はてなキーワード: 供述とは
俺は『あの人に辞められたら困る』と思われたいタイプの人間。だからなるべく有能であろうとしている。
アイツは必要だったんだ!って言われたい。
でも最近、有能な人間が辞めても全然困らないことがわかってしまった。
職場でもエースクラスの有能な人間が辞めた時、仕事は整頓されていた。引継ぎも円滑で、何だったら何も困らなかった。
遠大な目で、長期的な視点で、大枠で考えれば有能な人間が辞めることは損失なんだろう。
でも、現場としては大して困らなかった。
無能が辞めた時は大変だった。
仕事がとにかく絡まっている。誰相手に連絡をどのようにとって、どのような仕事をしているかわからない。
そして仕事のやり方がヤバい。下請けの人に負担を押し付けまくっていたり、都合よく嘘をついて仕様ですと言い張っていたり。
ブラックボックスがとにかく多く、スパゲッティコードのような仕事を紐解き、そして置いて行った爆弾を解体しなければならなかった。
いつか爆発する爆弾を処理する時が早めにきた、という考え方もあるだろうが、無能が会社にいれば色々楽だったはずだ。そいつに供述もさせられるし、責任も負わせられる。
だが、ヤツはもういない。
持田孝
・37歳の時に家出女子高生(16)と関係を持った後、家に帰りたいと言い出した女子高生を殺害し懲役10年
内心では「俺がムショに入れられたのはあの女が通報したからだ」と逆恨み
・出所後、ただちに東京に行ってかつてレイプした女性社員を捜索。住居を突き止め殺害。
・「女性社員が警察に訴えないと約束したにもかかわらず、警察に通報して警察官に私を待ち伏せ、逮捕させた行為が許せなかった」と供述
これだけ見たら「死刑になって当然だろ」と思うかもしれません。
だが、持田は死刑となった逆恨み殺人以前に3回(殺人での懲役から出所後、車を盗んで無免許運転したとして懲役1年2ヵ月の懲役)刑務所に入れられています。そこで適切な矯正教育を受けられていれば再犯は防げたはずなのです。
その意味では持田もJT女性社員も『日本の刑罰における矯正教育の不十分さ』に殺された被害者と言えます。そうは思いませんか?
私はそうは思いません。こいつは死刑になって当然でしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20231104124548
平気で居直るし、フェミニスト全体に責任を求めるなとか言い逃れするし、男が悪いと他責性を発揮する女性しぐさも多い。
そもそも、元草津町議が「レイプされたのは嘘だった、身体を触れれたのも嘘だった」って供述しているらしいけど
事件が報道され始めたときから「これおかしくね?冤罪では?」とは言われていたよね?
利権争いから端を発し最終的にリコールを受けて追放されそうになった元町議が町長を貶める為についた嘘・デマであるとも。
少し調べれば分かる事だったけど、何故かはてなのブクマカ含めて左翼やフェミや大勢の女性達は怪しい元町議の言い分をまるっと信じて
草津町長を性犯罪者として、草津を性犯罪の町、セカンドレイプの町として風評加害を続けたよね。
この段階になって、積極的に加害してた連中の殆どが知らんぷり決め込んで謝罪してたいのが本当に不思議で仕方が無い。
まともな社会人なら、いやまともな人間なら、自分の非を認めて謝罪するのでは?
北原みのり、AERA、ハフポスト、小川たまか、共産党、勝部元気(作家)、しばき隊、上野千鶴子、フェミニスト議員連盟、名前を呼んではいけないあの御方、etcetc...
関東大震災の時にデマを信じ込んで朝鮮人を虐殺したのと本質的には同じなのに。
あれに対し反省の態度を見せないどころか逆ギレするって、人間としておかしくないかな?
はてなのブクマカアルファでおなじみの新橋九段さんは、この期に及んでも尚「声を上げた女性を叩いたのは事実だからセカンドレイプの町は事実だろ」と言い放つ始末。
あれがはてなブクマカの大多数の総意という事で良いんだろうか?
