はてなキーワード: ブラックホールとは
大統一の鍵となる粒子が超対称性粒子。多くの研究者がその存在を信じている。
マスメディアではなぜかダークマターと呼ばれる事が多い。(確かに候補の一つではあるが誤解を招きそうだ)
2015年からLHCのエネルギーを13TeVに上げて探索を開始した。
果たして僕らは世紀の瞬間に立ち会えるのだろうか?
Today’s the day! LHC physics planned to begin at a new energy frontier #13TeV! Read more: http://t.co/Zko4yfjD2R pic.twitter.com/A3qvyFV18O— CERN (@CERN) 2015, 6月 3
この世界は「高次元に埋め込まれた3+1次元の膜」であるとする宇宙モデル。
重力が他の力と比べて異常に弱い理由をうまく説明する。LHCにて検証実験中。
モデルによると従来考えられていたよりも低いエネルギーでマイクロブラックホールが生成できるとしている。(が、LHCで届くかは正直かなり微妙。)
一部メディアが「LHCでブラックホール!世界滅亡!」と報道したために一部住民がパニックに。
大規模なデモが起こったり少女が自殺したり大変なことになってしまった。
Kappa Symmetry, Dp-Brane Super-Lagrangian Action(s), and SuSy Calabi-Yau ‘Tipping’ of… http://t.co/hRRWz5o6GO pic.twitter.com/6YuhurQdxm— George Shiber (@GeorgeShiber) 2015, 6月 26
中性子星の爆発や合体で”伸び縮み”する時空を測る。(要は超精密なマイケルソン・モーレー)
かつて人類が電磁波を手に入れたように、今僕らは重力波を手に入れようとしている。
完成すれば宇宙の構造や進化を巡る研究が大きく進展することになるだろう。
【トピックス】大型低温重力波望遠鏡KAGRAの地下トンネル完成式典 http://t.co/FQQiPeOyOb 7/4に神岡で開催されました。KEKの加速器で培った低温、真空技術が発展的に応用されることになっています。 pic.twitter.com/8C8p8809Pe— KEK 高エネルギー加速器研究機構 (@KEK_JP) 2014, 7月 10
大統一理論の検証実験。候補となる理論の多くは陽子崩壊を予言しているからだ。
が、予想と反して陽子がなかなか崩壊しない。寿命は伸び続けて今は 10^(34) 年以上?
が、サブの実験でニュートリノの発見、ニュートリノ振動とまずはノーベル賞2個分ゲット。
さらにニュートリノを使った地球内部透視に火山研究。原子炉透視と常に快進撃を続ける。
やばい。カミオカンデやばい。「ニュートリノは日本人がお好き」というジョークがあるらしい。
Japón estudia el origen del universo debajo de una montaña. #Kamiokande #ciencia #Koshiba #neutrinos http://t.co/5x39aPRSHW vía @el_pais— Neoyorkino Tupepino (@tupepinonyc) 2015, 2月 21
公開当時、増田などでこれで日本のアニメは終わりだとかいう意見をちらほら見たので、なんかものすごく良くできた映画なのかと思っていた。
とりあえず一回見た時点での感想としては、映像はすごいし話もまとまってるけど、それほど強い印象を残すものではなかった。
ディズニーの子供向けの映画に多くを求めるなと言われればそれまでなんだけど、日本のアニメが終わりだとかいう人がいたんで…まあ、そういうごく一部の意見を気にしすぎていたのだろう。
・タダシが死ぬまでのくだりが思ったより長くて、かといってじっくり過程を描くというより「説明しないといけない段取りがいっぱいあるんで巻きでいきます」って感じで味気なかった。どうせ死ぬのはわかってたわけで、「なかなか死なないな」とか思ったりして、それで全体的な映画の印象が悪くなった気がする。タダシの死後は、まあそんなにダレてる感じはなかったけど。
