はてなキーワード: 象牙の塔とは
論理や事実に基づかず観念論だけで愚策をとり続けるみたいなのを「日本型」反知性主義と呼ぶのをあちこちで見かけたが、まだコンセンサス得られてないみたいだな。(ちなみにそれはご存じ?)
それが誤用だと言ってる。
内田樹の『日本の反知性主義』については山形浩生が5年も前に十分批判してるから今更付け加えは要らないだろ。
https://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/20/185544
上に書かれている"事実に基づかず観念論だけで"というのは、むしろ知識人やエリートにありがちな態度。
そんな象牙の塔に閉じこもって机上の空論をこねくり回して、実際の問題に対処している下界の人間を見下す知識人に対して、
反-知性主義は一般大衆の地に足つけた身体感覚と直観こそが重要だと説く。
つまり、あなたが言う日本型反知性主義の意味は、元の反知性主義の意味とは正反対だ。
新しい概念に対して名前をつけたいという場面はあるし、それを今使われている言葉からそのままにせよ少し改変するにせよ持ってくることもある。
ただ、「すでに意味が定義されている専門用語・学術用語をそれとは正反対の意味で使う」というのは、
わざとやってるなら悪質だし、気にならないなら言葉のセンスが無いよね。
まぁ日本型反知性主義とやらが使われている場面のほぼ全てが、単に対立者というか気に入らない人間に対する「バカ」の言い換えかレッテル貼りだから、素直にバカを使ったほうが良いよという結論は変わらない。
反知性主義は反-知性主義であって、反知性-主義ではありません。
知性主義、すなわち理性や熟考を重視する知的権威に対して、反-知性主義は素朴な感情や直感に基づき象牙の塔から離れた別の”知性”に意味を見出す主義です。
この説明の通り反知性主義には本来は悪い意味だけではなく、ホフスタッターは知的権威側の立場から、反知性主義に一定の価値を認めています。
わざわざ覚えたての専門用語を意味も調べずに使って自分の反知性を晒さなくても、バカとかアホとかマヌケとか、紛れがなくて簡潔な良い言葉がいっぱいあるのだからそれを使えば良いのです。
【追記】
元来の反知性主義の意味および内田樹の『日本の反知性主義』などで"反知性主義"という言葉が元と正反対の意味として使われているという種々の批判を理解した上で、"ジャパニーズ反知性主義"として表現したとのことなので、前半の文章は取り消して的外れの煽りだったことを謝罪します。
すでに意味が定義されており、いくらかの権威も付与されている専門用語をわざと正反対の意味で使うのは無知や誤解よりも悪質である(と私は考える)ことも追記します。
>アカデミアの連中は象牙の塔に篭って役にも立たない文献集めか執筆にお熱
>市中の連中なんて嘆くか蹴っ飛ばすかの勢い
米国と中国と日本の小児科学会:小児の罹患率は成人と変わらない
こいつロクに論文読んでねぇだろ? いや・・・こいつの書いた論文自体がそもそもおかしくないか? だぞ
それに対してツッコミを入れてくれるどこぞの現代物理学の先生ほかや、
“数字に現れる感染者数を低く抑え込むことが、「ほぼ奇跡」なのだとしたら、かつて国際的に問題とされた日本の研究不正と土壌はそっくり同じではないか” と言ってくれる大学、
“正しい実態把握には正しい調査方法が必要” と言ってくれる研究者(研究所)もありはするが、
総じてうんこよね
ブラック企業の社長って、頭のおかしい目がイっちゃってるカルト思想の奴もその根っこは、単に金持ちになって金と権力と「社会的地位(だから良かれと思ってやってる)」が欲しいとかそういうのばかりなわけなんだけど
何故、それを手に入れるのに、無関係な人間を無差別にブラック労働で危害を加えているんだろうか?
単に金が欲しいなら、限界まで銀行とかサラ金とか回って30億円くらい融資引き出して踏み倒して襲い掛かるヤクザを返り討ちにすれば、数年で資産30億の大金持ちになれるはずなのに、なんでそこら辺の世間を知らない大学生や子供をやりがい搾取で騙して連れてきて、命や人生と引き換えに純利益にすれば一人つぶして300万くらいしかいかないものを延々やり続けるんだろうか?
