はてなキーワード: 総体的とは
女向けだの男向けだのにやたらと執着する人間ってアタマおかしいと思う
作り手とか他者が自分を理解してくれることを要求しすぎというか
もちろん自分の好みがあってそれに従うのは前提だとしても
これは誰向けだとか厳密に型にはめたりせずにまず作り手が表現したいもの、世界観とかそういう総体的な大枠を尊重してあげられる人間じゃないと
こういうカルチャーに触れていく資格がない、とまではいわないが、モンスター消費者になりがちだと俺は思っている
そもそも現実の世の中と同様フィクションの世界だってあらゆるものが混ざってるのが当たり前
自分の嫌いな要素が入ってたら全部ダメかのように言って貶せるほどナイーブな人間が、物事を妥当に把握すること、まして論じることなどどだい不可能
他人がどうではなく作品の中で自分にとってのスイートスポットを楽しむという関わり方を習得できてない人はなんでこうも声が大きいのか
それは作品に触れれば触れるほど孤独を感じてしまって喚きたくなるからだろう
適応力を高める方向にいけるのがオタクだが、喚いて「なんだこんなもの」と当てつけをしてしまうのが残念な人間の思考回路なのだろう
はいただの詭弁。LGBT等の権利の拡大や保護と他者の権利の尊重をごっちゃにしている。
LGBTに代表される今まで不当な扱いを受けてきたマイノリティを尊重し、平等な権利を与え平等に接するべき。これは分かる。
だがグルーミングに関しては逆に「判断能力が未熟と思われるものを保護すること」こそが総体的に見て他者の権利の拡大に繋がると考えられるから世界的に法整備も進められてきてるわけでしょ。
だからこの国では成人年齢は引き下げられても性交同意年齢は引き上げられたんでしょ。全然逆じゃん。
よって本件について手放しで祝福する前に慎重に判断して心の中で是非を問うことはむしろ時代の変化に敏感な人間なら正常な反応の範囲内。
法体系も社会的意識もそういう方向に向いているのが現状なんだから、当然憶測で不当に叩いたり侮蔑的な表現を向けるやつは論外として、今回の件に違和感や嫌悪感を抱く人がいることは何らおかしくない。
むしろそういう小さな違和感や嫌悪感こそ尊重して否定せず、感じたままのことを心の中できちんと育て上げていくべきじゃないの?
そういう類のものに蓋をして無自覚な社会を作り上げてきた反省として生まれたのが現代の一見過剰とも取れるポリコレ社会なわけでしょ。
今まで、いろんな批評を十数個読んでみたが、どれもこれも、やれハヤオがどうだとか、やれ鳥は鈴木Pだとか。もちろん観点としてはありだけど、そればっかりだと飽き飽きするし、映像とストーリーの力がそれほどにもない映画なのかと思ってしまう。
先ず塊から始めよということで、拙い感想を書く。文章の組み立て方とかわかんないから箇条書きだけど。
・夏子、女すぎる。まず馬車から降りるときにいい匂いした。夏子の腹を触らされた時の眞人の「ざわっ」って感じ、嫌悪感・忌避感がリアルだった。
・異界で夏子のことを「好きなの?」と聞かれ、眞人が「父の好きな人だ」って答えるの、「眞人が夏子のこと好きだからだろ」みたいな意見も見たが、違うだろう。
夏子はまだ「異性」だったのだ。母ではなく、女だった。好きとかではなく、母性よりも女性性が強く感じられていたからこそ、そういう受け答えになったのだと思う。
・だからこそ、産屋での「母さん!」という一種べたな呼びかけが、効いてくる。最初は「え、こんな“家族”の象徴としての母親呼びなんてベタで陳腐じゃね?」と思ったが、眞人が夏子の、異性性よりも母性を受け入れることにした、という意思表示なのだから、言う必要があった。「どこでそんな絆深まったん?」と思ったが、「これから家族としての絆を深める意志がある」という宣言だったのだ。
・眞人の悪意、すご!! 同級生からいじめられ、石で自分の頭から半端ねえ血を流すんだけど、あれ自分でやった傷なのに血出すぎでしょ。あそこで「うえ~ん、同級生にこんなことされたよお」っていうんじゃなくて「転んだ」というところ、テクニカルすぎる。
そういわれたら、同級生の罪が重くなるだけでなく、父親の激高もより深くなるし、夏子も「信用されていない。だから本当のことを言ってくれない」という無力感を強くするだろう。
眞人の悪意、すご!!! どろっどろの悪意だ。そりゃ夏子も「あなたなんか嫌い!」っていうよ。
・だから「自分の傷は悪意で汚れている」と眞人がいったとき、「こいつ、言いおった!!!」と思った。個人的にはこの「告解」が映画のハイライトだった。眞人がこの告白をできたこと、それがこの旅の意味だった。
・焼死した人間が火の使い手になるの、普通にえぐくない?ラストで「火は怖くないわ!」とかいって、「自分は死ぬが、それでもあなたを生むことを選ぶ」という強烈な「子の」生の肯定もグロくない? 「まあ最後は焼死してもそこそこいい人生だったもんな」って自分の人生を肯定してヒミが現世に戻るならいいんだけど、「あなたを生むんだもの」って。生むことがヒミの人生の第一義かい!ってなる
