はてなキーワード: 習い事とは
やはり見ている世界が違うなー、とは思った。どこに住んでいる人なんだろうか。
都心部の便利なところに家を買うのは親の援助か、外資金融みたいな高収入職か、もしくは官僚みたいなローン余裕な人じゃないと無理。
子供の服は全部ブランドなんてそんな成金な人は私の観測範囲では見たことない。
習い事と塾って、当たり前じゃないの?習い事にも塾にも行かない子供って、それだけでいじめ対象になると思うけど。
都内だと、まともな子がみんな私立に行くから、「過半数のクラスで学級崩壊している学校は避けたい」くらいの意識でも、私立にいかないと厳しかったりする。私立の選択肢が少ない田舎とは事情が違う。学級崩壊している学校に行かせることに痛痒を感じない親がいることは知っているが。
やっぱ意識高すぎるんじゃないの。
「お金持ち」でないとそれが出来ないと思ってるのは、想定する生活レベルがやたら高いからでしょ。
都心部の便利な所に家と車買って、子供の服は全部ブランドで、共働きでも習い事・塾・私立小中受験は当たり前、みたいな生活を想定してたら
そりゃ親が金持ちでない限り、奥さんもバリバリ稼がなきゃ無理だわ。
んでそういう生活圏にいると「夫の収入だけで私立の学費なんて余裕なセレブ奥様」みたいな人ばかり目について、うちは金がない!ってなるんだろうなあ。
祖父(父方)
祖母(父方)
父親 45
母親 45
2.妹 16(実家)
住居 80坪くらい?1F各7部屋程度、3階建て(祖父母が多少出資したらしい)
庭 今自分が住んでいる1Kが7個入るくらい
※駅まではかなり遠い。
※車は3台。
自分が実家にいた頃の母親のタイムスケジュールを思い出して、大体の所を書き出してみた。
かなり忙しいのではないかと思っている。
AM05:30 1が起床1の食事を出す
AM06:30 父起床食事を出す
AM06:40 1を駅まで車で送る
AM07:30 弟起床食事を出す、父親車で出勤
AM08:00 場合によっては妹弟を学校へ車で送る、祖父が送る場合も有る
AM10:00 庭に水やり、庭内外花植え(地域強制、しない場合料金を支払うと業者がする、造園屋を呼ぶ家も有る)
PM07:30~祖父母に夕食を出す
AM00:00 多分この辺で眠るが片付け等で遅くなることも有るようだった
追記○
いやだからさあ…話通じてないなこれ…。
そのリスクを取れっていう説得の裏側には報酬ありきって話だろってことを言ってるんだけど。
子どもがまずリスクを取れと言われてリスクだけを取らされ続けても理解も納得もできないだろ。
報酬否定型の教育はリスクだけを取らせてその先の報酬がどういった形なのか理解も把握もさせてないから
多重タスク処理どころか1パス形式のブルーカラーどころか単なる奴隷の状態。
奴隷になったらもう仕事・働くことがもう苦痛にしかならなくなる。
それを避けるためにまずは短期的な1パス形式の教育をしてイメージをどうやって沸かせるかが重要。
ともだちがいないからって
子供にそれを求めないで欲しい。
生まれたところに住んでないから友人がいないって、習い事いっぱいいってたじゃないか。
いないのは誰のせいでもない、あなたのせいだ。
あなたのいう友だちって
都合のいい存在ってだけでしょう。
そだててくれた恩はあっても、
これをうまく運営できてるところに育った人とそうでない人じゃどうしようもない差がでるよなぁ。
家族ってなんだろうなぁ。
木曜日の予定変更を、その週の月曜日にいきなり知らせないで欲しいの。
もう予定入ってるんだから。
ここいらの小学校は、
そもそも木曜日は、研修などのためと称して授業は4時間までで給食を食べたら帰宅する日
ということになっている。
だから、木曜の午後はうちも含めて、
色々予定を入れてるわけよ。
4年生以上はたま~に必修クラブがあったり、
(ここまでは大体月間予定表とかでお知らせがある)
今年の夏休み明け、9月1日は台風の影響で大雨洪水警報が出たから、
で、その補講が直後の3日(木)とか10日(木)にあるのならば、
急な予定変更でも仕方ないかなと思う。
でもね、その補講が10月1日(木)になるのなら、
充分にお知らせの時間はあるでしょ?
