインタビュー
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/08/blog-post_9917.html
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放射線研究で世界に冠たろうとする山下俊一教授、独シュピーゲル誌とインタビュー | EX-SKF-JP ex-skf-
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tikani_nemuru_M
「チェルノブイリでは避難住民の寿命が65歳から58歳に低下」。強制移住はやはり非常にハイリスクだな。インタビューはまっとうだが、調査をして「モルモット」と抜かす煽りが受け入れられるようでは、補償も困難。 2011/08/22
t_kei
『科学界に記録を打ち立てる大規模な研究』/これ読んで何も疑問に感じず、上から目線で「補償も困難」とか言っちゃう人って、完全なエア御用だよね。何様なんだろう。誰とは言わないけどさ。 2011/08/22
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tikani_nemuru_M
おいおい>id:t_keiクン、脳が煮えてるのか? 事実に基づかずに何をどう補償しようってんだ? 調査を否定する輩は被害者の敵だぜ/調査を否定してるんじゃなかったら、ナニが言いたくてエア御用呼ばわりしたの? 2011/08/2262 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん、ご心配いただきどうも。ところで『調査を否定』なんて誰がしてるんですか?/「疫学的な事実」が判明するって段階がどういう段階なのか、知ってて言ってるなら話にならないなぁ。。 2011/08/22
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tikani_nemuru_M
エア御用、だのという程度の低いレッテル張りをする輩は本当に頭が悪いな>id:t_kei 補償ってのは被害がでないところには成り立たないことも知らなかった? 僕のいっているのは健康被害への補償なんだけど。 2011/08/2213 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん、既に『疫学的な事実が判明するって段階がどういう段階なのか』と書きました。補償云々に関しては要するに順番を履き違えているということです。他にもありますが取り急ぎ。 2011/08/23
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tikani_nemuru_M
id:t_kei 疫学的事実というのは、数十年後にあるだけではなく、いま現在の健康状態と被曝量でもあるんだよ。調査は除染・当面の生活補償とならんで優先されるべきことだ。順番の履き違えって何のことだ? 2011/08/2322 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん とりあえず山下氏に代表される「100mSv/y以下は有意の差がない、安心して」という言い草と「現在の疫学的事実」というものがどう両立するのかが理解不能ですね。他にもいろいろありますが取り急ぎ。 2011/08/23
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tikani_nemuru_M
id:t_kei 山下が何を抜かそうが、いまの健康状態や被曝量は「現在の疫学的事実」だよ。そもそも低線量被曝の影響が確定していたら調査の意味が無い。こんなこともわからんカスからエア御用呼ばわりされて嬉しいよ。 2011/08/2334 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん その山下氏が行政と一体となって現地で「安全」を喧伝して、結果、「モルモットではない」と怒りを買っている。その状況に対して『補償も困難』と言い放つのは、エア御用としか言いようがないです 2011/08/23
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tikani_nemuru_M
id:t_kei こんなアタリマエのことを何度もいわなきゃならんのか。事実は被害者の味方なの。「事実がわからなければ補償は無理、というのはエア御用」が君の主張ということでオッケーだね。馬鹿は被害者の足を引っ張るな 2011/08/2327 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん はぁ…。今までの公害訴訟の歴史を勉強しなおして、一から出直してください、としか。 2011/08/24