全ての意見はポジショントークで、そのそれぞれが対等で、だからこそ対立が生まれる。
って考えてるけど、根底にはニヒリズムがあるんだろうなって思う。
皆さんの大嫌いな「お気持ち」を排して、大好きな理屈や客観性「だけ」で考えていったら、当然ニヒリズムに辿り着く。辿り着かないのならどっかで事実と規範を混同してる。
どんなべき論も、「それはなぜ?」を10回ほども繰り返せば理屈では言葉に詰まってしまう。理詰めでタマネギの皮を剥いでいったら何も残らなくて、「それがいいと思うから」という素朴な感性に依拠した価値判断が露わになる。
ただどんな意見もオッケーですよだとカオス状態なので、どこかで線を引かなければいけない。そこで、理屈ではないけれどまあ大多数の人が素朴に共感するであろう、個人の領域を尊重しましょうねという人権思想的な宗教が一応公理とされている。前近代は宗教という便利かつ絶対的な真理があったけれど、今やそれはない。便利過ぎて回帰したりもしているけれど。
個人主義という土台をスタート地点にして、そこから社会をやっていきましょうや、という事になってるものと捉えてる。私は。
でもニヒリズムとか言うと条件反射的に厨二病の冷笑野郎だ!死ね!って言う人がいるんだよなあ。
まあ確かに全てに価値が無い!総体的に辛いだけの人生なんて苦行だあ泣みたいな人もいるのかもしれんけど。
だからといって自殺とかする覚悟も無いし、じゃあ別に理屈なんか求めず内から発する納得に依拠して生きればええやん、というニヒリズムもある訳で。ニーチェもそういう事を言っていた訳で。
無意味でええやん。そこに意味なんか求めちゃいけない、なんて思える超メンタルの人間もいるのかもしれない。ゴータマ・シッダールタがそうだったらしい。
ともあれ、全てに意味はないんだぜ~と言ってアナーキストを気取るのに鼻白むのはわかるけど(私は別にそれでもいいと思うけど。一線超えたらしばかれるだけだし)、理屈で考えたら全てが無価値なのを否定するのは違うじゃんって思う。
この世に神様が作った正義なんて用意されてないけど、じゃあ作っていきましょうよ。って言うなら分かる。
でも人権思想はこの世の真実なんだ!政治は真実の正義を追求するものなんだ!それを笑う者は許さん!みたいなんも割と多いようだなあって思う。怖いよあたしは。
デュルケーム曰く、罪人とは共同の価値に傷をつける不届き者の事を言うらしい。
前近代は神様を侮辱するものは死ぬまでしばかれた。現代では、個人の領域を侵害した者がしばかれる。死ぬまでしばかれる事も時々ある。
と共に、人権思想も「神」と同格の共同の価値になってるんだなあって。
人権思想なんて言うけれど、よく考えたらそんなものは宗教と等価のフィクションに過ぎない。そう人々が思ってその価値が揺らいでしまうよりも、だったら絶対あるという事にしてしまった方が良いと考えているのかもしれない。そんなもんなくね?という異端者はインターネット火炙りに処す。
アメリカは車社会。モーテルやドライブスルー、カープールレーンだとか、車と密接な文化が根付いている。みたいな話を英語の問題文で読んだ。
それって要するに国土の大半がだだっ広い田舎だから、という事なんだろうけど、それは日本もあまり変わらないと思う。
規模の差はあれ、田舎じゃ電車の網目が荒いだろうし、車は必須という話も実際によく聞く。
日本やアメリカに限らず、一極集中気味の国なんて珍しくもないと思う。地方の田舎から工場に人が集まって都市が形成されるというのは、近代的な都市の形成モデルとして普遍的らしいし。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが云々みたいな。
あと田舎は人の流れが少ない分、色々な意味で保守的だと言われる。どこの国も国土の大半が田舎だとなれば、どこの国も総体的には保守的という事になるんだろうか。日本じゃ自民が人気だし(野党が無能だから当然、みたいか話をする気はありません)。
アメリカだってリベラルの先陣を切る国のようだけれど、ニューヨークなんてアメリカのほんの一部の一部……
と思ったけれど、一応調べたら民主党が与党の時代も結構長いんですね。トランプは根強い人気だけれど、ちょっと前には民主政権で黒人大統領が生まれたくらいだしな。
でも保守的な姿勢が強いからこそ、という部分もあるのではないかと思う。逆説的だけれど、ぬるい保守の湯にずっと浸かるのではなく、強烈な保守的態度があればこその反動も強い、みたいな。
昨今はてブの民度が低いと一部で話題になっているが、はてブには返信が無いからこそ秩序が保たれているように思う
