はてなキーワード: 左派とは
前置き
文の構成がめちゃくちゃ。日本語もめちゃくちゃ。何が言いたいかを考えて読むと痛い目に遭います。
ナザレンコ・アンドリーというネトウヨアカウントを見た。彼は「ネトウヨ的言動で日本人を褒めてれば稼げます」という美味しい話、つまり「ネトウヨビジネス」に乗っかったウクライナ人だ。
ツイートの内容だけ見るとどこにでも居る極々普通のネトウヨ(日本人の代理人が投稿している可能性も極めて高いが)なのである。
どこにでもいるネトウヨ同様、理論のすり替えや屁理屈や「ネトウヨ」とは異なる言動の人をただ否定しているだけ(もちろん右派左派問わず政治教信者お得意の人格否定もある)
そんな彼がこんなに有名になれてるのは「白人」だからである。つまり、あからさまに偽フランス人の「エリック.C」や、自称ドイツ人の「しあん」や、アメリカ人の「ケント・ギルバート」と同じタイプで、「大和民族に誇りを持ってる」はずのネトウヨの白人コンプレックスを突いて有名になったのである。勿論彼の言動はロシア人差別を除いては本音などではなく、金稼ぎのための言動なのは明らか(彼らが心から嫌韓とか天皇陛下万歳とかするわけないでしょうが。)
日本人全体の白人コンプレックスは簡単に見て取れる。白人というだけでちやほやされるのだ。
私はロシア系であるが、それをネットで前面に出したことはない。日本人は白人コンプレックスを抱えているから非常に面倒くさいのである。
他のアジア人はあからさまに見下すが、白人には頭の上がらない「大和民族であることを誇りに思う普通の日本人」は「日本人は白人に近い」とか「日本人は名誉白人」みたいなことも言っているが、その時点で大和民族であることを誇りに思ってはいない。大人しく「白人になりたい」と言えばいいのだ。
白人がかっこいいというのも「西洋文化の流入によって作られた価値観」にすぎない。
西洋の文化が流入する前のアジアは「アジア人らしい美形」が美しいとされていたという。
話は変わるが、アジア人や黒人はIQが劣っているというヨーロッパの研究所が出した「発表」はデマで、むしろアジア人は全人種の中でIQが最も高い人種なのである(黒人のIQが劣ってるのは事実であるが彼らは他の人種にないような潜在的体力がある)
人種毎の能力差はあることはあるが、全ての能力が優れた人種が存在しないのである。
アジアの成長により「アジア人に政治はできない」ということがただの偏見だということが証明された
なのに、不思議とアジア人であることに誇りを思わず、白人コンプレックスを抱えている人が多い。
私は基本的に自由社会主義的な思想を持つため、人種にあまり興味がないが、右派までアジア人であることを恥てるのには目を当てがたいものがある。
オトモダチへの利益誘導、隠蔽改竄、国会軽視、閣僚の贈収賄、官僚/メディア/企業に対して人事権等を振りかざした恫喝、検察庁法案etc
それら自民のしているブラックだったりブラックに近いグレーだったりする民主制と法治に対する破壊行為を棚に上げて、こうなったのは野党のせいでもある!って、それ、笑うところだよね。
アメリカ民主党は共和党支持者でも納得する確率が高いバイデンでまとめたぞ。
そしてバイデンはトリプルブルーになっているのに、左派に引きずられることなく共和党支持者にも配慮してバランスを取って政策推進をしている。
分断がこれ以上ひどくならないように努力してるわけだ。
そういうことを野党側がやらないから有権者の選択肢が奪われてると思わないのか?