・悪役の正体がしょぼい。マイクロボットで襲ってくるシーンはさすがの迫力ある映像だか、正体は娘を殺されて恨んでるおっさん。やりたいことは娘の復讐。それであんな大がかりな準備とかする必要あるのか??大学の生徒をいきなりガチで殺しに来るのってどうなの。まだ「単なるマッドサイエンティストです」っていわれたほうがああそうかと思うわ。なんであのブラックホール装置みたいなのを使わないといけないのか?結果的に娘が救出できたけど、ほんとたまたまだし全く意図してない展開だし、「お前の会社を吸い込んでやるー」っての、復讐するときにそんな演出のためにわざわざ準備しようって思うかなー。俺なら長い時間かけて準備する前に仇を包丁で刺すけど。それじゃ映画にならねえよ!といわれればそりゃそうだ、って感じなんだけど脚本家が何人もいて、「これは完璧な動機だ!」と思ったってんなら俺と感覚が違いすぎる。まあ子供向けの映画なんで、まあ、しまじろうの映画見て「ニャッキー、男を振り回す女過ぎて将来心配じゃね?」とかつっこむようなもんだが…。とにかくだいぶ長々と書いたが、それだけ気になった点だ。
・ヒロとベイマックス以外の仲間の存在が中途半端。これは上の二つに比べるとどうでもいいというか、好みの問題なので(全部そうだが)このままでいいという人の方が多いかもしれない。要はヒロにとって重要度は「タダシ>ベイマックス>>四人」なんだよね。そりゃそうだ、って話ではあるんだけど、四人もいるからしっかりと絆的なものを描く、構築する時間がないのであって四人じゃなくて二人とかだったらもっと濃くなったんじゃないかと思う。原作に四人いるんだからしょうがないだろ、といえばそうなんだが、そもそも原作の設定なんてかなり変えてるんだから根本的にキャラクターを変更してもよかったと思う。
2chで垂れ流されている悪思想に国民が洗脳されてるからなんじゃないかと思う時がある。
先人の残した知恵を本などで学ばず、
2chという手軽な情報源で幼稚な思想を吸収していく人たちの、
なんと多いことか…
2ch教は、負け犬の思想がつもりつもって巨大化した化け物(生き物)のように、日本国に存在している。
足を辛めとられてしまう…
本人は、洗脳されていると気づかない。
むしろ、裏事情を知っている自分は情報通でスゲーって思っていたりする。2chの情報は正しいと思いこみ盲信してる。
2ch教は、ニヒリズムを蔓延させ、後ろ向きでひねくれた発想、批判精神をも植え付け、人生をじわじわと破壊していく。
自業自得といえるのだろうか
「彼女の長くて黒い髪はとても綺麗だ」
この文章をより文学的な一文にするにはどのような表現がいいだろうか。
「彼女の肩元で揺れる髪は美しく輝いていた」
長さについて具体的にした後、カメラの露光を上げるような感じで描写してみた。
少しはイメージしやすくなったけれども、表現が陳腐で直截だ。もっと工夫してみよう。
「黒髪が」「美しさを」「なびかせる」という文構造で奇をてらってみる。「黒髪が~をなびかせる」は日本語として一般的ではないが、
ありのままを言葉にすればそうなるだろう。「なびかせる」ではなく「際立たせる」であればもっと通用しやすくなる。
「鴉の濡羽色」などという、物書きぶりたい人間がよく使う語彙を用いてしまったのが弱い。
美しさの描写が少し損なわれてしまった。少し「彼女」がしっかりとした人物であるような印象を与えるので使いどころはありそうだが。
「見返り美人図のどこが美人なのだと常日頃主張してきた私ではあるが、振り返った彼女の頬に差した艶めく黒髪が堪らなく美しく見えたその瞬間は、畢竟一目惚れであろう」
森見登美彦風。
「黒いくろいクロイ髪が黒いのは黒いから黒いのかなんなのか、光とは無縁のブラックホールとか宇宙みたいなものにロマンがある理由が彼女を見て分かった気がした」
「『井戸の底は仄暗くて、湿った土の匂いがするんだ』僕は言った。『君の髪を見ると落ち着くのは、井戸の底をのぞくような気持ちになるからだよ』」
村上春樹風。
「みんなも黒い綺麗な髪の毛を描写して、文学的な表現力を手に入れよう!」
進研ゼミ風。
難治性で5ねん~10年以上患った精神疾患あったら自決できる法整備しようよ
5年以上年単位、精神に負荷を抱えて薬飲みながら生きててもいいことないじゃん
高齢人口も多いし、若くして精神がアレになった人も含めて安楽死を積極的にできるようになるのまだ?