返信が無いゆえにヤバい奴の行動も1回に制限されており、意識は低いが総体的には民度は低くないと言える(それでもヤバい奴はブコメにブコメしてくるが)
むしろ返信が付いた場合ヤバい奴が無限に元記事と関係無い所でレスバや荒らしをする事で、サービスとしての民度が低くなるのは2chやまとめサイトTogetterのコメ欄を見ていれば想像に難くない(ゲハとか半分近くのクソスレ・クソレスが数人のヤバい奴によって形成されている)
ブコメのスターを自分以外に非表示にするだけでも元記事の人がリンチされていると感じる事は少なくなるだろうが、そもそもネット上で意見表明を行う事を人類が辞めない限り、ネットリンチの様なものはなくならないだろう
とここまで書いて、ヨッピーとひろゆきって相性悪そう、と思い検索したところある記事の中でヨッピー自信が5chのゲハ荒らしをしているかのような文章があった
https://travel.spot-app.jp/sagaonline_hiroyuki/
記事の冒頭でいつも通りただふざけているだけだが「ゲハは民度が低いから荒らしてもいいんだ」という事を遠回しに肯定しているように見えるし、記事の内容も2chのひろゆきと討論するという清濁合わせ持った認識で、今回の繊細で神経質な訴えとはえらくちぐはぐな印象を受ける
研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万の自称である。日本史研究として自分の研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌に論文を投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用の理由は簡単である。僕の論文はあまりに思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史の立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である。思想史の分野では、あまりに事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判の対象となる。思弁的な論理を合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なのである。
思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史である。しかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念も時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから、総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。
だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意したか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実をいくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史的分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的な見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観、優先順位、置かれていた状況、表現の戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲や弾圧があったり、出版の事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想を総体的に分析するという場合は、合理的な範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史的分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板な人間理解しか、歴史の中に生まれない、ということになってしまう。
