はてなキーワード: 政治力とは
内容に抜けが多すぎると叩かれているが、井内秀治さんの名前を久しぶりに見ることができたので感謝したい。
魔神英雄伝ワタルは本当に良かった。小学生の男の子(精神年齢が中学生ぐらいに見えなくもないが)が異世界に連れて行かれた上で伝説の勇者だと云われて、変な格好させられておかしな面々と魔王退治のための旅をするという今ではテンプレの一種になってる感じのストーリーだが、東洋的な竜というファンタジー的存在がなぜかドラグナー風ロボットに化身して主人公を乗せてくれて励ましの言葉をかけ続けながら(基本的には)圧倒的な強さで敵を撃破してくれるチュートリアル戦闘を全編の8割ぐらいの話数でやっていつつ、ことあるごとにそれは主人公の力だと言い、傷つき戦線離脱して仲間に助けてもらう必要性も示した後にパワーアップして戦線復帰(これは玩具販売上の事情からサンライズアニメの定番だが)して涙ちょちょぎれる展開を見せてくれるのに、最終的にはロボットボディを捨てて白兵戦(これもなぜかガンダム以来の伝統かも・・・)で決着させることでロボットが強いだけでなく主人公は本当に強くなったと示す上手さ。いやもうホント最高だった。龍王丸の変形に魔神フィギュア拡販以上の意味を見いだせなかったことだけが残念だった。あとフィギュアの変形時のフォルムの微妙さと。同じようでも邪虎丸はまだ許せる。
魔神英雄伝ワタル2では、もう最初から同じパターンで行きますと宣言しているようなメタ台詞を言わせながらも、細かくチューニングし直されたデザインや演出で別物感いやむしろ最初からこっちが「ワタル風」演出で前のはちょっと違っていたんじゃないかとさえ感じさせる仕上がり具合。そしてそこかしこに前作を踏襲ではなく引用する形で引っ張り出してきていたので、時々「超」の方ではなく「2」が無印の10年後のリバイバル作品だったかなと思ってしまうことが今でもある。ストーリー的には敵のエピソードを含めて無印よりまとまりがない気もするのに見ていると謎の説得力で納得させられる不思議。広井王子マジックか。同様に龍王丸よりはるかに必然性の不明な展開でパワーアップした龍星丸も意外としっくり来てしまう。ただし龍星丸の派生型はダメだ。あと変形を期待していたのに結局しなかった新キャラ魔神と、変形時に搭乗者が機外に放りだされる設計の新星邪虎丸もだ(もしかして少しでも長く顔を見せる方が良いという判断があったのだろうか……)。achi-achiがいないことに気づいたのはもう終盤になってからだった。高橋由美子も凄く良かったけど(本人にとっては黒歴史なんだろうか…)温泉双子には負ける。歌詞・作曲・編曲の時点で負けている気もしなくはないので歌い手の問題だけではないが……。
スピンオフ小説の虎王伝説は意外と楽しめた。龍神丸のいない無力なワタル(中学生)に謎の平安風世界で何ができるのか……。正直設定に無理がある気はしたが、翔龍子様より虎王がいいという一部の屈折したファンに応えるためなのか、それとも井内さんの書きたい何かにキャラ嵌めして世に出しただけなのか今となっては判断つけようもないが、翔龍子様のガワには虎王の中身は収まらないだろうという感覚には共感できる。ちなみに魔界皇子・虎王伝の方はラジメーション途中断念組の身にはだいぶキツかったことを申し添えておく。
個人的にいまだに気になるのは魔神山編のOVA。当時もの凄く見たかったことを覚えているが流石になかなか小学生が買うには至らないし、近所のレンタルビデオ屋にも入荷しなかったので見れなかった。10年近く経ってレンタル店で見かけるもつい二の足を踏んでしまい、更にそこから10年以上たって無料で見る機会を得るももやや怖くて再生ボタンを押せなかった。最初のレンタル店で見た時点でそれほど評判がよいわけではないらしいとだけ知っていた。
あと、上で書いたラジメーション、すなわち「ワタル3」と「ワタル4」について。だれかマジでなぜあの企画がスタートするに至ったのかを教えてください。絵がないと自分にはファンタジックコメディーはキツいという知見を得たのみに留まってしまった。。。
それと、「超」について。「2」がリバイバル作品だっけ?と記憶の捏造が行われていることからも分かるとおり認識外になりがちである(放送が決まった時にはアレほどに歓喜したというのに……)。「2」で次回予告の時に超って言いまくっていたんだからもう「2」が「超」だったことにしても良いんじゃないかな。惣流アスカ役で一躍時の人になった宮村優子がどういう演技を見せてくれるのかと思えば。。。さらに何かゴリ押し感を覚える歌手(そもそもTV放送前にやってたラジオ番組の時点で酷かった)。あともう全般的に適当だろお前らと言いたくなるアレコレ……。Wikipedia見ると打ち切られずに4クールやったことになってるんだけど何故あれで・・・と思わざるを得ない。何かのセールスが意外と堅調だったのか、TV局か制作側のどこかの面白マジカル政治力学が働いた結果・・・?いや、声優ファンの支援だった可能性もあるか。終盤一応見届けようとした記憶があるが途中に(あらすじを追っかけても理解が及ばない)超展開があったことが感じられただけだった。メカデザインは良かったと思うんだけど。龍神丸の初期形態デザインはシリーズで一番好きかも。