アメリカ民主党は共和党支持者でも納得する確率が高いバイデンでまとめたぞ。
そしてバイデンはトリプルブルーになっているのに、左派に引きずられることなく共和党支持者にも配慮してバランスを取って政策推進をしている。
分断がこれ以上ひどくならないように努力してるわけだ。
自民と公明の連立ができるのだから立民と共産もできるという人がいる
これは勘違いも甚だしい
大政党である自民が右派から中道をカバーしていて小政党である公明は中道タイプの政策を志向しているということ
大きい側から見たときに連立相手の小政党が中道であることは大きい
なぜなら大政党側が掲げる政策のほとんどはマイルドな形に修正することで小政党側が妥協するからだ
公明が実力以上の票を獲得できるのは、政策の立ち位置が中道であることが大きい
そして数の多い中道有権者は自民と公明が妥協したときには公明を批判する
せっかく新しく法を作るのになぜ右寄りのものを増やすのかと怒るのは当然だろう
立民は左派から中道をカバーしている政党、そして共産党は左にかなり偏っている政党
立憲民主党にとっては右寄りに作られている社会制度や法を中道に持っていきたいと考えているのに、最も左にいる共産党との妥協点をいつも探らなければならない
しかも立民の支持者で声が大きい人は左に寄っている人が多い
国民民主党勢力が抜けたことで支持者の中道と左派のバランスはより左に寄ってしまった
仮に枝野内閣というものが成立したら、枝野が政策を実現する上で妥協点を探る相手は常に自民穏健派、公明、維新、国民民主となるだろう
立憲民主党と共産党の連立が成立するという思い込みをしているのは共産党支持者と
立憲支持者の中でもとりあえず自民党を引きずり下ろすことができれば何でもいいと考えている連中くらいだろう
それでは民主党の失敗を繰り返すことになるから枝野には迷いが生まれるわけだ
立憲民主党の中で先が見通せる人は共産党と組んでも継続的な政権獲得は無理だとわかっているはずだ
おそらく枝野が考えているのは、とにかく政権をとって実績をみせて民主党時代の汚名返上をしたいということだろう
今の自公政権と比較してもらえるなら上手くいくと思うのも仕方ない
だが、本当にそうだろうか
私は前回、民主党政権が誕生したとこ自体は何も間違っていないと思う
そして誕生した民主党政権も後半はひどい状態だったから、また自公政権に戻ったに過ぎない
この民主党政権後の自公連立である安倍政権が第一次安倍政権と同じように美しい国日本なんかを掲げていたら有権者はすぐに安倍を引きずり下ろしただろうと思う
だから旧民主党勢力は自民が政策を横取りするという頓珍漢なことを言っていたわけだ
安倍は政策を横取りしているのではなく多数である中道志向の有権者に合わせているに過ぎない
そして自分の主要支持者である右派に対して公明との妥協という丁度いい言い訳を使うわけだ
右派からの批判も中道からの批判も公明が請け負ってくれるのだから、安倍にとってこんなに良いやり方はないだろう
自民と公明の連立が成り立つのだからという言い方に従うのなら、相手は国民民主党や維新の会ではないのか
維新なんて新自由主義のネトウヨ集団じゃないかという人もいるだろう
それをいうなら左派寄りの立憲民主党はなぜガチガチの緊縮派が多いのかという疑問には何と答えるのだろうか
敵にレッテルを貼るという行き過ぎた手法によって自縄自縛となっているのではないか
まずは国民民主党や維新の会と政策協定を結べるかどうかを探ったほうが未来があるように見える
支持団体の官公労のことを考えるのなら維新の会と敵対することをやめて協力するほうがお互いに得するのではないか
だがそれは公明と妥協しているのはなく中道有権者に合わせているだけのようにみえる
共産党との協力にこだわれば社会党と同じように有権者からの関心を失い消えていくだけではないのか
公明党が『池田大作を個人崇拝し、創価学会の国教化を目指す宗教カルト政党である』事をスルーして、「中道政党」と評価する人のバイアスを疑う。
政策のスタンスの話をしているので、それが多数派有権者の受容範囲にあるかどうかが論点です
あえて宗教問題を論点とするなら創価学会に限らず神道でもそうですが国教化するのは、まず憲法上ハードルが高すぎて現実的ではないです
そして先進国で宗教を法の上においている国はないので強引に実行しようとすれば国際的地位を失います
宗教政党である公明が与党でも国民が安心して暮らせるのは日本が立憲主義の国家だからです
憲法の範囲内で活動しているものに対しては、たとえそれが政治的に対立する相手であってもレッテルを貼るのは止めたほうがいいと考えています
なぜなら自公の結束を高め反撃のエネルギーを増やすことになるだけだからです
たとえ敵であっても最低限の敬意を払うことをしなくなったことが立憲民主党が支持を失っている原因のひとつだと思います
これは言いたいことはわかります。最初から最後までひどかったと言いたいのだろうと思います
民主党政権は3年3ヶ月でしたが、私としては最初の1年半は大目に見たいと思っています
雇用問題でジワジワと有権者の不満が溜まっているところに消費税増税の話をするという流れです
そして今またもや曖昧に消費税のことを扱ってしまい突っ込みどころになってしまっています
多くの有権者は消費税に関してはどの政党のことも信用していないと思います
消極的自公支持者や無党派層から見れば、そのフェーズは新進党、民主党とすでに2回も機会を与えているではないかという気持ちではないでしょうか
今の立憲民主党のやっている方向性は新進党より前の8党派連立政権期まで後退していると思います
新進党を作るときにさきがけと社会党が離脱して公明党は参議院が合流しないという敵に塩を送るような振る舞いをしていた頃を思わせます
維新と大阪公明が支持者である創価学会員を軽んじて、まさに集票の道具であるかのように扱った結果が反対派の勝ちに繋がったのでしょう
主要支持団体である労組がついてこれないような政策や選挙戦術を掲げれば勝てるわけがありません
脅したり宥め賺したりというような支持者の扱い方が通用するような時代ではないです
支持者が納得できるような政策や選挙の方向性を示さないで支持者はどうやって選挙運動をするというのでしょうか
この支持者を軽んじる傾向はすべての政党で起きていることです
最も数が多い支持層の扱いが雑で選挙活動のエネルギーが低下しています
支持者がまっとうに盛り上がっていくから無党派層に広がっていくものだと思います
応援するのに値しないような不正をする人倫理観のない人を引っ込めもせずに党の推薦を出すというのは支持者を馬鹿にしている証拠です
違うよ、全然違うよ。
米国西海岸を支配しているのはリベラリズムなんてチャチなもんじゃない。もっと過激な左派思想だよ。
ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(Social Justice Warrior)、ウォーキズム(Wokeism)、文化的マルクス主義(Cultural Marxism)、批判的人種理論(Critical Race Theory)等、色んな名前で呼ばれてるよ。
