はてなキーワード: 供述とは
終助詞の「ね」の形が変わって「ぬ」になったんだろう。
遠州弁では「だに」で語尾が終わることがあるが、そっから発展したのかもしれない。
「に」と「ね」の間に「ぬ」がある訳だし
「ぬ」ならちょっと「な」とも受け取れる訳だし、文面で送ってるのは確信犯だからどうしようもないが
そんな確信犯達はそのうち「赤ちゃん」も「エケチェン」と呼ぶようになるし、古畑任三郎の供述も「ハンマーカンマーバンバランバー」と言うことになるんだろうなと思います。
今回の事件では、そういった仕掛けが沢山あって全く参ってしまいました。
あの人は一生懸命話しておられましたが一つだけ、たった一つだけ本来の意味とまた違った意味合いで伝えられてしまったのです。
あの人はそこを見落としてしまった 都会の生活に慣れていたあの人なら当然見落とすはずがない一つの表現を。
この後私はまた同じ表現をするつもりです、ですがあの人は私と会った時と同じリアクションをしてくださるでしょうか?
同郷の人間と会った帰りに話した標準語圏の私に、あの時のように、言葉を返してくださるのでしょうか
それでは、ご期待ください
古畑任三郎でした。
供述調書も被害届も、警察官が本人に聞き取った結果を文章にして、それにサインを求められる、という点では共通なんだよ。
という決めつけをされたので、「警察官の作文に納得できないときはそのままサインせずに修正させた」という自分の経験を話したんだよ
犯罪で捕まらない限り出す機会がない供述調書の経験はないが、「警察官の作文に納得できない時に修正してもらった経験ならある」という点で被害届の話をした。
ところがその共通点を理解できずに「全然違う話を始めた」と思われたのか。
増田は難しいな。
この母親、今36歳って事は1987年か1986年生まれで、いわゆるゆとり世代だよね。
ゆとり世代はその上の氷河期世代と違って就職状況も良いし、女性が自立して生きていけない時代ではなかったと思うんだけどね。
何故『母親』というと世間では、前時代的なかよわい母親イメージで語る人がこうも多いのか。
「ボロボロになりながらも不妊治療を続け、5人の子どもを失った。(1人目から5人目まで流産、または死産)その度に悲しんで弔う時間もなく、夫に早く子供を作れ、妊娠しろと言われた。」
っていうけれど、別に強制された訳でも何でもなく、そんな男とは結婚しない事もさっさと別れる事も出来たのに
何故一方的に強要されたかのような言い分なのか不思議でならない。
「罪を償い、罪を犯した自分を雇ってくる場所があれば、一生懸命働きたい。6人の子どもの母親として恥ずかしくないように自分にできることを精一杯尽きるまで生きていきます」なる供述も
あまりにも身勝手。子供を殺しておいて、生きる気満々じゃん。死ぬ気だったとか嘘でしょ?
子殺しは全般的に刑が軽いし、ましてや障害児の命は更に軽い。どうせ執行猶予だろうと思ってたかを括ってるんだろうな。舐めてるよ。
【追記】
ブコメでもしつこく書いている人いますけど、交通違反は悪いことです。ルールは守れという話ですし、危ないことは良くない。
そこに疑義を呈しているつもりはないですし、実際に呈していません。
でも赤切符というものの位置づけが、なぜ自転車と自動車で違うのか、時速5kmで路地を渡ることが
ひきにげや無免許運転と同じ処罰になる、そこに腹落ちがてきていないという話をしているだけなんです。
なお、50cmや1mの道路なんて嘘だってコメントありますけど、新宿・池袋・上野・秋葉原・御徒町・原宿・神田・有楽町、
でも50cmは狭すぎるか……そこはすみません。心情的なしこりが50cmと大げさに書いたのかも。けど1mの路地は本当に普通にありますよね?
