はてなキーワード: 映像コンテンツとは
うちは映像コンテンツを扱っている。
違法配信の通報とかもやるんだけど、そのためにファイルストレージの有料会員とかにもなる。
だいたい、月額で1200円ぐらい。
そういうのは身元を知られたくないので、ビットコインで支払っていた。
で、大昔に登録しっぱなしだった某ファイルストレージのビットコインアドレスに、間違って「全財産」を送金してしまった。
0.1484BTC。だいたい70万円ぐらい?
最初はそもそも「何のアドレスに送ったのか」も分からんかったので、パニック状態でサポートに電話。
そこで出金用アドレスが登録された日付を聞いて、その日のメールを掘り返して、ようやく事実を知る。
私が誤送金したファイルストレージは限りなく黒に近いグレーなヤツで、そういうファイルをダウンロードする連中しか使わないようなヤツ。
当然、間違って送っちゃった70万円はもう返ってこないだろう。
それでもダメ元で、送金した先の取引所に連絡し、ファイルストレージのサポートにも事情をメールして。
取引所のサポートから返答はあったが「個々の取引には介入できない」そりゃそうだ。
運営会社?みたいな記載が見つかったので調べる。インドの会社みたい。一応、経営者の名前も出てくる。
そこで、今度は工場の名前+経営者名でFacebookを調べてみる。
何件かそれと思しき人が出てくるけど、どれも確信が無い。
それでも虱潰しに捜索し、なんとファイルストレージ自体の企業ページ跡にたどり着く。
そこにはスカイプのアドレスが書かれており、調べると経営者の個人名。ドンピシャ。
早速スカイプのチャットで呼び出してみる。最終ログインは数か月前。
まぁ、無駄だろうなと思いつつ、呼びっぱなしにしていたら……
「話せないけど書ける」と戻したら「それでも大丈夫。どうした?」と返ってきた。
「かくかくしかじかで、ビットコインの大金をそちらに入金してしまった。履歴は全部残っている。」
「オッケー、確認した。6/24に入金されている0.148BTCがあったが、それか?」
「アドレスを発行したのが6/24だが、間違って送金したのは9/1だ」
「こちらでは三カ月前に入金されたことになっている。時間が経ち過ぎているし、その間に何人もの担当者がトレードしている?ので金は戻せない」
…よく分からないけど返す気は無いって事か。致し方なし。そう思った時…
「しかし、大金だという事は理解できるので、50%で良ければPayPalに送金してもいい」
約70万の半額。35万。
もともと5万円で買ったビットコインだったので、35万でも戻してくれるなら万々歳だ。
だいたい、ちゃんと確認せずによくわからんアドレスに全財産を送金した私が全面的に悪い。
それにこう言っちゃアレだが、限りなく違法に近い側からそんな提案をもらえるなんて、これは奇跡に近い事なんだと思う。
「Have a nice day」
そういえば日本とインドって3時間30分の時差があるんだった。
という事は、彼は早朝からこのやり取りに応じてくれたという事になるのか……
9:00に目覚ましのアラームがなるが、身体は起こさずにヤフーニュースを見る。テキストを読みたいけど頭は使いたくないというニーズに、このサービスはよくマッチしている。記事の内容はほとんど読まずにコメント欄をスクロールし、コメントを書いた人たちを勝手に想像して見下すことで優越感を抱く。10:00頃になるとやっとベッドから身体を出し、シャワーだけ浴びて出勤。出勤といってもリモートワークだから自室のPCデスクに座るだけだ。