9月28日(月)に
「10月1日は、9月1日の臨時休校分の補講のため6時間授業となります」
ってのはないでしょう。
ていうか、臨時休校にする段階で、ある程度補講の予定を立ててないの??
月間予定表に拠れば、
17日(木)は研修授業、24日(木)は必修クラブで補講は不可能。
で、9月3日や10日がダメなら10月1日にせざるを得ないって、
遅くとも9月10日には分かるわけやん。
そこで知らせてくれれば、10月1日の午後の予定の変更は楽なのに。
これ、今回が初めてじゃないのよ。
去年の夏休み前にもあったのよ。
全く、勘弁して欲しいものだわ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/etenatsu.hatenablog.com/entry/2015/10/31/165811
あ、今は亡きコンビニ店長の文章はおまえにすごく役立ちそうだな
バイトの使い方について書いてたもんなあ
なんだ気になる 読みたい
ではそうとして、一体何に給料を払うのさ 一社員の私が払うわけではないが
やる気ゼロの無能でも使えるようにするのが真の教育 という考えと
使えないものは永久に使えないから切るべき という考えと、どちらが本当は正しいのかな
態度の悪かった新卒も、1年もしたらどうにかなったような気はするんだが
どうも私だけに態度が悪いわけでもなかったようだから皆の心象を悪くしたんだな しょうがないか
でも、1ヶ月ぐらいでよく分からない理由で辞めたパートは、同業他社でパートしてたという触れ込みだったが
すごく何も知らなかったのは何だったんだろう 経験があるのは嘘だったのかな
嘘でもどうでも覚えてくれさえすればよかったんだが、それを望んではいかんのか
それはそうと、新人はあんまり自分の事を語らない方がいいと思う
この新卒は、自分は体育会系の部活や習い事で礼儀を叩き込まれたと自称していたが
挨拶や返事をロクにしない礼儀ってなに? と激しく疑問に思ったもんだ
あと、昔ワルかった話は聞いてるこちらが恥ずかしかった
エクセルに数字を打ってもらおうとしたら泣いた新人は、別の時に 私は辛抱強くなるように育った と語っていたが
どこが?精神的にではなく胃腸が辛抱強いとかそういう話だったのか?
長く付き合って気心も知れたら「どこがやねん」とツッコミいれられるが、そうでもない間柄ではね
大体が自分語りって過大評価しているか、なりたい願望だけになっているか、「私ブスだから」「そんなことないよ」の誘い受けか
になる
「お前の鬱ツイートうざいわ」と以前言われたけどやっぱりうっぷんがたまってるので
吐き出したくなる。まあわかるかもれないけど文章にすると冷静になるもので、
書こうと思いたった時点で悲しみは70%くらいに減っている。
夜中に眠れずに日々を振り返る。発端は自分が負けず嫌いだということに辟易したくらいかな。
ちょっとした練習でうまくいかず、イライラして、それでかなり不機嫌になって顔に出てた。
思考もまわらず、愛想笑いもできず、仏頂面になり、あまり話しかけられなくなっているんだと感じる。
でも治らずに感情的なままでいてしまう。そんなこんなで寝る前に考えてしまって昔のことを思い出し、
昔からおとなしく、照れ屋で、いい子だった。
怒られるのが嫌いで、混ぜてと言えず、一人でも遊んでいて、体を動かすのもインドアな趣味も好きだった。
小1の頃トイレに行きたいと言えず我慢する、上級生にネタっぽいことを言って笑われたのが予想よりもずっと恥ずかしかった
とくに親は普通だが、割と放任主義で口数もあまり多くないのかもしれない。
本当に子供のころには旅行に行ったりしたのだが中学のころには旅行などしなくなっていた。
親は自分の無口っぷりに理解があったのか、学校での出来事をあまり聞かなかったのかもしれない
そのせいか今でも自分の気持ちを聞いてほしいときに聞いてほしいということができない。
さびしいという気持ちは強かったのかもしれないが、他人に干渉はされたくなかった、
習い事も好きなアニメが見れないからと一度やめたが、さびしくなったのでまた入った。
無口だったのでとても仲いい友達はできなかったが、嫌われない程度には練習を頑張った。
モチベーションが少ないのでガチでやる人には話題が足りなかった。今でもその気はある。