で、片側2車線の道路で歩道は人が2人通れるぐらいの歩道、そこに50cmだか1mだかの路地みたいな道があって、歩道は一旦切れていて交差点という形です。
上側の縦の道路は50cmだか1mとかで、下の縦のは車1台は通れますし、通ってます。(人で溢れかえってますけど)
で、自分は車通りは多いし、人通りも多いしで、自分は普段、歩道を普段は押して歩いてるのと、今回もそうしていたのですが、
図のとおり青信号でも赤信号でも人がずっといて、人通りが凄いのと、加えてここは路地の延長なので、青信号でも赤信号でも
この交差点の上の車道に、右にも左にも上にも下にも行き交っていて、歩行者がチャリでも徒歩でも右側に抜けるのが大変です。
途中から「増」と書いているように、歩道と車道の境目(ですが車道なのでもちろん自分が悪いんですけど)に降りて、
歩行者信号が青になったタイミングで、(人で常に溢れかえっているので青も赤もないんですが)すっと通り抜けようとしたんですね。
でもスクランブル交差点で、歩行者側は縦方向も横方向も青に変わって、一方、車道側は赤に変わってた、という話です。
ぐんぐん飛ばしてたって話でもなく、すっと通り抜けるために時速3-4kmの歩行者と同じ速度で足をついて移動していましたし、
歩行者信号を見るこうした自転車乗りがいないかと問われれば、ネットで調べたら結構いますので、特別不思議とは思っていません。
(繰り返しますが、自分が歩行者信号を見たと言うだけで、良くないことだと思っていますし、車道に降りたら車の信号を見ろというのはどこまでも正論です。)
この図うまく書けてるかわかりませんが。。。
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│ │
――――――│人│――――
人人人人人人│人│人人(歩道)
――(増→)┘人└――――
車→→ 車→→ 車→→
車→→ 車→→ 車→→
――――――――――――――
←←車 ←←車 ←←車
←←車 ←←車 ←←車
――――――┐人人人┌――――
人人人人人人│人人人│人人人人(歩道)
――――――│人人人│―――
│ │
│ │
【追記ここまで】
確かにルール上は信号無視ってことになるし、良くなかったなと反省してるんだけど、
・数秒前まで歩道で押して歩いてた
・小さい方の道路が50cmとか1mしかない路地みたいなところで、みんな道路上に立ってて歩道を押して歩いても渡れないし、赤でも青でも移動できないほど混んでるので、仕方なく車道に出てその50cmの道路を渡ろうとした
・その瞬間、スクランブル交差点というのか、縦方向と横方向どちらも歩行者信号が青になった、つまり車道は赤なのだが、自分は歩道を歩いてたので歩行者信号を見てた
(まあ車道に出たので車道の信号を見ろと言われたらその通りで、ここが確かに悪い)
・他の歩行者のスピードに合わせて時速4〜5kmで自転車にまたがって50cmの移動
・別にぶつかってないけど混んでたので邪魔だったなと反省してる
で、これで危険運転で信号無視だって捕まって赤切符とやらを切られた。
まあ自分が悪かったんだなと反省して、30分ぐらい供述書みたいなのを作ったんだが、そしたら簡易裁判を受けてこいと。
で、厳重注意みたいな話じゃないのかと思って、家に帰ってネットで調べたら、そもそも自動車の赤切符というのは、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転とか事故のレベルで切るもので、シートベルトの締め忘れの現行犯でも白切符(白切符→青切符→赤切符と重くなり、駐禁は黃切符)だと書いてたんですね。
で、気になって更に調べると、
・自分の捕まった日から「 秋の全国交通安全運動 2023 」が始まってたり、
・9月は警察学校の卒配(卒業&配属)前のインターンがいる(インターンかどうかは知らないが若かった)とか、
・下のNHKの記事を見たら、信号無視などを含めて「警告カード」というものがある
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230803/k10014151611000.html
という話で、もちろん形式上は「信号無視」という話になるんだけど、なぜ自分が警告カードや青切符じゃなくて、赤切符という、
ここまで厳しい切符を切られているのか、よくわからないというか、疑問・不満が出てきてます。
信号無視というのも、時速5kmで、直前まで歩道で押してて、渡ったのも50cmとかの路地と同レベルの道路で、だから危険だと思ってないし、実際事故ってない。
もちろん悪いというのはわかるし反省してるんだけど、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転と同じレベルの切符を切られて、簡易裁判とかで半日費やして、
さらに下手したら前科がつく、という扱いなんだというのがわかり、これが果たして適切な処罰なんだろうか、
自分は卒配前のインターンの練習に使われただけなんじゃないか、ノルマ達成の犠牲なんじゃないか、って疑問が拭えない。
明日、近くに警察署に行って聞いてくるけど、自分は車もペーパーで全く運転せず、当然自動車も自転車も問題を起こしたことがなく、どう考えたら良いでしょうか?