職場のチャットで周りの様子を見つつ、なんとなく22:00過ぎに退勤する。頭がぼんやりしていてもう何もやる気がおきない。アプリのカレンダーには週の頭に入れた生産的な風を装った予定が入っているが、削除してベッドでYouTubeを見始める。深夜0時を超えてからスナック菓子と缶ビールをコンビニに買いに行く。別にそれらを食べたり飲んだりしたいわけではないが、何もしないことに耐えかねて家を出る。
普通に映像コンテンツを見ても楽しめないから、アルコールを入れて自分の頭を鈍くし、なんとか視聴が続けられる状態にしている。YouTube を見て寝ざるをえない時刻になるのを待つ。別に性欲が高まっているわけでもないが、誰がアップロードしたか分からない動画や漫画を見ながら、自分のモノを作業的に擦ってを便器に吐き出す。掃除が面倒だからティッシュは使わない。全く満足感はなくダルさだけが残る。
そのまま寝てしまうのも何故かもったいない気がして、YouTubeの動画を再び眺める。レコメンドエンジンはもう同じものしか勧めて来ないので、必然的に動画は過去に見たものばかり。新しい動画を開拓する気も起きず、勧められるがままに同じ動画を繰り返し見る。何かやらなければという考えが一瞬ちらつくが見なかったことにする。深夜3時をすぎると流石にベッドに入って目を瞑るが、YouTubeの音を流し続けるイヤホンは耳に入れたまま意識がなくなるのを待つ。
去年4Kテレビを買ったんだよね
なんなんあれ
カメラワークはひどいしナレーションも全然入らないしなんじゃこれ?ってなった
まぁナレーションに関してはジャニタレのコメントなんていらんから良い部分もあるけど
流石に今何をやってるとか紹介されないと分からんよね
最初は気付かなかったけど地上波はちゃんとした感じになってたから途中で切り替えた
パラリンピックはどうかな?って思って最初見てたけどやっぱりひどくて途中で変えた
そんで調べてみて分かったんだけど、NHKは4Kで違うコンテンツを作ろうとしているらしいね
例えば紅白歌合戦でも同じ映像はあんまり使わないで観客席から見たような映像にしているらしい
4Kの映像を活かして臨場感を高めたいとか、そういう取り組みだそうな
って思った記憶がある
オリパラの開会式でも同じことがあったんだけど、同じように観客席から見たような映像を目指してるってことらしい
だからカメラワークは遠くからばっかりだしナレーションは全然入らない
そういや途中のカットインの映像ですら競技場のスクリーンを映してたね
なるほど
控えめに言ってアホなのかな
今やテレビ買い換えたらほぼ4Kになるしマンションとかケーブル系ならBSも普通に入る
4K映像は特殊な用途で使われていなくて映画とかゲームで普通に高画質な映像として使われてる
だから普通にクオリティの高い映像コンテンツとして4Kを提供すればいいし
そうすれば4K/8Kに投資し続けてきたNHKが民放より優位に立てる
NHKの存在意義も際立つ大きなチャンスだったのに4Kでクソみたいな映像垂れ流して
とか言ってて完全にズレてる
本当にそう思うんならVR向けにでも配信すればいい 見ないけど
普段テレビ見てるところで定点カメラっぽい映像流されたら単にクオリティ低い映像にしかならんよ
これが初めてじゃなくて既に紅白ではやってたんでしょ?しかも2,3回もうやってる。ネットで検索してみたらそのたびに酷評されてるよね?