職場でも偏見多いし、朝は鬱でこれないし、遅刻するし、周りの視線たまらないし。
心が病気なのは見えにくい病気だけど、やっぱり人間社会で淘汰されるものだんだしさあ。
しかし、「通俗的に理解していたブラックホールの知識」だって、
子供向けの科学まんがとか、海外SFの古典とか、新聞の片隅に載ったコラムとか、
もちろん、インターステラーの内容を信じてブラックホールへ突撃するということにでもなれば、
「おいおいちゃんと検証したのか」と引き止めなきゃいけないが、
インターステラーの評判は上々らしいけど増田で検索すると以下のように否定的な感想しか見つからない。三つ目のリンクにはトラバで反論を試みている人がいてその人の文章を読んで少し恐ろしい気持ちになったのでその気持ちを整理してみる。
http://anond.hatelabo.jp/20141127233759
http://anond.hatelabo.jp/20141203194100
http://anond.hatelabo.jp/20150107180239
上記の増田と二つ目の増田からリンクされている映画レビューを読めばインターステラーがどんな映画であるかはわかると思う。こういう映画を許容して楽しむかどうかはここでは問わない。(私自身は許容できない派だが)ここでは映画の内容ではなくて、三つ目の増田のトラバの話しをしたいと思っている。
トラバの増田はまともな知識など何も持っていないにも関わらず、映画自体が持つ矛盾を包み隠すようにストーリーをうまく解釈している。(記憶の混乱、無意識のねつ造でもあるかもしれない)
恐ろしいと感じたのは以下の文章だ
どちらを信用するかと言ったら後者だし、
この増田は自分が「通俗的に理解していた」知識より「物理学者が監修」した映画を信じるのだと言う。「ある程度の違和感も『演出』として理解する」=フィクションである と認識しているにも関わらず映画の内容を鵜呑みにする宣言がなされているわけだ。権威主義なのかどうかはわからないが、結局のところ信じたいから信じるという知性の放棄が行われている。EM菌や過剰な原発恐怖、小保方擁護、オスプレイ忌避などに携わる人たちの内面の一端を見たような気がした。
自分とは違う考えをし、自分には理解のできない結論を出す人々が存在することは当然であるし健全でもあるが、このような非知性派の人々がマジョリティであるならば自分の生活環境が脅かされていくような不安を感じてしまうのである。
(民主主義のシステムにおいては数は力であるし、社会の空気や同調圧力を生み出すものとしても数の力は強い。)
(インターステラーについての各種記事や感想、レビューを読んでみるとここで取り上げた増田のような思考回路を持った人間が多いように見えてしまったので彼らをマジョリティとして扱った。ここに飛躍があることは否定しない)
どちらを信用するかと言ったら後者だし、
俺はいちど観ただけなので確かに記憶違い、理解不足があるけれど、
どうしても科学考証が気になるというなら、こういう本が出ているようなので読んでみては。
オレ自身完璧に説明できるわけではないのでこれ以上はやめようと思いますが
母船は惑星の衛星軌道上を周回していました。そもそも「何万倍も時間の進み方が変わるほどブラックホールの影響が強い場所」からいったいどれだけ離れたら「ブラックホールの影響がなくなる距離」になると思ってるんでしょうか。そんなに距離を開けたらあんな小型宇宙船で行って帰ってくることなんかできませんよ。
主人公たちの車や建物、打ち上げに使ったロケットを見る限り現代とそんなに変わらない技術レベルみたいだしね。(惑星に降りた小型艇だけはなぜか近未来仕様でしたが)
あれを演出として許せる人はどうぞ好きに楽しんでください。オレにとってのハードSFとはこういう演出が許されるものでは無いというだけのことです。
最後にブラックホールに近付いたのは、観測のためではなくて3番目の星へ行くためなので、そのあたりの認識がおかしいと思う。
あと、もともと「最大船速でかすめるように突っ込めばギリギリ抜けられるかも」みたいな計算は説明されてたよね。
それで実際にやってみて、TARSさんとか主人公とかの乗ってる宇宙船まで犠牲にして母船を軽くして、ようやく抜けた、とかって話だったのでは。
どうもブラックホールの重力やその他いろいろな理解に欠けている方のようなので説明しても無駄な気がします。演出だったということで納得しておくのがいいんじゃないでしょうか。