凄いよね。人一人の社会生命を殺そうとして、町の間違った悪評を海外にまで触れ回って風評加害を続けて色んな人間に迷惑をかけて不幸にして、それでも尚居直るのだから。
あの事件の影響でショックを受けた名もなき草津の一般人は大勢いるよ。コロナの影響もあって、廃業してしまった人も知ってるよ。本当に怒りしか無いよ。
好き勝手やってそれが間違ってても謝罪しない、「そうさせた相手が悪い!」と相手に責任を押し付けるのはまさに女性特有の他責性しぐさって感じがするよね。
「キモいお前が悪い!」→だから私がお前の尊厳を傷つけ凌辱し精神的性加害を続けるのはキモいお前が悪いのであって私は悪くない、悪くないのぉぉぉぉ!!!!と居直るのはまさに『女性』。
恐らく女性を庇う人達も同様の傾向に流されてしまうのだろう。それが『女性』に肯定されるからね。
草津冤罪事件という、どう頑張っても積極的に風評加害に加担した方が全く反論の余地も無く完全に非がある案件ですら、謝罪も出来ず言及せず知らんぷりする事で逃げ回る不思議。
ハッキリ言ってデマをデマだと見抜けずに触れ回って名誉毀損に加担するのも『悪』であり責任がある『犯罪』ですからね?
男がやったら男女からも叩かれ貶され責任を追求される事が、女がやったら「女の子だから」と責任を追求する方が悪者扱いされるのはなぁぜなぁぜ?
女性とは例え犯罪を犯しても責任を一切取れない、責任を負う能力に欠けた側の性、つまり重度の精神障害者と同様の無責任者という事でいいのかな?
未成年ですら少年院に送致されて責任取らされるのにね。ハッキリ言って「女子供」の「子供」以下だと思う……
女性に配慮して、女性性を尊重して、女性に味方する男や社会が異常に甘やかして、異常に甘やかされる事を良しとした女性達を肯定し続けてきた結果が
草津町長と草津に対するホロコーストだと思うと、今までどれだけの人間が女性が起こす冤罪によって貶められ尊厳を凌辱されて死んできたんだろうね?
声なき声を上げる事すら「加害」だとしてきた女性やフェミニスト達による横暴の一旦が草津事件な訳だし
これを異常と思わない人間や、ましてや加害の当事者なのに謝罪すらしない女性達やフェミニスト及びその賛同者達は、人間として重大な部分が欠落していると思わざるえないよね。
まともな人間や、大半の男性なら持っているものを、残念ながら持ち合わせていないのかもしれないよね。
<追記>
へー、凄いね。この増田を「ただの女性叩き」の文脈でしか捉えられない人もいるんだね。ある意味参考になりますね。
草津冤罪事件にかこつけて、「男性社会が~」とか「これだから男は~」などと、男性全般を雑に中傷して性犯罪者かの如く尊厳を傷つけてた女性やフェミニストも沢山いたよね?
彼女ら・彼らは謝ったのかな?謝ってないよね。せいぜい他責性の女性しぐさするだけ。凄いよねー本当に凄いよねーある意味。
どうやって社会で生きているのかな。周囲を傷つけて生きてそうで怖いですよね。
まあ謝罪しない自由もあるけれど、残念ながら一般的な社会では、取り返しのつかない致命的な愚行をやらかした上に
謝罪すら出来ない人間は、社会からキャンセルして爪弾きにするしか無いのだけれど、そうなったら「男性社会の弾圧にあった!差別だぁぁぁ!!!」と叫ぶのかな?
草津ホロコーストで謝罪したのなんてごくごく一部で、まともに「謝罪」(100点満点中50点以上)と言える謝罪の意を表明した人もいたけど、それは両方とも「男」だったという悲しいオチ。
例のアレは100点満点中20点ぐらいだったかな個人的な感想は。
『謝罪?と同じ口で口撃する』
『話を逸して本質的な「元町議の一方的な主張を信じて異論を検討する素振りも見せず軽率にも町長及び地域全体に非常に屈辱的な汚名を浴びせた」事についての謝罪はしていない』
何でこうなるのか本当に不思議。女性が被害者とされる事件だと、頑ななまでに謝れないのが理解出来ない。なぁぜなぁぜ?
別に難しい話をしている訳じゃないんだよね。
社会人として、文明人として、人間として、当たり前の「悪い事をしたら謝る」という、最低限の基本が何故出来ないの?
何故居直りと他責性しぐさを繰り返して事のシンプルな本質から逃げ回るの?
何故そんな卑怯な事をしている、人として最低な事をやっているにも関わらず、女性やフェミニストというだけで免罪しなければいけないの?
簡単なQに何故AにもなってないAを叫ぶのか。一般市民には意味が分かりませんね。
女性だから、被害者とされた女性の主張を信じただけだから問題無い、なんて言い訳を主張するのは自由だけど
それは同時に、女子供以下の「女性」は責任能力が欠落している側の性という事になるし、フェミニストと女の味方してパコリたいだけの騎士達は
その主張を肯定しているだけの、ある意味女性という人格を最も貶めている存在になってしまうのだけど、本当にそれで良いのかな?