さらに厄介なのは、思想史的分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存の研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念が重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである。思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理が重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史的事実に変わりはないではないか、というわけである。先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本を肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史と歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである。
これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究の新規性が学問上無意味だということにはならない。全ての人間の行為にはその人の思想が伴っているからだ。
* * *
以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁的である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理はシンプルに、証明は実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。
https://rookie.shonenjump.com/series/X1vJnKZL0nE
ジャンプルーキーって商業誌じゃないの?同人やめて商業誌デビューおめでとうといっていいのかこれは
▽・かもしれない運転で処理できる部分あるのでは(いわゆる否定的なご意見)
(途中でめんどうくさくなってやめた。細かい違和感みたいなのはそりゃ別人だからあるのが普通だよな)
めじろさんはほかの人のマシュマロとか他の人のメアドにせっせと送り付けてるのかもしれない。一回「届いてないですけど送りました?」と聞くべきかと。そんで気まずくなるならそれまでなのでは。あと買い続けてくれてる人はそれ自体が感想とおもったほうがいい。自分かたりになるけど、初めて本を手渡ししてからずっと新刊かってくれて感想一切なくて5年後くらいに「私は文がかけないので」といいながらすごい格調高い感じの文体での感想をいただいたことがあります。丁寧語がすごい。社長になったかとおもったよ。すごいつたわったしありがたかった。当然コピペして読み返す用に永遠にとってあります。
前半:めっちゃ確認する。後半:表示がおくれるのは虎の問題では。ブースだのぴくスペだと注文だけしててまだコンビニから振り込みをすませてないとかあるやで。
自分こないだようやく新刊が1冊でた!そして300円だから買取50円くらいだろうなとおもった。新刊なので在庫まだあります。
最初のクソマイナーなジャンルのやつ15種類くらい(在庫も)あるけど一冊もsにでない。みなさんマナーよくてちゃんと捨ててくれたのか、小説で不人気だから買い取られなかったのか、そういう時期(電子登録してない)にこっそり取引がおわったのか悩む。
前半:17歳だったのでは 後半:それめっちゃ怒る人いるけど普通にうち通販してますよって空リプでもしちゃったほうが親切なのでは。
リツイートミュートからはじまって全体ミュートからのアンフォロー、ブロックの4段階あるある。なんだけど、最近必要な人がフォロワー数少ないとなぜか自動ミュートのようにでにくくなった(ツイッターの仕様)通知入れてる
絵かきさんはそれがあるからいいなぁ 小説は母数がすくないしタグすみわけがきっちりしすぎてて曖昧な作品でROM専ふえてもらえないのよな
あ~買いました2冊。いや脳がフットーしてるし通販で手数料と送料のせた倍額で買いなおすくらいならその場で確実にダブり買っちゃえと。布教のため知人にあげました
前半:それで絵かけるのはまたすごいですわ。実は絵も描くけど小説よりめっちゃ手間かかるし愛情も必要だとおもう(あれこれマウンティングか)後半:だいたいそれな
結局時間差でやきもきしてるだけでは。うらやましい。私は本当に一切来ないよ!書くと短編でも50pの長文になるからねー(マウンティング)長編向け人材なんだよね、最近ある有料感想請負人ってなんで3万文字とかまでなのかね?15万字の本だしたけど印刷代高すぎて6ptにしたら老眼にきつかった!この拷問を有料でひきうけてくれる人いないのかな、誤字も3か所くらいしかないとおもうんで挑戦してみてほしいな
有料感想についてhttps://note.com/moke8823/n/nf39cb5942710
まあつるさんたら。エネルギッシュでよろしいのでは。アンソロって弱小ジャンルだと赤字になることが多いのに新刊三冊って貯金50万くらいうごかした? お稼ぎなのね・・・。12話も。セミプロの人だと原稿料1枚3万とか普通だとおもうので悩むけど身柄を抑える時給に足りないとわかっていてせめてお礼に差はつけるだろうなとおもう(それが怖くて主催もできない)(ていうか小説かきだと本当に人をおさそいしにくい)