わからなくても楽しかったのならそれにケチをつけるつもりはありませんので。
光の速度と宇宙船の速度差はわかりますか?事象の地平面(地平線)はわかりますか?劇中では明確に「左舷が地平線を越えた」と言っています。事象の地平面近くまで行った宇宙船が抜け出すのは不可能なのです。それができるぐらいならそもそもの物語の前提から変わってしまいます。ギリギリを抜けるとか、モノを捨てて軽くすればいいとかそういうお話ではないのです。
これはおっしゃるとおりでしょう。オレが問題にしているのは、そもそもブラックホールの観測データをどうやって受け取るつもりだったのかということです。
事象の地平面を越えて内側に入った(わかりやすく言えば光も電波も出て来れないほど強い重力の圏内に入った)TARSからは観測データを受け取る手段がないはずなんですよ。
レビューサイトにはたくさんの「よくわからないけど面白かった」という人がいます。それはそれで共感できます(オレはこの作品に対してはそういう気持ちにはならないけれど、一般論としては理解出来る)。
一方で、わかったような感じのレビューをしているのにもかかわらずこれら多くの間違いが気になっていない人も多くいるようでした。これが自分にはとても不思議で、「どうして理論的な部分を理解しているのに疑問を感じずに受け入れられるのだろう?」と気になり、最初に書いたように自分の勘違いを疑ったりもしたんですが、きっとあなたのようにわからない所を想像で補い、好意的解釈をするのが上手なタイプの人たちだったのかなと少し納得できました。
惑星自体がブラックホールの強い影響を受けて時間の進みが遅いって言ってるのに、「影響を受けないところ」ってどこだろう?10000倍が9500倍になる程度に離れたとかそういうレベルならまだしも、母船で待っている人は完全に地球時間で暮らしていましたね。
ブラックホールの重力の影響がどこまで及ぶのかは分からないけど、いろいろ計算してるんじゃないですかね?
「どんな計算だろうとおかしい」と「この計算は妥当ではない」はかなり違うと思う。
うん、思い出した。
最後にブラックホールに近付いたのは、観測のためではなくて3番目の星へ行くためなので、そのあたりの認識がおかしいと思う。
あと、もともと「最大船速でかすめるように突っ込めばギリギリ抜けられるかも」みたいな計算は説明されてたよね。
それで実際にやってみて、TARSさんとか主人公とかの乗ってる宇宙船まで犠牲にして母船を軽くして、ようやく抜けた、とかって話だったのでは。
地平面の向こう側に行ったTARSとはどうやって通信したのかも疑問です。(地平面の向こうからは光すらも抜けられないのに…)
とりあえず少し安心…
惑星自体がブラックホールの強い影響を受けて時間の進みが遅いって言ってるのに、「影響を受けないところ」ってどこだろう?10000倍が9500倍になる程度に離れたとかそういうレベルならまだしも、母船で待っている人は完全に地球時間で暮らしていましたね。
ブラックホールの重力を考慮する上で数Kmや数百Kmは問題ではありません。最終的に誰が観測したのかは重要ではないので記述しませんでした。確かに直接観測したTARSはそのまま飲みこまれましたが(こんなものは「観測機械を投げ込み観測は無事完了。スタッフも帰還しました」と言い換えてもいい)、事象の地平面近くまで行った宇宙船が帰還したということを取り上げています。さらに言えば地平面の向こう側に行ったTARSとはどうやって通信したのかも疑問です。(地平面の向こうからは光すらも抜けられないのに…)
何回表現を考えなおしても、どうしても感じの悪い言い方になってしまうのですが(ごめんなさい)、
このようにSFや物理をあまり理解せず映画のディテールも曖昧にしか記憶していない人のレビューばかりが目につくことが今回の不安の要因です。わからなくても本人が楽しかったという意見に文句をつける気はありません。
自分のようにいろいろな部分が気になって楽しめなかった人はいないのか?それとも間違っているのは自分の知識の方なのか?というのが気になった次第です。
ブラックホールの影響を受けないところまで母船で近寄って、シャトルで素早く行って帰ってくる、という話じゃなかったっけ?
ググったらなんかインタビューで語られてるらしいが。
ブラックホールを探査すれば~~
観測はブラックホールに突っ込んだTARSさんがやったんじゃないの?