小学校以来ずっと、夏休みに予定がないのが普通だ。いや、予定はあるが、遊ぼうという約束がない。
キャンプや合宿の予定はあっても人の家ではあまりあそばなかった。
いじめはあったのかもしれない。怨むほどのことではないが、プロレスゴッコをやったり、
給食のデザートはやんわりと取られることはあった。
しかし、泣いたりせずいやだと言えば案外それ以降変な絡まれ方はしないのかと思う。
もちろん相手側が「遊んでるだけ」ならばだが。
無口だったころなので、全然話さなかったが、手をつないで帰った。
いや、多分手首をつかまれて家まで送らされただけなんだがすごくうれしかった。
このころからきっと無邪気でぐいぐい来る女子に弱いんだと思う。
もうだいぶゲーム以外の会話ができなくなっていたかもしれない。
1年の頃はみんな積極的に仲良くしようとしてくれていたので、変には浮いたりはしなった。
小学校の頃の友達とは合わなくなった。まあこっちから連絡しなかっただけなのだが。
ああ、疎遠だな。でも特に会いたいと思う人もいない。
今は地元に友達と呼ぶ人はいないかもしれない。「かもしれない」のである。
多分呼べばあって遊んでくれる人もいるだろうけど、まあこれでいいかとか考えてしまう。
近年にも親にもある程度心配されたが苦笑いしたらそれ以上聞かれなくなった。
やっぱり2年生になったら1年生の知り合いにはあまり合わなくなった。
2年生の人たちが一番印象が少ない。昼休みには図書館に行ったり
自分はどのグループとかに入らないぼっちで、みんなただ優しかっただけだ。
遠足でぼっちになり、修学旅行で好きな人と組んでといわれるのがつらかった
今でもその言葉に苦しむ。人を選べない。
小学生ならプールに遊びに行ったら友達がいた。だが中学ではたまり場などない。
あの頃にはすごく学校に行きたくないということがあり、ときどき仮病を使った。
周りがとってもなかよくなっているのことにうらやましいと思っていたが、
スマブラの話をしていた。一緒に遊びたかった。ただ見つめていた。
今思うと、同じ趣味なら友達になる素養があるのだからもっと勇気を出すべきだった。
今でも思っているが、まだ仲好くないと思って躊躇してしまう。どうにかしたい。
中3の頃にはきっと学校外では1回遊んだきりだったと思う。さびしい奴だ。
このころは心が躍動していたと感じる。
仮病もあるが、学校に行ってから、すごくだるくなった時があった。きっと鬱だろうけど。
そんな時友達が音楽室行こう、と誘ってくれた。嬉しかった。気遣ってくれてうれしかった。
きっと聞かれたらいろいろ愚痴をはいていたと思う。つらかったんだよって聞いてほしかった。
でも彼はただ何も話すことなく一緒の部屋でいたと思う。
話したくないなら聞かない、そういうスタンスだったのかもしれない。
やさしさってわからないよね。自分ももっと気遣ってるアピールしなきゃな。
体育祭がすごく嫌いで厨二病ですれた自分がいたが、3年生で、もう終りか…と思うと熱くなった。
中学卒業する時、告白しようとしたが、ものすっごくどきどきした。あきらめた。
のちにデートすることになるのだが、その話は置いておこう。
携帯の連絡先を交換したのは同じ高校へ行く人数人とその仲間問う感じだった。
2人とも同じ部活だったのだが、「高校行ってもがんばれよ~」としか言われなかった。
高校へ行ったが同じ高校へ行った人以外へは連絡は何もなかった。
友人との距離感に戸惑う時期。ちょっと仲良くなり始めたころにグループ通話をしていた。
夜にどうでもいい話をするのに戸惑った。話のネタがない。このころはまだ話をしたいとは思っていなかった。
面倒くさかったのとともに、何の用もないのに通話をかけてくることに理解ができなかった。
夏休みになっても別の友人だが電話がかかってきた、「いや~なにしてるかな~と思って」
僕は特に何もと答えて、後はふんふんと相槌を打ち、質問を返すだけだった。
電話なんてそのときくらいで、友人との理由なき電話はその後6年ほどはしなかったかもしれない。
質問はすごく苦手だ。会話がはかどるには話題の数じゃなくて相手への興味とはよく言ったものだ。
彼のことはよくしてくれるし好きだが、別に興味があるとかではなかった。
でも結局疎遠になっている。Twitterではつながっているが。まあ地元では合うタイミングが0だからだ。