単に権力が欲しいだけなら、某海の王子みたいに、直接名士や権力者の娘や権力者自身に取り入って、弓削道鏡よろしく愛人なりなんなりになったり、既成事実作って摂関政治でもすればいいだけなのに、なんでわざわざ人潰しまくって得たはした金で、高い金を政党に払って党員にしてもらって政治家になって…みたいな回りくどい方法を取るんだろうか?
単に社会的地位が欲しいだけなら、それこそ出家して坊さんにでもなるか、自腹で大学院行きなおして論文ガンガン書いて象牙の塔や宗教界隈から福祉活動とか論壇に出ればいいだけなのに、なんで社会をよくすると称して、無差別に何にも知らないそこらの人間をだまして連れてきてブラック労働で痛めつけるテロ行為に等しいことをしてそれを洗脳で得ようというのか?
狂ってる奴がブラック企業の社長になりたがるのか、それとも会社の経営の才能がないのに会社続けた結果気が狂ってブラック企業の社長になるのか?
「国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば」と書いてるが、そもそもあなた自身が監視するつもりがないように見える。
それとこれと何か関係がある?
司法制度改革はそれが必要と思われたから改革したのであって、今回「検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重」することが問題視されたわけじゃないよね?
関係ないところで慣例を変えるなら、その意図は何なのか気にならない?
この過程に疑問を抱かないのはびっくりする。
どういう判断基準で定年延長する人を決めるか全然決まってない内から改定案強行採決されそうだけどね。
そういう検事総長が誕生したとして、検察官は知らんが国民がそれを見抜いて何かできることはあるの?
そういう検事総長が誕生し得る法改定がされそうだと見抜いて、今国民が声を上げてるんじゃないの?
まぁ、個人的には黒川氏が検事総長になる確率は極めて低いとは思うけど、あの安倍が、この時期に(コロナもそうだけど、黒川氏が在任中というのも大きい)強行採決しようするのはきな臭いものしか感じない。
http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1077404701.html
ネットにおける検察庁法改正案反対運動の動きは目覚ましいものがあり、どうでもいい問題と思っていた私としても意見を変えつつある。世間の状態や政権不信があると、こういう技術的なものに近い話が、特に興味を持たない、何となく怖いと思っているだけの人々をここまで大きく動かせるのだと、率直に恐怖に近い感情を覚えた。専門家からの指摘についても、良いものもあるが、上記の東京法律事務所の記事は法案反対・現政権批判という色が強く、ややバランスを欠いているように見える。
この件については、既にバズっているとんふぃ氏のまとめが比較的中立でわかりやすいが、少し専門性が強く読みづらいかもしれない。ちなみに、別にとんふぃ氏は改正賛成はではなく、どちらかというと反対に近いように見えるが、本当の問題がどこにあるのか、という点から、網羅的・中立的にまとめておられる。
https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
また、慶應義塾大学大屋雄裕教授のTwitterも参考になる。
https://twitter.com/takehiroohya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
こういった良情報があり、注目を集めてもいる状況がありながら、東京法律事務所の記事が分かりやすいと賛同を得る状況を見るに、内容面への理解というよりは、現政権はおかしい!何か危ういことをしようとしている!というスタンス・危機感に合っているかどうかが重要視されるようになっているのではないかと感じている。
こういうときに、上のお二人には到底及ばないが、少しでも落ち着いて考えるように促す投稿が別途あっても良いかもしれない、というのがこの投稿を書いている動機である。
本改正案は、細かいところを捨象すると、①検察官全体の定年を63歳から65歳に引き上げる、②一定の役職については役職としての定年を63歳(現行法の通常の検察官の定年と同じ)にする(=その後は平の検察官に戻る)、③一定の事由がある場合、内閣によって②の役職の定年や①の検察官としての定年を延長することができる、という3段階の制度を設けていることは広く知られていると思う(ただ、ここは、役職等により色々な条項が入り乱れており、ざっくりまとめれていることがほとんどであるため、理解をしにくくしている点かもしれない。)。
このうち、問題視されている③について、私は、特段必要性がないと思っていることが反対の理由である。三権分立というような大上段の話ではない。