ぜんぜん無事じゃない。
情報伝達手段が限られた状況においてモールス信号ではもどかしいとばかりに「バイナリだ!」とか言って謎のピクピク技を繰り出したり
以下、映画インターステラーのネタバレだらけなので嫌な人は読まないでください。
一年以上映画館なんて行ってなかった(映画自体はレンタルで月に1~6ぐらい観る)程度の無いオレですが、インターステラーをやたらと褒めちぎるウェブの記事に触発されて観に行ってきました。
もともとSF好きで、特にハードSFを好むのですが多くのレビューや宣伝がインターステラーをハードSFの名作として紹介していたことが決め手になったわけです。
GIGAZINE 「インターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる
その他のブログや紹介記事も多くは「本格的なSF」「インターステラーの世界は現実に起こりうる?」「物理学者の誰々を監修に起用!」といった情報が多い。
SFと言ってもブラッドベリのようなファンタジーテイストな作品や、スターウォーズやガンダムのような現実は度外視した作品も多い。それらの作品も好きだが今回は特に興味のある現実路線のハードSFだということで期待はどんどん高まっていった。
いくつか挙げる
他にもいくつもおかしな部分はある。情報伝達手段が限られた状況においてモールス信号ではもどかしいとばかりに「バイナリだ!」とか言って謎のピクピク技を繰り出したり、タイムパラドクス的にアレなことがあったり、地球環境悪化の速度がご都合主義的に変動したりといろいろある。
途中で気が付いたんだけどこれアルマゲドンだったわ。「オレが行く!」ってヤツ。
失意にまみれて帰宅してから映画レビューサイトを漁りましたよ。同じような不満や疑問を抱えてる人がたくさんいるんじゃないかと思って。
見つかったのは多数の好意的なレビューでした。大別すると「相対性理論とか難しくてよくわからなかったけど面白い」「相対性理論とかを採り入れててすごい!」「よくわからないけれど絵がきれい」という絶賛が7割ぐらい(ザッと眺めた50個ぐらいのレビューの中での話しです)。「小難しくてつまらなかった」「長すぎて飽きた」という低評価が3割ぐらいって感じ。
必死に探しても「科学考証や当該時代における技術レベルの設定に問題があり楽しめなかった」という意見は見つからなかった。いや、楽しむ楽しまないは主観的なものなのでどうでもいいのだけれど、オレが間違ってると思っている部分が本当は間違いではなく、おかしいのはオレ自身なのかと不安になってきてしまったんです。
「こまけえこたぁいいんだよ」的な意見もあるだろうし、そう思える人はそれでいいですが、現実路線の映画なのだからストーリーの根幹をなすような部分ぐらいはしっかりしてほしいのです(だからストーリーとはあまりに無関係な要素、例えばロボットの形状があーだこーだとか、船外活動時の減圧の時間がどーだとか、宇宙服ペラペラ過ぎワロタwwwとかは言うつもりもないのです)。
映画をハードSFだと言って紹介・宣伝している人たちには腹が立つし、自分の知識や考えが間違っているんじゃないかという不安もあったりして困っております。
GIGAZINEは金銭の授受アリの宣伝だってことで理解できるんだけどその他のブログやレビューもみんなステマなのか?と疑ってしまいますよ本当に。(といいつつもオレが間違っているのかも?というモヤモヤが消えない)
1.通信について
23年間母船で待ってたロミリー(黒人)は寝てないなら直しておけよ。無能か。
先発隊のひとたち、わざわざ行ったのに生存の信号しか送れないのはなぜ?
具体的な大気の組成とか、気温とか、重力とか、その他ちゃんと送れば
マンの星とエドモンドの星で迷う必要がなかったと思うんだが、、
3.マンとエドモンドのどちらを選ぶか
(ブラックホールが近いからマンの星はダメだ)は妥当なものな気が。
ラスト、クーパーが特異点に落ちていく際の相対論的な時間の流れは?
そのあと切り離して落ちていく際に数百年たつと思うんだが、、
4の疑問に目をつぶるとすると、クーパーが助けられたタイミングと
アメリアがエドモンドの星についてエドモンドの死を確認したタイミングは
ほぼ同時のはず。
なのに、老マーフィーはアメリアが一人で待ってて、これからコールドスリープに
入る、って見てきたように言っているのはなぜ?