私もすずめさんくらいの感じですけどそういうウザイ信者あつめみたいのはもうどうでもいいです
慰めてくれた人も「私が最低でも1冊かってますよ!売れてるうちの一冊は私ですよ!」って義務感でいってるとこある
売れなくてつらいじゃなくてワクチンでイベントでないほうがつらい気が。
サンプル以外から感想くるとしたらネタバレ感想くらいじゃないかなと。でも一度感想いただいたことあると心に余裕できません?印刷所からでてきたのが子供を入学式にいかせたきもちで、感想いただくと子供を成人式にだせた~っていう気持ち。
眠い。続きは今度かけたら書く
https://twitter.com/on_a_wet_night/status/1440276080632369159
うまくまとめてくれた人がいた
あとはもうマウンティングというか自戒もかねてるんで読まなくていいんだけどさ
そもそもヲチスレ見に行くのはカルマたまっちゃうからやめなよ・・ここもそうだけど。匿名掲示板って悪口で盛り上がるところだからハマってもなんにもいいことないよ。それより漫画なら有料感想依頼つかえるじゃん。15万字の小説はだれも受け付けてないけど。へんな承認欲求にはまらなくてよかった。
かもめさんかどうかはおいといて通販で予約してイベントで買うダブり買いはよくやらかすので鉄の自制心ととらの購入履歴が必要
あっはい というかいまにも辞めそうな無理して新刊出してる感ってなんとなくつたわるよね・・感想だしても辞めたらそれはそれで感想書いた人もつらいやん
あっ思い出の小話集かな。エロ絵を作業的にかけるようになったの、クオリティどうかわからんけどとりあえず我に返らないパワーはゲットしててすげー。
これもあるわなあー 今おもえば一番人気の子は透明下敷きに原作絵トレスだったけどな
まあそうだけど「オンデマばっか」ってなんやねん。なんやねん。特色ピンクで箔押し印刷すりゃうまいんなら金持ちみんなうまいわやっぱヲチスレ害悪
これは自分が鍵なのでなければツイッターのシステムミュートなのでは。ツイッターを全信頼しすぎるのもよくないやで。リプ返しても透明で読めない、数字あと一人、透明さんどこ?みたいなのあるやで。(登録して数か月以内だったり、フォロワー数もフォロイー数も2桁前半だったりするとフォローしててさえ出ないことがある)(ので本当に必死に探してる人なら積極的にリプつけたりする)
あと相手の意外なミュートワードに引っかかってる場合もあるかも(ガチエロとかショタとかにょたとか)。ツイッターを全信頼しすぎるのもよくない(大事なことだから2回)。まあ4コマ漫画でこういうこまかいとこ表現はしきれないとおもうけど、最近よくある結果的デマツイートの構造もこういうとこあるしな。
ハマりかけたときと出てるときはほんとどっちでもいいのよな そんでガチ3年おなじcpにはまってる大手さん(逆は地雷)に初手ブロックされたりする
コロナおわったらカラオケいって話をききながら横でらくがきとかしてたいけど私がいると盛り上がらん(リアルがもう年齢をごまかせないツラなので)
いやだからどこみたら「叩かれて」たの・・自分もFF7リアタイ勢だけど本編だけ見てれば余計なとこにハマってなかったのでは。オチスレがすべての歪んだ承認欲求の源泉みたいな・・。恨みが恨みを読んでるみたいな。リバイバルだとなんか古参がいやなこというのはあるかもだけどティファとか癒しやん
まあそう思うのはあるわな・・料理はおいしくできましためしあがれっていって出そうな、そんで集合論(その○○に私は入っていない)とかはほんとに気にするな、あなたのやったことを全肯定してくれる信者は家族くらいしかいないでいい、いたらいたでウザいだけだ
完売しましたは一度は言ってみたい あとは通販分だけですってね ジャンル規模的に売れないってわかってて1桁だけつくったコピにょた本でもあまるぜすげーだろ でも25日ってどのコミケか特定できそう
ストゼロ飲める成人ならそんなんうらやむなよ・・彼氏居そうとおもわれちゃったか!とうけとめておけ
謙虚・・かな
よくわからんけど謙虚・・かな なんか原作まげてまでの捨て身恋愛系がジャンルにおおすぎたらこういうのもあっていい気がする 同じ話ばっかりみんなで書いてもしかたないし。というかアニメ・漫画にでるようなキャラはたいてい我が強いので原作派となのればいいのでは
すごく役に立つ話、でもカッターならイケることが多いよ(刃がもろい)60円くらいの一本筆箱に忍ばせてる
あるあるですわ。家庭と趣味、両方しなきゃいけないのがつらいとこってやつ
わかる、でもたぶん慣れてて総体的クオリティは上昇してるとおもうよ、中盤つかれはじめるまえに3つくらい案がだせるといいですね
