2015-10-10

根元的な自信の不足

自分でない誰かになれば、社会的に認められると思っていた

なぜなら、自分は認められるべきに値しない人間であり、自分でない人全ては社会的に認められているからだ

から自分が言いたいことではなく、認められそうなことを言ってきたが、もう見破られていたらしい

カウンセラーには「『こう言えばいいんでしょ』という気持ちで言っている」と見抜かれた

「言えばいい」や「言えば評価される」ではなく、あえて「言えば『いいんでしょ』」という言葉を選んだのは、僕がその言葉を発すれば認められるとは本心では思っていなく、就活生という立場から、言わなければならないという僕の投げやりさを見抜いた上での言葉だったのだろう

何にしても成功すればまぐれ、失敗すれば自分のせいと自分を厳しく律してき(いじめ抜い)たツケが、根本的な自信の不足として回ってきた

小さい頃から劣等感を探していた

同学年の姉と弟を見て、普通なら彼らのように友達を多く作り、徒競走で1~2位になる程度の運動ができ、算数ができ、家に帰ったら毎日友達の家に遊びに行く、ものを無くさない、それが全部できてない僕は普通ではないと

他のことに注力したって、ますます普通ではなくなるんだから劣等感を埋めるはずはなく、後ろめたい気持ちが広がった

このようなスペックふたりに劣る僕は、親の言うことに従うことしか生きる道はないと思っていたのだろう

習い事だって学校だって、行きたくなかったって行かなければならない

習い事行きたくないと騒ぎながらも連れていかれる姉と弟の横で、僕は自分意思なんて必要ないんだ、無駄なんだと思った

家で親に従わないと生殺与奪の権にかかわるので、そっちに全振りし人間関係を疎かにしたツケがまわってきている

本当なら一秒でも早く自室で横になりたいだけなのに、他人に認められようとすることが間違っている

  • "「『こう言えばいいんでしょ』という気持ちで言っている」" わかる。私も似たような感じで就活失敗した。 "何にしても成功すればまぐれ、失敗すれば自分のせいと自分を厳しく律し...

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