うっとうしくて時間をずらして、一緒に帰らないようにしたのに、ときどきは一緒にはいた。
その子に言われたことがある。とある映画を見に行った話を聞かされたとき
「いいなーボクも見たかったなー」と言ったら「え、行きたくないとおもってた」と言われた。
確かに行きたいと言ってなかった。このころやっと人にああしたいというようにするようになった。
ケンカもしなかったなあ。ただいっしょに遊んでいて楽しかった。
まあなんやかんやこのころまではすごい悩んだりせずに、
就職できればいいや、友達いらないからゲームして、アニメ見て生きられればいいやと思っていた。
勉強はいいから遊べ、コミュ力が大事、熱意があればいい、いろいろあるだろうが
何社か落ちて 、自分の存在価値を見失ってしまった。もうだめだ、人生経験がない、
そんなことをいろいろ考えてしまっていた。結果夢のキャンパスライフだ!ということになった。
当然勉強対策もあまりしていなかったので苦労した。もともとよく考えるタイプで勉強は嫌いだが、
そこそこできる人間だと思っていたので2流、3流大学にははいることができた。
地元を離れ、人も少ない地域の大学へ行った。同じ高校からは一人もいない。
大学デビューをしようと思いチャラい系サークルに入るがノリが違いすぎて2カ月ももたず
5月病で鬱がちょっとひどいことになった。あの頃は週5くらいで夜泣いていた気がする。
歓迎会でも仲良くできず、帰り道みんなから離れ、後ろでうつむきながら岐路についていた。
家で泣いた。
先輩に話を聞いてもらったこともあったが、何のためにもならなかった。
ふだんから自分の子と話す練習をしないとちょっと信頼できる人でも
30%も言いたいことを話せないと思う。
過去問は手に入る程度には浅い付き合いがある。
よく狭く深くのほうがいいというが、本当に強く感じる。
「5人いれば十分だよ」といわれるが一人でもいれば十分だろう!?
もしかしたら今の自分にも一人はいるかもしれないが信頼しきれていないのかもしれない。
もう先輩になる年齢だというのに、いい加減子供っぽくて困る。
一緒にご飯食べに行きたいと思っているが、だれかがあまり思いつかない。
好意がある人にこっそり誘ったりしても断られる。
誰かのついででは嫌だいう気持ちがあるが、君も行く?と言われて断れない
次に誘われないかもしれないからだ。ときどきおれなんかが一緒でいいのかな?と思って断る
なぜ行かないといっても「なんでだよ~いくぞ」といわれる人がいて、うらやましくて、
自分は誘ってほしそうにチラチラ見てるのに誘ってくれなんだろう。
先輩は先輩同士で仲良く飲みに行ったりしているのに、なぜ自分はぼっちなんだろう。
友達は友達でご飯よく食べに行ったり、休日遊んだりしている。自分はなんでないんだろう。
そういえば1対1で休日にあそんだことないな。みんなのついでにあるだけで。
家に帰ってからLINEしたりもないな。個人LINEどうのこうの言ってるけどうらやましい、おれもまぜて
なんでおれが飲みに行こうっていってもまた今度なの?
誰かに聞いてほしいけどいま話を途切れさせるひともいない中ずっと語ったわけで、
自分がこんなことを聞いてほしいって思っているって自覚する以上、
話を聞いてもらう人に負担が大きそうだなって思って遠慮してしまう。
普段は普通に楽しいし、へこんだ時もプライドとかいうものが邪魔をして、頼れない
かまってくれるという甘えなら無意識でずっとしてしまっている。
話せる状態では話したいと思えないし、話したいと思うようなときは精神が不安定でうまく話せない、逃げたい
そんなこんなでいまさら昔の友人や親にも話すのがおっくうです。正しいのは分かっているんだけど。
昔特に好かれないような性格してるね、っていい年をしたお兄さんに言われたことがある。
活動的な人で憧れる。学外活動で学生以外と遊びに行ったり飲みに行った経験で多少同年代の人と話が合わなかったりする。
くだらない話より、面白い話を聞きたいと思う。
好きな人もいるが、その子がよく自分の友達とすっごい長く話している、仲よくしているのでほほえましいのだが
あまりに見かけるたびに一緒に話しているので嫉妬する。客観的にみて話をよく遮られるので嫌いになってもおかしくないのだが、