最後に、無印TVシリーズ放送最終話直前ぐらいから同級生女子の一部が薄い本を買い集めていることを察知していたが自分では探す事もついぞなかったこと(そしてそれを今では幸運だったと感じていること)と、ただしアニメイトにグッズを買いに行くぐらいのことはするようになったということを白状しておきます。
のらりくらいかわしつつ、最終的に無理っぽいですねって事で中止に持ち込むつもりだったんだろうなぁと
でもワクチンを人質に取られる格好で五輪を強行せざるを得なくなった
今回はEU(とイギリス)がかなり五輪開催を強く要望したっぽいんだよね
IOCは腐敗してる癖に無駄に権力を持った組織である事は確かだが、かといって現状で五輪を強行できる程の政治力は本来は無い
今回の場合はそれがEUの主要国(とイギリス)だったって事だわな
対中国のメッセージがやたら盛り込まれている事からも、今回の五輪は特に政治色が強い
まあ開催すると決断しちゃった以上、菅さんに責任が無いなんて事は絶対ない
貧乏くじだからといって、くじを引いた人間がその責任から逃れる事はできないからだ
結局ワクチンも出荷を絞られちゃったし、外交的に失敗だったと言われても仕方ない(他に選択肢があったとも思えんが)
自前でワクチンを開発できていれば、五輪中止で押し切る事もできたかもしれん
そういうところへの投資を怠ったツケを今払っているという事なんだろう
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
冷戦時代の墓から出てきたイマジンは、IOCからのリクエスト。
日本にはイマジンのカウンターとなるコンテンツを用意できなかった。それは最初、メッセージ性としては弱いテクノジャンルであるPerfumeを用意する予定だったから。AKBもアレですけど、Perfumeも客層考えるとサブカルの皮被ったアレですよ。キツい。芯がある歌を歌える人選じゃないんですよね。そして歌はドローンのイマジンが政治的な意味をもっていたように、歌はテクノロジーの添え物じゃない。開会式での歌は、自国の外交的スタンスの意思表示になるんです。国歌だってそうでしょう。サブカルには申し訳ないけど、優等生的でつまらなくても外交的にはMISIAの方がマシ。なおかつ、ここでAKBではなくPerfume出すと中田ヤスタカと秋元康の喧嘩にしか見えないじゃん。二者とも国際的にウケてるってどういう意味でウケてるんだよ。各国の個人的好みならともかく、公的な意味を持った外交の舞台なら両方無理だよ。ただ、秋元才加は今のAKBとかと客層が違い、秋元康サイドも国際舞台ぐらいわかって妥協できるってことがわかったんで、AKBと聞いただけで排除に頑張った椎名林檎が子供だったし、椎名林檎含めたサブカルサイドの人材に多様性も公共心もなかったと思う。
そして、IOCに対して日本がイマジン以上に、今の紛争や差別が絶えない国際社会に合ってるリリックのある歌を用意できなかったのが残念でならない。音楽監督が林檎さんに遠慮してるのか、そもそも小山田氏の件もありこんなことになってしまうぐらいには友達のノリで仕事回してただけで考えがないのかわからないけど。それでも本当に日本としてイマジンがよかったら日本人としてイマジンを和訳でもして日本語で歌えばよかった。日本語で歌えば外国から借りてきた言葉や思想っぽくなくなるから。英語の歌詞はドローンで出すんだし。イマジンをどうしても入れるなら、それも無理なら妥協して日の丸運んでる救急隊員を多めにして自衛隊にコロナ終戦をイメージさせるイマジンから君が代って流れ?これで今の時代的には古くて言葉が強いイマジンを多少は打ち消して、今の時代はコロナに打ち勝って長寿を願う君が代で行くという印象になるから。ドローン飛ばすと戦闘機想起になるんですけど今の時代の戦争ってそうじゃないでしょ。でも、テクノ界隈、メッセージ性のある歌詞のある楽曲の選択や制作、めちゃくちゃ弱そう。ダンスの添え物的な音楽作るのは強いけど、MIKIKOさんみたいなダンスに強い人いなくなった時点で音楽監督以下のテクノ界隈チームの強みが相当削がれた感はある。同じアホなら踊らにゃソンソンとならずに、森山未來と江戸消防記念会を出したのはよかったと思います。
あと開会式の台本はあっても、画だけあって、全体の一貫したシナリオがない。
各国や日本で傷ついた人が立ち上って共にスポーツができる目標に向かって手を繋いで歩み、スポーツができる平和を噛み締めるストーリーがない。