私は過去5年位テレビを見ていないので最近のテレビがどのようなものになっているのか知らないが、テレビが廃れた原因を考察してみた。
結論としては、テレビ以外の娯楽が増えたことが根本的な原因で、そのせいで番組が更につまらなくなり、一部の人が更に離れたことが原因。
まず、テレビ以外の娯楽についてだが、Netflix、アマゾンプライムを始めとした映像コンテンツのサブスクサービスが台頭した。
これにより、人々は好きなときに好きなコンテンツを消費できるようになった。
よって、己の好きなコンテンツを消費するために、その番組が放送されるのを待つテレビというモデルの存在価値そのものがなくなってしまった。
更にYouTubeを始めとした素人の情報発信が増えた結果、コンテンツが多様化し、より個人の好みににマッチしたコンテンツを享受することが可能になった。
その結果、それらのコンテンツを消費する時間が増えてしまったため、テレビを見るために時間を割くこともできなくなった。
それは、2つあると考えた。
2. サブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生
複数の人間が集まる場所ではNetflixなどの個人の趣味に合わせた映像作品ではなく、テレビのようなランダム性のあるコンテンツが必要とされる。
なぜなら、複数人の中の1人がコンテンツを選択してしまうと不公平が存在してしまう。不公平は人間の間に溝を生じさせるので良くない。
私がテレビを見なくなった頃、なぜあなたは日本にいるのか外国人にインタビューする番組や、日本の文化を紹介してすごいと出演者が口々に話す番組が増えたように思える。
なぜこのような番組が増えたかというと、人間は褒められることで快感を得ることができる生き物だからである。褒められて嫌がる人間はかなり少ないと考えられる。
これらの番組は日本人という属性を褒めることで、ほぼすべての視聴者に当てはまる日本人という属性を持った我々を気持ちよくしているのである。
特に複数の人が同時に視聴する場ではできるだけ共通するものを褒める必要がある。それが日本人という属性なのである。
しかしこれらの番組は複数の人がいる場合に見られる程度で本当に日本が好きな人は右翼と呼ばれる人以外にはいないのである。
特に日本人の20代までの若者は政治に興味を持っていない割合が大きい。
よってこれらの番組を見たいとは思えなくなり、若者のテレビ離れが更に進行したのである。
次にメインの視聴者がサブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生になった。
テレビはこれらの子供をおとなしくするために安易で有効な手段である。
この結果バラエティ番組にある変化をもたらしたと考えられる。
以前はエンタの神様、レッドカーペットなど、ある程度の年齢からでなければ理解できないようなお笑い番組が多くあったが、
最近はリアクションで笑いを取る番組が多くなったように思える。
例えば、アメトーーークのゴールデンでやっていた運動神経悪い芸人である。
これは運動神経が悪い芸人を運動させておかしな動作で笑いを誘う番組である。
小学生は運動ができる人間がカーストトップになり、運動ができない人間は嘲笑の対象になるのである。
正直運動神経が悪い事で笑いを取るには限界があり、芸人が以下にしておかしな動作をするかを試行錯誤しているようにしか見えない。
このような稚拙なお笑いで大人(一部を覗いて)は笑うことができない。必死に面白い動作を考えて実行している姿はある意味滑稽だが、お笑いとは違うように感じる。
現在これらの状態からどのように変わっているのかは知らないがテレビに将来性はないと考えている。
事実を伝えるニュースについては正確性という点でネット情報を凌駕していると考えられる。
ただ速度でいうとネットのほうがだいぶ早い。
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
デレスポ、ご存知だろうか。
リリース当初にインストールしたものの、間もなくデレ自体を引退したので(ゆずコラボ嫌すぎたギアスとかもな)、スマホストレージの肥やしになっていたんだが。
ふと思い立って先日眺めてみたんだよ。
そしたら映像コンテンツが多くはないが多少追加されていたみたいだな。
で一番上の「House of Terror」を再生してみたわけ。
辻野と道明寺に随行して恐怖の館からの脱出を目指すアトラクションなわけだが……
これがめちゃくちゃテラーなわけだ。
何がテラーって、恐ろしく酔う。そばに女の子がいる空間を楽しむ余裕はない。
なんでそんなに酔うのかっていうと、自分の視点となるプロデューサーが勝手に歩き出すからだ。