自分と話が合う友達なのでしかたないなとおもう。最近好きなタイプに「自分を好きになってくれる人」とかいう人にも共感できる。
やっぱり自分を見てくれる人が好きなのである。もっと人を信頼して、もっと興味を持ちたいのです。
こんな自分をどうすればもっとまともな人間になれるかを日々考えている。
実行に移すのがいいっていうのがとっても分かっている。だけど・・・
本当どうするのがいいんでしょうか
そろそろ
「コレ(小指)がコレ(腹)でコレ(激おこプンプン丸)なもんで」
ってやりたいけど
まだ一度もやってない。
先月、ようやく安定期に入って、
少し落ち着いて将来のことを話せるようになった。
「保育所どうする?」
とか
「名前どうする?」
といった
「グレたらどうしよう?」
とか
「習い事は何をさせよう?」
といった
近未来の話まで
毎日寝る前に
布団の中でするのが
とても楽しい。
「何人子どもが欲しい?」
と妻に聞かれたのは
さっきのはなし。
正直、
仕事は
ほどほどにやるタイプだ。
だから、
経済的には
「子どもは2人」
が正解なんだろう。
なのに
「子どもは3人にしよう」
って言っちゃった。
言っちゃった言っちゃった。
だってなー
俺、3人兄弟なんだよなー
もし俺の両親が
って決めていたら、
俺に弟はいなかった。
俺には妹しかいなかった。
俺は弟とキャッチボールをしていないし、
勉強を教えていない。
俺は弟を桃鉄で泣かせていないし、
ドカポンで泣かせてもいない。
弟は小学1年生だった。
運動会も、終業式も手を繋いで歩いた。
弟はきっと忘れていると思う。
でも、俺は覚えている。
今は
住む場所も離れて
会うことも少なくなったけど、
それでも
そういえば、弟が初めてもらったバレンタインデーのチョコレートを勝手に食べたこともあったな。
あれは本当に申し訳なかった。
まだ1人目もちゃんと生まれてない。
気が早いにも程がある。
でも、まあ、言っちゃったもんは仕方ない。
金を稼がねばならん。
ということで
この増田は言っちゃった記念、
たまに戻って初心を思い出す
やんのか? やれんのか?
知らん。とにかく頑張れ、未来の俺。
私の彼氏は、こちらからメールを送ると返信はきちんとくれますが、向こう発のメールは用事がある時だけ。
3日、4日、5日とメールを待ってもついに来ず、自分からメールを送る時の不安感。
私のメールに対する返信も、気が乗らないと、まるでそっけない。
「気が乗らないけど義務感で返してくれてるんだな」と手に取るようにわかるメールで、そんな時、私は不安が募ります。
でも、会えば優しくしてくれて、メールが無いことも単に仕事に夢中になっているからだと、頭ではわかっている。
わかっているから、「メールくれないね」とか、やいやい言いたくない。
でもメールが来ないと「私のこと忘れてる?私の存在頭にある?」って不安になる。
この不安を頭から取り払い、メールくれない彼氏にも催促がましい事は何も言わず、久々の用件メールを笑顔で「待ってたよ〜」と迎える、
たとえば、暇な時間があるから余計な事を考えるんだと、新しく習い事を始めてみたり。
難しい本を読んでみたり(エーリヒ・フロムの「愛するということ」をカフェでじっくり読みました)。
習い事への行き帰りの電車の中とか、寝る前のちょっとした時間とか、本に飽きてぼーっとしてる時とか。
不安感はなくなりませんでした。
結局、一番効いた方法が、トキメキ要素を他の相手に補ってもらうこと。
他の相手というのは、三次元の人ではありません。浮気、ダメ、絶対。
相手は二次元です。
「いつも周りの人にクールに接する男性が、自分にだけは慈愛に満ちた眼を向けてくれる」だとか。
「風邪で寝込んでる自分を、不器用に、でも全力で甘やかしてくれる」だとか。
そういうトキメキを外部で、二次元で、補給していたら、いつの間にか彼氏にそういう要素を求める気持ちが抑えられてきました。
もちろん、くれるなら全力で欲しいですよ、彼氏からのトキメキ。
でも彼氏は生身の人間だから、私の煩悩を満たすために存在している訳ではないし、彼には彼の都合がたくさんあって、彼女というのは生活の中の要素の一つでしかない。
健全な男性なら、恋愛以外にも大切なものはたくさんあって当然だし、私も彼氏の生活の他の要素を大事にしたい。
そこで二次元。