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tikani_nemuru_M
id:t_kei 「事実がわからなければ補償は無理、というのはエア御用」が君の主張ということでオッケーだね、と聞いているのだが。公害訴訟についてはざっと知っているつもりだがどの文献がチミのキテレツな主張の裏付け? 2011/08/2412 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん だからそれへの答えが公害訴訟の歴史を勉強しなおせです。それこそ徹底した調査が行わなれたはずの広島長崎で、被害者がなぜ訴訟を起こしたのか調べてみたらいいんじゃないですか。 2011/08/24
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id:t_kei あー、やっぱり調査は補償にとって無意味といいたいんだね。オッケー。いま、宿題が溜まっているけど、気が向いたらブログ記事のネタにさせてもらうから、まあそのときに。 2011/08/2415 clicks
t_kei
id:tikani_nemuru_M さん はぁ…。調査が不要とかではなく、こういう場合、直ちに因果関係を捕捉することは困難で、被害は疫学的事実の確定を待つのではなく「社会が被害をどう措定するのか」に依る必要がある。基本です。 2011/08/24
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t_kei
そしてその上で。山下氏は長期的なリスクが予想し得る中、行政とともに現地で「安全」を喧伝し怒りを買った。id:tikani_nemuru_M さんはそれに対し為政者目線で『補償も困難』と言った。だから僕はエア御用と言いました。 2011/08/24
tikani_nemuru_M
山下は啓蒙型リスコミの失敗例。「救済」には措定も大事。しかし、被害が確定しないと補償もできない、ってのは為政者目線じゃなくて補償の語義の問題/疫学的因果関係を行政・司法が認めてくれればねえ…>みつどん 2011/08/2411 clicks
最後には「山下は啓蒙型リスコミの失敗例」「「救済」には措定も大事」と地下猫が折れた。
住民が今まさに求めているのは、健康被害が出てしまった後の補償や「科学界に記録を打ち立てる大規模な研究」のための調査ではなく、治療もしくは予防のための調査のはずなのに、それが二の次になっているとしか思えない受け答えを山下が行っている。
山下たちの行う調査が、治療・予防を最優先とするものでないのなら、調査に先行して「社会が被害をどう措定するのか」という作業を進めて、治療もしくは予防といっしょに県外への避難を促し、それらを円滑に行える枠組みを早急に国、地方自治体、東電を頂点とする財界、科学者、議会が整備していかなければならないんじゃないのか。
地下猫は、過去に、こういう勘違いもしていた。今も勘違いについての訂正は行われていない。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20110731
これはブログ記事を書いた島薗氏にも聞いてみたいところなんだけど、仮にICRPが中川のいうとおりに「核・原子力を進めてきた当の国家や原子力産業が、その推進策に添う放射線防護策をも作り上げてきた」組織だとして、それではWHO(世界保健機関)やUNSCEAR(国連科学委員会)などの他の国際機関、あるいは各国の疫学、放射線医学などの学会がICRPの提唱しているモデルを原則的に承認しているのはどういうことなんでしょうかにゃ? これらの諸機関や諸学会には、健康状態や疾病などについてのデータがガンガンあがってくるはずだから、ICRPの言っていることがおかしければそれらのデータと整合性がとれなくなってくるんでにゃーの?
↓
はてなブックマーク > 科学・学問 > 事実認定がそもそもおかしい - 地下生活者の手遊び
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20110731
kmiura
逆の部分が。UNSCEARやWHOの報告書を元に、ICRPが基準を提言している、という形(ICRP自身がそう説明している)。だからICRPの基準にUNSCEARやWHO(実はこっちが問題)が反対するはずがない。 <<
自分の中で、今まで書いて整理できなかったものとして、「部落」というものがある。
部落っていうと関西のイメージが強くて、有力者なんかだと食肉業界で成功したりしている、みたいな感じなんだけど、それとうちの近所の部落との整合が取れないなあ、と。多分東北とかまで行くとあまり部落ってイメージもなくなっていて、松本大臣VS地元メディア、みたいなこともあったのかなあ、と思う。
