はてなキーワード: 感情とは
SNSではお気持ちだけでは叩かれることが多い。だから慣れてくると先回りして突っ込まれないように理論を補強した投稿が増えているがそれって危険じゃないだろうか。
例えば
「夕食後に妻から食器を洗ってくれと言われたが夫は眠すぎて反射的に無理と断った、妻は怒った」
という事象があったとする。
このやり取りをする時間で浮かんだことは夫は精々「眠すぎて動きたくない」、妻は頼みを断られて怒ったということくらいだろう。
ただこれだけをSNSに投稿すると賛同が得られないどころか炎上リスクすらあるので自分が正しくなるように後付けで理論を補強する。
「毎日朝5時から仕事したらトラブル続き、9時に帰ってきたら専業の妻に食器洗えって言われた。その日は疲れすぎてて流石に断ったら盛大にヒスられた」
こう書けば一定数の賛同は得られるし、更に妻のヒスエピソードと自分の普段の家事参加エピソードを数個付け加えれば炎上リスクはあるが同時に同情の声が得られるだろう。
ただこの行為によって大きなデメリットが発生することを忘れてはいけない。
それは自分が付け加えた補強論と賛同の声によって自分が断ることが最初から正しい選択であったかのような気持ちになるということである。
最初の「眠すぎて動きたくない」という気持ちだけなら正しいも正しくないもないし次眠くない時はやろうという気持ちにもなるかもしれないが、やらなかった自分は正しいと論理立てて賛同を得ることで次も断ることが正しいかのような錯覚に陥る。
これは妻側視点で補強しても同じことで
「まだ幼い娘の世話で手が離せなくて食器洗いを頼んだら、食後片付けすらせずソファで横になってる夫は一言『無理』でそのままゴロゴロ」
こう書いて夫のダメエピソードと育児苦労エピソードを数個付け加えば同情の声が得られるだろう。
これによって断られて怒ったことが正しい気持ちになって更に夫への怒りが増強するかもしれない。
ただ最初に戻って考えると
「夕食後に妻から食器を洗ってくれと言われたが夫は眠すぎて反射的に無理と断った。妻は怒った」
こんな1回でしかも身内のやりとり、状況によってどっちが100%正しいとか間違ってるとかまずない。次も頼んだっていいし、次は手伝ってもいい。
そしていくら背景を補強して外野が賛同の声を上げても夫の頼まれた時の感情も、妻の断られた時の感情も微塵も変わらない。
それをSNSで賛同を得るために理論を補強したためにひっこみがつかなくなる、
下手すれば「私は感情に任せて断ったり怒ったりしたんじゃなく、最初からこういう多くの人が賛同する正論に基づいて行動したんだ。」と錯覚さえするかもしれないが、続ければ人間関係が壊れる結果にしかならないだろう。
ここまでは例が1つの事実だったので話は簡単だったがこれがXで度々盛り上がる男女論、人種論、何らかの陣営論になるともっと話は複雑になる。
まずネットに転がっている膨大な事実の取捨選択からバイアスが入る上にそこから自分の都合のいい理論を生み出すなんて簡単、多少牽強付会、ガバっても同じ陣営の人からたくさんの賛同の声をもらえる。
繰り返せは「こういう多くの人が賛同する正論に基づいてSNSに書き込みをしているんだ。」という状態に陥りやすくなる。でもその裏にあるのは大体上の例と同じく単純な感情なんじゃないだろうか。
だからこそTLやお勧めに流れてきた話題に反応する前に一拍置いて「まず無数の話題の中でこれが自分の琴線に触れて書き込みするほど気になるのはなぜか」と考えたいと思っている。
根底に感情があるのを忘れていかにも正義であるような言論を振りかざすのは現実でもSNSでも怖いと自戒して書いておく。
チャック開いてるでそこまで怒るのは、背景に別のストレスがあるからちゃんと見極めたほうがいい
増田は今イライラしてそうだけど、怒りは二次感情で、その根源に
虚しい
寂しい
辛い
怖い
の気持ちが隠れてると思うんだけどどれ?