都合のいい二次元。
好きだった人は「専業主婦がいい」と言う人だった。
無収入だと、旦那さんが心変わりして離婚することになったとき再就職が大変だし、いつまでも旦那さんが働けるとは限らない。
突然リストラされたり、事故や病気になったりする可能性は大いにある。
そもそも40代になれば、途端に病気しやすくなるので、お互いの医療費も増えるはず。
また、子どもができたら、習い事や色々なところにおでかけして、自分の可能性を見つけさせてあげたい。
楽しくて素敵な人生を送れるように、バックアップしてあげたい。
家でただ家事をするだけの毎日なんて、子どもの教育にもよくないと思う。
父親に依存した母親を見ていると、自立心が育たないのではないか。
お金がないとIQも低くなりやすいので、たくさんあった方がいい。
収入源が2つあれば金銭的にも安心できるし、旦那さんに何かあったときにも支えてあげられる。
そう、力説してもダメだった。
彼の愛情はそれで冷めてしまったようで、「考え方が合わない」と捨てられた。
彼以上に好きになれる人は現れない。
ただ、私が間違っているとは思わない。
未練がましい自分が嫌になる。
子供の習い事で待ってる合間に、かつて大学時代にサークルで愛用していた、東池袋「喫茶マーガレット」に行ってみた。
自分の大学時代って、もう20年以上も前だが、この店自体が、それ以降、時が止まっているね。
レトロな、昭和な喫茶店マニアには、たまらない場所で、お約束のマンガの類も多数完備
ところで、サンシャイン内のカフェは、どこに行っても、土日は満員なんだよな。
サンシャインから100m程度行った場所に、カフェ・ド・クリエが2店舗程度あるが、それも満員
だが、300mほど行ったマーガレットは、閑古鳥が鳴いている。
なぜなら、自分は認められるべきに値しない人間であり、自分でない人全ては社会的に認められているからだ
だから、自分が言いたいことではなく、認められそうなことを言ってきたが、もう見破られていたらしい
カウンセラーには「『こう言えばいいんでしょ』という気持ちで言っている」と見抜かれた
「言えばいい」や「言えば評価される」ではなく、あえて「言えば『いいんでしょ』」という言葉を選んだのは、僕がその言葉を発すれば認められるとは本心では思っていなく、就活生という立場から、言わなければならないという僕の投げやりさを見抜いた上での言葉だったのだろう
何にしても成功すればまぐれ、失敗すれば自分のせいと自分を厳しく律してき(いじめ抜い)たツケが、根本的な自信の不足として回ってきた
同学年の姉と弟を見て、普通なら彼らのように友達を多く作り、徒競走で1~2位になる程度の運動ができ、算数ができ、家に帰ったら毎日友達の家に遊びに行く、ものを無くさない、それが全部できてない僕は普通ではないと
他のことに注力したって、ますます普通ではなくなるんだから、劣等感を埋めるはずはなく、後ろめたい気持ちが広がった
このようなスペックがふたりに劣る僕は、親の言うことに従うことしか生きる道はないと思っていたのだろう
習い事だって学校だって、行きたくなかったって行かなければならない
習い事に行きたくないと騒ぎながらも連れていかれる姉と弟の横で、僕は自分の意思なんて必要ないんだ、無駄なんだと思った
家で親に従わないと生殺与奪の権にかかわるので、そっちに全振りし人間関係を疎かにしたツケがまわってきている
本当なら一秒でも早く自室で横になりたいだけなのに、他人に認められようとすることが間違っている
以前、子供に習い事を3つも4つもさせるのはどうかなという記事があったけれど
http://anond.hatelabo.jp/20150907095417
とにかく、字が汚いと仕事ができない人という先入観を持たれてしまう。頭が悪いようにも思われてしまう。この先入観を覆すのはなかなか大変だ。
その反面、字が綺麗なだけで、仕事が出来るように見える。頭が切れる人に思われる。そのうえ、清潔感までプラスされて女性ウケもよくなる。
テストの結果で学力が測れたからだ。どれだけ字が綺麗でもテストの点数が悪ければ頭が良いとは評価されなかった。
小学校の時は、外で男子とドッヂボールとか、鬼ごっことか全然しなかった。僕の運動神経が悪く、疲れるから、すぐに捕まってしまうから。少しは参加したと思うが、僕がタッチされ、鬼になった瞬間に、他の全員がゲームから外れることを宣告され、ぶちギレた記憶がある。