まず、以下の画像を見てほしい。
https://texashousers.org/wp-content/uploads/2019/02/img_1088.png
平等性(Equality)、つまり皆を平等に扱うと、能力や境遇の有無で格差が生まれ、逆に公平性(Equity)の下では、この格差をベースに権利や境遇が配布され、皆が同じラインの上に立てる、という考えだ。
今ではこの画像が学校の教材として使われるくらい広く浸透してる考えとなっている。
一見とても理にかなってるように見えるけど、この思想には大きな問題がある。「格差」の基準は何なのか。誰がどうやって決めるのか。
画像だと身長という視覚的に分かりやすい格差として表現されてるけど、現実だとそうはいかない。各個人で抱えている境遇は多種多様で、誰がどれだけの社会的恩恵を受ければいいのかを決めるのはとても難しい。
はずだった。
でも連中はその基準を単純化するために、露骨な差別主義に走った。
まず大前提として「社会はシス白人男性が作り上げたものであり、彼らが有利になるようになっている」という考えがある。
これをアーキタイプとし、「女性」「LGBT」「マイノリティ」等の属性が付け加えられる事で、その人の社会的格差が決定される。そして社会的格差が大きい人ほど社会における発言権も強いとされる。
シス白人男性よりもLGBTの白人男性の方が発言権が強いし、LGBTの白人男性よりもLGBTの黒人男性、LGBTの黒人男性よりもLGBTの黒人女性、といった具合だ。
この中でもとりわけ「人種」に対する考えが過激で、まず最初に「白人は生まれながらにしてレイシストであり、これを撤廃する事はできない」とされている。その扱いはキリスト教における「原罪」に近いと言える。
そして黒人等のマイノリティはこのレイシストな白人どものための社会に生きているため、普通に暮らしていると絶対に成功する事はできない。だから彼らが人並みの暮らしができるよう全力で支援する事がレイシストである白人の「義務」とされる。
また、白人を基準とした文化は社会の隅々まで浸透しており、これらを「ホワイトネス」と定め、社会悪としている。白人であるという事は肌の色だけではなく、その人の考え方や心のあり方にまで現れると言うのである。
アメリカの国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館は、ホワイトネスを下記のように定めている:
https://twitter.com/ByronYork/status/1283372233730203651
「個人主義」「核家族」「科学的方法」「偏った歴史観」「努力主義」「キリスト教基準の宗教観」「財産に重みを置く」「未来・将来を重要視する」「時間やスケジュールを大事にする」
ここで違和感を覚えないだろうか。
時間にマメで、努力をする……そういった事すら「白人の文化」だとぬかしているのである。
じゃあ何か?時間にルーズで怠惰でいる事を推奨するのか?と言いたくなるが、ほぼ推奨してると言っても過言ではない。
だからこそ彼らは「努力してアメリカンドリームを掴み取る」という価値観を真っ向から否定する。ベーシックインカムみたいな破綻必至な制度を推し進めようとする。
今アメリカではバイデン政権による太っ腹すぎる失業保険のため労働者不足が深刻な社会問題になっている。下手にマクドナルドなんかで働くより失業保険をもらっていた方がずっと収入が多いのだ。そんな状態で職に付こうだなんて大抵の人は思わないだろう。
もちろんこの失業保険の資金源も無限ではなく、いずれ膨大なインフレや恐慌等といった形で跳ね返ってくる。しかし連中は国家を打ち出の小槌か何かと勘違いしているのか、国からあれやこれやと要求しまくる。
これらを推奨してるのは何も貧困層だけじゃない。むしろ西海岸の富裕層なんかは大抵この思想にどっぷりだ。
貧困層が成功を求めて努力するのをやめ、国からの施物に頼りっきりになって、一番得をするのは誰か。すでに成功している富裕層だ。
誰もが成功できるという事は、自分の地位や権力が常に脅かされているという事でもある。自分が競争で勝ち取った地位を堅固にするために、競争主義そのものを打ち壊すという訳だ。
そのために連中は人種差別的思想にまで手を出しているのだからたちが悪いどころの話ではない。
米国西海岸の左翼文化において「自己研鑽」や「マッチョイズム」は白人至上主義と関連付けられ、むしろ社会悪として認識されている。
そしてホームレスは「自己研鑽を辞めた者」ではなく「どうしようもない環境のせいでそうなってしまった者」扱いだ。
現にサンフランシスコではホームレスによる路上脱糞を完全に放置しており、路上の人糞を回収・処理する「うんこパトロール」というものに人件費を回している。冗談なんかではない。
最近フロリダ州では学校で批判的人種理論(Critical Race Theory)を教える事を知事が禁止したが、それに対する批判の中に「そんな理論は存在しない」としらを切る連中がいた。
連中は狡猾で、自分たちの思想が明るみに出されたらそれは差別的で悪である事がバレてしまうのを理解しているため、徹底的に隠そうとする。
名前を与えず、さもそれがずっと前から存在していたかのように、さり気なく提示する事で社会に浸透させようとする。だからこそ悪質極まりない。
日本のリベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸のリベラリズム。
これが一体どういうものか?と日本のリベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。
ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
だから恥ずべきことは何もないのだ。
しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身の政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸の一般人が理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。
米国西海岸のリベラリストは総じて3つの決まりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。
日本のリベラリストにも理解しやすいお題目だ。
読んで字のごとく個人個人の選択を尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの。