子供が体調不良とか怪我の時の親ってキレやすくなるのが当たり前だから、増田は娘さんのこと心配してたんだろうね
逆にチャック開いてるって半笑いで行ってきた奥さんも、娘さんのことを心配して不安になっちゃって、それと向き合いたくなくてそんなこと言ったのだろうか
ドアが閉まるタイミングで階段を降りていて、ギリギリに乗れないことってあるよな。そんなとき、周りの人が見てると恥ずかしいと思うかもしれないが、俺はなんとも思ってないから安心してほしい。乗り遅れた人を見ても、乗り遅れたんだと事実を心の中で思うだけで、感情が乗ることはない。だから恥ずかしいがる必要はないんだよ。なんとも思ってないから。逆になんとも思わない自分が不思議だって思うときもあるがそんなのは関係ない。
ホゲーマン。
ホゲーマンとは仲良し。大好き。
私とは楽しいこと沢山共有したいって言ってくれた。
私に秘密で。
地下アイドルにハマったホゲーマンのことを、どうしてか私は、自分勝手にも気持ち悪いって思っちゃった。
感情って反射神経なんだ。
ごめんね、ホゲーマン。
私にもいっぱい気持ち悪いところがあって、そんな私のこと好きでいてくれてるのに、ホゲーマンが地下アイドルに毎月十数万使ってチェキ撮ったり投げ銭したりしてるのを知ってしまった瞬間、気持ち悪いって思っちゃった。
恋人であろうと何にお金を使おうがホゲーマンの自由なのに、気持ち悪がって本当にごめん。
ホゲーマンが、ファンの少ないアイドルを選んで貢いで認知もらって有り難がられて承認欲求満たしてるんだなって思ったら気持ち悪くなっちゃった。
アイドルの投稿に毎回律儀に残したコメント、したためたポエムを見たらなんだか気分が悪くなっちゃった。
それが人間の性ってもんだよね。推しと恋人は別腹なのにね。理解できなくてごめん。
私に知られたら都合悪いから隠してたんだよね、それも気持ち悪い。
繋がりたいというわけではないけれど、繋がれたらそれに越したことはないんだろうね。未必の恋かな。
連絡返ってこない日はライブに行ってるし、私と会う日数よりライブに行く日数の方が多いし。
寂しいと思うのすら虚しいね。
「自我を残したままの他人を自分の思い通りにしたいなんて 傲慢」
受容も諦めもできない私がだめなので、さようなら。
ごめんね、ホゲーマン。
だって、例えばサッカーワールドカップで日本が強豪国に勝った時みんなで喜んだじゃん
海外の人が旅行に来て、日本の文化とかを楽しんでるみると良かったなって思うじゃん
「意見」でしかねぇし、特定者を指し示さないと意味が分からんでしょ。
被差別者は差別された状況(不利益。感情を害するのは不利益ではない)が発生しない限り、被差別者ではないのが「基本的人権」がある市民なわけ。
だけど「特定の立場」に対しての「対立的な意見」は意見に過ぎず、それが差別的と思うのは被差別者であるというところに逃げ込んだだけ、って思えるけどね。
既に誰もが「基本的人権に基づき平等」である以上、「特定の立場」をアイデンティティにして「社会に」堅牢たる居場所(ゲーテッド)を作る行為やその立場への「対立意見」が出てくるのはむしろ「健全」でしょ?
(「特定の立場」をアイデンティティ化する自体が、俺は権威的だと思うので、基本は否定する。なんでコリアの歴史は是で、日本におけるジャップの歴史は非なんだよ、バーカ(笑))
当たり前だけど生成AIなんか目じゃないやで
ほんで、その時どう思うのか何を感じるのかというお話
①「黙って椅子に座っているのが苦手」
椅子にじっと黙って座っているのが非常に苦手です。
似たような仕組みの、エレベーター、電車、バスなども苦手です。
例えば「バリカンは何ミリにしますか?」と聞かれても、この店に何ミリの物があるのか、一般的には何ミリなのかなどうまく答えることが出来ずアワアワしてパニックになりかけます。
髪型のついて長いと鬱陶しい以上の感情がないので、聞かれても何も答えられないので、せめてクローズドクエッションにして欲しいです、
(バリカンの例だと「2ミリ、4ミリ、6ミリがありますがいかがしますか?」など)
日常生活でも鏡は怖くて避けているのに、強制的に鏡の前に座らされるのが辛いです。
④散髪が終わった後日、髪型のことを言及される可能性を危惧して憂鬱になる
次の日に出社したり誰かと会ったときに「おっ髪切ったね」などと雑談の種を振られると、気持ち悪くなります。
僕は自身の外見に言及されるとプラスマイナスを問わずイライラしてくるし、それが何度も繰り返されると、それまでの積み重ねを台無しにするほど怒ってしまうことが何度もありました。
面白いって人がいるのはわかるけど、ゲームとか読書とか色々な趣味がある中でブクマカして上から目線でハテブでしか絶賛されないようなコメントして悦に浸るって感情はよくわからない
少なくとも俺の人生でそういうものが楽しかった思い出は皆無だから
レスバに発展し、馬鹿ばっかだなって思うのならぎりぎりわかるけど、はてぶでコメントしてスターもらえるってのは、オッサン同士の傷の舐めあい以外にないし、何をどう楽しめるんだろうか?
それとも高齢者になればなるほどさみしくなって、そんな辺境のそよ風にすら涙流すものなの?