懐かしき泥沼、か 自分は最近年取って不眠気味になって夢さえ見られなくなってきたなぁ 脳みそ若いのと情熱もすごいな
ぐ○○るの二次創作がめちゃすくない理由がこれ ゲーム本編の負担おもすぎ あとオタク国がひろがりすぎて町が孤立しだした感
幽白なんだ、知らなかった(c翼ならわかる)
定番ですなー
俺増田「えっまだ在庫全部あるのに。お隣ってわかってたら新品献本しましたよ」
絵柄とかわからん 絵柄が固定するほど修行なさってる人は雲上人なのでがんばれとおもう あと主流の絵柄じゃないけどめっちゃセンスいいなとおもうと外国人だったりする
名前は私もよくまちがえるのでゆるしてあげてください。あと最近🐥♋みたいな読めない人ふえてきてもう呼ばないでってことだろうなとおもってる
共感性羞恥(でもデパートに出てるだけで勝ち組なのはイベントに出てるだけで勝ち組なのとおなじことだぜ)
1コマに時間経緯セリフとともに5体位かいてる人みて天才とおもった そもそもわかるように体位かけるのえらい
あるある、つらいよねー。まあうまい人は一定数売れる新ジャンルにすぐ移動しちゃうんで5年やったら古参だわ
おもうにすずめさんとは地元にきたら会ってやるくらいの気持ちでいいとおもう
まあかもさんハチドリさんのペンネームしらなかったのかもしれんし。正直オフ会であっても絵柄みないとだれがだれだかわからん。というかやっぱかもさんはオフ会までいくなら配置された島のカタログくらいみろし・・オフ会こわっ。 あとこの漫画個人を容姿で描き分けできててえらいな はちどりさんは大人だとおもうけど「今日も出してました!なんなら一冊さしあげます!」っていう面の皮がある自分がすきだ
あとすずめさんみたいな人いるとやっぱジャンルが盛り上がるんだろうなぁ、コロナで見えないけど今のうちのジャンルにもいるのかな
私は本当にそっとしておいてほしい天然物タイプなのだなぁ ここまでして養殖されたくない
病んでるなー
イイネくらいなげてけ/無配ペーパーくらいもらってけ インガオホー
若い情熱ある書き手って好き嫌いがあってそれが偏愛の良作につながるのでそういう好き嫌いを持てる人がちょっとうらやましいやつな
特定しました(九州)/応用力ある人は売れるべくして売れてるんじゃないですかね・・ 正直手つなぎだのキスどまりだの両片思い(成就しない)ならどっち表記だってよくねえか、このこだわりについてはさっぱりわからん。製造してる工場の立地までこだわらんタイプ
あっそれはおもった いかにも女性らしい服を着るのに抵抗がない方だーっておもう(私もきりゃいいんだが)
体力は年々おちてるからね^ー^
これは悩む。下向いてずっと読んでたら声かけにくいのかなとか。有能な売り子さんほしい・・
ここんとこずっと最低部数1とか5とかの印刷所さんにしかお世話になってない(ジャンルで戻りして最初のうちは50がせいぜいだったので印刷代がとてもいたかった。オンデマ万歳。50のはいまだに在庫あるぜ)/ヒント:遊び紙トムソンならいけるとおもったらそうでもない。あと商業だと帯がグチャる。それにしても手だけヒトにしてるのやっぱ向きがめちゃわかりやすいわ
それは思うけど、目のいい人の解釈入れてから見るとまた違うし、自分そこまでアドレナリンと動体視力が豊かじゃないタイプだからなぁ・・
映画館で一回流れただけのドア裏の写真に誰が映ってるのかしっかり見て取る人が複数いたなぁ。ほんと動体視力貸してくれ
こういうとこオタクは研究熱心だし、ジャンルの裾のが広いほうが研究がすすんでいいとおもう
DMしようか迷うやつな・・・まあ立つ鳥跡を濁さず、引き留めず、でもまだフォローしてていい?友達だよね?みたいな感じでいいんじゃないかな
でも新ジャンルの話うるさくてミュートしてたら突然ブロックされるんだけど
あったなー。拍手よりは字数が必須なのでマシかと。でも懐かしいな、お礼2段がまえとかありましたな
いいんや。読者も定食屋で定食たべてるのが好きなんだから突拍子もないやつやらなくていいんや。
え~私はにおわされるの好きだしにおわされたのを忘れるとあとで付き合いにこまるかとおもってちゃんとアカウントごとにクラウドに溜めてあるよ。オフ会いかないから使うことないけど。生ものの場合も本気じゃなければぬるく見守れる。もしナマで本尊にやられたら即去りかなぁ。アニメは生きてないからいいな・・
ボックスで買うと高いし地雷だったとき悲しいもんな。本命アニメの円盤買ったもの同士でオンライン実況にははまって何回かやった。いまネッフリとかあっていいな。再放送を待つ必要がない。あとジャンルが好きそうって自分でわかるのはいいことだ、わたし面の皮あついけども同町圧力でなに一人であんなエロいのやってんのみたいにいわれそうなジャンルはさすがにいきたくないからなー
オンデマがSAIのpsd入稿だとグレーがモアレるどうしてもはずれないって印刷所にいわれたときの私ときたらたぶんこんな感じだった