「違反したんだから黙れ」というのは、わかってるから黙っててくださいね。
罪の重さと赤切符というものの重さのバランスに、もやっとしている、納得感がない、ということです。
自転車の厳罰化という話は聞いているが、シートベルトを締めてないのが白切符で、時速5kmで50cmの道路を赤信号で渡ったのが赤切符、というのがどうにも納得がいかない。
なお、直前まで歩道にいたとか、移動するために一旦車道に出ただけという認識なので歩道の信号を見てたと正直に供述?したけど、
それは「信号を見ていませんでした」という供述書?になってた。自分はこう言ったはずだとも伝えたけど手書きで書き直すのが面倒なのか変更してもらえず、
こういうのはパターンがあるから、お前の供述を素に警官が自分で書くからそれにサインしろと言われてたから、まあそんなものかとサインはした。
だけど、なんで供述したことが都合良く? 書かれてなくて、それにサインしなければならないのかも納得が行っていない。
その時は会議が迫っていて、さっさと終わらせたかったし、処理が終わらなくて再度どこかに出向くのが嫌だったので諦めたんだけど。
パウルーッス
本日は日本においてモノレールの日、イタリア料理の日となっております。
この朝礼において一番の叙述トリックといえば、実はこの増田は今は現場で働いていないという点だったりしますが
まぁ単純に供述してくれる人の語る視点とそれを横から見ていた人の語る視点が違うから同じ現場にいたはずなのに表現が食い違っていたりするよくある奴のことです。
人間関係のトラブルなんかもそうですね、当事者同士の話に嘘が混ざり出したりだとか、あえて言ってないことがあったりして、そんなめんどくさいやりとりのど真ん中に置かれるなんてよっぽどミステリーやサスペンスだったりします。
それに振り回されないように、起きた出来事を時系列順に並べたり、箇条書きにしたりして人の思い込みがなるべく入らないようにすることが大事ですね。
そうしてぐちゃぐちゃになったものを解いていくと比較的単純な出来事だったりすることがありますので、それもまたうんざりしますね。
そして、これをまた解決したり、書類に書いたりするのがめんどくさいんですよね。
まぁ、ぼちぼちやっていきましょう、私も書いてて何を書いてるかがわからなくなりました。
いつものことです。
ということで本日は【俯瞰的な視点よいか】でいきたいと思います。
などと供述しており
住宅情報サイト「SUUMO」のキャラクター「スーモ」が描かれた広告用の円筒形人形を盗んだとして、大阪府警南署は19日、窃盗などの疑いで東大阪市の男(53)を逮捕した。「触って癒やされるためだった」と供述しており、自宅から計16個を押収した。
南署によると、ほかにソフトバンクの携帯電話のCMに登場する「お父さん犬」などが描かれた円筒形人形4個も見つかっており、関連を調べている。
逮捕容疑は17日午前11時10分ごろ、無施錠だった大阪市中央区の不動産仲介店に侵入し、スーモの高さ約1.5メートルの円筒形人形1個(約1万円相当)を盗んだ疑い。スーモは緑色の丸い姿が特徴。人形は寝室に飾られていたほか、押し入れや車の中に保管されていた。
https://www.sankei.com/smp/photo/daily/news/170519/dly1705190024-s.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230909/k10014189841000.html
こういうの見ると、介護できないからって何で殺すのかな、と不思議に思うんだけど。
他の家族にも頼れず、かつ介護を福祉に投げることができない場合、どうすれば合法的に介護をやめられるんだろう。
介護が必要な母親を残して家出しちゃうと、保護責任者遺棄罪とかになっちゃうのかな。
家出する前に役所とかに「どこどこの家に介護必要な80代の女性がいるから何とかしてくれ」と匿名で(バレバレだが)情報提供して、行方をくらませばいいのかな。
殺すよりはそっちの方が随分マシだと思うんだけど。
初公判が注目されてるけど
正直ツルネをパクられたぁ!と言われてもアニメで確認した限りじゃ逆にどこ?って位青葉の言う所のパクリ部分が見当たらなかった
動機はどうあれ犯行当時は精神が錯乱してたとか神経衰弱だったとか、逃げ道を塞ぐ計画性の高さから見ても責任能力はあったよね
弁護士が無理くり無罪を主張せざるを得ない程99.9%有罪かつ死刑以外ないんだけどね。
かつて光市母子殺害事件の真犯人の供述でドラえもんが生き返らせてくれるとか意味不明な事言っててそれを根拠に無罪とか減刑を求めた弁護士がいたけど
弁護士は基本的に依頼者の証言を全面的に信じる立場にある訳でいくら確実にコイツは有罪だと思っても無罪を取らないといけない、そういう職務なので
今回の京アニ放火殺人事件だって青葉の無理筋な供述を正当化しようとしてる訳じゃなくてコイツの妄想でも職務上無罪で勝負しなければならない環境下にあるからね。
ふざけた弁護士だ!と橋下徹みたいに懲戒請求を呼び掛けるのはナンセンス。橋下徹だってその当時武富士問題で企業側弁護士をやってたから本当は無罪主張側の弁護士の気持ちは分かってたはず
とにかくこの件で弁護士を叩いてる人がいたら間違いだから容赦してあげて欲しい
悪いのは青葉真司なんだよ