ブクマカの居場所であるところのハテブのこと書いている人の大半が、気持ち悪い人間の巣窟って言ってるのだが
そんなに自虐が好きで好きで仕方ないのだろうか
その根拠でもある増田の過去編は https://anond.hatelabo.jp/20240506065437/ に書いた。
それはそうとして、そのように生きてきた弊害からか、「この世は私にとっての安寧の地ではない」と感じるようになった。
希死念慮や自殺願望ではなく、「生きるのがつらいから◯にたい」ではなく、本当に私はこの世に自分の居場所はないと思っている。
というか、誰しもないのでは?とすら思う。
私は私の人生の苦しさしかわからないが、少なくとも私はあの世からこの世に派遣された調査員あるいは流刑にされてあの世からやってきた囚人だと思い込むことで自我を保っている。
あるいは媒体。
精神としての私の居場所はどこにもなく、ただ媒体としての私がこの世にはあるだけだと気付いた。
付随というか、結局は各々の問題を家庭(笑)という民間の空間へ委託しているといってもいい。
少なくともこれまでの人生において、家庭(笑)の問題については、公的な第三者に助けられたことはほぼないと思う。
税金を納めるほどではない、どちらかと言えば税金のお世話になる可能性の高い人間がいっちょまえに社会的に何かしたいと思ったがゆえの生存戦略が子作りであり、言わばセルフケツモチ製造なのである。
国もその子供が健常に育てばそいつら(親)を税金で面倒を見る必要もなく、相互扶助の名目の元、後処理を押し付けられる。
問題は、そのようになった子供も同じことを繰り返してしまう可能性があることだ。
ちなみに私は全く反出生主義者ではなく、この事実を嘆きたいだけだ。
圧倒的知能か恵まれた環境にあれば別だが、悲しいかな、人間は知能による公平さのジャッジよりも前に自分が受けた分の苦しさを取り返してやろうという感情が先に来るだろう。
話は戻るが、要は媒体として、支配対象としての子供から20歳を機に搾取対象の成年後見人へ。
それどころか義務・罪・罰等は何もしなくとも来るのに、権利・功・賞等は能動的に動かないと得られない。
「親の扶養義務(笑)」「共助(笑)」「扶養(笑)」「相続(笑)」。
仮にそれも考えて親が私を作って死なせない程度に育ててきたのだとしたら、天才だと思う。
仮に婚姻で救われたとしても隷属先が変わるだけに思えてならない。
詳細は伏せるが、現在進行系で親の尻拭いをしている。
きょうだい児を召喚する親もいれば子供を成年後見人として召喚する親もいる。
言っちゃ悪いが、Xでよく見る、自分も障がいのあるのに、子供を作って愚痴を吐くアカウントで確信した節もある。
私は比較的人付き合いも避けながらも何とか生きてきたため、恥ずかしながら精神疾患の世界も逆に上流階級のこともわからないが、一般的に子供を作る前に自分の社会的な自立が先な人間も子供を作ってしまうのは、彼らには恋愛や性行為がセラピーとして作用してしまっているがゆえの結果と、相対的に自分よりも下の人間が作れる画期的な手段が子作りだからではないかとも思う。
「キモい」という感情は、『遺伝子的に劣等な奴にレイプされたくない』という機能を持つと思われるが
これは逆に言ったら、野性の人類という環境における『遺伝子的に劣等じゃないやつにはレイプされてもいい(子供は生き残るので)』という状況が生み出した感情であって
合理的に警戒に値するとか
そのことがよくわかるクソ書き込みだね。
障害のある男性、それどころか障害のある人間には性欲などない、抱けるヤツは男であれ女であれ物であれ動物であれファックしてやりたいという感情がないと言わんばかりではないか
それを考えるには、いくつかの前提を疑う必要がありそう
時代によって短調(マイナースケール)の感じ方は一緒だったのか(昔の人も同じように「暗い」と感じたのか)
違いがあるとすればそれは何に起因するのか
個人的には「今のようなポップミュージックが発達する以前では、マイナー調でも娯楽的であり、感情の発散の手段としてポジティブに作用していたのではないか」と勝手に考えている
醜さを晒すの承知で気に食わねぇ事言ってる奴らに噛みついて嫌がらせ、怒りの感情で繋がって仲間意識を共有する
総じて、「繋がるという幸せ」を得るため以上の行動をしてるところを見たことがないなぁ
女をあてがえ論もそれのツールの一つだろ
親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。
あなたはきっと世の中の不条理や無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題へ真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係を犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心からの善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます。
だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。
結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論とレッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。
極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。
自分は思想を押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教や仏教なら何も言いません。でも、統一教会やオウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものだからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。