なにがあったのだ TOEICは一時期はまってたんだけど最近難しくなったってほんとだろうか
家計と趣味は基本おなじ財布にしてる、というのも現金決済がすくなくなって家計は大部分カード(=家計簿自動記載)だからです
財布とは現金を入れるもんだから(でもイベいくときは地域プレミア商品券抜いて軽くしたり工夫してるけど、あ!ここもスタバあったんだ!とかで失敗もよくする)
スペース閉めて売り上げの入った百均の釣銭入れを握って買いに行くこともある 小銭カウントできて中小サークルさんにおつりがない場合もこちらでジャスト払えて便利だが重いし使った総額がわかりにくくてあぶないっちゃあぶない みっちりつまってると鈍器としてコナンにでてきそうだなっておもう
むしろそういうの好きなんで!ってメッセージで送りたくなるやつ
ない振りしておけばあわよくば1冊増えるかもしれんしな/わかる 他人が差し出口で○さんが出してますとかいえないので本人がリプってくれるまでほんとうにはらはらする、伝わると見守っててよかったーっておもう
そういうおっとりした(悪く言うと無神経)な人からでも名作はできるのであまり何を言っても真に受けずに泳がせておくほうが得策 というか俺をおよがせてくれ
そんなこといってる暇にデッサンかグリザイユか背景資料探しでもやったほうがいいのでは、しらんけど
他の同人記事:anond.hatelabo.jp/20201114015436 (自動リンクはあえて切ってあります。urlコピペで読んでね)
こんなことを言う人いるよね。
そりゃあ低学歴でも成功してる人はいるし、高学歴でも落ちぶれちゃう人はいるよ。
でもそれって例外というか少数派なケースであって、傾向としては学歴と能力が比例するのは疑いようがなくない?
年収で見ると、大卒と高卒で差があるのはもちろん、大学間でも偏差値が高いほど年収も高い傾向にある。
https://investors.camp/is-education-important/#i-2
学歴トークに限らないけど、物事を全体的・総体的に捉えられない人っているよね。
「Aグループには〇〇な特徴があります」ってデータに対して、「Aグループにも〇〇じゃない人もいますよ」「Bグループにも〇〇な人はいるぞ」みたいな、
自分語りか知らんけど外れ値をすぐに持ち出す人。
まずは素直に、データが示す全体の特徴を認めてくれよ。
その上で、例外を持ち出して反論したいなら、例外の発生要因考察まで込みで発言してほしい(例えば、低学歴でもコミュ力・人脈を活かして成功したとか)。
善悪とか正誤とか。
「白黒つけない」というのは、つけないほうが総体的なメリットが大きいから「あえてつけないでおく」のパターンと、
事情が複雑だったり判然としないから「つけることができない」のパターンがある。
この2つを理解というか受容するためには、話を聞いて「なるほど」の後に「でももしかすると」という自発的な再考が必要となる。
耳触りの良い話だけど、本当にこんなに簡単な話があるだろうかっていうセルフチェックである。
思考することがストレスになる人は多いようで、そういう人は多少ひっかかりをおぼえても正常化バイアスで抑え込んでしまう。
「テレビでやっているのだから」「偉い人が言っているのだから」「本にまで書かれているのだから」とか。
こういう抑え込みも無意識にやっているから結果的にはグレーであっても白だ黒だと盲信している状態になってしまう。
白だ黒だと固執するようになると、自身の心の安寧と引き換えに当然のように対立が生まれる。
ネットではモラルや政治的問題の善悪を巡ってバトルが毎日のように起こっている。
ネットバトルは対立がエンタメになったものなので、いったん火がつくと当事者を差し置いてどんどん肥大していく傾向にある。
対立を煽るうえでは白黒のないグレーでは盛り上がらない。敵をボコボコにするためにはまず敵認定しなければ始まらないからである。
よくもこんな下らないことで炎上が起きるなと思う人は多いと思うが、敵をボコすというエンタメにはそれだけの魅力があるということなのだろう。
逆に「妙にこいつ白黒つけたがってるな」という人間を見かけたら、対立に発展させたり党派性にぬくぬくしたりするのが好きな厄介な人物で、
Paulette C. Flore, Joris Mulder, Jelte M. Wicherts (2018). The influence of gender stereotype threat on mathematics test scores of Dutch high school students: A registered report. Comprehensive Results in Social Psychology, 3 (2), pp. 140-174, 2018.