あと、田舎。割と構成員が変わらないってのがあった。そのへんが世間一般の感じてるものと自分の感じてるものが違うなあって思った。
自分の地区の隣の地区が、行政的にそういう位置付けのところである、ってのを、まあ成人するかしないかぐらいのところで知るわけです。行政的に、っていうのは隣保館とかがあったり、区画整理がされてこのへんじゃ珍しい2車線道路が走ってたり、地区に入るところに信号や横断歩道がついていたり、市営住宅がたくさんあったりするってことなんですけどね。
自分ちのそばに解同の事務所なんかがあることなんか知らずに育つわけですよね。
でも、その地区が特殊な地区であることは知っている。うちの隣のその地区は食肉とか皮革とかではあんまりなかったみたい。あとでちょっと調べたけど、民間陰陽師とかそういうこともあったらしい。まあどういう区別なのかよくわかんないけど。
で、部落の歴史としては、全国的なことなのか、農地を持っていなかったり小作していなかったりする人たちなので、戦後困窮したらしい(民間陰陽師も禁止されたとか)。卵が先か鶏が先か、って話だけど、その地区は生活レベルが周囲より下がってしまった。そういう歴史はもちろん僕らは知らなかったが、その地区の子たちの学校での勉強が芳しくなかったのは体感している。(ちなみにその地区は土建と自営が多く、他の地区は農家と勤め人が多かった印象)
これもあとから知った話で、というか母が小学校教諭として自分の通っている学校に勤めていたことがあったのだが、ここに赴任する前にそういうレクチャーを受けるらしい。そして全校100~200人程度の過疎の小学校なのだが、質の高い教師が選ばれていたらしい。そんな恩恵を知らずに受けていたのだが。そういうわけで、僕も利権の中の人と言える面はある。
そういうわけで、母曰く、僕らはかなり大きく同和(人権?)教育を受けていたらしいのだが、子ども心に全然覚えがないんだな。部落という地区があっても、そんな地区がどこにあるのか知らないのだもの(隣にあったのに)。「出自によって差別するのはよくないね」「はーい」なんて言ってたのかどうか、今考えると靴の上から足の裏を掻くようなもんで、具体的にその地区のことを説明せずに、よくそういう教育ができたもんだ、と思うが、その地区の人もその地区じゃない人も同じようにその教育を受けていたようだ。
で、そういう部落とは知らないその地区に対して、かなり年配の大人(祖父母など)は「そこへ行ってはいかん」「その地区の人と遊ぶな」という教育をしてきましたね。で、噂としては「狂犬病の犬が放し飼いにしてある」「おかしな人が追いかけてくる」などの噂があって、怖がりな僕はほとんどその地区に入っていません。いわゆる級友、クラスメートとしては全く違いはないので、その地区にも友達はいて、何かしらの努力をしてその地区に立ち入ったことはあります。友達関係としては至って普通でした。
その地区は学校の成績としては低かった体感があり、その地区の中でつるんでいるグループがあって、ちょっと荒い印象はありました。
いまさら親と同和について話を聞いたりするようになったんですが、難しい話ですよね。その地区は土木工事的にはお金がつぎ込まれて、ハコモノもできて、小学校には優秀な教師が送られていたはずが、昭和末期から平成にかけても、教育水準の体感に差があった。学校にいる子どもたちは、同和や部落のことは何も知らないし、知ることがいいこととは思わないが、もしそこに格差があっても、打てる手は少ない。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20110816220206
というエントリを読んで感じたんですが、もともと地域の水準って、モザイク状なんですよね。うちのあたりは全体的に遅れた地域ではあったんですが、やっぱりその地区と他の地区では成績の体感に差があった。これってどこにでもある話だけど、どこにでもはない話とも言えると思う。
ついでながらの無駄話をしておくと、今でも市単位で、人権講演なんかがあったりして、同和行政は終わってても、どこかでそういう予算がついているみたい。で、関西四国あたりの人に喋ってもらってるらしいんだけど、何か違うと思うんだよな。
読まずにハックルさんを批判することは許さん。読んだ上で、この記述でハックルさんが言うような読みが可能であるかどうかを判断するべし。
私自身としては、みなみが変な子であることは認めるが、小説版の書店員さんの行為にはそれほどの過失がない、と擁護したい。
おそらく普通の人は、他に野球部にマネージャーというものがいれば、まずその人に聞いただろう。
しかし、なぜか彼女は目の前のマネージャーの活動を観察したり、彼女に質問したりするより本を読むことにした。
彼女が目の前の現実よりも本に書いてあることや理論、自分の頭のなかにある理想を重視する人物で有ることがよくわかる一文である。
ようするにみなみはちょっと変わった子なのだ。
そこで、家にあった広辞苑を引いてみた。すると、そこにはこうあった。
マネージャー【manager】 支配人。経営者。管理人。監督。