①については、公務員全体の定年引上げという中で、そこと揃えるのであるから、特に反対する理由は思いつかない。ここについては、東京法律事務所も問題ないとしているので、特に取り上げない。
②についてであるが、高齢化社会において定年の延長という社会全体の趨勢があるとしても、トップやそれに近い要職に高齢者が就いているという事はあまり好ましいものではないと考えており、私としては問題がないものと考えている。ここも、東京法律事務所の記事で特に反論されていないのでこれ以上は触れない。
③については、例えば民間企業等において、優秀なトップに引き続き職責を務めてもらいたい、というような理由で高齢の方が一般の定年年齢を過ぎた後も働くということは往々にしてあると思われ、規定の趣旨としては理解できるものである。ただ、そのような能力があると言えるかどうかの検証は困難であると思われ、実際には、政治力等々、様々な事情の絡んでくる話になるだろう。とすれば、②の趣旨を貫徹し、一律新しい風を吹き込むべきであるというのが私の見解である。この辺りは、各人に考えの違いがあるのではないか。ただ、それは、定年という制度への考え方についての話であり、三権分立がどうとか、現政権の陰謀というような話にはならないだろうし、これほど世間が大きく盛り上がるような話でもないと考える。
2.三権分立について
何故、私が、今回の件について三権分立と関係しないと考えているかという点だが、これも散々に指摘されているところではあるが、そもそも、現行検察庁法上、「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行」うものとされていることから明らかなとおり、内閣に一定役職の任免権があるからである。
最も恣意的な関与を及ぼしやすい場面の一つである任命について内閣にその権限があるのに、定年を伸ばすという「出口」だけを殊更問題視することで、いったいどれほど政権の恣意の排除ができるのだろうか。
この点について、東京法律事務所の記事は「歴代の自民党政権は、検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重し、これに介入しないという慣例がありました」として、任命権があるからと言って時の政権の自由にできたわけではないことを挙げているが、まさか、この慣例に反することが違法だという趣旨ではないだろう。そうだとすると、検察庁法の立て付けとして、任命については、精々政権が慣例に配慮することを望むことはあるかもしれないが、内閣に任せても三権分立は維持できるということになっている。ならば、定年延長についても個別事例においてきちんと国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば十分であるだろう。余談だが、先述の慣例を無条件に守るべきであると考えているのであれば、昨今(というほど最近でもないが)の司法制度改革を通じ、一種「象牙の塔」と化していた法曹界に国民との間での双方向性を入れてきた流れとは、ずいぶん異なるようにも思う。
結局、この法改正があろうがなかろうが、適正な三権分立の維持のためには国民の不断の監視こそが重要であることは、若干文脈が異なるがとんふぃ氏の指摘するとおりである。三権分立の点から批判するのであれば、せめて、任命についても含めて、より大きな視点からの制度設計を描かない限り、説得的ではないのではないか。
(ここからは全くの邪推だが、定年を伸ばせる程度では大したことはできないだろうという見解に対し、任命の問題と別の大問題だという見方をする方の背後には、桜を見る会やモリカケ、あるいは、それこそ黒川氏の定年延長問題など、様々な問題についての現政権批判が結局は世論に届いてこなかったという無力感や怒りがあるように感じることがある。結局、国民が監視し、意見するということの力は、大したことがないのだと。ただ、本当にそれは大したことがない力しかないのだろうか。)
正直に言えば、黒川氏の定年延長については私の興味の外に近い。既に内閣の見解として、検察庁法に関わらず定年延長可能という解釈が示されている以上、今回の改正と絡めて邪推をするよりも、個別に法解釈上の問題を争うとともに、個別の妥当性についても問題にすべきだろう。事後的に定年延長を正当化するものであり、政権の不当な解釈変更を事後的に承認しかねないものだという見解も多く見られるが、国会において適法に成立した法に則り、適切なプロセスを経て定年延長をすることが仮に可能なのであれば、それはそれで問題が無いのではないか。こういうのもなんだが、そもそも、わいろというのは見える場所でやり取りする物だろうか。丸見えのわいろに従って忖度した判断をする検事総長等々の判断に反抗しないほど個々の検察官は軟弱で、国民は見抜けない程阿呆なのだろうか。
ただ、結局、この問題と絡めたおかしな邪推がしやすいような状況で、改正を推し進めた結果が国民からの不信を高める結果を助長したのは間違いがなく、改正法は成立になっても不成立になっても禍根を残すだろう。非常に悲しく、恐ろしい状態になってしまったなと感じる。