僕は三つ子で、姉と弟がいる。ふたりは家に帰ったら毎日遊んでいたが、僕はそんな友達も多くなかったし小4と小6の一時を除いては殆ど学校から帰ったあとにランドセル放り投げて、すぐに遊びに行くなんてことはなかった。
ポケモンとか、遊戯王カードとか、その時は流行ってたらしいけど全然興味が持てなかった。
携帯ゲーム機や据え付けゲーム機は1台しか買ってもらえず、殆ど弟が使っていたのが原因だろう。
弟は何にしても僕より優れていたし、今でもそうである。運動も、勉強も、プラレールの配線も、ゲームの腕も何もかも。
姉や弟にちょっかいを出され、激昂し手を出した僕が親に怒られるということが度々あった。祖母は「負けるが勝ち」と、僕が悪いことを前提にたしなめ、さらに親が姉や弟を叱った記憶はなく、腹が立った。
また、同じ習い事もやらされた。姉や弟は習い事に行く前に行きたくないと騒ぎ、やっと護送された先では借りてきた猫のように大人しくしているのが腹が立った。
「おそらく」小4のときに仲のよかったFくんとは、Fくんの家で競馬のテレビゲームをしたり、メンコをしたり、親に持たされたお菓子を一緒に食べたのを覚えているが、記憶が曖昧になっている。
小6のときに遊んだNくんは、鉄道の話をよくした。大学入学前の教習所の同乗研修で同じ車だったが、もしかして忘れているかもしれないと声をかけられなかった。中学生になる前に転校してしまい、わざわざ親子で家まで来て、菓子折りをいただいたのを覚えている。
そのときのアニメも、ポケモンとか遊戯王カードとかやってたらしいけど、全然見てなかった
小1くらいまでは鉄道が好きだったが、鉄道趣味なんて恥ずかしいよね、という結論に小2~3ころに至った。やはりこの頃から僕は他人の目を気にしていたらしい。
小6くらいから前述の友達の影響もあり再開した。親に鉄道模型を買ってもらったりもしたが、やはり配線をするのは弟だった。
休み時間も外で遊ばない分、女子と多くの時間を過ごしていたと思う。特に3年生の時は、Oさんと一緒に担任の先生の追っかけをしたりした。
夏休みの自由研究を一緒にした記憶がある。その歳では男女が付き合うとか、そういう概念はなく、たぶん浮いていたと思うが男女から奇異の目で見られることはなかった。
翌年はクラスも違くなり、その先生も転校してしまったため、何となく気まずくなってしまった。
運動をしない分、あやとりとか、一輪車とか、そういう女子が好むこともできた。あと、変に男女平等の意識があって、一般的には小学校2~5年くらいは男女別々の行動をとるという意識が強いが、僕は努めて分け隔てなく接するようにしていた。
いつまでも創業者が出しゃばっていたら後継者も育たないし……とかいう話では全然ない。
・
久しぶりにテレビでポケモンを見た。3歳の息子が見ていたからだ。
キチンとアニメを見た事はほとんどないが、初代のポケモン(緑と赤)が発売された当時に11歳だった僕はご多分に漏れず、ずぶずぶに嵌まってポケモンをやりこんでいた。
すごく楽しかったし、友達とも興奮しながら語り合ったりしていた。
ただ、続編の金銀が発売される頃にはもう中三とかになっていてポケモンどころではなかった。
アニメもいつから始まったのか覚えていないけど習い事や部活でアニメを見るヒマはなかった。
・
だから僕にとってポケモンのアニメと言えばピカチュウが人気なんでしょ、くらいしか認識がなかった。
で、今だ。
僕は驚いた。
クレヨンしんちゃんやアンパンマンやドラえもんの様にサザエさん時空とは違う、未だに原作ゲームが発売され、キャラやモンスターが追加されるなかで、拡大する世界でピカチュウが揺るがず真ん中に立ち続けている。映画版もスポットを見る限り、ピカチュウが主役だろう。
サトシ?飼い主の方はなんか同格キャラが増えて後ろに下がった風に見えた。
僕はこれを決して批判しているわけじゃない。
『ピカチュウ、10万ボルトだ!』で万事解決って水戸黄門みたいでいいな、とも思う。
ゆく川の流れは、ではないが、いつだって新規視聴者は数年で去り、また新規視聴者が視聴するのだろう。
こりゃ、100年後も10万ボルトあるぜ。
ずっと先に孫ができても共通の話題ができそうで心強い。