周囲を見回すには360度方向を実際に体をひねって(回転椅子でもいいが)確認しなきゃいかんのだが
そうこうしている間にもプロデューサーはぬるりと歩き出したりする。
そこで魂が置いてかれて酔うわけだ。酔い過ぎて蘭子の部屋を出たあたりでギブアップした。
VRは初めてではないが、そもそも俺が普段触れているVRコンテンツは自分が勝手に動くようなものはなかった。
諸君らがよく見ているアレも多分そうだと思うが……
あとその手のビデオと異なり、デレスポは3Dモデルの解像度がめちゃめちゃ荒い。
その点でもろくに「役に立たない」感じであった。
まあなんだ、「Under the Starry Sky (1/3)」でりあむがすぐ後ろに来てモニターに向かってキャッキャしている後ろ姿を眺めるのはなかなか良かったが。
小さい、細い、そして大きい。
他にもそんなポイントがあったら教えてくれ。
ではさらばだ。
それは例えば二次元イラストに関心も造詣もない人がたまたまpixivの大手絵師のお絵かき配信に入っていって「こんな作業見せて何が面白いんだエンタメとはぷんぷん」と言っているのとほぼ同じなのでは。
Vtuberの配信というのはそのVに興味関心のあるファンのためのもんで、推しがだらだらと作業をしながらたまに漏らすリアクションを摂取して己の癒やしとする、すなわち「助かる」ためのもの。
これはVtuberに限らずネットの生配信ははるか昔からそういう傾向だ。ニコ生もustもツイキャスもなんでもそうだったが、配信主への関心がまず先にあって、人に興味を持つ気がない初見の人をも引き込むほどのアトラクションを提供する場ではない。
この人かわいいなーとかカッコいいなーとか声好きだーとかそういう愛欲の受け皿のためにあるのが生配信であり、映像コンテンツ自体がめちゃくちゃすごいことやってるとかそういうのはあくまで「取っ掛かり」を作るための餌でしかないわけで、配信者みんながその「取っ掛かり」に凝ってコンテンツクリエイターじみたことをし続けるわけではない。それにそういうコンテンツ作りは配信よりも録画の方が向いている。
初期はそういうことに熱心になっていた人も、ファンが増えてこれば「ファンは何をしても喜んでくれる」ことが分かるから、配信内容自体はそこそこ楽なものになっていき、その代わりに頻度を増やして、常時ちやほやしてもらう(=愛欲の受け皿になる)振る舞いをするのが常、というわけ。
俺はもっとカジュアルにアホとかべきとか強い言葉が軽いノリで使われる社会のほうが、ある意味人が他人のロジックにいい意味で期待しないようになって、繊細チンピラみたいなのも発生しなくなるし風通しがよくなっていいんじゃないかなと思うね。
言葉を大きく捉えすぎて言葉に縛られるしぐさなんだよ、表現に噛み付く行為ってのはさ。しらんけど。
言葉ってのは完璧じゃない。だから行動が描ける映画みたいな映像コンテンツのほうが人の心を掴みやすいだろ?
君が完璧に捉えたと誤解した「べき」だって、それを発した人の考える「べき」のニュアンスと異なってるかもしれない。
行動と合わせて考えてなお不躾で不快な押し付けを感じるのだったら仕方ないけど、言葉だけにクローズアップしてしまう時点で自らネガティブ方向に囚われにいってるような感じがするんだぜ。
Amazonはダメじゃないけど一つの企業に依存も良くないと思うので代替サービスを考えてみた。
ヨドバシ 家電以外でも米から化粧品まで大抵のものは揃う。電池1本から送料無料はAmazonより安い。
2.新刊書籍
丸善、その他 ネットで取り置きしてくれて即日手に入れることも可能。自宅配送、送料無料希望なら楽天ブックス
メルカリ 送料込みだとAmazonのマケプレ業者より圧倒的に安い。種類も豊富。
難点:個人売買なので変な奴に当たることも
4.映像コンテンツ
Netflix、その他 サービスも充実してきてるのでお好みで
そういう「対価のない支払い」に依存させると業界がより脆弱になるだけだと思うけどな。
アニメというか映像コンテンツ業界の問題は「いくら金を払う気があっても受け取る対価の上限が低すぎる」ことが問題。
映像コンテンツそのものじゃなくてグッズに金を払うことでしか支払い上限を上げられない。
服飾業界だって車だって時計だって他の業界はメイン商材のクオリティに比例して価格が上がるのが当然だけど
映像コンテンツ業界はそれがない。それが良くもあり悪くもある。
そんな中で、解像度を上げる方向で多少価格差付けられるようになってきたのはいい事だと思う。
映像コンテンツのサービスの質を上げる方策がもっとあって、その中から客が自分に合ったモノにその対価を払う仕組みが出来るといいな