4.今回の反対運動について
まとめであるここの項が、一番言いたいことであり、また、一番の放言であるのだが、Twitterのハッシュタグでの拡散による反対運動が一定の成功を収めたように見えることは、非常に怖いことであると感じた。今回の件について、きゃりーぱみゅぱみゅ氏が炎上してしまったことは大変悲しいことであると思うし、個々人が、自身の理解の中である政治的問題への意見を表明すること自体は悪いことであろうはずもない。ただ、Twitterという短文投稿の場で、ハッシュタグの拡散を行うという安易さは、民主主義の基礎たる議論となじむものなのだろうか。そこにあるのは、何となくの不安や恐怖に対する共感が主であり、相互理解のための議論があるとはどうしても思えないというのが私の意見である。そういった共感による多数を作ることが民主主義なのだとしたら、全体主義はそのすぐ隣にいるのではないだろうか。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
読んだんだけどさ。
まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。
当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。
いや、俺は「性が断片化され、人格からきりはなされたものと扱われる」っていうのが何を言ってるのかさっぱりわからんのだが。
だいいち、この人の理屈だと、公共の場に限らず、宇崎ちゃんは差別的でダメってことになると思うんだが。
なんで公共の場以外だったらOKになるの? それはそれで適当過ぎない? (挨拶)
ここから本題。
最初にさ、赤十字じゃなくて埼玉県のガイドラインの話するじゃん?
んで、宇崎ちゃんが埼玉県のガイドライン的にアウトって話をするのね。
なんでも女性を笑顔にしてるだけでダメなんだってさ。(ここよくわからないポイント1)
んで、埼玉県のガイドラインですらアウトなんだから、赤十字はもっと公共にあたるし当然だめっていうのね。(ここよくわからないポイント2)
んで、ここまでのよくわからんポイントはとりあえず飲み込むとして
「公共での広告の在り方を定めるガイドライン的にNGだから宇崎ちゃんもダメ」っていうのはとりあえず受け入れるとするじゃない?
ここまではまだモヤモヤはするけど受け入れられるのよ。
まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。
当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。
ここよんで「はあああああ?」ってならんかった?
なんでさ。
公共のガイドライン的にちょっと自重したほうがいいよっていう話を受けいれたら、
自動的に、「宇崎ちゃんの絵は、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題」
ってところに合意させられるわけ? (ここよくわからないポイント3。というか納得できないポイント)
そもそも論理が逆転してんじゃん。
今までは一応「ガイドライン」の存在が先にあって、それにひっかかるからアウトって話だったよね。
全然違う話をつなげてる上に、その違う話でNG判定が出たってとこから無理やり逆算してるのね。
「ガイドライン的にNGだった」→「女性蔑視・女性差別だから」→「宇崎ちゃんは女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われてるものだ」になってる。
これずるくね?
だって、牟田さんの記事、どこにも「宇崎ちゃんが女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」ということについて説明してないじゃん。
なんか、前のガイドラインの件の続きで、あたかもこの点については説明済み・合意済みって前提で話進めてんじゃん。
ちょっと牟田先生の知性を疑いたくなるレベルでひどいと思うんですけど。
いや牟田先生がバカだからじゃなくて、説明してないことを説明したつもりになって記事書いてるだけならまだいいよ。
でも、もっと恐ろしいのは、牟田先生がわざとこういう構成で文章を書いてるとしたら。
それはもう教授失格でしょ。
それが教育者のやることですか?
この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士や評論家と称する人たちにさえ「個人の気持ちの問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。
別に素人なら頭の痛い思いをしたとか感情的なことを書くのもいいけどあなたフェミニズム学の教授でしょ。
なに素人みたいなこといってんの?