クーパーが伝えたなら分かるが、土星近くのコロニーではエドモンドの星に向かう
宇宙船団が作られてた(クーパーがその中の1台に勝手に乗ったやつ)ので、
それは時系列が合わない。
観測データが何MBあるのか知らないけど、それをモールス信号にしたら
何桁になるんだ。時計経由で送るほうも大変だし、読み取るほうも発狂しそう。
特に送るほう、クーパーの主観時間は変わらないんだから、酸素持たないんじゃ?
インターネットが拡張した概念と電子によって構成されたバーチャルと
ネットだって人間によって構成されたリアルだと言う人はいるかもしれない。
でも、あの時は違った。
バーチャルのケーブルの先に繋がった人間もまたバーチャルだった。
この感じを説明するのは難しい。
今のようにストリームが思考を運ばなかった時代。僕らのやりとする情報は、いつも痕跡だった。
物語の登場人物達が現実にいないことが当たり前なように、リアルとバーチャルは分断されてることが当たり前だった。
リアルな人間もいた。彼らは既成概念に縛れることを望みダサかった。
一部のダサい人間の愚行だと思っていたが、インターネットはそれを許さなかった。
ある時なんてあったのだろうか、気が付けばネットはリアルの拡張現実でしか無かった。
僕が幻滅した既成概念にとらわれたダサいリアル達に、インターネットの世界は埋め尽くされた。
それどころか、バーチャルの幻想で醜く拡張された醜悪な臭いをまき散らすリアルだらけになった。
そんな醜悪になったインターネットでも、常に対流しないと吐き気がするストリームの中にでも、バーチャル時代の名残はあった。
それを辿ると、あの時の幻想の残滓がみつかる。そして懐かしくなる。幻想はまだあるだと信じたくなる。
でも、そこれこそ幻想だった。別にアナルセックスだからじゃない。
かつて電子の妖精と呼ばれたそれは、タンブラーで尻画像を収集するマシンとなりながらも、幻想のアーカイブになると信じていた。
だが、違っていた。それは尻画像じゃなかった。画像にはうつらないケツの穴だった。
そのケツの穴はブラックホールのように僕らの幻想を飲み込んでいた。
それでもブラックホールは座標となるだろう。
ぱっと見なんだけどスカトロとか自意識で規制基準を設定したり抑制できたりするもので不可欠でないものと、
法律などでまぬがれぬ抑制からストレスに苛まれるものとわけてるようにみえた。
自分でなんともできない外的要因などによる抑圧にさらされるストレスの原因となるものは疾患とみなすような雰囲気かな。
その疾患によって発露する問題や障害の具体的な損失は、キレる癇による第三者などへの問題行動とかストレスによる身体異常とかになって
それを予防するためなどの対策を考えてみるべきとかそういう感じ?
そこで不思議におもったんだけど、自分でどうしようもない外的要因って法律とか世間体とかだけじゃないもあるよね?
たとえば親友だとおもってたに裏切られたとか、姑にカレーを捨てられたとか、好きなアイドルの後追い自殺とか、小さなブラックホールができるかもってニュースに絶望するとかみたいな。
法律とか生きていく上で生死に関わる判断に大きく関わる抑制って、個人での大小が大きくない?
◯◯できたら死んでもいい、◯◯でなければ殺す、みたいなのってどこで発生するかわかんないよね。
ある程度予知できる範囲を危険として分けるのもいいけどさ、結婚生活何十年目かで同性愛だったことを告白して離婚するとかって例もないわけじゃないじゃない?
スカトロ好きで三度の飯ほど大好きな人がいたとして、その人の嗜好に沿う発言をしたつもりがTPOで逆鱗に触れ事件を起こしたとしたら、何からどこを問題性として司法や関係者、環境への対策に取り上げるべきかわからないよね。
そのまったく逆で、一般人だとおもっていた人間が嗜好に傾倒し、その結果それに関係する行為から事件をおこしたとしたら、嗜好は感染性の精神疾患であるとかいう見解も示してくる人がでてくるかもしれない。
すると存在するだけで悪みたいな見方をする人もでてくるかもしないし、嗜好は同意のある人間だけが集まる空間で消費されるべきものとかが理想とされるかもしれない。
ファンの女の子とデートしちゃったら未成年だったロリコンだロリコンは病気だ治療しなきゃ、じゃあ治療の結果はどう発露するんだろうかといえばそんなものはない、一生保護観察イコール一生ロリコン治療中、とかありえるかも。
みたいな感じで、個人のリミットを広い義にあてはめると、今度は広義が個人に分けて定義されなきゃいけなくなるようなパラドクスを含んでいるようなきがするんだけど。
別段、こいつは悪いとおもった事に石をなげつけろ!とか提案してみたり、こういう部類はこう分けることができると判断してみたりするのはいいとおもうんだ。
そう思考することで仮想の庭にあるべきものと、破綻・矛盾しているところ、組み立てているうちに完成するものもあるよね。
まとめて「人の限界って趣味とかの程度でもブチ切れて反社会的行動にでる場合も可能性ゼロじゃないよね。これは病気に含まない?」なんだけどどうかな?