教室での数学のテストの成績に関するジェンダーステレオタイプ脅威の効果について、いくつかの文化的文脈で広く研究されている。理論の予測するところでは、ステレオタイプ脅威は数学のテストで女子の成績を下げる一方、男子の成績には影響ない。ステレオタイプ脅威の効果の一般化を調べるために、オランダの高校 (N=2064) で大規模なステレオタイプ脅威に関する実験を実施した。この報告書では、女子高校生における全体の効果を再現し、4つの主要な理論的モデレーター(ドメイン識別、性別識別、数学への不安、テストの難しさ)を調べることに着手した。女子生徒に対しては、数学の成績におけるステレオタイプ脅威の総体的な効果も、適度なステレオタイプ脅威の効果も見られなかった。数学の成績における分散は、性別、ドメイン識別、数学識別で説明された。これらの結果に対していくつかの理論的、統計的な説明を議論する。この結果は調べた対象(オランダの高校生、13-14歳)とドメイン(数学)に限られる。
面白い歪みだ。
おそらくは、イメージを、統一的な、ゼロかイチか判別できるようなものととらえているのだろうか?
ディスクールであるとか言説分析ということばを聞いたことはないか?
たとえば、
ありもしない属性⇒ありもしないということを、だれがどのような基準で判定し、どのように関係者に納得させるのか?
たとえば、予防論を採る人間にとっては、なにがしかの予兆があればもはや実在に等しい。
判定や納得、議論、といった行為はすべて闘争的だとは思わないか?
イメージについては、個々人が各個に総体的に描き出した上で、個々人が各個で観測した結果に基づき、運動するのがよいと思われる。
賛同者が多ければ事態は動いていくのだろうし、そうでなければ動かないだけの話だ。
あとから大きく振り返った際に、ゼロだった(誤認だった)、イチだった(正当だった)、ということはいえるかもしれないが、
渦中でそれができるとすれば、単に運動に関わっていないだけの話だ。
見た目だけじゃ評価はできない。
キズナアイのパフォーマンスのあり方は総体的に見てかなり模範的だし、それをずっと貫いている。
YouTuberの例にもれず今風のラフな砕け方は多々あるのでNHKアナウンサー的な模範性とは異なるが、パフォーマーとして大人だなと感じさせる自立した個人感が初期のVには多かった。
あとキズナアイ独自の志向としてかなり外向きであり、オタク系以外の多種多様なコンテキストと関わり合おうとしている。
後発の「Vtuber」がその高邁さを汲んでいれば、現状のようにはならなかっただろう。
いや、そもそもフォローできなかったのだろう。企業が食いついてワナビーがその傀儡にされた時点で、自立した大人には成り得なかった。
そして企業たちはみな気づき始める。「これ全然儲からんぞ」と。「○億円投資したのに全然回収できんぞ」と。それで元増田が「真理じみた事実」と表現した路線へ行かざるを得なくなる。
見た目なんかよりも行動が過激になっているということの方がはるかに重大な問題だ。おそらく元増田もそう見ているように思うし、問題意識には共感できる。
色で例えるなら、キズナアイや初期のVが提示していた世界観は女性が自ら描くパステルピンクのクレヨン世界に視聴者の脳内が染められていく感じであって、
後発の生配信主体でASMRやら吐息やら悲鳴やらを男性が「えっちだ」と感じる目線でプロデュースされ演じているのはネオンにぎらついたビビッドピンクの世界観。酔わせに来る感じだ。
もちろんそういう露骨なVの配信は結構YouTube側に止められたりしているんだが、いやアンチが粘着して通報して止めさせているのかもしれないが、いずれにしろYouTube側が諸手を挙げて推薦しているわけではないというのは元増田とは見解が異なる点ではある。
おめシスなどがYouTubeの仕様変更を頻繁に動画で解説していたりするが、そういった流れを見てもどちらかというと「あまり良くは思っていない」感じがする。