考えてみてほしい。
物心つく前から、街頭で目にするポスター、本屋やコンビニの店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的なポーズを取り男性の欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥な言葉を浴びせられる。学校の先生や男子たちから体つきについてからかいや嘲笑を浴びる…。
日本で普通に生きていてこんな体験をしたことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方そのものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから、自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約や基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ。
そうかもしれんけど。
それと牟田先生がろくな説明もせずに「宇崎ちゃんが女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」認定したことは全く関係ないよね。
話ごまかしてるよね。
ねえ。
フェミニズムの授業っていっつもこんな非論理的な解説やってんの?
それ学問としてどうなの?
さすがに、今回の記事をまじめに書いてこれだったんだったら、教授としての資質を疑いますよ。
象牙の塔で、誰も批判する人がいないからいつの間にかこんなずさんな文章書いてもやばいと思わなくなったのかどうか知らないけど。
書き直して。どうぞ。
ドラマのARROW/アローってのがあって(バットマンの下位互換)
この二つのスピンオフにレジェンドオブトゥモローっていうタイムボカンがあって
さらにここからスーパーマンのいとこのスーパーガールちゃんシリーズもキャラ間の繋がりがある
これらの4つのシリーズのクロスオーバーが出てて、全4話(これだけまとめたDVDある)
今見てるのはフラッシュなんだけどフラッシュシーズン4の8話が唐突にこのクロスオーバーの3話で始まり、
レジェンドオブトゥモローの推しおじいちゃんが撃たれた所で終わっている
おじいちゃーーーーん!!!ってなってる所
次のフラッシュの9話はまた通常のフラッシュ回に戻ってるわけなので
置いてかれた感やばい
おじいちゃん…
4話入ったDVD別で借りてこにゃあ
マーティン・シュタイン博士おじいちゃんめっちゃかわいいの;;;
この年まで象牙の塔生活だったからタイムボカン冒険にめっちゃわくわくしてて
ちょうかわいいの;;;
「LGBTは異常」の増田さんを見てすごい共感したんだよね。
僕も小中のころは結構韓国の人が多いエリアに住んでたこともあって、韓国ルーツの人に虐められてたわけよ。
そういう経験しちゃうと、いくらサンプル数が一桁だからと言って、韓国人に出くわすと虐げられるっていう打率がスーパーハイアベレージなんだ。
そうなると、韓国人というアイコンに対して憎しみを抱かざるを得ないよね。
韓国人と仲良くしようと言われたって、PTSDみたいなもので僕にはとても無理。
で、翻ってブクマカの民は、すべての人への慈愛に満ちた立派なコメントを各記事に残して承認欲求を得ているけど、みんな誰かに抑圧された経験って無いのかな?
それらと違って門戸広いわりに本当に文字通り教科書読めば、究極的には1年くらいで誰でもできるような仕事がホワイトなわけないでしょ、適正な市場原理
はてなやSNSで意識高いこと言ってる胡散臭いエンジニアが十何年も喚き散らしてる「IPAの国家資格なんて役に立たない」っていうののあれ
コンピュータ科学は難しいとか高度っていったって、IPAスキル4まで計画的な勉強時間取れば、はてなの意識高い系の主要層っぽい高卒や専門のバカだって運の要素を抜きにしたとしても、最短1年でとれるからな(前期APで午前免除でPMとか)
FEとかやたらバカにされてるけど、じゃあアンタFE持ってんの?ないなら今年取れるよね?簡単ならっていうと発狂して取り巻きファンネルでセコい叩き始めるでしょ、業界通のブロガーエンジニアとかw
ぶっちゃけて言えば、金にならないクソみたいな学問分野でも教養2年、専攻2年で4年学んで、研究して卒論だして、ようやく入り口に立てるくらいというのに、CSとか全然そんなことないっしょ?象牙の塔でやってるCSに関しては、そりゃ凄いと思うけど、在野のカスがいくら喚いたって、IT後進国なんだから、OSSなんて誰でも見れるようなコアコンピタンスでさえない技術を極めて、金になると思ってんの?
こういう構造に気が付かないと本質が見えてこないし、聞こえない見えない主語がでかいって不安感抱えて喚き続けた結果が、今のIT業界なの、おわかり?