ネオ東京で日本すごい的なの、どうでもいいですよ。各国のおかげで日本が繁栄している謙虚さがなくて。ネオな『東京』だけじゃなくて、世界を包括するテーマが必要だった。
復興五輪がダメなら、もっと広く世界の人への歓迎と世界の傷ついた人に対する慈しみでよかった。日本すごい的な表現を自分でするんじゃなくて、ささやかな気配りで各国に言わせないと恥ずかしい。で、とりあえず鳩を飛ばせば平和でしょ、という安易さ。
パクリパクリ騒いでるけど、パクリは予算ない中でのプロジェクトマネジメントの延長でしかなくて、元の案も根底の外交やオリンピック憲章的な思想がなくて良くないよ。見た目派手なテクノロジーとダンサー入れておけってスタンスのMIKIKO案から、開会式当日までグダグダが続いててダメなんでしょ。
国際問題や問題に向き合うスタンスみたいなことからサブカルが逃げた結果がこれなんだよ。
本当にああいう派手だけど中身がないMIKIKO案みたいな案をひっくり返すの、他のプロジェクトでも面倒ですよ。ああいう派手だけど中身のない仕事の後始末って一番したくないものなんですよ。派手さに気を取られてわかってないサブカルみたいな人がうるさいから。だから、小林賢太郎は元々の経験不足や知名度、業界政治力の割にはよくやった。あれ以上のこと当時の彼にはできなかったと思う。
これは、椎名林檎たちミュージシャンの自己表現の仕事ではなく、電通的なクライアント絶対主義でもなく、スポンサーの言うことを聞くけどスポンサーに文句言いつつも自分の作家性は通す映画や舞台監督の仕事だった。
東京国立近代美術館の隈研吾展に行ってきましたわ!年パス作りましたわ!
隈さまは今話題の新国立競技場の設計者で毀誉褒貶があるお嬢様ですのでちょっと斜に構えて行きましたけど、かなり面白かったですわ!
木や石の素材感を生かす。壁や角を表に出さず、素材を分割し斜めを作る。吹き抜けや壁面で穴を演出する。
などの手法で外には威圧感を出さず、内には圧迫感を出さない隈さまの設計思想がよく伝わってきたのですわ!
公共建築に隈さまが引っ張りだこなのも納得できましたけど、だからこそ国立競技場みたいなモニュメンタルな建物にはふさわしくないと思われるお嬢様もいるのかもしれませんわね……
縮小模型がたくさんあって、図版や写真では分からない立体的な全景の印象が分かるので、みなさん実際に見て欲しいですわ
模型の中にたくさん猫ちゃんのシルエットが隠れているのも楽しくて良かったのですわ
ところでVAダンディーの紹介ムービーで流れる音楽がやたら陰鬱で怖かったんですけど、あれなんですの?
映像もカット割り激しくてこれから殺人事件起きそうな雰囲気でしたけど、スコットランド人はアレで「いい建物だな^~」って思うんですの?
建築というのはどうしても権威・権力・権利みたいな物から逃れられない芸術だと思っていますわ
それは巨大な金や物質や政治力を動員して作られるだけでなく、外に晒された空間を占有して他に譲らないというとても根本的な権力を、わかりやすい形で行使しているからですわ
隈さまの建築には開放性みたいな物がちゃんと考えられているからこそ、その権威性との矛盾みたいなもんにどうしても思いを致さざるを得ませんでしたわ
えっ、まだマクロ経済学のようなまやかしを信じてるの?馬鹿だな。
今は複雑系という学問が出てきて「需要と供給」という二元論的に経済を分析することが不可能なのを知らないの?残念だけど、資本主義社会においては富のインフレーションが発生しているから、同じ労働で同じ対価を得ることが不可能なのがわかってきているのだから、経済学で「〇〇だから✗✗」という演繹的推論をすると一致しないことになることが知られているのですよ。
例えば、ノーベル賞をとった現代ポートフォリオ理論は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という故事を説明できるのですよ。リスクをとらないと、リターンを得られない。このとき「リスク」というのは不確実性だけど、これは「確実性をとると、リターンを失う」ということだから、民間資本が充実して「先進国とキャッチアップ」という手法ができない今の日本に、昔のように政治力を介した直接投資をしても未来の負債をこしらえるだけです。
積極財政をやった上で消費税減税、累進所得税増税、法人税増税、そのうえで、消費、設備研究投資に関わるものだけ減税して、金の回転を上げるべき。
日本の没落の原因は「本来だったら圧倒的な差のつく個人間の能力の差」を認めずに、資格や学力といった「日本でしか通用しないこと」に価値があるという誤認を、無理して「教育や福祉で解決できる」と国民が政治力で信じた結果、無理が来ているのでしょ?いま必要なのは、その手の教育できない自然発生的に生じる天才を、市場経済で見つけ出すというプロセスの構築であって、評価されない民は貧乏になって退場していただくという、極めて生物学的な問題なんじゃないの?