また、すぐ隣にはこんな言葉も載っていた。
これを読んで、みなみは「マネージャー」というものを「管理や経営をする人---つまりマネージメントをする人」だと理解した。
この時点で、みなみは「管理や経営をすること」だということを受け入れていることに注目。
普通ならここで、あれ「野球のマネージャーは?」とか「管理や経営ってどういうこと?野球と関係ないんじゃないの?」って思うかもしれないが、
彼女はなぜかこれだけ読んで「管理や経営をする人になろう」と納得できてしまうのだ。そういう子なんです。
で、肝心のシーン。
次に、今度は近所の大型書店に出かけていった。
そう、みなみはこういう聞き方をしたのだ。
なぜ彼女が野球部のマネージャをやってるんだ、とか甲子園に連れていきたいんだ、とか言わなかったかはわからない。
でも、書店員がこの質問に対してべつにプロのビビッとした感覚がなくても「マネジメント」を手渡すことにそれほど違和感はないだろう。
余計な説明はいらないところだ。別にハックルさんがマンガ版でやったように空想を働かせてもいいけども。
するとその若い女性店員は、一旦店の奥に引っ込むと、すぐに一冊の本を手にして戻ってきた。
「これなんかいかがでしょうか? これは『マネジャー』あるいは『マネジメント』について書かれた本の中で、最も有名なものです。世界で一番読まれた本ですね。
もう三十年以上も前に書かれたものなんですけど、今でも売れ続けているロングセラーです。これはその要点を抜き出した『エッセンシャル版』です。
何も聞かずに「マネジメント」の本を手渡すのは、ありだと思う。
だが、それはここでgdgdと説明することとの整合性が悪い。
ハックルさんがいうようにビビっと来たと主張するのなら余計な説明なしに「コレがいいと思います」でよかったはずだ。
こんだけ長々と説明するくらいなら、その前にもうちょっと相手の話を聞いても良かったはずだとやねうらおさんが思うのはむしろ自然な反応だと私は思うね。
(まあこう言えば、「書店員さんはビビッと来て何が何でもみなみに読んでもらおうと努力したのだ。それがプロの店員というものだ」とか返すんだろうけど。
もしそう返すなら、みなみは真剣味が足りなかったんですかって返したい。なんで自分の状況をもっとちゃんと伝えようとしないんですかってね。)
そこでみなみは、その本を手にとって見てみた。タイトルにはそのものズバリ「マネジメント」とあった。
著者はピーター・F・ドラッカーで、編訳者は上田惇生、出版社はダイヤモンド社となっていた。
そうして彼女は、中身も見ずにその本を買い求めた。値段は二千百円と少し高かったものの、世界で一番読まれた本というのが気に入った。
それに、あれこれ考えてもしょうがない---という思いもあった。
本を買ったみなみは、家に帰ると早速それを読み始めた。
繰り返しになるが、みなみはあまり深く考えない子、自分の思い込みで突っ走って周りを巻き込む子として描かれている。
その思い込みが間違っていても、痛い目を見ないとわからない子なのだ。
だから「なぜ中身も見ずに買ったのか」とか突っ込んではいけない。
ここでハックルさんが「みなみは運命を感じたんだ」とか色々説明したがるかもしれないが、読者としては「ああ、この子はアホの子なんだな」程度の認識で構わない。
そのほうがこの作品を楽しめる。 というかなんでも「経験とか勘とか運命」とかで説明てんじゃねーよハゲ。それは説明になってねーんだよ。
それでも、すぐに気持ちを切り替え、その先を読み始めた。
こういうのはよくない。
ところが、そうやって読み進めてみると、その本は意外に面白かった。
また、単に「企業経営」についてだけ書いてあるわけではないというのも次第にわかってきた。
そこには、企業を含めた「組織」の経営全般についてが書かれていた。
そして、それなら野球部にあてはまらないこともなかった。野球部も、広い意味での組織だった。
だから、組織の経営について知ることは、野球部の経営を知ることにもつながった。
それが分かって、みなみはホッとした。---この本も、全くのムダではなかったのだ
なぜみなみは「マネージャー」という単語さえ広辞苑で調べないとわからないのに
「組織」については、広辞苑を引かなくても理解できているのか。
違和感を感じるかもしれませんが、この部分は読者がちゃんと想像力を働かせてください。
そうしたことは抜きにしても、この本は面白かった。
みなみはそこに書かれていることを完全に理解できたわけではなかったが、何かとても重要な、だいじなことが書かれているというのは良くわかった。
言葉の一つひとつが、とても重く、とても貴重なものとして受け止められた。
それに魅了されたみなみは、夢中になって読み進めていった (続)
はい、参考にはなりました。ムダにはなりませんでした。
ではなぜみなみはこの本を参考にした後「野球のマネージャー」に関する本を買おうとしなかったのか。
その答えは実際に本を読んで確かめてみましょう。