人として、当たり前の態度を示して下さいよ。
それが出来ないならもうその言動に一切の正当性や信用を持たせてはいけない側の性として扱わなければならなくなっちゃうからね。
などと供述しており。。
ちなみに元巡査部長の指導を負担に感じたことがあるのは被告人だけではなかった。
被告人、被害者と同じく河瀬駅前交番に配属され、ともに働いていたもう1人の警察官が、午後に証人出廷した際、次のように語った。
「同僚からは異動前、被害者は『厳しく細かい方』だと聞いていた」
実際に、3人での勤務中、書類作成時に被害者から12〜13回もの修正を求められた被告人が、夜中まで対応している姿も見ていた。
だが証人自身は、一緒に働いてみて「ちゃんと教えてくれる人なんや」という思いに至り、指導を受けることで「自分の実力が上がる」と考えるようにもなったと語っていた。
さらに、事件の前年度まで被害者とともに働いていた元部下の調書では、被害者の指導の実態がさらに明らかになった。
供述では、当時の辛い状況を振り返りながらも、やはり先の証人と同様、“愛のある指導”だったとも語る。
「口が荒く『アホ、ボケ』などが口癖だった。相手を侮辱しているわけではなく関西人によくある挨拶がわりだった。
何を言っても『それは違う』と否定するので、嫌になり、言葉を選ぶのが難しく、自然と話しかける回数が少なくなった。会話は減る一方だった」
という元部下はしかし、こうも語った。
「被害者は刑事出身で特に書類に厳しかった。指摘を受け毎回書き直しをしていた。ちょっとした間違いでも指摘してくるので正直気持ちよくはなかったが、書類作成の能力が高くなったのではと思う」
さらに、
「その姿はパワハラに思われるかもしれないがただ単に自分の仕事の出来が悪かった。
異動直前の送別会で初めて酒を酌み交わしたとき『よう頑張ったな、これからも頑張れよ』と言われた時、これまで自分を育てるために厳しくしていたのだとはっきりと分かった。感極まり号泣した」
と供述を終えたのだ。
被告人は勾留中に開示されたこの元部下の調書を読み「自分より厳しい指導を受けていた、それでも潰れなかった。被害者は自分を育てようとしていたのだとわかって後悔し、うつ状態となった」(弁護側冒頭陳述より)という。
厳しい指導に隠された裏にある上司の思いというものは、その指導が終わってから気づくことのほうが多い。また同じ指導でも、教える側の人格、教わる側の人格により、まったく違う結果を生む。
彼の謝罪を別の見方をする精神科医もいる。多くの刑事事件で心理鑑定を手掛けた、こころぎふ臨床心理センター長で公認心理師の長谷川博一氏がこう語る。
「彼が心底謝罪をしたかは疑問です。というのも、供述を見ていて私がいちばん感じたのは、『共感性の欠如』だからです。多くの被害が出たことについては『(亡くなるのは)8人くらいではないか』と考えていたと、自身の“誤算”を告白し、むしろ被害関係者の感情を損ねることになりました。
反省のようなことも供述していますが、自身の行為で傷ついた人の痛みを想像しているように受け取れません。
また、彼は犯行の3日前に現場近くの京アニのショップに立ち寄っていますが、そこに放火しなかった理由として『恨みの対象は京アニ。(ショップには)お客さんがいる』と供述しています。
ここ数日ネットニュースの至るところでジャニーズ関連の話題を目にする。
何故か、なんて最早語る必要もないくらい、日々彼らを取り巻く環境が話題になっている。
私はただただそれが悲しい。
性加害は許されるものではない。
許されるものではないけれど、それは加害者本人のみに向けられるべきものなんじゃないか?と思っている。
けれど、今回の件では本人と呼ばれる人は亡くなってしまっているので、その名を冠した事務所に石を投げるしかないような空気を感じる。
それは、間違ってるんじゃない?
犯罪を犯した本人と、その周囲の人にまで石を投げる。
どんな事件でもそういう声が聞こえてこないことはない。老人が交通事故を起こしたら、家族はどうして免許を取り上げなかったと責められるし、友達がいないと供述する若者が殺人を犯せば、家族は何をしていたんだと責められる。
なんで?