ちなみに自分はTVもスポーツもほとんど見ないので、無関心というか静観派である。
コロナで直接的ダメージを受ける仕事ではなかったので、こんな悠長なスタンスでいれるのだと思うが、あまりにも世論がネガティブなので一言。
なぜ無観客でもオリンピックをやるのか。
今までお金かけちゃったからもったいないとか、頑張ってきた選手がかわいそうとか、それもあるかもしれないけど、
何よりも、
だろ。と思って。
そんなの当たり前でみんな知ってるって?
それはあなたがスポーツやってたか、教育関係者か、国際協力関係者かなんかだからそう思うんだ。
このことは意外とはっきりと言葉にされていないと思う。
サッカーとかテニスとか、プロリーグがあるスポーツというのはいいんけど、
オリンピックで露出して、補助金が付いたり、スポンサーがついたり、競技者が増やして繋いでいる。
一度途絶えたら、次の4年後には選手も競技環境も無くなってしまう。
世界には色んな環境があるし、やっぱりスポーツがあることで人や地域が健全に育ったりもするだろ。
どの程度の効果かは知らんが、スポーツの文化があった方が、地球が平和になる気がするじゃないか。
そんでその文化は一度消えてしまったら取り戻すのは難しいから。だからやるんだ。
そうだよ。コロナと緊急事態宣言でたくさんの文化が犠牲になっている。
スポーツ、というかオリンピックはその中でも特別に力が、政治力があって生き残ったのだろう。
ずるいって?
綺麗事ではなく、有事に生き残るために、普段から政治力をつけておくことが如何に大事かってことが残酷なまでに露呈してしまったってことだ。
ただね、そこでみんな不幸になったのにアイツだけ生き残ってズルい。一緒に不幸になれ。と思うか。
かろうじて生き残ったアイツ(スポーツ)にはせめて頑張ってほしいと思えるか。
そこは人間力が問われるところだ。
成熟した国として、理性をもって後者の考えを持てる人が多いと良いなと思ってる。
とは言えバッハさんの失言とか他にも色々とふざけてると思うけどさ。
要するに、今世間のネガティブな空気を感じながらも頑張って準備している選手や、スタッフや、大会関係者たちに、
まーーー応援してるよ!大変だろうけど頑張れ!
って届くと良いなと思ってるってこと。
というわけで皆さん、炎上いただけると嬉しいです。
どうすればいいんだろうか?
全部まとめてなくなって欲しい。
人類が道連れになってもいい。
コイツらのどれか一つでも滅ぼせるなら俺の命なんて惜しくもない中で、全部が一度に消えてくれそうな機会が訪れたるなんて……。
この未曾有のスーパーチャンスを意地でもモノにしたい。
たとえば、
コロナに感染した五輪選手がはしご酒をしていたらパソナの宴会に次々遭遇しコロナが大流行
パソナがその責任をオリンピックやスポーツマンシップ幻想に責任転嫁
そのかいも虚しくパソナ社でコロナが流行するななか呑気に宴会をしていた竹中と愉快な仲間たちが纏めて感染
政治力パンチでベッドを無理やり強奪しようとするも失敗して全滅
職にあぶれていたマナー講師たちの間で飲み会禁止令がビッグウエーブとなり日本中で飲み会が禁止に
そんなこんなのうちに五輪選手が宴会をしていたことが何度も見つかって問題に
責任転嫁先を探すJOCとIOCが自爆を繰り返した結果スポーツはダサイという価値観がブームに
……10年後、あらゆる金蔓からそっぽを向かれた飲み会・パソナ・スポーツ文化は完全に衰退していた
みたいなのが理想なのよね。
なんでもやるよ。