可逆的な話じゃなくて、あくまで性的でかつ社会的に救済の余地がせまい事に関してのみだったら、むしろその趣味がその人の人生の何割を占めているのか、またはその嗜好で犠牲になる社会的要因は規模として各個人の嗜好を抑圧したり社会への直接関与に何らかの干渉をもつべきって話なら別にいいんだ。
実際ロリータはどんな価値が今現在にあるかは問題外として、ロリコンになってしまったおっさんの命よりは確実に重くて年収何千万のおっさんでもロリコンだったら社会的に価値がないしみんなから病気だとか死ねって言われる、は健全な社会学的な知識人の見解だったとしたらそれはそうなんだろう。
それはそういう話題についてのみ深く考察したくなったって時のものもあるだろうし。
時間があったら一度考えてみてほしい。
自分をむやみに責める。そうしたところで現実はいい方向へ行くはずもないのに。
きっと、自分を責めて、苦しい気持ちになったり、虚しい感じになったりするのが、どこか心地いいんだ。
メランコリー親和型だとか、誰かが言ってた。
憂鬱な雰囲気が、落ち込んでる自分が、「苦しくてかわいそうな」自分が、好きなんだ。
うじうじめそめそしている人を見て、よくあるシーンとして、
「なにうじうじしてんだよ!」的なのがある。それはきっと、そういう、憂鬱な雰囲気に耽溺して満足してしまっている様子がその人には透けて見えて、気持ち悪いんだろうと思う。
もしくは、「これ以上傷つかないための予防線」としての自責もあろうと思う。
こういうことを言うことで、本当に傷つきたくない所を隠す。本当にツッコまれたくない所を隠す。
こんな風に、自責している自分をさらにメタに見ることで、さらなる自責の余地が生まれる。
「苦しい自分に酔っちゃってる自分、気持ちわりい」、「つらい・限界、とか言いながら、本当に痛いところを守ってる自分、ださい」等。
でも、本文では何を書こうとしているかというと、自責している自分をさらに自責するとかではなく、
「ああ、俺はそういう、溺れるのをどこか楽しんでるふしがあるんだなあ」と気付いたので、それならそうと、それを肯定して、もっともっと憂鬱になって、もっともっとこじらせてはまり込んで、楽しんでやればいい。ということが書きたかった。
水が低いところへ流れるように、人の欲望も低いところ、もとい、その人にとって楽な方へ流れる。
いつも気づけば憂鬱で虚しく、今ここにいる自分の存在がうらめしくてしょうがなくなるのは、もしかしたら、それが自分にとって最も好ましいからなんじゃないか。
漫画やなんかで、「いつまでもうじうじめそめそしやがって・・・ そんなにうじうじめそめそしたいなら一生そうしとけ!」みたいなのがあったりするが、そういわれた主人公は、奮起するのではなく、もしかしたら、指摘通りにするのがいいのかもしれない。
確かに、憂鬱な状態は、体感として、実際に、「しんどい」。これは間違いない。楽ではない。精神はガス欠で、体も思うように動かない。だけど、それを、「己が本能的に・無意識的に欲しているんだ」ととらえれば、幾分ましになりそうな気がする。受動的だった責苦が、まるでマゾヒストの行いのように、能動的なものになる。それを意識することができれば、「好きでやっているんだ」「体が欲しているんだ」と思うことができれば、楽にはならないが、ましになる。たぶん。
きっとこんなことを書いたところで、来週には忘れていて、ただ単にいつも通りのしんどい感じになっているんだろうなあ。ブラックホールに落ちたのならば、とことん落ちて、ホワイトホールから異世界へ出るくらいにとことん落ちてやろう。今はそう思ってます。