罪を償うのは本人であって、周囲の人間が罪を償う必要はない。そんな法律も刑法もこの国には無い。
ちょっと前にYouTuberの私刑とかいうのが話題になってたけど、加害者本人以外を責め立てたり、「あの人の関係者だから距離を置きましょう」とか、それが報道されたりすることも、私刑と同じだよね、と思う。
恩人とも呼べるような人が犯した罪について、悩まない日は無いかもしれないけれど
彼らが見てきたものだけを信じることは、悪いことじゃないと誰か教えてあげてほしい。
私だって
罪人の子供だって後ろ指指されたことがあるけれど、未だに悩む夜もあるけれど、死んでしまおうかと思ったこともあるけれど
親が犯した罪と、自分の思い出に残る親の姿は分けて考えていいと思えるようになったから
勿論大罪を犯した親のことを許したわけではない、でもそもそも私が許すも何も無い。法によって裁かれて懲罰を受けているのだから。
加害者の周囲にいただけで後ろ指指されて責められる私たちも被害者のようなものだと思う。
けどきっと、こういうことを言うとまーた石を投げられると思う。
犯罪者の身内であるということが罪だと言うのなら、罪状を教えてください。
そんな刑法、無いのにね。
まず、売春の客待ちなのか、恋人同士のうち一方が待ち合わせで先に来てるだけなのかどうやって区別してるのか?特に周りが全員立ちんぼという前提だとそういう事情を知らない場合でもそこで待ってたら他の立ちんぼと外形上の区別はつかないと思うんだが、その場合逮捕されるのは李下にして冠を正さずということなのか。
客待ちらしき行為を確認した後、レンタルルームに行ったのを確認したら、出たところを逮捕するという事例が多いようだが、なぜレンタルルームに行ったら売春が行われてると決めつけるのか。それこそ恋人同士でもラブホ同様レンタルルームでも行くだろう。
しかもここでいう逮捕とは「現行犯逮捕」なのだが、客待ちらしき行為を見てからある程度時間経ってるはずなのに「現行犯」とはなんとも不思議だ。そんな理屈が通用するなら誰に対してでも、ちょっと前にそいつが殺人をしたということを確認したことにして現行犯逮捕できてしまいそうなものである。
金銭の授受があったことを証明するのも難しい。だってもともとその男女それぞれがどれだけの所持金を持っていたのか警察は過去に遡って確認しようがないのだから。
そもそも何を持って不特定多数なのか。世の中にはゼノフィリアという価値観というか嗜好もあるらしく、そういう人はやりたい時は常に初見の人間を探さなければならない。
たとえば自分が日大学生のゼノフィリアで同じ日大学生の中から毎日のように学内で初見の人探して声かけて大久保で待ち合わせなら問題ないのか?それならなぜ大久保の通行人からやりたい人を探すのはだめなのか。大久保の特定の道を通行する人と日大学生全員とどちらの方が不特定性が高いのか、なんとも言えないと思うんだが。結局これで逮捕するというのはゼノフィリアという恋愛価値観を不当に(不当=ダブスタになってる状態で)侵害してる可能性がある。
女は金銭目的してなくてただやりたいだけで、寄ってきた男に応じたら事後男が一方的に厚意で金を渡してきたと供述されたら警察検察にそれを覆すような証拠など用意できるのか?証拠もない状態だけどこの程度の、殺人と違ってかりに有罪とされてもそこまで刑が重くならない犯罪だと裁判官も甘く、基本的に被告が嘘をついていて捜査機関を信用できるとして証拠がなくても有罪としてるのかもしれない。なので警察も立ちんぼと解釈できる行為さえ確認できたら簡単に有罪を勝ち取れる案件として躊躇なく逮捕と…。
終助詞の「ね」の形が変わって「ぬ」になったんだろう。
遠州弁では「だに」で語尾が終わることがあるが、そっから発展したのかもしれない。
「に」と「ね」の間に「ぬ」がある訳だし
「ぬ」ならちょっと「な」とも受け取れる訳だし、文面で送ってるのは確信犯だからどうしようもないが
そんな確信犯達はそのうち「赤ちゃん」も「エケチェン」と呼ぶようになるし、古畑任三郎の供述も「ハンマーカンマーバンバランバー」と言うことになるんだろうなと思います。
今回の事件では、そういった仕掛けが沢山あって全く参ってしまいました。
あの人は一生懸命話しておられましたが一つだけ、たった一つだけ本来の意味とまた違った意味合いで伝えられてしまったのです。
あの人はそこを見落としてしまった 都会の生活に慣れていたあの人なら当然見落とすはずがない一つの表現を。
この後私はまた同じ表現をするつもりです、ですがあの人は私と会った時と同じリアクションをしてくださるでしょうか?
同郷の人間と会った帰りに話した標準語圏の私に、あの時のように、言葉を返してくださるのでしょうか
それでは、ご期待ください
古畑任三郎でした。