米国西海岸のリベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸のフェミニズムへも強く影響しており、日本のフェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要なものだ。
最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽の奨励という文化だ。
自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽の奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽の文化」なのである。
この「自己研鑽の奨励」という文化を理解しなければ米国発の文化的思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。
最近の日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力を社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。
しかし、米国は自己研鑽の努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ。
つまり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力をしろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。
例えば日本の労働者の一部には「KPI」という言葉へアレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽、努力教の臭いを感じないだろうか?
ステレオタイプな米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽の奨励という米国文化が元になっているのだ。
つまり米国には右派のマッチョイズムや左派のマッチョイズム、共産主義者のマッチョイズム、カルト宗教信者のマッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。
もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。
日本国内で恥を捨てた者が問答無用に迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在と問答無用に評価される。
様々な方面から米国西海岸のホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。
これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレスを無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。
ホームレスが自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスにだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!
こういう指摘へ対し米国西海岸のリベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為が不可能な者には自己研鑽可能な環境を用意する」という方法を解決手段として選択している。
例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人を優遇して白人黒人を合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸のリベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ。
私自身も少々理解に窮するが白人黒人はアジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人の自己研鑽の評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。
ホームレスの子供へも同様に米国西海岸のリベラリズムは自己研鑽するための環境、例えば学費の無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活に自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。
ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸のリベラリズムには用意されていない。
個人の選択の尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人の選択として自己研鑽しないような者に与えられるものは米国西海岸のリベラリズムには何もない。
米国西海岸の社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。
例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策と解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米のリスペクトでベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベートの時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。
これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策のチキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか。
https://togetter.com/li/1730312
法律問題ですら性教育で解決できると思ってるの脳内がフラワーパークすぎるし
なによりも、いってることが左派Verの親学だという自覚がないのやばすぎるだろ……
いやーこれはないでしょ。
現状維持を主張してる人より、教育改革を主張してる「親学」連中の方がいいってことになるね。
なるほど、あなたのようなバカが「今の問題ある状況を変えることはよいことだ。結果がどうなってもしらん」という形で性教育推進を主張してるわけね。
「教育」だったらおかしいとわかるのにこういう感じで「性教育」の話になると脳がバグる人、深刻なトラウマを抱えてそうでご愁傷様です。
結局「今の性教育はまとも!このまともな性教育をやれば問題は解決する!」って言ってるだけでやっぱり性教育うんぬんいってるやつは親学の左バージョンでしかないという仮説がより強くなったわ。